日韓対訳で読む聖書

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(12) 平和を作り出す者

日韓対訳で読む聖書
  第12回/ 平和を作り出す者
   2003.9.11. for N.Y.

 9月11日。あのニューヨーク同時多発テロから2年が経過した。
 その後、アメリカの報復、イラク戦争やパレスチナ紛争、朝鮮半島情勢など
世界は相変わらず不穏な中にある。多くの犠牲者を追悼すると共に、ふたたび
平和が訪れることを祈りつつ、聖書から平和の言葉を読んでみよう。

  幸福(さいはひ)なるかな、平和ならしむる者、
  その人は神の子と称へられん。
   (マタイ5:9)

 文語訳のこの言葉、とても格調があってよい。マタイの福音書5章には
有名な「山上の説教」があり、その中に「八福の教え」と呼ばれる、八つの
言葉がある。そのいずれもが「幸いなるかな」で始まっている。

  幸福なるかな、心の貧しき人、天国はその人のものなり。
  幸福なるかな、悲しむ者、その人は慰められん。


 とこういう具合である。冒頭の「幸いなるかな」の繰り返しが心地良い。
 だが、これは文語訳の場合だ。口語訳では、こうなる。

  平和を作り出す人たちは、さいわいである。
  彼らは神の子と呼ばれるであろう。

 「さいわいである」が文末に来てしまうので、文頭は揃わなくなる。
 これは、新改訳、新共同訳のほか、共同訳、正教会訳などもみなそうだ。
 では、英語訳はどうだろうか。

 Blessed are the peacemakers,
 For they shall be called sons of God.
  (NKJ)

 Happy are those who work for peace; 
 God will call them his children!
 (TEV)

 いずれも、"Blessed are〜"、"Happy are〜"と、「幸いなるかな」の部分が前に
来ていて、読んだ調子がたいへん良い。英語はこうした言い方がポピュラーに
可能なのだろうか。ちょっとうらやましい気がする。
 ちなみにもとのギリシャ語訳でも、語順はこのとおりらしい。
 では、韓国語訳を見てみよう。

 Hwa-phyeong-ha-ge ha-neun ja-neun pog-i iss-na-ni
 Keu-deul-i Ha-na-nim-eui a-deul-i-ra
 il-kheol-eum-eul pad-eul geos-im-i-yo.


   平和にする者は幸福がある
   彼らは主の子と
   たたえられることだろう

 韓国語でも、日本語と語順は変らないようだ。
 これは言語の固有の文法でやむを得ないのだろうか。だが、と思う。
 言おうと思えば、言えないことはないはずだ。例えば、私訳/試訳だが、

  幸福であるのは、平和を作るものである。
  Pog-i iss-neun ja-neun hwa-pyeong-ha-ge ha-neun ja-i-yo.
  幸福であることよ、平和を作る人たちは。
  Pog-i iss-na-ni, hwa-phyeong-ha-ge ha-neun ja-neun.

 このように主語を工夫したり、倒置法を使ったりすることで、「幸せ」を
最初に持ってくることは日本語や韓国語の文法内でも可能ではないか。
 神の言葉は、詩である。聖書はまた、すぐれた詩集でもある。
 イエスは特に、古今随一の、詩人でもあった。
 とすれば、このイエスが山上で謳った説教の、格調高い詩も、詩として
訳される試みがあってよいのではないか、とつくづく思う。

 さて「幸い」の表現以上に、大切なのは「平和」についての言葉だ。
  平和を作り出す人たちは、さいわいである。
 この「平和を作り出す」という言葉に重みを感じる。平和は意識的に「作り
出す」ものでなくてはならない。漫然と、成り行きに任せていても簡単に平和
な世の中が実現するわけではない、ということを心すべきだろう。
 ところが、口語訳では「作り出す」になっているが、他の訳では少し違う。

  平和をつくる者   (新改訳)
  平和を実現する人々 (新共同訳)

 「つくる」では「つくり出す」より少し弱い。また「実現する」という言葉は
いかにも新共同訳らしく漢語で理屈っぽいが、やや雅味に欠ける気味がある。
 ちなみに新共同訳では、従来の訳で「預言が成就した」と訳しているところを
「実現した」とやっている。子どものころに聖書を読んで「成就」という表現に
宗教的荘厳を感じた自分のような世代としては、「実現」はなんだか会社の経営
計画のようで少しビジネスライクに感じてしまう。
 さて、ここの箇所は、韓国語の表現ではどうなっているだろうか。

 hwa-phyeong-ha-ge ha-neun ja

 「hwa-pyeong-ha-da 平和だ」
 「〜ge ha-da 〜にする、〜くする」
の組み合わせであるから、「平和にする」「平和とする」という訳になろう。

 これも、流れはひっかかりがなく自然だが、何か少し弱いような気もする。
文語訳では「平和ならしむる者」になっているが、これに近い感じだろう。
 私としては、ここはやはり、口語訳や新改訳のように
   hwa-phyeong-reul man-deul-da
 平和を「つくる」と訳したほうがよいように思うが、いかがだろうか。
ちょっと上記の訳では、日本語の直訳らしくてこなれないかもしれないが、
   hwa-phyeong-ha-ge man-deul-da
   hwa-phyeong-eu-ro man-deul-da
 といった慣用句はあるようだから、これでもいいと思う。
   hwa-phyeong-eu-ro man-deu-neun ja
 とこのように言えば、語感が近くなるのだろうか。

 なお、英訳も挙げておくと、

  the peacemakers   (NKJ)
  those who work for peace  (TEV)

前者は「ピースメーカー」と名詞一語で、いかにもアメリカらしい簡略な
表現だが、何か自動車のメーカーみたいで、やや軽い感じもする。
 後者は「平和のために働く者」ということで、これなら、額に汗して実際に
平和のために「働く」という努力が感じられて、良いかもしない。

 細かい語釈にこだわってみたが、では、自分は何か平和を「作る」ために
「働く」ことをしているか、というとはなはだ心もとない。
 せめて、こうした文章を書いてみたり、平和の尊さを訴えた映画を上映して
みたりすることを試みてみよう。何よりも、平和のためにまず祈りたい。

 Ha-na-nim-eui a-deul

 「神の子」とはずいぶん重い言葉だ。
 イエス・キリストは「神の子」と呼ばれたが、我々がそう呼ばれる日は、
まだまだ遠そうだ。平和への道のりが遠いように。
 しかし、強調しておきたいことは、「八福の教え」とされる言葉の中でも、
この言葉が最後に置かれ、また、イエスに使われたような「神の子」という
最大限の誉め言葉をもって、たたえられているということだ。

 しかるに、世の中を見ると、クリスチャンと自称しながら、非常に不寛容
な人が多い。国家にしても、クリスチャンが多いのにも関わらず、かえって
他国に対して不寛容に振舞っている国がある。アメリカもそうだ。
 9・11テロに対するアメリカの報復、続くアフガニスタン・イラク戦争で、
この国に対する、ひいてはキリスト教に対するイメージがどれだけその
輝きを失ったことだろうか。

 先日、上野のある旅館に仕事で泊まっていた時に、大浴場でばったり
アメリカ人男性に出会った。英語で話しかけて、同じ湯船につかりながら、
「観光ですか」などとよもやま話をしていた。
 この頃、宗教が気になる私は、彼に「クリスチャンですか」と聞いた。当然
のようにそうだと言う。私もそうだと言い、「テロ報復についてどう思うか」
と尋ねてみた。彼は、許されると言う。たくさんの人が殺された、だから、
イエスも許してくれると言う。そうだろうか。話は平行線のままだった。
 彼は、ベトナム退役軍人会の理事だと言う。タカ派なのか。帰り際に、
 「天国でまた会おう」
と言い残して彼は去った。天国か。私は、複雑な気分でいた。

 イエスは、自分を十字架にかけるためにとらえに来た敵に対して、
剣を持って立ち向かった弟子に、このように言われた。

 I-e Ye-su-kke-seo i-ru-si-doe,
" Ne keom-eul pa-ro jib-e kkoj-eu-ra.
 Keom-eul ka-ji-neun ja-neun ta keom-eu-ro mang-ha-neu-ni-ra."

 そこで、イエスは彼に言われた、
「あなたの剣をもとの所におさめなさい。
剣をとる者はみな、剣で滅びる。」
  (マタイ26:52)

 keom は、「剣」の漢字語。
 khal 「刀」とも言う。日本でも公開された韓国映画の邦題で「カル」という
のがあった。刃物で肢体を切り刻む猟奇犯の陰惨な話だった。
 jib は、「さや」のことだが、「家」の意味でよく使う。
 khal-jib で「刀の家」、すなわちこれも「さや」のことだ。こちらの単語を
使っている訳もあるようだ。
 刀があるべき元の場所、おさまるべき所、帰るべき家、それは「さや」
なのである。刀はさやにあるのが、正しい位置だ。抜いてはいけない。
 「最良の戦法は、戦わないで勝つこと」
と、孫子も言っている。力で勝つものは、力で滅びる。

 イエスは、この世の力、武力では負けたように見えるが、来たるべき世
の力、霊の力では勝った。ローマは滅び、イエスの教えは残った。
 「あなたの敵を許せ」と言ったイエス。
 十字架の上で、自分を磔にした者のために許しを祈ったイエス。
 聖書の言葉を読む限り、どこにも、「報復しなさい」とは書いていない。
 それが許されるなどというクリスチャンは、聖書を読んでいないのだ。
読んでいても、自分勝手に都合よく解釈しているだけだ。

 明治のクリスチャン内村鑑三は、日清・日露戦争で連勝し、上げ潮の
好戦的な風潮にあった当時の日本で、「絶対的非戦論」を唱えた。
 その後、軍国化の道をひた走ったわが国は、悲惨な敗北を経験し、
その尊い犠牲を教訓に戦後、非武装中立の平和憲法を得た。
 今の理想的な憲法は、イエスの精神を忠実に引き継いだものと言える。
民主主義と平和という、当時のアメリカの理想がそこにはある。

 だが、アメリカは変わってしまった。
 今、我々は、平和憲法をくれたアメリカに、本来のキリスト教精神に
立ちかえるように、友好国として忠告しようではないか。
 事実、日本のパプテスト連盟は、アメリカの南部パプテストに対して、
信仰を同じくする友として、アドバイスの文書を送っているのである。
 それは残念ながら、聞き届けられてはいないようだが。

 まことの神は、ゆるしと平和を望んでおられる。
 願わくば、世界の指導者が「神の子」と呼ばれますように。
 み心が、天になるごとく、地にもなりますように。アーメン。

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