2008年7月





2008/7/6 当たり年

七月やすでに五匹の蛇に会ふ

 ヘビに弱い。以前にも書いたと思うが、何度書いても弱い。年を重ねても、やっぱり弱い。
 今年は七月がはじまったばかりの段階で、もう五匹も見てしまった。こんなにヘビを見る年はこれまでになかった。先日などは、ふと目を上げると、仕事机の目の前に、大蛇が垂直にぶら下がっていた。
 一瞬、何が起こっているかわからないまま、不可思議な、しかしなじみのある物体を眺めた。それがヘビとわかるまで長い時間はかからなかったと思うが、認識と同時に、悲鳴もしくは悲鳴にならないうめきのような声を発したはずである。よくは覚えていない。
 大蛇は、庭に面した網戸の桟を這い登っていくところであった。そのまま関わり合いにならないことを本能は期待したが、このまま放置しておいて、たとえば二階のベランダのようなところで涙の再会するような事態は避けたい、とする判断がまさった。
 そうと決まれば猶予はならぬ。すわとばかりに席を立ち、大蛇よりも長い棒を探し当てて、庭に出た。表からみれば、さしわたし一メートルをゆうに超えるシマヘビであった。シマヘビは気だてがよろしからず、角のある性格なので、へたに攻撃すると真昼の決闘をしなければならない。最悪の場合、逃げ足だけは確保しておく必要がある。おお、大丈夫。スニーカーを履いていた。
 息を止めておもむろに、大蛇が窓の上枠の出っ張りに全身を乗せる前に、遠隔操作の長い棒で追い落とした。地に落ちた大蛇は、一瞬その小さな頭部を臆病な攻撃者に向けかけたが、これ以上攻撃しないという善隣外交精神を感じたのか、おとなしく、しかし悠然と床下の通風口に姿を消した。
 改めて言うまでもないが、読者のご賢察のとおり、わたしは子年である。


2008/7/14 夏の鶯

老鶯の見事一声鳴き終へし

 夏鳥の声がさかんに聞こえる頃になっても、まだがんばっているウグイスもいる。
 先日、これまで聞いたウグイスの中で最高の出来と思われる声に出会った。まるでウグイスの声の見本のよう。あるいは、江戸屋猫八のよう。といってはウグイスに申し訳ない。
 もう一声を待ったが、どこかへ飛び去ったか、聞こえない。今年最後の声だった、と思うことにした。


2008/7/14 ねじ花

ねぢれざるねぢ花ひとつゆるぎなし

 陋屋の庭は、いまねじ花が盛りを迎えている。あっちこっちにひょろひょろと咲いている。毎年この花が咲くと、庭に出てしばし眺める。そして、毎年変わらず駄句を作る。

  寝ころべば雨脚の中ねぢれ花


2008/7/14 梅雨明け

天裂けて巨人去るごと梅雨の去る

 列島をおおっていた梅雨がぐらりと動いて、去ろうとしている。雷鳴れば梅雨明け近し、とか。


2008/7/21 七月十九日

梅雨去つて遠くから遠くから風は来る

 今年は7月19日が梅雨明けらしい。急に風が動く。
 海からの風が来る。


2008/7/22 日本語の先祖

黙然と夏大根の辛さかな

 今朝になって大野晋氏の訃報を知った。七月十四日のことだという。
 翌十五日は朝から深夜まで出張に出ていて、その日の新聞を見ていないことを思い出す。一週間もたってからようやく知るとは、迂闊と言うほかない。
 ちょうどこの人の日本語のご先祖様探しの本を読み終えたところだった。日本語はインド亜大陸の南端のタミル語と親戚だという。何千キロも離れた言語をご先祖様にすえる、などという離れ業を、この人はやすやすとやってのけた。
 それと並行して、源氏物語に関する丸谷才一との対談も読んでいた。この対談を読むと、世に流布している著名な注釈書を鵜呑みにするのがばかばかしくなる。なんとなく筋が通らない、すっきりしないと思われるところは、やっぱり解釈が変なのだ。すぐれた学者とは、すごいものだと痛感した。
 源氏の注釈を、対談ではなくまとまった形の本にしてほしかった。
 と言っても、もうはじまらぬ。大根おろしをたっぷり放り込んだつゆで、そばをすすれば、身の締まった夏大根の辛さが鼻の奥に抜ける。


2008/7/28 驟雨

伊香保嶺(ね)をいま駆けくだる驟雨あり

 伊香保は榛名山系の北斜面にはりついた町である。
 その昔、ハワイが王国であった頃、公使別邸(避暑地の別荘)が伊香保に置かれた縁で、毎年8月ハワイフェスティバルなる催しが開かれ、本場ハワイのフラダンス大会で優勝したチームが、この山あいの小さな温泉地で本物のフラダンスを披露する。例によって宣伝が下手で知る人の少ないイベントだが、日本で本物のフラダンスを見る機会などそうそうあるものではない。
 それはさておき、毎年7月に入ると、町役場の職員全員がアロハシャツ姿になる。ハワイアンフェスティバルの前宣伝のつもりだろうが、クールビズなどという空疎な言葉がはやるずっと前から、この町では夏はネクタイをぶらさげる必要がない。役場の中でネクタイを締めているのは、民間人であり、一目で職員と区別がつく。
 山の天候は変わりやすく、さっきまでピーカンだったのに、急に空模様が怪しくなり、雨が降り出す。雨は斜面を流れるように降る。


2008/7/28 須磨

夏休み源氏の君は須磨におはす

 この春気まぐれを起こして読みはじめた源氏物語は、ようやく須磨の巻にたどりついた。全5冊のうち1冊目を終えたところ。
 十九の歳に、義理の母にしてしかも帝の后(きさき)に子を生ませるような男だから、もういい加減になさい、と言いたくなるほど、あっちこっちにちょっかいを出し続ける。挙げ句が案の定、女で失脚し都落ちする。その先が須磨。
 かつて夏休みといえば、長編小説を読みふける日々のことだった。そういう休みでもあれば、もう少し読み進む速度も上がろうと思うのだが。
 このペースでいくと、全5冊を読み終えるまで、一年まるまるかかってしまうかもしれない。最後まで飽きずに続けば、の話だけど。


2008/7/29 朝顔

朝顔の咲きはじめたる日の新た

 今朝、庭に一輪の朝顔を見つけた。開花を待っていたわけではなく、朝顔があることさえ気づかなかった。
 赤紫の小さな花弁なり。季節のページが一枚めくられた気がした。


home