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2004年3月のてくてく

04/03/31/wed

■夢と忘れ物と花見

 今日で3月も終わりなのねとつぶやいたら泣けてきた。途中から歌の歌詞になってしまうのも致し方ない気分。そんな気分で家を出たせいか、今日、編集部にもっていくブツ2つのうち片方を家に忘れてしまった。気づいたのは調布の駅を出たところ。いまさら戻るわけにもいかず、いっそう落ち込む。

 唐突だが、私は夢の話が嫌いだ。自分が夢をあんまり覚えていられないというのもある。さらに、覚えていたときでも、うまく伝えられなくてイライラするというのもある。たいていは説明できないほどに、変なんだもん。ロクな夢をみないし。記憶に残っているのは、遅刻するとか、自分だけズボンをはきわすれているとか、よくあるどよーんタイプかな。飛ぶ夢は見たことがない(と思う)。少なくとも覚えていない。
 だが、同居人はわりと夢の話をする。理路整然と説明してくれて、なんでそんなにちゃんとしたストーリーなのかと思うこともしばしばある。そんな同居人が先日、こんな夢を報告してくれた。

 「クニエさんの目の前に、たらいのような大きいラーメン鉢があって、そこに酸辣麺が入っていたの。5人分くらいあるような大きい奴。で、なんでだか、ひざカックンみたいなのをクニエさんに後ろから食らわしたら、前のラーメン鉢が机から落ちそうになって、クニエさんはそれを必死で抱えてた。もっのすごい揺れて、こぼれそうになっていたけどどうにか大丈夫で、振り向きざまに『なにすんねん!』ってクニエさんはえらい形相で怒ってたよ。『ああ、この人ほんとうに酸辣麺が好きなんやなぁ』って思った」

 そういう夢だそうだ。で、同居人は、「クニエさんは酸辣麺が好きっていう情報を整理するときに見た夢なんだろうな。でも、5人分をいっぺんに食べると体に良くないよ」とぬかす。じゃかーしい。勝手に情報整理して勝手に忠告せんでええわ。

 と、なんでこんな話を書いたかというと、落ち込む前に電車で読んでいたのは、たまに頭のネジを逆回転させてもらうための清水義範(→【ファンサイト・永遠の清水義範】)の本。今日は『ゴミの定理』だった。そこに、「夢の話」というエッセイだかなんだかわからない1編があって、まさに脳の中にある情報管理倉庫が整理しているときにポロポロ出てくるのが夢という話だったのだ。同居人は私より先に、この話を読んでいた。少し後に、わざわざ酸辣麺の夢を見てくれたのだ。律儀というかなんというか。

 夢は記憶情報の整理作業というのは、しばらく前からたしかによく聞く説だ。なんとなーく妥当に、私も思える。少なくともなんでもエッチくさくなるフロイトさんよりは。

 でも、この整理作業説を読みながら、ふと思ったのだ。いわゆる写真記憶をもっている人は、どんな夢を見るのか? 私の記憶では、渡辺弐浩がこのタイプの人。彼の会社の面接に来た人が、電車の中で彼の足を踏んだ人だったので落としたというエピソードをたしか『SPA!』で、昔、読んだ。たとえば、彼はどういう夢を見るんだろうか。バッチリ覚えていられるタイプの人は、夢で情報整理作業をする必要もないようにも思うのだけど…。

 そんなことを思いながら編集部について、忘れ物を謝って、会議のあとはお花見。たしかに絶好の花見日和。井の頭公園の池を半周して、あとは店に入って、ただの飲み会だったけど。桜の下で、寒い思いして、かつ無理な体勢で体に負担をかけながら、あんまり美味しくないものを飲み食いするより、夕方、花見がてら散歩して店に入るのはなかなかリーズナブルである。近隣に迷惑もかけないし。

 というわけで、久々に午前様。



04/03/30/tue

■ハクセキレイと新宿ルミネ

 【土曜日に中野でみかけたセキレイ】は、「ハクセキレイ」なるセキレイだとお二方からご教示いただきました。で、そのうちのお一人Nさんからの情報によると、ハクセキレイは典型的な都市鳥なんだそうだ。さらに。なんと新宿のルミネが集団ねぐらになっているとのこと。へー。ぜんぜん知らなんだ。昼間は単独で行動するけれど、夜は集まって寝ているらしい。というわけで、「ハクセキレイ ルミネ」でぐぐるといくつかヒットした。そのトップに出てくる【鶺鴒の宿】には、写真でセキレイがねぐらのルミネ壁面に入ろうとしているところが映っていた。

 鳥とか、花とか、虫とか、魚とか、ほーんとわからん。昔、妹からは「クニちゃんは、魚屋さんでどれを見ても、サンマかイワシかアジとしか言わないから恥ずかしい」と言われたことがあった。反論できません。あ、赤い魚だとタイとは言うかな…。でも正直なところ、イワシとアジが単独で出てきたらわからないかも。食べればわかるけど。
 そういう具体物ではない原理とか形とか論理とかは、けっこう気になるんだけどなぁ。まぁ、コーヒーカップとドーナッツの区別がつかない方々の薫陶をうけた(というかかいだ程度)からとか言って逃げられないかなー。コーヒーカップとドーナッツの区別はつかなくても、イワシとアジはバッチリという数学者もたくさんいるからダメか。

 じつは、ネイチャー系の方々には、ちょっと憧れがある。97年にドーキンスとグールドが1週間差くらいで来日したときに、グールドの話を聞くと「根っからのナチュラリスト」という感じが伝わってきた。かたやドーキンスは、自分でも「ナチュラリストだったから生物学に進んだのではない。哲学的な興味があったから」と言っていた。この点では、私はドーキンスにシンパシーを感じる方なんだな。ただ、シンパシーを感じても、毎日の楽しさという点ではネイチャー系の方が有利なんだな、これが。


■はーっ

 この2日間完ヒキ(完璧ヒキコモリ)で、どうにか新規図版3つほど根をあげただけで、明日〆切の作業を終えた。既存図版は約130個、完了。まぁこの新規3つはなくてもいいかーというものなので、様子次第で対応を考えよう。が、あとから追加した分の翻訳が、これから十数個はあがってくるんだよな。今回の新規モノの半分以下だからどうにかなるだろうけど、4月下旬に控えているトータル1000点の貼り付け作業を考えると途方に暮れそう。なぜか? 怒濤のキャプション書きが待っているのどぇす(涙)。

 いろいろなこととものがふんづまっている昨今。皆々様、ごめんなさいです。



04/03/28/sun

■いきなり東京タワー

 今日の反省。幼稚園くらいの子供が3〜4人待っている、あまり車の通らない横断歩道で、ぼーっと赤信号無視をして渡ってしまった。引き連れていた大人1人に、「申し訳ないっ」とすれ違いざまに心の中で謝る。私とて、信号をいっつもいっつも守るわけじゃない。それでも、ガキの前では無視しないように心がけてはいるのだ。とはいえ、たまに失敗するのが難。

 その後は、なぜか来館頻度があがっている日本科学未来館へ。Aさんと入り口でばったり。日曜日に来たのははじめてかも…。こ、こんでいる。所用が終わると、そのまま新橋へ戻り、東京タワーへお供。「いつでもいける」と思って、結局一度も行かないままにきてしまったので、ぜひともということらしい。ついでに同居人も呼び出す。彼も、東京タワーは行ったことがないので、ついでにえいやっなのだ。高所恐怖症の同居人がどういう対応をとるかも楽しみ。

 私は、子供の頃に1度だけ来たことがある。そのときの記憶は、階段。上りか下りか忘れたけれど、階段を使ったのだ。階段を歩いた記憶だけがある。それを言ったら、「世をはかなんで家族でよじ登ったのか?」とか、「そんなことができるのか?」と言われたけれど、いまでもできるんじゃないかなぁ。
 ちなみに、私も同居人の高所恐怖症が感染しつつあり、かなりコワイ。とくに、なんとなーく、ゆ〜らゆ〜らゆ〜らゆ〜らしている感じの高いところは、PMSで平衡感覚がおかしくなっている時期だときびすぃ。夜景はきれいだったけれど、気持ちも悪かった。150mの展望台から、さらに100m上の特別展望台にあがると、たしかにまた風景が違う。でもそれがよくわかるのは、また150mに降りてからだった。さっきは下に見えたビルが目の高さにある。ええと、人間の心理として当然のことながら最初に降りたところでのんびりしちゃうんだろうけど、展望台は2階づくりで、エレベーターで降ろされる2階よりも、下りエレベーターの乗り場がある1階のほうが、人が少なくてのびのびできる。ところどころ150m下の地上が見えるようにガラス張りになっている余興もあるし。

 あ、そうだ。蝋人形館は、似てない人形ばっかり。よく似ているのは吉田茂とブッシュくらいかな。ブラピなんて、誰それってくらい別もん。さらに、よくわかんないテーマ展があって、ドイツのプログレミュージシャンだったのだ。マニアックすぎ。誰一人としてわかりません。トリックアート展のほうが楽しめる。ただエッシャーを見慣れていると、あまり感動はないかも。あ、ケータイを拾ったんだ。鳴りまくるケータイ。周囲の人たちも最初は誰かのケータイが鳴っているんだと思っていたら、床が音源。たまたま近くにいた私が手に取った。きっと持ち主さんだろうと思って話していたんだけど、「そこはどこですか?」「トリックアート展です」「え? 六本木の近くですか?」「?? 東京タワーですけど。落ちてましたよ」「東京タワー?」「ええ。持ち主さんですよね」「ちがいます。その持ち主と会う予定で、待ち合わせをしているんです」「持ち主さんにどうにかお伝えいただけますか?」「えーと…(連絡をとるツールのケータイが持ち主と離れているので、困っているらしい)」「とりあえずトリックアート展の受付にあずけておきますね。東京タワーの4階です」。ケータイが持ち主の元に返ってますように。

 日曜日の夕方なのに、東京タワーはやたら混んでました。まる。



04/03/27/sat

■今日のおでかけ

 同居人の髪が伸びてきていたのと、私も白髪がコンニチハ状態だったので、一緒に中野の美容院へ行く。頑張って平日よりちょっと遅いくらいで家を出て、10時半には店に入る。さすがに午前中だと二人同時に入店してもそれほど問題はなくてよかった。シャンプーをしてくれた若いお兄ちゃんが、急激に成長したらしく、とても気持ちよい。前回とは全然違うもんなぁ。こういう変わり目ってほんと不思議だけど、満足。

 セキレイ終わって店を出たら、道ばたに黒と白の小鳥がピョコピョコしていた。「めずらしい模様のスズメだねぇ」とボケる同居人に、「スズメなわけないでしょ」といちおうツッコミを入れておく。近づくと飛び上がって、つけ麺大勝軒の裏のひさしに乗った。その写真がこれ。「へー、どこから来たんだろう」と観察していたら、大勝軒の大将が裏口からひょういと顔をだし、「うちのセキレイなんですよ」という。「えっ? 飛んでいかないんですか?」と聞いたら、「なんかここが気に入ったらしくて、居着いちゃって」とのこと。もうかなり前からいるらしい。そんなことがあるのね。ナントカセキレイだったような気もするけど、忘れてしまった。

 で、「さかな道場 明石」でランチと思ったら、土曜日はランチをやらなくなっていた。当然、大勝軒に戻る。1時前の混雑タイムにもかかわらず、1人待っただけで座れた。ほんとうは、どちらかを大盛りにしたい気分だったが、それはぐっと堪えて、お散歩タイム。高田馬場へ向かって歩いた。間に合えば、夢眠のカレーを小盛りにしてもらって食そうという企みがあったのである。
 東中野へ向かう途中、今度はイモリが石垣にへばりついているのを発見した。その写真はいまいちキモいので不掲載。飽食のイモリだったみたいで、石垣の隙間に逃げ込もうとしつつも腹がつっかかって入れない。2回トライして2回とも、「頭隠して尻隠さず」状態。笑っていたら、ぽとっと落ちて、下の植え込みに隠れてしまった。今日は、ふだんみかけない動物さんによく会う日である。

 てくてく歩いて到着した夢眠は、ドアに非情な「closed」のかけふだが…。またかい! ランチは午後2時半までで、到着時刻は午後2時45分だった。うーーー。今回は途中途中で本屋に寄ったり、挙げ句は電話帳で番号を調べたりしたのに…。電話帳にも番号がなかった(と思う)のは、あんまりだ! ここに入れる確率は60%くらいの我々。悲しい。食べ終わったお客さんが出てくるのを尻目に、とぼとぼと馬場へむかうしかなかった。まぁ、食べ過ぎるなという神の啓示だと思おう。高田馬場へ向かう途中にあったお茶屋さんにあった喫茶コーナーで、玉露と冷抹茶を飲んで家に戻ってきた。


■衝撃の連絡

 昨日の夜中、とてつもなく驚いたメールが来た。元上司が独立しちゃうとのこと。まじに我が目を疑って、なんども見直してしまった。そっかー、会社やめるんだ。

 少し前に、別の元上司も辞めて独立している。私がいたころの所属部署の上司&先輩4人のうち、いまも社に残っているのは1人だけになってしまった。下はいなかったので、一緒に机を並べていた人が激減している。5人のうち4人がフリーないしそれに準じた立場になっているのか。これはこれで珍しいのかもしれない。
 その後に入ってきた人たちも一通り知ってはいるけれど、ひょいと顔を出しにくくなるのはたしか。まぁ、もともとほんとにたまにしか顔を出してはいなかったから、いいっちゃいいんだけど。

 なんかしみじみと時間の移り変わりを感じた春なのでした。

 関係ないけど、吉田司って字がきれいなんだって。いがいー。



04/03/26/fri

■スペインさんいらっしゃい

 今日、我が家へいらしたのは、スペイン語の辞書。昨日はドイツ語、今日はスペイン語というわけですが、辞書オタクではありません。…いや、これ以外でもけっこう辞書があるか。やっぱり辞書があると楽だ。ペンディングになっていた、スペイン語の図版が一つ片づいた。

 写真を選びに行った帰りに市ヶ谷で買ったのだけど、昨日と同様、何種類もスペイン語の辞書があって驚いた。語学事情が変わったのか、書店事情が変わったのか、よくわからない。スペイン語があるくらいだから、ほかの言語もけっこうあるわけでして…。なんか不思議。

 家に戻ってからは、昨日の続きでひたすら図版製作のための下作業。だいぶ進んだかな。でも、これって続けていると、あるとき突然イヤになるんだよね。それがどこで来るかが心配。〆切までに間がないもんで、イヤになってから復活する余裕があるかなぁ。

 2週間前には『噂の真相』が休刊して、今日はといえば「ニュースステーション」の最終回。18年半かぁ。たしかに長い。あんまりいい視聴者ではなかったけれど(昔は10時台に家にいることがなかった。最近はNHKつけっぱなしが多い)、やっぱり影響力の大きな番組だったなぁと思う。
 この1週間はわりと見るようにしてみて、最初に思ったことは、「やっぱり渡辺真理の読むニュースは聞き取りにくい」だった。しょーもない。幼稚園以外いろいろ後輩な彼女で頑張ってほしいのだけど、ニュースはむいていないんじゃないかなぁ。無理して早く読むとなにがなんだかわかんないし、ゆっくり読むと声の弱さが目に付くし、と、いいところを感じられない。他局含めて、ほかのアナウンサーが読むニュースになれている耳には厳しいと思った。

 まぁ、番組自体は、良きにつけ悪しきにつけ役割を果たしていたと思うし、この番組が18年も久米さんという、一人の人を軸に続いてきたことはすごいことだ。でも、今日まであんまり見てこなかったわけで、私個人への影響はあまりなさそう。次の古舘はどういうのをやるんでしょうね。最初のうちは見てみるか。


■入手本

吉田司著『あなたは男でしょ。強く生きなきゃ、ダメなの ――吉田司評論集』草風館
→[bk1amazon] もちろん寄せ集めの本。でも吉田司はすきーなの。にしてもこのタイトルはなに? 文句言われなかったの? 内容じゃなくて、長さね。昔、先輩が長いタイトルの本を出すときに、けっこういろいろクリアするのが大変そうだった。その中には、「客注しにくい」とかもあったなぁ。そのタイトルは、『三角形の二辺の和は、なぜ他の1辺よりも長いか』だったと思う。文字数にして「三角形〜」は22文字。かたや吉田本は、最後の評論集まで入れると28文字だった。本体部分だと両方とも22字だから一緒か。なーんだ。



04/03/25/thu

■つれづれちりぢり

 うぉぉ。今週はけっこうな山場かも。

 昨日は、週に1度の会議のあと、日比谷のプレスセンターに行ってみた。【日本科学技術ジャーナリスト会議】の月例会で、京大再生医科研の中辻憲夫先生が講師。さすがに私のような会員外の参加者も多かったらしく、満席だった。……でもね。なんか眠くてね。もったいないことに5分の1くらいはうつらうつらしてましてん。情けない。まぁ、フィーダー細胞などよく知らなかったことを拾ってこられたということで。

 しかし、Aさんや、「ヒト胚評論家」(こう呼んだよ!)の【粥川準二さん】や、もろもろの知った顔を見かけた。せまい業界だからなぁ。

 今日は、ずっと図版と格闘。ロシア語とイタリア語の辞書はあるのに、ドイツ語の辞書がない我が家。去年は編集部でこの作業をやっていたからなんでもあったんだなぁと、自宅環境の不備を呪う。ネットであれこれドイツ語の単語を調べるのもめんどうになって、近所の本屋に買いに走った。もちろん、ついでに週刊新潮と週刊文春もゲット。今週は何の問題もなく入手できた。ふだんより多く刷っているみたい。二連ちゃんで出版社系週刊誌に挑んだ弁護士は、森田貴英氏だった。それだけ確認したら読む気が失せて、積ん読になりそう。
 にしても、田中&長嶋って、ファミリーでいろいろと世に出ているもんだねぇ。

 ドイツ語の辞書は、CD-ROM版がくっついていたのにしたので、店にあるもののなかでは一番高かった。といっても6800円(税別)だけど。それでも、間に合わないのがテクニカルタームなんだよねぇ。はぁぁ。

 そういえば、私の頭の中を大滝詠一がぐるんぐるん回っている。原因は、もちろん生茶のCM。なーんで、こんなに多いの? NHK以外をつけているといやというほど、耳に飛び込んでくる。これって、やっぱりサントリーの伊右衛門さんを迎え撃つ態度なのかしら。
 というわけで、道ばたで「お〜もいで〜はぁ〜♪」と、生茶の続きを口ずさんでいるのがいたら私です。頭音じゃなくて、外在化してます。重症。

 あと、昨日は、同居人の背中に「おでき」ができた。「あ、ほんとだ〜。おできができてる〜♪」と眺めていたら、「デンボや」と言う。関西では「おでき」のことを「でんぼ」というらしい。なにそれ〜? はじめて聞いた。なんか笑える呼び名。「どういう字?」と聞いたが、「漢字はないんちゃうかなぁ」との返事が返ってきていた。
 そこで、毎度お世話になる『上方ことば語源辞典』を開いたら、あったあった。感動するほどに、この本はなんでも調べられる。同居人の使用語彙がぴったりあてはまっているのかな。ちなみに、「でんぼ」の元は、

  「出坊」

だった。「出もの」が擬人化されて、坊がくっついたらしい。ついでに撥音化して「でんぼ」とあいなり候。



04/03/23/tue

■さむい

 朝はまだ雨。これがあがると暖かくなるのかな。そういえば、先週の金曜日の寒さは、東京じゃないみたいでとても不思議だった。その直前が暑いくらいだったからなのか、東京での例年の花冷えというのとは少し違う印象。なんというか、夏の軽井沢の涼しさに通じるところがあるような…。たぶん、温度の低さの割には湿度が高めだったのかな。
 東京で寒いときは、乾いてピリピリすることが多い。そういうのとはちょっと違った。どちらかというと、雪が積もった次の日に近い感じ。じつは湿度が高いのは過ごしやすいので、寒いけれどよい気分だった。が、さすがに昨日はいくら湿度が高くても、雨が冷たすぎるし、寒すぎ。

 今日は、同居人が入学金などを振り込みに本郷に行くというので、その作業が終わった頃に待ち合わせて、瀬佐味亭で酸辣麺を食す。まだ11時半にもならないというのに、お客さんは入れ替わり立ち替わり。やっぱり、けっこうな人気店なのだな。

 ちょこちょこと読んでいた『下山事件(ケース)』(森達也著、新潮社→[bk1amazon])がだんだん山場。ついに『週刊朝日』との軋轢の芽が出てきた。って、これがこの本のメインじゃないじゃん。つくづく現代史を知らないなぁと思いつつ、その分、すごく新鮮にワクワク読める。そんなんでいーんだろーか、という心の声はとりあえず封印。50年経った今だから、「なんでそんなにピリピリすんの?」と思えるんだろうな。でも正直なところは、「なんでこんな事件が解決しなかったわけ?」。すごく不思議な事件だ。まぁ、最近でも、グリ森とかがあったか。

 家に戻る道々、そこらじゅうに引っ越しトラックが停まっている。そういう季節なのだなぁ。私らも3年前はお仲間だったのか。にしても、出来上がったばかりの新築マンションに複数の運送会社のトラックが列をなしている様はすごいな。さすが大規模マンション。ほかにも2棟くらい入居がスタートする新築マンションがあるから、当面は続きそうな風景だ。
 ……そういえば、この前、博士課程を卒業してポスドクとなるFさんとのメールのやりとりで、「年度末・大安料金です」というのがあった。「年度末なのに、おーやす料金って不思議。いい会社だなぁ」と思っていたら、さにあらず。「たいあん料金」なのねっ。結婚式のみならず、引っ越しにまで大安とかが影響するとは。私は、仏滅に引っ越したいです。


■ふむ

 この比率というか、バランスが気軽に読んでもらえる上では大事なんだろうな。というわけで、リンク・メモ。【知ったかぶり週報3/23:知ってること・やってることが8割、勉強になるなぁってのが2割、くらいの比率がちょうど良い】。リンク先は3月のバックナンバーなので、下の方になる(日付へのリンクをしようと思ってソースを見たものの、すーっっかりHTMLを忘れていた)。

 科学書は、たいていこの比率が逆転してんだろうなぁ。それって、「出直しといで」と言われている気分になる人も少なくなかろう。結局は「しんどい読書」、つまり「お勉強」と思われちゃうのも仕方ない。


■無間地獄

 夜、寝る前に、加湿器のタンクに水を汲んで、スイッチを入れる。

 朝、加湿器のスイッチを切って、除湿器のスイッチを入れる。

 夜、除湿器のスイッチを切って、タンクの水を捨てる。加湿器のスイッチを入れる。

 以下、繰り返し。
 ただし除湿器のタンクの水は、加湿器のタンクの水に使えない。理由は、【カビとかあるそうだから(03/10/13のてくてく)】
[3/24追記:「切」と「入」を間違えて、無間地獄になっていなかったので修正。どじ]



04/03/22/mon

■オン・ステージ

 冷たい雨の中、盲腸のようなクルッとした路線をまわって、久々に【日本科学未来館】へ。今日は、【文部科学省科学技術政策研究所】が主催する【ダーウィンで科学を楽しむ!】が開かれるから。未来館は、いっつも7階にいくばっかりだな。やっぱり遠い。遠すぎ。

 これまで行った未来館での講演会やシンポは、かなりガラガラ系だったが、今日は大入り。9割近く入っていたんじゃないかな。向井万起男、養老孟司という人気者がご登壇だったからかなぁ。いや、その二人よりも製本の限界に挑戦するかのような分厚いダーウィン伝を書いたムーアさんとか、ダーウィンの孫の孫であるケインズさんとか、メスの乱婚化を語るジャドスンさんがお目当てなのかも…。客席には、けっこうな数の関係者(メディア&研究者)がいたのでね。一般向け講演会といいつつ、聴衆にしめる一般率ってけっこう低かったんじゃないでしょうか。

 考えたら、私は、ナマ万起男ちゃんも、ナマ養老センセも、はじめてだった。これまでお付き合いがなかったんだな。で、ナマ養老センセがご登壇すると、するするとホワイトボードが出てきた。片手はハンドマイク、もう一方の手はズボンのポケットに突っ込んだり、出したりしながら、壇上をウロウロしては、ちょっとホワイトボードにちょっと書いては消し書いては消しを、猫背で繰り返す。なんかデジャヴ。既視感が襲ってきたなぁと思ったら、それは「ケーシー高峰」だった。昔に比べて、多少(物理的に)丸くなられたみたいで、よけいそう感じるのかも。両方とも医者系だし。
 あの状態で、ホワイトボードと音声を取り去ると、その動きはなんかムード歌謡っぽいかも。ディナーショーというか、なんというか。どでしょう?>M中さん

 で、さらに万起男ちゃんのインパクト、強大。お題が「メジャーリーグの進化とダーウィン」てなくらいで、今日、私はメジャーリーグ情報に詳しくなって帰ってきました。メジャーリーガーに過去、4人“ダーウィン”選手がいたんだって。うち二人は兄弟選手。しかし、もちろんチャールズ・ダーウィンとは一切関係ない選手。そして、現代のものすごいピッチャー、ランディ・ジョンソンが如何にすごいかを、万起男ちゃん独自の「奪三振率データ」で見せてもらったりしてました。なーんか、ダーウィンより、今度日本でやるというメジャーリーグの開幕戦に関心が行ってます、私。野球はぜんぜん興味なかったんだけどね。
 もちろん、万起男ちゃんはスティーブン・ジェイ・グールドの大ファン。そのライバル、リチャード・ドーキンスは嫌い。でもそれでは不公平だからと調べたら、メジャーリーガーのドーキンス選手も一人、グールド選手も一人、そして、両方ともヘボ選手だったらしい。よって、引き分けなんだってさ。

 主旨を誤解している可能性は多々ありますが、とーっても楽しかったです。

 帰りがけに、汐留で降りて、同居人の仕事が終わるのを待つ。でもって、北海道を席巻したというスープ・カレーなるものを「ガネー舎」で食してみました。不思議なカレー。味が違って、お皿がちがってたら、「カーマ」みたいな感じのサラサラカレーなんだけど。こっちは色物でした。まずいわけじゃないので、色物としてきっちり頑張っていただきたい。



04/03/20/sat

■同居人の引っ越し完了

 同居人の旧サイトが、今日でおしまいになる。移転案内すらでない予定だったらしいが、いろいろ交渉した結果、移転案内だけは1年間も出してくれることになったそうだ。というわけで、7年間も過ごしたところから引っ越した新しいところは、

 【畑仲哲雄の苦行部屋】

がトップページで、ほかに

  【ニュースリンク】
  【『スレイヴ』公式サイト】

がある。ニュースリンクは検索エンジンが普及した今でも、けっこう使われていたらしい。移転の案内を出し始めると、「ずっと使ってました」とかの連絡があったという。まぁ、たしかになかなかこれだけ世界各国のを集めたところはないかな。閉所した社情研図書館のサイトからも他の公的なリンク先と並んで、ここが紹介されていたというし。そりゃ1つだけ個人サイトで浮いてただろうな。ああ、その社情研もなくなるのね。しみじみ。もしリンク切れや変更があったら、教えてあげてくださいませ。この量になると、本人が定期的にチェックできるもんではないですから。
 あと、『スレイヴ』は、いまでもごくごくたまーに、印税カンパがあって本人が驚いたりしている。ついでにブログもはじめていた。

  【論駄な日々】

 えー、思うに、このブログははっきりいって、まだおもろくないです。名前負けしてます。担当替えがあってしんどいみたいだからしょうがないけど、4月以降は環境もまたさらに変わるだろうということに期待。立場的には、分野が違うとはいえ【津村ゆかりさん】と同じ位置づけにあるわけで、いろいろ難しいことがあるのは承知してますので、ゆるゆると。
 ちなみに、前にあったいろいろな古い雑文は、いまんとこ封印しているみたいです。横から「アーカイブ的にして、だしとけば〜?」と言ってみてはいます。この辺は長年やっている人ほどたいへんだ。


■土曜日なのに祝日だと店が休みで悲しい

 あまりのバカな見出しに、腹が立ち、その後、脱力する。しかも見落とされやすい見出しだってのが、さらになんだかなぁ。こういう人の本やら文章やらコメントなりやらが、ムダに流されているのかと思うと、害悪だと思ってしまう。朝日がきらいなのは別にかまわんし、私も思うところはいろいろあるけれど、自らの首を絞めるようなバカなことで攻撃したって、なんの効果もない。どうせならぐうの音もでないようなことで刺してよ。明後日すぎ。さーて、だれのことでしょう? ここのところ、ウェブ上の様子を見るために、これまでよりも広く見て回るようにしていたら、こういう余計なもんがひっかかってしまったあるよ。

 ま、それはそれ。腹を立ててばかりでもしょーがない。朝ご飯というか早めの昼ご飯を食べて帰ってきたら、前から気になっているCMを今日、また見た。松嶋菜々子が出ている生茶の新しいやつ。前は、「つっぱることが男の〜」という嶋大介の歌から、井上陽水の「夢の中へ」へとシームレスに繋がっているのだったけれど、今回の最初のはなに〜? 大滝詠一の「君は天然色」と何かが繋がっているのかと思って調べたら、大滝詠一だけだった。がっくし。イントロ部分が別のものかなと期待してしまって聞いたからか。にしても、この前のCMの試みはすっごく好き。おもしろいもん。

 ついでに、動く唐沢俊一をはじめて見た。声がいいっすねぇ。風体もいい感じだし。スチールではもちろんよく見ていたけど、全体のバランスが映像にも堪えるって大事だわ。そういう雰囲気を持っているって感じ。

 たらたらと仕事をしている。しかもルビ振り。どんどんと編集者とオペレーターの境目はなくなっていく昨今、このルビ振り作業はひたすら眠くなります。むーん。でも、せっせせっせとお仕事。それにしても図版がらみでよくよく見直したら1000点近くをハンドリングしないといけないっていうのは、非常にキビシー。私のまっとうな数感覚では、120が限界なのだ。場合によっては頑張ればもう少し増えるけど、せいぜいが200。そこくらいなら、個々の様子をかなりちゃんと把握できる。でも1000は無理だ…。右から左へと流していくことしかできない。はー、そう考えると、学校の先生たちは平気で1000人を覚えるもんなぁ。人の名前とはまたちょっとちがうけど、数の感覚は不思議だ。あ、そうだ。このことでは書こうと思っていたことがあるので、また、近々。


■入手本

J・R・R・トールキン著『指輪物語1〜10』評論社文庫
→[bk1amazon] ついに買ってしまった。一気買い。左のリンクは「指輪物語」で検索した結果を表示しているところへのもの。アマゾンはうまくいってないかも…。いろんな版があるので、ご随意に。私はもちろん省スペースのため、評論社の文庫で買いました。どどーんと机の左隅に積み上がってます。さて、いつ読めるのか? 映画の3をみてからかなぁ。「旅の仲間」から読み直すから、映画を見る前からでもよさそうではある。問題は、知人が言っていた、「読み出すと先が気になって仕事が進まなくなる」ということかな。しばらく左隅に積み上がったままでいていただくかも。

森達也著『下山事件(ケース)』新潮社
→[bk1amazon] 少し読み始めたら、私がスルーしてきた戦後史をいろいろ見せつけられ、落ち込み気味。ほんとにものを知らない。もちろん下山事件という名前は知っていたけど、三鷹事件とごっちゃになっていたし、なぜだか下山事件は中野駅でおこった事件だと思いこんでいたよ。とほほ。ちなみに、この本は『葬られた夏』という本との関連がある。その辺の経緯は、メルマガ【Publicity】のバックナンバー【「葬られるのは誰か?」(その1】【「葬られるのは誰か?」(その2)】あたりによくまとまった考察がある。やっぱりまずは森本から読むワタシ。だってこっちのほうが単純に、面白そうなんだもん。

吉田司著『新宗教の精神構造』角川書店
→[bk1amazon] もう一人の好きな書き手、吉田司の本。同居人のリクエストもあって、去年の9月に出た本を購入。この本自体が、90年に書かれた彼の本を書き直しているもののようだ。そっちも読んでないからちょうどよいので。

杉田玄白著・片桐一男全訳注『蘭学事始』講談社学術文庫
→[bk1amazon] 資料用に購入。しかし、今でも『蘭学事始』がこんな簡単に文庫で手に入るとはおもわなんだ。講談社だけじゃなくて、岩波も文庫であるし、いろいろでまくっている。おもしろくなって、ついでに平賀源内の著作も収録されている中央公論から出ている蘭学事始も注文してしまった。それはふつうの単行本で、取り寄せだったので、そろそろ到着予定なのだけど。杉田玄白なんて、日本のサイエンスライターのはしりって言えそうな気もするねぇ。どこまでさかのぼるかはいろいろありんすが。



04/03/18/thu

■不覚

 「コンビニは撤去してないみたいだし、途中で買えるな」と判断したら、甘かった。くーっ、不覚。こういうものはいちおうちゃんと手に入れてきたんだけどなぁ。コンビニにもないとは。たぶん全部売れちゃったんだろうけど。

 ナンシー関が死んじゃって、なんとなく『週刊文春』は買わなくなってたから、まぁ、いいっちゃいいんだけど、【大森望さん】による、【松浦晋也さん】著ではないところの落ちる話の本がこの号の掲載だったと知り、ちょっと残念。この書評を読んでおきたいと思って、前の号とかはチェックしていたのにー。こういう文句をいう輩は珍しい?

 しかし、単に揺さぶるつもりの仮処分申請がそのまま通っちゃって、いちばん焦っているのは、田中長女側の代理人かもなー。「できるところまでやってみましょう」なんていうくらいで申請するのがふつうの代理人感覚だろうし、それも、ダメもとだから揺さぶりも掛けやすかったんだろうに。すぐリンク切れちゃうだろうけど、毎日新聞の【週刊文春:販売差し止め 記事の「公益性」焦点に】が、細かいところまでだいたいわかってよかった。差し止められたのが、販売なのか、出荷なのか、この辺がはっきりしてなかったもんで。回収を命じてないと、出荷停止でいいのか。販売はできる。ちょっとおもしろいかも。
 社説では読売がいちばん文春に厳しそう。毎日は社説もおもろい。朝日は例によって真ん中へんというか、あいまい。あ、地方紙の社説はけっこう共同さん作成だったりするんよ。あくまで参考配信らしいけど、実質はそのまんま。むかーしむかし、ヒロシマ報道のことを調べた本を作ったときに、地方紙の社説にタイトルまで同じものがたくさんあって、驚いたもんで。こういう“社”説ってなに? 当時はネットがなかったからたいへんどした。

 まぁ、でもたしかに和光大学が麻原彰晃の娘の入学拒否をした話がかき消されちゃうのは残念。私立大学というのがどうしても難しいところで残るから(最近流行りのアドミッション・ポリシーってやつね。でも…、という部分については、【北田暁大氏のブログ(3/16)】に賛意)、来年、ぜひ娘さんは猛勉強して国立大学に合格してほしいもんだ。そこで同じパターンが繰り返されたら、今度は、なにがあろうともかき消されない。いくら独立行政法人化されようとも。


■不覚その2

 そういえば、【三中さん】が、【04年3月12日】で紹介していた、「雪男“yeti”の分子系統樹」ってのも、出遅れて不覚。前はネット上にあったみたいなんだけど、今となっては著者にお願いして送ってもらわないと見られないみたい…。英語のお願いメールなんて書けない〜。でも見てみたい〜。


■マンガ編集者さん江

 おもしれぇ〜。【おれカネゴン】経由で、不動産屋さんのブログ。一気に読んでしまったよぉ。

  【悪徳不動産屋の独り言】

 文章がうまい人だなぁ、書き慣れているなぁと思ったら、もともとそういうのが好きな方みたい。新聞部ご出身(笑)。読みながら、ずーっと思っていたことは、「あ、これマンガになる」だった。ま、みんな読んだ途端に考えるだろうけど。
 職業ものが好きな「モーニング」さんあたり、このブログの主さんを原作者に、不動産屋主人公のマンガなどいかがっしょ。いや、すでに原作者かなんかやっとるのかも…。それか、もうコンタクトがいっているか。そんな気がしてきた。

 あ、私が読んでるマンガ雑誌には不動産屋さんものはないけど、他ではあるかもしれない。スペリオールとか、ビッグコミックとか、その辺にはあるかな。モーニング、イブニング、オリジナル、スピリッツは把握しているんだけど、他がよくわかんないや。集英社のユーでは「モーニン!」という葬儀屋さんの連載が始まったから、レディス系でもいいんだけど、このアクの強さを活かすにはやっぱり男性誌の方があっている気がする。

 というわけで、もしまだ不動産屋さんモノがなければ、いけますよ。



04/03/17/wed

■かりんとう

 私にしては早めの朝ご飯を食べながら、TBSの『はなまるマーケット』を見ていたら、出てきた関西の芸人さん(アメリカザリガニ)が、VTRで女性に対して「イモ・タコ・ナンキン、やっぱり好きですか」と言っていた。

 関西の人は、若くても「イモ・タコ・ナンキン」と言うんだ〜。同居人くらいの世代で終わりかと思っていた。大阪人と付き合いだして、即座にこう言われて、私は「???」でした。イモはジャガイモとかサツマイモとかだとわかるし、タコはあの海のタコで、ナンキンというのは関東の人間はあんまり使わないけどかぼちゃのことだよね。それはわかる。でも、なんでこの3つが一緒にくくられているのか、全然ぴんとこなかった。そしたら、「女性が好きな食べ物」なんだって。

 そーでしょーか?

 たしかに、女性はヤキイモが好きだとサザエさんの時代から決まっている。というか決められている。でも、あとの2つタコとかぼちゃは、そっかー? この3つとも私は嫌いじゃないけど、ヤキイモ屋さんが通りかかるとつい財布を握りしめるタイプでもない。というか、ほとんど食べない。どちらかといえば、ジャガイモの方が好きである。タコは好きだけど、まぁ、イカとか、マグロとかと同じくらい。かぼちゃも好きだけど、ほかの野菜のほうが好きかなー。てな具合なんですけど。

 第一、関東ではこういう言い方、しないと思いません? 「巨人・大鵬・目玉焼き」というのはよく聞いたけど、「イモ・タコ・ナンキン」は関西エリア中心の嗜好なのかな。

 そういえば、同居人が昨日、「かりんとう」とともに帰ってきた。職場の人が食べているかりんとうが美味しいので、分けてもらったらしい。私よりよっぽど甘いもん好きである。辛いもんもだけど。
 そのかりんとうが、平べったい! 丸くないのだ! 四角いナッチョスみたい。もちろん色は全然ちがうけど。そして…、美味しい! これはあと引くわ〜。たしかに止まらない。先に袋を閉じないと、絶対、なくなるまで食べてしまう。「渥美菓子舗」というところの「かりん糖」である。おもわず調べたら、

  【到来菓子合戦「甘く見るなよ!」 秋田のうまいもん(その1)】

と紹介されていた。やっぱり止まらないらしい。同居人の職場の方は、当然、秋田出身だった。なるほど。上記サイトの方も心配しているようなので、たまに便乗するくらいにしよう…。


■読了・初小田中本

 今日は週に1度のおつとめ日。というわけで、強風の中、調布へ向かう。電車のお供は、『歴史学ってなんだ?』(小田中直樹著、PHP新書→[bk1amazon])。だいたいは行き帰りの中で読み終わり、家に帰ってから耳はトリビアに傾け、目はこちら(きゃー、ごめんなさい)。

 なんというか、よい本だなぁ。著者自身の疑問や視点からスタートし、ていねいに整理された構成で、「歴史」に迫る。その柱は、「史実を明らかにできるか」「歴史学は社会の役に立つか」「歴史家は何をしているか」の3つ。これが章のタイトルにもなっている。そして、最後に「歴史学の枠組みを考える」。あんまり手の内を知らずに、いろんな人に読んで欲しいなと思う本だった。この日記の読者層を考えると、第1章の第1文を紹介するといいかもしれない。

 「歴史学は、一つの科学です。」

とある。最初は、歴史書と歴史小説の違いの話から入っている。「そして、科学であれば事実を明らかにしなければならないし、また明らかにできるはずですから、歴史学も史実を明らかにするための作法を備えているはずです」と、続いていくのだ。

 現在の私は、歴史に苦手意識がある。でも、高校までは、歴史は得意だった。小学校なんて、ならった日本史ならどこを出されても絶対答えられる自信があった。卒業テストは社会で96点だったかな。当時は、「いろいろな出来事のつながり」を知ることが面白かったのだ。高校以降は覚えることが楽しいわけではなかったが、小学校の頃は覚えることも楽しかった。

 しかし、いまは、はっきり苦手である。だいたい忘れちゃったというのもある。世界史は中学以降ずっと苦手だったというのもある。さらに、一部覚えている習ったことが、だいぶ様変わりしているというとまどいもある。何より、「枠組み」を意識すると、とてもとても重量感が先立ってしまうのだ。少し前に書いた、【断絶優位な事情】なんてのも影響しているかもしれない。
 そういったコンプレックスがある私が読んで、「あ、こんな悩みもバカにしないでもらえる雰囲気」と感じた。その一番のポイントは、今の歴史家たちが言っていることも、「より正しい解釈」を求めているんだと読めたことかな。なんというか、私は、今の歴史家たちが「100%正しいと言っている」というふうに受け止めてしまっていたらしい。そんな気がして息苦しかった。「より正しい」ものをもとめる姿を見せてもらえると、とても気を楽になった。

 でも、それでほっとしていると、自分の限界と、現実の様子と、そして専門家たちの厳しさも相次いでやってくる。そのタイミングがいいし、ピリッとさせ方もうまいので、嫌な感じはしないのだけどね。

 もし一言で言えば、「歴史を考えるときの元気をくれる本」といった感じでした。長いスパンの時間(との付き合い方、みたいなもん)が半年以上ずっと気になっているし、もっとちゃんとまとめたいのだけど、ネタバレしたくないのと、眠いのと、ふわふわしていたいのとで、あいまいな読書のわたし。



04/03/16/tue

■編集ねぇ

 つい、『編集とはどのような仕事なのか 企画発想から人間交際まで』(鷲尾賢也著、トランスビュー→[bk1amazon])を買ってしまった。読んでしまった。この手の本には、仕事柄弱いのである。やっぱり読んで「そうだよねー」「えー、それはムリだぁ」とか共感や違いの発見をしながら、一気に読んでしまう。

 ただし、それはこの本の書き手が、人文・学芸書・ノンフィクションの編集者だから。この著者は、講談社の現代新書編集部が長く、選書メチエを立ち上げた人であり、かつ『現代思想の冒険者たち』や『日本の歴史』の担当者である。私自身は人文系はたまに読むといった程度で、実際にはあまりお付き合いのないところだけれど、「人文」の代わりに「科学」を入れて読めば、僭越ながら、だいたいは同じような畑になるのだ。えー、直接の面識はない方です。

 著者も、編集者の仕事を書いたものは大半が「文芸」とよばれるジャンルの編集者によるものだということに、違和感を感じていたようだ。私もそう。たとえば幻冬舎の見城徹のような文芸畑の編集者が書く内容は、どうもピンとこない。マンガ編集者もしかり。「激しくちがうのね」というのが根っこで感じる正直な印象だった。唯一、影響を受けたというか、感動した本は、『編集者放浪記』(高田宏著、PHP文庫→[bk1amazon])といった感じで、類書がほとんどない。ちなみに、この『編集者放浪記』はリクルート出版から出ていたものがPHP文庫に入ったので、最初からPHPではなかった。bk1では在庫切れの様子なので、アマゾンでも新刊は手に入らないんじゃないかなぁ。高田宏は『エナジー対話』の編集者。対談企画の名手である。

 ざっと『編集とはどのような仕事なのか』を読んで、何カ所かページの片隅を折り曲げた。p.41には、『近代読者の成立』(前田愛著、法政大学出版局)によって「読者が成立しているという事実」とある。夏目漱石が朝日新聞社に入った頃の話である。その前にあったのはもちろん教育制度の改革。文字を読む人が増えたのだ。この事実を発見して、出版ということが成立したんだなぁと、当たり前のことに改めて気づいてみたり。

 「企画の発想法」という章には、一つのテーマからあれこれ考えを広げたり、まとめたり、ずらしたりしていく様子が書かれている。SARSから、ハンドブックに行き着いてみたりしている。そして鷲尾氏が、短いエッセイから1冊の新書を生み出した例が、桜井哲夫の『ことばを失った若者たち』だった(p.72)。こういう話は、「うんうん、うまく決まるとすごく気持ちがいいんだよね」とあれこれ自分の経験を思い出してしまう。う。あれこれというほどの経験はありません。
 にしても、いまやフーコーについての著作で超有名になった桜井氏の初期の本もそうだったのか。このタイトルがなんとなく私の記憶の片隅にある。でも、それがどういう記憶だか、はっきりしない。たぶん10年くらい前に、大学時代の同業友人と話していて出たんじゃないかな。桜井氏のなにかの文章が私はどうもピンとこなくて、そういう話をしていたときに、「キレもんだと思ったけどなー」と先のタイトルを出されたような気がする。

 ほかにも、ついつい同業者の目を気にしてしまう著者(専門家)を一般読者に引き戻す話があったり(p.105)、「『わかった』という読後感を作り出すためには、比喩やたとえ話を駆使するのも有効である」「…著者に少々強引にでも説かれると、読者は安心するものである」(p.121)といったことが書かれていたり、膝ばっかり打っている。

 「わかった気分にさせてもらいたい」というのは、私も著者によくいうかなぁ。「わかった気分」と「わかる」というのはイコールではないことに注意。そりゃ、「わかる」ことが大事である。でも、「わかっている」かどうかも読者は悩んでしまうのだ(それがわかれば、一般読者じゃないもーん)。だから、「わかった気分」も込みじゃないと、不安感が先に立ってしまう。で、往々にして「わかった気分」には、正確な説明だけあればいいってわけではないってことがやっかいなんだな。この辺は、内容や対象によって段階的に判断せざる得ないけど。

 あとなにより、「編集者はそういったコストをつねに意識していないといけない」(p.127)というようなことが繰り返し出てくるのも、好ましい。ページ数が32(とか16とか)の倍数になるように、けっこう苦労するんである。半端なページ立ては定価に跳ね返る。雑誌で122ページとかだったら、「なんて剛毅な…」と絶句するぞ、私は。7折り+8ページ+2ページである。せめて8折り(128ページ)にせーや、もったいない。その分、自社広告入れられるじゃないか。
 編集者は精神論ばかりが語られやすい。だけど、実際は職人的な部分がとても大きい。その一つはコストをちゃんと考えながら、商品に仕上げる能力だろう。雑誌(特に大手。ただし編集長は除く)や新聞しか経験していないと、このコスト的なところは全然わからないことが多い。私もそれほどコストを考えられない方なので、じつは不安。3年でフリー、それも主に書く方になってしまったため、お金の動きの詳細がわかりにくいのだ。出版社によっても、いろいろ経理が違うというのもある。とはいえ、原稿さえあれば本が出来ると思っている新聞記者がどれだけ多いことか。

 とにもかくにも、ケースバイケースの積み重ねでしかない編集作業だけれど、カリスマ編集者の回顧録だけじゃない、こういう本は凡人編集者にとって大事だと思う。もっと実務的なものには、エディターズスクールなんかが出している一連の本がある。でも、それはそれで味気ないんだよね、という私は贅沢か。当たり前のことができなくなってきたといわれる世代の編集者の一人として、エッセイであり、かつ具体的な話が入っているこの本は、楽しくて、参考になった。

 そのせいで、メモのつもりが、長々しちゃったよ。あ、うらやましいのもあるかな。いまやっているのが事典の編集なので、書き手のカラーを存分に出してもらうことはしにくい。あっちではこう書いてあるのに、こっちではこう書いてあるというのがNGだからね。そういうのは使い手が混乱するだけのこと。それに無署名だし…。思いっきり、著者のカラーと遊ぶ仕事がしたくなるなー。


■上記以外の入手本

渋谷知美著『日本の童貞』文春新書
→[bk1amazon] じつはたぶん一度お目にかかったことのある筆者の本。いろいろとつながりがあるもんなのだよね。それより、著者近影が着物姿だったので、驚いた。若い女性で着物の写真って、それだけでなんだか作為を感じてしまうんだよねー。ちなみに、ちゃんとした研究結果をまとめたものなので、書名の印象ほどにはくだけた内容ではないっす。

岡潔著『風蘭』講談社現代新書
これは古本。しかも現代新書の第1回配本に入っている5番目のもので、初版。これが800円だった。保存状態もいいし、安い気がする。ただ、神保町ではみつからず。山口のオンライン古書店【ポラーノ文庫】で見つけた。送料込み1090円。



04/03/15/mon

■ライシテとは無関係

 「ライシテ(非宗教とか政教分離とか)」について知りたくて、あれこれネットで調べていたらドツボにはまり始めた。例のフランスの話である。メインのライシテそのものからどんどん逸脱しちゃう、わがノーミソ。困ったもんである。

 産経新聞の記事をほめているブログがあって、それはそれでいいんだけど、参照されている産経の記事をみたらクレジットに「(共同)」と入っている記事だった。でも、気づかないもんなのねー、とか。これは産経新聞の記者が共同で書いた記事というわけではない。共同通信の配信記事だって意味である。「(ロイター)」とか書いてあるのと一緒。
 共同の記事がまんま使われているかどうかわからないから(クレジットに出す場合はわりとまんまかな? ちなみに共同の国内配信記事は、掲載紙側が書き換えていることも多々ある。それは紙面の都合もあるので仕方がない)、産経オリジナルな部分があるのかもしれないけど、まー、読む方の意識は、ロゴ・オリエンティッドなものになるのも、致し方ない。ロイターならカタカナな分だけまだ意識しやすいけど、カッコ共同じゃ地に紛れてしまうもんだ。

 さらにちなむと、国内配信(国内ニュースの記事配信)についてはクレジットがない場合がけっこう多くて、ウェブでは産経新聞はわりと出して、東京新聞はほとんど出していないとわかる。日経・産経・東京の3つを見比べると、どれが共同の配信記事かは2〜3日もすればすぐにわかるようになるでしょう。私は、日々、同じ共同の記事を別のウェブからコピーストックしてしまい、「チッ、しまった」と舌打ちしているのだ。
 朝毎読は国内配信を受けていないので(海外配信、つまり海外のニュースについては共同から記事を買っている)、これらではわかりません。

 ほかにもあれこれ見ていたら、どこかに論文の書き方があって、「文末は“である”で統一すること」というような教訓が書いてあった。大学の先生方の原稿は、だいたいが「である」で終わる。論文がそうだがら、論文以外でもそうなっちゃうんだろう。
 で、そういう影響だけだと思っていたら、97年ごろ、とある先生から聞かれたことがある。わりとご年配。

 「あの、昔、一つの文章の中に“〜である”と“〜だ”を一緒に使ってはいけないと教わったと思うんですが、もうそういう作法はなくなったんですか?」

 へー、「ですます」と「である」を一緒に使うなというのは私も小学校あたりで習ったけれど、「である」と「だ」も一緒に使っちゃいけないと言われていたのか! 驚いて、当時、目の前に座っていたキャリアの長い校閲さんに聞いてみた。そしたら、

 「あー、それはもう気にしなくていいでしょう」

 という返事が返ってきた。…あれ? 「返事が返ってくる」って、重複表現かな? とりあえずここではまぁいいや(ちなみに日本語では、重複表現すべてがNGというわけではないそーです。その線引きをどう考えるかについて忘れた)。
 つまり、昔は「である」と「だ」は一緒に使っちゃいけなかったってことなんだよね。それを聞いたときは驚いたもんだ。いまは、論文以外で「である」だけの文章や、「だ」だけの文章があったら、かなり下手な文章と思われること請け合い。

 本題のライシテは、ややこしい。ひー。……まぁ、「ひー」とか言ってても、入り口の手前くらいまでしかいかないから、たいしたことはないんだけど。そこから先に広がる、現実と背景の深さと広さを感じてしまう。個人的には「いびつさ」が気になって、反対なのだけど…。結局は、自分のできなさを痛感する場面に直結して、悲しくなる。ぐすん。

 あ、ちょっとだけ注目したいのはフランスのファッション界の反応。いきなり彼らが頑張ってスカーフ・ファッションを流行らせたら、どうなるんでしょ。イスラム教とは関係のないスカーフでも、それで公立学校に行ったら、やっぱり放校処分になってしまうの?



04/03/14/sun

■参照先が少ない映画たち

 お昼ご飯を食べてから見始めたわけで、当然の事ながら眠くなる。でも、ちょっと眠くなると、またすぐにぐいぐいひっぱられちゃって寝かせてもらえないのが『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』だった。やっぱり3時間超。途中で、「えーと、ここの息子があの人?」とか混乱もしてましたが、それでも飽きさせないわけで、すごいわ。ただ、横からは同居人の「すぴー」もたまに聞こえてきた。でも、一瞬寝ては起きてというのがあったくらいで、長い間寝入ってはいなかったようではあった。ま、眠いならしゃーない。

 1に比べて、戦闘シーンが多くて長かったのが、しんどかったかも。ばこばこと人が殺されまくる物語である。昨日みた『天空の城ラピュタ』もそうだったけれど、主人公およびその周辺の重要人物以外があっけなく大量に殺戮されるシーン−−往々にして戦闘シーン−−は、あまり好みじゃないみたいだ。ラピュタはアニメだからまぁ、それほど気にならないけど。
 バイオレンスっぽいのはアメリカで公開するときにいろいろ規制がかかるんだよね。この『ロード・オブ・ザ・リング』はどうだったんだろ。アカデミー賞をばかすか取っているくらいだから、けっこうヒットして見られているんだよね。R13とかなのかな…。『バトルロワイヤル』がダメでこっちがOKになるのが、ちょいと不満。

 それにしても、ラピュタや指輪を見ると、やっぱり自分の「見てなさ」「読んでなさ」に嫌気がさす。『ガリバー旅行記』が子供向けの物語じゃないとちゃんと知ったのは、加藤尚武の『現代倫理学入門』かなんかを読んだときだった。たしかNHK出版のやつ。その話を、当時、大阪と東京で別れて住んでいた同居人と電話で話したら、同居人はすでに読んでいたか、さっさと買って読んだかで、先に進まれてしまった。文明批判の書だったなんて。
 すぐに読めばよかったんだけれど、そのころ、富山太佳夫がガリバーを訳すという話をなんかで読んで、「よし、それで読もう!」と思ってしまったのが間違い。岩波書店から『「ガリバー旅行記」を読む』という本が出たっきり。私は待っているのです。待っているうちに8年くらい経ってしまったじゃないか。諦めて中野訳で読むんだった…。今もこの部屋にあるのに…。

 指輪を見ても、RPG以外参照先がない自分に、「ああ、ああ」と悲しさが募る。とりあえずは楽しんでますけどね、初ファンタジー体験だから。

 ちなみに、昨日、ケンタッキーフライドチキンの前を通りかかったら、同居人が「あ!」と小さい声で叫んだ。数量限定で『イノセンス』の宣伝DVDがついたセットを売っているのだ。
 ご飯を食べに行く前だというのに、吸い込まれるように入ってしまいましたよ。ツインロールとかいって、要はタコス2本とフライドポテトのセット。中途半端にお腹がふくれて、食事までに間をおかなければならなくなってしまったのことよ。日テレにあるスクリーンで6分間の予告編をみてしまった同居人が、そのDVDをどうしてもほしかったんだから、タコスも2本食べてもらえばよかった。

 そのタコスは消化すればいい。この『イノセンス』を見終わってからも、「ああ、ああ」と自分の参照先の少なさに悲しむんだろうなぁ。底のぬけたバケツ(=私)に水をくみ入れる作業をしているようで、ちょっとむなしくなる瞬間。

 あ、そうだ。昨日借りてきたのは『Ghost in the shell』じゃなくて、『天使のたまご』だった。『Ghost in the shell』は全部貸し出し中だったのだ。4本借りると2週間で1000円と割安になるサービスが続いていたので、残りの1本は、『ブギーナイツ』。ふふふ。これも参照先が少ないぞ、わし。洋モノは好きじゃないんでねぇ、とか言ってみたりして。



04/03/13/sat

■小ネタ

 「見ろ、人がゴミのようだ」は、『天空の城ラピュタ』の中で出てくるセリフだったのだとわかってうれしい、3月13日土曜日の夜。2ちゃんのスレでしか知らなかったのです。はい。ムスカなる人がいうセリフだったのかぁ。アスキーアートの雰囲気から、なんとなくガンダムにでも出てくるセリフかなと想像していた。

 そして、ロシアが人工衛星を使って広告をするというアイディアだかなんだかを出したというニュースを読んで、心の中でつっこんだ。

  「曇っていたら見えない広告なのねー」

 そういう広告にお金を出すスポンサーは、「スポンサーである」ということがすでに広告だと判断するんだろうね。

 そういえば、最近、火星はどこにいらっしゃるんでしょ? 星のことにどうも関心が向かない私は、東京でも冬場には星がけっこう見えるようになってしまい、どれがどれやらさっぱりわからない。

 どうにかこうにか『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』を借りてこられた。これまたレンタル屋さんで唯一のもの。あとは全部空箱ばっかり。なかなか巡り会えなくてさ。ついでに復習用『ゴースト・イン・ザ・シェル』も借りてきた。ビデオだけどいいや。さっさと見て劇場にいかねば。



04/03/11/thu

■なつかしい吉祥寺

 どうやら風邪は治りかかっているらしい。でも、そのせいで、鼻水が頑固な状態になり、夜寝ていると、いきなり息ができない自分に気づかされ、何度も目が覚める。完全にクチ呼吸ならまだしもたまに鼻呼吸はしているらしいので、息をすった勢いでつい、かたい鼻水が鼻の奥でふたをする。それは、ほとんど喉の上といったあたりなので、言ってしまえば痰がからんだような状態。息ができずに一瞬だけ目を白黒させるのが繰り返される夜だった。はー、疲れる。まぁ、この状態は治りかけ時期特有の症状でもあるので、受け入れるしかない。

 今日は、最近メル友(古語?)になったNさんの奥様Aさんと、吉祥寺でランチに出かけた。午前中に外に出てみたら、ものすごい風でJRの駅まで歩こうと思っていた気持ちはさっさと萎えた。地下鉄からJRに乗り継いで行ったら、約束の時間よりかなり早くついてしまった。

 Aさんも早めにおいでで、早速、吉祥寺のインド料理といえば最初に名前があがる店「かるだもん」に向かう。とはいえ、「かるだもん」は店の名前がかわり、現在は「ムーンタージ」という名前でやっている。
 店の作りとかは前と同じなのだけれど、少し寂しいかな。スペシャルランチは、ダル、野菜、エビの3種類のカレーにサラダと、インド風サツマアゲに、ナンとライス、さらには飲み物がついて980円と、とってもお安い。いや、吉祥寺という場所を考えるとそうでもないか。ここに来たのは10年ぶりくらいなので、味がどうこうはすっかり記憶の彼方。ただ、私の初サグ・パニール(ほうれん草とチーズのカレー)体験は、ここだったのだ。しみじみ。あのころは、まだ辛いのが苦手だったよな。ラッシーは塩ラッシーにしてもらえて、満足。

 いろいろお話しして、店を出てからは、私のなつかし巡りにお付き合いいただいた。吉祥寺自体、何年ぶりだろう。8年ぶりくらいかなぁ。ムーンタージがある、井の頭公園に下りる道は、いろんな新しい店が出来ていた。ソーセージの店があるというのを編集部で聞いていたので、その様子を確認したり。変わらないのは「いせや」かな。

 そこから、井の頭通りにもどり、吉祥寺通り(だったはず。南北の通り)を渡って、東急裏方面へ。ここもガラガラと様子が変わっている。歩いていると、ふと匂いに気づいて目をやった先にあるのは、量り売り石けんの「LUSH」だった。こ、こんなところにもできていたのね。さらに西に向かい、カントリーロード(だったはず)を入って、「まめ蔵」という吉祥寺の有名カレーライス店をお知らせして、北上。そこから少し東に戻って、多奈加亭やら、武蔵野文庫やらの前を通り、東急の北側の通りへでる。ここを西に行くと、少し前からよくテレビに出ている「ソイビーン・ファーム」があった。お味噌屋さん。「ミソスープハウス」ということでもあって、定食なんかは食べられたはず。これを見つけた大学時代は、えらく驚き、かつその雰囲気にしびれたなぁ。

 さらに西に行くと、新しい店がガンガン出来ていて、本来の目的地があるのか不安になる。あ、あった、と喜んだが、定休日。「Sheep Meadow」という草木染めの毛糸を売っているお店で、ここで何かいい色があれば、また編み物をしたいなーと思っていたのだ。残念。まぁ、また吉祥寺に行く機会ができたということにしておこう。

 昔は、シープメドウの向かいにあった南欧料理の「ル・ボン・ヴィボン」は、少し東に移転していて、いまは木のお店。1枚板のテーブルとかが売られている。その並びの「4ひきのねこ」というお花屋さんはいまもあった。学生時代にふんぱつして入ったボン・ヴィボンは、ほんっと美味しいと思ったなぁ。その後も美味しいけど、まだいろいろ食べ歩いていないころだったわけで、初々しかった私はえらく感激した。そのころのシェフもかっこよかったし。一緒に行った当時の男は、「くーっ、負けた」と嘆いていた。

 ここがいい理由のひとつに、夜12時までやっているってことも加えないといけない。池袋のシェ・キーボゥとはシェフが同じところで修行していたとか、そういう関係らしいけど、両方とも夜12時までしっかり食べられる店なのだ。芝居がはねた後に、しっかりちゃんと食べられる店というのは貴重だもんね。

 Aさんに、ここはこうでとかいろいろ聞いてもらいながら、武蔵野文庫に戻り、コーヒーなどを井伏鱒二の書の前ですする。ああ、とても楽しくて、かつなつかしい時間をすごさせてもらった。ちなみに、帰りがけに通った駅前のごちゃごちゃしたあたりでは、ステーキのサトウ(お肉屋さん)に行列が出来てました。あれ、なんの行列なんだっけ。人気店ではあったけど、あんな行列は前はなかったなぁ。BSEもどこ吹く風の、よい光景でした。

 吉祥寺は平日に行くに限る。戻ってきてからは、お仕事〜。



04/03/10/wed

■わわわ

 週に1回&月に1回のダブル会議で編集部へ上がって、帰ってきたら、さすがに喉がやや痛い。どうしても家にいるときより声を出すし、人混みの中を調布くんだりに行かなければならないわけで、喉にいいわきゃないよな。

 行きの電車は、昨日もらった原田三夫のコピーなどをつらつらと読んだ。昨日の話でも出たけれど、単純な「進歩史観」(別名・ホイッグ史観)をベースに書けるというのは、楽そうで、ある意味うらやましい。アインシュタインの翻訳などを手がけた石原純にもそういう傾向があったが、西洋礼賛、進歩はいいこと的なノリが唯一の正しい有り様という雰囲気はどうしてもある。時代的にもそういうムードが主流だったんだろうなぁ。

 彼らの時代においては、「知識」は今とは比較にならないほどに絶対的なものだったにちがいない。

 ……そういえば、一昨日あたりTBSの夕方のニュースを見ていたら、おののいた場面があった。家賃滞納者を訪ねて回収する会社の女性がメインで登場する。彼女が大家さんからカギを借りて入った部屋は、どうやら借りていた男性が夜逃げをした後らしかった。それはいいのだけれど、女性が一時期この部屋にいっしょにいたようでもある。監禁? いや、調教? 残されていたものが、なんかそんな感じだった。
 そこに残されていた女性の手紙が映されて、私は、そこが抜け殻で、アザだらけの女性の写真があったということ以上に愕然とさせられたのだ。目にとまった手紙の一部に、こうあった。

 「……あなたわ……」

 けっこう多くの人が「こんにちは」ではなく、「こんにちわ」と書くことは知っている。高学歴という人でもたまにいる。ただ、「私は」や「学校は」といったところの助詞の「は」を「わ」と書くケースは身の回りにはいなかった。マンガの吹き出しで“狙って”、「〜〜でわ?!」といったような書き文字を見ることはあったけれど、それは意識的なものだとわかる表現の一部だった。ふつうの手紙に、「あなたわ」と発音に忠実な表記をするケースには、「そっか…」と思わせられた。

 もちろん音を忠実に表すのが悪いわけではない。ただ、ある程度の制度は言語には必要。そして、ここで目にしたのは言文一致の実験ではないわけで、けっこうくるものがある。いまの日本で識字率が問題になったことはほとんどないけれど、その識字率っていったいどういう意味なんだろうな、とも思った。まぁ、読めればいいのではあるが……。

 ニュースの主旨とは全然関係ないところで、一人、唸っておりました。そして、いまついでにぐぐってみたら、なかなかおもしろいサイトを見つけたのでリンク・メモ。

 【『こんにちわ』撲滅委員会】

 やっぱ、気にしていた人、いたのねぇ。

 ちなみに、今日の帰り電車内では、帰路に買い込んだ【『噂の真相』休刊号】をパラパラとめくっていた。えー、電車内でウワシンをぼーっと読んでいると、読んでいるページの隣がエロ広告だったりして、スポーツ新聞や夕刊紙を買って読んでいたら裏側がエロページで白い目で見られるおじさんと似たような感覚を味わえてよいです。

 ウワシン25年のうち、私は14年くらい、同居人は学生時代からだから20年以上、買い続けてきた雑誌なわけで、なくなるのはやっぱり寂しい。そういえばいろんな雑誌があったなぁ。『新雑誌X』とか、懐かしい名前が今日の夕飯のお供でした。
 まぁ、この雑誌に名前が出ないですんでよかったということにしておこう。知り合いたちは、いろいろご登場になっていた。あんまりやばいのはないけど。とすると、私のように、出ない程度の知名度ということが問題か?! えー、では、書いたことはあるか? 私はないでーす。同居人も原稿はないでーす。せいぜいは、彼が書いたのとよく似たのが出たくらいかな。読んでいたらあんまりにも似ている記事があって、「そっくりだよ〜」って言ったなぁ。いろいろ懐かしいものである。ま、25日に最後の別冊が出るみたいだから、それがほんとの休刊号っぽいけど。



04/03/09/tue

■放物線の噴水in梅田

 どうやら花粉症ではなく、風邪だったようだ…。まだはっきりしないけど、昨日、確定申告の届けを出したり、地裁にちらりと行ったり、ちょっとだけ外に出たものの、それが原因でくしゃみや鼻水が出たということはなかったから。甘いかしら。あんまり外に出ないですむ生活をしているので、いまいちわからない。家はかなりの密閉環境だし。

 だいぶ体調もよくなってきたのだけれど、昨日、右手の人差し指の爪をひっかけてしまって、やたらと短くなった。そしたら、キーボードが打ちにくいのなんの。妙に指先がキーボードに当たるのがイヤで仕方ない。そのせいというわけでもないけれど、昨日、今日とキーボードを離れて、図版作業に貼り付いている。あれこれ図を考えるのは楽しい。けれど、慣れている紙媒体との違いがまだしっくりこなくて、そのあたりが不安でもある。サイズとか線とか色とか、ちょっとしたことで印象が大きく変わるのが図なのでねぇ。

 そういう図の下書き整理なぞをしながら、ふと思い出したことがある。

 それは、大阪・梅田にある地下街の噴水。【阪急三番街】の地下2階だろうと思う。この噴水を見つけたときは、「中学三年生はみんなここに見学に来るべきだ」と思った。だって、水が見事な放物線を描いている噴水なのだよ。2次関数を習ったら、阪急三番街の噴水へgo。

 どこの噴水もそんなもんだと思われるかもしれない。いんや、ちがう。よその噴水は、いっぱい水が出ている。出すぎている。だから、放物線を意識しにくい。
 だけど、ここの噴水は、長さにして50センチくらいのひも状になった水が、ひゅんひゅんと飛んでいくのである。あちこちから、ランダムに出てくるけれど、それだけ。ものが動く軌跡とか、運動の様子とかを、妙に実感できる噴水なのだ。

 というわけで、私はこの噴水の前に行くと、ついへばりついて見てしまう。たいていは同居人が呆れて、置いていかれそうになる。それくらい噴水をみてワクワクした。だれか、あの噴水の写真を撮ってくれないかなぁ。
 大阪以外の方は、大阪に行かれたらぜひ一度見てほしいな。阪急のこのあたりのネーミングは、東京の人間にはわけわからんけど。地下3階まであるから三番街なんだって。ちなみに17階の建物は、17番街だったかな。それ間違ってるよ、絶対。


■カニおさめ

 夜は、チャイナハウスで、Fさんの博士(予定)祝いをかねて、今年最後の上海ガニを食しつつ、【植木不等式さん】、Wさん、Nさん、Sさんといつものメンツで、【『子供の科学』】創刊編集長の原田三夫の書いたものを読んでは食べ、食べては語り、語っては食べ、食べては飲み、飲んでは脱線話に花をさかせてみた。食ったぁ。うまかったぁ。Fさんの前には、カニさんの亡骸が山となっていた。前回同様、いつみてもカニさんをしゃぶるFさんの満足そうな顔。見られてよかった。

 寺田寅彦や中谷宇吉郎らからは嫌われていたらしい原田三夫のようだが、やはり商売として成立する科学読み物雑誌を作り出した功績は大きい。「理学士原田三夫先生」の書き下ろしシリーズなんてのもガンガン出ていたようで、「学士」様がえらかった時代なんだなぁと感慨ぶかくもある。ちなみに、一時期は同盟通信に所属していたようだ。今でいえば、共同通信か時事通信である。同盟通信は戦後、共同と時事と電通に別れたのだが、広告の電通というのはちょっとちがうだろうから、時事か共同かってところ。

 なんというか、拾い読みした原田三夫が書くものは、専門家が嫌う擬人化がけっこうそここにある。とくにタイトルまわりや見出しに多いかな。「風や水にやっかいになる花」というのは、もちろん「風媒花」について書いた文章のタイトル。文章も読み手を熱くさせる雰囲気がある。中谷あたりは「通俗」と切って捨てていたみたいだけれど、入り口としてこういう書き手がいることはそれほど悪いことには思えない。まぁ、立場上、どうしても自己弁護みたいなもんだけどねぇ。

 いまはほとんど手に入りにくい原田三夫の著作を一部コピーでもらえた。とりあえずは、今日、カニさんをしゃぶりながら眺めたところ以外を読んでみよう。旧かながけっこうつらいけど、こればっかりはしょーがない。



04/03/07/sun

■病の館

 あんまりつらいからDVDでも見てさっくり寝ようというはずだったのに、妙に長くて、かつ出来損ないとしか思えない『in the bedroom』で失敗した昨夜。二人して、風邪だか花粉症だかわからん症状に悩んでいる体調最悪家庭なので、いろいろとトチ狂っている。
 結局、お風呂に入って出てきたら2時くらいになってて、慌てて寝るものの、途中3回くらい起きたし…。ふー。くるしー。というわけで、今朝は9時頃起きる。喉は痛いし、鼻は出るし、同居人の腰痛&私の月例嵐という状況は変わらない。
 仕事をして、疲れたから昼寝して、今度は確定申告の計算しているうちに、頭もガンガンしてきた。買い物にいって帰ってきた同居人は、咳もたまに復活している。病の館だな、ここは。それでもどうにかして確定申告を終わらせる。今年は還付金がどうなるか不安だったが、どうにか大丈夫そう。ほっ。途中転記ミスがあったけど、22円だからいいや(1の位と10の位を逆に書いた)。それに向こうが損するわけじゃなくて、こっちの損だから、文句も言ってこないでしょう。もうなんでもいいや。とーし。

 二人して同時に花粉症発症ということもなかろう。たぶん。いくら13年も一緒にいるからって、そこまで体質は似てこないよね。きっと二人で風邪をひきこんだじゃないかな。一緒に家にいればうつるのもしかたないし。お昼ご飯は同居人が買ってきたお弁当で、夕ご飯は冷凍庫にあったうどんに生姜をちらして喉対策をとるという、元気のなさ満点の食事を食べるくらいしかできなくなっている。

 頭いたいっす。ダメっす。多少熱っぽいものの、いわゆる発熱はたぶんないから、どうも寝込みにくいし、つらいっす。病人が二人いると、気分的にもどんどん悪化してまうよぉ。とりあえず頭痛もあるので、薬を『ストナ ジェルサイナス』に切り替えてみる。これ、眠くなるし、ぺったりした汗をかくんだよね。ま、しゃーない。



04/03/06/sat

■さんらー

 朝からのどが痛い。そして顔やら頭やらかゆい。さらには腹も痛い。もちろん、頭も重い。くしゃみも出る。鼻水も出る。とりあえずホカロンを貼り、エキセドリンは飲んでおく。気持ちも思いっきり後ろ向き。むきー。……ムキー。←のだめちゃんのマネ
 風邪なのか、生理痛なのか、認めたくないアレなのか、わけわからん。ついでに目もかいいぃ。最悪。明日いっぱいの仕事だけは終わらせた。でもあれもこれもやりたいのにできない。何よりまだ確定申告の準備がおわらん。計算はだいたいしたんだけど、全然書けてないよぉ。

 それでも、つい食べたくなって、最近マイブームの酸辣麺を食べにゆく。いちばんのお気に入りは、東大赤門前の【瀬佐味亭】。ここのさっぱり感は最高。麺もかためでよい。ひたすらゴマの担々麺もまぁよいけれど、私はサンラー派。トンコツ系に食傷気味のあなたもどーぞ。

 そして、夜はくっさめ、くっさめ、くっさめ。ちゃんと眠れるかなぁ。



04/03/05/fri

■スカーフ発、ブログ経由、鳥インフルエンザ系メディアゲーム着

 あー、フランスのスカーフ禁止法案が成立してしまったよ。担当している仕事にひっかかるので、個人的にやっかい。対イスラムということだけではなく、これまでにフランスがとってきた(とろうとしてきた)国や社会をどう組み立てるかという背景もあるわけで、それを考えないわけにもいかない。一方で、「公立学校で宗教的な印をあからさまに出してはいけない」というのが本来の法律だとしても、洋服の中に隠れるキリスト教の十字架はOKとなって、一見してわかるイスラム女性のスカーフだけが実質的には対象となるといういびつさもある。排除を感じざるをえない。事実、「スカーフ禁止法案」という俗称が通用してしまっているわけだしねぇ。フランスのたとえばル・モンドでどういうふうに書かれているかわからないから、単に極東の国の俗称にまで文句を言ってないだけかも知れないけど。
 にしても、ゲームはルールがあるからゲームなわけでしてぇ。とか思ってしまう。……ルールがないままに、がんばっても120年しか生きられない寿命でゲームをするのはみんなたいへん。この場合は宗教ゲーム? いや政治ゲームか?

 ……と、フランスの新聞のウェブでも見てみようと思って同居人のサイトのリンク集からたどろうとして驚いた。そっか。もう移転を始めていたのね。彼が長年お世話になってきたプロバイダーが事業を取りやめちゃうんだそうだ。3月から4月にかけては、リアルだけじゃなくて、ネットも引っ越し時期なのか?? そういえば、私のopreaの旧バージョンでjavaだの、cookieだのをバッサリ切っていると、見られないサイトが続出中。現在、エホンバタケは左側部分が単なる大きくて緑色の四角になっている。ほかのところはふつうに見られるんだけど。あと難儀日記はクリックしてもただの灰色だけがペタッと広がる。バックナンバーはふつうに読めるんだけど。いろいろ不思議だ。ほかには新しいburuさんちが見えなくなった。こっちは移転先をクリックしても、例のmovedってやつになっちゃう。不思議。そして、いずれもjavaとcookieを入れているmozillaで見るとちゃんと見られましたです。というわけで、ブラウズ環境のなせる事態だというのはわかっているんだけど、うーむ。

 ちなみに、同居人の方はブログまで……。うひゃー、1週間も知らなかったよ。コミュニケーションが取れていない関係ってことか?! というわけで、同居人がココロガーになっていました。移転が完了したら、こっちのリンクも変えよう。

 この同居人のブログに刺激されてか、いろんなところを見て回る。それで感じていることが少しはっきりした。
 ここのところの鳥インフルエンザのニワトリ大量感染の様子をフォローしていると、ニトワリさんのご不幸がなんともいえない。浅田農産の対応は、雪印が細菌の繁殖したローファットミルクで大量食中毒事件をおこしたときの対応みたいで、ひどいし。大分ではペットのチャボがたったヒト桁死んだだけで報告までしていたのが直前にあってなお、ああかと思うと、刑事告発も当然だろうと思う。近隣の養鶏場からは損害賠償もおこされるんじゃないだろうか。

 んで、もう一歩踏み込むと、つらつらと見て回るネットでの意見の中にいくつも、「ほんとにほしい情報がない」「だいじなことが報道されない」というのがある。まぁ、そう感じるのはそうなんだろうけれど、これは少し違和感もある。「だれにとって」という視点が、固定化されすぎているんじゃないだろうか。ニワトリは新聞だのテレビだのを見ないので、人に固定化はさせて。

 ニワトリでの感染発生は、半径50キロくらいで都市生活を送る人の大半には、感染の危険という意味での直接的なつながりはないことだと思う。私自身、「あ〜、出たのね」といったくらいだ。でも、養鶏業や鶏肉・鶏卵の流通や、外食産業、スーパーなどの関係者には、時々刻々の判断がせまられる必要な情報の可能性もある。行政や業界の連絡のみが、関係者内で伝達されればいいというものでもないだろう。
 同じように、海外での人への感染例のニュースは、たとえば旅行業関係者にとっては大きな問題になる。下手すりゃ、渡航自粛勧告とかでちゃうし。でも、飛行機嫌いだし、海外にしょっちゅう行くわけでもない私にはやっぱり、「あ〜、出たのね」なものではあるけれど。まぁ、せいぜいが「人−人感染がはじまったら、たいへんだろうな。しかたないけど」という関心である。

 そして、こういう情報は、単に事実関係を出すだけのストレートニュースという類になる。量的(本数)には分析記事やまとめ記事、解説記事の何倍もある。必然的に目につきやすい。でも、大半の都市生活者にとっては、「鶏肉や卵は危険なのっ?」「人間にもうつるのっ?」「どしたら防げるのっ?」が焦眉なわけで、ほしい情報・あるべき情報がない(もしくは少ない)ってことになってしまうだろう。まとめ記事的なものには書いてあるんだけど、目にする頻度はストレートニュースより少ないからなぁ。1回じゃ定着しないだろうから、もちろん何回も出さないといけないもんだろう。
 じゃあ、個々のストレートニュースを出すたびに、「ウイルスは熱に弱いため、加熱処理すれば問題はなく、食品から人にはうつらない。まだ人から人への感染はなく、鳥から人へうつるケースは限られている。うがい・手洗いで感染リスクが下がる」ということをくっつければいいのだろうか。というと、そういうわけでもないよな、と思う。毎回おなじことを出すことによる弊害(スペースは限られている)だってあるわけだし。

 要はバランスなんだろうけれど、その評価が人によって大きく違うっていうのが難しいところなんだろうな。同じことを繰り返し書くと、それはそれで「うるさい」となることもあるよね。で、自分の評価と量や内容がずれていると、当然、「なんかおかしい」というアンテナがはたらくもんだ。さらに、基本的には、自分が読みたいことしか読まないもんだ(だからといって、それが悪いというわけじゃない)。私個人で言えば今のバランスでも、「テレビのニュースでも新聞でも、そう言ってたし、書いてあったじゃん」だもんな。ちなみに、これが特殊事例だという自覚もありますです。

 さて。個人レベルの情報や意見はさておくとして、マスのレベルでは、送り手側はこういうことをどうやって考えてきたんだろう。そして、どうやって判断していくべきなんだろう。……ルールがないままにゲームをするのはみんなたいへん。これはメディアゲーム? この項つづけられる地頭なし。



04/03/03/wed

■ついについに…??

 昨日、洗い物をしていたら、ポタッと透明な液体が落ちた。「あれ〜、ヨダレたらしちゃったかな」と口元を触ったが、とくにそういうわけではなかった。「むむ?」と、鼻に手をやると、ぬれている。私、自覚もないままに、鼻水たらしてました。まるで水みたいにサラサラしてやんの。その後、くしゃみを何回かして、鼻水もポタポタしてきた。で、「風邪かな?」と思いつつ、とりあえず鼻水用の薬を飲んでみた。ストナなので、よく効く。そのままことなきをえた。

 今日も、とりたててふつうだった。会議に行って、家に帰るまでは。帰宅途中の道の上あたりから、ちょっと鼻が気にはなっていた。そして、帰宅後はくっさめ。くっさめ。くっさめ。ご飯を食べたら、だいぶよくなったけど、どうにも鼻水系。……ちなみに、喉も痛くない。頭はちょっと痛い。でもこれはたぶんPMS。熱はよくわからない…。体温調節機能がおばかな時期ではある。
 ……これって、やっぱり、ついに? でも、素人には風邪なのか区別がつかん。

 去年までは大丈夫だったんだけどなぁ。いつ来るかわからないもんだからなぁ。気にしてると、ほんとになりそうだから、とりあえず忘れてみよう。PMSとか、最近、そういえば空気清浄機がアレルゲンやニオイじゃなくて、ホコリを多めに示すようになったくらいだから、部屋の掃除が足りないだけとか、そういうことかもしれないし。うん、そういうことにしておこう。

 現代人にならなくていいです。古代人と呼ばれたら、喜んでお返事しますから〜。なにとぞぉ。


■「が」

 ここ1年くらい、思っていることがある。「並列の“が”を多用する人は、日本語が下手」。

 文末というのはエネルギーがいるもんなんである。たとえそれが「〜である」や「〜だった」の羅列であろうとも。その文末にかかるエネルギーを省略しちゃうのが、「並列の“が”」だ。文章を終わらせないでいいというのは、絶大なる省エネになる。
 そんなところで省エネしなくてもいいのに。まぁ、そういう省エネをしないと文章が書けないってこと自体、下手を証明しているってことだろう。

 一般的には、接続の「が」は逆接で使われることが多い。多くの人がもっている印象や第一義としては、逆接がくるだろう。
 もちろん、並列が一切ダメというわけではない。必然的に使わなければならない場合もある。だが、並列の意味で「が」を多用する人は、基本的に省エネ路線。これは読み手にダラダラした印象を与えるだけなのだ。うまくダラダラさせる高等テクニックは、ふつうの原稿では使いにくいのでここでは却下。日記や独特のエッセイではない、比較的プレーンな場合を想定してくださいまし。

 ということを、半年くらい前から、同居人には言っていた。で、昨日、その最たる実例を、(最近出演頻度があがっている)【医学都市伝説】の日記04年3月1日分【書類仕事】で発見した。それは裁判の判決文。たしかにそうだ。意地になっているかと思うほどに(事実、意地か?)、文章を切らない。必然的に「並列の“が”」が増える。
 文章読本などで「悪文」の筆頭にあげられるのが、この判決文だというのは、きっと異存ないでしょう。このことからも「並列の“が”を多用する人は、日本語が下手」という命題の補強になるぞ。ちなみに、裁判の判決を伝える新聞記事も、悪文の典型と言われている。とりあえず最初の一文に全要素を詰め込む定型になっているかららしいんだけど。

 まぁ、判決文でもないかぎり、文末省エネはしないのが、とりあえずの解決策でしょうか。



04/03/01/mon

■イチゴの思い出

 ああ、3月に入ってしまった。確定申告しないとぉぉぉぉ。めんどうだよぉぉぉ。足し算と引き算だけなんだけどさぁぁぁ。

 昨日から、同居人がたぶん風邪を引いている。タテになっていると咳がとまらない。というわけで、夕方、いきなり帰ってきた。早引け。予告もなくゴソゴソッと玄関で音がしたので、驚いてしまったよ。
 で、買い物に出たときにイチゴを買ってみた。イチゴのパックをカゴに入れながら、大人になって我が世の春と思う瞬間は、イチゴをいっぺんに6粒以上食べられるときだなぁとしみじみした。子供の頃は、4人家族だとどんなに多くても1人5粒。大学時代に一人暮らしして、安いイチゴを一人で買って全部食べられたときは、なんか悪いことをしているような気にすらなった。たまに2パックでいくらと安くなっているときには、王様気分だった。安上がりな王様。

 今日は1パックに14粒入っていた。2人で分けると、1人7粒。最近のはどれも大粒だし、けっこう満足である。それでも「もうない〜」とわめく、同居人は、子供の頃親戚にイチゴ農家がいて、ビニールハウスの中でなっているイチゴをつまみながら食べたという。そんな、豪勢な生い立ちだったなんて。だから、大きな7粒でも文句をいう大人になってしまうのだね。ああ、嘆かわしい。

 ちなみに、少し前にイチゴを買ったとき、ふと思い出して久々にイチゴミルクにして食べてみた。少しお砂糖をかけて、スプーンでイチゴをつぶして、牛乳をかけるあれである。これだとイチゴをチビチビ食べられるし、イチゴ本体がなくなっても牛乳をつぎ足して、長い間イチゴミルクを楽しめる。そしたら、同居人が目をむいて怒った。「そんな不埒な食べ方があるか」と。イチゴミルクなら練乳がけにしろというのだ。それとこれとは別物。こうやって食べたことがなかったらしい。
 これって、東日本独自の食べ方? それとも鈴木家オリジナル? でも、昔、イチゴの型どりみたいなのがしてあるスプーンがあった。特注ではない。スプーンが丸くなくて、底のところが平らになっている。そこがイチゴっぽくつぶつぶ模様になっていて、イチゴが滑らずつぶせる。そんなもんがあるくらいなんだから、わりと一般的な食べ方なんじゃないのだろうか。みなさん、どうですか?

 今日も、つぶしてみた。やっぱり同居人は不本意そうな顔をしていた。


■入手本

北尾トロ著『裁判長!ここは懲役4年でどうすか 100の空論より一度のナマ傍聴』鉄人社
→[bk1amazon] 【スタジオ・ポットのサイト】で、【欠歯生活】を連載している(といっても止まっていて悲しい)、私の心の歯友・北尾トロ氏が書く傍聴記。お取り寄せに落ちていたときだったから、注文してから届くのに時間がかかってしまった。そういえば、裁判員制度の話が動いているんだった。でもたしかに傍聴すらしたことない人がこの社会の9割以上だろうなぁ。もちっと低いか。いや、そんなもんかな。私の場合、周囲に記者さんとかが多いからサンプルが偏っている。私もそれほど傍聴をしている方ではない。刑事は、せいぜい売防法がらみで3回くらい、殺人で1回、あとは民事の医療関係を1件ずっとフォローしているだけ。そういえば、訴訟番号を調べて、日時を確認するのもやっかいだったなぁ。裁判は公開だけど、アクセスしやすいわけじゃない。それこそ弁護士に教えてもらってとかじゃないと、日程すらなかなかわからない。でも、この本には「傍聴の極意」もついている。前に地裁に行ったとき、「ああ、きっとこの人たちね」という感じの傍聴ベテランさんたちがいた。その人たちによる座談会も収録されている。こ、こゆい…。拾い読みし始めると止まらなくなるタイプの本なんだよなぁ。ええい、読んじゃえ。
 ま、でも、何回かは刑事・民事ともに傍聴してみるといいですよ、ほんと。民事は本人訴訟のなんてのもあるし、いろいろ。なんというか、子供ケンカをまじめにやっているようなのも多い。「言った」「言わない」とか、「何時何分何曜日?」的なノリもそこここに。




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