日韓対訳で読む聖書
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| (特別篇) よろこびのおとずれ |
日韓対訳で読む聖書 特別篇
〜 W杯記念・10か国語聖書を読む
「よろこびのおとずれ」 2002.6.23. 韓国W杯4強記念
2002年ワールドカップ、日本は8強に到らず負けたが、6月22日の時点で、
韓国は4強まで勝ち進んでいる。韓国ファンとしてはよろこばしいことだ。
さて、今度のワールドカップに関連して、珍しい聖書を手にした。
「ワールドカップ記念・十カ国語聖書」
いつも通っている教会で講演会があり、日本聖書協会の理事、渡辺信先生が
いらした。その折に、ご紹介いただいた。なんでも、日韓のワールドカップ会場
で、無料で配布しているそうだ。試合はテレビでしか見ていないので入手できな
かったのだが、同じ教会の友人が貸してくれたので、今、手元にある。
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まず、表紙からして、サッカーの柄だ。ボールを蹴っている選手の足。
そして、十カ国語の表題が書いてある。
面白いのは、表紙が左右あることだ。左の表紙には、
Ki-ppeun So-sik(韓国語・表記はハングル)
la Buona Notizia(イタリア語)
die Gute Nachricht(ドイツ語)
the Good News(英語)
la Buena Noticia(スペイン語)
la Bonne Nouvelle(フランス語)
as Boas Novas(ポルトガル語)
好信息(中国語)
と8個の表題がある。それに対して、右の表紙には、
よろこびのおとずれ(日本語)
…… (アラビア語)
と2個の表題がある。この違いはなぜだか、おわかりだろうか。
そう、左横書きの言語はすべて、左開きになるので、左の表紙から始まる。
それに対して、右縦書きの日本語、右横書きのアラビア語は右から始まる。
こんなところも、お国柄で面白い。
選ばれた十カ国語を見て思うのは、ヨーロッパの言葉が多いな、ということ
だ。特に、ラテン語系が断然多い。十ヶ国語のうち、4カ国もある。
イタリア語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語だ。この四つの言葉は
タイトルを見ても本文を見ても、よく似ている。特に、スペインとポルトガル
はそっくりと言ってもよい。ラテン語系の、いわば方言みたいな言語たちだ。
もし、世界の十カ国語を、均等に選ぼうとするなら、別の配置になったかも
しれない。そこで思った。サッカーって、ラテンなスポーツなのかな、と。
南米やアフリカでも盛んだけど、それらはラテン諸国の旧植民地であった
ところが多い。そこに、ラテンの言葉と、そしてサッカーがもたらされた。
歴史的に見て帝国主義の侵略うんぬんという話は、今日は辞めておこう。
余談になるが、韓国の試合を見ていると、国民の盛り上がり方が、やはり
日本と違うな、と思う。誰だったか、韓国は東アジアのイタリアだと言った
人がいたが、あの情熱的な気質は、やはりラテン系が似合うと思う。
サッカーは、韓国に合ったスポーツなのかもしれないな、と感じる。
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さて、本題である、聖書の話にもどるとしよう。
このタイトルの「よろこびのおとずれ」というタイトルがとても気に入った。
英語だと、「Good News」となる。なるほど。
Gospel、ゴスペル、というと何のことだかわかりにくいが、グッド・
ニュースと言えば、とてもわかりやすい。「良い知らせ」なのだ。
中国語では「福音」となる。この「福音」という言葉は、日本の「福音書」、
韓国の「pok-eum」という用語にも、そのまま受け継がれている。だが、漢語な
ので意味がややとりにくいのではないか。
もとは「福」つまり「幸せの、良い」、「音」これは「音信」の「音」で
「知らせ」ということなのだ。
この本のタイトルは、わかりやすさ、親しみやすさを心がけているようだ。
中国語では「福音」をとらず、「信息」をとっている。
韓国語でも「puk-eum」をとらず、「so-sik」をとる。これは「消息」という
漢字語で、ふつうの「手紙、知らせ」という、より口語的な表現である。
そう、福音書というのは、平たくいって「よろこばしいしらせ」なのだ。
では、一体、何がよろこばしいというのだろうか。
ところで、この本は、聖書の全部を掲載しているわけではない。
十カ国語でそんなことをしたら、電話帳みたいな本になってしまうだろう。
文庫版よりやや大きいくらいの、ハンディなサイズにおさまっている。
旧約はもちろん載せられないし、新約だけでもこんなに小さくはならない。
福音書をひとつ、それも、ルカによる福音書がとられている。
これはとても良い選択だと思う。私も、実は、ルカが一番好きだ。
なぜかというと、ルカが一番、お話、ストーリーとして面白いからだ。
もちろん、四つの福音書はどれも長所がある。マルコは簡潔で良いし、
マタイは格式があって良いし、ヨハネは霊的で良い。しかし、もし初めて、
キリスト教を知らぬ異邦人に読んでもらうなら、ルカがわかりやすい。
さて、その十カ国語版「ルカによる福音書」から、今日は最後の個所を
読んでみよう。ここを読めば「よろこびのしらせ」とは何かが、わかる。
まず、日本語からいこう。
45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて、
46 言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、
三日目に死者の中から復活する。
47 また、罪の許しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる
国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、
48 あなたがたはこれらのことの証人となる。
ルカによる福音書 24:45-48 /Japanese
そう、イエス・キリストが、死からよみがえられた、ということ。
そして、我々の罪をあがない、許してくださったということ。
これが、人類にとっての、大きな喜びの知らせ、なのだ。
そんなこと、信じられるかい、という人もいるだろう。ここで、復活の
真偽を論じ出すことは、長くなるのでやめておこう。
ただ、信じない方も、ひとつ仮定として、考えていただきたい。もし、
キリストと同時代に生きて、その復活の事実を、本当に目にした人がいた
としたら。そして、それを世界のみんなが、まだ知らないとしたら。
一刻も早く、そして、一人にでも多く、それを知らせたくなるだろう。
二千年前、テレビはもちろん、電話もない、飛行機はもちろん、列車や
車もない、新聞や雑誌はもちろん、印刷もない時代の話、なのだ。
彼らは、時代の生き証人となるだろう。
口コミででも、知らせたい。そして、実際、口述でその話は広まる。
そのうち、誰かがそれを書きとめようとするだろう。そして、その本は
いくつも書き写され、印刷の術を得て、世界中に広まるだろう。
それが、「よろこばしいしらせ」なのだ。
「あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」
いい言葉だ。ほんとうにそれがあったことなら、ほんとうに人類に
とって喜ばしい知らせなら、それを世界中の国の人々に知らせたい。
ここが、伝道の原点であり、宣教の発祥である。
そして、二千年後の今も、サッカー場で配られる聖書によって、この
「よろこばしいしらせ」は広まりつつある。
さて、この講座は毎回、言葉の勉強をしようということなので、
ひとつだけ、テキストでこだわって見ておきたいところがある。
それは、「エルサレムから始めて」というところだ。これは、私の感覚
では、復活の地であるエルサレムから教えが始まって、全世界の国民に
広まる、という意味にとれるのだが、どうだろうか。
そうすると、日本語の訳がやや納得できない。ここは、
「エルサレムから始めて、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる」
という順番にしたほうが、すっきりするのではないか。事実、節のナンバー
の切れ目も、ここで切ったほうが、よりすっきりするのだ。
では、英語で比較して、見てみよう。
45 Then he opened their minds to understand the Scriptures,
46 and said to them, <<This is what is written:
the Messiah must suffer and must rise from death three days later,
47 and in his name the message about repentance and
the forgiveness of sins must be preached to all nations, beginning in Jerusalem.
48 You are witnesses of these things.
the Gospel according to Luke 24:45-48 /English
「be preached to all nations, beginning in Jerusalem. 」となっている。
そこでふと、思った。なるほど、これは各国語の語順によるのではないか。
英語は、述語の動詞が先に来て、あとに目的語とか副詞場所とかが来る。
それを日本語でそのままの語順で訳そうとしたから、無理が出たのかも
しれない。では、英語と語順が同じ、中国語の場合はどうか。
45 于是耶蘇開他門的心窺,使他門能明白聖経,
46 又対他門説:「照経上所写的,基督必受害,第三日従死里復活,
47 併且人要奉他的名伝悔改、赦罪的道,従耶路撒冷起直到万邦。
48 尓門就是這些事的見証。 (※簡体字、JISにない字など代用)
路加福音 24:45-48 /Chinese
「イエス」が「耶蘇」、「ルカ」が「路加」、「エルサレム」が「耶路撒冷」
とすべて漢字で音を写しているところが、中国語の面白さだ。テキストも、
漢文読みで読むとなんとか読めてしまいそうなところが、日本人にも親しみ
やすいのではないか。おっと、本題からそれてしまった。問題の個所は、
従耶路撒冷起直到万邦。
エルサレムより起こり、万邦に到る。
と漢文読みすればこうなり、違和感が無い。ただ、英語と違っているのは、
「エルサレムより」が先に来ることだ。わかりやすさを優先したのだろうか。
さて、では、W杯の共催国、おなじみの韓国語で読んでみよう。
45 I-e keu-deul-eui ma-eum-eul yeol-eo seong-gyeong-eul kkae-dat-ke ha-si-go
46 tto i-reu-si-doe i-gath-i Keu-ri-seu-to-ga ko-nan-eul pat-ko je-sam-il-e
jug-eun ja ka-un-de-seo sal-a-nal geos-kwa
47 tto keu-eui i-reum-eu-ro joe sa-ham-eul pat-ke ha-neun hoe-gae-ga
Ye-ru-sa-rem-e-seo si-jak-ha-yeo mo-deun jok-sok-e-ge
jeon-pha-toel geos-i ki-rok-toe-eoss-eu-ni
48 Neo-heui-neun mo-deun il-eui jeung-in-i-ra
Nu-ga Pok-eum 24:45-48 /Korean
(試訳)
45 ここに彼らの心を開いて聖書を悟らせようとして、
46 またのたまいてかくのごとく、クリストが苦難を受け
第三日に死んだ者の間から生き返るであろうことと、
47 また彼の名によって罪の赦しを受けるようにする悔改めが
エルサレムから始めてすべての一族へと伝播されることが記録されていたから、
48 おまえたちはすべてのことの証人なのである。
Ye-ru-sa-rem-e-seo si-jak-ha-yeo mo-deun jok-sok-e-ge jeon-pha-toel geos-i
エルサレムから始めて、すべての一族へと伝播されることが……
おや、中国語と同じく、「エルサレムから始めて」がうまく順番として
最初になるように来ているではないか。
日本語は、ご存知のとおり、韓国語と全くと言っていいほど、語順が
同じである.とすると、これは日本語の言語の特質としてやむをえない
と言うよりは、あまり日本語の訳が良くないと言えるのではないか。
と思いつつ、新改訳・口語訳を参照すると、韓国語の訳と同様だった。
47 その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。
48 あなたがたは、これらのことの証人です。(新改訳)
47 その名によって、罪のゆるしを得させる悔改めが、
エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
48 あなたがたは、これらの事の証人である。(口語訳)
これらのほうが、ずっとわかりやすい。
だが、新共同訳のほうが、あとで訳された新しいものだから、原則としては
「改良」されているはずで、そこが少し解せない。あるいは、「原典に忠実に」
という方向で、もとの原語の語順に何とか近づけようとした結果かもしれない。
しかし訳としてはやはりこなれないので、私はこの場合は新訳を採らない。
以下、きりがないので、他の六カ国語は、該当の部分をここに表記する
だけで、終わりにしておきたい。語学力のある方、関心のある方は、
ぜひ比べて読んでみていただきたい。
※ なお、アルファベットの表記で、英文活字にないもの、補助記号が
付いている文字などは、適宜、他の表記で代用してある。原語がおわかり
の方には、見当がつくことと思う。
45 Und er half ihnen, die Heiligen Schriften richtig zu verstehen,
46 >>Hier steht es geschrieben<<,erkla:rte er ihnen:
>>Der versprochene Retter muss leiden und sterben und am dritten Tag
vom Tod auferstehen.
47 Und den Menschen aller Vo:lker muss verku:ndet werden,
dass ihnen um seinetwillen Umkehr zu Gott und Vergebung der Schuld
angeboten wird. In Jerusalem muss der Anfang gemacht werden.
48 Ihr seid Zeugen geworden von allem, was geschehen ist, und sollt es
u:berall bezeugen!
die Gute Nachricht nach Lukas 24:45-48 /German
45 Alors il leur ouvrit l'intelligence pour qu'ils comprennent les
E'critures,
46 et leur dit: <<Voici ce qui est e'crit: le Messie doit souffrir,
puis se relever d'entre les morts le troisie'me jour,
47 et il faut que l'on pre^che en son nom devant toutes les nations,
en commenc~ant par Je'rusalem: on appellera les humains a' changer
de comportement et a' recevoir le pardon des pe'che's.
48 Vous e^tes te'moins de tout cela.
Evangile selon Luc 24:45-48 /French
45 Enta~o Jesus abriu a mente deles para que eles entendessem as
Escrituras Sagradas
46 e disse:
--- O que esta' escrito e' que o Messias tinha de sofrer e no terceiro dia
ressuscitar.
47 E que, em nome dele, a mensagem sobre o arrependimento e o perda~o
dos pecados seria anunciada a todas as nac~o~es, comec~ando em Jerusale'm.
48 Voce~s sa~o testemunhas dessas coisas.
O Evangelho de Lucas 24:45-48 /Portuguese
45 Entonces les abrio' la menta para que comprendieran las Escrituras,
46 y les dijo: <<Esta' escrito que el Mesi'as teni'a que morir y que
resucitari'a al tercer di'a;
47 y que en su nombre, y comenzando desde Jerusale'n, hay que anunciar a
todas
las naciones que se vuelvan a Dios, para que e'l les perdone sus pecados.
48 Vosotros sois testigos de estas cosas.
el Evangelio san Lucas 24:45-48 /Spanish
45 Allora Gesu' li aiuto' a capire le profezie della Bibbia.
46 Poi aggiunse: <<Cosi' sta scritto: il Messia doveva morire,
ma il terzo giorno doveva risuscitare dai morti.
47-48 Per suo incarico ora deve essere portato a tutti
i popoli l'invito a cambiare vita e a ricevere il perdono dei peccati.
Voi sarete testimoni di tutto cio' cominciando da Gerusalemme.
il Vangelo secondo Luca 24:45-48 /Italian
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/Arabic
【追記】
この記事をアップした翌日、あらためて眺めていて、ひとつ気になることがあった。
それはイタリア語訳だ。ここの引用では、終わりから二つ目に書いてある。
節の切れ目が、ご覧のように「47-48」が一体につながって切れ目が無い。しかも
48節の終わりに、Gerusalemme エルサレム という地名が来ている。これは
普通は47節に含まれるはずなのに。
そこであらためて確信したのだが、この47節と48節はどうも、原文の文章でも
ひとつながりを為しているらしい。すなわち、新共同訳で言えば、
エルサレムから始めて
の部分が、前の文と、後の文と、両方にかかる構造になっているのではないか。
すなわち、
(前) あらゆる国の人々に宣べ伝えられる、エルサレムから始めて。
(後) エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。
とこういうかかり方になっているのかもしれない。これをなんとか置き換えて
訳そうとしたのが、新共同訳であり、イタリア語訳なのだろうか。
そして、もうひとつ気がかりな点があった。というのは、かっこのつき方だ。
イエスの言葉のうち、聖書の引用にあたる部分に、カッコがついている。
イエスは言われた、「聖書にはこう書いてある、『〜』と。」
とこういう入れ子型の文章構造になっているのだ。
ところがこのうち、中の『〜』、すなわち聖書の引用の部分が、新共同訳では
47節の途中まで、「エルサレムから始めて」の前までになっているのに対し、
他の全ての訳では、切れ目がなく、49節まで続いている。
ここは、古い聖書、すなわち、旧約的な言葉の成就と思われるので、実は
どこからどこまでが引用なのか、ということはけっこう重要なのだ。
この点も、新共同訳は、案外、テキスト研究の成果を踏まえているのかも
しれない。というわけで、一概に、新共同訳を退けるのもいけないと思う。
もちろん、正しさより読みやすさという点でやや難があることは否めないが。
以上、瑣末な部分にこだわっていると言われるかもしれない。
が、こうしたテキスト比較も、多言語・マルチリンガル聖書の楽しさだろう。
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