裁判を終えて
1 裁判を終えて
2003年 12月24日
2003年 12月24日 調停を含む約4年間の闘いは和解という形で終結しました。
本当は直接、保母や病院関係者に南美への謝罪の言葉を聞きたかったのですが、
最後までそれは叶いませんでした。
そのことは親として力不足であったと感じていますが、
私達なりの精一杯で努力してきたとは胸を張って言えるので、
南美もお空で私達を待っていてくれると信じ、
これからも自分達に出来ることをして行きたいと思っています。
以下が和解条項んの主な内容です。
| 1 被告は、原告らに対し、本件事故は被告が南美をうつぶせ寝にさせたことが契機と なっている可能性があること、被告が設置・管理する保育園における乳幼児の睡眠中の 監視体制に改善の余地があったことを率直に認め、本件事故を厳粛に受け止め、 南美に対し心から哀悼の意を表明し、解決金の支払い義務があることを認める。 2 被告は、本件事故後の病院及び保育園の対応が、遺族の気持ちを傷つけてしまったこと に対し、お詫び申し上げます。 3 被告は南美の死を決して無駄にせず、二度と本件事故のような事故が起きないよう、 今後うつ伏せ寝の危険性に対する認識を徹底させるとともに、 保育委託先の経営者及び保母ら全員に本件事故の経緯を知らしめ、保育委託先に対し、 乳幼児の安全を確保するための環境や監視体制が整備されるよう指導監督する。 |
2 納骨をした日
2004年 9月4日
南美の七回忌を迎えるにあたって、この節目の年に納骨を決めました。
裁判中は結果がどうであれ南美にきちんと報告できるまでは、納骨は出来ないと思っていました。
なにより南美から力をもらっていました。
ちゃんと納骨してあげた方がよいのではと心配してくださる方もいましたが、
南美とずっと一緒にいたいとの思いと、
お墓に南美1人を入れることが可愛そうに思えてなかなか決心がつきませんでしたが、
この時期をのがすと一生納骨出来なくなると考え決心しました。
小さな仏壇の横にいつもある小さな遺骨がこの家から無くなってしまうことを考えるととてもさみしく、
お葬式以来お世話になっている住職に遺骨を少しだけ家族そばに置いておく事は出来ないか相談しました。
すると、7回忌の法要と納骨の際に遺骨を分骨してくださるとのことでした。
9月3日 南美の遺骨を抱っこしました。この世で南美を抱っこ出来るのは最後かと思うとさみしくなり、
南美を抱く私を主人に写真に撮ってもらいました。
9月4日 住職の祈とう後、主人と私は自宅から用意してきた小さな瓶に、南美の小さな骨を入れました。
南美の名前を心の中で呼びながら、震える手を抑え大切に大切に瓶にうつしました。
法要が終わりお墓を離れるのは、さみしい思いでしたが、
無事納骨することが出来たことは親として1つ責任を果たせたように思えました。
法要後の会食は生前、南美と行った数少ない場所の1つで、蟹の専門店で行いました。
南美のおじいちゃん、おばあちゃん、叔父さん、叔母さん、いとこ達だけでの会食は
和やかな雰囲気で思い出の蟹料理も皆に喜ばれ、嬉しく思いました。
今、自宅の仏壇の横は大きなテディベアが座っています。
それは、南美の生まれた時と同じ身長と体重で作られ、
南美の顔写真のついたTシャツを着ているくまさんです。
納骨に間に合うように我が家に届きました。
南美の小さな遺骨はテディベアに抱かれています。
3 納骨してから・・・
2005年 9月4日
一年は本当に早く、またこの日がきました。
事故にあった3日の夕方に保育園の前に行きましたが、カーテンは引かれ、ドアは閉まっていました。
保母達は7年前の南美の事故のことを覚えているのだろうか・・・。
事故を教訓とした保育がなされているのだろうか・・・。
南美が顔を下にしたうつ伏せのまま、心肺停止の状態で発見されたベッドは今どうなっているのだろう・・・。
南美が苦しんだ場所にお花をあげたいと思いました。
保育園の前にしばらく一緒にいてから、南美が救命処置を受けた病院の前を通り帰宅しました。
3日の夕暮れ時はまた保育園の前にいる自分の姿が浮かびました。
4日のお墓参りは午後からになってしまいましたが、
午前中に叔父さん、叔母さん、いとこ達が先に来てくれたようで、お花がたくさんありました。
また、お墓の掃除をしていると、おじいちゃん、おばあちゃん達も来てくれました。
そして、友人がメールをくれたり、このHPで知り合うことが出来た方からもメールをいただきました。
とてもうれしく、ありがたく思います。
南美が天国に行ってしまったこの日は、毎年家族でここに来たいと思います。
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