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アフリカ旅行日記

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サハリン紀行

千島・カムチャッカ紀行

アラスカ・デナリーの旅

アフリカ旅行日記(1987年8月29日〜9月12日)

東京→ナイロビ 1987年8月29日
 成田から16:00出発の予定。しかし、PKは1時間出発が遅れる。カミさんが、スーツケースのキーを忘れ成田で壊し、新しいものを買わなくてはならなかった。先が思いやられる。
 マニラ、バンコクに止まり(いずれも機内待機)、カラチで乗り換え。この時はターミナルまでバスで移動。すぐにナイロビ行きのボーデイングカードを1階カウンターで取る。係員がコンピュータになれていないせいか作業が遅くて列がなかなか短くならず時間がかかる。二階に待合室があり、飲物が買える(コーラ:$1)。朝食にビスケットとコーヒーのサービスがあった。免税店はなぜかからっぽ、1本の酒もない。ここでは6時間待つはずが、1時間遅れたので5時間で済む。カラチでは、イエスズメ、ジャックカラス、カモメ類を見る。また、空港警備軍の朝礼が見られた。彼らの装備はバラバラで、最新型のオーストラリア製のシャタイルAUGは良いとしてもロシア製のAKMNATOFAL、名の知れないライフルなどを持っている。これはすべて、弾薬の口径が違うのだからいざとなったらどうするのだろう。飛行機の中ではほとんど寝られなかった。
 アルコールで眠むろうとしたが、PKは機内で酒類のサービスがなくさみしい。

ナイロビ 1987年8月30日
 アブダビ経由でナイロビに予定通り、14:15に着く。EDカードと外貨申告があった。カートがあるので荷物を運ぶのは楽だ。税関を出るとすぐ銀行があり、両替をする(1シリング=10円)。
 ワクワク・サファリ(旅行会社)の佐藤さんと朝日新聞の中野さんに出向えられる。
 車で15分くらいでナイロビの市内。680ホテルに行き、チェックイン。この後、中野さんの案内でアウト・オブ・アフリカの舞台となった家に行く。図鑑も双眼鏡も持たなかったのでたくさん鳥がいるのにわからないのが残念。
 その後、朝日新聞の特派員・大野さんの家に。大野さんは、あいにく南アフリカに出張中で留守。奥さんと二人のお子さんが出迎えてくれる。
 庭に野鳥がたくさん来るのに驚く。ブロンズトキも来るし、ヤツガシラもくる。この2時間くらいの間に10種類近くの鳥を見る。広い庭でビールを飲みながらのバードウォッチングは格別。また、夕方になると涼しくなり、夜は寒くなった。
 夕食は、タケノコ御飯。最後の日本食となるだろう。
  9:00に680ホテルに戻り、すぐに寝てしまう。

ナイロビ→バリンゴ 1987年8月31日
 7:00に起きる。窓をあけるとひんやりした風が入ってくる。これがアフリカの朝とは思えない。まるで、日本の秋の朝のようだ。
 
9:30にワクワクの佐藤さんとホテルのロビーで待ち合わせ、スケジュールの打ち合わせをする。10:00出発の予定が、運転手が予約手続きのため遅れ11:00になる。
 ナイロビから、北西約250kmにあるバリンゴに出発。途中、フィールドガイド、ミネラルウォーターを買い込む。運転手のサミーに遊歩人(3000円のウォークマン)をプレゼント。大いに喜ぶ。13:00ナイバシャで昼食。ピザとチキンバスケットを食べる。
 途中、赤道を越えるが、せこいみやげ物屋が1軒とペンキのはげた標識があるだけだった。
バリンゴまでの道は、舗装されていて時速100km/hで走れる。サミーは完全な安全運転で80km/hの制限速度を守る。また家畜が見えると、かならずスピードを落とす。そのため、着いたのは17:00近くだった。
 湖を船外機付きのボートで約10分で島に渡り、アイランドキャンプに行く。ボートが島の岸辺に沿って走る間にシュモクドリ、ヒメヤマセミなどが見られる。
 キャンプは島の斜面に建てられ、藁ぶきの屋根の下に、布製のテントが張ってある。シャワー、トイレが付いているのは驚き。ラウンジのそばの木に、アフリカワシミミズクが止まっていた。400mmのレンズでは画面からはみ出してしまうほど近付ける。また、キャンプの敷地の中にシュモクドリの巣が2つもあった。
 とにかく鳥が多く、絶えず声が聞こえ姿が見える。中でもハタオリドリの仲間が多く、巣も敷地の中にたくさんある。花には、タイヨウチョウの仲間がやって来るが、名前がわからない。
 夜は、風の音がうるさくあまり良く寝られなかった。

レイクキャンプ 1987年9月1日
 6:00には、起きる。これ以後、21:00から22:00に寝て、6:00から5:00に起きる習慣がつく。ケニアとの時差は6時間。日本では11:00-12:00に寝て7:00-8:00に起きていたのだから実質3時間の時差と思えば気が楽になった。
 朝食を食べる食堂では、鳥がハエのようにやって来る。ウェターが追うし、セルフサービスの食べ物の上には鳥よけのカヤを吊ってある。私たちのテーブルにもやってきて、餌をねだる。
 午前中はキャンプを歩く。とにかく鳥が多い。しかし、ひなたは暑くて歩く気がしない。
 鳥の写真を撮ろうとカメラを向けるとピントが合わない。近すぎるのだ。カメラを持て後ずさりをしなくてはならない。それなのにいつもの癖で、つい鳥を追いかけてしまう。そして、後ずさりを繰り返す。さらに、ひなたならば私の持っている400mmレンズを開放(F4.5)にすると、シャッターは500/Sから1000/Sで切れる。空が入ると2000/Sの表示も出る。日本では夏の晴天で500/S、いつもは250/Sが良いところなので初めはカメラが壊れているのではないかと不安だった。しかし、日陰や曇ると納得できるデータとなるので安心した。
 その後、テントのそばの木陰にすわって鳥を見る。木陰は涼しくテントの前はすぐに崖で、湖が見える。そのため、ヒメヤマセミ、オナガハチクイがすぐ目の前の枝に止まり餌を取っては戻って来る。いつまで見てても飽きないし、フィルムがいくらあっても足りない。また、イソシギの声が聞こえなつかしく思う。
 14:00に島を去る。サミーが時間通り、桟橋で待っているのでほっとする。
 ホテルに行く前に、ヘビを飼っているところへ行く。入場料というか見せ代というか、一人10シリング。ほったて小屋の前で待っているといると次から次にヘビを手で持ってきて見せてくれる。最後にケージのあるところに行き、毒ヘビのブラックマンバを見せてくれる。見た後、まだ人がケージの中にいるのに、こともなげにヘビをほおり入れたのには驚いた。
 ホテルはバリンゴクラブというロッジ。部屋に置いてある便せんや封筒と一緒にバードウォッチングのためのチェックリストが置いてある。このロッジの売りものはバードウォッチングなのだ。
 また、敷地の中の木にアフリカハゲコウが何羽も止まっているのに驚く。夕方、バードウォッチングウォークがあり専従の専門家(ミセス・ヘレリーと言うおばさん)が指導してくれる。参加費は150シリング。コースは、ホテルの敷地の周辺だが、1時間くらいの間に20種類くらい見られる。参加者は私たちを含めて5人。他の人の中にはマニアはいなかった。昨日見た、アフリカワシミミズクもいて、見ている前でペリットを吐き出した。この他、アビシニアコサイチョウ、ウツクシオナガタイヨウチョウが印象的だった。
 ミセス・ヘレリーは、まるで小学校の先生のように、ていねいに優しく解説してくれる。日本のリーダーのように初列風切りがどうの、下尾筒がどうのと言った話はない。私でもわかる程度の英語の単語で専門用語はいっさい聞かれなかった。
 また、フィールドガイドのイラストにはすべて載っていないことがわかり、今まで見つけても名前がわからなかった理由がわかる。
 夜は、良く寝られたが夜中にカバの鼻息がロッジのすぐ近くで聞こえ目が醒めた。

ボゴリア湖 1987年9月2日
 朝食後、7:00にボゴリア湖に向かう。順調に行けば40分位のところ途中、道を間違え20分ぐらい余計に時間がかかる。20分舗装道路、わき道に入ってラフロードを20分走る。途中、バブーン、小型のシカのディクディクなどを見る。
 リザーブのゲートで1人、50シリング。車も1人と数え200シリングを払う。ゲートをすぐ入ったところでカンムリヅルがいて感激する。
 5分ほどで遠くに湖が見えて来る。すでに湖がフラミンゴでピンクに染まっているのがわかる。
 岸辺に近づくと、フラミンゴの「ギーギー」という声が聞こえる。姿の割に声がきたない。セイタカシギや他のシギもいるが、フラミンゴの数に圧倒されそれどころではない。それに、シギはどこにいっても近づけない。
 さらに湖の奥へ行く途中に、他の車から助けを求められる。車はホルクスワーゲンでかなりいかれている。サミーが治し、私たちも車を押す。修理中に話をするとなんとRSPBのバッチを付けており会員。この人の奥さん、息子夫婦、そして赤ちゃんが小さな車に乗っていた。この後、マサイマラまで行くと聞いてサミーが肩をすくめる。
 奥の温泉が沸き出ているところは特にフラミンゴの密度が高く、ピンクのカーペットのようだ。いったい何羽のフラミンゴがいるのだろう。数える気など起きないほどたくさんいる。
 例のRSPBの会員のおじいさんの話では、ほとんどグレートフラミンゴでレッサーは20パーセントくらいだそうだ。しかし、フラミンゴも良いが暑くてたまらない。唯一の木陰で、休む。カミさんだけ元気で遠くまで歩いていってしまう。
 13:00には、ロッジに戻る。
 夕方は、ロッジの敷地の中で写真を撮るが、雲が多く余り良い写真が撮れない。しかし、鳥は多く、つぎつぎに出てくる。フィールドノートに書いている間がなく、直接フィールドガイドにマークをする。それでも、おそらく見られる鳥の8割位しか名前がわからないだろう。遠い鳥や鳴き声は、もう無視。近くに来てよく見えたものだけ識別することになる。それでも、雌や幼鳥タイプとなったらお手上げだ。

バリンゴ→ナクール→ナイバシャ 1987年9月3日
 6:00に起きて、7:00から始まる朝のバードウォッチングウォークに参加する。参加費は150シリング。車がないと75シリング。 車で5分のところのグレートリフトバレーの崖地の下を約2時間歩く。参加者は10人程度、ほとんど素人ばかりだが熱心に鳥を見ていた。
 この間、約20種類程の鳥を見つける。ミセス・ヘレリーは目がよくつぎつぎに鳥を見つけ解説する。私もチョウゲンボウを初めに見つけ面目を保つ。また、イワダヌキが見られ感激する。
 ミセス・ヘレリーの話ではアフリカの鳥は朝が遅いという。確かに、鳥が多い割には夜明け前に鳥のコーラスが聞かれない。日が昇って暖かくなる8時ころにやっと賑やかになる。寝坊の私向きである。
 9:00に戻り朝食。10:00にナイバシャに向かう。出発前にサミーが、ガソリンが足りないかも知れないと言う。約200km先のナクールまでガソリンスタンドはまったくない。心配のまま、出発。途中、皆口数が少ない。
 なんとか持ちそうだということがわかり途中、サイザル麻(サイソー)の工場に行く。サイザルは、麻のようなもので、日本でもロープに使われているのを思い出す。工場の建物でアマツバメが巣を作っていた。また、ヤツガシラ、ハジロハクセキレイを見る。
 ナクール湖へ昼食を食べに行く。リザーブの入場料は同じく合計200シリング。お弁当は湖畔の林の中で食べる。食べているとグリーンモンキーが2匹、1匹は雌で子連れがやって来る。
 湖までの草原には、ウォーターバックがたくさんいる。エジプトガン、クロトキ、シロクロゲリ、ハシブトアジサシなどが見られる。 ボゴリア湖でたくさんのフラミンゴを見た後なので、ナクールの量では寂しい感じがする。もし、初めてここでフラミンゴを見たのならば、その数に驚いたかも知れないくらいいるのだが。
 湖面の近くまで行く。地面はソーダで真っ白。ときどき、竜巻が舞い上がる。水辺ではセイタカシギ、トウネン、アカアシシギが少しいて、たった
1羽いたハサミアジサシに感激。地面が心許ないので、フラミンゴまで近づけない。これもボゴリア湖に比べると物足りない。
 後でナクール湖を見おろせる展望台(バブーンポイント)に行く。これは、湖全体が見え、圧巻。ここで、すぐ近くにイワダヌキがやってきた。
 この後、ナイバシャに向かう。途中、草原で地上性のサイチョウ、ミナミジサイチョウを見る。1時間ほどでナイバシャホテルに着く。 ホテルの庭には、クロトキが数羽ニワトリのようにいて、餌を投げるとやって来る。
 初めてのバス付きのホテルだが、始めは水が出ず出たら茶色いお湯で、聞いたらいつものことだという。
 夕食の時、今まで見た鳥の種類数を数えたら140種類を越えていた。 

ナイバシャ→マサイマラ 1987年9月1日
 朝早めに起きて、ナイバシャ湖の船着場に行く。朝霧の中にサンショクウミワシや、モモイロペリカンが見える。鳥が多いことがわかったので、朝食後お金を払ってボートに乗ることにする。代金は1時間で400シリング。
 
8:30にボートに乗り、湖を半周する。私たちは鳥が見たいと言うと、鳥を見つけてはそばに寄ってくれる。また、写真を撮るときはエンジンを止めてくれるのがうれしい。岸辺では、クロトキ、モモイロペリカン、カワウ、アフリカヘラサギなどの大きめの鳥の他に、コオバシギ、エリマキシギなどのシギ類も多い。ただし、アフリカのフィールドガイドには、ほとんど載っていないので、ヨーロッパのフィールドガイドを持ってこなかったことが悔やまれる。
 この時、もう見飽きたフラミンゴのはずだが10羽程度が岸辺で餌をあさっていた。これをカメラのファインダーで見ると朝日の中で水がキラキラ輝きたいへんきれいに見え、何枚もシャッターを押してしまった。今回、出来上りの一番楽しみの写真となった。また、時間ぎりぎりにソリハシセイタカシギが出てくれた。
 10:00にマサイマラに向かい出発。途中、イボンビアの木を観察。サボテンのような木にナイフで幹に傷を付けるとミルクのような白い樹液が出てくる。
 12:00ナロックで昼食。みやげ物や売り込みがうるさい。
 ナロックをちょっと過ぎると、舗装が途切れラフロードになる。これをえんえんと走る。途中で、サミーが運転を変わらないかと言う。私たちが運転をできないの知ってがっかりしていた。また、途中で雨に降られる。たいした雨ではないが、11粒が大きい。アフリカは雨粒まで大きい。
 マサイマラに近づくと、インパラやシマウマなどの動物の姿が多くなってくる。しかし、疲れているので見る気がしない。やっと、17:00にキチュワテンボのテントロッジに着く。テントはアイランドキャンプよりいごごちが良い。なんとバスまである。ここで5泊することになるのだが、食事も今までの中で一番おいしいし、大満足。
 ただ、カミさんが楽しみにしていたウォーキングサファリはバッファローに突き殺される事故があり現在はやっていないと言われがっかりする。私はほっとする。
 また、ここで初めて日本人の旅行者に合う。この人は、日本での仕事のようにハードなスケジュールを計画しているのであきれてしまった。
 この日の夜中にテントの上をバブーンが走り回りうるさくて眠れなかった。また、カミさんは近くでライオンの声を聞いたと言う。さらに、明け方になると、冷え込みセーターを着込んでやっと寝られた。

マサイマラ 1987年9月5日
 ロッジは、小高い丘にあり南東に向いている。目の前にはマラ川に沿って森がある他は、広大な草原が地平線まで広がっている。その草原のところどころに動物の群れがいる。地平線から、太陽が昇ると単色から原色に草原の色が変わって行く。
 ヌー1頭も寝られない1坪を何千万円だと騒いでいる東京の地上げ屋に見せたい広大な風景だ。
 いよいよはじめてのサファリ。ロッジを出たすぐ近くに、キリン、バッファロー、トピーがいる。今まで、いやというほど鳥が多かっただけに鳥については物足りないが、その分大型の哺乳類がいて飽きることがない。
 はじめて車の屋根を開けて走る。木の下を通るとき、ヒョウが待ちかまえていないかと気になる。ヒョウから見れば、ヒトの缶詰が蓋を開けてやってきたように見えるに違いない。
 サミーには、目的が鳥であると言っているので、川筋の林の沿って走る。ブロンズトキやワシが木に止まっている。サバンナでは次から次にヒバリやセッカの仲間が飛び立つが、名前がわからないのが残念。
 また、リトルガバナーズキャンプへバルーンサファリについて聞きにいった帰り、このキャンプのすぐそばの林でライオンの雄を見つける。車ですぐ近くまで行っても寝ている。
 この林はマラ川のほとりで、対岸にはヌーがたくさんいて岸辺はどこかでみた風景である。どうやらここが、ヌーが移動する時、川を渡る有名なポイントのようだ。
 午後は、ほぼ同じ方面に行く。私たちが止まって鳥を見ているとすぐ他の車がやってくる。車が止まっていると何かがいると合図となり、ライオンやチータでないのでがっかりして去って行く。
 ここでは、親子のゾウを見つける。林の縁ですぐ木の中に入ってしまったが、後から来た車はその後を追って行った。かわいそうだ。
 夕方になって、やや湿ったところがありそこではカンムリヅル、オウカンゲリ、ミナミジサイチョウがいた。また、夕日とともにウォーターバックの写真を撮る。
 草原を歩くといたるところに動物の糞がある。足の踏み場もないほどだ。あれだけの群れがいて1日中食べているのだから当り前だがすごい量だ。ふと気がつくと、これが乾燥し埃となり身体中に浴びているのはもとより呼吸しているのかと思うと、息がつまる。しかし、息を止めるわけもいかないし、日本の排気ガスに汚れた空気よりはずうっと健康に良いはずだと思い深呼吸をした。
 日没後、妙な声がする。ハイエナである。捜すと1匹のブチハイエナを発見。意外と可愛い。
 サミーの時計がよく止まる。聞くと日本製だと言う。見ると「サンヨー」と書いてある。サンヨーは家電メーカーで時計は作っていない。これは香港製か台湾製の偽物だと教える。安物だがカミさんの時計と交換してあげる。そうでもしなくては、これから待ち合わせの時間が当てにできない。
 ところが、もう1つあるはずのカミさんの計算機付きの時計がなくなっているの気がつく。

マサイマラ 1987年9月6日
 夜明け前に起きて、私たちのキチュワテンボから約10分のところにあるリトルガバナーズキャンプへバルーンサファリに行く。
 バルーンは4個。1個にパイロットを含め7人乗り。離陸はスムーズ。だいたい木の高さ位を飛ぶので恐くはない。カミさんは物足りないという。おそらくこれが鳥の飛ぶ高さであり、鳥の視線かと思うと興味深い。同じバルーンにケニアのバードウォッチャーの夫婦、ケニア日本人学校の日本人の夫婦と一緒になる。バルーンからは小型の鳥は見えないが、エジプトガン、アフリカオオノガン、ハゲタカ類などの大型のものはよく見える。
 飛行中は快適だが、問題は着地だった。乗っている篭が横になり10メートル以上も引きずられる。私たちは下だったので身体のあちこちを打ってしまった。
 感心したのは、バルーンの降りるところでちゃんと車が待っていて朝飯を作ってくれることだ。時にバルーンが風に流されて、苦労することもあるそうだ。
 朝食はシャンペンで乾杯し始まった。大平原での飯はうまい。食べていると、トビが寄ってきて、パンを投げてやると空中で巧みに取る。
 午後は、ムシアラ・ゲート方面に行く。サミーが、茂みの中にいるライオンを遠くから見つける。彼の目の良さは驚異的だ。せっかく見つけたライオンだが、また寝ている。1mまで近づいてサミーがホーンを鳴らしたり、ドアをバタンと閉めたりして目を開けさせようとする。それでも、やっと薄目を開ける程度だ。
 ここらは、大平原と行った感じだが、あまり動物はいない。しかし、ときどき風に乗ってきた獣の臭いがする。臭いはかなり遠くまで伝わるようだ。
 ここで、はじめてダチョウを見る。思ったより大きい。また、小型のノガン、セネガルショウノガンを見つける。これは珍しいものだ。
 サミーはガイドの意地で、チーターをえんえんと求めて捜しまわる。地平線に、車が3台止まっているのを見つけるといるかも知れないと道無き草原を突っ走る。着いたときには車はもう散っていて何もいない。
 日も沈み月明りの中で、ついにサミーは草むらの中のチーターを見つけた。凄い目だ。それも、このチーターはヌーの死体を前にデナーの後、舌なめずりをしている。チーターの上には丸い月が煌々と輝き、最高のシーンである。車で1mまで近づいてもライオン同様、私たちは眼中にないようだ。サミーは遠慮なく近づくが、チーターのデザートにはなりたくない。

マサイマラ 1987年9月7日
 ランチを持って、リザーブの南端の、ヒポプールにいく。途中、カミさんが車の運転を習う。
 ヒポプールはマラ川の下流に当たり、20頭以上のカバが水の中にいた。中には大きな身体を岸辺の横たえているものもいる。水辺のせいか、湿度が高く猛烈に暑い。木の上では、シロエリコウが巣を作っている。川辺の崖では、ヒメハチクイが穴を掘りやはり巣にしている。
 ここで昼食。パンや果物の食べ滓を投げてやると、鳥がやって来る。それに混じって、小さなネズミまでやってきた。
 昼食後、すぐそばのタンザニアとの国境へ行く。ただ、コンクリート製の標識があるだけである。動物にとってはもちろん国境など関係ないのだからこんなものなのだろう。
 今度は私が運転を習いながら、セレナロッジへ行き、お茶の時間。ここは丘の上で、遥かかなたに私たちの泊まっているキチュワテンボが見える。夜遠くの丘の上の明りが、ここだったのだ。ロッジの庭ではイワダヌキが何匹もうろうろし、日本のサンコウチョウに良く似たアフリカサンコウチョウが目の前の空中で餌を取っていた。ときどき空中で虫を捕まえそこねて、パチッと嘴が鳴る音が聞こえる。
 帰りも私が運転し、日没といっしょにヌーの群れを撮ろうと試みる。しかし、あまりきれいな夕焼けにはならなかった。
 この日、ロッジでカミさんのなくした計算機付きの時計があったとボーイが届けてくれる。ほとんどあきらめていただけに感激。

マサイマラ 1987年9月1日
 朝飯前に、サファリに出かける。朝の斜光中でヌーがほこりを立てて移動して行くのを写真に撮る。それにしても、すごいヌーの大群だ。またこの時、草原性のカワセミ、アフリカコショウビンをみる。おかげで朝食の時間に遅れ、クラッカーとコーヒーだけで済ませる。
 午後は今回最後のサファリだ。ほぼ同じ方向に行くが、サミーはサイを捜して盛んに移動する。おかげで私はとうとうどこを走っているのかわからなくなってしまった。サイはあきらめ、最後にヌーの大群かチーターかということになりヌーの大群を選ぶ。
 午前中もすごい群れだと思ったが、さらに今度のは大きかった。見渡す限り草原にヌーがいる。また、このヌーの群れは静かなのだ。時折、近くの個体の鼻息が聞こえるぐらいで、たくさんいる割には物音が聞こえない。もくもくと草をはみ、もくもくと移動して行く。
 この間の月下のチーターもそうだが、このような風景は写真に撮ることができない。やはり、現場で目にしない限りこの感激はわからないだろう。
 ロッジに戻り気がついたのだが、駐車場に止めてる4WDはすべて日本車であった。私たちが乗っているのもスズキだし、トヨタ、ニッサンが目につく。途中ですれ違ったケニア軍の迷彩に塗装された4WDもトヨタだった。大型のバスやトラック以外、日本車があふれている。

サイマラ→ナイロビ 1987年9月9日
 8:00に出発、ナイロビに向かう。あのラフロードをまた延々と行くのかと思う気が重くなる。しかし、今度は私が運転した。運転をしていると時間立つのが早く感じる。それでも昼食を食べる予定のナロックには、12:00ジャストにやっと着いた。
 ナロックでは、地元のレストランというか食堂に入り地元の人の食べているウガーリを食べてみる。ウガーリは、トウモロコシの粉を練って火を通したもので、見た目はマッシュポテトのようだが味は特有のものがある。食べるとお腹にドンとたまりそうな、重量感がある。これと、牛肉やキャベツなどの煮たものと食べる。食堂は人とハエで混んでいて、日本人の私たちはすごく目立つ。しかし、地元の人は友好的で、可愛い子供が握手を求めてきた。
 ナイバシャとナイロビの分岐点まで、約100kmをまた私が運転する。今度は舗装道路なので、最高80km/hまでだす。
 ナイロビへの帰り道に、サミーの家があるので寄って行こうと言うことになった。サミーの家は、平屋でかなり簡単な作りだった。部屋は3つに台所。これが一般市民の住宅なのだろう。日本製の大きなステレオが妙に目だっている。ただし、メーカーは聞いたことがない名前だたった。
 小学生の女の子と3つになる男の子がいる。この下の男が可愛い。みんなで写真を撮る。
 680ホテルにチェックイン。サミーにチップ、500シリング。本当はもっとあげたいが、おみやげ代が心許なくなってきた。
 夕食は、また大野さんのお宅におじゃまする。夜に南アフリカに出張していた大野さんも、ちょうどお帰りになり、ビールを飲みながら南アフリカのようすの最新情報をうかがい歓談する。

ナイロビ 1987年9月10日
 アフリカ最後の日。ゆっくり寝坊をして、ナイロビの街で買物。おみやげに、コーヒー、カレンダーを買う。ナイロビは曇っているのでかなり涼しい。
 また、ワクワク・サファリの事務所へ行き旅費の清算。また同じビルにある朝日新聞の支局を訪ねる。支局では、絶えずテレックスが入り忙しそう。
 昼食は、ワクワク・サファリの佐藤さんとアフリカンヘリテッジでアフリカ料理を食べる。佐藤さんからケニアに訪れる日本人観光客は年間たった1000人にすぎないと聞いて驚く。走っている車は日本車だし、腕の時計も日本製、街のショーウィンドーの家電製品も日本製、誰もが持っている計算機もカシオである。そのためか誰もが日本と言う国があることは知っていて、日本人とみれば微笑んでくれる。それなのに、たった1000人しかこないとは。ケニアは遠い国なのだ。
 疲れが出てきたので、この日は早めに大野さんの家に行き休ませてもらう。晴れ間を見て、庭に来る鳥の写真を撮らせてもらう。
 夕食は、おでん。アフリカでおでんが食べられるなんてすごい。大野さんの奥さんの日本料理にかける情熱は、大変なものだ。
 帰りの飛行機は深夜1:30なので、11:00すぎに中野さんに送ってもらう。空港では佐藤さんも待っていてくれて、手続きをしてくれた。

ナイロビ→東京1987年9月11-12日
 行きの飛行機でいっしょだった日本人と合う。ひとりは、パスポートとお金を盗まれて帰国が遅れていると聞いて驚く。
 また、カラチで6時間待ち。今度は比較的飛行機が空いていたので、横になることができけっこう寝られた。見る夢は、アフリカの大草原の夢。飛行機が揺れると大草原を4WDでバウンドしながら走っている夢となる。行きは、バンコク、マニラで機外に出られなかったが、帰りはなぜか自由だった。
 機内食を食べ飽きた9/1212:30、予定通り成田に着いた。

ふたつの香港

 香港に行ってきた。それも20代の独身女性4人と3泊4日の旅である。この話をすると、うらやましいと言う人と、それは疲れたでしょうという人に見事に分かれる。おそらく後者の方は人生経験が豊かな人に違いないと思ってしまう。
 それは、さておき香港に行った目的は地元の自然保護団体WWF(世界自然保護基金)香港が主催するバードソンに参加するためだ。バードソンは、4人1チームのバードウォッチャーが24時間の間に何種類見つけるか競うゲーム。また、この競技はただ楽しむだけでなく、募金も集められる。その仕組みは、個人スポンサーがAチームが1種見たらいくら募金するかあらかじめ登録しておく。たとえば、1種につき10円と決め100種記録したら、1000円を寄付することになる。バードソンで優勝するためには、ただ野鳥の識別ができてたくさん野鳥を見つければよいというわけではない。もちろんたくさん見つければ募金も多くなるのだが、同時に集めた募金額と個人スポンサーの数も競技の対象になる。募金額は自然保護への貢献度。個人スポンサーの数は募金額ばかりではなく普及に貢献したことになる。それぞれの部門でよいポイントを稼がないと優勝ができない。
 すでに日本でも3回実施されており、多いときで2000万円以上の募金を集めている。また、募金額を登録するときに、予想種類数も同時に登録しておく。ぴったり当たれば、賞品がもらえる楽しみもある。自然保護運動というと厳しさがつきまとうが、楽しくかつ効率良く展開できるため各国の自然保護団体が行っているイベントである。
 日本人チームの4人の女性は、昨年日本で行われた日本野鳥の会バードソンで総合優勝した兵庫のチーム。女性の魅力でスポンサーをたくさん集めて1位。日本の代表チームとして、初めて海外のバードソンに参加した。
 バードソンといっても、野鳥の生息地へ行って鳥を捜すわけだから、基本的には日頃おこなっているバードウォッチングと変わりはない。スケジュールは、着いた日は打ち合せ、翌日は下見でバードウォッチング。この日の午後6時にバードソンがスタートして、夜の9時まで夜行性のフクロウやヨタカの声を捜し、翌朝は6時にホテルを出発してゴールのパーティー会場に午後6時に着くまでバードウォッチングをした。こう書くとハードのようだが、海外でのバードウォッチングツアーと言ったら、寸秒を惜しんで飛び歩くのだから、いつもの旅行とそう差はない。
 亜熱帯の香港では、緑が濃い。そのために鳥の姿が見えず、声だけではなかなか確認できず苦労をした。共通種の多いシギチドリ類も、日本では珍鳥が、こちらでは普通種であるため、はじめの内は戸惑ったが、だんだん馴れて78種類の鳥を記録した。1位のチームは、ちょうど倍の156種を記録していたのだからその差は大きい。やはり地元の強みだ。
 パーティー会場には、100人ほどのWWF香港のメンバーが集合し盛りあがった。しかし、多くは白人。バードソンのチームは全部で14チーム参加したが、中国人のチームは1チームにすぎなかった。私たちの案内役のジムさんも英国陸軍の少佐。彼はもちろんのこと、パーティーに来た奥さんも2人の息子さんも広東語を話すことができない。しかし、ホテルのレストランで働いている中国人には、英語通じない。かえって漢字を書いて筆談したほうが通じるのだ。香港では中国人と白人の二重構造に社会がなっている。この自然保護の活動も、白人のクラブの活動といった様相が濃かった。
 ところで、私たちが移動した地域は香港の北部。いわゆる観光地の香港島や九龍地区は歩いていない。ほとんどが山地で平地は少ない。また禿山も多く、自然保護区として保護されているところだけかろうじで緑が残っていた。また、田舎へ行くと平地はほとんどが水田で日本とは変わらない風景が広がっていた。違いと言えば水牛がいることと、懐かしい肥しの臭いがすることだろう。また、このバードソンの保護の目的であるマイポ湿地は中国国境に近く、延々と鉄条網を張り巡らしたフェンスが続いていた。そして、広大なアシ原は、かつての東京湾でも見られた風景そのものであった。
 3泊4日の短い期間であったから、市内観光はもちろん買物もする時間はなかった。帰って来て香港のガイドブックを読みなおしてみたり、たまたま香港特集をやっていた雑誌を見たが、私たちが歩いた香港は出てこない。今回の日本チーム派遣を協賛してくれた香港に支店を出すあるデパートに地元社員も、そんな方にはまだいったことはないといって言った。ニューヨークのマンハッタンのように林立した高層ビル。網の目のような高速道路。原色のネオンなどの写真をみると、あののどかな田園とアシ原の原野の香港はいったいなんだったのだろうか思ってしまう。社会も自然も香港には2つの顔があるようだ。 (19907月号)

サハリン紀行
 サハリンへ行ってきた。それも、日本の観光客が入るのは初めてという北サハリンまで行った。もちろん、バードウォッチングの旅である。それもガイドも含め40人を越えるツアーであった。サハリンは、日本の北海道から見えるという近さにありながら、ちょっとやそっとでは行けない所だった。これもゴルバチョフさんのペレストロイカのおかげなのだろう。
 新潟からハバロフスクへ飛び1泊の後、サハリンの一番北にある町オハへ飛んだ。オハは辺境の地でありながら石油が産出するということで、発達した町。幅の広い道路と4、5階建てのアパートなどの建物が並ぶ、思った以上に大きな町だった。とにかく観光客などこないところだからホテルもない。そのため、宿は石油労働者用の宿舎。食事は歩いて5分くらいの所にあるレストランで毎回とった。ソ連内の旅行は普通、国営のインツーリストがすべてまかなう。しかし、それもないから石油公団の副所長のニコライさんが、宿から車の手配まで行なってくれる。さらに、この人は、VTRを担いてテレビの取材もこなした。
 彼が手配してくれた車がすごかった。とにかく舗装されているところは町の中程度。後はラフロード。だから6輪駆動のトラックである。どうやらこのトラック、軍隊を運ぶ兵員輸送車のようだ。ガタガタ道に、硬いサスペッション。この車で、朝9時から夕方の8時(11時まで明るいので8時頃だと夕方という感じである)まで鳥を捜して走り回った。おかげで身体が関節ごとに、ばらばらになりそうになった。
 始めに行ったところは、西の海岸。10メートルくらいの切り立った断崖がえんえんと続いている。崖の下は波打ち際まで細い所で3メートルくらいあってそこをトラックは走る。ところどころにカモメの群れが羽を休めている。前のトラックが止まり、バラバラとバードウォッチーたちが下りる。皆の行動が早いところを見ると珍しい鳥が出たらしい。見ると断崖の上に木に大きなワシが止まっている。黄色い太いくちばしと肩の白が目立つ。オオワシだ。この鳥は、日本の冬鳥。私も何回か見たことがあるが、緑の森林がバックのオオワシは初めて。あたらためて、日本の冬鳥たちの繁殖地に来たことが実感させたれた。
 翌日は、東海岸の湿地へ。原野といえるような環境を抜けて海岸へ出ると、石油井戸が並んでいる。稼働しているようだが、ほとんど人影がみられない。
 砂丘から海の方を見ると、アザラシがところどころで顔をだしている。内陸の原野では、アジサシが繁殖している。この鳥たちが、海で餌を取りに行く。そして、巣へ運ぶために私たちの上を行き来していく。良くみると、サハリンでしか見られないコシジロアジサシが混じっている。今回の旅行の目的の鳥である。
 さらに、この先の海岸の行けるところまで行く。小高い砂丘から見晴らすと、湖が点在している。高倍率の望遠鏡でのぞくと、カモの仲間が1、2羽見える。鏡のように光る水面では、カモの姿はシルエットにすぎない。それでもベテランの人たちは、鳥の名前がわかってしまう。1羽の鳥のシルエットは、カモのようでカモでない。頭が細く、くちばしが少し上に反っている。アビだ。映画「黄昏」にでてくるものとは別の種類だが、いいムードだ。あるいは「シロクマ号と謎の鳥」など、アサー・ランサムの一連の小説の舞台となっているイギリスのスコットランドを思わせる。この小説の謎の鳥は、ハシグロアビで、やはり同じ仲間である。光る水面をバックに1羽のアビが飛んで行く。日本では、見ることのできないバードウォッチングの醍醐味である。
 アビに感激したまわりは草原となっている。ガンコウランやコケモモが生え、ところどころにハイマツの潅木がある。日本の高山の環境なのだ。すぐそばが、海岸なのだから不思議な感じがする。この草原では、チュウシャクシギが6羽いた。また、少し離れた水たまりには、ハマシギとトウネンが100羽以上群れていた。日本では、春と秋に通過して行くだけの旅鳥、あるいは冬鳥たちだ。
 そして、日本では東京湾などの干潟でみられる仲間だ。この鳥たちが翼を休めていく干潟の保護にかかわてきただけに、彼らの繁殖地を見いという願望が強くあった。それが、ここなのである。一生の内に一度は見てみたいと思っていた環境である。思った以上に日本の高山そのものの環境に意外な感じがした。日本を通過する彼らが、ここで子育てをしてまた、日本をとおると思うと感慨無量である。
 私が日本に帰ってしばらくすると、もう彼らが渡って来る。何千羽というシギチドリの群れの中に、私の逢った鳥たちがいるかも知れないと思うと、彼らをウォッチングする楽しみが深まる。(199011月号)