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小金井守護人
小金井市が革新市政になったのが昭和46年のことである。
それを契機に、小金井市の財政は人件費の増加と共に圧迫されていくのである。
スタートは社会党市長として取り組みを始めた永利市長であったが、当時既に強力な勢力を持っていた共産党系組合の圧力で、次第に共産党の主導の市長の姿勢に変化していった。
その結果、昭和48年に828人だった職員数が49年には1.075人になり、一挙に1年間で247人も職員が増加した。これは、清掃事業と警備員を正規職員により運営した事に伴い、増員したものであった。職員を増やし、組合色を強めていく方向に市政は進んでいた。
その後、昭和50年から53年に1.126人になり、54年には1.130人と最高数を記録した。このため昭和51年度には人件費比率が45.2%まで上がり、7年間に渡り全国人件費比率日本一という不名誉な記録が続き、憂慮すべき状況が続いた。

昭和54年に革新市政にピリオドが打たれ保守系市長が誕生したが、時既に遅く、8年間の革新市政時代に行った大幅な職員増が、小金井市にとって大きな負の遺産となった。それ以降は一貫として欠員不補充策を導入し、職員が欠員になっても正規職員で補充しない取り組みが始まったが、それを不服として労使交渉が難航し、市長室前や廊下等には赤いビラが貼られたり、組合員が赤い腕章をつけて座り込みをする等、騒然とした雰囲気の市役所内で、時には怒鳴り合いが聞こえたり、朝登庁して来た課長の椅子が外に放り出されていたりして、何人かの管理職員は組合と行政との板ばさみで病気になって再起不能になり、辞職する人も出る程であった。

そんな状況の中で市役所の窓口では、市民が親切な対応を求めて大声を出して職員を嗜めたりする場面も良く見かけた。
当時を良く知る人はこう証言をする。
西の京都、東の小金井と言われ、職員の中には「共産党員でなければ人にあらず」という雰囲気があり、共産党系職員が我が物顔で闊歩していた。
市民に有益などんな施策であっても情報は組合に流れ、組合幹部の決済がなければ何事も行えない様になっていた、と。

しかし行政改革を強力に断行しようと猛然と立ち上がった星野市長は、女性スキャンダル事件で市長不信任を突きつけられ、市議会を解散した。
その時の市議選では、定数26名のところを35名立候補し現職6名含めて9名が落選するという激しい選挙戦が繰り広げられた。

しかしその後市長は、任期半ばで昭和56年春に辞職する事になる。
それまでの職員組合等とのしがらみをやっと振り払って、重い腰を上げた小金井市が行財政改革の本格的な取り組みを開始したのは、平成5年11月。
庁内に「行財政対策会議」を設置し、
@人件費の抑制
A経費の節減策
B補助金の見直しなどについて検討を始めた。
また同時に、小金井市の行政運営の現状と問題点について外部の目から検討してもらう事を決め、平成6年5月に「行政診断調書」を日本都市センターに委託した。その結果、平成7年2月に出された報告書では、「平成5年4月1日現在の職員総数は、類似団体の比較で概ね200人程度余剰であると判断する」と指摘された。

その事がきっかけとなり、平成7年「行財政再建推進本部」を設置、平成7年度から平成14年度までに、事務事業の見直しや、外部委託等により職員197名の減員を図る事を内容とする「各種別業務見直し計画」を策定。合わせて、行政と一体になり行財政改革を推進するために、議会に「行財政問題調査特別委員会」が設置された。

この見直し計画について、平成7年、8年と全庁上げて職場協議を実施し、その結果、197名の減員の提示に対し、131人について職場合意を得る。
しかし平成8年度末に退職する職員の退職金が払えずに、国から退職手当債という形で約6億5千万の借金をした事で市民から大きい反論が相次ぎ、その事件を契機に、職員組合の認識が一変する。

平成9年1月に市民の代表や学識経験者で構成する「行財政改革市民会議」が設置され、同年9月の報告を踏まえて平成9年度から14年度までを計画期間とする「小金井市行財政改革大綱」が策定された。
行財政改革大綱及び財政健全化計画では、
@業務運営の簡素効率化(事務事業の見直し・民間委託等の推進・補助金の見直し・OA化の推進・公共的団体の活用)
A人件費の抑制(職員数の見直し・給与制度の見直し)
B執行体制の確立(組織の再編)
C歳入の確保等(市税収入の確保・受益者負担の適正化・特別会計の健全化・市有財産の有効活用)を主要課題として取り組んだ。

職員数の削減では、平成6年度1024名いた職員が平成14年度には819人となり、削減目標を上回る205人を削減。
人件費比率は平成6年度の31.6%が平成14年度には29.7%と減少した。又、経常収支比率は、平成6年度105.9%から8年ぶりに平成13年度は93.2%へと下がった。
全体として行財政改革の効果は、平成10年度決算から14年度決算における合計額で24億8.277万7千円となるが、多摩26市の平均数値を未だ下回っており、尚一層の行財政改革が求められた。

今、小金井市は、議会との調整がつかずに苦慮している。
行政と議会は車の両輪であるはずなのに、その議会が与党11:野党13の構図でどうしても崩せないからである。その原因は「小金井の街づくり」にある。
平成15年の市長選挙、そして今年の7月、自ら市民の意思を問うとして市長選挙を買って出た稲葉市長の街づくり論には、小金井市民は二度も勝利という市民の意思を示したにもかかわらず、議会の野党派13人の議員たちは、その後も相変わらず市民の意思を無視し、街づくり反対!と主張し続ける。

平成16年の一般会計予算は、野党の反対で三回も暫定になるという異例の事態が続いた。この間、渡辺大三議員の国民健康保険税の4年間の滞納事件が発覚し、市民からは怒りの陳情が4本も提出され、議員の資格なし辞職せよとの辞職勧告決議にも野党13人はその必要なしと反対、否決される等、市民から見ると理解しがたい議会の状況である。日頃は声を出せば、市民参加、市民参加と主張する野党の議員たちは、街づくりに関しては市民の声を聞かない。

長年の南北交通難の解消(朝のラッシュ時には、1時間に1分も開いていない踏み切り)が中央線高架化事業で平成19年にはやっと解決される。そして同時に武蔵小金井南口の駅周辺の整備(再開発)を行えば、という条件付で国や都は約300億事業費の9割もの補助金を出そうと用意している。にもかかわらず小金井市議会の野党議員たちは、6月定例市議会でも予算に反対し30億以上の補助金を流してしまった。多くの自冶体がこうした事業に使う為の補助金を欲しいと手を挙げているのに、何とももったいない話である。
立川駅周辺が整備されて街が大きく変化したことで、1日の人々の乗降客数は15万人と賑わいを見せ街は活気づいているが、他市の買い物客などの利用数の中で、小金井市民が一位と聞く。

街づくりをすることで、人の流れは確実に変わってくる。せめても、小金井市民が小金井で買い物が出来る街を作りたい。
武蔵小金井駅南口が開発される事で駅前広場は現在の9倍に広がり、市民の交流の場にもなる。防災上からも、高齢者や障害者にも優しい、自然環境にも配慮した駅周辺の街づくりが行われようとしている。これまで数年かかって市民参加で検討され、スタート寸前でストップがかかっている現状に、日頃はこうした運動には参加されない著名な文化人たちが、昨年の11月に市長に街づくりを早く進めよと、要望書を提出した。又、86%の地権者が署名入り嘆願書を、商工会、文化協会、悠々クラブ(老人会)、そして地元住民、町内会代表の方々が、「小金井100年の街づくりを進める市民の会」を立ち上げた。
そうした市民の運動や要望を受け止め、稲葉孝彦小金井市長は9月定例市議会で「街づくり予算は凍結」との付帯決議の上、通った通年予算であったが凍結解除を宣言する。そして1月、国土交通省は小金井市の駅周辺整備事業(武蔵小金井駅南口再開発)について事業計画認可を下ろした。
3月27日に行われる予定の小金井市議選で、小金井の未来の明暗が決まる。

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