神奈川県厚木市荻野
2001年12月訪問
実は、1994年6月に一度訪問しているのだが、そのときは地名探しを徹底していなかったので、多くを見逃していた。
今回は、とにかく徹底して「荻野」を探し回った。その結果、多くの「荻野」の地名を探し出すことができた。
まず、交差点名から見てみよう。左から順に「下荻野、荻野新宿(シンシュクと読むそうだ)、荻野広町、上荻野、荻野尾崎」である。
さらに、荻野一帯の中央を流れる川として「荻野川」(オギノカワと読むそうだ)がある。それに架かる橋を「荻野橋」(オギノハシ)という。
この地域の学校は、荻野中学校、荻野小学校、上荻野小学校の3校がある。
記念碑によれば、もう一つ「荻野上分校」というのがあったようだ。記念碑の右側の記載では昭和55年4月廃校となった。実は、ここが荻野公民館上荻野分館になっている。
学校に準ずる施設として「荻野すみれ愛育園」がある。育児相談などを行う「荻野地域育児センター」も併設している
旧荻野村の役場跡の記念碑もあった。記念碑の右側には次のように書いてある。「明治22年に上荻野、中荻野、下荻野の3地区により、荻野村となり、昭和21年までこの地に村役場がおかれた。」
郵便局もある。「荻野郵便局」と「上荻野郵便局」である。
地域の中心としての「荻野公民館」である。ここで厚木市史を閲覧し、コピーをとらせてもらった。住民でない人にも親切な対応だった。
公民館には、もう一つ、上荻野分館というのがある。
半公的なものとして、「NTT荻野電話交換センター」「JAあつぎ荻野支所」があった。
それから、忘れてはならないものとして「荻野運動公園」がある。詳しい説明は、個人による非公式サイトが便利だろう。厚木市の公式ホームページでも簡単な説明が見られる。こちらには空からの写真もある。
下の写真に示した案内図を見ると、荻野運動公園は非常に大きいことがわかる。
これも公的なものだが、「中荻野配水池」というのもあった。
このように「荻野」の土地が広いので、会社も地名を使う例が多い。「神奈川中央交通」はバス会社だが、下荻野操車所と上荻野操車所がある。
ちょっと驚いたのだが、「おぎの聖地公園」というお墓まであるのである。まさにゆりかごから墓場までという感じだ。
荻野の中心にある神社が「荻野神社」である。由来を記した石碑があった。石碑は昭和63年建立ということで新しいものだ。鳥居の外側から見た全景写真も掲載しておく。
なお、荻野神社のイチョウは厚木市の天然記念物に指定されており、そばに厚木市教育委員会による解説板があった。
訪問時、ちょうどイチョウが見事な黄色に染まっており、おりからの晴天に映える姿はすばらしかった。写真では、1枚に納めきれないので、上下に分割して2枚にわけてシャッターを切った。
「荻野」は広大な地域であり、そこには「荻野」の名が付くお店などが多かった。
まずは、医療関係として「荻野クリニック、荻野歯科」があった。後者の院長は「堀真治」さんである。「荻野○○」さんによる荻野歯科はあちこちにありそうだが、地名の「荻野」による命名は珍しいので、写真に記録した。
他に「荻野」の名前を付けた店として「荻野庵」というソバ屋があった。「厚木名物そば」という看板だが、どういう名物なのかはわからなかった。次に訪問したときには是非そばを食べてみよう。
あとは、直接「荻野」の名前を付けたものではないが、チェーン店の場合に「荻野店」という名前になっているケースが多い。
トヨタ・日産・スバルのそれぞれが「厚木荻野店」と名乗って競争している。
コックピットという店は知らないのだが、たぶんチェーン店なのだろう、「おぎの」と「OGINO」が書かれていた。
コンビニでは、サンクスに「厚木下荻野店」があった。
ファミリーレストランでは、バーミヤン厚木下荻野店、ガスト厚木中荻野店、ジョナサン厚木荻野店があった。
さらに、お菓子とアイスクリームの店「シャトレーゼ工場直売店」があり、「和食めん処サガミ」という店(実は、私は他の店を知らないのだが、神奈川県のファミリーレストランらしい)もあり、「ほっかほっか亭」、「かまどや」、「小僧寿し」という弁当チェーンもあった。
なぜこんなに店が多いのか。それが、この地域を理解するポイントだ。ここの「荻野」は、住宅地と商業地とが一緒になっている。すごく広い場所で、いろいろな店があり、神奈川工科大学もある。リコーの工場は、地図によれば隣の三田にあるが、すぐ隣なので、まあ荻野にあるようなものだ。荻野はやたらに広い。その中を国道の412号線が走っているので、その周りにチェーン店がいろいろな店を出し、「○○荻野店」という名前をつけている。クルマ社会を反映して、看板を大きくして目立たせ、通過車両にも見てもらい、寄ってもらおうと努力している。そのため、店の看板が目立つわけだ。
一方、国道412号線から西南側に一本脇の道に入ると、そこは昔からの伝統的な農村(の住宅集合地)である。細い道が続いている。それが旧荻野村だ。
立原正秋(1983.5)『立原正秋全集 第13巻』(角川書店発行)に「荻野村にて」という短編がある(初出は小説現代の昭和46年5月、第9巻第5号)が、その舞台は現厚木市の荻野である。
WWWでは、 厚木市荻野地域情報および厚木市荻野詳細情報がある。
1993年3月発行の『厚木市史 古代資料編(1)』の948ページから「保元元年(1156)7月11日 源義朝等を遣して、白河殿を攻めしむ、荻野忠義等従軍す」という資料があがっている。古活字本保元物語に載っているとのこと。ここに出てくる武士(荻野忠義)について、950ページの注(5)で、「愛甲郡荻野郷(現厚木市上・中・下荻野)を本拠にしたと思われる武士。」とある。だとすると、この苗字は地名からとられた可能性がある。確証ではないが、相当に古くから「荻野」の地名があったものと思われる。
1989年3月発行の『厚木市史 中世資料編』の360ページには、「観応3年(1352)6月13日 足利尊氏、毛利庄内妻田・散田・荻野郷等に、武士・甲乙人等の乱入狼藉するを禁ず」
という資料が載っている。この解説部分に「この三つの郷名は、本文書が所見である。」とあり、地名としての「荻野」が最初に確認できるのが 1352 年だというわけだ。