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   法 起 
この寺は、推古十四年(606)
に聖徳太子が法華経講説され
たという岡本宮を寺に改めたものと伝え、法隆寺、四天王寺、中宮寺などと共に、太子御建立七ヵ寺の一つに数えられている。天武十四年(685)
には恵施僧正が宝塔の講立を発願し、慶雲三年(706)三月に塔の露盤を作ったとしている。一重の石壇上に立つ、三間四方三層、高さ二十三、九メートルの塔婆で、慶雲三年に建立されたとする現存する我国最古の三重塔として名高い。
   塔高 23,9m
  薬 師 寺 東塔


各重に裳階をつけた珍しい塔。フェノロサが「凍れる音楽」と称えた他に類例のない美しい塔。高さが約34mあり三重塔の中では最高。
相輪は請花がなく、水煙の飛天像の彫刻が有名。連子窓がなく壁で練りこめられている。

  塔高 34m
   当 麻 寺
私が思うに、当麻寺のシンボルといえば、創建時のまま揃う東塔・西塔の双塔である。
柱間が初重方三間なのは標準的だが、2,3重が方2間なのは珍しい
  東 塔
文献によると2重まで2間なのは他に例がないとのことである)。相輪の宝輪は8輪で、水煙が木骨式であるのも珍しい。

   
   塔高 24,39m
   当 麻 寺
このように、当時のままの姿で存在するのは全国唯一のものである。
  西 塔

相輪の宝輪は8輪で変則的である。
なお、現在の西塔を再建されたものと考える説もある

   塔高 24,4m
  浄 瑠 璃 寺

嘉承2年創建。治承2年(1178年)京都一条大宮から移建。内部には、彩色で十六羅漢像や文様が描かれている。山を背景とした三重塔は16m余りの小さな塔であるが、
四季折々の風景になじみ大変美しい。特に紅葉の時期は絶景です。浄瑠璃寺は、永承2年(1047年)の創建、本尊の九体阿弥陀仏によって九体寺とも言われる。
   塔高 16,4m
   一 乗 
西国三十三観音第二十六番札所。兵庫県唯一の国宝塔婆。和様で心柱がなく床をつけた塔として最古の塔と言われている、(日本の国宝)初重から二重・三重に行くに従って小さくなり、安定感があり
繊細な感じがして非常に美しい。これぞ日本の塔と言う雰囲気があり、私の好きな塔のひとつ。秋の紅葉、特に三重塔と本堂の間にある楓の真っ赤に燃えた様には思わず感動してしまう。
   塔高 23,0m
   興 福 
ご覧の通り初重が二・三重に比べ際立って大きいが軒の出で屋根の大きさを調整し容姿を整えている。この搭は、康治2年(1143年)に完成したが、治承4年(1180年)南都焼き討ちに遭い焼失してしまう。その後再建されたのが現在の搭で,
境内では北円堂と並び最も古い建造物である。初重内部は対角線状に板壁を作り千躰仏が描かれているという。境内の片隅、南円堂の裏を下がった所にあり殆ど気が付かないが、同時代東大寺が大仏様で再建されたのに対し、当寺は伝統的な和様で再建されており一見の価値あり。 塔高 19,1m     明 通 
初重から高欄があり、和様の本当に美しい塔である。心柱は初重天井裏までであり、この様式はこの後一般化する。明通寺は、坂上田村麻呂の発願で建立されたと言われ、鎌倉中期頼禅法印によって現在の本堂・三重塔(いずれも国宝)が再建された。
平安時代の作と推定される本尊薬師如来坐像は近年まで秘仏とされて来たが、今は公開されている。保存状態が良いのが木肌で分ります。また深沙大将立像は西遊記の沙悟浄で日本には3体しかない珍しい像です。(他は、横蔵寺、金剛寺)
  
   塔高 22,3m
   長 福 

長福寺は、天平宝宇元年(757)鑑真和尚が開基したと伝えられている。三間4面こけら葦、楝札には鎌倉中期弘安8年(1265年)の再建と記され県下最古の木造建築である、
全体の均衛がよく、細部も雄大堅実でよく鎌倉時代の特色をしめしている、元は真木山上にあったが、昭和26年解体修理の上、現在地に移建された。

  総高22、
07m
   石 手 
和様の堂々とした大型の塔で,初重に縁を置き,2・3重は組高欄を置く。戸は板戸,脇間は連子窓。神亀5(728)聖武天皇の勅願により,伊予守越智玉純が創建。翌天平元年(729)行基が薬師如来を刻み本尊とし安養寺とした。弘仁4(813)
弘法大師が堂塔を整え第51番霊場とした。寺名の由来である,衛門三郎の縁起以来弘法大師の信仰が厚い。永禄9(1566)長曽我部氏の兵火の為寺域の大半が焼失したが,国宝仁王門・重文三重塔・本堂などは焼失を免れた。

   塔高 24,1m
   西 明 

高さの割には軒が大きく見え、また軒の反りが緩やかで桧皮の材質との調和がなんとも美しい。相輪の水煙が消失。
当寺は仁明天皇の勅願で承和年間(834〜848年)に僧三修が創建した寺院。後天正年間、織田信長の兵火に罹り本堂・三重塔・ニ天門などのほかは焼失した。  塔高 23,7m    百 済 
639年百済太寺に九重塔建つ。809〜23年嵯峨天皇三重塔を建立。1190〜98年源頼朝三重塔を再建。その後慶長の頃、
塔は存在したがこの間不明。室町時代の再建説もある。

   塔高 23,0m
   安 楽 寺
国内に唯一現存する八角の塔。全体が純粋な禅宗様で出来ている。珍しい裳階をつけ、相輪を支持する心柱は初重天井で止まり、内部は広く大日如来を安置している。
安楽寺は、慈覚大師の開山と伝えられるが定かではない。史実に現れるのは、鎌倉時代樵谷惟僊禅師が入山して以降。

   塔高 24,3m
   大 法 
純和様の、大きくも小さくもない均整の取れた美しい塔。街道を歩いて塔をやり過ごすと、その美しさに思わず振り返ったことから、別名「見返りの塔」とも呼ばれる。
見目が美しいのは初重の柱間を広く取っていることで、逓減が大きく見えるためか。後の山の中腹からの眺めが良い。

   塔高 18,6m
  霊 山 寺
弘安6(1283)の建立との説もある。小野妹子の子の右大臣富人は壬申の乱の時官職を辞し、当地に薬草湯屋を建て諸人の病を治していたところ、聖武天皇が孝謙皇女の病を治さんが為、
天平6(734)勅命で薬師如来を本尊とする霊山寺を創建した。(天平8年印度僧菩提遷那がこの地が霊山であると感嘆し行基と共同して当寺を創建したともいう)
   塔高 17,1m
   宝 福 

弘長2(1262)北条時頼が巡国の際、当寺に立ち寄り建立したと伝えられていたが、昭和44(1969)の解体修理時、永和2(1376)の建立と判明した。

画聖雪舟は12歳の時修行のため当山に入ったが、絵ばかり書いていたので、住職に本堂の柱に縛られた。その時涙でねずみの絵を書いたのを住職が生きているように思い絵の修行をするのを許したと言う。
 
   塔高 18,8m
   如 意 

和様の均整の取れた平均的な塔と思える
1996年解体修理中であった。
ここも法道仙人の開いた寺と言われている。

   塔高 21,8m
   園 城 
比曽寺(世尊寺)の東塔だったものを1601年に移築したものである園城寺は天台寺門宗の総本山である。
「三井寺」という名で知られている。また、観音堂は西国三十三所観音霊場第14番札所である。
  
塔高 24,7m   
  旧 燈 明 寺
大正3(1914)奈良県加茂町の燈明寺から移築された純和様の塔で、三渓園の風景に完全に溶け込んでおり何処から見ても大変優美に見える。四季それぞれの風景が素晴らしい。
燈明寺は、天平7(735)聖武天皇の勅願寺として創建された。康生3(1457)天台僧忍禅が東明寺と改称し塔を再建した.(江戸時代寛文年間に再度燈明寺と改称)巴瓦には東明寺と記されている.  塔高 23,9m   金 剛 輪 寺
本堂左手の小高い場所にある。この搭は江戸時代に大破した侭打ち捨てられていたが、昭和50年(1975年)解体復元された。解体前は、二重の途中から上が朽ち落ち、
初重も軒・扉・窓が無くなっていたそうである。天平十一年(739年)聖武天皇の勅願により行基が創建した寺院。のち円仁が鎮護国家の祈願寺とし、鎌倉時代以降は近江守護職佐々木氏の帰依厚く格式を誇った。
   塔高 22,2m
   常 楽 

湖東の西明寺の三重塔と時代も規模も略同じであるが、縁に高欄を置く。建築技法では西明寺より進展がある。 
ここから湖東にかけて、中世密教建築の国宝が並んでいる。西明寺・金剛輪寺・善水寺・常楽寺・長寿寺 の五ヶ寺。

   塔高 22,8m
   遍 照 

当初、寛和元年(985)智空上人が創建したが失われ、


応永2(1416)智海上人が再建したものという。


  塔高22,3m
   西 國 寺

室町幕府6代将軍足利義教の寄進。石製基壇上に建っているが、廻縁は設けられていない。初重・二重・三重の柱間寸法は、厳島神社五重塔の初重・三重・五重と同じになっているという。
塔の脇の山道を稜線に沿って歩き、反対側の山上から眺めるのが良い。西国寺は行基の創建と言われている寺で、仁王門には約2メートルもある藁草履が掲げられています。

   塔高22,3m
   向 上 寺

永享4年(1432年)生口島領主小早川信元・信正の建立。唐様(禅宗様)の数少ない、貴重な塔で、独創的な装飾が特徴。(組物に若葉の彫刻・扉を吊る藁座に蓮の葉の彫刻・窓は花頭窓など)
この島にこのような塔があるのには吃驚した。近くに耕三寺と平山郁夫記念館があるが、この島に来たらこの三重塔を忘れてはならない。塔の相輪の向こうに海、海に浮かぶひょうたん島,気持ちが洗われる瀬戸内海の風景です。
   塔高 19,5m
   岩 船 寺

鬱蒼とした森の中に古色漂う三重塔がある。右手前の本堂、塔の前の小さな池などが、閉鎖的な空間を作っており、紅葉・紫陽花・百日紅等の花がそれぞれ趣を醸し出す。
十三重塔・石室など鎌倉・室町時代の遺構がほかにもある。ここから浄瑠璃寺までの古道は、風変わりな磨崖仏・石仏が多く格好の散歩道。

   塔高 18,0m
   捜 見 寺
天正
4(1576)、甲賀郡柏木村から移築された塔といわれる。大正3(1914)三重の軒が崩れ修理された。ハ見寺は織田信長が安土城築城の際甲賀にあった江雲寺を当地に移し織田家の菩提寺とした。
城は本能寺の変後、兵火により焼失したが、当寺は豊臣・徳川氏に手厚く保護されてきた。ところが江戸時代末期の安政元年(1854)火災により三重塔と山門を除きすべて焼失し、未だ再建されていない。
   塔高 20,0m
   新 長 谷 寺
貞応元年(1222年)空海4世の法孫、護忍が後堀河天皇の勅願を受け創建。当寺の名称は、本尊の十一面観音像が奈良の長谷寺の本尊と同じ木材で作られていることからと言われる。
鎌倉時代は東山道の要衝として栄えた。本尊の十一面観音の一面が馬頭観音であることから農耕馬への感謝を込めて「飾り馬」の行事が毎年2月18日に開催されている。

   塔高 20,1m
   
   小 山 寺
相輪宝珠に寛正6年(1465年)の刻銘があり、多賀谷朝経が大檀那になり大工棟梁宗阿弥家吉等により造営されたとある。和様を基本に唐様を交え、関東には稀な美しい優美な姿である。
当寺は天平7年(735年)聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝えられている。本尊は十一面観音菩薩で行基の作、また脇侍不動尊は慈覚大師、多聞天は運慶の作と伝えられる。富谷観音と呼ばれている。
   塔高 19,7m


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