2007年7月
梅雨明けを待つこともまた七月と
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2007/7/1 ざくろの花 をみなごのやうなる朱なり花石榴 厳密にいうと、ザクロの花と花ザクロは違うらしい。 ザクロの花は、文字通りザクロの実になる花であり、花ザクロは花そのものを愛でるための改良種で、結実しないとか。その姿もわたしが見るところ、ザクロの花は一重だが、花ザクロは八重のようだ。 とはいえ、ここでは通例にしたがって、ザクロの花を「花石榴」とする。 ザクロの花は、花弁が硬そうな、そっけないほど素朴な花だが、少し日焼けした「おみなご」の口紅にしたいほど可憐な色をしている。 |
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2007/7/5 夾竹桃 逃避行夾竹桃は雨にけぶり 旅先で、雨にけぶる夾竹桃を見ている。出張が逃避行めく。 白い雨夾竹桃の白い花 夾竹桃の花は、赤か白。一句目、何色をイメージしても読者まかせだが、わたしの感覚では赤っぽい。 二句目はあえて白。 |
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2007/7/9 草刈り 非力なる草刈人行く夏野かな 梅雨の時期、雑草の生長が著しい。わが菜園でも、週末雨が降って二週間も作業ができない空白があると、作物は雑草に埋もれ、どこに何が植わっているのかさえ判然としない有様となる。 手入れされている菜園でさえかくのごとき状態である。とすれば、河川の堤防などは人の背丈よりも高い草藪となっている。これを刈り取らねばならぬ。江戸時代から続く村人の賦役である。 村人は黙々と草刈り機を振り回す。何度も何度も燃料を補給しながら、雑草を刈り続ける。 先人は、これを西洋の地獄絵に出てくるような大鎌で刈り払ったという。草刈り機がなければ、この賦役、週末農夫の手に余る。 |
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2007/7/9 初蝉 初蝉や七月八日朝燦々 はじめて蝉の声を聞く。梅雨の晴れ間の朝に。 |
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2007/7/10 ジャガイモ収穫 薯(いも)掘れば光合成の持ちおもり 晴天が続き菜園の土が乾いたので、春先にまいたジャガイモを掘り出した。 種イモ4キロほど使って、収穫は40キロ。ほぼ10倍。イモ掘りをしていると、さっそく村の古老がやってきて、これでは収量が少ないとのたまう。肥料が足りないらしい。 手を掛けないインカ文明方式なのだ、などとはいわず、ありがたく拝聴する。 去年のジャガイモは極端な不作だったが、今年はまだまし。10倍にも増えて、何の不足があろうか。大きく育ったイモを手に乗せれば、太陽と土の力を実感する。 |
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2007/7/13 ねじ花 ねじ花や身の丈五寸の風にふかれ わが陋屋の庭、先月はニワゼキショウがたくさん咲いていたが、今月はねじ花が盛りである。 と書けば、植物に詳しい方は、この庭が雑草の占拠する空き地のような状態にあると思われるだろうが、そのとおりである。 ただし、地主としては一言だけいいたい。ニワゼキショウとねじ花を咲かせるために、あえて、庭を荒蕪地のような環境にしておくのである。あえて。 実際、ニワゼキショウとねじ花よりも背の高い雑草は、まめに引いたり切ったりしている。そうしないと、一切合財を草刈り機で刈り取らざるをえなくなる。 とてもとても、人家の庭の話とは思えないか。 かがみこんでねじ花を見ていると、小さい草は小さい草なりに地を這う風に吹かれていた。 |
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2007/7/13 ねじ花補遺 ねじ花のねじけきれない花もあり 数を咲かせると、いろいろなやつが混じるものだ。 ねじ花の出来不出来あり飽きずながむ |
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2007/7/16 台風四号 はやすぎる台風来たり昼の酒 七月としては異例の台風騒ぎ。 世界のさわがしさをよそに、昼酒としゃれこんだ。 と書きたいところなれど、よりによってこんな日に、法事があった。土砂降りの中、墓参すれば、焼香も墓前の読経も省略。ただ手を合わせるのみ。なんだ、法事なんてそれでもいいのか、と発見。あとは、そそくさと宴会場へ。不景気な昼の酒。 |
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2007/7/16 梅干し 雨に倦(う)み梅むっつりと熟すなり 今年も少しばかり梅干しをつけた。青梅が家の中で黄熟する。 |
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2007/7/23 西口改札 西口改札すり抜けていく緋の金魚 西口改札なんて、ちょっと大きな駅なら、日本中どこにでもあるだろう。でも、一般名詞ではない。 この言葉を聞けば、たぶん人それぞれに「どこそこ駅の」西口改札をまず思い浮かべるのではないか。 いつも通勤に使っている駅の、あるいは、昔お世話になった駅の、あるいは、その後二度と会わない人と別れた駅の、西口改札があるような気がする。 「金魚」が夏の季。 |
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2007/7/23 忌日 水無月の花なき庭を忌日かな 父が逝去した日、庭のあちこちに鬼百合が咲いていた。供花をそろえるまでの間、枕辺をこの花が飾ってくれた。 今年は命日を迎えても、まだ鬼百合は咲かない。 |
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2007/7/24 梅雨 梅雨寒の合わせ鏡の中の闇 この梅雨はずっと体調が悪く、自分の体の中に耳をすますようなことが習い性になってしまった。歳のせいならば、受け入れる覚悟だけはできているつもりだが、その見きわめがなかなかつかない。 しばらくは、このポンコツになりかけた体の様子をうかがいながら、暮らしていかなければなるまい。 昼日中奈落はありて皐月(さつき)晴れ 「皐月晴れ」は、旧暦五月の晴天。ちょうど梅雨の合間の晴れに当たる。 |
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2007/7/24 凌霄花 咲くほどに隠れ家めくや凌霄花 ノウゼンカズラのこと。のうぜんか、と読む。 去年までは、あちらこちらでこの花を目にすると、その都度こころが波立ったものだが、今年はわがこころのやつ、ずいぶんと素っ気ない。 いささか濃艶な気配をただよわせる花なので、それを受け止めきれない体調のせいか、とも思うが、もしかすると好みが変わってきているのかもしれない。それもまた、生きるということなのだろう。 この花が門前に咲いていると、とりたてて特徴のない地味な姿の家が、なにやら訳ありげに見えてしまうのは、わたしの単なる思いこみである。 |
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2007/7/27 梅雨明け 夜のうちに梅雨去りにきと光踊る 朝起きたら、梅雨が明けていた。光の色が昨日までと異なる。 「梅雨明けたみたいだね」と言ってみても、今どきの反応は「まだ梅雨明け宣言が出ていない」と返ってくる。気象庁に決めてもらわないと、梅雨明けも判断できないらしい。 気象庁のいう梅雨と生活の実感上の梅雨とは違って当然なのだ。梅雨は気象庁ができる前から、この国にある。それを後からやってきた分際で、暦を統べようなどとは笑止。宣言など聞かなくても、梅雨が明けたような感じがしたら、その人にとっての梅雨は終わったのだ。 以後降る雨は、梅雨の雨ではなく、単なる夏の雨である。 |
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2007/7/27 名曲喫茶 残りたる名曲喫茶路地は夏 その名を「麦」という。 地下鉄の改札を出ると、狭い路地になっていて、見たこともない店が並んでいた。大学卒業以来、四半世紀ぶりの駅前だった。駅を間違えたかと思うほど、昔の面影はない。 ところが、今どき珍しい名曲喫茶などという看板が出ていた。思わず、声が出そうになった。わたしが通っていた頃、しばしば立ち寄った店である。不登校学生であったわたしは、ようやく大学近くの駅まで来たものの、その店で一服してしまうのであった。 地下鉄から出てきたばかりなのに、また狭い階段をおりる。階段の壁には色あせたモーツアルト。昔のままだった。当時のモーツアルトも、色あせていた。何代目のモーツアルトか。 トイレはいまだに和式。コーヒーは、なんと250円である。この店で何曲かのクラシックを生まれて初めて聞いた。店の人に曲名を教えてもらったものだ。昔のわたしが坐っていそうだった。 ただ、名曲喫茶といいながら、BGMはクラシックではなかった。少しがっかりしたような、でも、どこか安心したような気持ちになった。これで自身の亡霊に会わずにすむ。 大学で人に会う約束が迫っていたので、そそくさとコーヒーを飲んで出てきた。 |