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2004年11月のてくてく

04/11/30/tue

■息子の手紙

 お買いあげありがとうございます。>【結城さん】
 項目数や内容などを考えると、まだまだ物足りないレベルだとは思いますが、『世界大百科事典』や『日本大百科全書』とは趣向がちがう事典なので、その違いを楽しんでいただけたらと思います。ちなみにビデオで私のお薦めは「タコは変幻自在な海の天才」です。元はディスカバリーチャンネルのものの一つなので、それなりによいかと。

 ……にしても。仕事がはかどらん。やる気皆無なのかも。勉強もはかどらん。仕事が終わらないと勉強できないのだよね、体質的に。強制的に入門講座を聞く時間を作っておいてよかった。

 昨日、息子@エルサルバドルから手紙が来た。考えたらもう10年以上になるような……。私の【フォスター・チャイルド】であるホセ君。字を書けるようになったからか、よく手紙が来るようになった。たしか1カ月前にも来たよなぁ。こっちからは同封されているハガキに少し書いて送る程度だけれど、ハガキが届くとホセ君も手紙を書いてくれるようだ。というわけで、入れ違い状態が続いている(笑)。
 始めた頃はまだ4歳くらいで、字は当然、絵もよくわからないものがたまーに来た。それから5〜6年は半年から1年に1回くらいずつ。が、ここ1年くらい何やらよく来るんだ。どうしたんだろう? だいぶ文章を書くことに慣れてきたのかな。また返事書かなきゃ。大学院に合格したことは前に書いてしまったから、今は書くことがないなぁ。痩せたとか書いてみようか。1回だけプリクラを貼って送ったことがあったけど、その後はいっつも字ばっかりだった。またプリクラでも貼り付けようかな。

 ちなみに同居人の息子@エジプトは、長らくミッシング・ファミリーになってしまっていたのだが、このほど発見されたそうだ。現地の事務局の人も大変である。



04/11/29/mon

■日々の雑感になったかな

 げふ。ここのところ、海苔にはまってしまっていた。韓国旅行のお土産にもらった両班海苔。まぁ、味付け海苔みたいなものなので、つい食べ始めると止まらない。湿気ちゃうというのもあって、最近は、一袋一気食いしてしまうのだ。唇が痛い〜。
 やっと1箱あった海苔の束が、なくなった。ほっ。つい食べちゃう好きなものなのでありがたいのだが、なんかしんどくもなっていた。

 あ、そうだ。ここのところ何人かの知り合いたちが、スリランカカレーを食べている。新宿(以外にもあるけど)のコートロッジで食すときはぜひ以下の食べ方をお試しください。
 えーと2人で行ったら、マトンとチキンのように別々のカレーにする。で、豆カレー(もしくは野菜カレー)とマトンや豆カレーとチキンや、豆カレーとチキンとマトンなど、好みで2種類ないし3種類をご飯の上にかけ、均一になるまで混ぜ合わせて食べる。日本人には禁忌のような食べ方が美味しいカレーなんです。その混ぜ合わせる前に、お店の人に「カッタサンボールください」と言って、それも好みの量を一緒に混ぜる。できればチャツネも少し。このあたりのバランスは各人各様で。それを均一に混ぜてから食べるのです。基本はスプーンじゃなくてフォーク。こっちの方が混ぜやすい。

 というわけで、あそこの場合、カレーは交換するんじゃないのですよー。そこまでお知らせしなくてごめんね。>【いずもりさん】
 味が単一になるのが嫌な人は、ご飯は少しずつでよいので、いろんなバリエーションで混ぜてどうぞ。あ、国立科学博物館、早く行かないと。いずもりさんの名前を書いたら思い出した。

 さて。『時間の分子生物学』(粂和彦著、講談社現代新書→[bk1amazon])を改めて読んでいる。前に立ち読みでざっと目を通していたのだが、買いそびれていたのだが、紹介したのを機に手に入れたため。著者は【かの粂和彦氏】だし、ROMしているMLでのご様子通りの達筆に加え、講談社出版文化賞というお墨付きもある本で、たしかに面白い。bk1でもアマゾンでも絶賛状態。

 が、あることを感じている自分を発見した。どうやら私は、分子生物学周辺のものに少し飽いているらしい。「分子生物学」という言葉が、「関数」という言葉に見えてくるのだ。「分子生物学関数」に、いろんな変数を入れる。ここでは時間や睡眠という変数だ。そうするとたしかに新しくて面白い知見がアウトプットされる。でも、なんやかやといいながら、同じ関数のアウトプットを繰り返し読んでいるような気がしないでもない。やっぱり「DNA」とか、「遺伝子」とか、「ゲノム」とかそういうキーワードとなる言葉の解説があって、手法や実験して、何がわかったかが展開されていく。そしてやはり「行動」との関係で何がわからないかも語られやすい。

 もちろんこの「関数」にも良い悪いがあって、粂氏の描いた関数はとてもいいものだと思う。楽しんで、「へぇ」とか「なーるほど」とかワクワクしながら読んでいるわけだから、誰にでもお勧めできる内容だ。

 読み手である私の側の問題なんだろうなと思う。「私はいったいどういう分子生物学の話が読みたいんだろう」。当分は、この視点が頭の片隅に残りそうだ。


■入手本

鴻上尚史著『鴻上尚史のごあいさつ 1981−2004』角川書店
→[bk1amazon] この前買っておいたのに、何冊かの本の下に隠れてしまい、忘れていた。昨日、寝る前に少しだけ読んだ。やっぱり私はコーカミに弱い。20年以上前のコーカミにノックアウトされる。なぜ20年以上前かというと、この本は、第三舞台の芝居にいくと初日以降(というかだんだんと2日目でも間に合わなくなっていなかったっけ?)なら手渡されるチラチ群にはさまっている「ごあいさつ」というコーカミの「来てくれてありがとう」的なお手紙みたいなもんを集めた本だから。旗揚げ公演のときからある。87年以降はこの「ごあいさつ」を私もずっともらっていた。でも、中野から大阪にひっこすときにたしか処分してしまった。最後の公演のときももらったはずだ。それなら探せばもしかしたらあるかもしれない。いまのコーカミは、20年前のコーカミと違うのだろうか? 変わっていないのだろうか? 読み進めるのが不安であり、楽しみである。

ジョージ・ジョンソン著『量子コンピュータとは何か』早川書房
→[bk1amazon] あ、この人、『聖なる対称性』(→[bk1amazon])の人なんだ〜、それはそれは。っても積読本になってしまい、未読なんですけど(笑)。夏前にこの量子暗号のインタビューで苦しんでいたのが懐かしい。インタビューしていたことが少しは身体の中に残っている間に読みたい〜。最近、ちょっとだけ量子の世界が好きになりつつある。きっとトムキンスの影響なんだろう。その勢いで一気に……読めるといいんだけどなぁ。ちゃんとまとまった一般向け量子コンピュータの本は初めてとのこと。これから先、いずれは世の中に出てくるであろうこの世界について知りたい気持ちは強い。嬉しい。いただきました。ありがとうございました。


■受験生

 昨日、本郷で試験を受けてきた。あと3週間、捕らぬ狸の皮算用をしながら、モンモンと過ごすのであろう。ブランドイメージと学費以外では、いまいち魅力がない気がしているわけで……。ったく、信じられないほどに贅沢な悩みである。うーん、仕事がはかどらんじゃないかっ!

 というわけで、昨日一昨日は受験生モードだった。土曜日は「食べたいものを食べる」日でお昼は淡路町トプカのムルギーダルだったし、神保町TAKANOでミルクティーも飲んだし、夜は萬盛園で辣チャーハンだったし。満腹な日。昨日も、午前と午後の試験の間に、駒場キャンパス内にも店ができたことで有名な【ルヴェ・ソン・ヴェール本郷店】へダッシュし(正門から1分くらい)、優雅なランチ。やっぱり、あんまり受験生してませんでした。

 やたらと古い建物の試験会場の窓から黄色く色づいたイチョウを見ながら、「ほんとに東大を受けているんだ」と不思議な感覚に包まれる。「ナンデ、ココニ、イルンダロウ?」
 これまでの私にはありえない経験をさせてもらったということで、仕事に戻ろう。



04/11/25/thu

■しりいた

 明日、取材で夕方出てしまうので、3時から2回分の憲法入門講座を聞く。外に出たら9時45分。さすがにお尻が痛い。これからテンピュールのクッションまで持ち歩かないといけないようになるかも……。それでなくても荷物の多い私なのに。

 世の中の女性は、なんであんなに荷物が少ないのだろう? 不思議でならない。私は化粧品の類をほとんど入れていないけど(せいぜい口紅←つけないクセに、と手鏡くらい。あ、リップクリームも)、世の人は、そういうもんも入れているんでしょ? 代わりに替え用の乾電池を数本持っていたりはしますが(これが小さい割に重い)。
 ほかに、筆記用具とノートと手帳と本の1冊も入れたら、すでにそこそこの量になりませんかね。たしかに私のペンケースはデカイが。ハサミも線引きも入っているし、マーカー、ペンのたぐいが数種あって「編集必携」状態ではあるけれど、これでも小さくなったんだよなぁ。
 ほかに何が入っているのだ? いちおうボイスレコーダー。いちおう小さいラジオ。あと、サイフにケータイ、スイスアーミーナイフ、免許その他のカード入れ、ハンコ、のど飴、名刺、ハンドタオル、ホカロン、ハミガキ、メガネ、サングラス、ティッシュ。あ、カギも。……むかーし同居人からもらったキーホルダーがでかい。カギが行方不明にならないので便利ではある。この時期はマスクも。

 なんか妙にサバイバルっぽい状態かも。このなかで、要らないものはなんでしょう? 私はもう判断できなくなっています。これにクッションを加えたくない。テンピュール椅子きぼんぬ。


■時計

 「お祝い、なにがほしい?」と聞かれ、ずっと悩んでいた。同居人はノートPCをくれようとしたようだが、それは自分が品定めを楽しみたいからにちがいない。それにノートPCなら自力でもチャッチャと買える。

 自分じゃなかなか買えないもの……。そう考えていたら、候補が1つあがってきた。
 時計。

 もう腕時計をしなくなってどれくらい経つだろう? 大学生の頃だな。その後就職活動時期とか、就職したてとかは、たしかに腕時計をしていた。が、あまり長続きしなかった。時計はいたるところにあったから。会社にも、駅にも、店にも。ただし、インタビュー中などに時間を確認したいこともあったりするので、いちおう持ち歩いていた。あのころも、筆箱に時計を入れていたなぁ。

 その後、すっかり時計をもたなくても大丈夫になった。ここ7〜8年は携帯電話が時計代わり。でも、試験の間とか携帯電話が使えない場面も少なくないことを学習中。で、せっかく学生に戻るんだし、いちおう社会人だし、時計がほしいと思った。何を買っていいのかわからないから、選んでもらうのにちょうどよいものでもある。

 が、何を買っていいのかわからないのは同居人も同じ。
 そこでコンビニの雑誌棚にあった時計のムックみたいなもんを買ってきた。

 別世界。

 腕時計一つで都心のマンション買えちゃうじゃん。そんな時計の紹介が、コンビニの雑誌棚でへたった状態になっている雑誌にどばどば載っている。あの世界は何? ワイン道楽も、車道楽も、そして洋服道楽も、コスメ道楽もなんにもなくてよかったと思っていたが、時計道楽も付け加えよう。

 ま、それでも私の好みを把握してもらうため、一通りみました。中には2万円くらいの安いのも紹介されていたし(2桁だと安く思える罠にはまりそうな中、「2万円が安い」と思うのは常軌を保った感覚だよね。ちょっと不安になっている)。
 結果わかった、私の好み。よっぽど小さいとかデザインが凝っているというわけじゃない限りは、顔は丸いのがいい。できれば大好きな歯車が見えるのがいい。文字盤はそれほど問わない。太くて短い針はキライ。もしレディースがあれば、クロノがほしい。オメガとは言わないから。まずは極力シンプルがいい。ちょっと気になっているのはガルーチとかいうところの。

 考えたら、ふつうに使う時計はある意味消耗品なのだよね。とすると、そんな高くないのを何本か持っている方が使いやすいのかもしれない。場面に応じて選べるし。……ただ、気になる時計がどこで売られているかが、まずわからん我々なのでした。

 ……ちょっと大人になれるかな。そんな気分の時計選び♪



04/11/24/wed

■へぇ

 昼前に家を出て、週1の会議で調布へ。珍しく、中身のこゆい会議だった。しかも、今日の今日まで編集部内でも知らなかった機能があることがわかり、大いに盛り上がる。『エンカルタ』って、製品版を買ってユーザー登録するとオンライン版も使えるようになる。で、なんと。そのオンライン版ではサインアップすれば、日本版以外、つまりアメリカ版・イギリス版・ドイツ版・フランス版・イタリア版・スペイン版・オランダ版も同じように使えるのだ。すごいー。ま、それぞれの言語だし、オンライン版自体かなり重いっすけど。それでも、地理情報などはやっぱり現地版が強いので、そういうニーズがある人にはとてもありがたい機能だろう。

 というわけで、会議後、サインアップをして、夕飯の買い出しをして帰宅。その関連のメールを書いたり、細かいテストをしたり、もろもろ。だんだんと通常の作業が戻ってきた感じがする。とりあえず4月までにできるだけ進めておかないといけない。

 9時頃、帰ってきた同居人と野菜中心の夕飯にするが、どうも食欲がないらしい。かわいそうに。私一人で野菜をバリバリ食べた。8月頃のようなウサギ系にしたのが、食欲減退になってしまったのだろうか。


■読み終わった本2冊

 会議の日なので、本を持って電車に乗り込んだ。1冊は、少し前に買っておいた『日本語は年速一キロで動く』(井上史雄著、講談社現代新書→[bk1amazon])。ジャーナリスト養成講座の受講生向けに『敬語はこわくない』(→[bk1amazon])を紹介したとき、見つけた本。『敬語はこわくない』は「日本語の敬意表現はインフレする」ということを書いてくれていて、身の回りで氾濫する敬語群が腑に落ちたのだった。  それで、本職である方言ことを書いたらしいこの本も読んでみたくなったのだ。文章はとっても素っ気ないけれど、調査の様子がわかったり、過去の文献例がたくさん紹介されていたりして、個人的な興味はいろいろ満足した。でもマニアックな興味だから、あんまり万人受けはしないかも。

 調布駅を降りるときあとちょっとだったので、パラパラめくるような感じで編集部について会議の前に読了。さらにちょっと時間があり、ついでに『憲法と平和を問いなおす』(長谷部恭男著、ちくま新書→[bk1amazon])の残り少しを読む。  これはちびちび、モルトウイスキーを飲むように読んでいた。味わっていたつもりではあるが、最後尾にたどり着くと、しょっぱなを忘れていることに気が付き、暗い気持ちになる。でも。この本の最後のところを読めて、とても元気になった。「憲法は何を教えてくれないか」と題された終章。この部分を、まるまる書き写したい衝動に駆られている。がまんして、その中でも大事にしたいフレーズを選んでみた。

 立憲主義は、ありのままの人間が、自然に受け入れられる考え方ではない。少々無理をしなければ理解できないし、身につくはずのない考え方である。自分が一番大切だと思う価値観、自分の人生に意味を与えてくれる価値観を、みんなのためになることを議論し、決定する場には持ち込むなというわけであるから。
 (中略)
 立憲主義にもとづく憲法――日本国憲法はその典型だが――は、人の生きるべき道や、善い生き方について教えてくれるわけではない。それは、個々人が自ら考え、選びとるべきものである。憲法が教えてくれるのは、多様な生き方が世の中にあるとき、どうすれば、それらの間の平和な共存関係を保つことができるかである。憲法は宗教の代わりにはならない。「人権」や「個人の尊重」もそうである。さまざまな信仰を持つ人々、無信仰を奉ずる人々が共存する術を教えるだけである。
 (中略)
 立憲主義は自然な考え方ではない。それは人間の本性にもとづいてはいない。いつも、それを維持する不自然で人為的な努力をつづけなければ、もろくも崩れる。世界の国々のなかで、立憲主義を実践する政治体制は、いまも少数派である。立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖である。
 本書をここまで読み進めた方は、国家の主権や国境だけではなく、人権や個人の尊重という観念の意味まで相対化されてしまったことに戸惑いを覚えておられるかもしれない。こうした観念は、いろいろな問題を解決するに際して、自分で考えないですませるための「切り札」として使うには便利な道具である。自分で考えるということは、「……である以上、当然……だ」という論法で使われる、そうした「切り札」など実はないとあきらめをつけることである。(p.178〜180)
 前半部分、座って読んでいるときは鉛筆を手にしていた。そこで線が引いてあるのは、「異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした。立憲主義のはじまりである」(p.50)、「異なる価値観が公正に共存しうる――そういう意味で正義にかなった――社会生活の枠組みを構築するという途、つまり立憲主義という途もありうる」(p.58)、「立憲主義から見たときの本当の問題は、人生はいかに生きるべきか、何がそれぞれの人生に意味を与える価値なのかを自ら判断する能力を特定の人間に対して否定することが、許されるか否かである。(中略)立憲主義はそうした扱いを許さない」(p.69)といった感じで、終章で繰り返されている部分ばかりだった。
 あきらめはついている。が、今の私には、この本を「踏み台としてさらに進」むだけの力がない。願わくば、その力――具体的な力も抽象的な力も――をこれからの3年間で身につけたい。
 どうやっても「わたし」は「あなた」のことをわからない。「あなた」は「わたし」のことをわからない。だからこそ、わからないままに、一緒に暮らせる社会を求めたいのだ。

 [蛇足] 最近ちょこっと知恵が付いて、この本に出てくる「二重の基準」だの「厳格な審査基準」だのの位置づけが薄ぼんやりとわかった。さすがに「厳格な審査基準」については、「憲法学のジャーゴン」という但し書きがついている。それくらいに法律を学んだことがない人を意識しているのだが、ちょうど境目に位置するであろう私(これから学ぼうとしている)の目から見ると、やっぱりいろいろな了解事項が空気のように紛れ込んでいると感じる。これは憲法や法律以外の、たとえば、今読んでいるガモフにも同じようなことがあるんだと思う。「少しは知って」読む人と、そうではない状態で読む人と、ついでに加えれば、ちゃんとわかっていながら読む人がいる。3番目の人は対象外にするとしても、前二者をどう捉えるか。じつはこれがかなり難しいんだろうなと、境目にいるところで読んだこの本から、強く感じた。第一、「立憲主義」なんて言葉自体、高校のテスト以外で使ったことがない人の方が、世の中では多いはず。



04/11/23/tue

■学ぶ勤労感謝の日

 勤労に感謝する日なのだが、あまり勤労していないので感謝されない日でもある。どうにか風邪菌は封じ込めているようだ。でも、うがいうがい。

 ゆっくりと起き出して、朝と昼をかねたご飯。昨日買っておいた、うどんとお総菜を並べる。身体を暖めるのは大事だからね。

 こういう祝日でもやっているのが予備校。というわけで、午後は憲法の講義ビデオを見に行く。裁判所と地方自治の話が中心で、前回あたりから出てきていた「国法」同士の力比べがまた出てきた。法律といってもいろいろあって、その法律の種類で偉い度が違うという。憲法がいちばん偉いのはまぁOK。その次は刑法とか民法とかそういう一般的な法律だと思いがちだがさにあらず。条約の方が偉いのだ。なんとなーく、条約って国同士のおつき合い程度な感覚があった。考えてみたら不平等条約とかあって、そんな気軽なもんじゃないのだけど、いちおう平和な中でのほほんと育ってきたからかピンとこない。偉いってことは、条約と法律の間で矛盾があったら、法律の方が無効というNGを食らうわけだから。ふーん、そうなんだー。
 ちなみに政令は法律と同程度。で、その下で仕えているのが条例なんだって。知らないことばっかりだ、怖いくらいに。



04/11/22/mon

■いまさらですが

 『不思議宇宙のトムキンス』(ジョージ・ガモフ、ラッセル・スタナード著、白揚社→[bk1amazon])を読んでいる。ほんとは、『トムキンスの冒険』(ジョージ・ガモフ著、白揚社→[bk1amazon])がお題本なのだけれど、とりあえず手元にあった新版トムキンスである『不思議宇宙』の方から読み始めてしまった。

 おもしろい。激しくいまさらだけど。

 相対性理論だの量子力学だのを、ごくごくふつーの銀行員であるトムキンス氏と一緒に遊んでいる感じ。個人的には「正の曲率」と「負の曲率」の説明のあたりとか(次元のとらえ方が一つ豊になる)、量子の国でやるビリヤードはボールが木枠をすり抜けちゃうとか、打ったボールがどんどん大きくなってかつボールの輪郭があいまいになるとか(天敵である量子力学のイメージがちょっと伝わってくる)、そういうあたりに特にわくわくする。

 この新版は青木薫訳だし、現代的なフォローをしてあるので、とても安心して読める。もちろんそれは大元の『不思議の国のトムキンス』が名著だからこそ成立しているわけである。この後、『トムキンスの冒険』で読み比べるのが楽しみだ。

 でも一気に読まないと、前の方に書いてあった話にもやがかかってしまうんだよなぁ。これが悲しい。私の脳みそもきっと量子の国にあるんだろう。ぼやんぼやんしているのもしょうがない。

 ……ものは考えようだ。毎回新鮮に楽しめるという幸せをかみしめよう。


■日々の記録

 ぺし。

 私のクシャミの音である。どうもうまくクシャミができない。ぺしぺしと、立て続けてクシャミをしていると、「なんか動物が鳴いている」と思われるらしい。ちなみに同居人のクシャミは「はっふーーん」。なんだかタラちゃんとかイクラちゃん@サザエさんのようである。

 今朝、ぺしぺししていた。そしたらお昼頃に、つつつーっと水のような鼻水が出てきた。あー、昨日、買い物に出た銀座でどうでもいいレベルの風邪菌を拾ってきたようだ。痩せるとこれだから困る。風邪に立ち向かうには、脂肪のコートを身に纏うことがいちばんなのだ。脂肪がたくさんついていると、細胞がぴちぴちしてウイルスを跳ね返すとかそんな感じ。……お前がメインでやっている分野はなんだというツッコミは聞こえません。

 寝込む必要などこれっぽっちもないのだが、キーボードに鼻水が垂れるのは悲しい。というわけで「ジェルサイナス」を飲む。でも、そするとこの上なく甘美な睡魔がいらっしゃる。本末転倒。で、結局、負ける。この薬、絶対睡眠薬だ(それはそれで理にかなっているのでふつうはかまわないけれど、鼻水だけのときはちょっと悲しい)。小一時間ほど寝て起きたら、鼻は消えた。けど、ノドのかるーい痛み。こっちはいや。対処に失敗すると熱が出る。ひたすら、うがいに励む。それで夕方からあった【同居人の講義】に潜り込み損ねた。残念。どんなふうにしゃべっているのか見たかったのに。

 寝ていた時間以外は細々としたお仕事とお手伝いを励行していた。玄関から外に出たのは、講義を終えて、「話を聞きたい」と言ってきた学生さんとお茶を飲んだあとの同居人から連絡が入ったとき。すでに8時過ぎ。昨日の銀座も夕方出て行ったし、太陽を見ない日々だ。



04/11/21/sun

■不慣れ

 まるでマンガのように「ぐぅぅぅぅ」とお腹が鳴ったので、冷蔵庫にあったブロッコリーとスナックエンドウを茹でた。でも、夏まではあんなに美味しかったスナックエンドウが全然美味しくなくて、とても悲しい。やっぱ時期じゃないんでしょか。

 金曜日から基本路線が「うろたえ」になっていたら、ああっという間に日曜日になってしまった。うろたえているのは、ぜいたくな悩みでございます。学費の魅力で出していた(けど絶対無理だと思っていた)国立の1次試験、通ってしまいました。こんなぜいたくな悩み、一生もんです。二度とないことうけあい。こういうありがたい状況になれていないので、おたおた。うろたえる前には、腰ぬかしただ。
 合格したわけじゃないから、今の段階でおたおたする必要はないんだけど、いろいろ気になってしまう。ま、とりあえずは記念受験をさせてもらってこよう。試験を受けられるってこと自体、私の人生じゃありえねーことだったし。というわけで、約1週間、いちおう準備その他でおたおたしてます。

 考えてみたら、小学校で私立に入ったから次の受験は大学だったし、大学受験はICUと某公立しか受からなかったら、あんまり悩まなかったし(結果、公立を蹴ったので親不孝もんではある)。就職も、指導教官に原稿依頼するルートを確保したいだけで採用を決めたなというところを蹴った以外(それ以外聞かれなかった。そういえば、そこは数年前に倒産していた)、すべてノックアウトだったし。結局、人よりだいぶ遅れて前の勤め先だけが(あんまり教官名ではなさそうな気配で)採ってくれたので、悩むどころか拝んでしまった。

 選びようがない人生なのである。

 ……恋愛もそうだな。ワンノブゼム(ただし選ぶ方にしてみれば枯れ木も山のにぎわいだった様子)の側ばっかりだもんな。「彼と彼、どっちにしよぉ〜」なんて、ドラマの世界の話でしかない。であるからして、同居人ももちろん拝んでいるわけだ。ありがたやありがたや、なんまいだぶなんまいだぶ。

 そんなありがたい同居人様ではあるが、「どうしてもできないこと」は、あまりにやばくて具体的に書けないのです。>あらきさま
 えー、たとえば、自分の家で起こったらとっても焦ることを想像してください。「鍋を火にかけたまま外に出た」とかそんな感じのことを。


■体重変動メモ

 ここのところ朝イチバンは、5#キロ台が続いている。5?キロ台になったあたりから気づいたことは、「手が冷えるようになった」ことだ。毎月足が冷える時期でも、手は冷えなかった。なのに、最近寒くなってきたら、手というか指先が朝はわりとひんやりしている。こういう変化もあるのか、と面白い。

 でもなー。暖かい手が好きなのになー。手袋しなくていいし。男性より暖かかったりして、マッサージするときにはとても重宝している。今のところ、冷たいのは朝だけだからまぁいいか。



04/11/18/thu

■どうしてもできないこと

 昨日は疲れた。会議がアメリカからの出張組にあわせて午前中だったから、久々に朝の電車に乗り、とことこと調布へ。ちょうどお昼まで今後の方向性についてプレゼンテーション@英語、しかもパワポ使いのため薄暗くて、やたらと眠くなる。もちろん通訳アリだけど、それでもやっぱり。今年の『現代用語の基礎知識』が小型化していたのがおどろき。小型化された故に、手で家まで持ち帰るはめにもなってしまった。サイズの割にそれほど軽くはない。もっと斤量のない紙を使っておくれ。しくしく。
 会議後は、在宅組の女性4人でランチ。久々だ〜、こういうの。ふだんはお昼からこんなに口を動かさないから。

 ひとしきり話した後は、それぞれの方向へと散る。私は帰りの電車の中で、前に読んだ本を再び読む。今日の夕方にある取材のため。いったん家に戻り、現キソを置いて、歯を磨いて、メールチェック。でも、本来ならこのタイミングで受け取るはずの宅急便が、持ち帰られてしまっていて唖然とする。「不在通知」。なんでだ。宅配ボックスあるんだから、持ち帰るなよ。今からじゃ再配達してもらっても、間に合わないじゃないか。30分くらいしか居られないんだから。
 というわけで、掲載媒体がどんなものかもわからないという情けない状態のまま、今度はお茶の水女子大へ。前はbk1に通ったときによく通ったが、中へ入るのはほんとに久々。いつ以来か思い出せないほどに。夕方から始まる会議を聞かせてもらってから、その後に引き続いて取材。急な依頼だったにもかかわらず、いろいろていねいにお話しくださり、かつ貴重な資料もたくさん見せていただいた。ありがたい。どうにか記事が書けそうな気配が見えてきて、ほっとする。変則的なスケジュールで進めるもののため、先方に負担をかけてしまって申し訳なかった。

 会議がのびたのに加え、あれこれ粘ってうかがったので、思いの外遅くまでかかった。お茶を出たのは夜8時。少し残業していた同居人と家の近くで合流し、夕ご飯。風邪気味だそうだ。9時半頃に家に戻っても、宅配便は来ていない。同じヤマトで別の便(しかもメール便)はちゃんと宅配ボックスに入っていたのに。まったく。先方にコンタクトを取るにも不都合だったらありゃしない。それからあれこれメールの返事やお礼を書いていたら、あっという間に12時だった。
 で、今日になって待ち人ならぬ待ち便がやっと届く。そしたらA4フルカラーなんだもん。ぶっとぶ。そうきたか。写真の手配時に影響するじゃないかー。ヤマト運輸のあほー。

 今日は風邪気味の同居人が休み。疲れと睡眠不足が溜まっていたらしい。ぐっすり寝たら多少はよくなかったかな。午前中は引き続き、あれこれコンタクトを取っていたら、ああっという間に12時。今度は昼のだけど。
 それからも細かい仕事やら、細かいお手伝いやらをしていると、ああっという間に2時。予備校へダッシュしないといけない。今日は国会とか行政とかそういうところのお話だった。高校でまともに政治経済も世界史もやっていなかったのが痛いが、就職のときに多少は一般常識向け準備をしたのがかすかな基礎になっている。20歳を過ぎてから、山川の用語集(政治経済か現代社会)を買ったんだった。正確に言うと、フリーになってから日刊の仕事に興味をもち新聞社を受けようとした時期だから25歳すぎだ! そのころは「日々賢くなっていく」と同居人に呆れられるほど、ものごとをわかっていなかったのでした。いまもあんまり変わってないけど(爆)。
 ただ、憲法の話を聞いていると、法律というのは「基礎づけ主義」の代表例みたいなもんなんだろうなという気がしてくる。ポモにはなれない身体だろうと思うので、ありがたいかも。

 終わってから、回復してきた同居人と西安系中華料理の夕ご飯。牛肉の麻辣土鍋煮込み、青パパイヤとシャンツァイのサラダ(これは西安じゃないメニューか?)、酸辣水餃子と刀削麺のハーフサイズ。私はユーポーメンで、同居人は麻辣麺。サラダ以外、追加でもらった麻=中華山椒をどかどかとかけながら食った食った。明日は体重よりもお尻がちょっと心配である。

 家に帰って少しすると、家がとてもとてもやばいことになっていたと発覚。気づいてよかったが、その原因を作った同居人は「人間辞めたくなってきた」としょぼくれている。私が発見時に「これはひどいよ」と言ってしまったしなぁ。あれでもかなり押さえていたのだけど……。本人がいちばん落ち込むだろうというのはわかっている。ただ、一瞬、「信じられない。いい加減にしてよ」という感情が湧き上がってきちゃうのも事実。
 実害はなかったが、これまでも同じようなことが何度かあった。そして、同じように何度も「注意して」と言ってきたことでもある。それでも何回かに一度はダメだったりする。こういう場合、どうすればいいんだろうか。セーフティネットを張るのがいいんだろうとは思う。でもネットの実現が難しいことなわけで、悩んでしまう。私にだって同じようなどうしてもできないことがあるわけだし、そういうことを補える環境を作りたいものだ。

 ……「どうしてもできないこと」って、悲しいフレーズだな。世間一般に流通しているのは「やればできる」だもんね。でも「どうしてもできないこと」「何度言ってもできないこと」をどうするか考えないと、生活がどんどんリスキーになっていくから、大事なことだと思うのだ。もちろん本人の立場では極力気を付けるというのも大事。
 あと、その事態が発覚した瞬間の対応も学習したい。これは自分に起こったのではなく、身近な相手に起こった場合について。つい怒ってしまうものだから。でも怒ったところで仕方ないことの方が圧倒的に多い。

 教育現場の方々は、日々、こういうのに直面しているわけで、頭が下がる。ただし、ちゃんと対応できている方々に対してのみだったりはする。沸かし方はどうであれ、瞬間湯沸かし器、いまもけっこういるもーん。



04/11/16/tue

■まつげに……

 この前、白目が腫れたときに鏡で様子を確認していたら、すごいものを発見した。

 左目の下側のまつげに白髪があった!

 こんなところにも白髪がでるのか。知り合いの50代女性のまつげに白髪というか色の薄い1本があって、なんだかアクセントみたいでかわいらしいなと思っていたけど、あれは上側だからか。下だとあんまり効果がない。でも面白いので大事にしておこう。


■家事

 寒いぞ。ガスファンヒーターを出すのはまだ先だから(できれば1月までガマンしたい)、当面はデロンギで乗り切りたいものだ。エアコンは乾燥が激しいからいやだけど、一時的に仕方ないかな。もしくは今シーズン、この前のシーズン中ずっと“新聞たち”の下にいた「掘り炬燵」を復活させようか……。

 「Memoの下書き」さんことfujiwaramasashiさんが【家事分担とバランス感覚】というコメント続編で、家事について書いてくれている。どうもー。あ、少し新聞の要塞が崩されまして(収集日があった)、今は障害物競走くらいになってしまいました。でも山が減ったら、初めて積み上げておいた分がどさっと落ちた。量による安定があるのかも。

 一人暮らしをしているときは、家事について考えなくてよかったものである。自分でやるしかないから。同居人とたいてい一緒にいるようになってからも、部屋はご近所で別々に暮らしていたのが3年くらいあったし、その後は相互単身赴任状態だったので、ほんとに同居してからは7年くらい。この7年間の間に、お互い確認もしないまま、なんとなく了解事項となっている感覚があるように思う。

 どっちもデフォルトは家事をしない。

 もしかしたら同居人は反論するかも。もちろん気持ちは双方ともに「きれいな片づいた部屋がいい」。でもそのために労力やら神経を使うのはいや。なので、やる気になった方がやる。イヤイヤでもやる気になった方がやる。さっぱりしていい気分も味わえるから。……これで明らかなように、掃除系が面倒がられるのだな、我が家の家事では。っていうか、家事の9割は掃除類だろう。洗濯だって、衣類の掃除みたいなもんだし。

 ただ、お互い家事しないのがデフォルトなので、なんであれやってくれたら「ありがたう!」状態。やらなくても基本的には気にならない(ただし食卓の上に紙ゴミが溜まるのだけは私が苦手。空き袋とかそういうのはゴミ箱まででいいから捨ててほしい。それに、これは家事という範疇ではないと思う)。
 この前、説明会で午後中外出していたら、勉強にあいたらしい同居人がせっせせっせと掃除してくれていたようだ。ありがたいことこの上ない。でも、どこを掃除したかということを説明してくれているうちに、「あそこは掃除してない」に対して「ありがとう」とつい言ってしまい笑われた。機械的ありがとう。

 ……私も、なにかしたら自慢するかも。して当たり前なのが家事なのに、我が家ではそうじゃないから。
 ま、こんな感じなので、あまりストレスは多くない。古新聞問題にケリがついて、私の心が寛大になっているというのもある。ただ、嫌味のつもりのない嫌味は破壊的なので遠慮したい。そういえば「朝日と毎日から家賃取れないかな」ということを夏頃、ぼそっと言っていた。それもけっこうな破壊力である。

 それでも分担の傾向は若干あるかなー。履き替えるパンツが少なくなるとわびしいので、週に1回くらいする洗濯はだいたい私。10回に1回くらい同居人(洗濯物を分けるべきことは学習してもらった)。でも、奴は乾いた洗濯物を畳んでしまえないので、その部分は必ず私。お風呂掃除はカビと闘う同居人がたいてい。トイレや洗い物は半々くらいかな。ゴミをしばるのは私。捨てるのは二人。問題は床掃除なのだ。なかなかね。邪魔なものも多いし。お互いホコリに対してキーッとなるとやっているようなものだと思う。

 もしホコリを駆逐してくれる機器が出たら、高くても買います。なんであんなところまでホコリは入り込んでじっとしているかね。
 というか、ホコリの出ない家を造ってくれませんでしょうか、ハウスメーカーさん。

 今日は本をいっぱい買ってきて、疲れました。まる。



04/11/15/mon

■大発見

 ここのところ、トイレにある本を日速2ページくらいで読んでいる。だからチマチマしていて話は全然展開していかないのだが、大いなる発見をしている。清水義範ってほんとにSF出身だったのね。読んでいるのは、『遺伝子インフェルノ』(清水義範著、幻冬舎文庫→[bk1amazon])。そこそこ清水義範の本を読んでいるが、これが初めてのSFだと思う。これから清水義範を詠み始めた人は、「SF作家なんだ」と思っちゃうよ、きっと(笑)。
 いや、ふつうのSFというか小説も書けるんだと、なんか妙な感動を味わってます。私の中では【「特ダネ作家」】という位置づけだもんで。なんかびっくらこいてしまった。

 昨日は何していたんだっけ。えーと。同居人がまたまた日曜出番で、ご飯の合間にちょびっとずつ仕事をしていたのだな。あと銀座に出て、伊東屋で来年の手帳を買った。レッツのメモ付き1週間のやつ。それから合流してご飯を食べて、歩いて帰ってきた。

 今日も、朝からコツコツとお仕事。なかなか終わらないというか、やってもやっても終わらないですねぇ。そういう仕事だからしゃーないけど。合間に、校正のお手伝いを少し。法律のお勉強はどこに?!


■入手本

飯高茂著『パソコンで開く 数の不思議世界』岩波ジュニア新書
→[bk1amazon] 「かつて算数が苦手だった数学者が贈ります」と裏表紙にはある。が、やっぱりそれはなんか違うんだよなぁというのが正直な思いだったりします。ふつーは、「かつて算数が苦手で、その後も数学が大っきらい」なわけでして、いわば裏切り者じゃないでしょうか(笑)。でも、数学ができる人に対して、ほのかな憧れが消せないのも事実。数で遊ぶのが好きな人には面白いアプローチな1冊っぽい。いただきました。ありがとうございます。

ジョージ・ガモフ著『トムキンスの冒険』白揚社
→[bk1amazon] 告白します。私はちゃんとガモフを読んだことがありません。トムキンスはだいたいの内容を知っているだけでした。反省し、ちゃんと読みます。せめて1巻目くらいは。今度のお題本なんですー。ありがたい。



04/11/13/sat

■合格ブルー&ピンク

 なんか不調な1週間だった。仕事も滞ったまま。いろいろなことが悪いタイミングでぶつかっている感じ。あれやこれやと気が散っているのがいけないのかも。
 昨日は平日だというのに疲れがどっと出て、効率悪いことこの上なし。3本の原稿のうち1本半しか終わらなかった。まずい。申し訳ない。しかも今日はお昼頃からずっと外出していた。合格をもらった法科大学院の合格者説明会。いやー、びびりまくり。そりゃ、ロースクールは1年目がとにかく大変と聞いているわけだし、完璧丸腰純粋未修てなもんだし。4月までの課題図書とか、4月以降の様子とか聞いていると、「ついていけるんだろうか」という気しかしてこない。書籍費用だけでいくらになるんだろう? まだ早稲田の生協は使えないから、同居人のところで1割引購入しなきゃ。大半がY閣なので、お友達ルートが使いにくい。あ、でも。NさんがたしかいまYにいるんだっけか。ま、社会人だし、とりあえずは生協1割引で買いましょう。

 それにしても、合格をもらってからというもの、昨今言われるようになった「内定ブルー」の合格版みたいな状態になっていて、気分の上下が激しい。「私なんか絶対無理だ」と落ち込んだり、「いや、どうにかなるかも」と少し浮き上がったり。「楽しみだ」という気持ちと、「不安だ」という気持ちも交互に激しい形でやってくる。これが繰り返されているので、精神的に落ち着かないったらありゃしない。

 でも、今日説明会の後の懇親会で、やはり社会人の合格者と話していて、みんな同じ不安を抱えているんだと(想像はしていたが)伝わってきた。仲間ができると少し安心するというのも変だけど、不安なのは、怖いのは私だけじゃないという感覚は、ふんばるときに大事なものだなと思う。
 ただ、眼鏡をかけていなかったのであまり会場を見回したりできなかったけれど、若い人がたくさんいた。なんか申し訳ないなーと感じてしまったり。そう見てもらえないけど、けっこう気弱なのである。ごめんね、おばさんが紛れ込んで。

 あと、しょっぱなの説明会だから教員達も力が入っているのは感じた。ただ、それ以上に「プライド」というか、いい意味での「意地」みたいなものが伝わってきて、それもありがたいなーと思う。もちろん全員が全員、教える才能に長けているわけではないことは承知。誰に当たるかで差が出るのは、仕方がない。それでも教員に強い熱意があって、学生側も応えようとしているらしい様子で、「ここで勉強したいな。させてもらえるのはありがたいな」と改めて思う。国立の学費の安さと天秤にかけてもどうだろうか、というくらいに。そういう瞬間は合格ピンクってな感じになる。
 ……国立は筆記試験を受けさせてもらえるかどうか、まだわからないから、なんともいえない状況なんですけどね。万が一、両方受かったら悩むだろうな。そういえば「億が一」と強調したら、「いくらなんでも1億人が受けるわけじゃないんだから、ふつーに万が一にしなさい」と同居人にたしなめられたなぁ。

 入学金を払うまでのあと1か月くらいは、こんなブルーとピンクが交互にやってくるんだろうな。体力、もつかしらん。



04/11/11/thu

■復活×2

 わーい、【古新聞山の恐怖と同居人の強烈な嫌味の話にウケてくれた人がいた】。あれを書いた日は当日だったのでまだ心の整理がついていなかったというか、吹っ切れていなかったのだが、もう大丈夫。そこそこ客観的に眺められるようになりました。毎日、古新聞要塞をすり抜けて外に出ていますが、その要塞を見ても心が痛まなくなってきたもの。「Memoの下書き」さんに見せてあげてもよろしくってよ。ただし見たら最後、ゴミ捨て場まで最低1個は運ぶように。わはは。

 でも不思議なのは、この10か月間、「捨てたら?」と1回も言ってこなかった同居人だ。ふつうは2〜3か月くらいのところで言うんじゃないかと……。忍耐強いのか? それとも単に気にならないのか? もしかして、この嫌味を言うためだったのか? だとしたらすごいかも。一緒に暮らしてきた甲斐もあろうというものよ(ホントか?)。

 ただ2紙10か月分は過酷。翌日、案の定腕がほのかな筋肉痛になっていた。そこまで溜め込まないよう、ご注意あそばせ。けっこうあっという間なのよ、これが。

 さて、もうひとつ復活。夕方ではなく、夜になってやっと白目がだいたい戻った。加齢とともに、回復力も落ちているのだろうか。まだ充血は少ししているけど、ゴロゴロ感はなくなった。よかったよかった。夕方、予備校でビデオを見ているときは最悪も最悪。目を開けているのがしんどいからなんとなーく目をつぶると、眠くなるし。レジュメを読んだり、メモを書いたりするのも焦点がちゃんとあってない感じで、なにがなにやら。

 どうにかこうにか最後まで聞いて、そのまま神保町へ向かい、Sさんにお願いしていた本を受け取り、ご飯。毎日新聞が入っているパレスサイドビルで、マクロビオティックなご飯が食べられるとは! 「クシガーデン」というお店で、スタイルは銀座の無印にあるMUJIと似ているかも。デリつまみつつのおしゃべりはなんでこんなにストレス解消になるんでしょう。あー、楽しかった。


■踏んだり蹴ったりな気分

 朝から、目が変だなー、ゴロゴロするなーと思っていたら、白目が腫れていた。

 はっきり言って気持ち悪い。うまく目を開けていられない。瞬きするたびにゴロゴロ。かといって右目をつぶって、左目をずっと開けておくということもできない。目薬はさしたけれど気休め程度。別にたいした理由が白目腫れにあるわけではなく、なんかのアレルギーらしい。妹もなるといっていた。

 痛みもないし、痒くもないし、人体的被害はほとんどない。が、生活的被害が甚大。何もできないに等しい。くーっ。あと原稿3本分、入稿段階まで持っていきたかったんだけどなぁ。こういう細かい作業がいちばんやりにくくなるのだ。著者の3人の方々、ごめんなさいです。経験的に、夕方くらいには治るはずなので、復活後がむばりますです。



04/11/09/tue

■眠い痛い

 昨日は2週間ぶりに順天堂病院行き。子宮ガン検診と感染症の結果聞きだった。両方とも陰性というわけで、また1年後に。帰ってきてからは、耐えられない眠気が襲ってきて、午後は布団と同化していた。身体が求める眠さとうげげな日なのだ。今日もその続き。でもがむばって予備校に行く。憲法のお話は、知らないことばっかりで楽しい。それ以外は、最低限のメール書きと最低限のニュースチェックのみしかできなかった。

 そうそう。パソコンから変な音が聞こえてくる。ハードディスクかなと思ったけれど、なんか違う。これはいったい何? ホコリかなんかが溜まったのか? 振動が微妙に共鳴している感じ。私が経験したトラブルは、キーボードがへたるとか、ハードディスクがいっぱいになってしまうといったことくらい。10年以上、パソコンの調子が悪くなることはほとんどないままにどのコも使ってきたから、よくわからないことが起こるとビビってしまうよ。このコはまだ2年なんだから、こんな変な音、出てこないでほしいなァ。



04/11/07/sun

■新聞の思い出

 ふぅ。もう絶対にこんなことしないぞ、と心に誓った。

 さっきまで私が一人でしこしこしていたのは、古新聞しばり。指が痛い。……じつに10カ月分でした。しかも2紙分。溜め込んじゃったんですー。
 最初の2〜3カ月のうちは、「ああ、早く捨てないと」と焦ったりしていたけれど、5カ月を過ぎるとだんだんどうでもよくなっていった。結果、6畳の和室のうち半分くらいが、古新聞入れ用紙袋に入った、ただし縛られていない新聞の山に占拠された状態。ちなみに板の間のリビングにもここ1カ月半分くらいの新聞が裸で積み上がっていた。
 1紙しか取ってない家は、1年分でもこんなにないんだなーとか、しみじみ見つめちゃいました。

 11月に入ると、このまま年を越すんじゃないかという予感が、ふつふつと湧き上がってきた。さすがにそれはいやだ。

 でももう「古新聞を捨てる」というふつうの感覚ではない量になっている。閾値を超えたってこういうことか、と自己分析しているわけだ。「このままゴミ屋敷ならぬ古新聞屋敷になっていくのか……」と考えた、ほんと。そんな分析だの、観察だのしてないで捨てろと思うが、新聞エリアに目をやっただけで気がそがれる状態なんだもん。しゃーないじゃん。ゴミ屋敷の人の気持ちがちょっとわかりましたよ。ある瞬間を通り過ぎると、萎えるんだよ、心底。

 幸か不幸か、古新聞は臭わない。だからさらに溜まる。
 それに、縛る行為がなんか自分のダメさ加減の確認になりそうで(っていうか確認そのもの)、イヤ。テレビ番組なんかで便利屋さんやお掃除サービスの話が出ると、「あ、これに頼めばいいんだよね」とマジに思った。

 でも、今日、なにか憑き物が落ちた。ついに観念できたみたいだ。きっかけはなんだったんだろう。もしかしたら、寝室のテレビラックのふちにクモさんが巣を張っていたのを見つけたからかな? けっこうショッキングだったかも。クモが堂々と巣を張る家なのか、と。
 仕事が終わったら、突然、雑誌やら新聞やらを縛り始めた。出勤していた同居人と例のごとくフォルクスで落ち合うために出かける時間まで、まずは居間の山になった新聞・雑誌エリアを駆除。ゴミ捨て場までちゃんと持っていった。袋で6つくらい。
 ご飯を食べて、歩いて帰ってきてからも作業続行。縛る縛る。ひたすら縛る。縛っては玄関先に積み上げる。あんまりいっぺんにはゴミ捨て場にも捨てられないから、当面は、玄関先に移動しただけの状態である。が、ここまでくれば経験的に大丈夫。新聞以外のゴミもまとめてくれない同居人だが、捨てる作業はわりと手伝ってくれるし。

 今、我が家の玄関は古新聞の要塞状態である。空き巣対策になりそうなほどに。

 そして、同居人に言われた言葉はこれ。「わー、広くなった。ありがとう、部屋を作ってくれて」。こんな強烈な嫌味、聞いたことないわ。し・か・も。「家では新聞、読まないようにしていた」んだと。新聞捨て作業に関係しなくていいようにってことなのだ。そうか、そういう人だったのか。古新聞山の恐怖と一緒に、ちゃんと覚えておこう。

 ……うう。どうしてもオモシロオカシクできませんでした。けっこうこの現実に凹んでいて、かつまだ笑い飛ばせない心境なのだ。



04/11/04/thu

■人生も校正できたらいいかも

 水曜日の昨日がお休みだったので、会議が1日ずれて今日木曜日に。ただし夕方からなので、昼間の時間はふだんより多い。

 朝は定例のウェブ巡回やメールチェック、返事書き、ニュースチェックなど。植木不等式さんに過分な評価をいただき、恐縮至極。編集者になりたての3年間を知っている元同僚達が読んだら、「それは大間違い」と言われること請け合いです。「ザル」だのなんだの言われてました。漢字も知らないし、表現も知らないし、ひっちゃかめっちゃかだったなぁ。
 2年ほど前から事典の仕事をするようになって、それまでの事実関係のチェックではダメだということを思い知らされた。雑誌の感覚の編集では、細部がなんかダメなのだ。進行管理や状況判断は雑誌と同じだけれど(要は何を作るかの部分)、校正やファクトチェックといわれるところ(どう作るかの部分)はかなり違う印象を持った。これはその媒体が生きている時間の差なのかなと思う。月刊誌なら1か月間が勝負。週刊誌なら1週間。新聞なら1日。次の号が出るまでの間が、その媒体が本来生きている時間(もちろん、だからといって扱いが軽くできるわけではない。後も残るから)。この間を乗り切るための校正作業と、存在する限りは続く事典向けの作業は、感覚的に重さが違った。「あっちとこっちでこう言っているからいい」ではなく、「あっちとこっちはこう、でもそっちは別」というのもフォローが必要になる。全部をフォローしきれるわけではないけれど、なるべく広くカバー&フォローできないと厳しい気がした。

 というわけで、私が鍛えられたのは、ここ2年くらいの私の後ろに控えているプルーフィング部隊のみなさんのおかげです。いろいろ確認質問が飛んでくるんだ、これが。完璧と思っていても、ミスがポロポロと指摘されて真っ青になることが度々。その真っ青を回避したいと思っているうちに、多少は確認作業などもできるようになってきた次第です。それもウェブがあるからのことです。はい。今回も最初はウェブでみつけて、あ、これなら家にあるとなったわけでして。お粗末様な内情でした。でも、下手な図書館よりは我が家が役立つ。というか、明確なあてもなく図書館をさまよっても、現物確認ができる規模の施設なんてほんっとに少ないんだから。こういうときに、いちいち注文してグループの別図書館から来るのを待ってなんかいられないし。年刊といえども、実際は月刊ペースだからねぇ。
 ミスは少しは減ったけれど、今も「なんでこんなこと見逃していたかな」というのがたまにあるです。ひー。

 あと開き直りが大事だと思ったことかな。「私がわからないところは、ほかにもわからない人がきっと50人はいる」という感じで。「わからない」ところをやり過ごさないようにできるようになるのは、時間がかかるかも。これって、たしかに20代のころはきつかったからなぁ。
 その場面場面で、わからなさ加減の調節も少し必要ではある。それこそ言葉の意味ひとつとっても小学生と高校生と大人では確実に違うから。

 てなことを考えながら、午前中はお仕事お仕事。午後、少し間が空いた時間に、別の原稿の校正をちょこっと。〆切が重なってしまって、細切れの時間を使っているのでなかなか進まず申し訳ない。1日あれば終わるのになぁ。

 その後、いくつかお仕事メールを書いて、会議へgo。今日は週イチの会議はなく、月イチの会議だけ。でもって終了後にご飯食べて帰ってくる。別に仕事の話をするわけではないが、在宅化してからやはり顔を合わせる機会が減っているので、お互いの様子を把握するのに、極力こういう時を利用している感じではある。



04/11/03/wed

■韓国薬膳家庭料理「松の実」の日

 祝日だというのに、朝から工事の音が聞こえてきた。そういうものなのか。まぁ、そのおかげもあって、ふだんより少し遅い時間に起きることができた。
 同居人もほどなくして起きて、なんとなーくそのまま寝床で会話。しかも話題はフェミニズムだの、構築主義だの、なんで朝からそんな会話を、という内容だった。おそらく昨日の夜、私は憲法の話の報告、彼は見てきたショートドキュメンタリーの報告をしあっていて、それで睡眠時間を挟んでも脳みその中の変なところが発火したままだったのかもしれない。もちろん結論が出る話ではないので、適当なところで切り上げる。長らく一緒に暮らしていると、この頃合いをお互いわかってくるのが楽かもしれない。

 午前中、えいやっと買い物に出る。夕方、食事に出るので、午前中にいろいろ済ませておこうという判断から。そしたら暑かった。買い物内容はズボンたち。とくにジーンズ系がブカブカになって気色悪くなったため、現在仕様のものを購入。太っても痩せてもコスト的被害が出る。変わらないのが一番。これまで体重の変動があっても、それほど洋服に被害はでなかったんだけどな。「もうキツキツのを無理して買うトシでもないから」とゆるめのものばかり買っていたツケかも。手っ取り早く買うにはユニクロ。2本で5千円くらいだし。開店と同時に店に行き、チャッチャと選び、15分後には裾あげ依頼をして店を出る。前に持っていたのとサイズが2つ違った。そりゃ、歩いているとずるずるしてくるわけだ。これはピッタリなので、太れないぞ。
 ついでに、倒して割ってしまったガラスのコップを物色。喫茶店でよく使われているデュラレックスだったかの大きめサイズがあり、それを2つ買うことにした。割れませんように。さらに別の店でパンツを見ていたら、手頃な白いコーデュロイパンツがあり、これも購入。こっちも前のサイズより1つ小さくなっていた。これも太れない。
 そのころには裾あげも出来上がっていたので、ユニクロに戻る。この間約20分。チャッチャとした買い物で、単なる必需品ショッピングだった。帰りがけにドラッグストアで基礎化粧品など買ってみる。はたして使い切ることができるか?

 家に戻ってからは、パソコンの前であれこれ。明日の会議用データを打ち込んだり。だいぶツールの反応時間が短縮されて嬉しい。前は入力すると、その反応を待っている間にセッションが切られていたりしたからなぁ。検索結果を待っている間はパケットのやりとりがなく、その時間が続くと切られたらしい。そういうイチイチ接続し直すことも必要なくなり、快適さが少し上がる。でも本質的な快適さからはほど遠い。

 てなことをしているうちに、5時も過ぎたので慌てて同居人と家を出る。目指すは神楽坂の【韓国薬膳家庭料理の「松の実」】。知る人ぞ知る“一軒家コリアン”である。ごくふつうの家の玄関を入り、居間に案内されるような感覚というか、まさに居間そのものへ通される。1日4組限定のお店、というか家だ(笑)。ほどなくしてSさん到着。なんと今日が初参鶏湯なんだそうだ。それはそれは。さらにWさんご夫妻も到着して、お久しぶりのご挨拶をする。

 早速、飲み物を選んだけれど、それより先に出される「松の実粥」。お酒が入る前に一杯差し出された。松の実のコクがよく出た、重湯のようなお粥。つい「お代わり」と言いたくなるほど美味しい。その次にビールでかんぱーい。次はチャプチエという、太めの春雨と野菜をごま油で炒め和えたもの。香りがいい。そのあと、キムチが出てきたが、一緒に水キムチなるものも出てくる。カップに入った(おそらくダイコンの)キムチで、透明なお汁の中に浮いているような感じ。まわりのお汁もスプーンでいただくという。辛みはほとんどなく、少しだけ酸味があるかな。お次はチヂミ。付けだれがまた美味しくて。よく韓国のお好み焼きと説明されるが、切り方は全然違った。ピザのような放射状かなと思ったら、斜めの線が細かく入って菱形の一口サイズ。切れ目を理解するまで、時間がかかりました。

 たしかこの辺で、お酒をマッコリに変える。私のマッコリの記憶は「ビール瓶で出てくるどぶろく」だった。味は当然、酸っぱい。が、ここでは違う。片口のようなサイズの瓶に入っていて、松の実が浮かんでいて、さらにひょうたんのひしゃくがついている。おちょこのようなぐい飲みに取ってもらって飲むと、全然あのツンとくる酸味がない。とってもお上品。Kさんが言った「甘酒にヨーグルトを入れたよう」という表現がぴったり。文字だけでみると美味しくなさそうだけど、それがとても美味しいのだから不思議だ。

 お肉とシシトウや、ニンニクと野菜の串焼きと、タラ、エビ、シイタケの揚げ物がきれいに並んだ焼き物5種を経て、いよいよ参鶏湯。お店の人が机の上で鶏をほぐし、混ぜてくれる。一口いただくと、これまた上品な味。手元の塩・コショウで好みの味加減にするのもいい。……ここが参鶏湯初体験というのは、SさんもKさんも幸せなのか、不幸せなのか? もちろん今後のことを考えてのこと。食べている瞬間は幸せでしょう。
 あっつい煮込みと朝鮮人参の威力は絶大。身体がほこほこしてくる。

 その後は、青ささげのゼリーを使ったムクサラダ。海苔とキュウリと卵の細切りがゼリーにのせてあり、そこへゴマだれをかけてあった。最後は九節板。韓国のタコスみたいな感じ。いろいろな具を少しずつ、春菊が張り込まれた小麦粉の皮に包んで食べる。これの皮がまたなかなか美味しい。皮をいっぱい食べたいWさんは、“ダブル”に挑戦していた。皮を2枚ずらして置き、具を包み込む。「食べたという気がする」と満足の様子。私は皮だけかじってみたが、そうすると春菊の香りが強く出すぎて、あまりありがたみはなかった。多めの皮で具を巻き込むのが正解ぽい。
 あとはデザートとトウモロコシ茶。このお茶も、前に大阪の焼き肉屋さんで飲んでいたのと違い、しっとりした感じ。どこを切っても上品なお料理たちでした。

 もちろんお腹はしっかり満腹。満足でした。が、みなさんと神楽坂の途中でお別れして、歩いて帰る途中から、なんかもっと食べられそうな気がしてきた。薬膳系によくある、消化のよさからかも。身体の中が活発になっているような印象を得た、松の実後でした。



04/11/02/tue

■知恵熱

 11月なのだとすると、早いところ来年の手帳を買わないといけない。もう15年くらい使っているLetsの1週間メモ付き縦型。でも、ここ何年も手帳とはほとんど縁のない生活を送っているなぁ。……これって、やっぱりさみしい奴ってこと? スケジュールを手帳に書くまでもないってくらいなわけだから。
 まぁ、たしかに遊びの予定は10年、15年前よりも減ったなぁ。でも仕事量はさして変わらない。というわけで、仕事絡みは効率よく稼いでいるってことにしましょう。あとあんまり手帳を開く場面が多くなくなったというのもあるかも。家ではパソコンに向かって仕事しているからってのもあるかな。PCでスケジュール管理をしているわけではないものの、日程調整などの結果はメーラーに入っているのでそっちで確認しやすい。さらに、目の前にある卓上カレンダーについ予定を書き込んでしまうっていうのもあるかも。

 日記をつけないで大きくなったけれど、手帳にはわりと細かく行動を記録していたので、それが私の日記代わりだった。今は、ウェブで記録しているから、よけいに手帳から縁遠くなっているのかな。でもLetsに落ち着く前の分から数えると、20年分近い手帳が私の手元には残っている。形骸化しているここ数年分を見ると、少し悲しい気がする。復活できるかな。

 日曜日あたりからポコポコッと原稿が届いて、手元が少し忙しくなる。ある原稿で少し躓いて、あっちを見たりこっちを見たり。訳語の問題で困ってしまっているのだ。軍事オタク系と歴史オタク系の重なりあたりにいる人に聞いてみるしかないか。こういうのでつまづくと、どうやっても先に進まなくて影響が大きい。

 そして今日は、法律のお勉強曜日。しかも明日が祝日なので、会議が順延され、次のお勉強日とバッティングしてしまった分を前倒しで受講する。つまり、本来の分のお勉強と次のお勉強を一気に。3時から10時近くまでこもっておりました。はぁー、疲れた。しかし、予備校の受講室って、風邪引きさんもけっこういるようで、ふだんヒキコモリ生活をしている私には危険エリアに感じられる。自宅作業のメリットのひとつは、確実に「風邪をもらいにくい」ってことだからなぁ。電車で通勤していたころより、風邪は絶対的に回数が減っている。

 本格的に「憲法」が始まって、ひーひー。楽しいけど、「わー、こんなことも知らなかったなんて!」という恐怖にもおののいている。たしかにいっぺんに理解しようというのは無謀だ。駆け足でも何度も読んだり聞いたりして、身体に馴染ませるしかないんだというのを初っぱなから感じている。知恵熱、出そう。


■入手本

E.T.ベル著『数学は科学の女王にして奴隷 2 科学の下働きもまた楽しからずや』ハヤカワ文庫〈数理を愉しむ〉シリーズ)
→[bk1amazon] もちろん『数学は科学の女王にして奴隷 1』(→[bk1amazon])の続編。2の方についたサブタイトルいいなぁ。こういうの好き。目次を見ると、2はかなり現代に近づいている。微積分やら確率やら、例の無限の話も出てくるし、最後の最後は当然。ゲーデルさんです。中をパラパラめくると、けっこう噛みごたえありそうな雰囲気が漂う。でもなんか元気いい感じも。元気よく下働きしているのか、数学は。いただきました。ありがとうございます。

 ……ほかにもいろいろな本が我が家にいらっしゃっているはずなのだが、どれがどれだかわからなくなりつつあるです。




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