兵庫県伊丹市荻野

2001年9月訪問

 伊丹市は大きい。その中でも「荻野」は大きい。広大な住宅地である。 いろいろなところに「荻野」がある。
  まずは、住居表示でパチリ。

 次にバス停である。全部は撮りきれないので、「荻野」と「荻野北」だけ示す。

 ところどころに「荻野自治会」の案内板があった。これでわかるように、荻野1丁目から荻野8丁目まである。

 「荻野橋」というのもあった。右側のひらがな表記は、逆光のせいでやや見にくくなってしまった。

 

 「荻野小学校」もある。荻野小学校については、WWWを見ていたら、出てきた。(2001.10.30 現在)ただし、そのうち内容が変更になってしまうかもしれない。 http://www18.big.or.jp/~tyam/itami/bunka/bunka116/bunka116.html

 近くには「荻野幼稚園」もある。表札では「おぎの幼稚園」となっている。
  案内板によれば、やや離れたところに「荻野保育園」もあるそうだが、都合で訪問を省略する。

 公園(これは荻野公園というらしいが、公園名を示した看板は見つけられなかった)の近くに「荻野の旧地名」という説明板を見つけた。ちょっと判読は難しいかも。

 その荻野公園の中に「荻野 土地区画整理記念」という碑があった。こんな大きな碑を作るくらいなのだから、きっと大事業だったのだろう。

 さらに、荻野公園のそばに「伊丹市共同利用施設 荻野センター」というのもあった。

 これだけ「荻野」が根付いているので、それを頭に冠したものも少なくない。次は、「荻野ガレージ」と「荻野駐車場」である。

 

 実は、「荻野」の地名が付く大きなものとして「荻野団地」があるのだが、実際に訪問して、看板類を見てみたところ、名前を掲示していないようだ。自治会は「高縄手」という地名を用いているので、その名前で掲示が出ている。唯一、ゴミ箱に「荻団外者持ち込み禁止」という張り紙があったが、これでは「荻野」の名前を確認したことにはならない。

 さて、伊丹市の「荻野」がいつころ使われるようになったのか、調べてみよう。
 『伊丹市史 第1巻』(昭和46年3月31日刊行)の299ページによれば、荻野は近世に入ってから開発されたとある。
 『伊丹市史 第2巻』(昭和44年8月1日刊行)の26ページでは、秀吉による文禄の太閤検地について述べられており、そこに「荻野村では宮木藤左衛門尉(中略)が検地奉行となって行われた。日付は文禄3年9月(以下略)」とある。このころには荻野村が存在したということである。
  さらに『伊丹市史 第3巻』(昭和47年3月31日刊行)の145ページによれば、明治21年に町村合併が検討された際、荻野村は他の村と一緒に長尾村となり、行政地名ではなくなり、これ以降は大字ということになる。

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