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2005年1月のてくてく
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05/01/31/mon
■電光石火
思い出したときに書かないとすぐ忘れる、悲しき私の脳みそ。
先日、家に戻ってきて郵便受けから郵便物などを取り出した。そしたら、一緒に放り込まれていたチラシが落ちた。メールコーナーの床に落としっぱなしにはできないので、かがんで拾った。で、身体を起こしたら……
ガツッ!!
配電盤かなにかのボックスに、頭をガツンと打ち付けた。痛い。痛いが、同時に気づいた。その日、鼻水ずびーだったのに、ガツッと打ったとたんに鼻水が消えた。鼻がすーっと通ったのだ。
頭をぶつけた痛みを感じながらも、瞬間的にクルクルと考えた。
なんで鼻水が消えたか。
痛みを感じて、アドレナリン(かノルアドレナリン)がすぐさま出たのか。そいでもって、それは交感神経か副交感神経かを刺激した状態だから、関連する制御機構が全部働いたにちがいない。とすると、喘息の発作時に気管支収縮・腸の蠕動運動活発化・唾液増減のどっちかetc.と並んでいた、「鼻水抑制」が働いたことになるんじゃないか。だから頭を打って痛いとアドレナリン(かノルアドレナリンかは定かではない)が出て、鼻水が止まったんだ! そうだ、きっとそうだ!
いやぁ、まさに電光石火とはこのことかとホルモンの働きをかみしめながら、頭をさすって「たんこぶにならないといいなぁ」と思いました。まる。
もちろん、上記のことはホントかどうかさっぱりわかりません。信じ込まないように。単に半端な知識で「頭を打ったら、鼻水が止まった」の間を生理学的に埋めてみようとしただけですので。
■読了メモ
1月が終わるのですか。たらりん。いちおう汗のつもりだったが、妙に気が抜けているな。鼻風邪は出たり引っ込んだりで、今日は出ている日。どないかしてほしいよ。ずびー。
土日は風邪の館だったので、本を読む、寝る、食うの繰り返し。その結果のメモ。
だいぶ前に買っておきながらそのまま棚挿し本だった『食肉の帝王 巨富をつかんだ男浅田満』(溝口敦著・講談社→[bk1|amazon])をざっと読み通す。テレ朝「サンデープロジェクト」で、先週と昨日の2回にわたり、この話をやっていたのがトリガーになった。先週部分の放送は独自取材の様子が見て取れたが、今週の大谷昭宏担当分はこの本をなぞった印象をやや感じる。それにしても、浅田逮捕になる前に溝口敦がこの話題を取材して発表したのは、すごいなーと思う。雑誌編集者が選ぶジャーナリズム賞のようなものをとったというのも頷ける。O157のときとはフェーズがちがうBSEがなければ、日本の食肉業界はいまも一切の風通しを拒否していたのかもしれない。この本とサンプロの特集があわさり、私としては「金」のもつ意味と力が怖くもあり、興味深くもある。
で、ベッドで寝ながら『世界が完全に思考停止する前に』(森達也著・角川書店→[bk1|amazon])をパラパラめくったが、こっちは『いのちの食べかた』(森達也著・理論社→[bk1|amazon])とちがって、あちこちに書いたものを集めた本なのでどうもガッと集中してのめり込めない。当分、パラパラめくるんであろう。
土日ではないが、『獄窓記』(山本譲司著・ポプラ社→[bk1|amazon])も風邪薬ぽわん中に読み終わった。優等生は優等生なのだけど、勲章のような獄中記が多いなか、この本は読みでがあった。本人の反省も大事ではあるけれど、刑務所という場所を元国会議員が実際に体験し、書き残してくれたのはありがたい。
いくら「平等」「公平」という建前があっても、現実はいろいろな断絶がある。その断絶のひとつを両側から体験したからこそわかることもあるだろう。今後に活かせないかと性急に思ってしまうのは、私が建前の側の人間だからかもしれない。
でも、なんだか優等生色が気になって、『刑務所の中』(花輪和一著・青林工芸舎→[bk1|amazon])を久々に開いてみた。
違和感がわかった。山本譲司は刑務所に1年いて「痩せた」。たしか8キロだったかな。花輪和一や周辺の人は、何年か刑務所にいて「太った」。花輪和一たちは、毎食きちんと食べてたら、当然太ると感じていたようだ。こういう違いがもともとの世界にすでにある。
同じ刑務所を経験しても、それまでの世界によって出力結果はだいぶ異なるんだろうな。矯正の問題を考えないといけないと思っていたけれど、これはほんとに一筋縄ではいかないことだと突きつけられる。あ、山本本で刑務所にもいろいろあると初めて知った。医療刑務所は別口に知っていたけれど、同じ刑務所の中でも短期収容者、累犯者などといくつかわかれているという。言われてみれば当たり前のことではあるけれど、すっかり見落としていた。
05/01/28/fri
■煮干し
我が家の朝ご飯に出てくるおみそ汁は、煮干しダシだった。しかも「骨を強くするため」という名目で、ダシを取り終わったふにゃけた状態の煮干しも取り出されることなく、具と一緒に入っている。けっこうグロい見た目である。でもそれを食べないとものすごく叱られたし、さんざんな言われようだった。なので、食べたふりを高校卒業まで続けた。この煮干しを噛むと吐き気がするので、ダッシュで部屋にもどって口から出して捨てる。それが見つかりまた怒られる。でも食べられないものは食べられない。その後、証拠は隠滅することにし、やっぱり食べたふりだけ続けた。
これが原因で、私は煮干しおよび煮干しのおみそ汁が大嫌いである。いまでも煮干しダシが強いみそ汁は苦手なほど。大学に入って朝ご飯がいい加減になったり、一人暮らしをして何がうれしかったって、煮干しじゃないダシのおみそ汁を食べられるようになったことだ。
という私であるが、【復氷】経由で知った【煮干しの解剖資料室】はほんとに面白かった。ひからびてても、ちゃんと心臓とか脳みそとか胃とかわかるのねー。
■なじみ
罹患していた「原稿書きたくない病」が、昨晩、やっと治癒。おかげでノドに刺さっていた小骨状態も解消できた。あと2カ月、ハイペースでいかなくっちゃくっちゃ。
なので、ちょっと前に読んで、「ああ、それは」と思っていたことをメモしておこうっと。NHKの【特報首都圏】で「ブログ・ブーム」が取り上げられ、ゲストで出演していたcharlie氏が【「ネット」「ブログ」のイントネーション問題】を気にしている。
「カレシー(彼氏)」と同じパターンのアクセント問題だよね。「カれし」か「かレシ」か。日本語は高低アクセントなので、ここでは高い音になる部分をカタカナ、低い部分をひらがなにしている。後者が、若い子らの平板アクセントと言われる「カレシー」。
で、「ネット」や「ブログ」は外来語なので、NHKのアナウンサーが使うアクセントの「最初の音が高く、その後下がる」パターンが基本になったはず。外来語のような言葉は、当初なじみがない言葉でもある。「なじみがない」言葉は、「最初の音が高く、その後下がる」になることが多い。で、業界言葉は「なじみ」加減を表明することでもあるので、いきおい後ろが高くなる平板型が多い。
これは外来語や業界語だけでなく、地名などで自分が日常的に接していないエリアはこのパターンのアクセントになりやすい。たとえば九州の人は地元の地名を後ろが高い平板型にしやすいけれど、東京の人は頭が高いアクセントになりやすいとか。東京言葉が基本になっている共通アクセントでは必然的に東京アクセントで読むことになる。
ちなみに、私は姫路を「ヒめじ」と頭高型で言っては、「キノコみたいな呼び方するな」と叱られた。関西では「ひメジ」なのだ。……でもさぁ、キノコのシメジって、「シめじ」も「しメジ」もどっちもありなんよ(byNHKのアクセント辞典)。
さすがに原宿は、「はラジュク」と平板な私。もともと東京だしね。が、私が持っていなかった三省堂のアクセント辞典ではたしか「はラじゅく」だったはず。根っからの東京アクセントっ子だったので間違えられないと思っていたら、練習問題で唯一間違えたからよく覚えている。当時の先生も「すでに『はラジュク』が一般的になってはいる」という認識ではあったけれど、いちおう辞書ベースで考えましょということだった。
てなわけで、どんどんアクセントは変わっていくけれど、平板「ぶログ」派が気になるという「ブろぐ」も、「金曜の19時台にNHKを見る人、特に高年齢層」というネットに詳しくない人からすると座り心地がよく、平板「ぶログ」こそ違和感のあるアクセントになるはず。たしかなんかのCMでもネタにされた「カレシー」と同根かな。
ただ、こういうちょっとしたところで、疎外感や拒否感を感じちゃうのかもしれないなー、とか思うと配慮もまじめにやろうと思うとほんとにたいへん。
05/01/27/thu
■ヤク中
薬が効いて、眠くてしかたがないけど、これから民法。きっと眠法。
05/01/24/mon
■進学先
やっと決まった。
4月から、東大の法科大学院へ進学することにしました。
天変地異が起きたらごめんなさい。じつは勢いで受けた東大になんの間違いか合格してしまっていた。たぶんに39歳という年齢がゲタになった。私は高齢者要員なのだろうと分析している。
それで、ここ1カ月近くもんもんと悩んでいたのだ。かたや「基本的に全員未修」という魅力的なポリシーを貫く早稲田。かたや日本の法学界のエースたちが集う東大。どっちも魅力があふれている。しかも、両方のいろいろな魅力が全然違うところにあるものだから、比較しようにも気持ちが揺れるばかりだった。
それぞれの大学に通う学生さんたちに話を聞いたり、細かい点を事務に問い合わせたり、同じく4月から法科大学院に通う法学部卒の人に教えてもらったり、この業界に詳しい人に相談したり……。なまじ仕事で情報収集するクセがついているもんで、収集ばっかりして判断ができなくなったりもした。
最終的に決めた理由は、「後ろ向きな比較」と「もともと持っていた興味」の2つ。「後ろ向きな理由」は進級に必要な単位の数が少ない方とか、授業開始時間(東大は2限の10時20分からが多い)とか、そういう「とほほ」な判断材料になる。あと、挫折・中退した場合には、東大の方が履歴書上で見栄えがよさそうとか。卒業したあとは、どっちを出ていても変わらないけれど。
「もともと」の方は、医事法への興味と法学の基礎的なところへの関心。どちらも医事法はさほど強くないと思うのだけど、東大には医学部があり法学部と医学部の交流がさかんになってきているように感じられる。もうひとつの「基礎的なところ」は、10年以上前に気になった「近代」という枠組みを考えてみたいという気持ちが、そもそも法律・法学に興味をもったきっかけだったことを思い出したからだ。基礎や理論的なことに走りがちらしい東大は、この点で自分の関心を忘れにくいかな、と。
まぁ、でも「もったいないお化け」もたしかにある。一生懸命格闘したけれど、お化け相手の戦いは消耗するものだー。よく「もったいないお化け」と言ったもんだと、最初に使った人に感心したよ。
正直に言えば、「両方通いたい!」だ。早稲田はほんとに魅力的で、学費が同じくらいだったら早稲田に決めていたかもしれない。両方入学して、片方を速攻で休学できないかとか、そんなことも考えたりしたくらい。片方卒業してから、もう片方に入学したいとか、無意味なことが頭の中に沸いてくるほど悩んだってことだ。
それにしても、勉強も忙しさに加え、年末・年始のあわただしいなか、見知らぬ私に対して、どちらの大学の学生さんもとてもていねいに、かつ親身になって話を聞かせてくれた。それがとてもありがたくて、なんだか家に戻ってから一人うるうるしたりもしていた。そして、こういう態度で他人と接することができる人が法曹界に増えていってくれると、とてもいいなぁと感じたのでした。
でも、不思議だー。不似合いだー。最高齢かもしれないー。入学する前にオチコボレが確定するー。ま、「ガラでもない東大にいって“ネタ仕込み”」というのが私の等身大の状況といえそう。がんばって仕込んできます。ついでにいろいろ仕掛けてきたいと思います。すでにそのお手伝いもしてみたり……(笑)。ヒネた新入生だもんね。
いろんな人に感謝しながらがんばりまーす。でも息抜きしてるところを見つけても、叱らないでね。
■ミュンヒハウゼン証明書
昨日からノドの調子がおかしい。痛みはないけれど、声を出しにくい感じ。いわゆるひとつの風邪初期症状なんだろう。というわけで、昨日も今日もじっとしている。ノドがおかしいと、勢い無口になるものなんだと実感。声を出すときの閾値が高いこと高いこと。「ねえ」とか「あのさ」とか、声を出し始めに使いやすい意味のない言葉はとくに億劫なのだ。
夕方のニュース(テレ朝「スーパーJチャンネル」)で、キャッシュカードのスキミング被害についてやっていた。私の理解では、ATMからの回線に盗聴器を仕掛けて、口座番号、暗証番号など、本人が入力したデータのみを失敬するというもののようだ。おちおちお金もおろせない気分になるし、残高確認を毎日しないと不安になりそうだけど、その確認作業がまた盗聴機会を増やすことでもあり、もどかしい気分になる。うーんうーん。
mixiでも皆神さんの日記でVIZAカードのフィッシング詐欺らしいスパムメールが紹介されていて、「ふみゃぁ」である。いやな世の中よのぅ。
こういうときは気を落ち着けるためにも、セキュリティ大魔神のところを見に行ってみよう。最近、行ってなかったし。ということで、【高木浩光@自宅の日記】へ出かけたら、仕事で立ち上げていた編集ツールが時間切れでログアウトされてしまうほど読みふけってしまった。
相変わらず、闘っています、高木さん。全国の自治体が「警告が出てきても安全なので無視して大丈夫ですよ」と対応していることを、担当者との電話でのやりとりを掲載して指摘している。すごい。さいたま市の対応はひどいなぁと思っていたら、もっとすごい広島市とか出てくるし。電話口に出てくる担当者さんたちが、「マイクロソフトが……」と必ずいうあたりも微笑ましい。
で、不思議なのは高木さんが「(セキュリティとか)そういう関連のお仕事をしているのか」どうかが、気になるらしい。「一般の人たち」はそんなことわかるわけがない、ということなんでしょう。
実際、「一般の人たち」はほとんどわからない、知らない、気にしないのはたしかにそうでしょう。でも、だからといって専門家が難癖をつけている、ということになるわけではない。「ふつーの人は気にしません」というのなら、それ自体が問題だと行政側が意識しないといけないくらいのことだ。さすがに難癖とまでは言っていないけれど。だって、あきらかに論理破綻しているのは、警告が出るような仕組みを作っていながら、「これはそういうふうになってしまうものなんです、でも安全です」と説明している行政側なのだから。
しかし、セキュリティに絡むことは、どこで安全を保証できるのかとても難しいなと思う。いくつかの保証方法はあるけれど、下手をすると高木さんが描くように【無限に照合が必要になる】事態がすぐ発生しそうだ。というか、している。
あー、似たようなことを哲学の原稿で触ったなあ。なんだっけ。えーと。あ、「ミュンヒハウゼンのトリレンマ」だ(【参考:この指摘をしたハンス・アルバートについての解説 by萩原能久氏】)。これって、「基礎づけ主義批判」なわけで、基礎づけの無限後退に陥るか(「そのまた基礎は…」と続くこと)、例の自分の靴ひもを引っ張って自分を持ち上げるほらふき男爵(ミュンヒハウゼン症候群に名前を残した男爵)のケースになるか、とバッサリやったんだった。
ほんと、セキュリティ問題と似てるーーー。オレオレ証明書って、ミュンヒハウゼン証明書ってことだったのか。
05/01/22/sat
■ハウル
タダ券をもらったので、「ハウルの動く城」を見てきた。日比谷スカラ座はそこそこよい映画館だったなぁ、というのがいちばんの感想にくるのは変ですか。じつは最後のクレジットロールで知り合いの名前を見つけて、えらく驚いたので、いろんな感想がすっとんでしまっています。Sちゃん、10年以上会ってないけど、元気なんだろうなぁ。
まぁ、あえて書くなら、各地で言われているとおり「倍賞智恵子、無理すぎ」。途中で「プロの声優さんだったら若く聞こえる声と年寄りに聞こえる声を出せる人もいただろうに……」と何度思ったことか。それに、最後の曲まで歌わせるなー。もっとうまい人に歌わせろー。
というのと、「キムタク、アニメの声だけこれからやっていってくれまいか」である。イイじゃん。冒頭部分に空中を歩くとき、ソフィーに向かっていう「じょうずだ」という台詞なんて、極めつけにイイ。「だ」の音の抜き方が絶妙だった。キムタクは顔を出す俳優より、作り込んだものをアテる声優の方が才能を発揮するんじゃないでしょか。顔出して、生身の身体動かされると、なんでもかんでもキムタクで興ざめしちゃうんで。
あ。ハウルを見る前にお昼を食べた。日比谷シャンテの地下2階【おいしいカレー工房 ひつじや】。前に見つけて、今日やっとお初の入店である。ちなみに【ビストロひつじや】の姉妹店。こっちは前にK君に連れて行ってもらったことがある。
で、カレー工房のひつじやさんは、何をおいても「安い!」。お見事。これだけ安くて、この内容なら大満足できる。2種類のカレーが出てくるランチセットで620円。ナンとライスはお代わり自由だし。1000円で食べ放題もあるなんて……。あんまり南インドっぽくはなく、店が狭いのがたまに傷だが、仕方がない。オイキムチのような漬け物(キュウリのアチャールみたいなもんか)もあるのもよい。
映画のあとは、ビックカメラに寄ってノートPCチェック。軽量マシンを調べているところなのだ。でも、バイオの薄いの、MURAMASA、レッツNOTEのR3、インターリンクの4択だな、現実は。うーん、値段を考えると、HDD60GBのインターリンクが最有力か。
徒歩帰宅途中に竹橋の【KUSHI GARDEN RESTRANT】で、お腹にできたすきまを埋めておく。なんか野菜が食べたいのだよね。
それにしても昨日、今日とよく歩いた。足がダルい。さて、頑張ってお仕事するべや。
■折れ耳
朝、起きたら、耳が折れていた。猫耳なら一部にウケるのに、折れ耳は単に痛いだけである。
たぶん寝返りをしたときに、耳をふさぐように耳介部分がなっていたのだろう。そのまま少し寝続けたらしく、起きたとき「耳が痛い!」が最初の感覚だった。よくまぁ、寝ていたものだ。それにさすが軟骨。ポキッとはいかないもんなんだなぁ。
この前、髪の毛が変な方向に流れたまま寝ていたこともあったようだ。そのときは朝起きたら、「頭皮が痛い!」だった。一部エリアの髪の毛が根っこ部分で妙に痛い。向きを変えると多少変化する。分け目を変えたときの変な感覚の強烈なのという感じだろうか。
このとき、「頭皮が痛い」のと「頭が痛い」のは、全然別の痛みだとわかった。やっぱり、脳みその痛みを感じる仕組みは素朴に不思議だなぁ。
昨日、せっかく長い日記を書いたのに上げ忘れたので、朝イチで痛み日記など。
05/01/21/fri
■長いので小見出しを入れてみる日記
少し前まで、閉所でちょこっとずつ読んでいたのは清水義範の『遺伝子インフェルノ』(幻冬舎文庫→[bk1|amazon])だった。ちみずよちのり先生はほんとーにSF出身だったのかも、と思わせてくれるもので、ちょっと楽しかった。作品自体は、この作品が書かれた当時だったらもっとよかったなぁという気がするけれど。で、それはだいぶ前に読み終わって、いま閉所で日速2ページ以下で読んでいるのは、同じくよちのり先生の『大人のための文章教室』(講談社現代新書→[bk1|amazon])。すっかり、我が家の閉所本作家の位置を確立している。これもあとちょっとで終わるのだが、よちのり先生らしい極めてプラクティカルな構成は、「名文」ではなく「日常文」を見直すときにとても有用である。
■理系の頭?
というようなことを思った以外にもいろいろ感じ、考えた暗くて重い1日だった。
なんでか。まず大学院の事務室に寄って、銀座でYさんと待ち合わせ。お祝いお寿司ランチの予定だった。……のであるが、これは詰めの甘さでは定評のあるYさん(笑)にお任せしたために、結局、お流れとなった。まぁねぇ。そりゃ、考えたら予約は必要だわねぇ。私もすっかり意識から飛んでいたし、片棒を担いでしまった(詫)。なので、それはリターンマッチを誓って、「むとう」というふぐ料理屋さんで、ふぐではないランチ。1200円の日替わり定食が美味しい。よい店を教えてもらったのですべてチャラにしましょう。
その後、お茶をしながらさらにあれこれ話す。スリランカの状況やナチスのプロパガンダや、ほんとにあれこれ。その中で問うてみたことは、「私の頭は理系といっていいんでしょうか?」。いちおう法科大学院を受験するときに「理系枠」のようなものがあれば「理系」で出してみた。受験資格的にはNGを食らったわけではないのだが、頭の中身はどうなのだろうと悩んでいる。
教養学部の理学科で、いちおうは数学専修という外観をもっているけれど、中身のほんとのところは「オチコボレ」。でもほかに何か学んだわけではない。単位の内訳をみれば、数学の単位がいちばん多いのはたしか。成績はボロボロだけど。
卒業後3年弱は、数学雑誌の編集をやっていた。雑誌の内容は理系の話だ。でも、仕事自体は「文系」的? 理系というと一般的にイメージされる、エンジニアでも研究者でもない。活字を組んで、他人様に読んでいただくお仕事である。
エンジニアでも研究者でも、ほんとの「理系」人からは「理系ではない」と言われると思う。でも、同居人始め「文系」の人からは「理系だねぇ」と言われる。
「理系/文系」という分類自体に疑問ももちろんあるけれど、とりあえずそれはここではおいておく。とすると、私はやっぱりコウモリなんだろうなと思う。どちらからも「こっちではない」という規定をされるタイプなんである。
■混乱の森
そんなことを思いながら、民法の講義をたらたら聞いていたら、思いっきり混乱の森にはまってしまった。
一知半解ならぬ一知1/10解くらいで発生する迷いの典型例、「よけいなことを明後日な方向で考えて、ドツボにはまる」である。もしくは「当たり前のことを無意味に悩んで、ドツボにはまる」ともいう。ちゃんと復習したり、調べたりすることをしていないのに、「そもそも体系的におかしいんじゃないの」と傲慢をかましてしまう状態でもある。というか、「一知1/10解」だからこそそんな傲慢なことがふっと頭に浮かぶわけである。で、傲慢でありながら、その疑問や不安に足を絡め取られている。初学者の悲しさよ。だれかに「それは悩まなくていいことだ」と一言言ってもらえれば済むはずなんだけど。
ただ、これは「全体像を把握したい」という欲求の裏返しであることも、いろいろなところで何度もドツボにはまった経験から薄ぼんやりとわかる。で、ここで全体像と個別の話の遠近感を保ちながら、ちゃんと勉強できるとだいぶ楽になるのだよなぁ。
いまのところ傲慢さからの揺り戻しで、「ただ単に向いてないのかもしれない……」という不安感が増大中。自分で自分に言い聞かせておこう。「大丈夫大丈夫、最初は誰でも初めてだし、最初から全部わかる人なんてほとんどいないんだから」。
■格差は拡大するしかないのかな
自己暗示をかけながら、同居人と待ち合わせた表参道に移動する間に、【裳華房『生物の科学 遺伝』05年1月号】をパラパラをめくる。
そのなかの白楽ロックビル氏の記事を読みながら、「現代社会は、格差がより大きくなる方向でドライブがかかっているんだろうなぁ」と、やはり薄ぼんやり思う。
白楽氏は、アメリカの成功例としてローリー・ギャレット(『カミング・プレイグ』などの著者で、“免疫学者あがり”の「ニューズデイ」記者)らをあげ、博士号レベルの社員記者やフリーライターの必要性を書いていた。「格差」は、そのあたりを読んでいたときに感じたことだった。
同じようなことは科学にかぎらず言われる。たとえば、【「マスコミに対し、法務博士を司法記者として雇い入れるように働きかける」(by小倉秀夫氏)】や【「大学院レベルでの訓練を受けた若い人にはジャーナリズムを目指すという選択肢ももっと考えてほしい」(by稲葉振一郎氏)】といったところが、その背景に若干の違いがあっても同種の指摘といえる。
基本的には、私自身、そういう方向性がいいとは思っている。もちろん、記者やライターとしての適性を兼ね備えていることが要求はされるけれども。
が、ふと思ったのだ。「格差が拡大する方向に進むんだろうな」。
去年の秋に受けた大学院の入試問題に「公平さと格差」を考えさせられる問題があった。そこで問われていたおもな問題は、「経済格差」と「能力格差」だったと思う。その頃から妙に気になっていたことがはっきりしたといえるかもしれない。
ここではマスメディア企業に必要な人材として修士・博士持ちが挙げられているが、きっとメディア以外でも同じようなことは言われていたり、言われ始めたり、いずれはそう言われるんじゃないだろうか。官公庁あたりも、もっと言われるのかなぁ。分野を問わず、昨今の専門職大学院隆盛は、「学位持ちの必要性」という傾向の一端を担っていると思う。
少し違う角度からは、薬学教育6年化の話も同種のものとしてとらえられるだろう。98年に病棟薬剤師の取材をして、2002年に医学教育の取材をして、どちらのときも近くに薬学教育6年化の話題があった。それが来年には現実になる。もちろん、6年化に反対している「医学教育のひろば」さんの【薬学部6年制は人的資源を無駄にする】や【医療職の教育年限を短縮せよ】ような意見もある。
これから私がいく法科大学院とて、「貧しい人を排除する」という同じ問題を抱えているのは、導入前から先の小倉氏をはじめ多くの人が指摘していた。
日本に限らず、いまのような社会では専門性がどの分野でも要求されて、どんどんその内容も高度化せざるをえないのだろうとは思う。
だけど、それはすなわち「稼ぐようになるまでに費やせる財力の差」も反映してしまうことでもある。ある程度働いて貯めてから、また学べばいいのかもしれない。が、3〜5年で500万〜1000万円貯められる収入というのは、そうそうない。社会全体が高学歴を求める仕組みになっているとき、格差は拡大する方向にしか進まないような気がしてならない。
そもそもの「能力格差」と「経済格差」をどう考えていけばいいのか、法科大学院の入試問題ほどに現実はクリアにならなくて、私は考える入り口に立ったままである。
というような話題含めてあれやこれやを、同居人と掛け合い漫才のように話していたのは南青山のインド料理店【シターラ】。レッドライスがあって驚く。レッドライスを炊くと、炊く前とちがってあまり赤くないものだとわかった。インパクトは強くないが、じわっと好みになっていく店のような気がする。青山じゃなければもっと裏を返しやすいのにぃ。
05/01/20/thu
■右肩上がり
学生証に貼り付けるための写真を撮ってみた。
そうしたら、私は右肩上がりだった。
家の近くの写真屋さんで撮ったとき、「右肩があがっているから、下げて」と言われる。意識がすべて右肩にいってしまう。でもうまくいかない。手を膝の上で組まないで、だらんと下に垂らすように言われたり。顔が引きつる。
結果、妙に緊張した顔が映っている。却下。
予備校の近くの写真屋さんで撮ってもらってみる。やっぱり右肩が上がっていると言われる。しかも出来上がった写真は、ちょっとピンが甘い気がする。たまにピン甘の証明写真を撮られる私は、何か不幸を背負っているんでしょうか。
最寄り駅近くのDPE屋さんにも寄ってみた。やっぱり右肩上がりらしく、「左肩を上げるか、右肩を下げて」といわれた。そうか、左肩を上げるというのも解消方法ではあるな。
3カ所で、必ずいわれた。どうせなら人生や収入が右肩上がりだったらいいのに……。右肩にしかショルダーをひっかていないので、それでついつい右肩が上がっているんだろうと思う。結局、身体がひん曲がっているってことですね。ぐすん。
今年は、夏頃から証明写真をよく撮った。おかげで一夏の変容が、残っている写真から一目瞭然。7月終わりと10月終わりでは、人相が違いすぎていたくらい。人間が10%オフになったもんで。
この10月下旬時より、いまの方が体重は1キロ少ないのだが、顔はいまのほうが丸い。理由はきっと10月中頃にお腹を壊していたからなんだろう。なんで下痢すると、遠いところにある頬がげっそりするんでしょうね。
それにしてもこういう準備をしていると、ほんとに「学生」になるんだなぁと、改めてしみじみする。
■続・暗記
【あらきけいすけさんの日誌】経由で、【学校では教えてくれない数学の「証明は覚えるべきか」】にたどり着く。
いやー、学部で無謀に数学を勉強しようとしていたころの自分に見せてあげたいことよ、ほんと。当時の私は、「大学でする勉強は、覚えることは必要ないんでしょ」と無根拠に捉えていた(と、いまから振り返ると思う)。
でも、線形代数も微積分もある程度は、定義も定理も証明も覚えていないと、まーったく無理でした。というか、昨日も書いたように日々(じゃなくてもたまにでも)勉強していれば当たり前に身につくことすら、ほとんどなにも身についていなかったわけで、「それはあんたちょっと」といまの私なら呆れるレベルだったんだよなぁ。
……理系ワールド住人さんにしか伝わらない例を出せば、「部分空間」の定義をちゃんとわかって(=理解)、それをいちおう覚えたのは、大学卒業してからでした。あはは。いや、などと笑っていられる状況ではない。よくまぁ卒業させてもらったものだと思う。
数学的に頭も悪いし、勉強もせん学生だったが、それでも3年生くらいになるとなんとなーく大学数学の雰囲気にやっとのこと馴染んできたみたいだった。まだ「覚えよう」という態度は皆無だったが、ふつうの成績が付くようになった。カタツムリ以下の歩みである。
2次方程式の解の公式すらいちいち導かないと答えられないいまの私に、大学時代に習って覚えている定理や証明はひとつもナイ! 自慢していうことではないか。
あ、唯一おぼろげに記憶しているのは、カントールの対角線論法くらいかな。無限の話のやつですね。あのすんばらしい証明すら、おぼろげ。知り合いのカメラマンさん(京大数学中退)は、「あれは感動的な証明だった」とちゃんと反芻してくれた。出来がちがうもんだと感じつつ、大学を卒業した私は相づちを打つしかできまへんどした。
ただ不思議なことに、たしか大学2年か3年で取った哲学の基礎科目は、自分では覚えたという感覚はないのに、試験でちゃんと書けたんだよね。ギリシャ哲学の簡単なところだったのはたしかだけど。イデアがどうしたこうしたとか、そういうの。面白く感じて、あれこれ考えているうちに、試験ですらすら答えられるくらいには知らないうちに覚えてしまったってコトでしょう。
数学でもそういう状態になっていれば……。4月からは心して「面白がる」ぞ。
05/01/18/tue
■暗記
最近のマイいいまつがい。「パスイン・ログワード」。
「かとうあい」と「あとうかい」で有名なこの手の入れ替わりは、なにで起きてもけっこう楽しい。パスイン・ログワードは聞いた同居人が喜んでいた。なんか妙に“パスイン”できそうだ。
火曜日は恐怖の6時間民法だった。もはや6時間も集中力がもちましぇん。代理権絡みの論点(といわれるもの)をあれこれ解説していたが、半分くらいは「ふーん」で通り過ぎていった。
ところで、「法律」というと「暗記」と思われるようだ。その昔、某女子アナに法律系の媒体でインタビューしたところ、「法律はすごい」というイメージがあると言っていた。「法律」イコール「六法全書」ということで、やっぱり暗記しなくちゃいけないんでしょ、そんなのできないわ、という路線だった。
ま、それはいいとしても、いまもそれはよくいわれる。もともとよくない記憶力がすーっかり落ちた身としては、非情なる現実に向き合わざるをえない。
が、思うのだ。
そりゃ、覚えなきゃいけないことはたくさんある。だけど、それは他よりそんなに多いのか?
理系科目といわれるもののなかで、数学や物理系に進んだ人から嫌われやすいのは化学だった。その次が生物。もちろん両方とも「たくさん覚えないといけないから」という理由だ。それと似たようなことを文系の子らは、数学や物理に対して言う。「覚えないと問題が解けない」。
結局、自分が好きだったり、興味を持っていたりする分野は、ストーリーやら文脈やらにのっかって無意識のうちにあれやこれやと覚えている。それで苦にならないってことなんだろうと思う。でも、そこをすっ飛ばして、「○○は暗記ばかりだからイヤ」となりやすい。少し不思議。
悲しいのは、好きで身につけたはずのことも、しばらく遠ざかっているとものの見事に抜け落ちることだな。忘れることも人間の大事な能力とはいえ、ここまで見事に忘れなくても、と似たようなことを何回も調べてはため息をつく。
05/01/16/sun
■読後メモと真っ青なメルマガ
ばた。ばたばたばた。ばたばた。そんな感じの日々である。身体も頭の中も、いろいろ気ぜわしい。
そんななかで、ちまちま移動時間などに読んでいた『統合失調症あるいは精神分裂病』(計見一雄著、講談社選書メチエ→[bk1|amazon])をやっと読み終えた。メチエにありがちな作りで、ほかの本ほどに雑さは感じないけれど、まさに素のまんま(あ、雑じゃない本もあります)。とくにこの本は、著者の計見氏のがらっぱちな感じのカラーを残そうとしているような印象が強かった。何回かの講義で語ろうとしているのは、計見氏がとらえる統合失調症像だ。その途中で、あれこれいろいろな話題が挟み込まれているが、軸足はタイトルそのまま。そして、主張の基底にあるのは、冒頭と終わり近くに出てくる「精神分裂病、そしてその他の精神病は、ただの病気にすぎない」(p.1)、「私は分裂病をただの病気にしたいと願っているものです」(p.267)である。
そうなってほしいと、改めて思う。
が、この本自体はあまり読みやすいとは思えない。彼のカラーを知りたいときに読むにはうってつけだが、計見氏が率いる病院をルポした『救急精神病棟』(野村進著、講談社→[bk1|amazon])の方が、取り組みや実際の様子含めて、全体像は把握しやすいだろう。
それと、計見氏や野村氏の本を読むときには、あわせて、
【精神科救急の難しさ(1)】
【精神科救急の難しさ(2)】
【精神科救急の難しさ(3)】
【精神科救急の難しさ(4)】
を読んでおくといいと思った。言わずと知れた【医学都市伝説】の書き手によるものである。「広まらないシステム」「広がらない動き」は、やはりその理由があるはずだ。ありがたいことに、そこを考える視点を提供してくれている。
さんざんメディアにも取り上げられて、先だっては【東大でもシンポが開かれた】、北海道・浦河の【「べてるの家」】を私が知ってから何年経っただろうか。5年? いやそんな直近ではない。すでに8年くらいは経ったかもしれない。
近いジャンルで仕事をしてきた人が、べてるが知られ始めた頃に「あれだけの条件がそろうこと自体がうらやましい」と言っていたことを思い出す。「べてるに“学ぶ”」ことは多々ある。そして、できる。
が、べてると同じである必要はまったくないけれど、「べてるを“増やす”」ことはままならないところも、あわせて見ていけるといいなと思う。それは、精神障害であれ、知的障害であれ、施設建設の話があると即座に「反対」の看板を家の前に掲げる側を見ていくことでもあるんだろうな。……この前、近所でこの手の看板を見かけて、軽く絶望感がきたところなもんで。
ということとあわせて、【「純粋未修者」の置かれている状況】を読んで、真っ暗&真っ青になっているのであった。これまで、「どうにかなるでしょ」or「どうにかしてやる」で乗り切ってきた人生だけど、今回は「どうにもならないかもしれない」とブルブル。でも、進学するけどね。だって、こんなふうに勉強する機会をもらえることは、めったやたらとない。しかも、ガラでもない「はじめてのこくりつ」でネタを仕込める権利ももらえたんだもん。だから、「どうにもならなくてもかまわん」である。四十の手習いに、眠気以外の怖いものはない。はーっはっはっは。
■入手本
渡辺正著『これからの環境論』日本評論社
→[bk1|amazon] 「シリーズ地球と人間の環境を考える」の最終巻。なんと著者と妙齢の女性の対話形式である。渡辺先生がこういうスタイルで書かれるとはちょっとというか大いに意外で、新鮮! 対話形式は、たしかに難しい。一部にはよくても、ある程度話を進めようとすると、ご都合主義っぽいところが必要になってくるものだし。まぁ、それはそれとして、けっこう読みやすい仕上がりになっているんじゃないかと、つまみ読みしたところでは思います。いただきました。ありがとうございます。
ガリレオ・ガリレイ著『天文対話 上下』岩波文庫
ガリレオ・ガリレイ著『新科学対話 上下』岩波文庫
→絶版なのでリンクは略。ちなみに『天文対話』は「絶版文庫販売」を謳う【黄麦堂】で、『新科学対話』は【文庫川村】で購入。前者はネット注文だった。世の中、便利になったものよのぉ。というわけで、難しい対話形式による、SW的第一人者の本。今度の、読めや食えや会のお題が『天文対話』でした。こっちだけでも全部は厳しそうなので、読めるところまで頑張る。
山本譲司著『獄窓記』ポプラ社
→[bk1|amazon] 去年の春頃だっただろうか。朝日の社会面に大きな囲み記事があった。漢字一文字をあしらっての記事。そこに掲げられていた文字は「獄」だった。山本譲司氏が出獄してしばらくしたころに掲載されたような記憶がある。その記事がとてもよかった。署名記事で、いまは名前を忘れてしまったけれど、名前を見かければ「あの記事をかいた記者さんだ」とわかるだろうと思う。名前に克が入っていたような……。ちがったかな。というようなわけで、「いずれなにがしかの形で本が出るだろうな」と思っていたらご本人が書いた。すっかり出遅れてしまって、いまごろ入手。
森達也著『いのちの食べかた』理論社
→[bk1|amazon] フジのNonfix枠で放送された「1999よだかの星」と『放送禁止歌』(解放出版社→[bk1|amazon])の延長線上にある作品のように感じる。中身はもちろんいつもの森達也的視点。「魚の市場はテレビでもよく紹介されるのに、肉の市場は(もしあるのなら)、どうしてテレビで紹介しないのだろう?」が根っこになっている。私自身、皮なめし工場は見学に行ったことがあるけれど、食肉市場は結局行っていない。芝浦で働いている人から話を聞くことはあったけれど、なかなか現場にはいけなかった。多くの人が「知らない」で済ませてしまえるところにこだわる森氏の能力は、やっぱり一級品だろう。いろんな人に読んで欲しいなと思う。
理論社のYA(ヤングアダルト)もの「よりみちパン!セ」シリーズの中の1冊なので、ああっという間に読み終わってしまったのだ。少し悲しい。
森達也著『世界が完全に思考停止する前に』角川書店
→[bk1|amazon] 上の本を買うとき、ついついでに購入。
05/01/11/tue
■感動リンク
なにも私がリンクを張るまでもないのだが、感動したのでリンク。
結城浩さんの日記(2005年1月8日円周率)より 【以前長男に「円周率が3だったらどうする?」と尋ねたことを思い出した。長男の答えは「正六角形を円と呼べばいい」だった】
リンクって言っても、短いのでほぼこれで全部。ごめんなさい。
円周率が3だったら? 凡人な私は「計算が楽になってうれしい」くらいしか思い浮かばない。計算、苦手なのじゃ。それに、円に内接する正多角形の外周から、円周を近似したアルキメデスは正96角形まで計算しなくて済んだことになる。そうしたらアルキメデスは現代に伝わるような人物になっていなかったかも。うそです。円周率以外にもいろいろやってくれてます、あのおじさんは。
「円周率が3だったら」で、3.14との比較をしたり、「ゆとり教育」を批判したりするんじゃなくて、「円周率が3の世界」を考えるっていうのが気持ちいい。たしかに直径を一番長い対角線という意味に解すれば、正三角形が6つ集まった正六角形は「直径×3=周囲の長さ」な図形だ。
それはどういう世界だろう? 車に乗ったら、決して喋ってはいけない。タイヤが六角形だから動こうとするたびに、ガックンガックンと上下するので、口を開けていると舌を噛む恐れがある。マンホールのふたも六角形。……これはとくに不都合ないか? あと、10円玉も100円玉も六角形。どっかの国のコインは多角形があったような気がするので、さして問題もなさそうだ。せいぜい、ピーター・フランクルか誰かがコイン詰めのパズル(10枚×2列が入る大きさの長方形に21枚を詰め込めるかとかだったような…)を出しても、ぴっちり入ってしまってあまりおもしろい問題にならないってことか。
あ、フラフープや新体操の輪っか競技だと、お腹が傷だらけになる恐れがありそう。傷というか、アザかな。溝をつたう古いレコードはまだしも、CDやDVDは光ピックアップの動きでキュキュッと鋭角的にならないといけないところが出てきて、機械の苦労が忍ばれる。そして、きっと【古屋兎丸】が悲しむ。
あ、そうだ。ホビットの家の扉も六角形になるんだね。
05/01/10/mon
■佳境
なんか家選びがいきなり熱気を帯びてきてしまった。疲れた……。
05/01/09/sun
■唐招提寺と台風の目
松も明けて、明日は成人式だというころになって、同居人が大阪に顔を出しに行った。というわけで、今日は一人でおうち。メールの返事を書いたり、仕事をしたりしているうちに、3時になってしまった。
午前中にテレビで流れてきた予告で知った「唐招提寺」の番組に、チャンネルを合わせた。つい書いてしまいながら毎度思うが、我が家のテレビにチャンネルはないのだった。リモコンで押すだけ。……でも、「チャンネルはそのままで」ってな言い方は、いまも日本やアメリカで使われているなぁ。ということは、別にいいのか。「チャンネル」という言葉の使われ方を考えると、「アクセスする方法」ってな意味合いもあるもんなぁ。
という話はさておき。待ってましたと見たのは、TBSでやっていた【時空サイエンスロマン 金堂復元!唐招提寺1200年目の真実】というもの。
(前にも書いたかも知れないけれど)好きなんです。唐招提寺。初めて行ったのは高校2年の時の修学旅行だった。京都の寺はふつうに「へぇ」「ふーん」だったが、奈良は違った。その中でもこの唐招提寺に入ったとき、「ここは日本じゃないみたいだ。なんか大陸っぽい感じがする」とドキドキした。お隣の薬師寺とも違う、どーんとした空間が印象的だったのだ。
で、大学4年の時も出かけた。貧乏旅行の定番、大垣行きに乗って、とことこ出かけた。まず唐招提寺へ向かい、そのときは矢田寺の宿坊に2泊させてもらった。それから2年くらい経ったころ、また見に行った。今度はぜいたくに新幹線で、奈良ホテルに泊まってみたり。でも目的地は唐招提寺。その次は、大阪に住んでいたころ、1度だけふらふらと奈良に遊びに行ったとき。99年ごろかな。計4回、行ってます。
4回のうち、2回は工事か発掘をしていたような気がする。「安全」と書かれた黒とオレンジの囲いがある唐招提寺は悲しかった。2005年の唐招提寺は、正面の金堂がすっぽり覆われている状態らしい。行くのは修復が終わってからにしよう。【唐招提寺2010プロジェクト】によると、2010年か。先が長い。
まぁ、なんのことはないTBSが日経などと主催している、東京国立博物館の展覧会「唐招提寺展―国宝 鑑真和上像と盧舎那仏―」の番宣(?)用番組ではあるのだが、やっぱり唐招提寺がたくさん映ったので、大満足。建物を見るのが好きなだけだったので、鑑真和上が開いたというくらいで、唐招提寺そのものの成り立ちもちゃんとはわかっていなかったし、入門的にはありがたかった。鑑真に東大寺との間で確執があったなんて、まったく知らなかった。ただ、ところどころ表現上の問題で、「そう断定できるのかなー」という心配はしたけど。職業病だな。
建築物としての唐招提寺が好きなのだが、歴史としても奈良時代は好き。同居人に理由を聞かれて、「なんかそれまで習っていた古墳とかとちがって、いまにつながるような都市とか社会とか、そういうものを感じたからかなぁ」と答えてみた。弥生時代のような「集落」とは、異なる暮らしが始まった時期のような印象がある。藤原仲麻呂がなんか妙に気に入っていたし。政争とか謀略とか、そういうのが出てきてわくわくしたからかもしれん。
夜は、適当にチャンネルを回していたら、日テレで「ドリームビジョン」という番組をやっていた。ナノカメラという超小型カメラでの映像リポートの次に出てきたのは、なんと、「台風の目に飛行機で突っ込んだ映像」だった。わくわく。すべてのものをほっぽり出して、ちゃんと三角座りして見てしまった。だって、かつてbk1のコラムで【上がり目下がり目、ぐるっと回って台風の目】というのを書いた私です。気になる気になる。コラム執筆当時に読んだ本では、基本的に台風の目は無風と書いてあったが、この番組では台風の目の中にさらに小さな渦があって、ちゃんと映し出されていた。メソ渦というのだそうだ。多いときは5〜6個のメソ渦が目の中にできるというから、おもしろい。とっても複雑な空気の流れがあるのだ。
このドリームビジョンの担当だった、気象予報士・石原良純は結局別の仕事とバッティングして当の飛行機に乗れずじまい。なんとなくいい気味に思える私は、ひどいやつだろうか。
でも、ほんとうにアイ・ウォールといわれる壁のような雲はあった。その上には青空も。もちろん目につっこんでからは、いくつかある渦状の雲の下にちゃんと海が見える。雲はほとんどないのだ。しかも、台風の雲の中にいたときは氷点下だった気温が、目の中に入ったとたんプラス8度くらいにいきなりあがって、飛行機の窓が曇っていたのも印象的だった。ほんとに温度差があるんだ。
本で読んでいたアメリカ軍の飛行機が台風の目に突っ込んで観測やらなにやらしていたという記述は、はっきり言ってリアリティがなかった。台風になんらかの衝撃を与えて、消滅させる実験とかそういう趣旨だったかはず。そんな無謀な。それは無謀だろうけれど、台風の仕組みを知るために、こういうアプローチは十分に考えられる。
そして、やっぱり映像で実際に見ると違うものだなぁと思う。なかなかできることではないから、バラエティという形でもいろいろなものを映し出してくれるのはありがたい。いや、バラエティだからいいのか。眉間に皺寄せて考え込むことはないもんね。
わーん。こういう体験を私自身もしてみたい。でも、大きな問題がある。飛行機が苦手なことだ。ふつうのジャンボジェット機でもびびるのに、小型の飛行機でしかも台風の目に突っ込むことは私にはできそうにない。
05/01/08/sat
■ホームエレベーター
家を買おうというのは、ほんとやっかい。いや、買うだけじゃない。借りるのも一緒だ。住宅取得欲はさして高くないが、気持ちよく暮らしたい欲は高いので、「どこでどう暮らすか」は重要になっている。
で、ちょうどよく出てきた中古物件を見てみた。いわゆるひとつのタウンハウス。現代的長屋? いや、区分所有という発想は長屋にはないので、ま、個々の家の中に階段がついている、低層小規模マンションといった感じだな。見に行ったところは、階段の代わりにエレベーターがあった。
しかも、室内の上下移動はエレベーターのみ。階段がない。う〜ん、こういう家はどうなんだろう? 高齢者対策としてもエレベーター需要はそこそこありそうだ。同居人の腰がギックリしてしまったときも、きっと活躍してくれるだろう。
しかし、やっぱりトロい。その階にいればそれほど間延びしないが、別の階から呼ぶと時間がかかる。トイレのない階から、トイレのある階に移動するとき、どう考えても階段で1階分上下するより余裕がないと危険だ。気持ちの余裕とともに、生理的欲求にも余裕が必要。お腹を壊してはいけません。
あとペット可なのだが、エレベーターしかないと犬も猫も、家人が不在の際は同じフロアにずっといつづけないとならない。これってどうなんだろうか。
階段とエレベーターがあれば問題はない。が、そこまでのスペースはない。となったときに、エレベーターのみという選択がアリなんだということに少し驚いたかも。
おもしろい物件で、なかなか見られないものだから、今回出会えたのはラッキーだった。改めて「住まう」という意識が出てきたような気がする。私はどういう生活がしたいのか?(ずぼらな暮らしだ) どういう関係性を家で作りたいのか?(この辺で同居人ともめる) という観念的なところと、現実的に折り合える経済事情はどの辺か?(日常生活よりゼロが3つ多い話にため息が出る)
戸建ての家を注文建築で建てるのは楽しいと思う。時間をかけてゆっくりできれば、それにこしたことはない。でも、極めて微妙な連立不等式の大群におぼれながら解を求める作業は、私にはしんどい。出来合いのものから選ぶことになるんだろうな。そう思うとちょっとヤケになったりもする。そもそもなんであったり前の生活で、こーんな苦労をしないといけないのかー。国の政策がまちがっているにちがいないー。って、そこまで話を広げるのはよくない。
……こだわらなければいいのか。いや、気持ちよくは暮らしたい。べつにものすごい要求をしているわけじゃないんだから。賃貸でもいいんだし。とすると、あれだ。もちっと稼げばいいんだ。そしたらポーンと即金で買えるって……、ことはないな。現実を直視して、地道に働きますです。ホームエレベーターから出発して、こんな我が身の振り返り方になるとは。
05/01/07/fri
■わざわざ御成門でランチ
ほんとは12月中に行くつもりだった「ザ・カリ」に、やっと行ってみた。昨夏の『dancyu』カレー特集に載っていたが、他ではあまり見かけない店。場所は御成門と内幸町の間にある。ランチしかやっていないので、同居人の勤務先からは近いものの、私には縁遠かったのだ。
というわけで、わざわざ出かけた。同居人と合流して、基本のチキン。サラサラ系なのではあるが、スープというほどではなく好ましい感じ。タマネギが多めらしい。一言でいうと「こゆいカーマ」でしょうか。そこそこ辛い。個人的にはけっこう好みなカレーライス。でも、期待していた青唐辛子の漬け物が、季節的になくなっていたのは残念。
……でもやっぱりインドの方が好きかなぁ。行ってみたいと思いつつ、なかなか行けない【シターラ】や【ビンディ】をメモっておこう。両方とも青山あたりなので、私がいちばん不得手なエリアだったりする。近々行けるといいな。
■勝手なイメージ
「民法」は「眠法」だと実感ちう。……憲法のあと、民法も半分まできた。言葉や内容をしっかり理解して必要なものを覚えるという本来の姿からはほど遠いが、なんとなーくそれぞれの毛色のようなものを感じつつある。
いまのところの感じ方では、民法はなんだかパズルっぽい。パズルのなかでもジグゾーパズル。平面を埋め尽くす系。でも実際にやっているのはきれいな平面じゃなくて、でこぼこがあるようなだだっぴろい敷地。細かい紙切れを貼り合わせながら、でこぼこ含めて埋め尽くす感じかな。その出っ張り部分をどうやって処理するかが、けっこう大変な印象がある。でもなんだか「切り・貼り・切り・貼り♪」という細かい楽しさもありそう。理系の分野でいうと、生物学っぽい気がする。
じゃ、刑法は? まだちゃんとやっていないけれど、元々自分が持っていた感覚では数学っぽい印象。いくつもの条件が組み合わされて、その条件に見合った結果が出力されるというか。関数的なのかな。
ちなみに、この路線でいうと物理は憲法に落ち着いた。どどーんと世界観構築系。もちろん、物理といえども広うござんす。根源探求方面のイメージからかも。
ま、こんな好き勝手なことを言っていられるのも、あと3カ月くらいです。げげげっ。もう3カ月しかないのか!
05/01/05/wed
■ヘアカラーの不思議
今日は、見そびれていた民法の講義を穴埋めで見てきた。24日以来の法律のお勉強。すっかり忘れていることを発見。4月以降はいやでも忘れられない日々となるのだろう。
という法律の話とはまったく関係なく、12月に美容院へ行ってからずっと気になっていたことをメモしてみる。ここ半年くらい、茶髪になった。それまではずっとヘナだったので、まだふつうのヘアカラーがわかっていない。ヘナはヘアカラーとちがって、トリートメントというか毛染めというか、ナチュラル系のもんなのだ。
で、このヘアカラー(というかカラーリング?)が不思議でならない。
黒い髪を茶色くするために、まずは脱色するらしい。そいでもって、そのあと茶色とかもろもろの色を入れて着色するらしい。1液と2液とかいうようだ。
が、この1液と2液は、じつは合体しているという。髪に塗られるのは1液と2液が合体したもののみなのだ。
そしたら当然、思うじゃないですか。「もし脱色と着色の薬が効く順序を間違えると大変ですね。着色後に脱色しちゃったりとか……」、と。
美容師さんから「けっこう難しい話になってよければ説明しますけど」と言ってくれた。でも、それはやっぱり「面倒なことを聞くなよ」という意味だと解して、諦めた。化学方面はけっこう好きだし、そこそこは得意だったんですけどね。
民法的にはNGを食らう自力救済に挑んでみよう。少し探したらこんなサイトがあった。
キリヤ化学:「色と化学についてのQ&A」より 【髪の毛の染色と脱色の仕組みは?】
えーと。一言でいうと、合体して髪に塗る1液と2液(1剤2剤ともいうらしい。このサイトでは「A,B2液」)は、もともとが液状とクリーム状のものなので、液状の方だけ早く効果が現れ、その後クリーム状の方がゆるゆると動き出すという仕組みらしい。
が、液状の方が脱色専用係、クリーム状が着色専用係というわけではないらしいのが、ちょっとわからんところだ。
脱色のためにはまず、かの有名なキューティクルさんたちに開いてもらわないとならない。この開陳作業は液状部隊のアンモニアが受け持つ。で、開いたキューティクルさんの合間にクリーム部隊から過酸化水素が入り込み、黒さの元・メラニンさんたちを分解にはしる。そうしたら、再び液状部隊から染料中間体なるものが入り込んで、勝手に参加じゃなくて酸化する。そうすると大きな染料に変身して出られなくなり、はれて着色ミッションが完了するらしい。
ちなみに、このキリヤ化学の説明や図版などは、ヘアカラー製品を作っているホーユーという会社の【カラーリング基礎知識】を参考にしているようだ。
とりあえずこのキリヤの説明を信用するにしても、なんでこんなに順序正しく反応してくれるんだろうか。液体とクリーム状という違いだけで、うまくいくものなのか? それに、液体にいた染料中間体があわてて酸化しちゃうと、キューティクルがパチンコのチューリップよろしく、開く前に巨大化しちゃって、うまくキューティクルの中に入り込めなくなったりしないのだろうか? このへんがまだしっくりこない。
でも、脱色が後からされちゃったら、せっかく着色したものまでパァになるんじゃないかという心配はなさそうだ。なぜなら、【What's Hair:VOL.03『毛髪科学』】にもあるように、元の黒を落とす仕組み(=メラニンの分解)は、新たに付けたアルカリ染料の色を落とす仕組みとは別だからといえそう。
いちばんもやもやしていたところが、くっきりすっきりして気分がよくなりました。まる。あ、なんか間違っていたら教えてやってください。
05/01/04/tue
■とまる時計
世の中の一部は、動き出したようだ。しかし我が家は、ギックリ腰の人が年末と元旦に出社したので、まだ休みモードのままである。お互い、薬飲んだり湿布を貼ったりと、すっかり病人モードのお休みなのが悲しい。
去年のクリスマスプレゼントに、同居人から腕時計をもらった。初めてのオートマチック。機械式時計というやつだ。メーカーはもちろんガルーチ。でかいことこの上なく、つけていると重くて手が疲れるのだが、気に入っている。表は3分の1くらいが窓になっていて、中の様子が見える。裏は流行りのシースルーバック。通販でしか買えないので、代引きにて手に入れてもらった。
とってもかっこいいのだが、大問題が一つ。私は在宅でデスクワークがメインの人間である。重いのをがまんして腕にはめていても、ほとんど動かない。夜はさすがにはずして寝る。となると、すぐ止まってしまうのだ。ちゃんと調べてはいないが、気分的に30時間くらいでぱったり。手がかかる時計である。もちろんそこも可愛い。
もう一つの特徴は、時計を見て、その時間があっているかたまに確認しないと不安があるところ。このガルーチは、ほんとに時計の役を果たしているのだろうかという問いは封印してある。
ガルーチを手に入れる前に買ったソーラー時計は「月差10秒」くらいだった。ガルーチは「日差15〜30秒」。最低でも3日に1回は、時計の時刻合わせが必要というわけ。が、たいていは3日に1回は動力切れになってしまうので、細かい時刻合わせはまだ必要になっていない。さっきも止まっていた。はっと気づくと2時間くらい遅れている、愛しいガルーチ。
手がかかる子ほどかわいいというが、どこかで「かわいさ余って憎さ百倍」にならないことを祈っている。
■スリランカ
当然ながら、津波被害のニュースがずっと続いている。スリランカの支援状況はよくなってきたのだろうか。島国根性が染みこんだ私が、最初に行った海外。ほぼ南端にあるゴールまでは足をのばせなかったものの、西側のビーチ、ベントタでは2日ほど過ごした。たまに報道される西側では、ベントタより北でも被害があったらしい。リヒニアサーフホテルというドイツ系のホテルは、ほんとに目の前が海だった。そのホテルの裏側に、日本で働いている人の実家があった。あのあたりが心配でならない。もし私達が行っているときだったら、個人旅行のいちばんやっかいなパターンだったろう。ホテルも向こうに入ってから全部予約したくらいだし。
私達がスリランカに行った1996年は、まだ北部のジャフナに外国人は入れなかった。ここのところ和平交渉が進んできてはいた。だがまだ決定的な解決を迎えたわけではない。いまタミル人が暮らす北東部の沿岸部は、南部に比べてもおそらく厳しい状況にあるだろう。何もできない自分がもどかしいが、せめて義捐金を出そう。
05/01/03/mon
■いまさらBJ日記
日記つけて 曜日がわかる 三が日。意味なく五七五にしてみました。
ホカロンでお腹と腰をサンドイッチした日でもあった。初コミケとなった30日の夜、年末2度目のギックリ腰をやらかした同居人に対してはさすがに八つ当たりができなくて、凶暴さが蓄積されている。いかん。いかんぞ。
そういえば、元旦に、いまさらながら『ブリジット・ジョーンズの日記』を借りてきて見た。あまり意味はなく、レンタルビデオ屋さんでジャケットと目があって、「そういえば、なんか話題になっていたのだな」というくらいの気持ちだった。
で、見てみた。
途中から混乱してきた。これって、たしか「共感できる」とかそういうキーワードが飛び交っていた映画だよね。どこに共感するの? あと10キロ痩せようとしつつも、実行できない軟弱者のところはわかる。でも、なんの努力もしないで、色男とエリートから求愛され、テレビ局にすんなり転職できちゃうし、そこでもいきなり現場からのリポートをまかされてとかいう女性の、どこに共感できるの? よくわからなくなって、私は思った。「あ、これ、きっと最後に『朝起きたら、相変わらずの冴えない日常が待っていた』パターンなんだろうな。いわゆるひとつの夢オチ。そしたら、共感呼びまくるはずだ」と。
最後までそう思って、大人しく見ていた。そしたら、そのままハッピーエンドで終わっちゃったよ。
うそでしょ? なんでこれが自然体だの共感だのというフレーズにまみれる映画なの? 信じられない。なにがどうなると、そういうコトを口にできるわけ? いったい、なんなのこれ。
いろいろネットで見てみた。やっぱり「共感」系がそこそこある。映画としては、まぁまぁおもしろいですよ。でも共感は一切しないというか、できないでしょ、これ。
そんなときに、【みやのさん日記】になんか書いてあったような記憶がふっと蘇った。そこを読めばなにかわかるかもしれない。すがる私。ぴんぽーん。ありましたありました。【この映画を観た30代半ばの女性で「ブリジットに共感しちゃう〜」とか言っている人は、たぶん私の友達ではないです。そして、たぶん、あまりいいお友達になれそうにもないです】とのこと。ほっ。よかった、こういう人がいてくれて。
同居人はいま受けている授業に「ジェンダーとジャーナリズム」てなものがあるので、そういう点で収穫だったらしいが、私は「???」のみ。だから、なんで「共感」というタームが気軽に出てくるのか、少しだけ考えてみた。日常のディテールに関しては描写がところどころリアルなのだ。たとえばダイエットしなきゃとわかりつつなかなかできないとか、洗濯物は洗濯籠に入れるようにしたいとか(注:私はこれは珍しくできる)。そこでぐっと引きつけて(=共感はココ)、ディテールを彩るお話部分はあり得ないファンタジー(=気持ちよくさせる部分がココ)でまとめる。そして、「ありのままの私でいいのよ」と肯定されて終わる。この辺がないまぜになっているので、「共感」が野放図に浮かび上がってくるんじゃなかろか。
にしても。原作はまた違うみたいだが、映画はこんな安易な作りでヒットするのか? しかも性懲りもなく『BJの日記2』ができるんだよね。どうしようっていうんだ。
……が、DVDに付いていたオマケ部分を見て、反省。原作って、日記の冒頭に体重と吸ったタバコの本数と摂取カロリーが書いてあるらしい。
あぅあぅ。私も似たようなことをしているじゃないか(ミクシの方で)。しかし、愚痴だの、気の利いたコメントだの、すかっとする罵倒だのはないので、「つまらないだけのBJ日記」になっていたのだったと思い知らされる。世界中でベストセラーになった『BJの日記』は偉大だ。お恥ずかしゅうございます。
そんな辛い元旦DVD鑑賞だったので、今日は『ロード・オブ・ザ・リング3 王の帰還』を見る。満腹になりました。ファンタジーの原典なんだろうなと改めて思う。ただし、異形排除的な感覚または白人中心史観的なつくりは、どうしても鼻につく。
05/01/02/sun
■鳥さんと無重力
同居人が高層ビル内で勤務中に、けっこうな高さまで飛んでくるカラスを見て、疑問に思ったらしい。「無重力状態だったら、カラスはどんなふうに飛ぶんだろうか?」。おお、私も知らんぞ〜! どんなふうに飛ぶんだろう? 飛べるのか? スペースシャトルに鳥は連れて行かれたことないのか?
無重力に連れて行かれた動物といえば、まずはメダカ。ちゃあんとサイトまである。
【宇宙メダカ・ホームページへようこそ!(軽量版)】
【SpaceMedaka Homepage 宇宙メダカ実験のすべて(通常版)】
魚でも無重力状態は全然ダメな種類がいっぱいいるらしい。そんななか、無重力に強い系統のメダカを見つけて、スペースシャトル内で生殖行動を観察したという話だ。同じメダカでも無重力がへっちゃらなのとそうじゃないのがいるんだというのが、けっこう興味深い。さらに面白かったのは、地上生まれと宇宙生まれのメダカが地上に帰ってきたとき。【「地上生まれのメダカは、水槽の底に沈んでしまった。(略)この場合も、時間が経つとしだいに慣れるが、正常に泳げるようになるまでに、4日以上かかった」そうで、「宇宙生まれのメダカの稚魚は、地上でもすぐにふつうに泳ぎ出した」そうだ(JAXA Space Station「4章 宇宙でいきる」Q51より)】。
でも、メダカがいるのは水の中。カラスのように飛んではくれない。とはいえ、ラットとかでも無重力になるとぜーんぜんダメで、おびえまくっているらしい。となると、「鳥は無重力状態ではどう飛ぶのか?」というのは、試すまでもなく無理・無茶ってことなんだろうか?
いや、諦めてはいけない。たしかカエルみたいなやつが、無重力状態で泳ごうとするようなポーズをとっていた映像の記憶がある。カエルの場合の無重力での発生は、【地上の場合と同じで、無重力でも正常に発生が進むのだ(JAXA Space Station「4章 宇宙でいきる」Q48)】という。ネコもあったっけ? これかなぁ。【快感?猫も飛ぶ無重力 (「所さんの目がテン」#024 90/03/18)】。ちがう気がする……。
それに、カエルもネコも本来は飛ばないわけで、カラスを含めた羽をもつ鳥一般とはちゃうし。鳥さんたちは、地磁気とか太陽とかいろんな情報を集約して渡りをするはずだし。無重力なんて状態に放り込まれたら、やっぱり慌てふためくだけなのだろうか。
どうもパキッとした回答を探し損ねてしまった。残念。……お正月番組をテレビで流していると、ここで「○○○○斬り」とか言わないといけない気分がしてくるあたりで新年を感じてみてます。
05/01/01/sat
■謹賀新年
2005−1965=40
というわけで、9カ月後ではあるが今年でちょうど40歳となる。改めて「40歳」という文字を目にすると、30歳になったときとは少し違う感慨があるような気もする。何が違うんだろう? 平均寿命からすると約半分を過ぎたことがあきらかであり、30歳とはあきらかに違う完璧な中年で……、そっか、覚悟だ。覚悟を決めて老化していくしかない年齢なのだな。よし、それならそれでOK。楽しそうだもんね。
これからの10年で、身体の面で老年期に入っていくのだが、一方で法科大学院に合格してしまったので、ピカピカの1年生として勉学に励まないといけない。まだ来ていないけれど、何年後かには老眼鏡が勉学のお供になるんだろう。「四十の手習い」の典型的見本だ。そしたら、老眼鏡を自慢しよう。
どう考えても、今年はかなりな環境変化がある年になるわけで、右往左往している私だとは思いますが、皆様方、どうかよろしくお願いいたします。
……お願いしたいことはたくさんあるけれど厳選して2つだけ。
私が知っている人も、知らない人も、この1年、笑顔で過ごせる日々が続きますように。地震や津波など災害にみまわれた方々が、少しでも早く元の生活を取り戻し、たくさん笑えるようになりますように。
■入手本
安野光雅著『天動説の絵本 てんがうごいていたころのはなし』福音館書店
→[bk1|amazon] 今度のSW的集まりで、イタリアのがんこじいさんの本と一緒に読んでしまおうという趣旨。安野さんの数学モノはたいてい持っているのだが、こちらは持っていなかった。1979年の本だというのに立派な現役というあたりに、この版元と著者の力を感じる。bk1じゃ、24時間出荷状態というのだから驚く。
安野光雅著『ふしぎなえ』福音館書店
→[bk1|amazon] ついでにといってはなんだが、持ってなかったのでこっちも購入。
先月のてくてく→2004年12月