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2004年02月のてくてく

04/02/29/sun

■合間に仕事もしてはいる

 4年に1度のお誕生日の方々、おめでとうございます。というわけで、2月も終わるのであった。

 昨日、時事の号外速報で、「ビンラディン拘束か」という報道があった。イラン国営通信の転伝。それを受けてか、ウェブでは読売がいち早くその内容を掲げていた。午後8時20分くらいだったかな。1回差しかわって、「パキスタン外相らは否定」という時事のコメントがくっついたけど、その後、夜11時くらいに再度回ってみたら、跡形もなく消えていた。他社は小さめの扱いで、ちゃんと否定コメントともに残してあるのに。消しちゃうとなかったことになるから、いやん。誤報であれなんであれ、経緯がわかんなくなってまうよ。

 昨日の土曜日は、すっかりふつーのサラリーマン勤務形態になった同居人が寝坊をする日だった。ご飯も手近なところで済ませ、昼寝をしたり、借りてきたビデオを見たり。ハル・ベリーがアカデミー賞をとった『チョコレート』は、なんだかなぁという話だった。いろいろ大人も大変なのよね、共感が大事よねほんと、ってな感じで個人的にはペケ。
 今日は、わりと早めに起きた。でも、何をしていたんだかわからないまま、あっという間に午後になっていたりする。悲しい。あ、肩こりがひどいという同居人と、お互いマッサージしていたんだ。二人暮らしの便利な瞬間。

 遅めのお昼ご飯を食べてから、靴下を買ったり、証明写真を撮ったりと雑用を済ませて帰ってくると、もう3時近く。それから、『ジョイ・ラック・クラブ』を見てみる。「社会学の人には必見らしい」と宣う同居人。オリバー・ストーンが監督かと思っていたら、彼は製作で、監督は『スモーク』のウェイン・ウォンだった。4組の母子の話が世代を超えて錯綜するので、顔と名前が一致しなくて大変。誰が誰だかフォローするので必死になってしまった。不幸な母たちと、そんな母たちの呪縛を乗り越えようとする娘たち。自分たちの人生を塗り替えるがごとく、娘に期待する母親たち。もちろん自分のためではないのだけれど、ともすると期待は、される方からすれば呪縛にもなる。いろいろやっかい。そして、お互いを深く結びつけ、支え合いもする。

 ただ、私自身は長らく娘をやってきたけれど、うまく重ねられない。ずぼらなもんで、あんまりそういう期待を感じなかったのだ。それに、こういうと語弊があるかもしれないけど、期待されていなかったのかもしれない。いや、期待のしきい値が低かったんだろうな。「元気でいればいい」というところだったんじゃないかな。それにあんまり期待をあらわにするタイプの親でもなかったからなぁ。映画の中ではピアノだのチェスだのが娘を競わせるツールになっていたが、受験も習い事も塾も、私が「したい」「行きたい」と言わないと話はやってこなかったくらいだし。まぁ、「好きにやらせてやる」というのが彼らの矜持だったのでしょう。そういう意味では“期待”に応えて、好きにやらせてもらってます。
 私の中に、家族のこと以外でもなんでも、なにか呪縛はあるだろうか。あるとすると、「呪縛になっているかもしれない」という呪縛というか、負い目かな。これも根っこのところでは、よくわからない…。


■違和感の顕在化

 麻原判決の日、あふれ出る報道を見聞きし、ずっと拭えなかった違和感がなんだったのか、やっとわかった。まさに、このことだったのだ。何を今更といわれるだろうけれど、やっとストンと落ちた。というわけで、リンク・メモ。

 医学都市伝説の2月27日付け【麻原的なるもの】

 直裁的な理解しかしない私は、記者も遺族も傍聴していたコメンテーターも、麻原がまっとうな反応ができる状況であると判断した上で、モロモロの感想や状況報告を言っているんだと思っていた。思おうとしていたのかもしれない。
 素人目に見てどうなのかと専門的にどうかは一致しないにせよ、ふつうの場合なら感じる「まともじゃない」という反応すら、押し殺さざるをえないのか。こういうのもタブーなんだろうか。もし「まともじゃない」ということを言ったら、即座に責任能力云々の話と言われるからなのか。上記の日記を読むまで顕在化しなかったということも、私自身が目を背けようとしていたからなのかもしれない。


■入手本

ガブリエル・ウォーカー著『スノーボール・アース 生命大進化をもたらした全地球凍結』早川書房
→[bk1amazon] じつは私より同居人が好きな内容なのだ。こういう時間スケールの話は、なんだかワクワクするらしい。たしかに、私らは点以下の存在だよねぇ。私はこういう話が面白くてたまらないときと、上滑りしてしまうときがある。なんでだろーな。日常生活の様子が本を読むときにも影響するのかしらん。この本を読むときに、スタンバイOKだといいな。いただきました。ありがとうございます。



04/02/27/fri

■4620/4658

 珍しく朝7時に目覚ましで起きた。私にとっては、十分早起き。ご飯を食べて、同居人と一緒に日比谷公園へ。そう、麻原彰晃被告の1審判決傍聴券を求めて、並ぶのだ。同居人が会社の動員でいかなければならなくなったので、じゃ、最後だし一緒に行ってみようというわけ。傍聴券が抽選になる裁判で抽選にいくのは、じつははじめて。もっといかにもなアルバイトさんたちだらけかなぁと思ったけれど、比較的サラリーマンぽい人が多かった。

 それでも、朝8時半前だというのに、人が休日以上にたくさん(たぶん)。行列の最後尾を求めて、ぐるっと日比谷公園を半周してしまったような気がする。昔はくじ引き(棒の先にアタリだと印がついているんだっけかな)だったっていうから、えらく時間がかかっただろうなぁ。「わー、万人単位でいるんだろうね」と言っていたけれど、その実際は5000人にみたない数だった。そっか、そんなもんなのか。とりあえず、近場のカメラには背を向けるけど、ヘリには手を振ってみたりしてました。

 で、同居人はそこここに会社幹部やら知り合いとかがいたらしい。私も誰か知り合いがいるかなぁと思っていたが、練り歩くこともしなかったせいか、誰にも会わなかった。万が一(いや、百二十が一だ)当たったら、いちばん高く買ってくれる知り合いに売ろうと思っていたのに。一般傍聴席38席に対して4658人ですから、当然のごとくはずれましたけどね。

 9時頃にはすべて終わって、さっさと帰宅。あっさりしたもんである。
 でも、家に戻って整理券に並んだ人数の記事を読んで、驚いた。判決だってのに、初公判より、第二回公判よりも、少ないのね。最初は1万人、2回は5千人だったのに。ふしぎ。新聞やテレビの報道量が逮捕時に最大となることからすると、そういうのもむべなるかなという気がしないでもない。ただ、さすがに東京地裁での判決では、田中角栄のロッキード裁判時を抜いて、トップだそうだ。
 テレビの記者さんはかけっこが速くないといけないから、大変そうだ。マイクの前で息切らしてリポートがボロボロな人もけっこういたしねぇ。日々、体力をつけておく必要がありそう。テレビ局の運動会があったら、「マイク取り競争」がぴったりだね。ちなみに、しゃべり出す前までは息を切らしていなくても、呼気のみを使うシャベリが始まると思うように息が続かなくてボロがでるので、走った直後に話す訓練もしないと。

 いったん家に帰ったものの、お昼は先日知り合ったFさんとYさんと一緒にランチ。神保町のよい店を教えてもらって、ほくほくしながら、いろいろ教えてもらいました。先達のお二人は落ち着いていていいなぁ。ああいうふうにキャリアを積めたらいいのにな、と素直に思う。

 で、また家に戻って作業を始めると、午後になると機嫌を損ねるツールに手こずる。「日本時間で夕方になるとハングする」ってなバグ・リポートでは、そりゃ、対処しようがないよなぁ。バグ・リポートの基本は再現性なのだよねぇ。けど、これ、ほんとなのだ。いったい、再現性をどういえっていうのだ。
 こういうのって、地道に時間が取られちゃうんだよねぇ。みー。



04/02/25/wed

■カセットブック

 買うたでぇ〜。読んだでぇ〜。『関西弁講義』(山下好孝著、講談社選書メチエ→[bk1amazon])。昨日、到着するなり、読了。

 「はじめに」を読んだら、もう止まりません。ちなみに、東京生まれ・横浜育ちの私、1998年4月から2001年3月まで、大阪で暮らしてました。同居人は大阪生まれ・大阪育ち、しかも、天神橋筋六丁目なるキタの下町なのだ。転勤族の多い、吹田あたりとはちょいと違うところで育っている。
 そういう同居人と、大阪のやはりキタに暮らしながら、ヒマだったので、つい「日本語教師養成講座」に通ってましてん。異国(=関西)で、外国語(=大阪弁)を使う人たちに囲まれて、母国語(=共通語)の教え方を習う、という不思議な体験をしていたのだ。これは、東京で日本語教師の勉強をするよりも圧倒的に面白かったと思う。ジモティ(関西弁話者)が、アクセントやらイントネーションやら、いろいろ苦労している様子を「座学学習」させてもらいながら、自分はネイティブ(=共通語話者)の強みをもっているって、とーってもいい環境だったわ。ほっほっほ。

 この『関西弁講義』の著者は、京都生まれ・京都育ちだけど、神戸で学生時代を送り、その後は日本語教育に携わっている人なので、書いていることが手に取るようにわかる。何より、「はじめに」に出ていた例は、私の思いが代弁されているようなものだった。
 私が大学院を出て、ある大阪の私立大学でスペイン語を教えはじめた時のことである。そのなかに、長野県出身の学生が一人いた。新学期がはじまって1カ月くらいした時、その学生に大学生活に慣れたかどうか聞いてみた。すると、
  学生:「いやあ、びっくりしました」
  山下:「何にびっくりしたの?」
  学生:「この大学、関西弁で講義するんですね」
  山下:「……」
 ほんっとに、これが不思議なのだよ。講義で先生がふつうにしゃべっているところならまだしも、テキストに書かれているふつーの共通語を、関西アクセントで「読む」んだから。もっのすごい異次元ワールドだった。通っていた講座から帰ってきたら、即、同居人に、「ねー、国語の教科書も関西弁で読むの?」って聞いたもんね。って、これ、すでに書いた気がするな。「我が輩は猫である」も、「雨にもマケズ、風にもマケズ」も、ぜーんぶ関西弁で読まれるのだ。で、さらにいえば、大阪の人たちは、「……してへん」とか「せやったら…」とか、そういう関西ならではの単語を使わなければ「標準語」と思っているくさい気がする。

 てなことがあった私には、読み出したらもう止まらない。途中、このサイトの初画像だった【大阪の質屋の看板写真(02/5/17のてくてく)】の話も出てくるし、【母音が無声化しない話(02/01/06のてくてく)】も出てくるし、「そうそう」と膝ばっかり打っていた。かなり真面目に「外国語としての関西弁」を組み立てていらっしゃる様子もおもしろい。真面目といいつつ、ところどころ滑り気味のシャレを差し挟んでいるあたりも好感触。

 ただ、言葉の問題は、家族の問題と同様、取り扱いがやっかいなものではある。誰しもが経験し、誰しもがわかっているつもりになり、かつ自分の環境が基本だと思いこんでいることだから。それを改めて思い出した。
 私の育った環境では、謙譲の意味のない、存在を意味するだけの「おる」がなかった(つまり、共通語には基本的にはない)ので、「○○先生、おられますか?」には違和感があると、日本語教育関連のMLで書いたことがある。もちろん今ではテレビなどでも平気で誰もが「〜おられる」と使う表現だし、それこそ中谷宇吉郎も寺田寅彦のことを書くときに「〜しておられる」と尊敬表現にしていた。ただ、私にとっては、「謙譲の“おる”」で相手を低めて、「尊敬の“れる・られる”」で帳尻を合わせているように感じられてしまうのだ。でも、ある関西弁ネイティブにとって「おられる」は、謙譲でも尊敬でもなく、存在の意味で使っている「おる」を丁寧に言ったものだった。他の参加者が、共通語ベースの大きな古めの辞書で、それが誤用となっていたということを報告したら、生理的な反発を感じてしまったらしい。「間違っている!」というところから、動けなくなってしまった。
 「1960年代東京生まれ・横浜育ちの私は」とか、「XX年代京都生まれの私」とか、あくまで限定的な語感の話をしていたのに、「おかしい」となってしまった。日本語教師の資格をとっている人でも、たまにこういう陥穽にはまりこんでしまう。辞書は共通語をベースに作られることが多いから、それはそういうふうなものでしかないのに。

 いろいろとトラップの多い「ことば」ワールドではあるけれど、その分、やっぱりおもしろい。そして、この本は、同じ言語とされる言葉をあえて外国語として切り分けてみせるのだから、さらにおもしろい。個人的にウケたのは、「やさしい命令形」のところだ。
はよ、飲みな (あなたもわかっているだろうけど、早く飲むんだよ)
はよ、飲みや (あなたはわかってないから言ってあげるんだけど、早く飲むんだよ)
 「な」と「や」で、これだけのことを言い分けてしまうなんて、すごい!

 それになーにが便利って、この本、私の家では、自動再生機付きカセットブックなのだ。「ねぇねぇ、“はよ、飲みな”と“はよ、飲みや”って言って」というと、生大阪弁が再生される(ただし夜のみ)。


■かせぎ

 森山さんたちのところで、【年収600万円】の話が出ていた。たしかに現実的だと思う。私がフリーになった91年当時は、「フリーなら1千万稼いで一人前」という言われ方をしたけれど、「それはなんか激しくちがう」と思っていた。
 ベストセラー作家でもない、無名なフリーで、単価のいい(つまり売れる有名人の)ゴーストとかをバシバシこなすわけでもなければ、そんな稼げる方がおかしいと思っていた。広告の仕事もほとんどしてなかったし。その後もほとんどしなかったけど。

 サラリーマンとて保障のないこのご時世、「フリーだったら1千万」みたいな言い方は通用しなくなったんだなぁとしみじみしている。


■『関西弁講義』以外の入手本

レイモンド・M.スマリヤン著『パズルランドのアリス 1』ハヤカワ文庫
→[bk1amazon] 〈数理を愉しむ〉シリーズの新刊。おー、スマリヤンか。グッド・タイミング。とある必要があって、パズル系本を読まなきゃと思っていたのでした。スマリヤンなら願ったりかなったり。いただきました。ありがとうございます。

中谷宇吉郎著・池内了編『雪は天からの手紙 中谷宇吉郎エッセイ集』岩波少年文庫
→[bk1amazon] 今度の例会は参加できるかなぁ。できるといいなぁ、と思いつつ課題図書の中谷を。収録されている作品のうちいくつかは、1月の中谷とインド料理の夕べのためにすでに読んでいる。



04/02/24/tue

■パ行転呼

 ここのところ、NHKをつけて仕事をしていると、夕方のあるコーナーがふっと耳にとまる。熟年アナの再雇用番組のようにも思える【お元気ですか 日本列島】の午後4時台。「気になることば」のコーナーだ。
 たいていは、違和感を感じた人が「気になる」「おかしい」「日本語への冒涜だ」みたなノリでお便りしてくるみたいだけど、けっこうその人たちの思い込みだったりしてたのしい。

 ちなみに、昨日は「“つなぐ”と“つなげる”」だった。「つなぐ」派の人は「つなげる」は下品に感じるみたいではある。が、両方ともちゃんと使われているし、一部の辞書を除いて両方載っているという。そして、「つなげる」の意味には「つなぐ」が書かれていたり…。同じ意味の言葉は淘汰される、というのが言葉の基本のはず。でも、使われているということはとあれこれ違いを探ると、「つなぐ」は物理的なもので、「つなげる」は抽象的なものだったり、「つなげる」には「期待」が込められていたりと、現代日本人は、微妙な使い分けを始めていたようだ。普及してきたのが1970年代というから、かなり新しい言葉のひとつだろうな。
 でも、なんと夏目漱石(だったと思うけど、ふとど忘れ)がその作品の中で、すでに「つなげる」と使っているのが紹介されていた。これって、当時は「異化作用」を狙ったもんなんだろうな。ちょっとしたずらしとでもいえばいいかな、印象づけるための方法のひとつでもある。

 で、今日は「“やはり”と“やっぱり”」。これは、まー、「やはり」派の人には「やっぱり」が癇に障るんでしょうな、やっぱ。癇にさわる最上級が、この「やっぱ」。別バージョンでは「やっぱし」もありやす。この「やはり−やっぱり−やっぱ−やっぱし」問題って、350年前から、「今の若いもんは言葉遣いがなっちゃねー」と嘆かれ続けている例らしいのだ。「かた言」という安原貞室という江戸時代の人の文献にもご登場。懐かしい名前だ。いたいた、こういう人。日本語教師の勉強していたときに、覚えたわ。

 延々と飽きもせず、350年間も同じコトを言い続けているってのは、なんかすごいな。それだけ「やっぱり」にも、「やっぱ」にも、「やっぱし」にも需要があるんでしょ。TPOによって使い分ける言葉の典型なんだろうな。

 ここからが本題! 日本語の歴史的な経緯のひとつに、「ハ行転呼」なる変化がある。大昔の日本語は「ハ行」がみんな「パ行」だったけど、やっぱ、「パ」は疲れるらしく、だんだんと「ファ」になり、さらに脱力して現在の「ハ」になったという事実だ。「ホホ(頬)」なんてのは、おかしーよー。語頭と語中では音の勢いが変わるから、同じハ行でも変わり方にズレがあったみたい。たしか、「ポポ」→「ポフォ」→「フォフォ」→「フォホ」→「ホホ」なんじゃないかな。

 で、この前、気づいたのだ! 脱力したハヒフヘホに落ち着いていた、現代日本人は、コイの滝上りのごとく逆流し始めていた!

  「それって、つまり、パ行転呼なのでFA!?」

 そのうち、きっと「なのでPA」となるにちがいない。以上、「2ちゃんにおけるパ行転呼の一考察」でございました。

 それと、NHKのテレビでこのコーナーを担当しているアナウンサーは、ラジオでもやっているようです。→【ラジオほっとたいむ 気になることば】



04/02/23/mon

■マウス探査

 某社の仕事専用になっているパソコンにつながっているマウスが、やはりよくない気がする。クリック経絡の痛みがとれない。だが、そういえば、そのマシンは大きいノートなので、スクラッチパッド(でいいんだっけ?)もついていたのだ。ふだん全然使わないと、あっても見えてない状態になる。まるで透明デバイス。

 ということで、スクラッチパッドも極力使うようにしている。でも、たまに必要が生じるドラッグやプルダウンは、まだマウスに頼ってしまう。パッドだとうまくでけんのじゃ。

 真性クリザル系の人たちは腕から首の付け根のクリック経絡を通り越し、最後は腰を痛めるらしい。当面は、人差し指にかかる負担をパッド併用で分散させてみようと思うが、最悪は腰にまでくるとなると、別の方法も考えないといけない。まずは、新しいタイプのマウスを探してみよう。クリックボタンが側面についていて、親指をつかうものとかもあったはず。トラックボール系もトライしてみよう。私はけっこう右クリックを使う方だし、ダブルクリックは苦手なので、まだ人差し指への集中度は低いんじゃないかと思うけど、それでもしんどいからね。

 せめて、環境くらいは快適にしてあげないと、仕事しなくなっちゃうからなー。何かよい方法やマウスがあれば、ご教示くださいませ。


■ビル・ゲイツの1億円

 そういえば、昨日、ふらふらと歩いているときに交通事故の現場検証のような場面に出くわした。警官が何人かでメジャーを持って、いろいろ測っている。ふつうの道路なので、横をほかの車が走りすぎていくわけで、いちおう少し手前にパトカーだとかパイロンだとかが置いてあり、危なくないようにしている。

 そこの最後尾で、非常灯(?)を点けているバンタイプのパトカーは、なんとも無防備に見えた。誰も乗っていなくて、現場検証の現場からは少しだけ離れている。ふと、これ、簡単に盗めそうだなぁとか思ってしまったり。で、横にいる同居人に、聞いてみた。

 私「ねぇねぇ、警察の車を盗むと、ふつうの人から盗むのよりも重い刑になるの?」
 同居人「単なる窃盗罪じゃなくて、この場合だと公務執行妨害がつくんやないか」
 私「じゃ、もし公務執行妨害がつかないようなケースだったら? お金を同じ金額だけ盗んだら?」
 同居人「法の下の平等があるからなぁ」
 私「そっか。平等か。警察から盗んでも、重くはなんないのか。なんかうれしいな。じゃあさぁ、ふつうの人から1000円盗むのも、警官から1億円盗むのも、法の下の平等で刑は一緒?」

 例のごとく、だんだんと話がそれながら、デカくなっていきます。警官はふつー、1億円持ってません。

 同居人「んー。傷害罪だったら、かすり傷ぽいのと、半ば殺未(殺人未遂)みたいなのはちゃうやん」
 私「そりゃそうだけど、空き巣だったら、不法侵入と窃盗とあとなんだ? 器物損壊? でもカギや窓を壊さないで入ったら、それはつかないよね。1000円も1億円も一緒かぁ。なんかワクワクするな」
 同居人「でも、窃盗がひどくなると、強盗とか強盗殺人とかあるやん」
 私「それは別もん! あくまで同じ窃盗で金額が多い少ないのケース。じゃあ、置き引き。置き引きしたカバンに入っていたのが1000円だった場合と、1億円だった場合、盗んだ方は開いてみるまでわからんでしょ」
 同居人「ただ、社会的な影響っつーのもあるしやなぁ」
 私「じゃ、生活保護を受けている人の1000円と、ビル・ゲイツの1億円だったら? 被害者の影響はきっと生活保護の人の1000円のほうが重いよ、深刻だよ」

 変なところに落ち着いてしまった。量刑の話はいろいろと不思議。だれかこやつらに引導をわたしたってください(ウソ)。にしても、調べて語れや、というのが正しい態度です。まだ調べてません。



04/02/22/sun

■ある週末の風景

 予定していたことが何もできないままに過ぎ去る週末。しまいに、同居人が借りてきた「トトロ」なんぞをぐだっと見てしまった。つまらん。

 昨日、お昼にふと近所のイタリアン・レストランAへ行ったら、帰ってきた直後のメールでWさん家が先週ランチに行ったところだったと発覚した。スモーキーな鰯が美味しかったと書いたら、やはり先週召し上がっていた様子。1週間違いの生活を送る2家。来週の土曜日は、今週の土曜日にWさんちが行ったという別イタリアンにいこうかしらん。で、またまた同じメニューを選んだらすごい。

 なんかすっかりインド料理のようなエスニックや日式カレーばかり食べているように思われそうだが、私はイタリアンとスパニッシュがけっこう好きなのだ。でも、「何食べる?」と聞かれて、「じゃ、イタリアンは?」と答えると、その頻度がたとえエスニック系の5分の1以下であっても、同居人は「すっきやねぇ」となんだか気がすすまなそうな返事をする。「インド料理やカレーの頻度に比べれば圧倒的に少ないはずだけどねぇ」と答えても、無視される。イタリアンも嫌いじゃないらしいが、「女の子ってイタリアンばっかりだよね」という偏見がこびりついているんじゃなかろか。
 ただ、同居人が酒を飲めないので、夜に行きにくいのはたしか。ワインなぞ飲もうかなぁと思っても、私一人だとフルボトルで頼みにくいし(体調がよければ飲んでもいいんだけど、最近は飲めなくなってきた)、ハーフはあんまりないし、グラスワインだとハウスワインしかないことがほとんどだし、ワインだの一切なしだとちょっと寂しいし。「バルバレスコがいい〜」と言っていた生意気は、すっかりワインと縁遠くなっております。神田和泉屋学園のドイツワイン科も卒業した身としては、ちょっと悲しいかな。

 悪いこと、落ち込むこと、よいこと、嬉しいことなどが、めまぐるしく、だけど地道にやってきた週末でした。まる。



04/02/20/fri

■ごほうび

 昨日のサーバートラブルはさっくり直って、私は例のごとくクリック経絡をまた痛めるクリザルとなっていた。うへー。
 というわけでというかなんというかで、大学院生になる権利を手に入れた同居人だが、面接のあとこんなことを言っていた。

 同居人:万が一合格したら、iPodにする。
 私:ん? 合格祝いでそれを私に買えってこと?
 同居人:ちゃう。自分へのごほうび。ほんで、不合格だったらiPodミニにするんだ♪
 私:つーか、それって、単に「iPodを買う口実」なんじゃないの?

 (小)金持ちなんだから、なにもiPodひとつ買うのに、口実つくらんでも……。こんなだからいつまでも「(小)」がとれないのかもしれん。

 今日は原稿整理やら細々したことやらがメインの日。クリザルを脱するのだ。悩み始めるとキリがないのが文章。どこかで「えいやっ」と飛び降りるのが大事なことだ。それに、基本的には手練れの方々に頼んでいるので、気楽気楽。

 夜、カイロなUさんから同居人のお祝いというお誘いで、東京・八重洲の南インド料理「ダバ・インディア」へ。お久しぶりのUさん夫妻とお子さん。子供はあっという間に大きくなるのぉ。私らは4回目だが、週に1度は行っているというUさんたち。いつの間にやら激辛は卒業し、スパイシー系にはまっているようだ。南インド料理は一通り行き倒している。というわけで、大学院の話よりもメインはカレー話。稲毛のシバや小岩のサンサールも行っている。どうも東方面はあまり足が向かないので、我々はまだ行ってない店だ。前々から行きたいと思っている店でもあるので、近々行ってみよう。しかし稲毛は遠いんだよなぁ。

 家に帰るとどっと疲れが出てきた。細かい作業を一つだけ済ませたから寝るぞ。


■入手本

林俊郎著『水と健康 狼少年にご用心』日本評論社
→[bk1amazon] シリーズ「地球と人間の環境を考える」の7巻。私はペットボトル派でもないし、水道水もふつうに飲む。ただ、そのままだとかびくさいことも多いので、浄水器くらいは使うかな。中身がどうこうというより、飲む瞬間に気持ち悪いのがイヤ。にしても、大阪の水は水処理システムが変わるまでは、ほんっとに臭かったなぁ。口をゆすぐのさえ、ウエッと思ったくらい。ウエッとこない水ならなんでもいい私ですが、いただきました。ありがとうございます。

小田中直樹著『歴史学ってなんだ?』PHP新書
→[bk1amazon] 鬼門なのだ。歴史は。なので小田中さんの本に教えを乞いたいと思う。

オリヴァー・サックス著『オアハカ日誌 メキシコに広がるシダの楽園』早川書房
→[bk1amazon] 「ナショナルジオグラフィック・ディレクションズ」なるシリーズの第一弾らしい。なんかすごいなー、ナショジオ。翻訳も隔月で出していくみたい。底力っていうんでしょうか。ちゃうか。タングステンのお次(ってわけじゃないけど)は、シダだというサックスもすごいな。いただきました。ありがとうございます。

稲葉振一郎著『ナウシカ解読 ユートピアの臨界』窓社
→[bk1amazon] 原典のマンガ「風の谷のナウシカ」を読む前に、教典が届いてしまいました。当面は封印かなぁ。1999年に、この『ナウシカ解読』を入り口入ってすぐのところになぜか並べていた西新宿の中華屋さん(名前失念)は、いまも並べているんでしょうか。あれは売っていたのかしら。そして、あの中華屋さんは、ナウシカ・ファンだったのだろうか? それとも稲葉ファン?



04/02/19/thu

■発表

 本日夜8時過ぎ、とある大学の前で同居人と待ち合わせして、人気のないキャンパスに入った。目的の棟にたどり着くと、当然のことながら、入り口はカギがかかっていた。ガラス越しに、掲示板は見えるが、さすがに暗いし、遠いしで、内容は見えない。
 ふと振り向くと、反対側の入り口は開いていた。上部はつながっている建物なので、2階から回れるんじゃないかと階段を上がってみた。やはり人気のない廊下を歩いていくと、気分はなんだかコソ泥っぽいぞ。案の定、目的の掲示板の上あたりに行けた。階段もあるので、下ってみると、まさにガラス越しに眺めていた掲示板の前に到着。というわけで、確認すると…。あった、あった。面接での不合格者はいなかった模様。

 すっごーい。大学院に受かってしまった。1発必中。といっても、私ではない。おめでとう!! >同居人

 朝10時の発表は仕事で行けないから、否応なく夜見に行くしかなかったのだ。そしたらなんか忍び込んだみたいになっちゃって、不思議な発表場面だった。1次試験は、「落ちているからいい」というので私が勝手に見に行ったけど(そしたらあった)、さすがに2次は勝手に見に行けないもんね。
 もちろん、「社会人入試」というゲタは履いているけど、倍率も高くなかったけど、なんであろうがめでたい。というか、私個人は喜ぶ準備しかしてなかったから、「ほっ」という気持ちも若干混じっていたかな。

 ううーん、四十の手習いね。もちろん、大変なのはこれから。でも応援しちゃるから、時間がかかってもがんばってね。勉強したこと、いろいろ教えてねー。まずは、やっぱり、お祝いしよう! ふふふん♪


■みー

 くまった。
 昨日、週1の会議で編集部に上がったら、いきなりややこしい作業が降ってきた。しかも超特急。で、昨日は別のショックとともに「ほぇほぇ〜」としてしまったため、単に同居人に愚痴って終わった。とはいっても、ずっとほぇほぇとしてられるわけでもないので、今朝から復活して特急作業をし始めたら、ネットワークが不調。完璧に不調。こっちのせいじゃないよ。サーバーかなんかがよくないコトになっているようなのだ。いろいろ試してみても、「シーーン」という無反応か、真っ白けな状態。
 諦めて、お昼ご飯を食べに出る。帰ってきて、『モーニング』の一部を読んで、も一度トライ。でも、やっぱり、真っ白。

 かなりくまっている。人がせっかく、がんばんべ、と始めたところで出鼻をくじかれた気分。いや、まさにくじかれ。お願いだから、意地悪はせんでくれ〜、サーバーないしネットワークの神様。


■よらば統計ソフトとはいえども

 みー、な時間が発生したので、リンク・メモしちゃうもんね。

 【三中信宏さんの日録 2月18日分「【平均】と【分散】revisited」】

 あー、たしかに、三中さんは統計不足問題に直面しているだろうなぁ。「〈分散〉のような統計学の基礎概念を理解するのに,実際に計算してみるというのは体感的理解にとって想像以上に役に立つと思う.」は、ほんとにそうだと思う。自分が手を動かして計算したいかどうかは、ちょこっと横によけとくとして。

 どっかに書いたかなぁ。忘れたので、いいや。私が、統計の重要性を改めてヒシヒシと感じたのは、90年代半ばごろだったんだけど、その後、98年には現実的な問題として「これは…」と思わせられることがあった。
 感染症の学会にいってみたら、お医者さんたちがいろいろ統計ソフトを駆使して発表なさっているんですわ。お医者さんといえば、お勉強ができる人たちのはず。でも、そこで発表されるデータがあまりにも「???」なのだ。いや、もちろんサンプル数が少なくてもいい場合があるとは思うんですよ。でも、あまりサンプルの妥当性を考えているふうでもない8つの症例を元にした発表で、「χ二乗検定しまして(エッヘン)」という感じで発表されているのをみて、「ちょ、ちょっと待ってください」という気持ちになったのだ。
 だって、8つですよ、8つ。両手あればあまっちゃう数よ、これ。それでも、統計ソフトが全部やってくれるもんだから、何やっているかわかってなくても計算はできちゃう。でもって、発表までしちゃう、と。

 その後、疫学が専門の友人にこの話をしたら、「そうよー、日本の医者なんて統計わかってないもん」とあっさり答えてくれた。統計がわからない私でも「ヲイヲイ」と感じるわけで、その道のプロからしたらあきれ果てる状況なんじゃないかなと思う。

 三中さんのいうように、どこかで「体感」した経験ができてれば、もちっとましになろうかと思うんですけど、甘いのかなぁ。



04/02/17/tue

■哲学っぽいの好き

 時間は確実にすぎるものなのだ。いつの間にやら某案件まで、あと2日。別某案件はあと4日。けっこう早いな、やっぱり。

 昨日の夜、【ポット】のSさんからの案内メールで知った、「伏見憲明 トーク・セッション 最終回」に行ってみた。お相手は、野口勝三さんという哲学の方。ところどころ伏見さんが引き戻してくれるものの、かなーり難しかった。でも、ウィトゲンシュタインのいうゲームっていう言葉にちょっと興味を持たせてくれるきっかけになったりで、刺激的ではありました。

 以下、備忘録(なので意味不明勘弁)。現在は、経済ゲームちう? でも、フランスのスカーフ禁止法案の話なんかを新聞記事で読んだりしていると、宗教ゲームちうちゃうの?とか思ったりする。ゲームの理解が、思いっきり間違っていたら、鼻で笑ってやってください。聞きかじった程度ってことで、ひとつよろしく。
 にしても、200年とか300年とかの単位でしか、人や社会は変わっていかないのだとしたら、やっぱり寿命が100年くらいっつうのは厳しいなぁ。(ゲームに欠かせない)ルール確立の処方箋がないと、凡人はしんどいだけで命が尽きてしまう。そんなことも思いましたです。

 と思ったら、今日は友人Tから哲学メルマガのお知らせ。妙に哲学づいてるの。


■浅薄でもいい。統計に強く育ってほしい

 たて続いてヒットなのは、【あらきけいすけさんの業務日誌 2月15日分】の3つめ。
大学での数学基礎教育の改革を目指してというページを見てふと思った。「解析学」「線形代数」を取り上げているが、「統計」が無い。 日本では小中高大で 「データを分析して対象に関する情報を系統的に得るための技術(とその基礎)」に関する教育が系統的に欠けている(理科と算数の中でバラバラに教える)。 これは「学力低下」の議論以前の時代からの伝統的な教程に対する批判である。 大学で「解析学」「線形代数」を軸足に考えることは、 phylosophical に は「力学を演繹的に学ぶこと」に定位した教育である。 文系・理系の区別無く、統計処理の知識・技術は現代社会を生き抜き、切り盛りする際の基本的な智慧のはずなのに。
 そ〜、そ〜、そ〜なんです。いちおう私も、【ちょうど私が97年くらいから騒いでいた(ただし一人で)、「中学卒業に必要なのは、 統計・法律の理解・コミュニケーション能力(もちろん日本語。つまり読む、聞く、書く、話す)」だってことにもつながりそうだな】なんて書いたように、統計の扱いに不満が多いくち。この話は、どこかでちゃんともっと書こうと思いつつ、遠大な問題ゆえにいつも腰が引けていた。……いまも引けているけど。

 でも、ことある毎に「統計を」とか、「法律を」とかは言っているのだ。生身の私をしっている人はきっと頷いてくれるでしょう。数学者にもこういうことを言える相手には、言っているんだけど…。某U御大にも言ってみたりしてました。はい。

 すごく平べったいところでいえば、「平均だけじゃないってことだけでも知ってて欲しいな」なのだ。
 平均というのはけっこうやっかいな操作で、実態をとらえそこないやすい側面もある。でも、世の中で使えるツールは、現実的には「平均」しかない。高校生の頃、試験の答案を返し終わった後、「へいきーん、へいきーん」とクラスの子たちがこだわっていた場面が思い出されてしまう。試験でいえば、意識は、平均より高いかどうかだけなのだ。世の中のデータの大半が「平均」でしかならされない。平均貯蓄高、平均給与、平均体重…。もちろん平均がまったくダメなわけじゃないけれど、どういう場面でどういう意味での平均なのかを考えないと、ムダじゃん。

 せめて、端から並べていったらちょうど真ん中にきた値である「中央値」とか、とにかくたくさん集まっている「最頻値」とか、そういうのでもいい。ものごとを見るときに、平均以外があればいいなぁと思う。できれば「分散」くらいまで視野が広がるといいね…。もちろん、さらには「検定」が大事なんだけど、そこはかなりやっかいだと思う。ある程度の人が使えるようにはなるべきだと思うけど。
 それに、有効数字を習ったのは、中学生の理科だった。たしか1年。なんのことやらサパーリだ。いまはどうなっているんだろうか。

 この前、大学時代の指導教官に原稿依頼をしに行って、ちょうどこういう話をした。同じ「平均だけじゃないということを」というフレーズがN先生から出て、感激〜。なんか私、弟子っぽくない?
 でも、このN先生が出していた「確率・統計」の講義を2回とも落としましたです。それを伝えたところ、「ぼくの講義は、統計から入るから学生さんにはウケが悪いんです。社会人には圧倒的に統計から入った方がいいんですけど」とフォローしてくださった。やさしい…。ただ、ほんとうに学生時代に最初に統計の話が続くと、息切れした。N先生は高校の教科書でも同じ事を経験したらしい。高校の数学教科書で「確率・統計」を統計から入ったら、現場からは総スカンを食らって、確率から入る構成にしたという。その話は、妙に納得。

 現実的にも、統計と確率は切り離せない。統計的データに基づいても、最後は確率的判断を下さなければならない場面は多々ある。だから、統計だけというつもりはない。それでも、実生活から拾い上げたいろいろな素材を駆使して、四則演算を終えた中学生くらいからは統計のために使う練習をできないかなと思う。大学生には大学生なりの素材があるだろう。社会人もしかり。その途中で、やはり必要になる線形代数や微積をちゃんと教えればいい。というか、教えて欲しかった。
 ……と、言うは易しなんだよね。私は全然そのノウハウもないし、現場にもいないし。ただ、必要性だけはすごく感じている。



04/02/15/sun

■最後のローテーション

 ほとんど丸8年続いた、同居人のローテーション勤務が今日で終わる。ちなみに今日は、朝7時からの勤務で、私が起きたときはすでにいなかった。すっかり当たり前になっていた「土日関係なし、温泉行きはいっつも平日」な生活が変わるのかぁ。いちおう月金の仕事になるので、平日はあんまり出歩けない、ふつーの人になるのね。どうなるんだろう。朝7時からの勤務はないにせよ、ぱっきりと替われるわけじゃなくなるから、在社時間は長くなりそうだな。結局、去年の7月までの私みたいなもんか。在社12時間がザラにあったもんな。

 そういえば、【唐沢俊一氏の裏モノ日記】で、有馬温泉の話があった(2月8日分)。そこに出てくる昼食を食べたレストランは、【「花小宿」】という宿についている「旬重」だった……。ううう、あそこのかまどご飯、食べたい……。
 「花小宿」は、大阪にいた3年間に3回か4回は行った宿なのだ。2泊か3泊して、ひたすら「お風呂−本−ご飯−寝る」を繰り返す。客をかまわない宿なので、とてもゆっくりできる。もちろん【「御所坊」】にも行った。「花小宿」をやっている老舗の宿。ここが初有馬だった。ちょうど、唐沢氏が覗いた隣の部屋に泊まったのでした。そのとき案内してくれた仲居さんは、「その机で谷崎先生がお勉強してはったと聞いてます」と説明してくれた。そうか、「原稿書き」は「勉強」に映るのか。物は試しに、ガラスケースに入っている自筆原稿を直に見せてくれないかと頼んだら、断られたのだった(当たり前)。

 御所坊もとてもよい宿。ただ、さすがに高い。2人で2泊したら10万円超えたんじゃなかったかな。しかも、私と同居人の初ドリアンも御所坊だった。手作りらしい、ドリアン・ゼリーだったけど。私は「タマネギみたいなにおいだなぁ」と思いながら食べられたが、同居人はダメだった。えー、この宿に電話予約をするときには、「食べられないものはありませんか?」と聞かれるので、ドリアンが苦手な人は付け加えましょう。私は「ウナギ、ウニ、メロン」と、和食系の高いところでイソイソと出てくる危険物は伝えたのが、ドリアンが出てくるとは予想もできず、邂逅してしまいました。もちろん、御所坊の楽しい思い出になっている。以降は、約半額でおさまる花小宿が定宿になりましたとさ。有馬の御所坊コンツェルンはほかにも増えているらしいが、最近のは未見。

 もう、平日温泉にあんまり気軽にはいけないのだなぁ。いちいち休みを取らないといけないからなぁ。ちょっと残念。ああ、花小宿に行きたいなぁ。関東からだと遠くてオトク感が目減りしてしまう。大阪だと梅田からバスで1時間ちょっとなもんで。

 というわけで(?)、同居人の勤務が終わる午後1時過ぎに、汐留に到着。日テレの移動に伴い汐留にも店を出したアジャンタで、ラサムライスを食べる。ラサムライスだけじゃお店に悪いので、ついサモサやマトンカレー(とナン)も頼んだが、麹町同様ここのサモサはピンとこない。マトンカレーは辛め、というか辛さ以上にしょっぱい。悲しい。
 まぁ、ラサムサイスが目当てなので、満足して帰る。帰り道に銀座に寄って、やっとこさ靴を手に入れる。よく歩くので、歩きやすい靴じゃないとダメ。前回買った【ドクターショール】にしたいのだが、ソニプラ以外はほとんど置いてないので、買うのが大変。通販もできないし。先日、来たときは店員がいなくて、ほしい商品のサイズ違いを探してもらえなかったし。今日は、やっと買えた。モスクワの39。覚えておこう。

 家に戻ったら、夜更かし早起きだった同居人の眠そうな姿につられて、一緒に寝てしまった。起きたら3時間も経っていて、すっかり夜。起き抜けとなる、ご飯はやっぱり朝ご飯の気分。やたらと眠いんですけど、これ、もう春眠?



04/02/14/sat

■いまさら2

 去年、ジュリエット・ビノシュとジョニー・ディップの『ショコラ』を見て以来、「チョコレートを食べていいんだ!」と発見したきらいのある同居人なので、今年のバレンタインは選びがいがある。
 去年までは、いちおう本命の同居人に対して「チョコをあげても迷惑そうだからなぁ」と、チョコ以外をあげていた。それはそれでいいんだけど、せっかくいろんなチョコがこの日を目指して「この世の華」とばかりに咲き誇っているのに、売り場を見ることすらなかったのはちょっと残念な気がしていた。だって、付き合いだした頃、同居人の冷蔵庫には、1年前のバレンタインにもらったらしい(わりと高価な)チョコがそのまんま保存されていたんだから。義理チョコじゃなくても、この扱い。「マジ」であげても、実際は「義理」みたいなもんになってしまう。

 まさにこれは、伊藤理佐(マンガ家)が『Kiss』の連載で描いていた内容。「バレンタインのチョコには3つの種類がある。“マジチョコ”(=告白チョコ)と“ギリチョコ”と“マジギリチョコ”」。そして、“マジギリチョコ”は「本命なのに義理」という「世界で一番悲しいチョコなのじゃ〜」と。典型的な「マジギリチョコ」だったもんなぁ。
 マンガは、どこかで見てみていただくとして(伊藤理佐はホントよい。お下品というか下ネタ系もよい)、「マジギリチョコ」のケースは、「あげる方が食べる」ということが提案された。結果、彼のプレゼント部分「マジ」と、彼女のチョコ本来を味わう「マジ」の「まじまじチョコ」になった。
 去年の『ショコラ』以来、チョコレートがあればとりあえず食べてみるというタイプになった同居人には、心おきなく「美味しそうなチョコレート」を選べるようになった。結果はありきたりですが、ゴディバ。手近にあったもんで。ん? これって「ギリまじチョコ」っぽくないか。

 てなことを経て、夜には、引き続きの「いまさら」で『ロード・オブ・ザ・リング』の1本目を見る。どこのレンタル屋さんに行っても、ほとんど出払っている中、かろうじてあった1本。3本目を劇場で見るためには、1と2をとりあえず見ておかないとならん。
 ほんとは、本を先に読むべきか、映画を先に見るべきか、ちょっと悩んでいた。でも、本を読んだ人たちに、「映画を見る気になれない」という声があったので、映画から見ることにした。子供の頃に読んでとても大事な1冊(いやもっとたくさんあるけど)になっている人や、文庫になって(自分もおじさんになって)から読んではまりこんだ人がいたので、フィクション&ファンタジーが苦手な私も、心を動かされつつあったのだ。
 で、本の『指輪物語』だけじゃんくて、映画も評判がいいことだし、完結編くらいは劇場で見たいなぁと思っていたわけでした(いまさら、ですが)。

 しかし1本目も長かった。気楽に見始めたら、3時間超? 終わらない終わらない。でも、すげぇぇって感じで、前にやっぱりいまさら義務感で見た『ハリー・ポッター』との違いを見せつけられる(いまさら、ですが)。
 フィクションやファンタジーの本には興味がなかったけれど、考えたら、私はRPGにけっこうはまっていたんだった。映画を見ながら、9人の旅の仲間がそろった瞬間、「ああ、ドラクエとかファイナルファンタジーの昔のやりてぇ」と思ってしまった。『指輪物語』って、ゲーム、特にRPGには、かなりの影響を与えたんだろうなぁ(いまさら、ですが)。そいでもって、ゲームだけじゃなくて『スターウォーズ』あたりへの影響もあるんだろうなぁと(いまさらすぎ?)。

 というわけで、出払っている『ロード・オブ・ザ・リング』の2本目を探し出してこないといけないのでした。いまさらですが。



04/02/13/fri

■いまさら

 バレンタインの前日は、13日の金曜日〜。ということは、全然関係なく、昨晩、はじめて最初から最後まで『風の谷のナウシカ』を見通した。当然、その後、【稲葉振一郎氏のウェブサイト】を見に行った。そうか。せっかく注文したのだけど、『ナウシカ解読』のためには、アニメじゃなくて、マンガの方を読まないといけなかったのだな。ガクーリ。『ゴッドマーズ』みたいなもんか(もちろん内容は全然ちがう。位置づけの話)。

 『ゴッドマーズ』やら『風の谷のナウシカ』やら、読んでおくべきマンガの基本書がどんどん増えている。ほかにもいくつかあるのだ。なんだっけか。カレカノ? 違うな。えーと。魚喃キリコだっけか。うーん、年末にマンガの今年の総括があったなかで、「う、これ読んでないのはヤバイ」と思ったのがあったんだけど、すっかり忘れてしまった。
 とりあえず、マンガ喫茶にこもるか。その昔、少女マンガは読まなくなったために抜け落ちていたのを、マンガ喫茶で一気に読んだ。『ぼくタマ』こと、『ぼくの地球を守って』。(いまさらですが)あれはすごいわ。すごかったわ、か。苦手な絵柄なんだけど、それでも2〜3巻目あたりから、もうのめりこむのめりこむ。どうしたら、あんなことを考えつくんだろうか? 「神懸かり」という言葉しか思いつかなかったもんなぁ。

 萩尾望都もあんまり読んでない。問題だ。『イグアナの娘』をどこかで読まなきゃ。


■好き好き大好き

 SWなメールのやりとりで、某植木さんが見つけたサイトを教えてくれた。

 【大阪大学蛋白質研究所蛋白質溶液学研究部門】の右列一番下のリンク【Yoeki Walker】

 このリンクは「Yoeki Walker」最新号で2003年11月号。植木さんお勧めは、「創刊一周年記念特大号」と銘打たれた2002年5月号の「溶液劇場」から

 【ドリフターゼ】

 いやぁ、こういうノリ大好きですわ。ほんと。最新号の【達筆選手権】なんてのも、個人的にヒット。ぜひ今年も継続しての刊行を期待しております。



04/02/11/wed

■寝る子は育つ?

 昨日で、我が家のもろもろが終わり、この約1年に「はぁ〜」と二人でため息をつく。不思議な1年(正確には約10カ月)でした。今日は、その反動で「うだぁ」。

 私の昨日は、ひっさびさに高校同期の友人Iさん(別名Nャンコ。Iさんというのはなんか違うんだよなぁ)とランチ。考えたら、彼女は私の上司の大学・専攻ともに後輩だった。だーいぶ時代が違うから、上司の同年代が我々の教師ではあるけれど(笑)。
 ご同業の彼女と、「ここんとこ何してたの?」的な会話から、とある会社のSさんとIさんがその会社の喫煙スペース友達になっていたことを知ってびっくり。芝居屋でもあるSさんと、Iさんかい。両方ともそれぞれ別に知っているので、世間は狭いよパラドックス感に陥るが、世間じゃなくて「出版業界は狭いよという単なる事実」なんだな、これが。
 科学系が中心の私と、美術系が中心の彼女でも、すぐーにつながっちゃうんだから、コワいコワい。やっぱり悪さはできません。大人しくしていよう。

 その後、今日が休みで前倒しとなった会議のために、夕方、調布へ。わりとあっさり系の会議が2つ。7時からは職場カップルの結婚パーティーがあって、笹塚へ移動。やっぱりこの辺だと通うのは楽だよなぁ。前にスタッフだった人なども集まり、新参者の私にはけっこうな比率で知らない方々がいらっしゃった。ま、8年やっている編集部で、私はまだ1年ちょいですから。この手の職場としてはありがちに、人の出入りも激しいし。
 さすがに疲れがたまっているのか、家に帰ったら早々にバタム。

 今日は今日で、のそのそ起き出してから昨日ため込んだニュースチェックなどを慌ててフォローしてみたり。昼間はやたらと眠くなって、2時間ばかりグー。寝る寝る。その後は、相変わらず机の一部になるしかない生活というのは、悲しい。その割に、不義理というか抱え込んでしまってはき出せない原稿もあったりして、申し訳ない限りなのだ。S先生、ごめんなさいぃぃ。ある程度出来上がっていると、緊急度が低くなるという悪循環にみごとに陥っている。


■インフルエンザの話の続き…?

 えーと、武田徹さんの【オンライン日記】2月10日付け「雑」で、インフルエンザがらみの質問をいただいた。すでにご自身で調べているので、屋上奥を架すこともないが、インフルエンザウイルスはアマンタジン耐性を比較的持ちやすいと言っていいみたい。とりあえずの説明としては、やはり【感染症情報センターの「インフルエンザ」サイト】

 【インフルエンザQ&A 医療従事者の方のために 「Q.5:インフルエンザの治療薬や予防薬はありますか?」】

がわかりやすいだろう。ここ、医療従事者向けになっているけれど、あんまりど専門的じゃなくて、基本的なリテラシーさえあればそれほど苦にならないと思う。

 乳幼児には使わないようにとおふれがでたタミフルの耐性がでるかどうかは、私もよくわからない。ただ、ウイルスの回りについているトゲ(これがノイラミニダーゼ。H5N1のNのこと)をブロックするとはいえ、原理的に耐性をもたせられないわけじゃないように思う。調べればわかるとは思うけれど、いまのところ耐性が確認されていないということで、いずれはタミフルっていうか、リン酸オセルタミビル耐性のウイルスも出てくるんじゃないかなぁ。トゲの形とか変えてきそうだもんな。でも、この辺は調べてないから、確実なことはわからんです。

 ついでに…。細かいことだけど、抗生物質にはふつう、抗ウイルス薬は入れないはず。抗細菌薬(抗菌薬、抗菌剤、抗細菌剤などともいう)には、生物由来で作られるものと、化学的に作られるものがあって、狭い意味ではペニシリンとかのようにカビからできたとか、そういう生物由来のもののみが抗生物質なのだ(昔の記憶で書いているので、言葉の選択がイマイチかも)。それ以外は抗細菌薬。まぁ、でも抗生物質という言葉があまりにメジャーなので、専門家もあえて問わず、ひとくくりにしている慣習がある。
 一方、細菌ではなくウイルスを対象にした薬は、新聞でも抗ウイルス薬とか抗ウイルス剤と区別して書かれていると記憶している。薬の対象となっているウイルスが生物かどうかは議論もあるところだし(いちおうまだ生物というか生命ではないのが主流なのかな)、まぁ、あまりごちゃごちゃにしないでおいた方がいいかなとは思っている。

 それと、私個人の印象では、新聞を見ている限り、あまりあおっているとは思っていなかった(ウェブニュース中心だけど)。こういう場合、テレビからは速報性とデータだけしか取り入れない体質になっているので、どう扱われているかよくわからない。雑誌は…。『週刊文春』の見出しは「ヲイヲイ」と思ったけれど中身を読んでいないし、その他の週刊誌は最近フォローしていないしなぁ。スポーツ新聞や夕刊紙も同様。少し気にしておかないといけないな。

 【毎日新聞・鳥インフルエンザ記事一覧】
 【読売新聞・鳥インフルエンザ特集】
 【朝日新聞・鳥インフルエンザ特集】

 いくつかのニュースには、植木不等式さん経由で知った『New Scientist』と同じく、ワクチン製造の特許権に絡んでの指摘も出ている。ひっかかってくるのは、インフルエンザワクチンだけの製造特許じゃなくて、ワクチン全般の製造なんだろうか。そうだったら、ほんとにやっかいだなぁ。またいちいちWTOで勧告出してもらわないといけないのか?(エイズ治療薬の特許の話の例) チザーイな方向性は、「子供に夢」を与えるのかもしんないけど、「人々の安全」と取引している気がしてくるよ。とくに貧しい人々、ほんとうに必要としている人々のね。



04/02/09/mon

■クリックの経絡

 気持ちに多少は余裕が出てきたが、アクセル全開でがんばると必然的に、私は机の一部となる。ああ、肩が痛い。……仕事で使う専用編集ツールが不調で、すぐにハングするのは悲しい。もともとネットワークサーバー上でやっているから、にゅるにゅるしたリアクションが最悪だってのに、それに加えて不安定っていうんじゃ、使いもんにならんわなぁ。だから、私は全部ローカルで原稿整理やモロモロの作業をすませることになる。ローカルでは秀丸エディタが基本。wordは仕方なく使うこともあるけれど、やっぱりにゅるにゅるしてるもんで。

 ちなみにネットワーク上では、キーボードでサクサク作業をすると、ダダをこねられやすい。私はマウスでクリックするのが嫌いなので、たいていはショートカットを使ったキーボード操作で済ませているのだから、マウスじゃないとダメっていうのは拷問だ。

 もちろんマウスを使わない訳じゃない。というか、ここのところは、作業の都合上、延々とマウスを使わざるをえなかった。そしたら、人間の体には「クリックの経絡」があると発見した。首の下で、背骨のいちばん上で出っ張っている骨のところ。右利きだとここの骨の右側が無性に痛んでくる。クリックって実はすんごく変な負担をかける動作だと痛感したわ。人差し指だけで延々とカチッって、ムリがあるよ、絶対。
 キーボードマンセー。まだこっちのほうがイヤな負担が少ない。


■続々到着

 手元にいきなり岡潔本が増えた。って、言っても3冊だけど。

岡潔著『岡潔 日本の心』人間の記録54 日本図書センター →[bk1amazon]
岡潔著『情緒と創造』講談社 →[bk1amazon]
高瀬正仁著『評伝岡潔 星の章』海鳴社 →[bk1amazon]

 寺田−石原−中谷と来たら、ここに着いてしまった。もちろん名前だの、その様子だのは、よく聞く人物。でもでーんでん読んだことありませんです。この3冊は新刊で手に入る中でとっつきやすいものかな。高瀬さんの本のあとがきには、とりあえずの入門なら『岡潔 日本の心』がお勧めとあった。でも、この岡潔著2冊だけだと作り直されてキレイキレイになっているものだけだからなぁ。もう少し昔の本を図書館か古本屋さんで探すか。

 一抹の不安は、パラパラとめくって目に付いたところをほんの2〜3ページ見る限り、けっこう苦手かもとか感じるところ。私には欠落している「情緒」の人だからなぁ。うわ、突然、大不安になってきた。いちおう、ポジショニングの都合上、目を通しておくべき人物だし、この際「鉄の掟」に従い「出されたご飯は残さず食べる」か。はっ、ここはどこ?



04/02/07/sat

■追加

 ↓で書いた、ワクチンや抗ウイルス薬の供給の心配がすでに、現実のものになりつつあるようだ。【植木不等式さんの業務籠中記】の2月6日分によると、「車中読んでいた"New Scientist"に、鳥インフルエンザのワクチン供給についての話が出ていた。最も必要とされるベトナムでは なく、メーカーが優先契約している別の国に回りそうだという話。リポーターはそれを知的財産権の問題とからめて記している」とある。たしかにいま必要なのは植木さんがその後も書くように、ベトナム。原理的に予防(治療)可能な技術を持っているのと、実際に予防(治療)可能ということには大きな隔たりがあるんだよなぁ。

 にしても、電車の中吊りで見た『週刊文春』の見出しはひどかった。「ワクチンなし 感染者は隔離 鳥インフルエンザ 人から人へ 罹ったらほとんど死ぬ」(2月12日号)だって。危険は危険として認識すべきだけど、これはいくらなんでも。クロスビーの本の「日本語版の序文」に寺田寅彦の言葉が引用されていた。“「ものを怖がらなすぎたり、怖がりすぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなかむつかしい」。我々が今、肝に銘じるべき言葉である。”


■感染症の本

 不思議なのだが、感染症の本は、なぜか読みやすいことが多いと思う。大著の『史上最悪のインフルエンザ』(アルフレッド・W.クロスビー著、みすず書房→[bk1amazon])を読み始めたら、「みすずだしなぁ〜」という先入観を裏切る読みやすさ。疾病史的なアプローチの本だからかな。でも、考えたら、専門家が書いた本でもわりと読みやすくておもしろいのが多い気がする。専門家以外だとエド・レジスの『ウイルス・ハンター』とか、映画の『アウトブレイク』にもなったリチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』とかもあるしね。

 ただね。分厚いのがけっこう多いんですよ。ほら、あの【感染症のエンサイクロペディア】と言われる『カミング・プレイグ』(ローリー・ギャレット著、河出書房新社:(上)→[bk1amazon]、下→[bk1amazon])なんて、1000ページよぉ。ぐいぐい読ませるかんじだから、そんなに大変ではないけどね。

 なんだか、「書き手の体力が違うのか」って思うくらい。ドドーン。饒舌だし。これって、なんの差だろう。上記、『カミング・プレイグ』のbk1下巻の私の書評に、当時までの関連書を出しておきましたので、もしよろしければご参考に。

 てなことを思っていたら、ベトナムで豚さんからもH5N1のインフルエンザ・ウイルスが取れたとか……。とはいえ、FAOはまだ「豚に感染」というのを疑問視している段階。付着しているだけということもあるわけだから。しかし、どーなるのかなー。
 【武田徹氏のオンライン日記】の「マスメディアシステム(2/7分)」で、鳥インフルエンザのことが書かれている。私は専門家じゃないから、新型インフルエンザの危険性を評価をできるわけじゃないけれど、思うところを少し。

 インフルエンザには、たしかに「アマンタジン(成分名)」という抗ウイルス薬(この場合は抗インフルエンザ薬でもある)が認可された。商品名だと「シンメトレル」という。ただし、このアマンタジンはインフルエンザウイルスの中でA型にしか効果がない。A型、B型の両方に効果がある薬としては、「タミフル」という商品名で知られる「リン酸オセルタミビル」と、「リレンザ」という商品名の「ザナミビル」がある。ジェネリック薬(ゾロ薬ともいう)があるだろうから、ほかにも商品はあるかも。
 大流行を引き起こすインフルエンザはA型が多いし、実際、今問題になっている鳥さんのH5N1もA型に分類されているので、これらの薬が有効ではある。

 ただし、どれも発症後48時間(ないし36時間)以内の投与でないと、症状の改善があまり期待できないと言われている。
 そのためには、患者のウイルスがA型インフルエンザウイルスであると、すばやく判定できるキットも必要になる。誰彼なしにインフルエンザ的な症状だからといって、これらの薬を出せない。なぜなら、抗生物質(抗細菌薬)がたどってきた病原菌の「耐性獲得」という悪夢を、抗生物質以上のスピードで繰り返すわけにはいかないから。
 今は、10分でインフルエンザウイルスのタイプを判定できるキットが出ている。しかし、そのキットと上記の抗インフルエンザ薬をどれだけ供給できるのかが不安になる。日本や欧米は問題がないとしても、細菌やウイルスは弱いところを的確についてくる以上、アジアやアフリカといった地域でどれだけこうした対策が徹底できるかが問われる。

 実際には、ワクチンを使った予防接種がインフルエンザ対策ではメインになる。開発自体は、まぁ、ある程度の時間でできると思うけれど、ここでも問題になるのは貧しいエリアへの安定的な供給。ワクチンの場合は、接種してから効果が現れるまでに時間がかかることもある。即効薬ではないのだから。あと、いくつかの理由でワクチンを使えない人も厳しいだろうなぁ。アマンタジンなどを予防的に使うこともできないわけじゃないけれど、流行地で治療にあたる人など一部の例を除いて、あまり推奨はされないだろうし。

 えっと。それからね。SARSについて「ウィルス病で抗生物質が効かないのは当然」(ミスタッチは修正済み)と書いて、その後に、「インフルエンザはアマンタジンという抗生物質が効く珍しいウィルス病だ」と書くと、ちょっと論旨がよれちゃっている印象をうける。「あおるな」という言いたいことのポイントはわかるから、いいんだけど。

 で、私はどう思うかというと、日本や欧米といったいわゆる先進国については、あまり心配していない。人−人感染が始まったら、感染して死んじゃう人もそこそこ出てくるだろうけど(私含めてわからん)、それは選ばれちゃったわけで、しょーがない。それこそスペイン風邪までほどの流行にはならないだろうし(社会状況などから鑑みた印象で、具体的な根拠はないです。ごめんなさい)。ただ先進国は10人死んだら、途上国の100人分くらい騒ぐからなぁ。人数比はテキトーなので、注意。
 一方、ふだんから栄養状態や医療体制がよくないエリアは、流行が与えるダメージが格段に大きくなるんじゃないかと心配している。

 参考サイト:【感染症情報センターの「インフルエンザ」サイト】

 関係ないけど、ついでに。「抗○○薬」という言い方って、フランスワインの「AOC」みたい。「あぺらしおん・どこそこ・こんとれ」だっけ。このドコソコに、地名が入って、原産地呼称制度となる。薬の場合は「抗」と「薬」の間に病気や原因を挟んで、「○○にあらがう薬」ってな言い方だもんね。ちなみに「抗ウイルス薬」のアマンタジンは、もともと「抗パーキンソン薬」。パーキンソン病のお薬でしたとさ(もちろん今も)。昔っからこんなに「抗○○薬」って言い方が多かったかのなぁ。なんか5〜6年前くらいから、一気にいろんな薬で使い始めて、増えた気がしているのだけど。


■検索チップス

 そうか。【「○○とは」ってあんまり検索キーとして使われていないのか】。しょっちゅう使いまくっているから、当たり前のチップスかと思っていた。というか、当然そうなるものかと。

 教訓:定義が知りたいときは「○○とは」としてみる。

 でも、たしかに検索ができない人はできない。電話でニフティのホームページに行けって言ったら、検索しても「出てこない」と言われたケースもあったからなぁ。ふつーの個人のサイトがずらずらとヒットしたらしい。なんで最初にアットニフティのホームページがヒットしないんだと思ったら、検索キーが「ニフティー」だったというわけ。

 教訓:(表記や発音に揺れがありそうな単語はとくに)短めの検索キーを選ぶ。

 そして、表記の揺れはいくつかのパターンを試してみる。中黒のアリナシ、音引きのアリナシも含めて。これはグーグルでは無視してくれることが多いけれど。ちなみに「ポアンカレ」と「ポワンカレ」ではヒット件数が桁違いに違う。フランス人数学者の名前なんだけど、ポワンカレはやや昔っぽい表記かな。送り仮名もそれぞれに。「遺伝子組み換え」「遺伝子組み替え」「遺伝子組みかえ」「遺伝子組替え」「遺伝子組換え」とかね。
 あと割と知らない人が多いのが、チョンチョンカッコくくり。

 教訓:調べたい単語が分解できちゃうときは、検索キーを""でくくり、それごと検索する。

 たとえば、「大学教授」と「"大学教授"」ではヒット件数が違ってくる。前者は「大学」と「教授」が離れているものも拾い出す。これがいちばん効果を発揮するのは、実は、「1987年」とかの年数を調べるときだと思う。年だけで引く人はあまりいないだろうから、何か別のキーと年と合わせ技(and検索。スペースを開ければ並べるだけでOK。スペースは半角でも全角でもOK)が多いだろう。「1987」と「年」がばらけちゃうんだわ。だから「"1987年"」にするとノイズが減る。

 前に、編集部の人に教えたのは、用語の選び方かな。同じ意味でも、分野によって使われる用語が異なる。いちばんわかりやすい例でいうと、「仕組み」「しくみ」「メカニズム」「機序」の使い分け。どういう情報が欲しいかによって、この辺を使い分ける。医学関係だと圧倒的に「機序」。お医者さんは好きらしいのよ、この表現が。「カプサイシン」だけだと、ダイエット系ばっかりでうんざりするのが「機序」をつけるとあら不思議。子供向けが知りたかったら「仕組み」ないし「しくみ」ね(大人向けももちろん入っているけど)。

 教訓:欲しい分野に特徴的な用語を一緒にひっかける。

 この特徴的な用語がやっかいだとは思うけれど、仕事で調べものをしている人ならこの辺の勘は養われているはずだからなぁ。ちょいちょいとその辺はわかるはず。
 あ、あと専門家がどういっているか知りたかったら、英単語と一緒に引っかけるのも手。研究者は英訳と一緒に出したがる傾向があります。もしくは英単語だけにして、日本語のサイトに範囲を設定してみるとか。

 私がたまにやる手は、これ。「知りたい内容の文章から、助詞を抜いて検索する」。昔の広末涼子のしゃべり方みたいなもんだ。大昔にやった例でいうと、「ハト 頭 歩く なぜ 前後」。もちろん、ハトがなんで頭を前後に振って歩くのか知りたかったときの検索キー。当時、グーグルではいいのが出てこなかったけれど、グーだったらわりといいのを発見できた。

 教訓:知りたいことを文章化して、適宜、助詞を落としてみる。

 こんなところかなぁ。そういえば、昔、「検索テクの紹介」とかあったなぁ。ごそごそ。あったあった。【超初心者のためのホームページ検索術】。いろんな初心者にここを教えたんだけど、その後、あまり検索スキルがアップしたふうではない。結局、本人の「知りたい」「探したい」気持ちがどれくらい強いかなのかな。



04/02/06/fri

■発見

 2年前から傍聴し続けている裁判が終局に向かっている。11時から東京地裁で、初めてのラウンドテーブル法廷。ホワイトボードやら、シャウカッセンやらが並んだ法廷だった。で、傍聴席に入った途端、「なんか変だな」という違和感を感じた。立っている人をどこかで見たことがあるような気がしていたのだが、ぱっと思い出せない。その後、弁護士さんと話している様子で、「あっ、書記官の人だ」と気づいた。なんで気づかなかったかというと、ふつうのスーツ姿だったから。

 時間になって裁判官を呼ぶと、入ってきた裁判官たちもスーツ姿。これまで着ていたスモックのような法衣は? あれって、法壇ない法廷では着ないもんなの? 大発見。ふしぎー。

 初めてのラウンドテーブル法廷では、これまでしょーもなかった原告側の代理人が別の人になった。というか、別に行われている関連裁判の代理人らしい。この人はけっこうまともだ。話している声も聞こえるし、内容も明瞭。これまでののひどさが一層明らかになったけど。
 あと、なんでわざわざラウンドテーブル法廷が必要なのか、よくわからない。シャウカッセンとかをふつうの法廷に持ち込めばいいような気がするんだけどなぁ。なんでそれじゃダメなんだろう。


■ピークの波状攻撃

 2〜3日前くらいに、かゆいピークがきた。昨日から今日は眠いピークがきた。そして今日の夕方からはついに痛いピークがきた。かゆいー、ねむいー、いたいー、つらいー。明日には抜けてくれるといいのだけど。



04/02/04/wed

■心配と反省

 おでこは、相変わらずほんのり出っ張っている。単なるタンコブ。
 ここのところのニュースチェックは、ほとんど鳥インフルエンザのトレースだ。勝手に着床前診断やった病院の話なんかもあったけれど、量は圧倒的に鳥さん。どーなるのかなー。97年の香港の時とはちょっと様子が違うよな。鳥だけに広がって、後は局在的に鳥−人感染で済むんだろうか。今日、読んだ『ニューズウィーク日本版』では、脅威ではあるけれど、それほど心配する必要はないみたいな感じでまとめられていた。ワクチンなんかの開発もそれほど難しくないし、スペイン風邪のころとは違うからと科学者が思っているとか。ほんとうだろうか。感染症の専門家はかなり心配しているはずなのに。私自身、97年には、「こりゃ、あと数年で、人−人の新型インフルエンザが来てもおかしくないな」とかなりビビっていた。
 スペイン風邪の時代とは比べるべくもなく、地球が狭くなっている。あっという間にウイルスをもった人が地球を一周できちゃう。もちろんワクチンも世界を一周できるけれど、供給が足りるのだろうか。ワクチンを打ったとしても、けっこう重い症状で危険になる人が多いんじゃないかなぁ。免疫が皆無なんだから。

 マンスリー・アップデート作業も大詰め。【月刊作業のある百科事典】っす。細かい作業をして、さらには原稿料の支払伝票を書いてといった、編集の基本というか、これだけはしっかりやらないといけない作業をすませて、昼過ぎに調布へ。週に1回の会議。
 予定よりは延びたが比較的さっくり終わったので、中野へ行き、2カ月半ぶりの美容院でカットとヘナをしてもらう。前回はアルカリ・カラーだったのだが、今回はヘナ。カラーだとやっぱり手触りが悪くなるし、なんかフケっぽくなる気がした。立て続けるときつそうだから、とりあえずはヘナで白髪をごまかしてもらう。髪型は……。中村うさぎを追従していることになった。ってことは、奥菜恵の影を追うってことか? 奥菜恵とはおそれおおくていえんので、中村うさぎでしょう、やっぱり。とはいえ、彼女のように金や度胸をかけていないので、フヌケです。まだ長さが足りないところがあるので、なーんとなくそっち系という程度の似具合だしね。ちなみに、美容師からはボックスボブと言われた。でも、ボブとボックスボブの違いが説明を受けても、後になると「???」とわからなくなる女です。
 水曜日で大勝軒はお休みなので、またカルマに行って「和みごはん」を食べて帰ってきた。

 家に戻ってからは、トリビアをBGMに仕事。そうこうしているうちに、ライター仲間からメールが入った。紹介した仕事でかなり迷惑をかけてしまった。彼女にはここのところ2回立て続けに迷惑をかけている。申し訳ないことこの上ない。仕事の受諾選択は、賭のところもある。それはある程度、仕方ない。だけど、その賭の結果で自分以外にも迷惑をかけてしまうのはあまりに問題だな。反省。



04/02/03/tue

■ほっ

 夜中、トイレに起きてベッドに戻る途中、思いっきりゴン! おでこをドアの枠のところにぶつけた。この部屋に入居したときからずっとそこにある、ドアの枠なのに。情けなくなる。イタイー、と言いながらも、すぐに眠りに落ちる自分にさらに、情けなくなる。
 朝起きたら、おでこを触るとほんのり出っ張っている。たんこぶができたらしい。こんな大人になってたんこぶ。アオタンではないのが救いか。これから先、色が出てきたら悲しい。触ると痛いし。

 休みの同居人は、秋から4カ月経って、再検査のために病院へ向かう。2時間後くらいに電話がかかってきて、「大きくなってなかった」という報告に、ほっと胸をなで下ろした。秋の人間ドックのとき、オプションでヘリカルCTをつけたら、肺に「肉芽腫の疑い」がある小さな小さな塊が見つかってしまった。5ミリくらい。調べると、もしこれが悪性でもまだ手術にはほど遠い大きさだった。とはいえ、心配するしかできることがない。で、4カ月後の検査が今日だった。
 映っている塊のサイズや、体の様子や、ヘリカルCTで見つかり過ぎちゃう問題とか、あれこれ考え合わせると、「たぶん大丈夫」というのはわかる。でも、やっぱり「すごい初期の悪性腫瘍(つまりがん)だったら…。進行が早かったら…」と思わないわけではない。実際、万が一悪性だったとしても、肺がんの場合、手術で取ることが選ばれるサイズは2センチ。2センチ未満だと、手術のリスクや体への負担があるので、摘出するメリットはあまりないらしい。というくらいの、わりと深刻度の低い状況ではあった。

 それでも、あれこれ考えちゃうもんである。3人に1人ががんで死ぬ時代だから(それほど長生きしているってことだね)、ものすごくポピュラーなケースであるとわかってはいる。それにもし悪性だとしても初期も初期だろうというのもわかる。悪性の確率が検査状況などを考えると、さして高くないのもわかる。そういう判断の片隅で、「もし」と思うし、「今回大丈夫でも、いずれはあることなんだろうな」と考えてしまう。
 もう少し歳がいっていれば「しゃーない」というのも強まるが、さすがに42歳くらいだと「まだ若いからなぁ」と思ってしまうところもあった。当事者がおかれている状況によって、受け止め方は千差万別なんだろう。

 個人的には、いい練習になったような気がしている。近しい人ががんになるということはどういうことなのか、とか。自分だったらどうなのだろうとか。そして、練習で済んでほんとにほっとした。なんかあんまり心配していなかったように思われていたみたいだけど。
 ……心配はしているんだけど、持久力があまりないのと、状況的に考えてあまり深刻な事態ではないというのがわかっているため(前に覗きに行った学会のアブストにちょうどいいデータがあったり、ちょいちょい調べたりした)、表面には表れにくかったんだってば。今回学習したのは、ヒロイックになるためには、統計データは邪魔者だということだな。私はヒロイックに続ける体力がないので、データに頼ってしまう。そうすると「冷たい」人間に映るよなぁ。ま、根が冷たいからしゃーないか。

 しかし、メールの返事がこない。届いてはいるはずだけどなぁ。受け取りの連絡をしてこない(でもって催促だけはされる)相手と仕事をするのは、難しいことである。



04/02/02/mon

■僥倖

 ダダダダダッと、ニュースチェックやら(ひー、鳥インフルエンザがぁぁ。97年の時に一通りは調べて基礎はあるけど、今回はほんとやっかいだ。SARSなんかの比じゃないからなぁ。どこでどう見切りをつけてまとめようか)、メールの返事やら、原稿整理やらをガッツでできるところまでやり、冷たい雨の降る中、家を出る。目的地は日吉。久々の慶應義塾大学理工学部である。久々の理工学部は、やっぱり駅から遠かった。

 Aさんのありがたいお誘いで、Y教授のパーソナルバージョン最終講義を拝聴する。こんな機会はめったに得られない。というわけで、内輪の会なのに、初対面のY先生の前にちょこなん。見回すと私だけがY先生と面識がなかった。でも、やっぱり2時間以上に渡って、話を聞ける会なんてなかなかないので、僥倖。バイタリティ溢れるY先生の話す内容は、決してやさしいわけではないけれど、ご自身の研究史を総括して、魅力的なところをポイントを押さえて説明してもらえるわけで、「おおお、おもしろいぞ」とワクワクしてくる。
 とくに、私が14年前に取材しながら四苦八苦した数学の内容と似たことを、物理からのアプローチで展開する様子には、なんというかもう「え? もしかして、あれってこういうことだったの?」と、目を見開いてしまう。過去のさびついた記憶を総動員しながら、耳をダンボにして聞き入った。
 大問題は、そのワクワク感をいまここでうまくまとめて、伝える能力が私にはないということだ。しょぼん。でも、くやしい。なんとか食いつきたいな。

 講義の後は、質疑応答。あれこれ基本的な質問やら、鋭い質問が出席者から出て、「なるほど」「すごいっ」と、感じ入る。周期表の中に隠されたある新しい性質が、きれいにパーッと見せられるのは快感でもあった。『タングステンおじさん』(オリバー・サックス著、早川書房→[bk1amazon])でも感じた周期表の偉大さを、まったく別の角度で新しく照射してもらった感じだ。

 そのY先生は、学生の頃、指導教官から「時間やエネルギーの3分の1をテーマを探したり考えたりすることに使いなさい。次の3分の1で実際にそのテーマの実験や計算などをしなさい。最後の3分の1は、如何に相手に伝えるか、どう論文に書くかということに使いなさい」と言われたそうだ。往々にして、真ん中の実験やら計算やらに時間も労力も、すべてつぎ込むことになりがち。そこに重きを置く人も多いだろう。でも、他の人に伝えられなかったら、どうしもない。プレゼンテーションの部分に3分の1というのは、示唆に富んでいる。それを実践してきたからこそ、こういう相手に伝わる内容になるのだろうなぁ。しみじみ。

 さらに場所を変えて、Y先生と、Aさん、Yさん、Fさんとご一緒させていただきながら食事にまでついていってしまった。美味しい、そして楽しい時間。燃えさかる仕事たちにごめんなさいと言いつつ、充電兼お勉強の大事な時間でございました。にもかかわらず、あまり中身を開陳できずにすみません。



04/02/01/sun

■今日のヒット

 【あらきけいすけさんの業務日誌:1月31日分】に、「これよこれ!」ととてもビンビンくることが出ていた。
嫁はんのアタマの中では(例えば)Stokesの定理 『∫MN-1 = ∫∂MωN-1 』 とテレビのバラエティとかのテロップ『♨★♡☺♯☆?!』の間にあんまり差が無いみたいだ。LaTeXの原稿を覗き込んで「絵文字がいっぱい」とのたまった。
 あらきさん、ほんといいお嫁さんと遭遇できておめでとうございます。こういうことをちゃんと宣ってくれる人が近くにいるといないでは大違い。それをちゃんと心にとめられるあらきさんもえらいと思うけど。

 ストークスの定理じゃなくてもOK。Σ(シグマ)が出てきて、1だの4だの7だのの数字じゃないaとかxとかαとか出てきたら、もう「絵文字」の出来上がり。limでもいいっすよ。数学や物理をふだん使っていない人、日々お勉強していない人が耐えられる「数式」は、数字のみが並んでいるものまでなのだ。文字が出てきたらちんぷんかんぷん。それで当たり前だし、卑下する必要なんてないもんね。ましてや、たまたま毎日使っている人たちが「勉強不足」だなんていえる筋合いのものでもない。
 去年、大佛次郎賞、毎日出版文化賞、パピルス賞と3つを同時受賞した『磁力と重力の発見 1古代・中世 / 2ルネサンス / 3近代の始まり』(山本義隆・みすず書房)の選評で、たしか大佛次郎賞の委員である井上ひさしだったかが「xだのyだのが出てくるとさっぱり」と言っていたのと、根っこは同じだと思う。……そいでももちろん面白いものは面白いんだから、面白い。

 私が、「刺身のツマ」と称して、マンガやイラストに出てくる変な数式や変な科学的記述を集めているのも、まさに「絵文字」として認識されていた数式を『SPA』で見つけたのがきっかけだった(前にもたしかどこかに書いたな、これ)。最近は減ったけど。あれは95年4月から98年3月の間だったはず。大阪にいた同居人のところに東京から向かう途中の新幹線でのけぞった記憶があるから。そのきっかけの『SPA』は捨てちゃったんだよなぁ。残念。

 少し話題は変わっていく。主に生物系を中心に広く仕事しているライター&編集さんが、「植物の人たち(=植物の研究者)って、なぜか自分たちは一般向けに文章が書けるという思い込みが他の分野よりも強い気がするんですよ」と言っていた。他の研究分野よりも対象が、素人さんにも身近だと思っているからなのかな。でも、植物の話だけが一般向けに書きやすいなんてことは絶対にないし、事実、一般をちゃんと意識して書ける人とそうじゃない人が植物関係者でも混在している。
 逆に、「どうせわかってもらえない」と最初から諦めている節があるのが、数学の人たちのように感じる。人によって程度の差はもちろんあるし、一般向けに届く言葉を選べる人たちもいる。だけど、やっぱり比率としては「一般向けに書けないと思いこんでいる人が他の分野よりも多い気がする」。そうした諦観からなのか、ポーンと平気で絵文字の嵐攻撃になってしまったり……。

 別に理科系の話に限ったわけではなくて、哲学とか社会学とかもおんなじ。お付き合いのある哲学の先生は、「つい“形而上”って使っちゃうんだよね。だけど、ダメでしょ? え? この原稿の中にはなかった? えらいな、オレ」と言っていた。哲学者にとってはごくごく日常的な言葉である「形而上」であっても、ふつーは使いません。意味、わかりません。アカデミズムだの言論界にいる人でもなければ。哲学の人は、まだこういう意識がある気がする。小難しいのをありがたがる傾向が読者となった場合にはまだあると思うけれど、送り手の意識が徐々に変わりつつある(んじゃないかな)。
 じつは、社会学系が上記の例でいえば、植物の人に近い気がしている。一部の社会学の人を除いて、けっこう無頓着なんじゃないかなという印象。なまじ平易な言葉を文脈や限定的用法に依存させている分、哲学よりやっかいな「絵文字」かもしれないという気がする。

 明らかな「絵文字」と、明らかでない「絵文字」。両方とも、とても難しい。




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