2007年1月
元旦や身の置きどころ午後三時
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2007/1/4 謹賀新年 狛犬もなき村社なり初詣 長らくほったらかしの句帖を久しぶりに開いた。 また少しずつ書きためようと思う。 とはいえ、長い空白があってもいっこうに句の姿が変わらないのは、我ながら情けない。 せめて、週に一回程度の更新はしたい、と自縛宣言しておきたい。 |
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2007/1/5 仕事始め 事始去年の机を拭いけり 昨年末は、なんだかんだと言いながら29日までねばってしまい、今年は4日から始動。 年末の29日には、すでに休みに入った連中から「まだ仕事しているのか?」という冷やかしの電話が入り、4日には「もう仕事開始? 感心感心」などという電話。暇な連中だ。 「事始」は「ことはじめ」。「去年」は「こぞ」。 |
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2007/1/6 特別な、でも平凡な日 なにほどの男か知れり寒の内 今年は六日が小寒、寒の入り。恥ずかしながら、ちょうどわが誕生日。正月の松も明けぬ間に生まれたというのだから、おめでたい男には違いない。 学生の頃、四十すぎの男は酸いも甘いもかみ分けた大人に見えたものだが、いざ自分が四十七にもなってみても、酸いも甘いもわからない。ただ、おのれがどれほどの男かということだけは心底了解した。年の功というべきだが、いささか遅きに失している。そこが、それ、おめでたいゆえんでもある。 年に一度だけ、わが身を振り返って見る日。 |
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夜になって低気圧が「猛烈に」発達したとかで、風が吹き荒れている。 せっかくだから祝いにもう一句。 凍て空や荒ぶる魂(たま)をあたためて まだ荒ぶるココロを持っているあたりが、せめてもの抵抗。 でも、持て余すほどには荒々しくないところが、やっぱり四十七歳。 |
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2007/1/11 星なき街を 無精卵抱いて星なき冬の街を 昨夜、オリオンが南天にかかり、すさまじいほどの光輝を放っていた。俳句の言葉では寒星とか、荒星などという。 もう四半世紀も前のことになるが、大学入学のため上京した際、酔眼で夜空を眺めれば星が見えないことに気づいた。ああ、そうか、おれは星も見えない街で文学しなければならないのだな、と思った。(恥ずかしながら文学部) その後、結局何も生まず、馬齢を重ねるのみ。後生大事に抱えていた卵は、ついに無精卵であった。そのことを嘆くつもりはない。ただ、いささかの感傷は許そうと思う。 |
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2007/1/19 上州路 石段街を転げ落ちたり寒雀 今週はのっけから群馬の山中に出張し、週半ば東京タワーの近くで夜を過ごし、金曜日になってようやく仕事場に復帰した。 吟行などという風流からはかけ離れたどさまわり。句など案じる余裕もない。 遠くへ出かける貴重な機会なのに、もったいない話だが、吟行と構えてみたって、たいした句ができるはずもない。よって分相応というところ。 「石段街」(いしだんがい)は一般名詞だろうが、てもとのパソコンで検索してみたら、伊香保温泉の項がずらりと並んだ。ここでもそのつもりで使っている。冬は閑散期で、ひっそりしていた。 |
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2007/1/19 谷川連峰遠望 さえざえと天の嶺より明け初むる これも上州路。 伊香保は榛名山の北斜面にはりついている。足もとに渋川市街が広がり、その向こうに赤城山、子持山がそびえる。 さらに遠くには、真っ白な山嶺が屏風のように並ぶ。問えば谷川連峰なりと。 北斜面のまちの朝は遅く、天嶺だけが暁色に染まっていた。前夜の酔い残る目に痛い。 「嶺」は「みね」。 |
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2007/1/25 東京タワー 寒気団いま東京タワーの針の先 東京出張の折、定宿にしているホテルが満室で困っていたら、取引先の好青年が宿探しをしてくれた。東京タワーの足もとあたりだという。 以前に生まれてこの方東京タワーにのぼったことがない、という話をしたことがあったので、気を利かせてくれたのかと思えば、ネットで空き室を検索したらそこしか空いていなかっただけだという。好青年でしょ。 夜遅く投宿すれば、酔眼に写る東京タワーは巨大であった。が、いかんせん、ただの酔漢。そのまま寝た。 翌朝は見事な冬晴れ。いささか酔いの残る目に斜光がちくちくする。冬の青空には、心の柔らかい部分にしみ入るような感触がある。 結局、この日も東京タワーにのぼらなかった。依然として未登頂者である。 |
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2007/1/26 鰤 午後六時鬱割くごとく鰤さばく 東北の太平洋岸の当地は、魚介類に事欠かない。よその土地へ行って刺身を食べても、よほど珍しい代物でもない限り、過剰に感動することはない。 しかし、真冬のこの時期は刺身向きの魚がめっきりとさびしくなる。食卓にのぼることもまれだ。久しぶりに刺身を食いたいと思っていたら、先日、冷蔵庫に巨大な魚が鎮座していた。 聞けば、ブリが安かったという。いかに安くても、尾頭(おかしら)つきの六十センチもあろうかという巨体である。ブリとしては小さい方かもしれないが、当地ではあまりなじみのない魚だけになおさら大きく見えた。 感嘆してみていると、愚息が魚のさばき方を見たいと言い出した。以前は、どういうわけか尾頭つきの魚が手に入ることが多く、ときどき包丁を握ったものだが、愚息はわたしが魚と格闘している姿の記憶がないらしい。ならば、やむなし。刺身食いたしの食い意地も張っていることだし、久しぶりにおろすことにした。 心貧しき父であるが、それでも心中の鬱を息子に見せるわけにはいかないものだ。 味のほど? 天然ブリというふれこみ通り、美味であった。 |
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2007/1/31 だるま市 人の世の老いにらみをり達磨市 近所の北辰妙見尊で一月に祭礼があり、だるま市が立つ。といっても、狭い路地の両側に十軒ほどの店が並ぶだけのささやかなにぎわいだ。 神も仏もない人生であるが、カメラを持って毎年のように出かける。今年は愚息どもが受験の年にあたっていて、生まれて初めてだるまなるものを買ってみた。 驚いたことに、受験用にはそれ専用のだるまがあって、白いだるまである。確かに神頼みしたくなる機会といえば、人生にはそうそうあるものではなく、そのなかで受験期というのは、およそ全国どこにでも転がっている商機ではある。 白いだるまなぞあるものか、と思うが、あざといほどの商魂もかえってさっぱりしていて、受験用の用途がはっきりしているのも一興かと思い直し、同じ大きさのものを二つ求めた。 オヤジが気まぐれで買っただるまが、どのように愚息どもに受け取られたかについては、あえて記さない。 参拝の客は、例年のことだが年寄りばかりが目立つ。 |