日韓対訳で読む聖書

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(1) 「求めよ、さらば与えられん」

【新連載】 日韓対訳で読む聖書
  第1回 / 「求めよ、さらば与えられん」
    2002.1.1.

 新年あけましておめでとうございます。
 新連載として、日韓対訳で読む聖書、という企画を始めたいと思います。
  (ついでに、英語などを対照して入れることがあるかもしれません)
 韓国語をお勉強するとともに、聖書の教えの学びにもなれば幸いです。
 力は拙い者ですが、聖霊の助けがありますように。では、始めましょう。
 最初はまず、「マタイによる福音書」7章7節の有名なみ言葉から。

  求めよ、さらば与えられん。
  尋ねよ、さらば見出さん。
  門を叩け、さらば開かれん。

 名調子ですね。三つのリフレイン、繰り返しが力強く美しい響きを持ちます。
 なお、これは「文語訳」ですが、「口語訳」ではこうなっています。

  求めよ、そうすれば与えられるであろう。
  捜せ、そうすれば見いだすであろう。
  門をたたけ、そうすればあけてもらえるであろう。

 少し間延びしますね。さらに改訂された「新改訳」ではこうなっています。

  求めなさい。そうすれば与えられます。
  捜しなさい。そうすれば見つかります。
  たたきなさい。そうすれば開かれます。

 ここでは、常体(だ・である体)に代わって、敬体(です・ます体)が
使われています。ていねいなのは良いのですが、何だか生ぬるくなってし
まうな、と感じるのは私だけでしょうか。
 思うのですが、聖書というのは、二千年前の書物です。日本で言えば、
竹取物語や万葉集よりまだまだ昔、弥生時代のころのお話です。だから、
もともと古文がふさわしいのですね。
 特に詩編など、韻律のある文章ではそれを強く感じます。
 確かに、新しい訳のほうがわかりやすいけど、なんとなく格調の高さ
が、いささか失われてしまう感じがあります。
 もちろん、イエスは、民衆に優しく語りかけたのでしょうから、柔ら
かい調子も良いでしょう。しかし、神の言葉なのですから、厳かな語調
は残ってもよいのではないか、という気もするのです。
 さて、では、ここのところの韓国語訳を見てみましょう。

 Ku-ha-ra, Keu-reo-myeon neo-heui-e-ge ju-sil geos-i-yo.
 クハラ、クロミョン・ノイエゲ・ジュシル・ゴシヨ。
  Chaj-eu-ra, Keu-reo-myeon chaj-eul geos-i-yo.
 チャジュラ、クロミョン・チャジュル・ゴシヨ。
  Mun-eul du-deu-ri-ra, Keu-reo-myeon neo-heui-e-ge yeol-lil geos-i-ni.
 ムヌル・ドゥドゥリラ、クロミョン・ノイエゲ・ヨルリル・ゴシニ。

(直訳)
 求めよ、そうすれば、おまえたちにくださるでしょう。
 捜せ、そうすれば、見つけるでしょう。
 門をたたけ、そうすれば、おまえたちに開かれるでしょうから。

 「〜ra / 〜ラ」は「〜しろ、〜せよ」。これは「下称」の命令形です。
すなわち、目下の者にむかって命令する形ですから、「〜しろ」であって
「〜しなさい」とか「〜してください」ではありません。
 これは先に述べた、文語体のような厳かさを持った言い方だと思います。

 「〜l geos-i-yo / 〜ル・ゴシヨ」「〜l geos-i-ni / 〜ル・ゴシニ」は、
「〜l geos-i-da / 〜ル・ゴシダ」「〜するだろう」という推量形です。
 「〜yo / 〜ヨ」は、「〜です」という「略待上称」、「〜ni / 〜ニ」は、
「〜なんだよ」という「経験に基づく信念を言い表す」表現でしょう。
このあたりはわりとていねいな言い方です。特に最後の言い聞かせる調子
は、教えの言葉らしいですね。

 日本語訳にはない、韓国語訳の言葉で、少し気になるものがあります。
 まず、「おまえたちに」という言葉が、二回繰り返されています。
ここは、だれに与えるか、開かれるかという対象を明記しているのですが、
注目したいのは、「neo-heui / ノイ / おまえたち」と複数になっていること。
これは実は、大切なことなのです。恵みを与えられるのは、私だけではない、
私たちだ、ということなのです。
 「主の祈り」という代表的な祈祷文があるのですが、そこでも、
 「天にまします我らの父よ」
 「我らの日毎の糧を、我らに与えたまえ」
 「我らが人の罪を許すように、我らの罪をも許したまえ」
 と複数になっています。信じる者すべてに、主の恵みはあるのです。また
祈る時に、自分だけの利己的な利益を求めない、みなのことを祈る、という
姿勢は大切なのですが、それがこの複数によく現れていると思います。

 また、「ju-sil / くださる」と、尊敬の「si」を含むことも注目すべきです。
 だれが、くださるのか。それが、問題です。
 日本語訳の「与えられる」では、それが不明確です。
 恵みは、常に、主から与えられる、ということですから、敬語を使うのが
正しいのです。どこからか、恵みが忽然とわいてくるわけではありません。
 求めるのは、あくまで、主に向かって求める、ということです。
 それが比較的はっきり訳されているのは、塚本虎二の訳した「福音書」
(岩波文庫・青803-1)です。塚本虎二は、内村鑑三先生の弟子でした。

  ほしいものはなんでも天の父上に求めよ、きっと与えられる。
  さがせ、きっと見つかる。
  戸をたたけ、きっとあけていただける。

 「天の父上に」という語を補っていること、また、「あけていただける」と
謙譲の敬語を使っていることで、求める対象がはっきりしていますね。
 これは、教えの上からはとても大切なことです。
 主により頼む、ということ、それは親鸞の唱える「他力本願」にもどこか
似ています。自分の力だけに頼らず、見えない力に頼るということ。
 もちろん、努力もしないで、お願いしているだけではいけません。働きも
せずに、宝くじを買って、神様、当ててください、とか、あるいは、勉強も
しないで、神様、どうか合格させてください、では、わがまますぎます。
 しかし、どんなに働いても、勉強しても、それだけではだめなのであり、
いざという時に、主に頼む気持ちがいるのだと思います。

 「天は自ら助ける者を助ける」
"Heaven helps those who help themselves."
という有名な言葉があります。日本でも、
 「人事を尽くして、天命を待つ」
ということわざがあり、言っていることは同じですね。
 「自ら助ける」ことや「人事を尽くす」ことは必要なのですが、そこから
先は、「天命」の知るところです。「天」は「主」「神」とも言えます。
 そして、信じて努力する者は、必ず報われるのです。

 さて、最後に、英文の訳を見てみましょう。

 Ask, and it will be given to you;
  Seek, and you will find;
  Knock, and it will be opened to you.

 これはまた、大変シンプルです。もともと英語には、敬語という文体は
ありませんから、そのままの受身形です。また、you は、複数も単数も
同じですから、区別されていません。
 ちょっと簡単すぎて物足りないような気もしますが、しかし、この簡潔
さというのも、捨てがたく思います。特に良いのは、
 Ask / Seek / Knock
と、命令形が一語の動詞で繰り返されて、しかも、文末がどれも "-k" で
韻を踏んでいることですね。わざと、そういう語を選んでいるのでしょう。
 日本語では「求めよ」「さがせ」「たたけ」と、脚韻がそろいません。
 韓国語は「〜ra」と文末が揃っていて、こちらのほうがきれいです。
むしろその点は、日本語でも新改訳の「〜なさい」のほうが揃っています。

 この三語のうち、ask は良いとして、 seek は聞き慣れないでしょうか。
 映画『ハリー・ポッターと賢者の石』を見ていたら、魔法の箒に乗っての
ボール競技で"seeker"という、ボールを捜す役の選手が出ていました。
 さらに、knock 、これはとてもわかりやすい。
 日本語で「たたく」と訳すと、何をたたくのかわかりませんが、「ノック
する」と言えば、ドア、扉に決まっています。
 ここは日本語でも韓国語でも、「門をたたけ」と「門を」という対象を
入れることで二語以上になり、やや冗長になっています。
 この点も、新改訳ではただ「たたきなさい」となっていて、何をたたく
のかややわかりにくいのですが、韻の上からはきれいに揃っています。

 もうひとつだけ言っておくと、韓国語の「chaj-ta / チャッタ」です。
 この動詞は「捜す」という意味と共に、預けていたものを「取り戻す、
返してもらう」、捜しているものを「見つける」という意味があります。
 例えば、銀行に預けておいた貯金を「引き出す」時とか、写真屋さんに
預けておいたフィルムを「受け取る」時、この語を使うのが特徴的です。
日本語や英語では、こういう場合に、同じ単語は使えないでしょう。
 この結果、第二句の韓国語訳は、大変すっきりした形になりました。
 これは、日本語と比べても、英訳と比べても、一番シンプルです。

  Chaj-eu-ra, Keu-reo-myeon chaj-eul geos-i-yo.
 チャジュラ、クロミョン・チャジュル・ゴシヨ。

 さて、みなさんは、何か求めていることがありますか。
 新年の最初に、何か、希望することがありますか。
 しょせん無理だと、最初からあきらめていることがありませんか。
 まず、信じて、求めてみてください。きっと、与えられるでしょう。
なぜなら、主は私たちを、子のように愛していらっしゃいますから。
 最後に、ここに続く言葉を、口語訳と韓国語訳で引いておきましょう。

 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけて
もらえるからである。
 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者が
あろうか。魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
(マタイ7:8-9)

 Ku-ha-neun i-ma-da eod-eul geos-i-yo. Chaj-neun i-ga chaj-eul
geos-i-yo. Du-deu-li-neun i-e-ge yeol-lil geos-i-ni-ra.
  Neo-heui jung-e nu-ga a-deul-i tteog-eul tal-la ha-myeon 
tol-eul ju-myeo, saeng-seon-eul tal-la ha-myeon paem-eul jul 
sa-ram-i iss-kess-neu-nya.

 クハヌン・イマダ・オドゥル・ゴシヨ。チャンヌン・イガ・チャジュル・
ゴシヨ。ドゥドゥリヌン・イエゲ・ヨルリル・ゴシニラ。
 ノイ・ジュンエ・ヌガ・アドゥリ・トグル・タルラ・ハミョン・
トルル・ジュミョ、センソヌル・タルラ・ハミョン・ペムル・ジュル・
サラミ・イッケンヌニャ。

(直訳)
 求めるものはことごとく、受けるでしょう。捜すものが、見つかるでしょう。
たたくものに、開かれることでしょう。
 おまえたちの中で、誰が、息子が餅をくれと言ったら石をやったり、
魚の肉をくれと言ったらへびをやったりする者がいるだろうか。

 なお、韓国語では「パン」ではなくて、「tteok / トク / 餅」になっている
のが、国産でわかりやすくていいな、と思います。なるほど、「餅」は「石」
に似ているかもしれません。お正月のお餅は、もう召し上がりましたか。

 では、今年があなたにとって良い年でありますように。

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