|
2004年06月のてくてく
|
04/06/30/wed
■お手伝い
ほんとうは週に1度のおつとめ日で、調布へ行くはずだったが、テンパっている方々が多く会議はキャンセル。少し息をつく。
私自身のピークは過ぎ去っているのだが、当然のごとく、細々した確認事項はうちの床につもるホコリのように降ってくる。仕方があるまい。新規に100項目一気に動かし、900点の図版関連を投げ出しているのだから、なかなか完全な終わりはやってきません。
そういえば、この仕事をやるようになったことが、少し役に立った。今日は同居人のゼミ発表日だったのだが、課題論文のご高齢著者の現在の所属がはっきりしないというのだ。その悩み、よっくわかります。そもそも生きているか、死んでいるかも、よっぽどメジャーな人じゃないとわかりにくかったりする。
たとえば、フィールズ賞受賞者の一覧確認したときは、泣きそうでしたよ。フィールズ賞は40歳未満が不文律だから、けっこう前の受賞者も生きてたりするし。しかも、数学は生まれたところと、現在地が乖離しやすいんだ、ほんと。そういうクラスの研究者の場合、たいていは途中か最後にプリンストンをはさまるんだけど、そのままプリンストンにいるのかどうかとかって、けっこうやっかい。
……英語苦手だけど、英語だったらほんと楽だと思うよ。フランス語やドイツ語だと、所属確認ひとつでもけっこう面倒。
昨日、ちょっとだけスキル発揮したのは、私も同居人もできないドイツ語圏の人情報を調べること。幸いなことに、エンカルタのドイツ語版に人物項目があったから、ある程度の基礎情報はつかめた。でも、もう少し知りたいし、現在の所属はいずれにしろ確認したい。ポイントになりそうな単語をコピーして、人物名と一緒に検索検索ひたすら検索。いざとなったら、【AltaVista】にぶちこんで、ドイツ語→英語をしてしまう。ついでに英語→日本語をすると、大笑いして時間があっという間にすぎるので注意。
これも、英語がストレスなく読めればもっと楽なんだよな、と思いつつ、所属大学を探して、そこのスタッフ紹介へ行って確認完了。比較的楽だったけれど、途中で拾った情報が発表内容に少し影響することだったらしく、誉めてもらった。えっへん。
しかし、ネットがなかったら、何もできないに等しい奴だと思う。>自分
それが証拠に、ある図版の作者すら、わからなかった。その手のものはネットだと出にくい。図書館で地道に図録とかを見ていくしかない。もうそういう作業ができない身体になっている気がする。まずいなー。
04/06/29/tue
■南インドの波
最近は、【「ドサ」(白いフカフカしたナンみたいなのに、それほど辛くないソースをつけて食べる、南インドの定番朝食)が登場するが、あれって東京では遭遇したことがないよなあ】なんてことは、なくなりつつありますよ、みやのさん! いまや汐留にもできちゃったアジャンタでも食べられるし、アジャンタ以外のニューフェース南インドレストランでも必ずあります。客の半分以上が在日インド人になりがちな、八重洲のダバインディアなら、もうばっちり。
ここのところの南インドの台頭は、目を見張る。どうしたんだろう。南インドを通り越して、海を渡っちゃったスリランカが海外旅行デビューの私としては、かなり嬉しい。まだ大陸は未体験なので、本場の南インドは知らないけれど、それでもひいきはスリランカと相通ずる南インドだもんね。
もちろん、北インドのこーってり系でも美味しいところはある。大好きだった(けれど今はもうない)大阪のインドレストラン・ジャイプールのシェフは北インドの人だったし。
あー、南インドでラサムスープを飲んでみたい。でも、つい南下しちゃって、スリランカはコロンボにあるゴールフェイスホテルでカシューナッツのカレーとか、キャンディのクイーンズホテルのチキンカレーとか、ベントタ・ビーチの魚カレーとか、食べたいなー。スリランカで必要になったのは、整腸薬ではなく、食べ過ぎたがゆえの胃酸だったもんな。
日本、スリランカ、ハワイ、台湾…。結局、島国根性が抜けない私。初大陸はどこになるのかな。
そういえば、今日、真っ昼間に外に出た。あづがっだ。その暑さの中、「あ、東京は東南アジアになったんだな」と思った。
去年の秋に初めて行った台北は、暑かったし、妙にゴミ臭かった。この前、上野がめっぽう臭くて、台北の臭さを思い出した。今日は、家の近所も一部臭かった。店の前にゴミ箱なんかがあると、臭くなりがち。それで、「東京東南アジア感」がじわっと強まったのだろう。
04/06/27/sun
■ブッシュと慶応のセンセに通じるもの
いろいろなところからリンクされているけれど、やっぱりこれは私のサイトからも貼っておきたい。そう思わせる【町山智浩氏】の、マイケル・ムーアの新作『華氏911』を見た日の日記。
【「華氏911」今、観て来た】
この前後も、ブッシュ批判をしたとたんに圧力がかかりはじめたDJ、ハワード・スターンのこととか、連綿と続いている。少し前には、アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件について【ホワイトトラッシュからの脱出】で、日本にいるとあまりピンとこない「貧乏白人」の現実を伝えてくれている。
町山さんのところは、いまいちばん楽しみで、読めるのがうれしいウェブサイトのひとつ。
そして、もうひとつ。昨晩、某MLで、読売新聞の関西版(大阪本社製作版かな)で、「出生前診断」の連載があったことを知った。
【命は選べるか 出生前診断(2004年6月20〜26日)】
MLでは、「1から順に読んでほしい」という一言が添えられていた。1から読み始めて、すぐ次の「(2)「産めない」水面下の選択」で絶句した。日本産科婦人科学会の記者会見で、着床前診断を独断で行った神戸の産婦人科医を除名処分にした話に関連して、記者が出生前診断で胎児の異常を理由に中絶が行われていることを質問したという。それに対して、会長の野沢志朗・慶応大教授はこう答えたというのだ。
「えっ、そんなことがあるんですか? エビデンス(証拠)を示してもらえますか」
しかも、「大げさに驚いた表情で周囲を見回して」いたという。羊水検査が行われ、その結果、中絶を選ぶ人がいることを、産科婦人科学会の会長がご存じない? まさか。これを母体保護法の「建前」とは言わない。「すっとぼけ」という。慶応病院はどうなんでしょう。羊水検査をしたことがないとでも? その結果は? エビデンス出せますよね。
■マグロじゃないところのトロ
思いっきり、泉谷しげるの気分。♪今日ですべてがおわーるさー、今日ですべてーがおわりー、今日ですべてーがパァになーる、きょうーでーすべてがさよなーらさ〜。……なんにも変わらないし、すべてはじまらない前に、全部終わった。えぐえぐ。
終わったことはしゃーないとはいえ、去年、宝くじ狙いばっかりじゃなくて、もっと真面目にやっとくんだった。「ま、来年、真面目にやろう」なんて考えずに。しみじみ。2回も頑張れるほどに、気力も体力も、そして適性もなかったってことだね。
04/06/25/fri
■不惑な肩
昨日、朝、目が覚めて気が付いたら、右肩が痛かった。ここのところ、背中に手をやると右肩がギシギシする感じがしていたので、やな予感。昨日は、何もしていなくてもどよんと痛みがあった。これって、やっぱり、あの、その、もしかしなくても四十肩? まだ四十じゃないのにとドキドキしていたが、今日の朝は大丈夫だった。だんだん重くなってきたような気がするけど。ムラのある四十肩なのか。四十になるのはいいけど、四十肩はいやん。……あと1年3カ月で四十か。不惑にあこがれちょります。
不惑にあこがれるのは、惑いまくっているから。今朝も、どうでもいいことでオタオタ惑ってしまった。ケリを付けそびれた自分にいきなり遭遇してしまって、その事実に惑っている自分にまた惑うという。あほやねー。次いこ、次。
肩は、ここのところのキーボードやマウスによる疲れも出てきたのかもしれない。久々にテープ起こしもしたし。【ゲーム肩】でヒーヒー言っていた頃がなつかしひ…。あれは肩というより首か。ゲームにはまっているときほど、人間の頭の重さを感じるときはない。
しかし、体調は劣悪。ゴロゴロする以外、なにもできん。明日も厳しそうな気配。
■曲がり角
この1週間で、2つ大きな動きがバイオ方面であった。ひとつは、慶応の着床前診断申請を学会が承認したこと。もうひとつは、昨日の一面トップを飾った、ヒトクローン胚の作成を専門調査会が多数決で原則容認の結論を出したことだ。
「あ、角を曲がった」という気がした。手続き的な問題も気になる。
ぼーっと暮らしていると、一部の人たちの前に勝手に角がやってきて、勝手に角を曲がっていってしまうような感じがする。ぼーっと暮らしているのじゃなくても、一部の人にならない限り同じか。特に前者はギルド的。承認されたデュシェンヌ型筋ジストロフィーと、承認されなかった筋緊張性ジストロフィーの間に引かれた線は、いつでも動きうるわけだから。
ヒトクローン胚の専門調査会は、内容どうこうの前に、手続きがあまりにずさん。審議会制度の問題点が全部ここに集まっているように思える。
ちなみに、昨日の未明に出た毎日新聞のウェブニュースで、ヒトクローン胚の記事タイトル「ヒトクローン胚:作成容認 論理問題浮き彫り」(2004年6月24日 1時21分)が、妙にいいところをついていて、感心した。この記事の本文にある表現は、「……先端医療がはらむ倫理的な問題を浮き彫りにした」。「倫理」と「論理」。音の違いが“i/o”というのが、また妙に意味深に思えてきたり。誤植一つであれこれ考えてしまった。
この専門調査会の多数決は、調査会会長を含む16人で行われた。しかし、【最相葉月のなんでやねん日記】(6/24、6/25)に書かれているように、この多数決の意味はとても偏向している。毎日の本文にあるような「倫理的な問題」の前に、タイトルにある「論理問題」だらけでしょう。
ところで、私自身は、最相葉月氏のようにインターネットや携帯電話がコミュニケーション能力を破壊しているとは思わないし、「私たちの生命観を変容させ」云々な記述は好まない。それでも、こういう一文を書いておくことで得られる共感や賛同者は、書いておくことで失う共感や賛同者よりも多いのだろうということもわかる。
コミュニケーション能力も生命観も、200年前と100年前がまったく同じだったわけではないだろうし、いつの時代も似たような違和感を一部の人は感じながらやってきたのだろうと思う(これといって具体例はないのであてずっぽうな物言い)。ただ、200年前、100年前よりも、変化のスピードが早くなっているとは思うので、変化に敏感になるのも当然かもしれないけれど。
04/06/23/wed
■表記も奥が深い
体調の悪い時期になってしまったようだ。ふー。暑いし。週に1度のおつとめで、編集部にあがり、会議。といっても、ここのところ毎回「がんばってください」というエールの交換というか、お尻叩かれというか、そんな感じになっている。一人先行している私は、おもに地雷踏みの役目でもあった。そういう役割も必要なのでいいのだが、だんだんと基準が変わっていくと、対応が大変だ。これも進めないとわからないことなので、致し方ないことではあるのだけど。
でも、ちょっと腑抜けである。2本、別の原稿があるので、早くそれに取りかからないといけない。えいえいおー。
自宅に戻って、細かいフォローの作業をあれこれしながら、もう一方で頼まれた話の基礎資料も作り始める。頭の中で枠組みはできてきたのだが、実際にどう構成するかはまた別。細かい話をきちんと盛り込まないといけないテーマでもあるので、流れと細部の構成をしっかりしておかないとならない。
その基礎資料集めのときに、とーっても感動するサイトを発見。某所での紹介より一足早くご紹介。有名サイトだとは思うけれど。
【かんぴょう 表記ブログ】
ホームページはOperaで見るとみょ〜に細長くなっているけれど、IEなら大丈夫だった。たまにOperaが悲しくなる瞬間だ。「表記ブログ」のところに行けば大丈夫だからいいもんね。
そんなことより、すごいなー。たのしー。表記一つとっても、いろいろと違いがあるというのが一目瞭然だもの。細かいことではあるけれど、こうやって並べると、それは十分に大事な資料になってくる。えらいー。資料保管庫ではテーマ別になっているから、それぞれの興味や必要で覗ける。
で、いろいろインストールするのが好きな人には、「好きじゃん辞書」という表記用のツールもお役立ちなんだろうな。私は、最初にガガッとカスタマイズした後は、ほとんどインストールしない系なので(というか、新しいツールやソフトに慣れるのがもう面倒。すっかり枯れた環境で使いたい派)、このツールの評価はわからないけれど。
なにより、このウェブマスターの「正しい表記なんてない」と当然のごとくすっぱり言う態度がいいよなぁ。ほれぼれ。正しい表記なんてないけれど、そのなかで、よりよいコミュニケーションのための表記を心がけるのがいいな。「自分勝手」「独りよがり」とは対極の態度でもある。
04/06/21/mon
■空振り
朝起きて、同居人を送り出し、原稿を1本出して、ニュースチェックしたら、テレビもネットも台風一色。NHKは延々台風情報だった。そういう役割だからね。
で、傘を握りしめて、霞ヶ関に向かった。2年半前からずっと傍聴している医療過誤関連の裁判の判決日……。のはずだったのだけど、法廷の様子がどうも違う。見知った顔がない。入ってきた裁判官の顔は同じだったけれど、どうやらちがう弁論らしい。外に出て、壁に貼りだしてある予定を見ると、やっぱり目的の判決予定が書いてある。念のために反対側の法廷をチェックしていたら、同じ目にあっているおじさんが、「これ、どうなっているの?」と廷吏さんらしき人に確認中。便乗させてもらったら、「延期になりました」だってさ。
ぶーーーっ。がっくし。「いつになりましたか?」と聞くと、すぐにはわからなかったらしく「14階で聞いてください」という指示。エレベーターで上がっていって、そろそろと所定の担当部へ行ってみる。あ、ふだん見ている顔。書記官さんだ。「あの、延期になった判決の予定を知りたいんですが」というと、「はい、あれね」と確認してすぐ教えてくれた。
弁護士さんや支援の会とかと関係なく傍聴していると、こういうことも起こる。しゃーない、しゃーない。帰りに、区役所に寄って、税金払ったり、細かい雑用すませることにする。税金を1年分まとめて払ったんだけど、これ途中で死んだりすると、払い損になるのだな。死ねねえ。……「死ねねえ」に同意の「ねぇ」をつけると、「死ねねえねぇ」ってなるのか。「ね」ばっかりねぇ。
帰る道々、すでにポツリポツリと来ていた。家について少し経つと、ボツボツと大きな音が窓に打ち付ける。台風だねぇ。ここのところこびりついていたネコさんたちのにおいを、流してくだせぇ。妙に江戸弁だな、今日。
04/06/20/sun
■現在はいつから歴史になるのだろう?
暑い。今年はじめて、暑いと思ったかも。暑い時間は外に出ないことが多かったからかな。今日は、家の中でも暑かった。初エアコン、といっても除湿モードだけど。
久々に、ゆったりした日曜だった気がする。とはいえ、合間にお仕事メール書きや、原稿書きなどしていたので、ゆるゆるとしていたのは気持ちだけではあった。明日は久々にテープ起こしに興じてみよう。
世事にうとくなっていたときに、ちらっとよぎったままになっていたことがある。まぁ、今日も今日とてメモ程度ではあるけれど、メモをするとしないでは大違い(だと思う、たぶん)。
粥川準二さんが、某研究会で遺伝子治療をめぐる言説が取り上げられたことについて疑問をもち、発表者の林真理さんに質問をしたところ、【林さんからは、自分は歴史家でカユカワさんのように使命感を持って現在を相手にしているわけ ではない、という意味の回答が返ってきた(6/8分「近況」)】と書いていたのに対して、工学院大学の林真理さんが【多分「粥川さんは現在、私は過去に関心があるのでは」と言ったことを捉えてそう言っているのだと思う】と答えていた。
ふむふむと思いながら、お二人の日記を読んだ。
読みながら、私は少し違うことを考えた。それは、「現在」と「過去」はどこで線引きされるんだろうか、ということ。もしくは、「どこからが歴史になって、どこからが現在」になるのか、ということとも言えるかもしれない。極論すれば、一瞬前は「歴史」と言ってもいいけど、それだと話がしにくいので、気分的にはもうちょっとレンジを設けておきたいかなと。
そう感じたのは、とくに、ここで挙げられている例が「遺伝子治療」だったからかもしれない。これが、瀉血とかだったら歴史でなんの違和感もない。つまり、遺伝子治療が行われたころというのは、私の感覚では遺伝子治療が死に体であろうがなかろうが、現代のくくりに入っちゃう気がしたのだ。あまりに現代の要素がたくさんある事柄に感じられる。でもお二人とも、過去は過去みたいなので、そういうものなのか、と。
自分の中で、どこまでは「歴史的なこと」とできるのかちょっとだけ考えてみた。もちろんケースによってぶれが出てくるのは当然として、1965年生まれの私の感覚では、1945年以前は確実に歴史にしてもらってOK。要は、第2次世界大戦の前ってことだ。
この「歴史」になった部分を、どこまで最近に引っ張ってこれるか。歴史というと、高度成長期とかそういう時期くらいまでは、たぶん私の中でもだいたいがもう歴史だ。「過去」という言葉にすると、もっと引っ張ってきやすそう。1980年代は過去だな。その象徴はやっぱりベルリンの壁崩壊かもしれない。これが90年代にはいると、ぱっきり過去と言えるのかどうかが自分の中で怪しくなる。そんな気がした。
パソコン通信やポケベルは「過去」に入れられそう(結局、ポケベルは使わずにやりすごしたなぁ)。でも、遺伝子治療はどうだろう? ほかには、たとえば湾岸戦争はどうか。「過去」になりかかっていたのに、去年あたりから現在に続く位置に再浮上している。不景気はずっと現在なんだろうな。
個人的には、その90年代に出てきたものであり、今に続いている遺伝子治療が過去のものとは思えない。それにたとえば【2004年1月現在の臨床研究の実施状況】をみると、その研究内容の現実がどうなっているかまではわからないけれど、「過去」にしきれるものなのかなとも感じてしまう。北大のADA欠損症でのケースのみについてなのかもしれないけれど、そんなふうに思った。
まぁ、どれもこれも私の感覚的な印象にすぎないなー。どの辺から「歴史」や「過去」の対象になるのか、ちょっと意識しておこう。歴史は鬼門だし。
てなことを考えたらお腹が空いたので、何年ぶりかで都バスに乗り、お豆腐料理なぞ食べに行く。手軽な高級ファミレスのような【梅の花】で、がっつり食うというのは、本末転倒かも。同居人のゼミ発表内容をあれこれ聞いたり、私の作業の準備になりそうなことをあれこれ相談したり、基本的には小難しいことを延々しゃべっていた。メモを持っていくんだったと大後悔中。かなり忘れてしまったじゃないか。
04/06/19/sat
■すみません、また悩みます
精神的&肉体的ピークを超えたと思うと、また新たなピークがおいでまします日々。ありがたいやら、つらいやら。まぁ、でも特別企画の作業がふん詰まっていた頃よりは、はるかに気分がよいです。
梅雨はどこにいったのか、でも台風は来ちゃうらしい6月も下旬なのか。昨日は、家からほとんど出ずにちまちまとした作業を続けていたが、今日はお外。【第二回 ジャーナリストコースセミナー開催「触法精神障害者問題と報道」】を覗きに行く。講師は春日武彦氏。でも、【前に聞きに行った講演会(02/02/24のてくてく)】のときとは、ぜーんぜんキャラが変わっていたような…。変わったというより、使い分けか。今日はとってもラフなかっこうだし(前回はスーツ&ネクタイ)、だいいち茶髪な春日先生になっていらした!
この問題は、ほんとうにずっと悩み続けなるしかない。毎回毎回悩むしかない。医療現場でも毎回毎回悩むケースをどう報道するかなのだから。
ただ、そうは言っても新聞やテレビ、週刊誌といった巨大メディアでは、やはりなにがしかの基準が必要だ。それは業界一律でなくていい。各社がそれぞれに基準をちゃんともってほしい。もちろん今でもあることはあるけれど、毎日以外は、たしか暗黙の了解的なものだから、個々の記者であっても、明確な形で説明できるようにしておいてほしいなと思う。
こうやっていうと、「いつもいつも同じことばっかり」というツッコミがきそうだ。たしかにそうかもしれない。「少しずつ」とか、「これから改善を」とか、どうしてもそういう言葉になりがち。「逃げ」と思われるかもしれない。
幸か不幸か、私自身はいわゆる「事件報道」には、かかわらないでやってこれた。でも、だからこそ、事件報道の第一線にいる人たちを指弾だけしていたくはない。彼ら・彼女らが悩んでないなんてことは絶対にない。匿名にするか、実名にするか、そういう具体的なところから、一つ一つ決めなければならない。
じつは、むかし、そういう判断を要する場面に、偶然居合わせたことがある。某所で取材を終えて、同じフロアにあった、ある新聞社のボックス(と書くとこれだけでどこにいたかわかる人はわかるな)に挨拶によってみた。ちょうど知り合いがいたのだ。で、「こんにちは〜」とドアを開けて、「ちょっと座ってて」と言われた直後に、事件の第一報が飛び込んできた。時間はお昼前くらいだったか。地裁の法廷で、刃傷沙汰があったというのだ。民事法廷で、廷吏さんが刺された。これはかなりめずらしい事件だ。そこで扱われていたのは、婚姻無効訴訟だった。勝手に入れられた籍の無効を、女性が訴えていたもの。廷吏さんを刺したのは、勝手に入籍してしまった男性。発表情報に加えて、被害などの状況を現場から集め、一方で、取り押さえられた男性を実名にするか匿名にするか即座に判断しないといけない。しかも、夕刊の最終〆切まででも2時間くらい。おそらく端からみれば、“わずか”といわれる時間で、「匿名だな」と決まった。
退室するにできなくなっていた私は、静かにしていて、一区切りついた頃を見計らって、「お邪魔してすみませんでした。失礼します」と辞した。その新聞を取っていなかったので、実際にどう報道されたかは確認できていない。でも、事件報道に携わる彼らが抱えている現場とは、そういうところだと、そのほんの一端を感じることができた。
だからといって、同情するつもりはない。それが仕事だから。けれど、そうした中で積み上げてきた悩みは、ほんの少しずつであっても確実に影響している。それは、30年前、20年前の新聞と実際に見比べてみれば、誰しもが感じるはず。これからもまた20年かかるかもしれないけれど、また少しずつ変わっていく作業を続けられるといいな。
触法精神障害者と累犯者については、正直なところ、個人的な意見もなかなかもてない。近代法の枠組みがゆるがされるように感じてしまうのだ。特に、強姦で懲役を食らった男性が、出獄後に、被害を訴えた女性を殺してしまったケースがあると知ってから、「予防拘禁が必要なのか」と思わざるを得ない。一方で、家族が精神障害者とかかわりながら働いてきている身として、しんどい思いを内側に抱え込んでいる大多数の当事者の抑圧になるのも残念だと思う。
現実的には、どうにか対象を腑分けしながら、社会的に孤立する前にどうにかできないかと模索しながら、ある程度は社会的な負担もコストとして引き受けながら、極端に走らないところへ、たどり着けないものかと感じる。
セミナー後は、たったかと外に出て、中野の美容院にかけこむ。ただし大勝軒でモヤシ入りを食べてから。ショートカットだと、さすがに1カ月半経ったら、ぼわんとしてきてしまう。ショートは金食い虫。
終わって、家に戻ったら8時半。ああ、原稿書かなきゃ。
04/06/17/thu
■ビックカメラさん、ごめんなさい
【ビックカメラはビッグカメラのつもりだったんだろうし…(04/06/08のてくてく)】などと書いてしまいましたが、W先生から、こーんなお便りが!
8日の「ビック」,たまたまコンビニで買った KAWADE 夢文庫『雑学の鬼』(2004.6.1 刊)にこんな記事。ルーツは big と同じらしいんですが,オセアニアの(ふつうの辞書にはまず載らない)スラングに bic があり,「中身の伴った大きさ」なんてニュアンスがある言葉だとか。そんな俗語を創業者が知っていたらしい。なんですって! へー、じゃなかった、今は「へぇ」だったね。ただ、W先生も「ホントかどうかわかりませぬが。」とちらとお書きになっていて、私も正直なリアクションは、「それ、ほんとかぁ〜? 後から必死で探したでしょう」だったりはします。同じように疑っている人は、けっこう多い…。謝りつつも、踏みつけている私。
で、「ビックカメラ ビッグカメラ」でぐぐったら、こんなサイトが見つかった。
【google一本勝負】
いちおう、正しい「ビックカメラ」が勝つようだ。よかったですね、ビックカメラさん。
■世事の一部
頑張って、世事に追いつく。おまえの世事はネットかい、というツッコミはなしにしといてください。
【野尻ボード:6月11日の栗田さんの書き込み】で紹介されている、【ラハシイ式標準色盲検査表】は、たしかにおもしろい。
いちおう、今の世の中で言われている色弱はないはず。私は、最初の方はあんまり見えなかったけれど、後ろの方はいくつか見えた。で、ふと、「そういえば、私のディスプレイ(IBM Thinkpad X30の液晶)は暗いんだった」と、明度を上げてみた。さっきは最暗だった。最明にすると、さっきは見えなかったいくつかで、なんとなーく見えてくるものもあった。こういうことで、かなり違うんだ、と驚いた次第。このマシンの色彩調整は何かしたんだっけか? さすがにそれはしてないか。ディスプレイによって、同じ人でも見え方が大きく違いそうだけど、いろいろ気づけておもしろい。その後の皆さんの書き込みも、いろいろ反応が分かれていて、それも興味深い。
【同居人が統計に苦しんでいる】。……って、なんで、ココログのブログなのに、カレントページだと日付か見出しがクリッカブルになっていないのじゃ。横のリストから行けたけど。ブラウザOperaのせいかと思って、Mozzilaにしてみたけど、事態は一緒。それとも、この2つともHTML解釈能力が低いのか? しかし、カレントなんて使ってしまうあたり、年がばれるな。単にトップページのことだす。
あ、そうだそうだ。【青木みやさん】、上記のヘルプに対して、アドバイスどうもです。仕事をセーブできはじめたみたいで、なんかほっとしてます。引っ越し疲れに気をつけてね。引っ越しにはマスク必須よ。箱詰めのときから、必ず。ホコリは凶器だ。
で、統計本は、私と同居人のタイミングがあわなくて、一緒に本屋さんに行けないんですよね。彼が欲している参考書がどの程度のものかわからないから、実物を見ながらじゃないと、多少なりとも即席効果のあるものを選べそうになくて。私自身、ふだんから統計を使っているわけではなく、「わからーん」という立場ですし。さらに、自分の好みを反映して、家にある統計本は、思いっきし基礎的な本(つまり数学そのもの)か、お話調のものばっかりなのでした。実務に堪えないのです。
でも、自分でも、困っていたらしい。で、ワラにもすがる思いで買ってきたなかに、『マンガ 必殺!統計攻略法』というシーエムシー出版の本があった。まぁ、気分はわからないでもない。しかし、ひどいんだ、これが。「作・鍵和田京子+石村貞夫、画・さいとうはるき」なんだけど、マンガの欄外に「『統計解析のはなし』p208」とか、「『すぐわかる統計解析』p74」とか、「『分散分析のはなし』p174」とか、ほとんど石村著の本の該当箇所が書いてあるだけで、まともに説明はない。これでなにがわかるというのだろうか。他の本を買わせるための本にしか、思えない。同居人も、「失敗した」と嘆いている。かわいそうに。
まぁ、内容は人によっては役立つものなのかもしれない。が、私がいちばん気になったのは、この本のサブタイトルなのだ。「どうしても有意差を出したいあなたに」とある。これって、いちばん問題な態度じゃないのだろうか。有意差は出すもの? 出るものじゃないの? 絞り出すように出された有意差って、なんかおかしいと思うんですけど。
こんな最後に、小心者としては、メモしておこう。皇太子さんが、なんか説明の文書を出していた。この内容が評価されているみたいなんですけど、それが不思議だ。これ、似たようなことを、たとえばイラクで人質になった人たちが、記者会見に対するリアクションに書いて答えたら、「何一つ具体的に答えていない」と大糾弾になったんじゃないのかなぁ。
個人的には、この件に関して、べつに皇太子さんが具体的に書こうが書くまいがどっちでもいいので、それはかまわないのだけど、書き手(というか当事者)の立場によって、それに対する反応が大きく変わるってことが如実に出ると、げんなりする。
ひとつ疑問に思ったのは、皇太子夫妻は「気楽に相談できる人がほしい」とか。これを言われた東宮侍従はつらくなかったのかな。彼らは、自分たちがその役目と思っている人たちなんじゃないのだろうか。
04/06/15/tue
■9割方終わったようだ
ふっかーつ、のはず。たぶん。
それにしても、しんどかった。先週の月曜日にいちおうのコンプリートを向かえてから、今日まで、ピークはすぎていたはずなのに、それまでとは違うピークが到来していた。1週間前までのピークは、いわば精神的なピーク。この1週間は、肉体的なピークだった。
いっつも頭の片隅に「あ〜でもない、こ〜でもない」と抱え込んで、どこかで「えいやっ」と飛び降りる作業をするのは、原稿と向き合ったり、原稿を書いたりするとき。これは精神的な負荷が大きい。不安感がバリバリと出てくる。何をしていても落ち着かない感じ。
ところが、今週1週間は、ひたすらひたすら図版作業。ぺたぺたぺたぺたあっちこっちに貼る。キャプションもあるし、これはどうしよう、あれはどうしようと、多少は悩むけれども、精神的な負荷は低い。1つのことに悩んでいる時間が少なくてすむのだ。結果は、クリック経絡を痛めるほどに、根つめて作業してました。48時間くらい、玄関から先にでなかったこと2回くらいあったかも。時間的には、先週までよりもしんどかったかも。でも、気分的には先週までの方がはるかにヘビー。シンクロしないんだと改めて確認した。
これって、昔、【たさき先生】が書いていらっしゃった、「翻訳の疲れと研究の疲れの違い」に通じるのかもなぁ、なんて思ったりもした。翻訳は、ついつい根をつめて続けてしまって、ふっと気づいたときは相当体力が消耗している(けど頭脳は消耗していない)というような話だった。レベルはちがうけれど、似た気持ちを勝手に味わっている、いまなのだ。
まぁ、もちろん合間に、原稿と向き合ったり、ほかのこともやったりしてはいたわけで、とくに、人間は焦るとほんとうにメタメタになるのだという経験をはじめてしでかして、大失敗もこいた(仕事ではない)。えらいショックだー。時間不足というのは、すべてを無にする――。
あと、ここのところ同居人が忙しくてすれ違い気味。去年の7月までは私がいない生活だったので、それが逆転したようなものか。忙しい人が家にいると、ちょっと心配ではあるのだなぁ。前は心配される側だったのだけど、これも逆転中。
しかし、すっかり世事にうとくなっている。世の中に追いつかんと。
04/06/10/thu
■縄張り争い
昨日は、集に1度のおつとめで、調布へ。いろいろと編集部全体が佳境になっているらしい。私の佳境はちょっとすぎた気分。だけど、まだピークをちょっと過ぎたあたりなので、油断は禁物。
じつは、この10日間、熾烈な、そして根気のいる戦いを続けていた。縄張り争いである。我が家の存亡の危機に陥っていた。
相手は、ネコ一家。
2〜3カ月前から、ミャーミャーミャーミャーうるさいなとは思っていた。でも、音がお隣さんとの境目から聞こえる気がして、放置していた。が、じつは、なんと我が家のベランダが音源だったのだ。
お日様が苦手な私は、ふだん、ほとんどカーテンや障子を開けない。昼間っから電気でくらす、環境負荷野郎です。だもんで、自分ちのベランダがどうなっているか、いまいち把握してなかった。ちなみに洗濯物は、乾燥機か室内干しか浴室という生活。
そしたら、ミャーミャーミャーミャー言っていたのは、母ネコと子ネコ3匹だったのだ。
まずい。いつかれたら困る。いまはまだ、たまにおいでましましているだけだろうから、ここで対処せねば。そういえば、同居人が「クニエさんがいなかった、この前の夜、ネコがうるさいから窓を開けてみたら、ベランダにいて、“フーッ!!”って威嚇するんだよ。人んちに勝手に入ってきておいて、“フーッ!!”はないでしょ、“フーッ!!”は」と、嘆いていた。この人、犬は無条件になんでも許すというかデレデレになるが、ネコはいやらしい。
同じような場面に、私も遭遇。出窓から覗くと、母ネコと仔ネコ1匹は完全にベランダの床に下りている。仔ネコ2匹がエアコンの室外機と手すりの上に、ちょこん。くつろぎすぎ。和室に回って、ベランダに出る窓の障子をあけても、微動だにせん。カギを開けたら、こっちをむいている子ネコは気づいたが、母ネコなんて毛並みのお手入れに没頭したまま。女よのぉ。窓からわずか50センチの距離なのに。子ネコその2は、ベランダに落ちていた結束バンドにじゃれている。自分で持ち上げて、自分で踏んで、自分で飛びつく。子ネコの一人遊び。無邪気よのぉ。
窓をあけたら、さすがに母ネコは気づいて、“フーッ!!”。子ネコその2は、私がベランダへ出ようとして、やっと気づいた。
そんなにも、ここのベランダに馴染んでいたのね。
母ネコは、相変わらず“フーッ!!”と、「うちに入ってくるな」という雰囲気で威嚇するし。あの、やっぱり家賃を払っているのは私らなんで、ココ、そちらさんの家じゃないんですけど。
私が、ベランダに出ようとすると、さすがに母ネコと子ネコその1とその3が、外に逃げた。その2は逃げ損なっていた。室外機と塀の間に隠れたまま。塀に寄りかかって、母ネコの行き先を見ていたら、ひょいと室外機の奥から顔を出した。「逃げ遅れましてん」とバツが悪そう。それでも一呼吸おいて、ぱっと外へ出て行った。まだ小さいのに、頑張るねぇ。
それからの1週間は、朝起きたらベランダの確認。仕事をちょっとしては、ベランダの確認。夜寝る前にもベランダの確認、の繰り返し。途中、別のネコもCSのアンテナのたもとで、ぬくぬくと昼寝をしていた。
ある夜は、塀の上で、母ネコと子ネコ2匹が寝ようとしている。毛玉のかたまりのようになっていた。おっぱいを飲んでいるような雰囲気。出て行ったら、母ネコと子ネコが別々の方向に逃げた。だもんで、母ネコが威嚇し続けることし続けること。いなくならない。ワンタッチ傘をパンパンとやってみたり、懐中電灯で照らし付けたりして、縄張りをわからせる努力を重ねる。
最後の決め手は、水だった。ぱっとベランダの塀から飛び退いても、近くから威嚇し続けるから、えいっと水をかける。それ以来、私が知る範囲では、おいでになっていない。
勝った。きっと、勝った。ネコとの縄張り争いに。
でもね。ほんとは子ネコ、かわいかったの。牛乳でも持っていったらどうなるだろうかとか考えていたのを、ぐっと堪えた。もっと生まれたばっかりのときに見てたら、私、縄張り争いに勝てた自信はないです。っていうか、そのころみたかったよー。もっと早く、ベランダを確認するんだった。かわいかっただろーなー。
04/06/08/tue
■ビーックビックビク
やったー、昨日、コンプリート。って言っても、特別企画の原稿部分だけで、これから図版の山がまだ半分くらい(エベレストが富士山くらいになった)とか、細かい問い合わせとかがお待ちになっているんだけど。とにもかくにも、長い旅路でした。そして、まだ続く…。
テレビをつけていたら、『きみはペット』(TBSのドラマ)の再放送が流れてきた。これ、原作は『kiss』でまだ連載中。で、テレビで目に入ったシーンでは、主人公スミレちゃんの彼氏・蓮実先輩が、ペットのモモとしゃべっている。って、つまりスミレちゃんのペットが犬ではなく、若い男の子だってバレたってことだよね。うーん。原作じゃ、全然まだまだ。しかも蓮実くんにまで、人ペットができちゃっているのに。進行形のマンガを原作にしてドラマを作ると、こういうところが難しいねぇ。ドラマとマンガは別物とはいえ、居心地悪し。
そうそう。【私は、人間ドック初体験を日記に書くときに、「人間ドッ…?」と同居人に、クかグか確かめてから書きました(03/04/11のてくてく)】。前にも、何回か書いたけど(【たとえば「バックとバッグ(02/03/25)】)、本来、「促音の後の濁音は、日本語の音韻体系にない」らしくて、この2つの使い分けが日本人はとーっても苦手。基本的には、「○ッ+清音」にしちゃうのだ。だから世の中にあふれているのは、「セカンドバック」(2つめの背中?)であり、「ダブルベット」(2倍の賭け?)だったりする。
にもかかわらず、【わざわざ「ドック」という清音を、苦手な「ドッグ」にしてまで「人間犬」になるという高等テク】を駆使してしまうなんて、すごいっす。こーゆーのを知的遊戯という(のかもしれない、もしかしたら)。
いちいちスペルを思い浮かべないと音にできない私ではあるけれど、いちいちスペルがわかんなかったりもして、非常に面倒なことこの上ない。「人間ドック」は、スペルではなく、横のつながりでかろうじて留めた。オーティス・レディングのかの名曲、「ドック・オブ・ザ・ベイ」の「ドック」だと。もちろんこの曲名だって(おお、名曲をひっくり返すと曲名だ)、最初は「犬?」と思ったのはいうまでもない。私の心象風景は「入り江にたたずむ犬」なのだ。が、船の話だと無理矢理記憶を塗り替えた。そのときに役だったのが、「ドッキング・ステーション」という言葉だ。気の長い人間ドック。
まぁ、ねぇ。ブルドックソースもそうだし、どう考えても、ビックカメラはビッグカメラのつもりだったんだろうし…。日本人ってたいへんだね。
そして、とっても楽しいサイト、【誤字追放委員会】のご紹介もどうもです。「キャスティングボード」は見事(これでまたノイズが増える)。たしかに。
「ほんとは“ッ清音”なのに“ッ濁音”で読まれる」のと、「ほんとは“ッ濁音”なのに“ッ清音”で読まれる」のでは、傾向とかあるのかしらん。周辺の音の環境より、これはどっちがよりふだんから身近にあるかによるのかな。
04/06/04/fri
■ここのところのゆるゆる
昨夜3時頃まで、ペタペタ図版貼り作業をしていたので、ちょっとだけ寝不足気味。頭痛を薬で抑えて作業をしていたせいか、疲れが抜けなかったかんじだ。
【ゆるいコミュニティ(津村ゆかりさんの技術系サラリーマンの交差点)】か。なるほど。私は、自分用のメモとして、たいていリンクを貼ってしまうけど、意識的に出典や内容がわかるようなリンクにする場合と、極力わからないようにする場合があるかな。後者の理由は、ほんとにいろいろ。なんとなくのリズムや気分もあるし、中途半端な保身や、中途半端な配慮だったり。
もちろん、貼らない場合もある。貼らない場合は、単に面倒な気分ゆえのときと、「貼るほどでもないか」というような気分がしたときが多いかな。あと、もわっと全般的なことに対しての感想みたいなときとか。
てな感じですが、BBSやコメント欄に書き込んだり、自分の所につけたりしないのは、そういう固定されたところだと、お返事をしたり・されたりの強さがよくわかんなくなって、気分的にしんどいことが多いからかな(こないだはじめてコメント欄に書きに行ってみた。ドキドキしてしまった)。
この辺の感覚は、三中さんがいうところの【密やかな愉しみ】をささえる、気楽さなのかも。
にしても、三中さんの「三中」というのがそんなにめずらしい名前だとは知らなかった。そういえば、たしかに、ATOKでも変換してくれなかった(MS-IMEは論外)し、言われてみれば、三中さんは三中さんしか知らないかな。
ちなみに、私の同居人の畑仲さんもかなりめずらしい名字だ。もちろん、ATOKでも変換してくれない。三中さんが紹介していたサイトで調べると、240人しかいない。畑中や畠中はあるけど、ニンベンがつくと、三文判ではハンコが買えない人になる。240人じゃ、しゃーないか。
めずらしい名字っていいなぁ。名字が名字の役割をはたさんからな。わしらは。小中高と私の名字は「鈴木ク」でした。ほかにも「鈴木○」が2人いた。そいでも、私の場合、名前がミョーなので、三中さん同様「given」な環境をありがたく享受している。たいてい「本名ですか?」と聞かれるくらいだし。覚えてもらってナンボという世界でもあるので、社会人になってからは自分の名前がありがたかった(って前にもどっかで書いたけど)。
で、まぁ、「ゆるいコミュニティ」のひとつにあげられていた、こちらは私同様、日本代表的な名字・鈴木聡さんの【0x0a】を改めて見に行ってみたら、同窓だというのがわかったり。過去の日記を拾い読みしていたら、ICUの入試のことが書いてあって、懐かしかったのだ。
私は、IDでいうと88。88年卒業という意味で、入試・入学は84年。ほかの大学の入試問題なんてどれもこれも見事に忘れたけど、ICUのだけは英語以外よく覚えている。文理問わず、同じ試験を受ける。パズルとかクイズみたいな一般教養という名の知能テストは問題数が多いので覚えていないけれど(「能ある鷹は爪を隠す」のアナグラムみたいなのはあったような気がする)、人文科学はメディチ家の話、社会科学は多国籍企業の話、自然科学は数理生態モデルの話だった。
60分だったか、90分だったか忘れたけれど、A4で10ページくらいに印刷された文章を読まされて、その内容についての設問にマークシートで答えるというのがICUの入試形式。それが人文・社会・自然科学の3つについてある。一般教養以外はあと英語。これは私らのころは、2種類あった。ヒアリングも入れると3つか。はい、丸2日つぶれました。いまは1日に圧縮されたんだよね。
じつは、高校の友人と一緒に受けに行って、その行く途中の電車の中で、はじめてICUの入試のスタイルを教えてもらったくらいに、事前知識のない受験生でした。アナグラムみたいなクイズとか、パズルみたいなもんが出ると、試験を受ける2時間くらい前に知って、すっごく驚いた。あのレクチャーがなかったら、本番でぶったまげたまま終わっていたかもしれない。
でも、初日は、そのクイズの試験と、人文科学・社会科学だったので、とっても楽しくやって帰ってこれた。絶対受かると思ったもんね。問題は2日目。自然科学がつらいのなんの。湖の魚の数をシミュレーションする話で、基本的には微分方程式。話は面白かったけれど、途方にくれたわ。理系はいいけど、文系の人はどうすんだろと、余計な心配までしてしまった。
しかも、問題に移ったら、脈絡なく(と私には思えた)なんだかいきなり力学っぽい話まで出てくるし。物理はほんとーに苦手なのだ。
ヘロヘロになって終わると、英語。2日目が終わったときは、絶対落ちたと思いましたね。
あの自然科学の問題は、その前後何年かのなかでは出色の出来だったらしいと聞いたことがある。たしかに、きわめておもしろい話だった。読むだけなら…。誰が作ったんだろうな。
ってよくまぁ、覚えているなと自分でも思う。これって、模試もなんにも受けずに、当日はじめてあの入試に触れたから、強烈な印象になったんじゃないかな。宝くじ買いみたいな入試行動をとっていた私を拾ってくれたので、なんであれ感謝だ。
04/06/01/tue
■芯黒の日
久方ぶりの友人からの連絡が相次いだ日だった。
一人は、大学の同期で学究系に進んだ【水井万里子】で、ここのところ発表した短歌のコピーを送ってくれた。私にはまったくわからない世界だけれど、万里子の短歌を読むのは楽しい。昔もらった彼女の処女歌集が、けっこう評価されたというのは聞いていたので、なるほどという感じかな。万里子の処女歌集について、私の感想は【「エヴァーグリーン」をもらったときの日記(02/05/14のてくてく)】。
もう一人は、同じく大学同期で、イラストレーターの【木内達朗君】。前にリンクを張ったのを見つけてくれたらしい。1年のときは英語のクラスでずっと一緒だったけれど、2年目以降は生息地が別れてしまったので、ほとんど20年ぶり。こういうのって、なんか嬉しいもんだね。
最後の一人は、半年ぶりくらいのK君。昨日の日記に反応してくれた。上二人に比べると久方度合いは低いけれど、顔は万里子以上に見ていないかも。
■どう転がる?
安野モヨコが『週刊モーニング』で、「働きマン」という月イチ連載をしている。まだ4回目くらいか。舞台は、週刊誌編集部。主人公は28歳女性編集者。
最近、『週刊文春』を買わなくなってしまったので、藤本由香里がこの安野マンガについて何か書いているかどうか、フォローできていない。藤本さんじゃなくてもいい。斎藤美奈子はどう読むのだろう。男性職場で、「働きスイッチ」が入ると、「働きマン」になる女性主人公である。そこここにステロタイプが放り投げてある。掲載媒体を考えても、なんとも、びみょーな設定。どの辺をどうねらっているんだろうか。
私はといえば、「どう転がす気?」という様子見。「ハッピーマニア」の安野モヨコであり、「さくらん」の安野モヨコなんだよね。個人的には、あまりのめりこんで評価する漫画家さんではない。嫌いじゃないけど、好きでもないってところ。
■カギをなくすたち
そっか。現金はプリントアウトか。なるほど。私の場合、データ化した場合のネックは、そこここに登場する「暗証番号」ないし「パスワード」。管理できないのだよ。とほほ。この現実の前に、なにがしかのカギが必要なものは、実在するモノに頼りますです。
■許さないのは会社?
つらつらと感じていたことが、【武田徹さんのオンライン日記】の5月28日分を読んでいたら、いちおうはっきりした。それは、「ほんとうに、『自分だってイラクに行きたい、でも会社が許さない』という人がいるんだろうか?」だった。大手はフリーに危険な取材をおっかぶせるというようなことで、よく出てくる話である。
いま、大手と言われる日本のメディアで、イラクにだれも人がいないのはNHK以外のテレビ各社と、新聞では読売だったはず(どんどん変わるので、今は変わったかも。あと日経・産経は記憶があいまい。たぶんいないはず)。逆を返せば、NHKと共同と朝日と毎日はいる。サマワにはフリーと電波ニュースの2人(かフリー1人)で、大手はバグダッドだけど。
という状況を考えると、「行きたいのに会社が許さない」ということをいう人は、だいたいがテレビの人なんだろうか? だとしたら、そうなのかもしれないなと思う。
でも、もし活字の人だとしたら? イラクに限らず、これまでも似たような派遣状況だったように思う。というわけで、活字の人の場合、「行きたいけど、許さない」のは会社じゃなくて、じつは「その人の(企業内での)能力」なんじゃなかろうか。もうこれはジャーナリスト云々じゃなくて、端的に「できるかできないか」。1つしかない企業派遣留学の席を取れないのと一緒。業務を回していく上で、誰でも彼でも派遣することはできないだろうし。
そうした自分の能力のなさを、「会社が許さない」といっているだけなんじゃなかろうかという疑問が、私の中ではっきりしたことでした。
ちなみに、私自身が聞いたことのある例では、昔、メディア事情を知らない人に向かって「ほんとうは私が行くはずだったんですが…」みたいなホラを吹聴していた例。関係者が聞けば、「ん? どこからそういう話になるの?」の一言ですむ話だった。今の言葉で言えば、「脳内」。
■テレビは換算しにくいけど
思い出した。テレビと活字メディアの違いというか、単位換算みたいなこと。これは【広報部・部室】で、山形氏が書いていた「テレビは見ないので」ということから、の派生。
一連のオウム事件があったころ、鴻上尚史がたしか『SPA!』の連載で、オウムについて語らないわけみたいなものをちょっとだけ書いていた。記憶に頼ると、「オウムについてコメントをよく求められるけれど、テレビでは最低10分はほしい。じゃないと語れない。テレビの10分というのは雑誌で言えば、30ページ分くらいになる」というようなことだった。結局、それから少しして鴻上はたしか「ニュース23」で、10分以上の枠をえて話していたはず(中身は何も覚えていない)。
5年くらい前に、ヒマだったので、【APFの山路徹さん】を招いた、京都精華大学がやっていた講座に出てみたことがある。ボスニアあたりの頃にガンガン露出していた人だ。
彼の話のなかで、APF(アジアプレスフロント。AFPではない)の場合、過去の映像は「1秒1万円」だというのがあった。2次利用なので、決してお高くはない値段らしい。NHKだともっとするのかな。もしこの値段で考えたら、10分って600万円か。ページ単価10万円(ピンキリなので妥当な設定がわからない。えいやっと)の雑誌で換算すると、60ページくらい。って、この計算に現実的な意味はないけど。
今回のイラク人質事件で、テレビに流れた小泉や福田のコメントは、トータルどれくらいになったのだろうか。「まぁだ、そんなことを言うんですかね」という小泉のコメントなどを積み上げたら、10分や20分では効かないだろう。このときの政治家たちのコメントや態度は、批判・バッシングに類されるものだと思う。
全然定量的ではない感想だけど、テレビ画面には、批判・バッシングを印象づける場面が、“擁護”と同等か若干多いくらいにあったと、個人的には感じる。それと、“擁護”が出てくると、その背景にあるバッシングを固定化する効果が一緒にくっついてしまうことも感じた。
先月のてくてく→2004年05月