千葉県八日市場市荻野

2001年12月訪問

 「荻野」の中心地は、何といってもバス停である。市内循環バスが走っており、立派なバス停があった。後ろの電柱にも「荻野」と書いてあるのだが、小さい文字なので、ちょっと読みにくい。

 

 さて、八日市場といえば、植木屋さんが多い。関連して造園業・庭石販売も多い。探してみると、その名もズバリ「荻野園」があった。他にもいくつかの植木屋さんで看板に住所を表示しており、そこに「荻野」が明示してある。八日市場の「荻野」は、まさに植木屋さんだらけであった。

  

 1987年3月発行の『八日市場市史 下巻』にいくつか荻野村に関する記載がある。
 58ページには、「荻野村は江戸時代前期より旗本菅沼氏の知行地であった。【中略】荻野村(村高180石)は天正18〜19年(1590〜1)ごろ菅沼氏の知行地になり、【中略】菅沼氏の荻野村の知行地は、明治維新まで存続した。」とある。
 また、425ページから426ページにも荻野村に関する記載がある。「江戸時代を通じて村高に変化がないので、集落周辺の耕地は江戸時代初期すでに開拓されていたものであろう。」なるほど、村高というのはそのように読むべきものなのか。
 同じページに、「荻野(おぎの)村と呼ばれたが、近世の記録や石造物には「萩野村」との表記が多く見られる。しかし発音は「オギノ」なので、その語源を考えてみることにしよう。」とある。 日本全国で荻野と萩野の誤字があるのだが、こうなると、単なる誤字ではすまされないかもしれない。なお、同書はさらに荻野の語源について二つの説を紹介しているが、説得力がないと思われるので、ここでは省略する。
 1996年9月発行の『八日市場市史 近現代編』には、明治22年4月の町村合併の話が出てくる。32ページの記載によれば、荻野村は他の4村と一緒に「平和村」になったことがわかる。39ページによれば、平和村誕生時に荻野村は戸数は20戸、人口は108人だったとある。小さい村だったわけだ。
 1997年9月発行の『統計ようかいちば 平成8年版』(八日市場市 市長公室発行)というのがある。その20〜22ページに、平成8年4月現在の行政区別、世帯数および男女別人口の表が載っている。それによると、平和地区の中に「荻野第1」と「荻野第2」があり、前者は9世帯、男25人、女23人、後者は15世帯、男31人、女38人となっている。合計すれば24世帯117人ということになり、明治22年からほとんど変わっていないことがわかる。

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