2007年10月





2007/10/1 十月

故人の声す十月の昼下がり

 日々に淡くなってゆく日差しの中で、思い出すというより、ふとそこに聞こえてくるような午後。


2007/10/1 紫蘇の花

赤じその花あはあはと梅酢色

 紫蘇の花は白いとばかり思っていたが、白いのは青じその方で、赤じその花はほのかに赤い。庭に勝手に生えた赤じそに教えられた。


2007/10/4 鶏頭

鶏頭や崩れかけたる墓の前

 鶏頭の朱がひときわ目にしみた。
 何もいらない。


2007/10/4 秋の朝

天の下稲穂の波のほかになし

 うかうかしている間に、稲刈りが始まってしまった。
 あわてて句にする。
 稲穂の稔りを見ると無条件で安堵してしまうのは、大和民族の遺伝子なのだろうか。


2007/10/4 吾亦紅

ひと茎の吾亦紅ひと秋の紅

 去年の秋、林道の草刈り作業の際に、道ばたのワレモコウを刈られる前に保護した。小さな植木鉢に植えたところ、早々に枯れてしまって、いささか落胆。案外気むずかしいやつなのかもしれない。
 その後、そのまま放っておいたところ、春になって正体不明の丈の低い草が生えそめたが、吾亦紅とは似ても似つかぬ姿なので別の雑草に乗っ取られたようだった。
 ところが、夏の終わり頃から細い茎が伸び始め、あれよあれよの間に見覚えのある姿になった。生き延びていたのである。
 それはいいとして、それじゃ春から夏にかけて繁茂した葉っぱは何だったのか。吾亦紅の春から夏の姿なのかしら。そういえば、吾亦紅というやつ、もともと飄々としてとらえどころのない草ではある。
 ともあれ、わが家の庭の吾亦紅は、独特の朱色を楽しませてくれている。その色への愛着をこめて。


2007/10/10 吾亦紅

掌を添えて重みいとしき青蜜柑

 五月にミカンの花の句を詠んだ。その後、あまたの花はあまたの小さな実となった。
 わずか1メートル余の幼木なので、実の多さを心配し、摘果すべきかとも思ったが、多くの実が自然に落ちて、ちょうどよい数となり、ふっくらとした果実になっている。
 この木の持ち主である青年も、相変わらず時折憂い顔を見せるものの、それなりに成長しているように見える。


2007/10/10 悪癖

寝ころびて枕辺だけの灯しかな

 居ずまいを正して本を読む、という言い方がある。背筋を伸ばして読むというほどの意味であるか。そうした姿勢で読むのがふさわしい本は確かにある。
 ところが、わたしの場合何を読むにしても、ついごろりとやってしまう。その時の本が硬かろうが軟らかかろうが、いぎたなく寝ころんで読書する悪癖が直らない。
 夜、ふとんに入って枕元だけ明るくすれば、異界に遊ぶ心地する。


2007/10/10 秋雨

秋雨やぐい呑み替えて耳澄まし

 ようやく冷えてきた。屋根を打つ雨音も秋らしい音になっている。
 いつものぐい呑みを替えて、秋の酒を飲む。


2007/10/15 彼岸花

彼岸花色あせるとも業深く

 この花、長く咲いているけれど、褪色が早い。遠目には緋色を保っているように見えても、近づくと先の方から褪色が始まっている。
 以前は色あせた風情にがっかりしたものだったが、最近はそれもまたよろしいと思うようになった。写真には映えないけど。


2007/10/15 柿

柿食へば少年の目に返るなり

 わが家に育ちの悪い甘柿の木がある。もう何年になるかわからないほどの樹齢だが、いっこうに枝振りが冴えず、丈も伸びない。
 ただ、いいところもあって、実をもぎやすい。秋の楽しみは柿と梨。そういえば、「柿食へば」の正岡子規はどうみても柿好きだろうな。


2007/10/16 コスモス

薄紅と白と深紅とコスモスは

 これもわが庭の景。種もまかないのに、毎年花を咲かせる。しかも三色も。
 今年は、白いコスモスの一部がほんのかすかに赤くなっている。交配したのかしら。


2007/10/16 蕪

ちょこなんと白蕪座る朝の畑(はた)

 わが菜園では蕪(かぶ)が丸々と太ってきた。自分で作ってみてわかったが、蕪というやつ、地下にもぐらない。茎と地面の境目に、いわゆる蕪ができてくるのだが、蕪はその場所でひたすら身を肥やす。地下に潜行せずに地面すれすれで太れば、お肉が地上にはみ出してくるのは理の当然。地表にころころした白玉ができあがる。
 朝飯前に菜園に行き、手頃な蕪をいくつか拾ってくる。薄切りにして塩をふって、冷蔵庫に入れておく。晩酌にはじゅうぶん間に合うという寸法。


2007/10/21 こおろぎ

こおろぎや汝(なれ)がこころの傷み聴く

 今年は虫の声を例年より早く聞き始めた気がする。そのせいか、秋が深まってきたら、本来なら今が盛りというべき頃合いなのに、妙にかぼそい。


2007/10/21 もず

叫ばずに居(を)られぬ性(さが)か百舌鳥一羽

 百舌鳥と書いてモズ。鳴き真似をするから、と言う。二枚舌ならぬ、百枚のベロをもつ鳥。
 なわばりを主張するために、高みにとまって甲高く鳴く。石田波郷はその鳴きぶりを「叫喚」と書いた。


2007/10/21 杜鵑草

杜鵑草(ほととぎす)隠士の庭をにぎわせて

 ホトトギスは、いろいろな字をあてる。不如帰、時鳥などはよく見かける。子規だって人の名前が有名だけど、これもホトトギスのこと。
 ホトトギスという花もある。花弁の模様がホトトギス鳥の喉のあたりに似ているから、という。これを漢字で書くと杜鵑草。杜鵑もホトトギス鳥のこと。
 地味な花で、隠棲した男の庭に似合う。沈んだ朱色の花だとばかり思っていたら、白もあり、なんと黄色もある。白はまだ許せるが、黄色の花は別種のおもむきになる。


2007/10/30 川崎大師

秋の日と飴売りばかりお大師は

 京浜急行線に乗ったついでに、川崎大師に詣でた。
 正月ともなれば数十万人が集まるらしいが、平日の昼間なら人影も少ない。咳止めの飴が名物のようで、参道脇の店から売り子のおばちゃん達が次々と声をかける。正直のところ、いささか鬱陶しい。


2007/10/30 秋の光

いのちなり秋のひかりのあかるさに

 秋の光を浴びると、思い出す詩。

    この明るさのなかへ
    ひとつの素朴な琴をおけば
    秋の美くしさに耐えかね
    琴はしずかに鳴りいだすだろう
              (八木重吉)

 これで全文。八木の詩はどれも短い。
 わたしの小さな脳みそでも覚えられる。


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