末永 航 (琉球新報2006.8.30 オリジナル原稿)

 

シーサーといえば、沖縄らしさを象徴するイメージとして、沖縄でもヤマトでもすっかりなくてはならないものになっている。八年前から毎年沖縄に魅かれてやって来るようになったのだが、自分の記憶を辿ってみても、初めて来た何年も前から「シーサー」という沖縄語は何となく知っていたように思う。

 だがシーサーがこんな存在になったのはそんなに古いことではない。明治から戦前期までは、外国やヤマトから訪れた人々が目に留めて書き残してはいるが、沖縄の人はまったく顧みることがなかった。戦後になって宮良當壮や山之内獏などヤマト在住の沖縄人がシーサーへの郷愁を漏らすが沖縄では反応がなく、シーサーが沖縄で大きく取り上げられることになるのは一九七五年、沖縄海洋博でのことである。

 海洋博沖縄館ではいくつものシーサーが観客を出迎え、公式ガイドブックの扉では赤瓦の屋根に載ったシーサーの写真にこんな文章が添えられていた。「シーサーの由来ははっきりしない。おそらくは中国伝来か。獅子像の魔よけだといわれるが、それにしてはやさしくユーモラス---『かりゆし』の表情である。沖縄本来の貌(かお)である。」

 世界に広がり、日本には中国から来たのが明らかな獅子像であるという一面をあえてぼかして沖縄の独自性を強調し、それが象徴する沖縄文化本来の特徴が「やさしくユーモラス」なことなのだというのである。

「やさしくユーモラス」な性格は、それが上の立場に立つものでない限り、他人からは「かわいい」存在にみえる。「かわいい」シーサーに自分たちの象徴を見出したとすれば、この頃から沖縄の人々が自らをちょっと「かわいい」と思いだしたのかもしれない。

 「kawaii」は英文の中でも使われるほど、今の日本文化を理解する鍵として注目されている。沖縄語には「〜小(グァ)」というイタリア語の縮小辞みたいなのがあるけれど、やはり沖縄にも「かわいい」志向があったのではないだろうか。ヤマトと沖縄におそらくは共通するこの好みにうまく合って、シーサーは海洋博覧会以降急速に大きなキャラクターとして成長していったのだった。

 最近は沖縄らしさをむきになって強調する必要がなくなったからか、ことさらにシーサーが登場する場面は以前より少なくなっているようだ。お店やホテルなどの名前に新しく使われることもあまりない。

 それでも地域や学校で子供たちが漆喰シーサーをつくるところは多いし、『週刊レキオ』の「ユニークで思わずほほ笑んでしまうような」シーサーの写真を読者が投稿する「私のシーサー」欄は1000回を越えてまだまだ続いている。沖縄独自の文化としてシーサーがすっかり定着していることは確かだろう。

 ただ、「かわいい」「ユーモラス」だからこれでいいのだ、と自分で思っているのが見えすぎると、見せられた方は鼻白むこともある。無心の職人がつくった昔のものがいちばんよかったなんて柳宗悦みたいなことはいいたくないが、シーサーのこれからをさらに見つづけていきたい。沖縄料理店が急激に増え、いくらか怪しげな沖縄文化が大量に消費されつつあるヤマトにいて、最近特にそう思う。

 

プロフィール

すえなが・こう 1955神戸市生まれ。学習院大学大学院修了。広島女学院大学生活科学部教授。専攻は美術史・文化資源学。著書に『イタリア、旅する心 -大正教養世代がみた都市と美術』、『カラー版西洋建築様式史』(共著)、など。