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2007年3月のてくてく
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07/03/31/sat
■無題
立岩真也と稲葉振一郎の対談本『所有と国家のゆくえ』を読みたくて持ち歩いているのだが、なかなか読む時間がない。この本はなんとなくお風呂にもって入りにくいのも、読み進めにくい一因。というわけで、お風呂で本を落とさないですみそうなときは、小阪修平の『思想としての全共闘世代』(ちくま新書)を読んでいる。
前半に「セツルメント」というサークルの説明があった。
私は、「セツルメント」という言葉だけは知っていたものの、なんだかずっとわからなかった。たしか高校2年か大学1年のときに、東大の駒場祭へ遊びに行ったときに「○○セツル」と書いてある看板をいくつかみかけたのだと思う。「セツル」が「セツルメント」だということはわかったが、ちゃんとみなかったせいか、よくわからないままに通り過ぎていた。
小阪によると、「当時の学生運動家の活動の一つ」だそうで、おそらくその名残が80年代初頭にもあったのだろう。具体的には「いまでいうとボランティア活動なのだが、貧しい家庭の子弟の勉強をみたりする活動だった」という。
そして、東大生であることになんとなく後ろめたさを感じていた小阪は、「その底にはおおげさにいうと贖罪意識さえあったのだと思う」と説明を続け、「自分が社会的エリートの道を進んできたことが貧しい人びとを踏み台にしてきたかもしれないことへの贖罪感であり、それを生み出したのは戦後民主主義の平等主義であった」とあった。
この場面がとても印象的だった。「ああ、なるほど」と腑に落ちた。おそらく私には「恵まれている」という感覚が、いろいろな判断や行動の底にある。
能力的にも経済的にも、自分がほんものの“talented”ではないのはわかっている。
ただ、何回か親が「この子は無理かも」と思ったほど身体が弱かったものの、成人してからはそんな過去すら信じてもらえないほど頑丈になった。紆余曲折あったが、どうにか私立大学に通わせてもらえる家庭環境でもあった。すごくはないが、そこそこの評価をもらい、あまり困ったことにならずに社会人としても過ごしてこれた。一緒に暮らすようになった相方も楽な人だった。環境的に「やりたいことをやらせてもらえる」ところにいつづけられた。
もしいちばんぴったりくる言葉を選べば、「恵まれている」よりも、「運がよかった」なのかもしれない。
「社会的エリート」といえるほどには「エリート」ではないけれど(現在東大院生であることはすごいオマケにあった結果という感覚)、「運がよかった」ことにもそれなりに贖罪意識的なもの−−負い目なのかもしれない−−があるようだ。
前に畑仲さんから「スタビライザーみたいな人だね」と言われたことがある。
たしか、「なんで知的障害者の弁護とか、一般的にはめんどくさそうなことに興味があるの?」と聞かれて、「だって、今みたいにそういう人たちを切り捨ててたら、そのうちだんだん切り捨てる範囲が広がって、私も切り捨てられちゃう」というような答えをしたときだったように思う。自己保身的な答えをよく解釈してくれたらしい。
私がいまこうやってとりあえずぬくぬくしていられるのは「たまたま」で、「運がよかった」からだと思う。
きっと「運がよかった」身として、堅い言葉でいうなら「社会還元」が気になるのだろう。
持ち歩いているけれどなかなか読めない『所有と国家のゆくえ』の帯にひかれている、「たくさんできる人がたくさん取れて、少ししかできない人が少ししか取れなくて、全然できない人が全然取れない社会よりも、だいたい暮らすために必要なものをみんなが一人一人受け取れた方がいいなと思っていて、今でも基本的にそうなんです。それさえ言えばいいと言えば、それさえ言えばいい」という立岩真也の発言が、だから目について離れないんだ。
07/03/18/sun
■おやすみ
さすがになんか疲れてきたので、今日は同居人共々お休み。同居人も土日のどちらかが必ず出番になる仕事なので、二人一緒に休めるのはほんとに久々だなぁ。私は土日かまわず学校に行っているので、同居人からすると私がいること自体が変らしい。「なんでいるの?ってかんじ」と言われる。たまに「また遊びに来てね」と送り出されるくらいだからねー。
てなわけで、朝からゆっくり風呂掃除をして朝風呂など入り、洗濯をして、ほんの少しだけ部屋を片付ける。でも、合間合間に年度末仕事というか、新年度仕事のメールを書いたり何をしたりで、ほんとの目的の本の整理はまーったくできなかった。新入生を迎えるにあたり、在学生があれこれ案内をするので、いきおい原稿書きや人の手配が必要になるのだ。新2年生向けの案内用原稿2種類と新1年生向けの案内用原稿を2種類、2バージョンつくらないといけない。あと冬学期にもぐっていた学部のゼミのゼミ論集用感想文。ふだん使っている頭と別のところを使わないといけないから、ちょっとバタバタしている。前はこういう頭の使い方ばっかりしていたのだけどねぇ。
でも、疲れているので基本は休息。夕寝をしたり。先週、両親の結婚記念日&実家リフォーム前見納めで、いろいろ昔のものを持たされたのでそれを整理したり。20年前の物理の実験レポートとか出てきて、「なんとまぁ、こんなものを後生大事に」と思うことしきり。小学校と中高の卒業アルバムとかもあって、さすがに懐かしかった。探していた大学時代のギリシャ哲学のノートは出てこなくて残念。現象学らしき授業のときのメモは出てきたんだけどね。オッカムという名前があったので同定できた。この名前以外じゃ、なんのためのものかすらわからん。
そういうことをしながら、同居人と掃除用品などを買いに出ると、「なんか休日って気がするね」としみじみ。ローに入ってから、とくに去年の7月以降は学校べったりだったからなぁ。お正月はあちらさんの修論追い込み&私の試験前で、しみじみ休日とはほど遠かったし。いろいろすまんこってす&いつもお世話になってます。
なんでこんなに疲れているのかなーと振り返ってみると、11日は昼前から実家に向けてワンコ連れで出て行き、夜帰宅。12日は朝9時からお勉強と確定申告の計算と清書をして、午後は出張教室のリハをみて、お誘いがあったのでUさんと夕方四谷まで立ち飲みに行って、ついでに四谷から歩いて帰ってきて、赤い顔のまま少しだけ勉強して、13日は朝から確定申告結果を出しに行って、そのまま学校に行って勉強して、刑法の講評会で「よくまぁBがきたもんだ」と怖い思いをして、夜は浅草のブラジル料理の店に行ってお腹いっぱいになって、カシャッサというお酒をロックとカイビリーニャというカクテルでけっこう飲んで(強めの酒で香りがよくて、後に残りにくいのがよかった)、浅草から歩いて帰ってきて、14日は朝から勉強して、お昼に来学期の授業をどうするか情報交換して、この日はどれくらいまで学校にいたかよくわからなくて、15日はやっぱり朝から勉強して再び履修どうしようランチをして、民実なる科目の講評会でやっぱり不思議な思いをして、出張教室の別のリハをみて、夜はクラスのIさんとUさんと「十三や」に日本酒を飲みに行ってけっこうたくさん飲んで(でも和泉屋さんの酒だと翌日に残りにくいことを再確認)、16日は朝から勉強して、午前中に上級商法の講評会で「ほんとになんで単位が来たのだろう。仏だ」と嫌な汗をかいて、お昼に3年生の卒業式関連お手伝いの打合せに出て、そしたら打合せが終わるころ出張教室のまた別のリハが始まったので再び生徒役をやり、知らない間に夕方になり、少し勉強をして、17日は少し遅れて自習室に行って、午前中にある班の2回目の出張教室リハをみて、午後は民法の勉強会で書記係をして受領遅滞の話に漂い、疲れて早帰りの同居人と大久保の「夢民」までカレーを食べに行き、自習室に戻って少し勉強の準備をして、早めにかえってUさんからもらった溝口健二の『雪夫人絵図』を「いやらしー。でも芦ノ湖きれー。セットとは思えない家がすごいー」とかいいながらみていたのだな。疲れるのも仕方ない。
さて。明日に備えて、民法の百選なる判例が集まったものを読みます。完全な休日はありえない日々。
07/03/10/sat
■祝・進級
くるくるぴゅーっな毎日のなか、昨日、沙汰がありました。
なんと無傷で進級できました。シンジラレナイ。もちろん成績はよくないですけど、そんなこたぁ、どうでもいいことです。助けてくださったみなみなさま、ほんとうにありがとうございました。再履修科目のしんどさは、この学期で痛感しましたから。勉強にはなるし、再履自体が全部悪いわけではないけど。というか、精神力次第なことかも。
ただねー。主観と客観の不一致がねー。はげしい。これってどうなのという気がするくらい。
試験直後の感じでは、上級民法以外はこんな感じだった。
「上級刑法>刑実=基本商法>上級行政法>民実=上級商法」
で、民法は、行政法の下、民実の上くらいな印象だった。あと上に入れなかった国際法は、上級行政法と同じくらい。でも実際は、
「刑実=民実>上級刑法=上級民法=国際法>上級行政法=上級商法=基本商法」
やっぱり、商法ができないらしい。しかし「民がつくとC」というジンクスは破られた! 最大の意外は民実だよなぁ。刑実はまぁ、納得するんですけどね。そして刑法は去年のようにはいかないなぁという意味で納得したんですけどね。あと行政法がわけわからんのですけどね。これは仕方がないということか。
ただ、2年生科目ではない基本商法を除けば、また見事な一人正規分布でした。彩り鮮やかな人生を送っております。
というわけで、昨日は、同級生たちが取り組む出張教室のリハーサルをみて、1年点検に出している車を引き取り、ひさびさの運転でどきどきしながら、某出版社の友人に某週刊誌のバックナンバーをもらいにいき、その週刊誌を使う出張教室の別の班の子に渡し、ひっそりとした進級祝いを根津の釜竹でUさんとして、帰ってきた同居人と遊びに出て、ひさびさにカラオケで大きな声をたくさんだして午前2時に帰還。なのに今朝6時半におきるようになっちゃ、人生も終盤なんだなぁと思うしかない。終盤にあれこれ頑張ってみております。
あ、この1週間、『チョムスキーとメディア』も見てました。そして地裁行政部の見学に行ったりもしてました。勉強会も入っていました。来週はどんな感じかな。学校がないときくらい、頑張って遊びますです。
でもね。大きな大きな課題が……。確定申告しないとーーー! 未だ手つかず。
07/03/02/fri
■続くるくる
相変わらず、くるくるぴゅーっと回り続けている日々。ほんと試験より気ぜわしい。
『下妻物語』は、『嫌われ松子の一生』の後に見たが、それでもよかった。テクスチャーという言葉がぴったりくる映画を撮る監督だなぁ。
翌27日は、やっと『それでもボクはやっていない』を見に行く。ローの中で声をかけ、計9人で。一足先に見に行った同級生が、「刑事実務基礎の試験の前に見たかった」という感想をポロリと漏らしていたのがよくわかったが、一方で、そうかぁという感じでもある。私の場合、この映画に出てくる問題点をいろいろ聞かされ、読まされた状態で去年から刑事訴訟法やら何やらの授業を受けているので、『それボク』自体を見る前に刑実の試験だったが、ここ1年以上「見た後」の状況で過ごしてきたようなものだ。
心の底から、一人でも多くの人にみておいてほしい映画だと思う。でも、これは現実を模写したものに過ぎないのか。いや、それはちがう。映画という基盤にきちっと立脚している作品である。その点については、【クラスメートのサークルの先輩にあたる方のブログ】に、見事な筆致で感想がまとめられている。映画のあと、もやもやしたものを感じつつも、そのもやもやをカフカの『審判』に焦点を定められなかった自分の底の浅さも痛感した。カフカの『審判』を高校生のときに無理して読んで、わけわからなくて、でもイメージだけは残っていて、それが後年見た映画『K』(「審判」が原作)のイメージとよく似ていたので、なんとなくほっとしたことはすぐ思い出せるのに。そこで感じた「ぐるぐる回らされる」と感じた不条理を、『それボク』でつなげられないなんて。
そういえば『それボク』で出てくるディテールは、痴漢被疑者の弁護をした知り合いから聞いていた話と、ほとんど同じだった。再現ビデオを被告側が撮影し、いかに不可能だったか立証する。
これは、刑事裁判の原則からすればおかしい。その被告こそが実際に痴漢をしたと証明しないといけないのは検察側の仕事で、「やってない」を証明するのが弁護士の仕事ではないからだ。その原則が通用しないのだとしたら、訴追だけではなく弁護も国の強制力のもとに行わないと均衡がとれないだろうに。書面の証拠だけで「まっクロクロだな」という心証をもつ裁判官がいる現実からは、どうしようもなさだけが手許に残る。
こうやって書いていても思うけれど、この映画には刑事裁判の現実が見事にパッキングされているのだなぁ。帰りがけに、前に行き損ねた「シェリー・クラブ」にも寄れたし、満足満足。
28日は、『モーツァルトとクジラ』をシネスイッチ銀座で、同居人と。しみじみ。ただ、同居人は「感情移入できないな、っていうのが一言で言うと感想」らしく、その映画に妙に感情移入できてしまって、でもそれは自閉症についての知識があるからで、実際終わってから同居人にそういう周辺情報を教えたりして、それって客としては純粋にみてなくて問題だよなぁとか思いつつ、でもべたべたの純愛系でなんとなくこういうのを見たかったような気もするので(最近ハルに同居人をとられているからかな)、けっこう満足する私。そして銀座から歩いて帰る。いい運動。
さらに、3月1日は、おうちで映画の日。やっとこさクストリッツァの『ライフ・イズ・ミラクル』を見る。まんまクストリッツァ。『黒猫白猫』を経た『アンダーグラウンド』というか、「セルビア寄り」という批判にめげた後の『アンダーグラウンド』というか、なんかよかった。前の地下道といい、今回の鉄道といい、メタファで「道」っぽいものを使うのが好きな監督だぁね。そんなこんなで、『アンダーグラウンド』とワンセット感があるように思えて、この2作品の連続鑑賞会なんぞを思いつく。無謀。危険。だって、171分+154分だからね。第一、いつそんな時間があるのか。あーー、発散する物語の『アンダーグラウンド』と、閉じた密着系の『ライフ・イズ・ミラクル』を比べつつ、みたいなー。
そして今日は、勢いで『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の当日券を手に入れて、見に行ってしまいました。山本耕司くんのヘドウィグは、楽日近かったせいかちょっと疲れ気味だったのが残念。途中途中にもうちょっとパンチのある歌い方をしてほしかったかも。中村中は、大当たり。この人の歌を聴いてみたいと思った久々の人でした。
舞台は……。ロックミュージカルで、あおりの照明がバンバン入って、なんかずるい。そして何か懐かしい。まぁ、なんか昔を思い出したってことですね。
民法百選を日々読んで、表見代理のお勉強をしつつ、くるくるぴゅーっと回ってます。はい。
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