北日本

 

道東紀行−野付半島−

道東紀行−風蓮湖・根室−

道東紀行−霧多布・釧路湿原−

道東紀行−鶴居村・屈斜路湖−

東北に水鳥たちを訪ねる−伊豆沼−

一年ぶりの伊豆沼

 

道東紀行−野付半島−

 どこまでも続くまっすぐな道。広がる青い空。地平線が見える。そんなことにいちいち感激しているうちに、野付半島に着いた。

 「昨日まで、雨が40日降り続けた」と、泊まった網走湖畔のペンションで聞いた。しかし、私たちが着いたとたん、北海道の青い空がどこまでも広がっているよい天気になった。でも、6月下旬だというのにまだ寒い。網走の小清水の原生花園では、花が少ない。もう満開のはずのハマナスは咲いておらず、草むらの中でひっそり咲いているクロユリが唯一の花らしい花だった。そして、一路レンタカーで野付半島に、やってきた。

 野付半島は、オホーツク海に手招きする手のような形で突き出た大きな砂嘴だ。手首にあたる狭いところは、100メートルの幅もない。そして、手のひらに当たるところには草原が広がり、指と指の間には広く湿地が点在している。

 この草原で、いちばん目につくのはシマセンニュウ。スズメより大きな鳥でウグイスの仲間、褐色でほとんど模様はない地味な鳥だ。しかし、「チュルチュル・・・」とさえずりながら舞い上がったり、ハマナスの枝にとまって盛んにさえずりにぎやかだ。そのそばを、真っ赤なベニマシコが飛んでいく。近くにとまったカワラヒワは、本州のものと顔の色が違うのに気がついた。そして、ノビタキ、ホオアカ、ヒバリ、オオジュリン、コヨシキリと草原の鳥のオンパレードだ。

 ここでの目的は、アカアシシギに会うことだ。アカアシシギには東京湾の干潟でも会うことができるが、多い鳥ではない。どちらかといえば珍鳥。その珍鳥が、当地で繁殖しているのを発見されたのは1970年代。地元では昔から繁殖していることは知られていたらしいが、学会に発表されたのは近年になってのことだ。

 アカアシシギを見つけるのには、それほど苦労はしなかった。「キリ、キリ」とするどい声を上げながら、頭の上を飛んでくれた。どうやら、私たちはアカアシシギの縄張りの中に入ってしまったようだ。それも、2羽が飛び回っている。私のいるところは、遊歩道で団体が来れば観光客が列を作るようなところだ。見ていると、団体にはそれほど反応を示さないが、単独や2、3人の観光客に対しては警戒の飛行をする。

 飛行するアカアシシギを見上げると、太陽がまぶしい。鳥の大きさは、およそハトくらい。長い足を後ろにたなびかせるように飛ぶ。赤い足が太陽に透けて、深紅に見える。

 実は翌日、野付半島を去る前、同じ場所でアカアシシギに挨拶に行った。彼らは同じく警戒の飛行で歓迎してくれたが、私たちの頭の上ではない。よく見ると、湿地に所々盛り上がった土くれがあり、この上にハシブトガラスがとまっている。シギたちは、このカラスを警戒しているのだ。シギが湿地に降りたところを見ると小さな雛が3羽、親鳥の長い赤い足にまとわりつくようにいた。親鳥はこの雛をカラスから守るために、一生懸命だったのだ。

 野付半島には、タンチョウがいる。それも、繁殖しているという。近年、タンチョウの数が増え、そのため繁殖地を広げた。増えたとはいえ、わずか500羽たらずの数だが、大きなタンチョウには広大な縄張りを必要とする。そのため繁殖できる湿原は限られてしまうのだ。

 道ばたのアシ原にたたずむタンチョウを見たときは感激した。干潟にいたものは、はじめはシラサギ類と思ったがタンチョウだった。同じ干潟の少し離れたところにオジロワシが降りていた。大きなワシが、翼を広げ飛び立つと大きな影が干潟の上にできる。しかし、タンチョウはワシの存在を気にする様子はないようだ。

 泊まった宿のすぐ裏の川辺にも2羽いた。この2羽のタンチョウは、警戒心があまりない。はじめは天然記念物、絶滅に瀕している鳥、世界にわずか1000羽しかいない貴重な種類。もし、驚かしてしまってはいけないと遠くから見ていた。しかし、鳥には関係のない観光客がどんどん近づいても逃げないのだ。ある時は、ツルの方から近づいて行く。離れるときは、彼らの食べ物を探すコースを移動してためで、いやがっているのではない。

 ツルに近づくことのできる道ぎわぎりぎりまでいってみる。私とツルとの距離は、20メートル程度だ。鳥の目の動きまでわかる。双眼鏡で見ると、頭の赤い皮膚のざらざらした感じまで見える。ときどき首を伸ばすと、私より高くなる。しかし、遠くにいるものを望遠鏡で見ているのと違って、近くで見ると思ったより小さく感じてしまう。また、足下の川岸には、ツルの大きな足跡がいっぱいついている。じっとしていれば、ここまでやってくるかも知れない。

 遠くでカッコウが鳴いている。川の流れの音が耳に快い。草原を渡る風が少し冷たくなって頬に感じる。川辺のアシ原に、たたずむ2羽のタンチョウ。お腹がいっぱいになったのか、のんびりと羽繕いをしはじめた。あたりが少し暗くなって、月が昇ってきた。風景が絵になった。(19946月号)

 

道東紀行−風蓮湖・根室−

  野付半島から風蓮湖までは、オホーツク海を左に見ながらの快適なドライブだった。風蓮湖のほとりの白鳥台で、ひと休みをした。林の中からは、センダイムシクイやミソサザイの囀りが聞こえてくる。本州ならば山地にいる野鳥が海辺に近いところにいるのに違和感を覚える。しかし、これが北海道に来たという実感を感じるときでもある。

 目の前の風蓮湖を白鳥台から見ると、湖と言うより広大な干潟に見える。対岸には、春国岱の森が生い茂りそのあいだに湿地が広がっている。一見、ドロドロの環境だが、多くの生き物たちが生活している。ぽつんと白い鳥がいるので、コサギと思って望遠鏡で見るとタンチョウだった。大きなタンチョウが、小さなコサギに見えてしまう。あまりに風景が大きいので、鳥の大きさのカンが狂ってしまった。

 また、これだけ湿地が広がっていると、普通は水蒸気のせいで風景が霞んでしまう。ところが空気が乾燥しているため、くっきりと見える。青い空は地平線まであくまでも青く、遠くの森は薄紫色ではなくちゃんと緑に見えるのだ。この風景を前にしての昼食のひととき、至福の時であった。このまま、昼寝をしてしまいたいくらいだが、気を取り直して対岸の春国岱へいく。

 春国岱は、風蓮湖とオホーツク海を隔てている砂嘴だ。砂嘴といっても、幅の広いところは原生林が憂そうと茂り人が入ることができない。海側は、砂丘が発達し草原が広がっている。ところどころに、湿地や池がある。ここを歩くと、森、草原、湿地、そして干潟という環境をまるで展示会のように見ることができるのだ。それだけに、野鳥も多く日本で有数のバードウォッチングポイントである。

 最近、春国岱も整備されて、根室市によって遊歩道が設置された。今までは、原生林を横目で見ながら砂丘沿いに道を歩くだけだったが、原生林のなかの一部に木道を通し、森のなかも歩けるようになった。このほか、櫓のような簡単な展望台もつくられている。以前に来たときは、森のなかからクマゲラの大きな声が聞こえてきたが姿を見ることができなかった。あのクマゲラのいた森のなかに入ることができるかのと思うと心が躍る。

 海辺だけに風が強かったが、森のなかに入ると風は完全に遮られている。それだけに、カなどの虫が盛んに飛んでいる。まさに痛し痒しといったところだ。

 森のなかは意外に静かで、野鳥の声はあまりしない。アカゲラとミソサザイの聞こえたくらいだ。湿地が見えるところに出ると、遠くに白い大きな鳥が見える。望遠鏡で見るとオオハクチョウだ。冬鳥のこの鳥が夏いることは珍しい。傷ついて渡ることができなかったのだろうか。

 今夜の宿は、風露荘だ。ここは、バードウォッチャーが経営するバードウォッチャーのための宿だ。残念ながら、主人の高田さんは調査のため大黒島へいってしまっていた。風露荘についたのは、夕方だが近所を散歩をすることにした。隣は牧場で、その先は森が続いている。その牧場からは、オオジシギのけたたましい声が聞こえて来た。この鳥は、飛びながら尾羽を鳴らし大きな声を出すことで縄張りを守り雌を呼ぶのだ。本州では、奥日光の戦場ヶ原でたまに声を聞く程度だ。それが、家のすぐ横で聞こえる。見ていると、2羽が鳴き合って飛び回っている。数も多い。

 森のなかの砂利道を歩いていていくと、ルリビタキ、コマドリの声もする。ビンズイが道ばたに姿を現した。いずれも、本州では亜高山帯の野鳥たちだ。富士山の五合目や志賀高原などかなり高いところへいかなくては会うことはできない野鳥である。そうかと思うと、キジバト、カワラヒワ、ハシブトガラスといった平地の鳥もちゃんといる。とにかく、鳥が多い。遠くで幻想的なツツドリの声がする。アカハラの大きくて単調な声が黄昏時の森に響いている。オオジシギの声が、いちだんとにぎやかになってきた。

 風露荘では、主人の高田さんのお袋さんが来ていて夕食をいっしょに食べた。近所の漁師のおじさんが持ってきてくれた珍しいニシンの刺身がでた。意外とさっぱりしていて癖がなくいくらでも食べられる。

 高田さんは、戦後間もない頃からバードウォッチングを始めたという。ベテランであればあるほど自慢話が多いものだが、淡々と語る昔話は飾りがない。昔は、図鑑の印刷が悪く鳥の美しさは表現されていなかった。そのため逆にキビタキの本物を見て、あまりの美しさに感激して野鳥に病みつきになったという。お持ちの双眼鏡は、もう30年も使っているというツァイスだ。私の鳥歴ほどもある双眼鏡である。ご主人から退職記念に何が欲しいと聞かれ、迷わずツァイスの双眼鏡といって買ってもらったそうだ。剥げた塗装の双眼鏡に、野鳥の思い出が詰まっていそうだ。そして、私は初対面かと思ったら、私が高校生の時に初めて参加した新浜探鳥会にご一緒していたことがわかった。鳥と出会い人と出会う。うまい料理に鳥の話で、夜は更けていく。(19947月号)

 

道東紀行−霧多布・釧路湿原−

  霧多布岬は、名前のように霧が多いところだ。海岸沿いの国道を走っていると、紺碧の空と海をバックに緑色の草原におおわれた半島が見えてくる。しかし、乳白色の霧が半島に向かってどんどん流れていくのが見える。

 半島のほとんどが草原で、いたるところでオオジシギのディスプレイフライトの、にぎやかな羽音を聞くことができる。泊まったペンション「えとぴりか村」でも窓を開けておくと、霧の中で飛び回るオオジシギの羽音と声が聞こえてくる。昼寝をしながら聞くのには、ちょっと騒がしいが、鳥好きにはたまらないBGMだ。

 さて、ここでのお目当てはエトピリカだ。この変わった名前の鳥は、ウミスズメの仲間。かつてはたくさんいたのだが、今では激減してしまった。日本で確実に見ることができるといわれているのは、この霧多布。しかし、ここでも運が良ければ逢えるというていど。ちなみにアイヌ語でエトは嘴、ピリカは美しいという意味だそうだ。その名の通り不格好なほど大きな嘴が鮮やかな赤い色をしている。

 もっともエトピリカに出会える可能性の高いアゼチ岬へ行く。目の前の小島には、カモメがびっしり止まっている。にぎやかな声が、波の音とともに聞こえてくる。今は、オオセグロカモメの子育ての季節なのだ。望遠鏡で彼らを見ると、真っ白な親鳥の陰に小さな茶色の雛がちょこんといるのがわかる。

 おっ、海面に黒い鳥。エトピリカだと思ったら、ウミウだった。目の前をハクセキレイが飛んでいく。アマツバメが目の前を、滑るように飛んでいく。

 遠くの海面に、黒い小さな鳥がまた浮かんでいるのを見つけた。波の間に間に見え隠れしている。大きさと色からエトピリカの可能性はあるが、ほかのウミズスメの仲間かもしれない。残念ながら遠すぎて確認することができない。

 エトピリカにふられた霧多布岬を後にして霧多布湿原へいく。広い湿原をいくつかのポイントで見おろすことができる。とくに小高い丘の上にある「霧多布湿原センター」からの眺めは最高だ。広々と広がる湿原を見ながらコーヒーを飲めるように、窓際にテーブルが並べられているのがうれしい。

 このセンターは湿原の生き物を紹介する博物館だが展示には剥製はなく、バードカービングが飾られていた。バードカービングは、木を彫ってつくった模型に彩色したもの。剥製より保存は楽だし、死体を手に入れられない絶滅に瀕している生き物は、このカービングで充分代用できる。ということで、私はアメリカで盛んだったものを日本に紹介した。ここでは、実物大のシマフクロウやタンチョウが、なかなかの迫力で展示してあった。私が、絡んだ仕事がこのようなところで花開いているのを見ると、昔苦労したことを思い出し胸が熱くなった。

 一路、釧路湿原に向かう。釧路湿原はあまりにも広いのでポイントを押さえるのが難しい。この後、鶴居村に行くことを考えて、コースにあたる塘路湖を通りコッタロ展望台にいくことに決めた。

 塘路湖畔では昼食をとった。食事の後、湖畔で鳥を探すと湖面には、アカエリカイツブリが巣作りをしていた。それを見ていると目の前をカワセミが飛んでいった。その後には、オジロワシが出現。コヨシキリの声が絶えず聞こえ、ハリオアマツバメが空をよぎり、たいへん野鳥の影が濃いところだ。

 コッタロ展望台までは砂利道で、ほこりをもうもうとあげながら走った。小高い丘の上にある展望台までは、階段が続いている。それも、まっすぐな階段で見上げるだけで首が痛くなる。登り始めるとすぐに足が痛くなった。以前、地下鉄永田町駅の長いエスカレーターが故障したときに、うんうん言いながら上ったことを思い出した。しかし、登り切ると苦労しただけのことはある、すばらしい風景が広がっている。汗で背中に張り付いたTシャツが、心地よい風にたちまち乾いていく。

 ここは、釧路湿原のもっとも北に位置している。正確にはコッタロ湿原と呼ばれている。展望台から見ると、枯れたキツネ色のキタヨシの間から、緑色をした今年の新芽が出始めている。ところどころに開けた水面があり、それを水路が縦横に結んでいる。水面は、空をうつし鮮やかな青だ。これらさまざま色が、湿原を彩っている。

 水面にカモがいるのを見つけた。ヨシガモの番いだ。本州では、冬鳥だが北海道では繁殖をしている。アオサギがゆうゆうと水辺を歩いている。風に乗ってカッコウののんびりした声が聞こえてくる。すぐ、目の下の木の枝から複雑な囀りが聞こえてくる。あまり聞き慣れない声なのですぐに鳥の名前が頭に浮かばない。回り込んで姿を探すと、ビンズイだった。黒い胸の斑点を振るわせながら、息もつかずさえずっている。

 昼下がりの初夏の湿原。頬にあたる風と鳥の声で、目をつぶっても湿原を感じることができる。このまま、昼寝をしてしまいたいぐらいだ。(19948月号)

 

道東紀行−鶴居村・屈斜路湖−

 北海道鶴居村は、その名の通りタンチョウがたくさんいることで知られている。しかし、それは冬のこと。私たちが訪れた7月上旬は、タンチョウたちは釧路湿原などの湿地で子育てに追われているはずだ。村という名前から、そうとう寂しいところというイメージを持っていた。しかし、行ってみると意外に開けていて、家がたくさんあり大きなマーケットもある。私が住んでいる東京よりも便利そうだ。

  泊まった宿の駐車場には大きな4WDがならび、玄関には泥で汚れたゴム長やワークブーツがならんでいる。ここは、カメラマンやバードウォッチャーの定宿なのだ。皆、夏の釧路湿原の写真を撮ったり、自然の中で生き物に会いたくてやってきている。それだけに、日が沈まないと皆帰ってこないし、朝は夜明け前に出ていった。

 言うまでもなく、今はツルのいるシーズンではないので「鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリ」へ行ってもしょうがないが、どんな施設があるのか行ってみることにした。このサンクチュアリは、日本野鳥の会の直営の施設で多くの人の寄付によってつくられたものだ。開園するのはタンチョウのいる冬だけだが、日本野鳥の会から派遣されたレンジャーは一年中常駐しタンチョウの保護にあたっている。シーズンオフだから少しは暇にしているかと思ったら、ちょうど運営のための委員会が開かれていて会議の真っ最中だった。

 意外だったのは、サンクチュアリが村の中心から歩いてわずか10分たらずのところにあった。また、建物も立派なもので、この施設が多くの人の善意の固まりかと思うと感無量であった。冬はタンチョウの群でにぎわうはずの牧草地上を、今はショウドウツバメがすいすいと飛んでいる。遠くで鳴くカッコウの声が聞こえてくる。のどかな環境である。そんな中での会議、きっとよい結論がでることだろう。

 翌日、いよいよ北海道ともお別れの日である。鶴居を出発して弟子屈、屈斜路湖を通って女満別空港へ向かう。 途中、弟子屈の手前の牧草地にエゾジカの親子がいるのを見つけた。道路からわずか10メートルのところに、雌の成獣1頭と小型のもの2頭がいる。車を道ばたに止めて、じっくりと見ることができた。

 当然、シカたちも私たちに気がついていて、ときどきこちらを見ているのだが緊張している様子はない。草を食べたり、あたりを見まわしている。牧草の濃い緑の中で、シカの茶色の毛が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。なんとか、この美しさを写真に撮ろうと望遠レンズを向ける。それでも逃げる様子はなく、野生の緊張感がないのが物足りないくらいだ。シカたちは、ゆっくりと草を食べながら移動をしていく。遅れた若いシカが、あわてて追いかけていく。お尻の白い部分が、ぴょんぴょん跳ねる。ちょっぴり、野生の躍動感をかいま見た感じだ。ゆっくりとシカといっしょに車を動かしても逃げる様子はない。いつまでも見ていても飽きることのない風景だ。

 屈斜路湖と網走の境にある美幌峠で、時間を調整することにした。あまり早く、女満別空港に着いてもったいない。ここからならば40分もかからないのだから、時間の許す限り北海道の風景を堪能するすることにした。

 美幌峠は標高わずか600メートル。しかし、眼下に雄大なカルデラ湖の屈斜路湖を見おろすことができる。逆方向に目を転じれば、網走の町並みが遠くにかすんで見える。どちらを見ても見晴らしのよいところだ。そして、わずか標高600メートルにすぎないのだが、北に位置する北海道では森林限界を超えており、高山植物のお花畑が広がっている。ただし、交通の要所であり観光名所であるだけに観光客でにぎわっていて騒がしいのが難点だ。平日の午前中だと言うのに駐車場は、ほぼいっぱい。売店や食堂は、人であふれている。

 私たちの旅は、自然を求めての旅であったために、今まで行ったところでは観光客の団体にあうことは少なかった。俗化した観光コースには、野鳥はいないのでさけていたわけだ。そのため、北海道は静かでいいところ。そして、観光客がいなくてやっていけるのだろうか内心心配していた。ところが、実はこんなに観光客がいるところもあることがわかって、安心するとともにやはり日本中どこに行っても人が多すぎると感じた。

 この美幌峠の展望台は、階段と坂を少し登ったところにある。そのため、観光客は展望台まで登ってこない。ときおり若者のグループがやってくるくらいだ。そのため、展望台では団体客の騒音をさけ、耳に痛いぐらい鳴いてくれるウグイスの声を聞きながら雄大な風景をゆっくりと楽しむことができた。

 今回は、わずか1週間の北海道旅行であった。そして、10年ぶりの北海道であった。この年月の間に北海道が変わったと思うのは、自然のための立派な施設が各地にできていることだ。そこには、温泉はない、お土産もない、そして団体客はいない。しかし、このような施設を訪れる方が、本当の北海道をより感じる旅行ができると思うのだが。(19949月号)

 

東北に水鳥たちを訪ねる−伊豆沼−

 ひさしぶりに宮城県伊豆沼を訪れた。東北新幹線に乗って「くりこま高原」駅で下車してレンタカーを借りた。今まで仙台から鈍行で1時間かかっていたことを考えると、ずいぶん便利にはなったが東北線の鈍行の趣も捨てがたいものがある。宿はいつもの東北線新田駅前の「本吉屋」。しばらくこないうちに、おばさんの白髪が増えたし、孫たちが大きくなっていた。

 ここでの目的は、沼をねぐらとするマガンの群を見ることだ。マガンたちは多いときで1万羽近く集まる。日本で越冬するマガンの半分以上が、この沼に集まると言われている。マガンは、この沼で夜を過ごし夜明けとともに沼を飛び立ち、近郊の水田で落ち穂を食べにいく。そしてまた、日の入りとともにこの沼に戻ってくるのを日課としている。このねぐら立ちとねぐら入りを見るのが目的だ。

 とにかく、何千羽という大きな鳥がいっせいに飛び立つ様は壮観である。言葉では、言い尽くせない迫力がある。これを見るためには、日の出前と日の入り前に沼のほとりで待ちかまえることになる。東北の朝と夜、寒さも言葉では言い尽くせないが、マガンの群を見れば体が熱くなってくる。私たちのスケジュールは2泊なので、日の出と日の入りを2回楽しむことができるはずだ。

 朝、暗いうちに宿を出る。夜明けは、6時45分ころだからその30分前には薄明るくなる。それまでに観察ポイントに着いていたい。沼までは、宿から歩いて15分程度だ。沼に着くと、もうマガンたちは起きていて盛んに鳴き合っている。望遠鏡で見ると頭を上げているのがシルエットでわかる。私たちがガンの群を待ちかまえたのは、新田桟橋にある観察舎の屋上だ。ここだと、見晴らしがよいのと、昨日の夕方のねぐら入りでは北から帰ってくる群が多かったので、東に位置するここにいれば、目の前を群が通過してくれるはずだと考えたわけだ。

 東北線を汽車が光の帯のようになって、通り過ぎていく。それがきっかけになって一群が飛び立った。双眼鏡をのぞくと、目の水蒸気がレンズについて曇ってしまう。水たまりが凍っているから零下であることは間違いない。そろそろ、足の指先が寒さでちりちりと痛くなってきたが、まだマガンの本隊は飛び立たない。

 東の空がかなり明るくなった頃、どんどん群が飛び立ち始めた。なんと群は、私たちの方へ飛んでくる。そして、頭の上を通過していく。空いっぱいガンの群だ。手を伸ばせば届きそう。ガンの声が一帯に鳴り響き、キシキシという羽音も聞こえる。そして、糞がかからないか心配になるほどの真上だった。

 いつもは、マガンの群に中にいる数羽のシジュウカラガンを探すのだが、明るくなる前に飛び立ってしまったのでついに見つけることができなかった。残念だが、ねぐら立ちの迫力の前にそんなことはどうでもよくなってしまった。

 1日目の昼間は、レンタカーで沼を1周しながら最近できた施設をのぞしてみた。伊豆沼は3町にまたがっているので、それぞれの町が競争で施設を建てている。若柳町の「宮城県伊豆沼・内沼サンクチュアリセンター」は、もっとも規模が大きく施設も充実している。しかし、あまりにも大きな建物が風景の中で浮いているのが残念だ。それに、逆光で鳥は見づらい場所にある。迫町の「迫町サンクチュアリセンター」は淡水魚や水辺の植物も展示している。築館の「サンクチュアリセンターつきだて館」は、通過のみ。このほか、研修や宿泊施設のある「伊豆沼ウェットランド交流館」がある。いずれにしても風や雨を避けて、コーヒーを飲みながら沼の風景や鳥を楽しめる。入館料は、300円程度。のぞいてみても損はない。

 翌日の昼間は、沼の周りを歩くことにした。前日の強風とはうって変わって、ぽかぽか陽気。日向にいると早起きしたせいで眠くなってしまう。沼では、マガモやカルガモが多く、腹の白が遠くても目立つカワアイサの群は当地の名物だ。このほか、オナガガモ、コガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロなどが多い。よく探すとミコアイサ、カンムリカイツブリもいた。これらの水鳥に比べると、オオハクチョウは巨大だ。飛び立つときは、長い距離を滑走している。ほかの鳥に比べれば、まるでジャンボ機のようだ。

 また、山が近いのでシジュウカラ、ヒヨドリはもちろんのこと、アカゲラもいた。そして、アシ原が広がったところでは小鳥たちが群れている。ホオジロ、アオジ、シメ、カワラヒワ、オオジュリンといった鳥たちだ。彼らは、アシの間をぱらぱらと移動していく。堤防に座って、じっとしていると彼らがアシの茎をはむ音がぱりんぱりんと聞こえてくる。アシの茎の中の昆虫の幼虫を食べているのだ。遠くで、カモたちのだみ声が聞こえてくる。ときおり群からはぐれたマガンが、1羽鳴きながら飛んでいく。

 雪化粧した栗駒山が遠くに見える。近くの山は紫色。空は、雲一つなく青くどこまでも広がっている。その空を映した沼も青く輝いている。鳥たちの声が絶えず聞こえてくる。なんと贅沢な風景だろうか。(19952月号)

 

一年ぶりの伊豆沼

  一年ぶりに宮城県伊豆沼に行って来た。大寒波襲来という中、地元TV局の取材につきあわされての訪問だ。

 仙台に前の日に着いて打ち合わせ。そして、翌日の午前中にTVの収録は無事に済んだ。後は、自由時間。ゆっくりと野鳥たちの出会いを楽しむ時間だ。

 しかし、今年の伊豆沼は例年にない寒さで、水面のほとんどが凍り付いている。やはり10数年前に訪れたときも全面結氷で、水鳥たちがほとんどいなかったことがある。はたして、お目当てのマガンなどの水鳥たちは元気でいるのだろうか。

 TVの収録中は、猛吹雪だった天候が、幸いなことに自由時間になったとたんに晴れて青空が見えてきた。とりあえずは、沼のまわりを散歩することにする。やはり、沼はほとんど凍っている。なかほどに凍っていない水面がくろぐろと見える。そして、そこにはマガモやカルガモ、キンクロハジロといったカモたちが群れている。このような水面を地元では”鳥穴”と呼んでいる。まるで、鳥たちの体温でそこの氷が解けているように見える。実際に鳥の体温で解けるほど、体から熱が逃げるようならば鳥たちは凍え死んでしまうことだろう。

 沼が凍っているくらいだから、道もまわりの水田も雪が積もっている。人や自動車が通る道はなんとか歩けるが、ちょっとでも横道に入ると、雪に足を取られて歩きにくい。

 空がピンク色に染まって来ることになると、田圃へ落ち穂を拾いに行っていたマガンたちが戻ってきた。マガンにとって、この伊豆沼が夜のネグラなのだ。鳴きながら群で戻ってくるのですぐにわかる。開水面の上まで来ると、ひらひらと舞うように急降下してくる。ねぐらに入る前の奇妙な行動である。これが、○○八景××の落雁と各地の名所になった由来であろう。それだけ、ガンは各地にいたが、今では日本に渡ってくるほとんどのマガンがこの伊豆沼で見られる程度で、ほかでは滅多に見ることのできない鳥になってしまった。

 太陽が沈むと、寒さが足下から這いあがってくるようだ。温度計はマイナス6度、風がそよとでも吹くともうじっとはしてられないほど寒い。マガンの帰還の数は、千羽を越えているのをとりあえずは確認した。これらの群が明日、朝日の中、飛び立つ様子を見るのを楽しみに暖かい宿への向かう。気が付くと、寒さの中、足どりが小走りになっている。

 翌朝は、午前6時に起きてまだ暗い中、沼のほとりまで行く。気温はマイナス6度、昨日の夕方と同じ温度だ。たっぷりと厚着をしているのと、風がないことで我慢はできる。しかし、じっとしていると足の先が寒さでしびれるように痛くなってくる。鳥たちは、私のいる岸辺から数10m離れたところに、開いている水面にやその回りの氷の上に降りている。もう目を覚まし、水面を泳いでいるものや水浴びをしているものがいると思えば、まだ氷の上で首を翼の中につっこんで眠っているものもいる。

 待つこと30分あまりで、マガンの群が飛び立ち始めた。「グアラン、グアラン」という鳴きあう声が一段と高まった群からバサバサと羽音を立てて飛び立っていく。次から次に、マガンは飛び立つ。ときどき、頭の上を群が通り、キシキシと風を切る音が聞こえてくる。

 しかし、去年とちょっと様子が違う。前回来たときは、数千羽もの鳥がいっぺんに飛び立ち空をおおい、まるで鳥の天井ができたみたいだったのだ。そして、ネグラ立ちが始まって30分もすれば、すべてのマガンが飛び立ってしまい、1羽のマガンもいなくなった。

 今年は、よく見ていると飛び立つ群が小さいのだ。沼が凍ったため数が少ないこともあるが、マガンがいっぺんに飛び立たないで数10羽の群が一群となって、四方に飛んでいく。おかげで、1時間30分たってもまだ飛び立たないものがいる。そうこうしている内に、8時になってしまった。寒さ空腹に耐えかねて、やもうえず宿へひとまず戻ることにした。

 調べてみると、渡ってきてしばらくの間は大きな水田で落ち穂を拾っている。そのような広い水田には、大群が降りられるために群も大きく、移動するときも大群だ。しかし、そのような広い水田の落ち穂を食べ尽くしてしまうと、狭い水田にも行かなくてはならない。そのため、群が小さくなるというのだ。だから、朝のネグラ立ちの群も小規模になってしまうのだ。

 一年前に来たとき時は12月上旬だから、まだ群が大きかったわけだ。今年は、2月上旬。この2カ月で、マガンたちの習性が変化するのだ。

  帰りの仙台へ向かう電車の中で、線路近くの水田にマガンの群が降りているのを見つけた。一面の銀世界の中に、黒っぽい大きな鳥が降りているのだからよくわかる。今まで、電車の中から見たことはあまりなかったが、今回はいくつも群が降りている。ただし、群はせいぜい50羽程度、小さい群だと20羽ほどだ。やはり、食物を求めて条件の悪い狭い水田まで入っていたのだ。(19964月号)