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2003年06月のてくてく

03/06/28/sat

■12時間の有楽町

 セットアップ途中のマシンは、USBポートが2つしかない(ノートだから)。でも挿したいUSBは3つある。外付けハードディスク、プリンター、マウス。仕方がないので、USBハブを買いに行くことにする。ついでに手になじむマウスも。有楽町のビックカメラへgo。今度始めてパソコンを買いたいというKさんも誘ってみたら、時間があるというので合流することになった。もちろん小さいレッツや小さいバイオをもっと触り倒したい同居人も一緒。昨日、シグマリオンにATOKが乗るということを発見していたので、こちらも再度触り倒したいらしい。というわけで、同居人によると、シグマリオンに入れるATOKはドコモのサイトからダウンロードできるみたいですよ(ZDnetの記事にあったらしい)。>森山さん

 自分の買い物はさっさと終わる。マウスとUSBポートとUSBメモリだけだからな。USBメモリは64メガ。ちっちゃーい。昔の私のマシン(11年前に購入)、NECのノートはハードディスクが40メガだった。この消しゴム程度のメモリが、あれよりも大きいのかぁ。しみじみ。
 後は同居人のお触りとKさんのパソコン初検討。はじめてのパソコンは、エントリー・モデルというらしい。とりあえずCD-ROMは入っているのにしましょうという提案。あとは「触って気に入ったのと予算とサポートがしっかりしているかどうか」と言って、触らせる。ついでにプロバイダーの比較もしないといけない。なので、「Yahooマガジン」(だっけ?)も購入。ただし、この雑誌の場合YahooBBがやたらと持ち上げられている点を注意しておく。そしてやはりサポートがしっかりしていること、つまり大手のいくつかを印して渡す。各社の広告ページも端を折っておく。ある程度は自分で検討して決めてもらわないと、こちらが大変になりすぎるのだ。しっかし、なんで女性用モデルとなるとどれもこれも「丸っこい白」なんじゃ? 私は女性だけど、そんなんになったら買わないぞ。
 お昼を食べながらプロバイダーだのパソコンだのを情報整理したら、今度はソフマップへ。少し違うモデルが置いてないかと見に行く。ここでも触り倒し、小腹が空いたので上の無印良品のカフェで野菜をバリバリ食べながらおしゃべり。もう6月も終わりなのだと、再びしみじみする。

 ということでKさんと別れた後、「映画でも見て帰ろうか」という話になり、とりあえず通りかかったマリオンで様子をうかがってみると「マトリックス・リローデッド」は次の回も満席との表示。なんとなーく、人気の多い銀座方面をさけ、日比谷方面に進む。日比谷のシャンテシネで何かやっていれば見ようということになった。そしたら、『秘密と嘘』のマイク・リー監督の新作『人生は、時々晴れ』が上映中だった。タイミングよく10分後には最終回が始まる。「見よう、見よう」とそそくさと入館。毎度毎度行き当たりばったりの映画鑑賞だ。

 相変わらず、ごく普通の人たちの展望のない日常を描いている。とはいえ、小さなハッピー・エンドじゃないと嫌な監督(だと思う)。やっぱり小さなハッピー・エンドだった。しょうもないとっちらかった現実の描き方は好きだし、こまごまとうまいよなぁと感じる。「家族の再生」なんて言葉でくくっちゃうとつまんなくなると思うんだけど、いかがでしょうか。

 で、終わって劇場を出ようとしたら、こちらに向かって手を振るカップルがいる。めがねを外していた私は、誰か他の人たちに手を振っているんだと思ったら、私たちにだった。偶然、同居人の同僚のS夫妻と同じ映画を見ていたのだ。直前に入った私たちと違い、彼らは少し前に入館していたので、「なんかあの二人、似てない?」と発見されていたらしい。自分たちがわかっていないときに発見されるのはやっぱり恥ずかしい。
 彼らは最近、異動で東京に戻ってきたばかり。「ご飯でも〜」と言っていたのだった。グッドタイミング。早速、近くのビア・バーで久々のご挨拶と相成った。楽しいひととき。結局ラストオーダーまで居て、我々の今日の有楽町滞在時間は12時間を超えてしまった。



03/06/27/fri

■マシン到着

 7月下旬から始まる在宅勤務に向けての準備が本格化してきた。編集部では、新しくする名刺の版下を作ったり、ご挨拶のハガキを準備したり、家に持ち帰る資料をリストアップしたり。そして、今日は在宅用のマシンが一足先に家に送られてくる予定である。午前中に。

 しかし、来ない。待てど暮らせど来ない。やっと来たのは、昼ご飯も食べ終わってゆっくりしていた午後2時。ある程度動作を確認して時間が早めなら会社に行こうと思っていたけれど、これじゃ、もう今日はいけんな。実際、始めてみると、こちゃこちゃと面倒なことが勃発。プリンターもやってきたのだが、自分で最初の設定をしていないので、どういうふうになっているのかさっぱりわからん。とりあえずつないでみたら、スキャナーもプリンターも使えるけど、電源管理が闇の中。これ、手動でやらにゃならんのか? パソコンの電源を入れたら、勝手に入ってくれて、切ったら勝手に落ちるようなものではないのか? 確認せねば、と思うけれど、プリンターなんて自分のマシンにはここ5年以上接続したことがないので、全然ピンとこなくなっている。ふにゃぁ。

 それより何より、やっかいなのはネットワークのはずだ。それに移る。とりあえずLANケーブルをルーターにぷちっと挿す……、はずが挿さらない。仕方なく我が家のネットワーク管理者(休みで在宅の)を呼び出して、挿してもらう。彼がやると挿さる。きっと嫌われているのね、わたし…。マシン側のLANポートには挿せた。よかった。嫌われてなくて。
 さて。何をどうしたらいいんだ? 自分でやっていないとこういうところでもわからん。とりあえず、不本意ながら使わなければならないアウトルックにメール・アカウントの設定をしてみる。POPサーバーやSMTPサーバーを設定しないとならんわな。と思って、プロバイダーから指示されたサーバー名を打ち込むが、リジェクトされる。なんでかな。ここで悩んでも仕方ないので、サポートに電話してみる。アウトルック・エクスプレスじゃなくて、アウトルックだとちょっと違ったらしい。途中、「接続の確認のために、アウトルック・エクスプレスで設定してみていいですか?」と聞かれて、探すが、アウトルック・エクスプレスがない。どこ見てもない。「いらないもんは全部はずしといて」と設定をする係の人に言っていたのが、こんなところに現れたのか。うれしいけど、ちょっと不思議。はずせるんだ〜。結局、私はいまだにアウトルック・エクスプレスを触ったことがありません。えっへん(←胸を張っている&私にアウトルック・エクスプレスのことを聞かないでねというサイン)。

 どうにかこうにかメールの送受信ができるようになるまでに1時間経っていた。はにゃぁ。……面倒くさい。ひたすら面倒くさい。デフォルトで使っていると非常にイライラさせられるので、これから、ある程度は自分が使いやすいようにカスタマイズしないとならない。でもね。この作業はさして魅力的なもんではないのだ。細かい設定をあれこれいじって、普段使っている環境にもっていくんだけど、3年に1回やれば、気分的に満足しちゃう作業なのだ。なのに、この1年の間にすでに2回もみっちりカスタマイズしてしまった。自宅のX30と、会社の自分のデスクトップ。さらに、このマシンをやれといわれても、気が乗らない。がんばってATOKとALTiMEを入れたあたりで、挫折した。これからパーティションマジック入れて、辞書類入れて、過去のデータの整理をしてと思うと、なんのおもしろみもないけれど神経と時間を使う作業で気が滅入る。みんなこれに負けてデフォルトで使うようになっていくのだろうか。うー。

 それに、最初から自分で設定しないと、これほどまでに使いにくいとは…。オフィスなら周辺機器もふくめて勝手に設定されているから問題はないのだけど、家だと周辺機器は自分の環境。そこへ細かい設定がわかっていないマシンがやってくるとストレスが大きい。……インテルとXPのシールも剥がしたし、今日はここまで。


■がん告知

 というわけで、マシンの設定は途中でストップして、夕方から【患者のための医療ネット】【PMセミナー「患者のための医療を求めて」】の第2回へと向かう。今日は「消化器・外科医療から考える」がテーマ。

 途中、がんの告知のことが話題になった。講師の医師は約20年前に、末期段階のがんを告知した経緯があった。これは早期のがんでも知らせないのが主流だった時代ではとても珍しい事例だったという。ただし告知の背景は積極的なものではなく、CTの画像から手術で切除できると判断したため入院したが、血管造影をしたところ転移が多かったからだという。するはずの手術ができなくなった以上、説明が必要になる。その結果、末期だということを含めて説明することになったというケースだ。患者は積極的な治療は望まず、痛みを取り除くことと、自宅で最期を迎えたいという希望を出して、ほぼその通りとなったという。

 1982年の話だ。そのとき、ふと素朴な疑問がわき上がった。「なぜ日本はがんだけ、患者に病名を告げないことになったのか」。「がん告知」の「がん」のところに他の病名が入ってもしっくり来るならいい。でも、胃潰瘍だろうが、痔だろうが、骨折だろうが、肺炎だろうが、腎炎だろうが、患者に知らせる。がんは「不治の病」だったからだというのはわかるけれど、いつ頃からどういう経緯で、患者だけを事実から遠ざけることが一般化したのだろうか? たとえば、昭和初期に「がんと告げたら自殺者が相次いだ」という過去があったのだろうか? それとも、がんという病気がわかるようになって以来、ずっと告げられない病名だったのだろうか? なんかよくわからないのだ。



03/06/26/thu

■不条理マニュアル

 結局、朝、手に取ったのは『自由を考える 9・11以降の現代思想』(東浩紀・大澤真幸著/NHKブックス→[bk1amazon])だった。……アマゾンのリンクの張り方もわかったので、今日から入れてみる。

 すでにいろんなところで話題になった本だから、すっかり出遅れている。これをめくって最初に思ったこと、それは……、「東浩紀は“流れに棹さす”という言葉の意味を間違えているのか、それとも故意にこういう文脈で使っているのか、わからーん」ということだった。何の深読みもしないと、東浩紀の「流れに棹さす」は「抗う/逆行する」という意味だと思うのだ。でもね。これ、ほんとは「棹を操って流れに乗って舟を進める。機会をつかんで時流にのる。物事が順調にはかどる」(大辞林)や「棹を使って流れを下るように、大勢のままに進む。誤って、時流にさからう意に用いることがある」(広辞苑)なのだ。「広辞苑」なんてはっきり「誤って」と書いてあるもんなぁ。

 てなことはさておき。
 まだサワリのところをウロチョロしている状態で、なんとなく響いてきたのは東浩紀がつかう「確率的」という言葉だ。彼は「…主体のありかたを考えたい。…(略)…いつもすでに誰かと交換可能になっているような存在、弱い受動的な「私」がある」という。そして、これを「確率的な状態」と呼んでいる。

 この間、友人に宛てたメールのなかで私はこんなようなことを書いた。お題は医療過誤。でも医療過誤じゃなくてもなんでもいいんだけどね。
 「もともとは医療現場サイドに“ミスはあってはならないもの”という思い込みがあったように感じる。だけど、最近、気になるのは患者側というか被る側の意識がやっぱり“完璧で当然”というところから動けないということかな」
 なんでもかんでも100%の状態じゃないと、自分がおとしめられているかのように感じてしまうというか、相手に対しては完璧を求める意識があるような気がしていた(もちろん現実にはまだまだ論外な現場の実態がたくさんあるのもわかってはいる)。私の中にもないわけじゃない。東浩紀の言葉でいえば、「交換可能」であることを無視したままに、権利意識だけが肥大しているような印象だ。この印象にそこはかとない違和感がある。「しゃーないことはどうなるの?」とでもいえるかな。100%の安全を生活に求めているように感じられて(それこそ監視カメラとか心神喪失者なんとか法の強行採決とかいろいろ)、「どうしようもないことなんて、あってはならない」と言われているような違和感。こういう感覚を東浩紀の言葉が刺激しているってところだな、いまは。ここから先、話がどう進むのかよくわからないけど。

 そして、最近、いたるところに引っ張り出される人物が、ここでもいた。その名はカフカ。『変身』だの『審判』だのといった代表作のよくいわれるキーワードは「不条理」。いま必要なのは不条理との距離感……、じゃないか、なんだろう。不条理との付き合い方、なのかな。うっ、表現がどんどんマニュアルチックになってしまっているぞ。ちょっとタイム。不条理マニュアルが出来たら面白いけど(マニュアル対処できるものが不条理かという根元的な問いにもなりそうだ)、とりあえず棚上げして読み続けます。


■入手本

木村竜治著『自然をつかむ7話』岩波ジュニア新書 →[bk1amazon]
→新書といえども、これだけのペースで担当するのは大変だろうなぁ。精力的な仕事に頭が下がるいただき本。ありがとうございます。

木下圭・浅島誠著『新しい発生生物学 生命の神秘が集約された「発生」の驚異』講談社ブルーバックス →[bk1amazon]
→著者名にノックアウトされて買いました。この著者のブルーバックスはとりあえず買っておこうかな、と。

レナード・ムロディナウ著『ユークリッドの窓 平行線から超空間にいたる幾何学の物語』日本放送出版協会 →[bk1amazon]
→青木薫訳の数学本とあらば読まねば。これは【bk1】の課題本でもある。前半の古代の部分はもしかしたらS先生から文句がつく内容かもしれないけど、うれしや。現代数学のどの分野でも(そして物理学でも)、「幾何学のセンスが要求される時代」ということを聞いたのは、いつだったろうか。きっと前の勤務先にいた頃だから、もう10年以上前なんだろうな。



03/06/25/wed

■活動再開

 返す返す間の悪い。家を出るときはそれほどひどい降りではなかった。が、京王線の途中で、停車中に開いたドアから雨が吹き込む。いつの間にこんなひどくなったのだ。調布駅に降りてからは最悪。編集部についたら、ビショビショだった。ジーンズがべっちょりだと、気持ちわる〜。でも、昼には晴れ間が見えたりしてたわけでして。

 仕事のピークが過ぎつつあるようだ。とはいえ、まだ1サイクルが終了したわけではないので、はっきりとはわからない。それに、毎月の更新作業があるので、ヒマヒマ期間がやってきてくれるわけではない。が、年間の作業の山場が自分の上からは少し動いている感じにはなってきた。
 ただねー、貧乏性なのか、つい「じゃ、余裕のあるときに細かいの作業をしておこう」となってしまってねぇ。どうせやってくる次の年間の作業がどちゃっと皺よるのもいやだし、つい「少し前倒しして…」なんてことも考えちゃってねぇ。ボチボチにしておきましょっと。

 ピークが過ぎつつあるので、不義理をしていた人々に連絡を取り始める。2月からズルズル待たせているT、スケジュールがもうちょっとはっきりしたらメール出すね〜。

 書評以外の本も読みたいな。書評用に読んでた『地中生命の驚異 秘められた自然誌』(デヴィッド・W.ウォルフ著、青土社)は、コンパクトにいろんな話題が詰まっていて「地中初心者」向けにとってもいい本だと思う。うー、【山本義隆】が手招きしている。売れている【訳師様の本】も魅力的。サイエンス系じゃないのも読みたいなぁ。精神的な余裕も出てきたから、読書ペースをあげたいものだ。



03/06/23/mon

■盟と合

 いつものことではありますが、極めつけに今日の話はオチも納得もつきませんでした。単なる自分の足跡メモです。ご勘弁を。というわけで、早速…。
 昨日、ぼそっと同居人が聞いてきた。

 「ねぇ、コンフェデレーションとフェデレーションはどうちがうの?」

 うっ。それはサッカーとテニスの違い…、っていうのじゃ許されないよね。コンフェデ杯をかけるのはサッカー(負けたねー、日本)、フェデ杯がかかるのは女子テニス。
 ちなみに「英辞郎」によると、

federation
【@】フェデレイション、【変化】《複》federations
【名】同盟、連合、連邦化、連合組合会、連邦、連邦政府、連盟、連盟結成 / 【用例・名】 Many federations were made and destroyed in the course of history. : 歴史上、数多くの同盟が生まれては消えていった。

confederation
【@】コンフェデレイション、【変化】《複》confederations
【名】同盟、連合、連盟 / 【用例・名】 The two countries formed a confederation for protection. : ふたつの国は、防衛のために同盟を結んだ。

とある。なんかフェデのほうが意味の数が多いぞ。こういうのの違いをパキッと説明するのは、すごく難しい。バイリンガルの同僚に聞いても「非常に難しい質問をありがとうございます!」というコメントだった。

 これって、日本語でも難しい。「ねぇ、連盟と連合ってどう違うの?」と聞かれて、即答できる人はどれだけいるだろうか。ネイティブなら答えられるってわけじゃない。日本語教師をやっている人たちは日常的にこういう質問にさらされるわけで、こういうことに答えられるからこそ日本語教師なのだ。

 というわけで、調べてみました。調べなきゃ答えられません、こんなの。「連盟/連合」の関連語として、ほかに「同盟」なんてのもあるかな。では、小学館の『類語例解辞典』に頼りましょう。これによると、
 連合:組織的に別々のものが、特定の目的のために協力し合うこと。ある事柄に対処するために一時的に協力し合う場合にも、継続的に協力し合う場合にも用いられる。
 連盟:団体や国家などが、共同の目的のために協力し、行動をともにすることを誓うこと。また、そのような組織体。
 同盟:個人・団体または国家が、お互いに共同の目的を達するため同一の行動をとることを約束すること。また、それによってできた仲間。
 うーん。いまいちわからないなぁ。これにさらに「連邦」なんて関連語もあわせたらさらにやっかい。「連合」と「連盟」だと共通目的の及ぶ範囲がちがうのだろうか?
 角川書店の『類語新辞典』だと、
 連合:組み合って一つになること。
 連盟:共通の目的を達成するために共同で物事をするよう申し合わせること。その組織・団体。
 同盟:共通の目的のために同じ行動をとる約束をすること。その約束。
ですと。こちらでは、要素となる部分についての解説はない。個人も国もなんでもよさそう。協定部分に注目している部分が強い気がしないでもない。岩波の『日本語表現辞典』だと、
 連合:幾つかのものが結び合って組になること。また、組にすること。
 連盟:共同の目的を達成するために作る同盟。
 同盟:国家・団体・個人などが同じ目的のために同じ行動をとるように約束すること。その約束によって生じた関係。
とな。岩波だと連盟と同盟がかなり近しい印象。より一般的な用法が連合みたい…かな。さらに「連合」の項目には、“「連」「聯」を使い分けていたころは、異種のものの場合に「連合」、同種のものの場合に「聯合」とする傾向があった”とある。同じ「れん」でも昔は漢字を使い分けていたのね。

 だめだ。まとまらん。これを咀嚼して解説しきるのは今の私には無理だ。



03/06/22/sun

■心音

 やたらとしんどい週末だった。もう1カ月経ったってことだな。ふー。年末にひどかった不整脈がぶり返して、昨日の昼頃から心臓がバクバクいってた。これ、鎮痛剤が効いている間に悪化している気がする。生理痛か不整脈か選べといわれているようで、かなり厳しい。

 昨日の夜は、鎮痛剤を飲んでしまったので、またバクバク。よくよく不整脈を観察すると、リズムが乱れるというのとはちょっと違う気がした。そこで前に入手していた聴診器をあてて、自分で自分の心臓の音を聞いてみた。「トックン」というよくある心音もあるけれど、「トックントン」と3拍がたまにある。なんだろう? 三拍子というのかな。「不整脈 3拍子」という検索キーで調べたら、「過剰心音」というのがあるとわかった。これかな。ギャロップといえないこともないかも。高齢者はまずいらしいけれど、若年層なら生理的な現象らしい。この場合の生理的は月経とは関係ないから、どういう「生理的」なのか判断に悩む。
 でも、不整脈でバクバクしているときに寝るのはけっこう怖いもんがある。「代わりに起きててほしい」勤務から戻ってきた同居人は、当然の事ながら眠気にまけて寝入ってしまう。一人寂しくある程度不整脈が落ち着くまで、つまり鎮痛剤の効果が切れるまで待って寝入った。朝は来たので、問題はなかったということだな。

 人間の身体は不思議だ。ちょっとしたことでイカれちゃうくせして、丸1日心臓がバクバクしていても、問題がなかったり。……いや、あるのかな。胸痛や背中の痛み(心筋の場所によってはたしか背中も痛むはず)がなければ、「ま、イッカ」で気にしないようにしているけど。

 改めて心音を聞いてみると、面白い。3発とか4発に1回くらいで過剰心音や不整脈があったりすることもあれば、数えていた数を忘れるほどにまぁまぁ規則正しく拍動することもある……、けどそうは言ってもけっこういい加減とか。試しに特に不整脈を自覚してない同居人の心音も聞いてみたら、不整脈みたいなことはないけどやっぱりいい加減だった。メトロノームみたいじゃなくてよかった。

 患者を診ている医者は、いろんなケースを知っているからこそ安心できるんだなと思った。だって、患者はたいてい自分一人のケースしかしらない。だから判断はそこでするしかない。1ケースのみを頼りに判断するって難しいことだよね。心配なら病院にいけばいいけど、なんでもないのに真夜中に救急でいくのは忍びない。かといって、平日の昼間に都合よく不整脈(とか不安な症状)が出てくれるとも限らない。

 せめて、胸に耳をつけても問題のない人が手近にいたら、お互い心音を聞いてみたらいいのかな。どうにか自分の心臓の拍動は把握できるからね(バクバクすれば自覚できる)。自分以外の心音と比べてどう違うかわかるだけでも、少し気が楽かも。聴診器がなくても、ぴったり耳をつければ聴診器を使っているようなもの。

 それと、久々に聞く心音は、自分のも同居人のもなんだか心地よかったよ。不整脈の部分はちょっと心配だけどね。



03/06/18/wed

■カウンセリングは自己決定の支援

 また台風か。蒸し暑い。身体がペタペタするのはちょっといやんだな。

 一昨日↓で「カウンセリング過誤ってないの?」と書いたら、ご本人は「あたしも暗いんだけど」というけどたしか心理出身のKくんからメールをもらった。
「カウンセリングって「自己決定の支援」だから,密室で何をどう決めても「自己責任」なんだと思う.だから基本的に「過誤」とか「事故」とは関係ない.カウンセラーが何かするわけではないから.」
 あ、そうか。「自己決定の支援」という視点はすっかり忘れていた。ありがたい。
 本来、そうだよなぁ。……「本来」って書くくらいだから、必ずしもそう(=自己決定の支援)になってないんじゃないの?っていう印象もあったりする。支援じゃなくて誘導が入ってきちゃうとか。カウンセラーの力量にもよるだろうしねぇ。

 それと、カウンセリングにもノウハウはあるんじゃないかなと想像しているんだけど、どうでしょ。もしそうだすると、そのノウハウ自体の選択ミスみたいなものというのかな。そういうのはないんだろうか、とか。
 これはカウンセリングだけじゃなくて、精神科での治療でも薬物治療以外で似たような疑問を感じたりする。半年くらい前だったか、ある精神科医が患者と恋愛シミュレーションを治療に取り入れて患者の状態が悪化したとかどうとかいう記事があった。それは「不適切な治療を行った」かなにかで患者の親に訴えられたという話だったと思う(提訴に伴う原告側にたった記事だったはず。詳細は知らない)。そこまで極端なことはあんまりないだろうけど、「それはどう考えてもおかしい」と思われないけれど、やや類するような選択ミスだったら、いろんなケースに認められそうな気がしている。
 ただ、やっぱり私自身がカウンセリングを受けたことがあるわけでもないし、トンチンカンなことを言っているのかもなという危惧が抜けないのでした。



03/06/16/mon

■過誤

 また月曜日なのだなぁと思いながら、スピリッツを読みつつ編集部へ。W先生から電話が入っていて、折り返すと上京中とのこと。さっそく、午後お時間をいただき、いろいろ細部の調整とご相談をすすめる。これでどうにか今年の分の最終決着がついた感じだ。よかったよかった。

 ずっと編集部に張り付く覚悟で出かけていったのだが、そんなわけで細かい作業だけギュッとすませてぴゅっと外出し、東京の西の方から東の方へ移動してしまったので、ふたたび西に戻る気が起こらず、そのまま直帰した。明るいうちに帰宅できるのはなんだか変な気分になってしまう。同居人は泊まり勤務で出て行ったので、夜は一人でシコシコ仕事を進める。

 ふと、昨日、同居人と話していたことを思い出した。ここのところ、医療機関でおこった事故やミスなどのニュースが毎日のように新聞やテレビに出てくる。「医療過誤」ってやつだな。一部の病院だけが対象になりそうだが、報告も義務化されそうな流れである。
 「医療」は過誤がある。では、「カウンセリング」は? 「カウンセリング過誤」ってないんだろうか? 「カウンセリング事故」でもいいんだけど。

 カウンセリングで何を過誤と見なすのかがやっかいなのは承知の上。血液型A型の人にB型の血液を輸血したらたいへんな事故ないし過誤だけど、それに類するようなカウンセリングのミスというか判断まちがいはないんだろうか? 「退行催眠」みたいなものはちょっと論外としておいて、ふつうに行われているカウンセリングって、手術と一緒で密室なんだよね。そのカウンセリングが正当な内容かどうかって、難しいよねぇ。

 心理方面にまったく暗い二人の素朴な疑問なので、おマヌケだったら失礼しました。



03/06/15/sun

■食う寝る食う

 風邪は同居人にうつしたらしく、だいぶ良くなってきた。まだ少し喉が痛いけれど、咳もほとんどでなくなった。一方で同居人が一昨日発熱、熱は下がったものの、咳にさいなまれている。順番こに風邪をひくしかないのだね。午前中は洗濯その他をゴソゴソしていて、薬などを買いがてらお昼ご飯を食べ、戻ってきたらなんだか眠くなってきた。ぐぅ。と、目覚めると5時。ああ、私の1日はかくして終わるのかというほどに悲しかった。

 二人ともまだ頭痛があったり、まだ体調が完全じゃないためなのか、突然、アジャンタのラサムライスが食べたくなり、久々に出かけた。7時頃に到着したら、けっこう混んでいて、かろうじて空いていた席に座って、早速注文。前回来店したときに見つけていた「サンバーライス」も頼んでみる。あとライタとパラク・サブジ(ほうれん草の炒め物)も。今日は、カレーらしいカレーはなし。病人モードなのだ。
 毎回思うことだが、塩気がキツイ。これはある程度仕方のないことではあるのだけど、もうちょっとだけ減塩で作ってくれたら嬉しいんだけどな。…無理か。
 家に帰ってきたら、昼寝はしなかった同居人が、ぐぅ。ご飯を食べると眠くなるよね。

 この寝て食うばかりの間に、少しばかりは仕事も片づけたりしているのだ。自分でも信じられないけど。



03/06/14/sat

■エレベーターの謎

 ちょっと気持ちが萎えてました。

 でも、編集部ではちょっとしたことに気づいた。いま私が通っている編集部は、MSが借り上げたビルの中に入っている(自社ビルは持たない主義らしい)。そこのビルは地下1階、地上7階建て。当然、エレベーターがある。
 ある日、ふとエレベーター内にある行き先階数を押す表示の横に打ってある点字の階数表示が、目にとまった。目がみえる人が押す階数表示のボタンの横に、スチールの小さな板に点字で階数が振ってあった。

 このビルにはエレベーターが4基あるのだが、そのうち地下1階までいくのは1基のみ。残り3基は1〜7階に止まる。このうちの1つの点字階数表示が、「1・2・3・4・6」という5フロア分にしか付いていなかった。

 不思議だ。表示板は1〜4階が左側1列にあって、5〜7階は折り返されて右側1列にある。5階と7階は類推できるということだろうか? 気になって、他の3基のエレベーターも調べた。4基のうち地下1階まで行く1基は、全部の階数にきちんとついていた。このエレベーターだけは、車いす用のエレベーター横部分の低めにも行き先階数を押す表示板があり、それにも全部点字表示がある。
 残り3基は、こんな感じだった。

 1) 1・2・3・4・6
 2) 1・2・3・4・6・7
 3) 1・2・5・6

 ちゃんと調べるのは大変だった。エレベーターを呼んでも、必ずしも乗りたいのがくるわけじゃない。もうすでにわかっているのが繰り返し来たり…。最後の1基のときは、エレベーターの前を通りかかったときに、別の人が呼んだのが来たので、無意味に1階まで降りていきました。
 それにしても、これにはなんか意味があるのだろうか? ちなみにエレベーターは東芝製だった(これも珍しい気がする。エレベーターって三菱や日立が多いよね)。編集部の何人かで「なんでだろうねー」と不思議がっていたのだ。

 ところが、昨日、お昼を食べに出て戻ったとき乗り合った同僚とこの話をしたら、その同僚はあっさりとこう言った。

 「取れたんじゃないの?」

 それまで極めて当たり前のことを、まったく考慮に入れていなかった。
 帰り際、エレベーターに乗ったのは私一人だった。とりあえずちょっと、点字プレートをはがそうとしてみた。あんまり動きそうにないが、たしかに貼り付けてあるだけといえばそうみたいだ。しかし、爪が折れそうだったので、はがすことまではしなかった。
 八つ当たり気味に…。取れたんならつけてくれよ。>管理会社



03/06/11/wed

■映画の後に

 咳はまだ続く。やっかいなこともとりあえず目処がたち、少し気が楽になった。

 あ、この間の金曜日にテレビで「マトリックス」をやっていた。この映画は、公開当時、平日に第1回目の回で見に行った。なのにすごい人だった。同じ頃に公開していたクストリッツァの「黒猫、白猫」(あれ?白猫黒猫だっけ)なんて金曜日の夜という混みそうな回だったのに小さめの映画館もガラガラだったのに。……「マトリックス」の話ですね。この映画を見た最初のときもそうだったし、今回テレビで見たときもそうなんだけど、終わってから、やたらと身体を動かしたくなるのだ。同居人と二人して、足を上げてみたりする姿は、任侠映画を見た後に肩で風をきって歩いてしまうようなもの? そういえば、周防正行の「Shall we dance?」を見終わったときも、部屋の中であれこれポーズをとってみたものだ。

 こういう、なんかマネしちゃう、いわば感化後遺症の残る映画と、そうじゃない映画の差はどこにあるんだろうか? 任侠映画の話は有名だから知っていたけど、「マトリックス」や「Shall we dance?」でも感化後遺症があって、個人的には「へぇぇぇ」と驚いたのだ。人によっても感化後遺症がでる映画はちがうんだろうけど、どんなもんでしょ。


■双子と5年

 同い年の友人に双子が生まれた。というか、生まれていた。生まれたのは4月だから。いちおう出産前に聞いてはいたんだけど、忙しいであろう双子の産後へメールや電話をすることも忍びなく、連絡がくるのを待っていたのだ。いや、ほんと無事でよかった。
 これで、今年初産となる同い年の二人は、二人とも元気だ。よかったよかった。やっぱりいろいろと大変なマル高出産。彼女たちに健康と、育児を乗り切るパワーとグータラがあふれますように。そして、周囲の協力がありますように。

 それと、友人が節目の回復5年を迎えた。体調も万全とのこと。こちらもほんとうによかった。さらなる健康とが彼女のものとなりますように。



03/06/10/tue

■車内で英語のお勉強をしている人が目に付く

 相変わらず、夕方から夜になると咳が増える。そして、こういうときに限って、やっかいなことを発見してしまったりする。うすうす気づいていたことではあるのだけど、目の当たりにするとちょっとね。仕方ないので、対応を探るというか、探ってもらうことにする。

 いま、行き帰りで耳はイヤホン、手には本の状態になっている。久々に英語のテープなどを同居人からもらったので、聞いてみているのだ。聞き取れないもんですな。わかる文章は1回でわかるけど、わからない文章は3回聞いてもわかりません。解きほぐす手がかりをみつけないと、何回聞いてもぐちゃっとしたカタマリになってしまう。耳の弁別能力が低い私にとって、リスニングは鬼門だ。もう飽きた。

 手にしている本は、『地中生命の驚異 秘められた自然誌』(デヴィッド・W.ウォルフ著、青土社)。課題本だが、けっこう面白い。最近、古細菌の話を仕事で触ったからかな。いろいろなことが自分の中で再整理されている感じ(というほど元の情報や知識が多くはないな。新たに知っているというのが実情)。目ではこの本を読み、耳では英語を聞くというのは、かなり高度な技だ。実際は、目が勝っている。耳から聞こえてくるのはただのBGM。

 ところで、世の中の何割くらいの人が、「英語のお勉強」をしているのだろうか? 含む、英会話のお勉強。正直な話、私は大学1年の3月を最後に、ここ18年間、英語のお勉強をしたことがない。おかげさまで、私の英語力は真っ逆さまに落っこちたまんま。同居人はたまに英語のお勉強をする人なので、そのおこぼれでテープを1週間くらい聞いてみることはあるけれど、それ以外、仕事で必要にならなければ英語を自分から読んだり、聞いたり、書いたり、話したりすることはない。社内公用語が英語になっちゃった人とかじゃなければ、英語なんてたまーに、ごくごくたまーに「ああ、流ちょうに使えたら」と思うことがあるくらいで、実際は、なんもいらないんじゃないの?
 でも、英語のお勉強をしている人は多い。不思議だ。旅行先で使う程度は中学の英語ができれば問題ないし、仕事で仕方なく英語の調べものをするときにも高校レベルの英語がきっちりできればそんなに問題ないんじゃないのかな。まっさかさまに落ち込んだ英語力でも、最低限の英語が必要な仕事はこなしているつもりなんだけどな。仕事になれば「エイゴワカリマセーン」なんて言ってられないし。いまの仕事じゃ、「フランスゴ、ワカリマセーン」も「スペインゴワカリマセーン」も言えなくなってきた!
 あ。……研究者系の方々は、けっこう大変かもと思った。今じゃほとんど分野を問わず、英語で論文を書かないといけない。英語で記事を書けといわれたら……、逃げるな、わし。
 実際には、英語で議論や商談をしなきゃいけないようなことは、それほど多くの人が直面してないはずだし。ほんとに必要なら英語のエキスパートに頼んだ方が確実だし、効果的だったりするしなぁ。それでも英語、となるのはなんでだろう? 必要が出て使ってれば、身につくであろうものなのに。
 ま、「ネガティブってなに?」と真顔で聞かれると、「ちったぁ英語も勉強したら?」とは思うけどね。



03/06/09/mon

■咳

 風邪がすっきりしない。相変わらず、咳が少し出る。喉が痛いというか、ガサガサする感じ。あと、頭痛も続いている。熱が出てくれれば、気楽に休みもできるのに。



03/06/08/sun

■買ってしまった

 ずっと「どうしようか」と悩んでいた本を、ついに買ってしまった。お買いあげありがとうございます。>自分
 その本の著者は、山本義隆。「1941年大阪生まれ。東京大学大学院博士課程中退。現在、学校法人駿台予備学校勤務。著書に「古典力学の形成」など」という著者紹介より、「東大全共闘委員長」という肩書きのほうが理系じゃない人はピンとくるのだろう。私が『数セミ』に入った頃、「力学理論発展史」という連載をしてもらっていた。その内容は、当時の私にはよくわからないものだった。途中から読み始めたこともあるし、物理への苦手意識がまだ強くあった頃だった。今回出版された本は、

 『磁力と重力の発見 1 古代・中世』みすず書房
内容説明 「遠隔力」の概念が、近代物理学の扉を開いた。古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き明かす。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。
 『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』みすず書房
内容説明 脱神秘化していく魔術と、理論化される技術。ルネサンス期に「遠隔力」概念を担った「実験魔術」とは? 新知見ときめ細かな論証、ダイナミックな歴史の描出。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下し。
 『磁力と重力の発見 3 近代の始まり』みすず書房
内容説明 近代自然科学はどうして近代ヨーロッパに生まれたのだろう。つきせぬ謎に挑むケース・スタディとして、力概念の形成過程を追跡した心躍る「前」科学史。西洋近代科学技術誕生の謎に真っ向からとりくんだ渾身の書き下ろし。
 ここのところ、仕事でいくつか基本的な物理の項目を補充していたこともあった。磁力と電力を少し調べたら、なんだかとても不思議だったのだ。読みたい。が、おそらくは所有欲のが強いので、積読になるのだろうな。ま、いいや。「買わないのがストレスになります」というSさんのご託宣もあったことだし。そして、ありがたいことに、【三中信宏さんによる詳細目次】がすでにできている。



03/06/07/sat

■休日出勤とカレンジャー出動

 結局、喉と頭が痛いのはなかなか引いてくれない。たまに鼻水があるんだけど、それほどでもないし、よくわからない風邪だ。そこここで「風邪ひいた〜」ということを聞くから、けっこう流行っているんでしょう。ふぇぇん。

 休んでいても状況はかわらなそうなので、木曜日から毎日会社に行っている。ついでに今日も。土曜日に会社に行ったら、同僚が一人来ていただけで、同じフロアに人気がない状態だった。エアコンがまったく動いていないせいか、2時間もするとかなり暑くなってきた。この時期にオフィスで「暑い」と感じることがあるなんて、と驚いた。さすがにエアコンを入れてもらうように担当部署にお願いして、蒸し煮を回避した。ちょっと注意したい内容の原稿を整理して、細かい作業をいくつかしたらあっという間に時間が経ってしまった。

 夕方、やはり出勤だった同居人から連絡がある。今日は、カレンジャー出撃の可能性があるのだ。「どうなっている?」とそわそわした雰囲気。
 実は、元同僚のNさんが、私が大阪に行っている間にすっかりカレーな人になっていた。今やカレンジャー隊長である。あのカレー博物館の小野さんと飲み屋テリトリーが同じらしいのだが、お互い「一度会ってみたい」と思っているらしい(がタイミングがあわずずっと会えていないとのこと)。そのNさんが、「京王線沿線の人になったのなら」というカレー屋さんが笹塚にあるのだ。「M'sカレー」。今日は、同居人と私を足して3レンジャーでいざ。

 6時に行ったら、閉まっている……。「え? 休み?」と不安になったが、開店が6時30分というだけだった。よかった。お茶で時間をつぶして戻ると、すでに2人が開店前の店に並んでいる。待ちながら、Nさんがおもむろに出したケータイの画像。「あ、トプカのカレーだ」と私と同居人。「さて、どこのトプカでしょう?」とNさん。隊員二人は「トプカのカルトQなんて!」と呆れ…、いや畏敬の念で見ました。正解は「町田トプカ」。トプカ、そんなところにも作ったんかい。

 てなことをやっているうちにM'sカレーがオープンした。「ポークカレー・チキンカレー・挽き肉カレー・野菜カレー」と「幻カレー」がある。N隊長おすすめの「ポーク・チキン・挽き肉」と3人で3種類を頼む。サラダ付き。「東京でいちばん」というチャイも一緒に頼む。このサラダにかけるドレッシングがけっこう美味しい。よいよい。カレーだけどなかなか出てこない。それぞれ作り分けているようだ。

 まず出てきたのは同居人が頼んだ、チキンカレー。骨付き肉が入ったサラサラカレー。同居人曰く「夢屋(浅草)のカレーに少し雰囲気が似ている」とのこと。一口もらった私は「六億茶荘(恵比寿)にも通じるものがあるような」という感想。わりと好みだと思う。
 ついで出てきたのが私のポークカレー。どどーん。ご飯の横に広がるポークカレーの大海って感じ。食べるのがたいへんそう。味はマイルドで、コクがある。欧風っぽいかな。肉はとろっとした角煮みたいで、美味しい。ただ、風邪っ子の私にはちょっと重かった。
 最後に出てきたのが、N隊長の挽き肉カレー。淡い色したカレーを出してくれるところは実はあまり多くないので、期待大。隊員二人で一口ずつもらって、開口一番「カルダモン!」。ものすごく効いています。これ同居人が好きそうだなぁ、と思っていたら案の定、「チキンと挽き肉のハーフ&ハーフできないかな」と言い出す。私が「二人で来て、途中で交換かな」というと、N隊長は「一人で二つ食べればハーフ&ハーフ」と宣う。ははーっ。さすが隊長。

 食べ終わってから、チャイを待つ。ただ待つ。焦ってはいけない。カウンターの中は一人で忙しいのだから。で、出てきたチャイは、これまでに飲んだチャイとはスパイスの趣が違った。牛乳がコッテリ感じられる。あのブレンドはなんだろうか。ふだんはもう少しカルダモンが強いらしい(最後に振りかけるカルダモンが今日はなかったという)。とても複雑な感じのスパイスが入ったチャイは、たしかに美味しかった。

 満足したカレンジャー出動でした。


■入手本

川淵圭一著・なかだえり画『ぼくのおじさん』講談社
→著者は『研修医純情物語 先生と呼ばないで』(主婦の友社)の川渕さんだが、タイトルと「なかだえり画」からわかるように、子供向けの内容で書かれた著者第2作目。著者自身のこれまでの来し方がベースになっているようだ。タイトルにある「おじさん」が川渕さん。甥っ子の目を通して描かれるおじさんは「のほほん」と生きている。その「のほほん」さが前作と同じように溢れていそう。彼の目にうつる思春期の子供たちは元気がない。「そんな思春期の子供たちに読んでもらい、少しでも明るい気持ちになってほしい」というのが著者の願いだ。いただきました。ありがとうございます。

グレアム・ファーメロ編著『美しくなければならない 現代科学の偉大な方程式』紀伊国屋書店
→ある1点について「もしご存じならば…」と聞かれたけれど、なーんにもお役に立てないまま本は出版されてしまった。にもかかわらず送ってくださって、申し訳ないやら、恥ずかしいやら。ごめんなさい、と、いただきましてありがとうございます。>訳者の斉藤隆央さん
 表紙を開くと、寄せられた書評にイアン・スチュアートよりも先にサイモン・シンの名前があった。そっか、と納得したりして。昔、『数学・物理100の方程式』というムックを作ったことを思い出したけれど、編集者1年目の私にはとても大変な仕事だった記憶がある。でもいろんな方程式の存在を知った。今度はこの本で、編者のファーメロがいうように方程式を「味わえる」といいな。


03/06/04/wed

■お休み

 あんまり眠れず、ウトウトを繰り返すうち、朝7時に目が覚めてしまった。で、熱をはかると37.5度。まだちょっとあるなー。これで会社に行ったら上がりそうだな、というわけで、休む。喉は相変わらず痛く、少し咳が出てきた。少し節々が痛いけれど、なぜか鼻はまったく症状がない。

 さっさと医者に行くことにして、近くの診療所で消炎剤と咳止めなどを処方してもらった。ちょっと前までなら、ついでに抗生物質も出されたんだろうけど、さすがにこんな軽い症状では出さなくなったようだ。よいことである。私の場合、38度以下の熱で医者に行くこと自体珍しいが、喉が悪化すると高熱の元になりやすいため消炎剤が欲しかっただけ。だから、こちらとしてもちょうどよい。

 夜勤の同居人が2時頃までいたので、しんどい背中をもんでもらったら、そのままぐっすり眠ることができて、起きたら8時だった。熱はとりあえず下がった。昨日の夜に眠れなかった分を取り戻した気分。でもまだ眠い。風邪とか熱とかって、疲れるんだよな。よく寝る1日になりそうだ。
 ま、SARSでもなさそうだし、単に風邪菌をどこかで拾ってきたんでしょう。喉はまだ痛いけど、インフルエンザでもなさそうだから、ボチボチ直すしかないな。



03/06/03/tue

■発熱

 夜12時、37.8度。



03/06/02/mon

■お買いあげありがとうございます。

 昨日、【bk1】から、5月分の当サイト売り上げ報告メールが届いた。その中にあった1冊がこれ。

 『熱力学 現代的な視点から』(新物理学シリーズ32/培風館)

 いわずとしれた、「日本の科学者のページのなかでもっとも広く読まれている」’(←いちおうご本人の意向に沿ってダッシュをつけてみた)【Hal Tasaki's logW 】の田崎晴明著なのである。

 どなたかわかりませんが、お買いあげありがとうございます。この本がこのサイトから売れたってことがなんとなく自慢な気分。人の仕事に図々しく、かつ勝手に便乗する私です。


■女二人でいくと面白い

 昨日の話でもうひとつ。ひっさびさに【青木みやさん】と会ってランチをした。ついでにちょびっとだけビックカメラへと足を伸ばした。お目当ては、「ちょうど親指のところでくっついた両手でパシャパシャとキーボードを打つ姿がハエ男に見えそう(C)同居人」だというシグマリオン3と、ケータイ用のキーボードと、リブレット。なんとリブレットは製造中止だとのこと。時代はめぐるよ。

 で、フラフラしていたら、店員から声をやたらとかけられる。いちおうは男性である同居人とビックカメラをふらつくときと全然違うのだ! 女二人はいいカモだと思われるらしい。「こちらなら、DVDの書き込みもできますし、楽ですよ」とか、初心者ねらいモードが見え見え。
 「2台目だから」とか、「この春から、なんだかツヤツヤしたディスプレイが増えましたね」とか、こっちの情報を出してあげているのに、どうも理解が遅い。「このThink padだとドッキング・ステーション?」「でも外付け(CD-Rドライブ)持っているでしょ?」とか二人で話しているところへ首を突っ込もうとする。「ただしリカバリーは純正(CD-Rドライブ)じゃないと読めないんですよ」とコンボ形式へ誘導しようとした。が、IBMのThinkpadのその機種はリカバリーはハードディスクに入っているのだ。リカバリーCD-ROMはついていない。店員さん勝手に自爆。それを指摘したら、フラ〜ッといなくなってしまった。

 女二人だと、女一人や男女二人とはまた違った世界の一端がみえてくる。たのし。




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