神奈川県横須賀市荻野

2002年3月訪問

 まずは、荻野小学校に行ってみた。
 http://www.edu.city.yokosuka.kanagawa.jp/schoolnet/element/elementary_school/47ogino.htmlというところで紹介されている学校である。すると、正門の脇に「犬の糞に困っています!」という看板が出ていた。

 いろいろな住民が学校に立ち寄るらしい。犬の散歩はいただけないが、……。
 荻野小学校のそばには荻野川が流れ、荻野橋がかかっている。橋は比較的新しい。

   

 荻野川の大きな看板があった。「大海へそそぐ小さな息吹」と書いてある。なかなかしゃれている。
 荻野川は、他のサイトで写真を見ることができる。(三浦半島の)荻野川上流の写真である。

 さて、横須賀市の荻野は、農村+住宅地といったところである。生産緑地地区に指定されているところもある。歩いていると、「荻野市民農園」というのを見つけた。一つ一つの区画は小さいが、それぞれの区画でそれぞれのお好みの野菜を作っている。

   

 さらに、「荻野第2市民農園」まである。なかなかの人気ぶりだ。

 

 さて、ここには、「日蓮宗荻野山正蓮寺」というのがある。参拝してきたが、賽銭箱の上に立派な看板があった。「山埜荻」と右横書きで書いてあるようだが、「埜」(野の古字)と書いてあるのかどうか、ちょっと別の字のようにも見える。自分に漢字の知識がないのが悔しい。

 

 荻野山正蓮寺については、WWWで記述を見つけた。こちらも同じ記述らしい。(うまく表示されないようなので、「荻野山」で文字列検索してほしい。)
 さらに歩いていくと、新興住宅地のまっただ中に「荻野公園」があった。看板1枚だけで、他に何の説明もなかった。

 

  『横須賀市史』(昭和32年3月発行)を見ると、261ページに、「荻野村」が出てくる。1872年(明治5年)2月相州三浦郡を10区に区分したときの第7区の7か村の中にある。263ページにも荻野村が出てくる。1873年に神奈川県を20区に区分した場合、その14区、7番組に属する村である。
  『横須賀市史<上巻>』(昭和63年12月発行)の193ページには、1559年の時点で後北条氏が調べた『小田原衆所領役帳』という史料が掲載されているが、その中の一人のところに「長坂内荻野分」という所領が書いてある。このころには「荻野」がすでにあったといえよう。また、同書210ページには、近世の石高分布図が載っているが、ここに「荻野」村が登場する。あとは、285ページ、287ページ、289ページ、293ページにも登場する。293ページの記述で、荻野村は明治22年に他の村と合併して、中西浦村となり、以後は大字として名をとどめるようになったことがわかる。
  『横須賀市史<下巻>』(昭和63年12月発行)の13ページには、地区別の人口として、「荻野」が出てくる。それによると、昭和61年現在で、102世帯、人口総数396人(男192人、女204人)とのことである。

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