山形県天童市上荻野戸・下荻野戸
2001年8月訪問
まずは、電柱の表示で「上荻野戸」「下荻野戸」のそれぞれを発見。
いつも「上・下」を付けて言うのかというと、そうでもないらしく、道標では、次のように単に「荻野戸」とあった。 バス停の表示では「荻の戸」という表記もあった。
公民館は2箇所にあり、それぞれ「上荻野戸下公民館」と「上荻野戸公民館」と書かれていた。紛らわしい名前で、地元の人はたぶん別の名前で呼んでいるのだろう。
ある観光果樹園の窓に破れた掲示があり、地名表示がみられた。
もう少しはっきり、「荻野戸」の由来を書いた掲示板があった。
「上荻野戸の板碑」というのがある。天童市教育委員会が説明の掲示板を設置していた。
電柱の根本の標識で、読みにくいが、「平成十一年度特定環境保全公共下水道事業」「上荻野戸十一-一工区管○築道工事」と読める。○の字が読めない。(というか、きちんとメモをとっておくべきだった)
『天童市史中巻(近世編)』(昭和62年3月31日発行)の413ページから荻野戸村について記述がある。そこには「古事来暦之事」(『天童市史編纂資料』第9号)を引用して、「かつて荻野塔と呼ぶ塔があったので村名になったので、本来は荻野塔と書くのが正しい」とある。
さらに『天童市史編纂資料』を探してみたが、第9号にはそのような記述が見つからず、第19号に伊豆田忠悦著の「解説」(pp.9-15)があり、荻野戸村に関する詳しい記載がある。その最初には、「旧荻野戸村は、貞観のむかし(860年頃)慈覚大師が山寺立石寺開創のおり、大師に従ってきた6人の在家より始まると伝えられている。」とあり、「荻野戸」がずいぶん古い地名であることがわかる。以下、長くなるので、引用はしないが、昔の厳しい農村生活がうかがわれる解説である。