佐賀県佐賀市嘉瀬町荻野

2001年11月訪問

 まずは、道端の標識を見つけた。「嘉瀬」は旧町名であり、「荻野」はその一部ということである。荻野には、完全に舗装された立派な国道が通っている。

 そして、非常に簡単な標識だが、ここが「荻野」の旧集落だということを表す標識である。

 この標識の近くに、「荻野橋」を見つけた。読み方は濁点のない「おぎのはし」である。荻野橋には平成元年3月竣工と書いてある。「荻野」の地名は今でも生きているということである。

 

 こんなに立派な橋に「荻野」の名前が付けられて光栄である。(何が光栄なのか、……?)
 この橋の反対側の標識を見ると、「市道北島荻野線」とあり、二つの集落を結ぶ道路がこの橋を通っていることがわかる。

 この地区には、「荻野自治会」というのがあるようだ。いずれもゴミに関する掲示だが、2枚の掲示がその証拠である。

 荻野には、広大な畑が一面に広がっている。昔からの田舎の住宅も若干ある。何の畑だろうか。大豆にしては枯れているようで変だ。こういう農作物に関する知識がないのが悔しい。

 昭和52年7月29日発行の『佐賀市史 第二巻(近世編)』によると、18ページに「荻野村」が登場する。現在の佐賀市域の西部に位置し、多久家の配分地だったようだ。この記述が1787年の『肥前国佐嘉領村々目録』によっているということで、少なくとも、このころには荻野村が実在したわけだ。
 昭和53年9月30日発行の『佐賀市史 第三巻(近代編明治期)』によると、89ページに荻野村が登場する。明治初期の資料によれば、佐賀郡の中に嘉瀬郷6村があり、全体で戸数864戸だという。その中に荻野村があるので、100ないし200戸程度の規模だったようだ。
 同書380ページにも荻野村が登場する。明治19年の資料によるものである。

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