メニュー
水について
お茶について
お茶の入れ方
水について
茶器について
お菓子について
茶器の紹介
茶器の選び方
日本文化についての私見
日本文化の衰退
ブームの功罪
NHK(1)
NHK(2)
純粋な日本文化
民放
食について
現代人の味覚
故郷の味(1)
故郷の味(2)
故郷の味(3)
失われた味(1)
失われた味(2)
自己紹介
リンク集
サイトマップ |
日本文化に対する私見
食について
今、食について危機が叫ばれています。
次々起きる食品偽装問題、中国を始め外国からの輸入食品の危険性等。
これらは全て、安全性の問題ですが、実のところ本当の危機は、我々現代日本人の心の中にあるのです。
この心の問題から派生した結果、その延長上にその行き着くところがこの日常食べるものさえ何が入って
いるかわからないといった危機的状態なのです。
では、心の問題とは一体何でしょう。
私たちは食べ物の価値について余りにも無関心でありすぎます。
食物は人間にとって最も大切なものであるにもかかわらず、それには全く無頓着です。
今や、食物さえも温室栽培で季節外れの野菜や果物、鶏肉は全てブロイラー、牛肉はやたらと乳臭く
スーパーの棚に並んでいるもので昔私たちが子供の頃食べた本物の味とは全くかけ離れたものと
なり、本来その食物の持っている栄養価や力さえ失われているのです。
今の若い人たちは云うに及ばず、けっこうな年齢の人達でさえこの食べ物の変化に気づいていません。
例えば果物など、異常なほど甘くなってしまい、柑橘類の酸味と程よくバランスのとれたものは見られ
なってしまっています。昔の味を知っている年寄りでさえ酸っぱい夏みかんより甘いだけで酸味のない
気の抜けたような甘夏を好みます。そのせいでしょうか、どの果物屋さんにも昔ながらの頭の天辺が
涼しくなるような酸味の強い夏みかんは見かけなくなりました。
蜜柑類は勿論、やたらと甘いばかりの林檎、粒が大きく見栄えばかりの苺。昔懐かしいまくわ瓜は姿を
消しています。
これは、全て、農業というものがその本来あるべき姿を見失い、お金儲けの手段に成り下がってしまった
ことによります。
より多く、より安く、より見映えよく、また果物にかぎらずトマトなどまでもがやたらと甘くなってしまい、それが
さも良いことのようにマスコミに取り上げられています。これはすべて間違った品種改良の結果なのです。
一見スーパーの商品棚の上には昔と変わらない食品が並んでいます。
しかし、一つ一つを手に取ってみると明らかに違うものであることがわかります。
例えば、キュウリをとってみましょう。昔のキュウリは、両端が太く、真ん中が細い形をしており、その
部分はやや色が薄くでこぼこしていました。
又、皮は薄く、柔らかで、中身はとても柔らかくみずみずしい今とは全く違った別物でした。
皮が薄く柔らかだった為にキュウリの塩もみにしても、酢の物にしてもとてもおいしいものでした。
ところが、今作られているものはどうでしょうか。
確かに形は真っ直ぐで揃っています。しかし、それ以外では大幅に昔のキュウリに劣ります。
皮は固くごわごわし、色も濃い緑色で、昔の瑞々しい明るい緑色のような食欲をそそるものでは
ありません。食べると、水分は少なく、固い皮が口に残ります。
いつの間にあの美味しかった昔のキュウリが姿を消し、こんなろくでもないものがとって変わったの
でしょう。
おいしくはあっても形の悪いもの、生産性の面で劣るものは、市場から淘汰されてしまったのです。
消費者の意見も聞かずただ己の儲けのためだけにこのようなものを押しつける。
この様な業者の横暴に消費者は唯々諾々と従い誰も文句をいう人もいません。
一円高い、安いで大騒ぎするくせにこの様な重大な変化には気づきもしない。
これでいいのですか。
キュウリに限らず、このことは全ての農産物や食品について言えるのです。われわれ消費者の
知らないところで勝手に連中の儲けに有利な食物を買わされているのです
。安さばかり追い求めず、商品そのものにもっと注意を払っていたら、この様なことには
ならなかったと思います。
何も考えずに安さばかりを追い求めた結果、コストや人件費の高い国内から、それらの安い
中国で作るようになった野菜や、加工食品。我々の目の届かない外国で、何をされても仕方が
ないではありませんか。
その結果が農薬まみれの野菜や毒物の混入した危険極まりない食品の数々です。
全く栄養のない野菜や果物、そんなものを毎日食べていてまともな健康体を維持することができると
お思いですか。昔は少なかった、癌や成人病、生活習慣病などがこの様に増えているのは、まともな
ものを食べていないことの何よりの証明ではないでしょうか。
最後に、無農薬で、昔ながらの農法でつくられた野菜や果物がどれほど力をもったものであるかを
お話したいと思います。
五年ほど前になります。
仕事で行っていた佐世保から、長崎の自宅に帰るときのことでした。
途中で、全く化学肥料も農薬も使っていない橙、白菜、大根、春菊などの野菜を貰いました。
その数日前から、どうも風邪を引いたらしく、40度近い熱と激しい咳に悩まされ、寒気と悪寒で
列車の椅子に座っているのがやっとという状態でした。
長崎に帰ったのは既に午後十時をまわっていて、ご飯を炊く元気も無く、大量に貰った野菜と昆布で
水炊きをつくり、橙を搾ったポン酢でたべはじめました。
熱と悪寒のため、食欲は全くなかったのですが、次の日はもう佐世保に帰らなければならなかった為
どうしても貰った野菜全部をその日の内に食べてしまわなければならなかったのです。
最初の内は、吐き気のため箸が進みませんでしたが、ポン酢と野菜の爽やかな味わいに気がつくと
あれほど大量にあった野菜は全部なくなり、汁までポン酢をたらして飲み干していました。
これで生ゴミは出さなくてすむことに安心しながら床につきました。
次の朝、目が覚めたとき、まず思ったのは、風邪がもっとひどくなり、起きることもできず、佐世保に
帰ることができなくなっているのではないかということでした。もしそうなら、職場に電話して次の日は
休ませてもらおう。そんなことを考えながら床から起き上がってみました。
ところが、驚いたことに、昨夜はあれほどあった熱もさがり、吐き気や悪寒もありません。
頭痛もいつのまにか消えていました。
まだ、多少の倦怠感は残っているとはいうものの、立って歩けないほどではありません。
たった一晩、6時間ほど寝ただけであの風邪の苦しい症状はほとんど抜けていたのです。
私は、極力、よほどのことでもないかぎり薬は飲みません。
しかし、このときばかりは、限界でした。日曜日だったので、近くの病院は閉まっています。
よほど具合が悪ければ、売薬を買って飲むのも仕方がないと思っていました。
ところが、薬を買って飲むまでもなく、ほとんど風邪の症状はなくなっていました。
これは何故だろうかと考えてみても、思いあたるのは、昨夜の野菜の鍋だけです。
この事例だけで結論を出すには早急過ぎると思っていましたが、最近同じようなことがありました。
先月、少し風邪気味で、余り食欲がなく、何を食べても美味しくないのです。
すこし、さっぱりしたものをと思い、甘夏を買ってきて食べました。多少気分は良くなったような気が
しましたが、それほどよくなったわけではありません。
それから数時間のち、家内の友人から、その人の庭先になっていた昔ながらの夏みかんを
もらったのです。
嬉しいことに、それは口が曲がりそうになるほど酸っぱい昔なつかしい夏みかんでした。
そのすっぱさに頬や額に汗を掻きながら、瑞々しい果汁の溢れる果肉を噛みしめると、酸っぱさの
なかに程よい甘さの、自然の恵みそのものの滋味が口に広がります。
夢中で二つばかりたべて一息ついたとき、ふと、気がつきました。
それまで数日間悩まされていた胸のつかえはすっかりなくなっていたのです。
これらの体験から、自然にできた果物や、無農薬で自然に育てた野菜は、単なる栄養素以上のものを
持っているのではないかと考えざるをえなくなりました。
それが何であるかはわかりません。
しかし、言えることは、自然の作ったものは、本来人間の健康維持に必要なものが備わっており、
それは、人工的環境や、化学肥料で栽培されたものにはないものだということです。
ところが今はどうでしょう。
昔ながらの果物や野菜は品種改良がされ、しかも、温室栽培に化学肥料、農薬をつかってまるで
工業製品のように品質管理がなされています。
これでは、野菜や果物の本来持っている栄養やもっと大切なものを期待するほうが無理というもの
でしよう。
しかし、こうなったのも、すべては消費者が、安さや、見栄えの良さや、表面的なことばかりこだわって
その果物や野菜の品質に注意を払わなかったからにほかなりません。
昔の我々の子供の頃は、もののない時代でした。しかし、そうであったからこそ、ご飯一粒たりとも
無駄にすることなく、大切に食べていたものです。肉や卵は貴重品で、学校給食のシチューやカレー
に肉の一片でもあろうものならそれだけで大変なごちそうに思えたものでした。
ご飯も、全部白米は珍しく、ほとんどの家庭では麦飯でした。ご飯に豆腐とわかめが数きれはいって
いるだけの味噌汁。それに、魚の一切れでもつけばごちそうでした。もちろん、高価な牛肉なぞ正月
ぐらいしか食べれません。しかも、それも噛んでもかみ切れず、ゴムのような固い肉です。
当時、一般の家庭はその様な毎日の食生活を送っていました。だからこそ、お茶碗についた一粒の米
さえ残すことなく、大根の葉っぱや皮さえ捨てることなく大切に使ったものでした。
ご飯の一粒一粒をゆっくりと噛みしめ、おかずの野菜の一口さえもおろそかにすることなく、その自然の
恵みを味わい尽くしていました。
そのような、人間の本来あるべき食べ物に対する注意さえ怠っていなければ、また、大切に食べていれば
このように、栄養の全くない、ただ甘いだけや、見栄えだけで中身のない食物を食べされられることは
なかった筈です。
本物と偽物の区別さえつかず、やたらと甘いトマトや果物、水っぽいだけの野菜を食べさせられても
全く気がつかない今の日本人。テレビで放映され、新聞に書かれていることを、なんら疑うことなく信用し
自ら考えることをしない我々現代人。
そろそろ、目を覚ましてください。そして、金儲けの為に大切な食物を、形だけで全く価値の無いものに
変えてしまった現代社会の誤りに気づくべきです。
そして、我々の父母の残してくれた本物の食文化のすばらしさに目を向けてください。
見かけの華やかさや大げさな宣伝文句に惑わされることなく、食べ物の本来あるべき姿とは何かと
いうことを真剣に考えましょう。
そうすれば、我々の最も身近な食べ物に対する見方もかわり、本物の食物が食膳にのぼる日もそ
う遠くはないと思います。
日本文化 【お茶 その至福のとき】HOMEへ
|
|