(14)モロッコ (1998年)
ポルトガル絨毯のテキストに、モーロ人がモロッコから絨毯を持ち込んだとあり、いつかはモロッコへ行ってみたいと思っていた。イラン行きに振られたので、年末にモロッコへ出掛けた。カサブランカ⇒マラケシュ⇒ワルザザード⇒エルフード⇒フェズ⇒ラバト⇒カサブランカ⇒フランクフルトの連泊なしの9日間のツアーである。約1200キロのドライブ・ツアーでもある。
カサブランカの夫との早朝散歩から旅は始まった。映画「カサブランカ」の舞台であるホテルを覗いてみた。ロビーのゲスト用のコーナーの調度品、なかでも絨毯に目が止まり全体の構成、バーラ、セントロ部分を写真に収めた。ホテルのホールの絨毯を見るのも、この頃の旅での癖になっている。
午前中の観光は市庁舎、王宮、モスク見物であった。外観のみを見て回ったが、門、扉の装飾の中に、絨毯のモチーフに参考になりそうなデザインのものをカメラに収めて回った。1990年に建築されたという世界2のミナレットが聳える2世モスクの外装は、殊に華やかなモザイク・タイルである。
初日に、土産物屋とは・・と思いながら、店内に入った。モロッコの郷土品が所狭しと並んでいる。絨毯売り場もあったので、見て回った。2種類の絨毯がある。1つは結びの絨毯で「アラブ絨毯」といい、もう一方は刺繍がしてあるように見える絨毯で「ベルベル絨毯」と教えてくれた。午後はマラケシュまで180キロの平原ドライブである。
翌日の午前中はマラケシュ市内観光で、午後はワルザザードへ向かって約200キロ、4000メートル級のオート・アトラス山脈の2200メートルの峠を越えた。砂漠というより土貘のような丘陵地の下にヤシ林、日干しレンガの家々、団扇サボテンの赤い実などのオアシス、遠くの白雪の山並み、バスの下には壮絶な断崖絶壁など、車窓に写る風景のめくるめく変化を愛でながら走る。私にとってのドライブは旅の醍醐味でもある。
ワルザザードのホテルのロビーに足を踏み入れた途端、敷かれた絨毯が目に入り、「わあ、きれい」と心を奪われた。部屋へ行くまでの廊下の壁のあちこちにタペストリーとして飾られているのが見える。
夕食もそこそこに、カメラを持って、各階の廊下を歩き、廊下に敷いてある絨毯、壁の装飾としての絨毯を写して回った。フイルム1本分を写してから、デザインの構成、色合い、素材、作製方法などを丁寧に見て回った。やはり、モロッコには2種類の絨毯があるようだ。廊下に敷かれているのは、馴染みのあるペルシャ、トルコ、エジプト絨毯に似たノット(結び)製である。3−5世紀頃にペルシャからエジプト経由でモロッコへ入ってきたのが、ノットで織ったアラブ絨毯である。デザイン構成はバ−ラ、セントロ、カント、ペンダントなどから成り立っているものが多い。悪いとは思ったが表裏から1、2本糸を抜いてみた。シングル(ペルシャ、エジプト)やトルコ(ダブル)のノットでもなさそうだった。モロッコを離れる直前に入手した本を見て、シングルでもダブルでもない結び方もあるらしいことがわかった。
もう一方の絨毯はトルコで見たキリムに似ていた。キャンパス地自身がキリム織りになり、その上に刺繍がしてあるのかと見紛うような細かいモチ−フが縦横に線状に織り込んであるようだ。裏を見ると遊び糸が渡っていたり、切れ端がそのままになっている。先住民のベルベル絨毯という。アラブ絨毯に比べ、ベルベル絨毯は薄い。それでか、ベルベル絨毯は主に壁にタペストリ−として貼り付けてあった。ガイドブックによると、毛布としても使うという。素材は羊より山羊、らくだの毛が主材料だという。色合いはアラブ絨毯よりベルベル絨毯の方が地味めと感じた。ワルザザ−ドのホテル内は、私にとっては、さながら「絨毯博物館」であった。
翌日はオ−ト・アトラス山脈の南側を西から東へカスバ街道、280キロのドライブである。街道沿いに大小のカスバ(城壁で囲まれた要塞)、らくだの群れの砂漠、なつめ椰子の林のオアシスを見ながらのドライブが続く。午後も砂漠風景を愛でながらのドライブが続いた。途中、小休止のため民芸店ギャラリ−に立ち寄った。各地から集められたアンティ−クものが展示されていた。マット類も小奇麗に展示されていたので、表裏から調べてみたが、手刺しのものはなさそうである。
翌日はフェズ観光から始まった。かってのスルタンの居城は今の国王の王宮である。正面門の装飾扉には絨毯のメダリオンのデザインに使いたいような丸形のカラフルなモザイクタイルが多い。
今回の旅はメディナ巡りかしらと思うほど、フェズでもメディナ歩きである。迷路のような道に並ぶ店を見るだけである。その中で、16世紀のモスク見物があった。今回の旅では外観だけの見学だったが、そこでは、お祈りの姿を外から見ることができた。赤い絨毯が敷きつめられ、自分専用のミヒラーブのマットの上でお祈りしている姿が印象的であった。
昼食のためにアラブハウスに入ったら、同じ建物の隣のホールが絨毯売り場になっていた。食事をしかけても、絨毯のことが気懸かりで落ちつかない。夫に用足しにと耳打ちして席を立ち、絨毯屋へと駆け込んだ。1階から3階まで、壁に掛かっているものを見て回った。アラブ絨毯とベルベル絨毯だけで、ポルトガル絨毯に似たものはなかった。
店員が次から次ぎへと絨毯を広げて見せてくれる。ベルベル絨毯中心にカメラのシャッタ−を押し続けた。ベルベル絨毯のデザインの構成とモチーフにポルトガル絨毯の技法をミックスして、「紀世子風の糸のパッチワーク絨毯」を作ってみようと心が踊った。
午後はラバトまでの200キロ近いドライブである。昨日の雪が嘘のような快晴の下を肥沃な平原の山羊の放牧、農場主の建物など移り過ぎていく点景を見ながらのドライブは快適である。モロッコ最後の夜はラバトであった。
翌朝、ホテルを出る時、いつものようにバスの側に売り子がいた。いつもは素通りしてしまうのだが、アクセサリーを持った青年の「200ディルハム」の声に釣られ品物を見てしまった。わずかに残ったモロッコ通貨を使いきらなくてはとの思いもあった。旅の間あちこちで見たミナレットの尖塔の装飾である大、中、小の金色の玉(アラーの神、国家、国王)をモチーフにした首飾りが見えた。値段交渉で半分にするというので、買うことにした。バスに乗って、早速、首につけ、大きい玉を撫でながら、「アラーの神、アラーの神・・・」と呪文を唱えた。この呪文が、この後に喜びをもたらしてくれるとは予想しなかった。カサブランカの空港の待ち時間に書店に入り、殆ど期待しない軽い気持ちで、店の主人に「モロッコ・カーペットの本はありませんか」と尋ねてみた。すると、あの男に聞けというように指さした。入口に戻ると、夫がその男と話していた。ガラスケースの鍵を開けて1冊の本を出してくれた。パラパラとページをめくると、ベルベル絨毯の写真やアラブ絨毯の技法が載っている。
「やっと、出会えた。買える。手に入った・・・」などの言葉が頭の中を駆けめぐる。袋に入った本を抱えると、スキップしたい気分になった。出発を待つ間、ゆっくりと眺めていると、朝、ホテルの前で買った首飾りの3つの玉に手が触れた。「ああ、このアラーの神のお蔭だわ。アラーの神よ、アラーの神よ」と言いながら撫ぜていると、自然と笑いがこみあげてきた。
写真や説明図を中心に目を通した。機内で夫も目を通してくれたら、英語、仏語、独語で書かれていて、1995年の絨毯国際会議の報告書だという。説明図だけ見ていてもおもしろく、参考になりそうな本で、英語の所だけでもゆっくり読んでみたいと思った。
ポルトガル絨毯に似たものは、見つけることは出来なかったが、私にとってはベルベル絨毯という目新しい絨毯には出会うことができた。
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| アラブ絨毯(写真) | ワルザザードのホテル内 |
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| ベルベル絨毯1(購入) | ベルベル絨毯2(購入) | ベルベルのモチーフ(作品) |