沖縄イメージの系譜と現在・上

今こそ問いたい「沖縄ブーム」

新城和博(沖縄タイムス2006.8.29

 頭の中を、またまた「沖縄イメージ」という響きがぐるぐると回りはじめて、眠れない夜を迎えようとしていた昨日の晩、これまたなぜだか寝付けずにいた小学生の娘が、「原稿は書けたわけ?」と聞いてきた。

 「まだだよ」と答えたら、「なんのこと書くの?」としつこく尋ねる。僕は、正直に言えば意味が分からずに飽きて寝るだろうと「『沖縄イメージ』について」と答えた。すると娘は、「そういえばこの前、暇だった時に、みんな(彼女の友だち)で『沖縄と言えば?』って遊びしたよ」と言うではないか。「『沖縄イメージ』って何?」という質問に答えようとしていた僕は、俄然興味が出て、逆に聞いてみた。

「どうゆうこと言っていたの、みんなは」「沖縄と言えば……暑い。海がきれい。ゴーヤーチャンプルー。沖縄そば。色が黒い」「へぇー。じゃあ『米軍基地』とかは?」「あった、あった。沖縄戦って言うのもあったよ」「『ちゅらさん』とかは」「? 無かったよ」。ちなみに「おばぁ」というのも挙がらなかったそうだ。なるほどねぇとなぜだか感心する。

 沖縄の小学生何名かでの間で交わされた、たわいもない言葉遊び「沖縄と言えば……」の話を聞きながら、僕は今から十五年以上も前に編集した『おきなわキーワードコラムブック1、2』(89、90年刊行)のことを思い出さずにはいられなかった。

 当時、僕は、沖縄が観光地として「リゾート沖縄」と称されるのに違和感を覚える一方で「方言もしゃべれない、沖縄戦も知らない、復帰運動も知らない君たちは、うちなーんちゅじゃないね」と上の世代に言われることについても、軽いいらだちがあった。

 「沖縄戦」を体験した世代の息子・娘として生まれ、「日本復帰」を小学校で迎えて、中半端な高速道路を通って「海洋博」へ家族そろって遊びに行った僕たち。1セントを握りしめて、まちや小(雑貨店)に買い食いしていた頃、子ども心に焼き付いた与儀公園からスタートする抗議デモの風景。右側交通から左側交通へと一夜にして(準備期間はありますが)変わった「730」の記憶。それらを当時、何の違和感もなく受け入れていた僕たちだって、いや、だからこそ僕たちなりの「おきなわ」と呼ぶべきイメージがあるはずだ。その頃「青い空と青い海だけじゃない」(「沖縄ロックン・ロール」)とシャウトした、同世代のコザのR&Bバンド「ワルツ」のローリーのように、僕もまた、これまでとは違う沖縄イメージを表現したかったのだ。それまでの「沖縄イメージ」じゃ満足できなかったのだろう。それで地元出版社の駆け出しの編集者として、身近な同世代の沖縄人たちに、「あなたにとって、おきなわを感じさせる言葉は?」と片っ端からショートコラムを書いてもらい、一冊の本に「軽く読める事典」という形式にしてまとめたのが、『おきなわキーワード……』という訳だ。

 結局その本は大ヒットして、90年代前半の沖縄のサブカルチャーに影響を及ぼすことになったのだけど、それは「沖縄といえば……」と遊んでいる子どもたちの高揚感と、そんなに違いはないかもしれない。「おきなわ」を大げさな言葉で、大きく語らない。「おきなわ」を細分化し、個々の感触として語れば、これまでなじみの「おきなわ」の姿が、鏡の中で少し変わって映っていた。それを当時僕は「おきなわは、おもしろい。おきなわは、ポップだ」と表現してみた。

 でもあれから何度かの「沖縄ブーム」のさざ波と大波の中で、「おきなわは、おもしろい」というテーゼは、今、売り物としての沖縄の生活文化の前提となっている(こんなはずじゃなかったんだけどな!)。今こそ「沖縄と言えば……」と子どもたちのように聞いてみたいのだけど、いったい誰に問えばいいのだろうか。それこそが問題なのだ。

   眠れない夜は、まだ続きそうだ。

 

プロフィール

しんじょうかずひろ  1963年那覇市生まれ。沖縄県産本編集者。著書に「うっちん党宣言」「道ゆらり」他。