尹東柱を読む J 「道」

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 暑い日々が続きますね。
 今日は私の好きな芥川龍之介がなくなった日で、「河童忌」と呼ばれています。夏になると混み合う北アルプスの上高地、梓川のほとりに「河童橋」という橋がありますね。
 芥川がなくなったのも、こんな暑い夏だったそうです。
 山上ではない下界では道を歩いていても暑いのですが、今日は尹東柱の「道」を読んでみます。

【ローマ字表記】

Kil

Ilh-eo-beo-ryeoss-seub-ni-da.
Mu-eol eo-di-da ilh-eoss-neun-ji mol-la
Tu son-i ju-meo-ni-reul teo-deum-eo
Kil-e na-a-gab-ni-da.

Tol-gwa tol-gwa tol-i kkeuth-eops-i yeon-dal-a
Kil-eun tol-dam-eul kki-go kab-ni-da.

Tam-eun soe-mun-eul kut-ke tad-a
Kil wi-e kin keu-rim-ja-reul teu-ri-u-go

Kil-eun a-chim-e-seo jeo-nyeog-eu-ro
Jeo-nyeog-e-seo a-chim-eu-ro thong-haess-seub-ni-da.

Tol-dam-eul teo-deum-eo nun-mul-jista
Cheo-da-bo-myeon Ha-neul-eun bu-kkeu-reop-ke phu-reub-ni-da.

Phul han pho-gi eops-neun i kil-eul keot-neun geos-eun
Tam jeo-jjog-e nae-ga nam-a iss-neun kka-talg-i-go,

Nae-ga sa-neun geos-eun, ta-man,
Ilh-eun geos-eul chaj-neun kka-talg-ib-ni-da.

【試訳】

忘れてしまいました。
何をどこに忘れたのかわからず
両手でポケットを探りながら
道に出て行きます。

石と石と石が限りなく続き
道は石塀の脇に行きます。

塀は鉄門を固く閉ざし
道の上に長い影を落として

道は朝から夕べに
夕べから朝に通じていました。

石垣を探って涙ぐみながら
見上げれば天は恥ずかしいほど青いのです。

草一本ないこの道を歩くのは
塀の向こうに私が残っているためであり

私が生きているのは、ただ、
忘れたものを探すためなのです。

【コメント】

 フェリーニの映画に「道」という名作があった。
 旅芸人のザンパノという男に拾われた、一人の無垢な女、ジェルソミーナ。オートバイに引かれた幌馬車に乗って、男は力技のサーカスを、女は道化芝居をして、路銭をかせぎながら、イタリヤの村や町を渡り歩いて放浪の旅を続けていく。
 哀切きわまりないニノ・ロータのメロディに乗って、モノクロの銀幕に、どこまでも続いていく道が、目に焼き付いてしまうのだった。

 今日7月24日は、芥川龍之介がなくなった日。
 晩年の作品「河童」から“河童忌”とも呼ばれている。
 彼の初期の短編に「トロッコ」というのがあった。少年がある時、トロッコに乗ってみたくなって、「ぼくも押してやるから」と作業員に頼む。いいよと言われて,彼らとともにどこまでも山道を行く。だが、ずいぶん遠くまできて日が傾いてきた時に、「もうおまえは帰れ」と突き放されて途方に暮れる。
 しかたなく、山道を泣きながら帰って行く。
 その時、心の中に焼きついた、山道を行く一本のトロッコの長い長い道。
 大人になってから、彼は時々思い出す。そして感じる。
 我々の人生の前にも、このような果てしのない、日暮れの道が続いているのを。

なくしてしまいました。
何をどこでなくしたのかわからず

 いきなり「なくしてしまった」と言う。
 しかも、「何を」「どこで」なくしたのかも、「わからない」と言う。
 この深い、深い、喪失感。
 一読して思い起こしたのは、谷川俊太郎の詩「かなしみ」だ。

  あの青い空の波の音が聞えるあたりに
  何かとんでもないおとし物を
  僕はしてきてしまつたらしい

  透明な過去の駅で
  遺失物係の前に立ったら
  僕は余計に悲しくなつてしまつた

 谷川俊太郎のほうが時代が新しいのだが、発想はなんともよく似ている。尹東柱を読んでいた可能性も、皆無とは言えないと思う。
 ただ、谷川は言葉の豊富な、それこそあふれ出てくるような饒舌で多作な人だし、普遍的な発想でもあるから偶然の一致ということもあろう。
 それにしても、この類似は面白い。
 考えてみるに、我々にもこうしたことは、日常でもないだろうか。
 何かやる仕事があって出かけたのだが、何をやらなくてはいけなかったのか、どうしても思い出せないことが。何か大事な約束、誰か人に会う約束とか何か借りていて返す約束とかがありながら、それがどうしても思い出せないこと。
 夢の中では、そうした出来事、焦燥感にとらわれることがある。
 普段の生活でも、最近少し年をとったせいか、物忘れをすることがある。昂じると、忘れたものを忘れてしまう。いったい何を忘れたのやら、思い出せなくなる。
 しかし、人生とは、そういうものかもしれない。
 子供のころに、何かやりたいと思ったこと、なりたいと思ったものがあって、それをいつしか忘れているということは、ないだろうか。
 夢、あこがれ、希望。どこかに、置き忘れてしまったままの……

両手でポケットを探りながら
道に出て行きます。

 作者は思い出すことをあきらめてはいない。
 忘れっぱなしにしてはいない。
 懸命に、両手でポケットを探り続けている。
 なくしたものは、ポケットに入るようなものだったのだろうか。
 お金? 写真? 手帳? ペン? 定期券? 身分証? 何かの想い出の品物?
 「両手で」と訳したが、原語では「両手が」だ。意図的に「私が」「両手で」探しているのではなく、無意識に「両手が」いつの間にか探しているのだ。
 だが、見つからない、いや、そもそも、思い出さない。
 おそらく、ポケットは空なのではないか。
 不精な私はよく、ポケットが要らないものでいっぱいで、例えば不要なレシートとか、もらったチラシとか、期限の切れたサービス券とか、包み紙とかゴミとか、そんなものでつまっていて、ほしいものが出てこないことがある。
 しかし、この詩の場合は、何も中身のない、すっからかんのポケットを探りながら、あるいは、何も記憶のない、空白になった頭の中を顧みながら、歩いているような気がする。
 そして、彼は道に出てくる。
 「出て行きます」と言う。
 この道は、「どこへ」の道だろう、そう考える前に、いったい彼は、「どこから」出てきたのか、それがなんだか気にかかる。

石と石と石が限りなく連なり
道は石塀の脇に続きます。

 石、石、石と石が三度繰り返されている。
 これは道に石がずっと転がる砂利道というのではなく、石塀の石が連なっているということ、石塀がどこまでも果てしなく続いていくということだろう。
 韓国の石塀を見たことがあろうか。沖縄の石垣島では文字通り石を積んだ石垣が台風に備えてあり、また韓国の済集島でも同様な石垣に囲まれた藁葺きの家がある。
 だがそうした離れ島のひなびた塀でなくても、半島の本土の方でも、伝統的な石塀をよく見かける。石塔や石仏が日本より多いのも、良質の石を産出するからだろう。

 映画「風の丘を越えて」(原題「西便制」)は、フェリーニの「道」のように、旅芸人の姿を描いた傑作だ。この場合は韓国の伝統的な歌の芸、パンソリを伝える親子の芸人だった。薄幸の若いヒロインの姿に、「伊豆の踊り子」などを重ね合わせてしまう。
 歌の見事さもさることながら、父と息子と娘,三人の旅芸人たちが、朝鮮半島の各地を旅するその春夏秋冬の自然の情景を撮る名手チョン・イルソンのカメラの美しさが、ロードムービーの美点を遺憾なく顕わした珠玉の名品だった。
 その中で、ヒロインが田舎の道を歩いていくところがある。石垣の両側にある田舎の道を。紅葉の美しい、石垣の道を。道はゆるやかなカーブを描いて、湾曲していく。歩くうちに彼女の体もかしいでいき、突如、ばたりと倒れる。
 悲劇の始まり、だが、あくまでも景色の一点の美しいシーンだった。

 また、最近の作品で「リメンバー・ミー」(原題「同感」)を、思い起こした。
 主人公の青年は、不思議な現象に巻き込まれて、時を越えて過去のヒロインとハム無線の通信をすることになる。紆余曲折と意外な展開の末、通信の道は閉ざされていってしまうのだが、ラストのほうで青年が、石垣の道を歩くシーンがあり印象深い。
 かつてヒロインが歩いていた道。
 20年後の今、青年は彼女の歩いた同じ道を歩く。
 O・ヘンリーの短編「20年後」のように、人もその境遇も世の中もすっかり変わってしまった。だが、石垣の道は変わらない。
 彼女がふれ続けていた、ふれながら歩き続けていた道。
 彼も同じ道を歩く。同じ石垣の、同じ石にふれながら歩く。
 20年の時を隔てて,だが,同じ石にふれることで、同じ感覚がよみがえる。カメラは両者を交互に映す。あたかも、二人が同時に同じ道を歩いているかのように。

 話を詩にもどそう。
 石の連なった石塀の道が続く。
 道は「石塀の脇に続く」と訳したが、原語では、道は「石垣を挟んで行く」となる。
 「kki-da」は「挟む」という動詞。「たやすく書かれた詩」で、「大学ノートを挟んで」教室に通うという一節があったが、「小脇に」挟む感じになる。
 道が「石塀を挟む」とはどんな表現かと思ったが、長い道の脇に、長い塀が続いている風景だろうか。あるいは、道の真中に石塀が続いていて、塀の両側で道が分かれているような感じかもしれない。こなれないので、「脇に続く」としておく。
 道が「行く」というが、道を「行く」のは作者自身だろう。
 フェリーニの「道」のザンパノのように、「トロッコ」の少年のように、「風の丘を越えて」の旅芸人の弟のように、「リメンバー・ミー」の青年のように、尹東柱も、あてどもなく道をさまよっていく、石塀と並んで続く道を行く。

塀は鉄門を固く閉ざし
道の上に長い影を落として

 「swi-mun」は辞書に「鉄門」とある。
 「鉄門」というと、何か監獄か刑務所でも連想してしまいそうだ。
 これは、日本にはあまり鉄の門というものがないためかもしれない。ふつう、民家の入口というのは木戸であり、門は木の門であろう。もちろん最近は、鉄筋の洋風の家が増えたから、スチールのドアも珍しくはなくなっているが。
 韓国では普通に鉄門というのも、割と目にするようだ。
 だがここは、それだけではないと思える。
 「固く閉ざして」とある。入ることを拒んでいるような拒絶感がある。
 いや、作者は一度この門の中に入っていて、それから「出て行った」のだから、正しく言えば、ふたたび入ることを拒んでいる、ということだろう。
 それから、作者はそこに忘れ物をしてきた、何かをそこで「失ってきてしまった」、ということも、手掛かりになると思える。

 あるいは、学校かもしれない、とも考えた。
 青春の学校時代の思い出。学生でいた時に,持っていた夢や憧れを、校舎の中に置いてきてしまって、卒業した今は戻れないということか。
 あるいは、病院だろうか、とも考える。
 作者が何か病気でもしていて、退院してしまったのだが、その病室に何か、試練の中での想い出や決意を忘れてきたということだろうか。
 だが、いずれもしっくり来ないようだ。
 学校にしては、拒絶感が強すぎる。母校なら、再び校内を訪れてみてもよいはずだ。
 病院というのも、果たして作者が病気だったろうかという点、病院に何か大切なものを置いてきたと言えるのかという点、この詩集の「病院」という原題で作者が考えていたのは世間全体が病院という発想である点など、何か合わない気がする。

 そこで、最初言ったように、どうも監獄や刑務所といった連想が浮かんでしまう。
 なにしろ作者は、実際に刑務所に入っていたのだから。
 独立運動の嫌疑で、逮捕され投獄された。そして、尋問と拷問を受け、最後には正体不明の注射を打たれて、とうとう絶命してしまう。
 とすれば、刑務所であるという発想も、的外れとは言えまい。
 だが、死んだ後にはもう詩を書くことはできない。もちろん、「もう一つの故郷」のように、死を予感していたかのような詩も見うけられる。ただここで、死んで刑務所を出たあとに、霊が刑務所の周囲をさ迷う、という解釈では少し無理があるようにも思える。
 詳しく調べたわけではないのだが、充分に考えられるのは、最終的な投獄と逮捕の前に、あるいは何度か拘留されたり尋問されたことがあるかもしれないという可能性だ。
 すると、「失われたもの」は、原稿ではないか、とも想像するのだ。

 尹東柱はたくさんの詩の原稿を書いていた。
 だが、それらは全て、逮捕され投獄された時に、没収され処分されてしまったのだ。
 このことは、痛恨極まりない事態である。
 西新宿教会で、尹東柱の生涯についての講演を聞いたときに、最後にこのことが触れられ、詩人金時鐘は泣かんばかりに叫ぶように訴えた。
 「彼の詩は、民族の遺産だ。どこかに残っていたら、ぜひ返してほしい」
 その後に立った日本のシンパのグループの女性は、今、尹東柱の詩稿を、あるいは蔵書や記録などで散逸したものを、全国の人達に訴えて探していると表明していた。
 まったくもっともなことである。
 詩人にとって、文学者にとって、作品は生命だ、いや生命以上のものだ。
 なぜなら、肉体が滅んでも、作品は残るからであり、魂が去っても、作品は訴え続けるからであり、人は忘れられても、作品は読まれ続けるからである。
 ここに、詩の、文学のすばらしさがある。
 尹東柱と同じく投獄されていた同志たちは、同様に獄中でなくなったが、専門が法科や政治であったために、今は忘れ去られ歴史から消えてしまっている。
 それに比べれば、偶然に遺された作品の数はあまりにも僅少とは言え、そう、それはわずかに詩集一篇あまりに過ぎなかったのだが、今なお、韓国で日本で読まれ続け、共感を持たれている彼は、幸せなほうだったと言えるかもしれないのだ。
 しかし、それでもなお、残っている詩稿に比べて,失われた作品の多くを思うにつけ、痛恨の思いを禁じえないのも事実だ。
 なくなる前に,面会に言った人の話によれば、尹東柱は、一生懸命に日記や原稿を書き写していたというではないか。ハングルを日本語に訳して、刑事たちに内容を証明するためでもあり、また、没収された後に記録を残すためでもあったろう。
 だが、すべては失われた。
 残ったのは、韓国の友人にひそかに託されて、壷に入れて庭に埋められていたものだけだったというではないか。
 このような文脈で読んでいくと、なくしてしまったものの大きさ、その深刻さ、精神的な打撃、それらがわかるように思える。
 思い出そうとしても、失われた原稿や記録の内容は、もはや思い出すこともできない。

 塀の影が、門の影は、道の上に伸びている。
 長い道の上に、長い影がその姿を落としている。
 ジョルジョ・デ・キリコの、夕暮れのイタリアの広場の絵を思う。
 秋の日の夕暮れ、日差しは妙に明るく、鮮明に黒い長い影が、誰の姿も見えない無人の広場の上に、孤独に伸びている。
 神秘と憂愁。
 深い喪失感。
 藤田省三が言及したような、広場の孤独、それは、隠れん坊の精神。
 だが、いくら待っても,誰も訪れてはくれない。探しに来る鬼はいない。見付けるべき相手もいない。たったひとりの隠れん坊。広場の時計は止まったまま。駅に汽車の訪れることもなく、長い塀の鉄門の開くことも永久にない。
 銀河の駅の遺失物係は、開店休業だ。

道は朝から夕べに
夕べから朝に通じていました。

 道が、朝から夕べ、夕べから朝に通じているとはどういうことか。
 あるいは、「道」とは、時間の道、時の流れを象徴する道だろうか。
 ゆく川の流れは絶えずしてと、長明が川にたとえ、月日は百代の過客と、芭蕉が旅にたたとえたように、人生を、時間を道にたとえた寓意の表現だろうか。
 それも、あると思うが、それだけではあるまい。
 朝から夕べに、夕べから朝に通じるとは何か。道をたどっていけば、あたかもタイムトンネルのように、時間を行き来できるというわけではあるまい。
 夕べの道,朝の道とすれば、それは「長い影」を落としている道、すなわち影が長い時刻、朝日や夕日の傾いている時刻だろう。
 とすると、朝に影が長い時、夕べに影が長い時、筆者が道を歩き続けていると考えるのがあてはまるのではないか。
 あるいは筆者は、失われた、没収された原稿を求めているのではないか。
 それを探して、繰り返し通っているのではないか。
 だが、いくら通っても、監獄の門はあかず、失われた原稿は返らない。

 カフカの「城」を思う。あの永久に開かない城門を。
 城の中に住む城主に,面会を請うても、いつまでも会うことはできない。ただ、ふもとの村で無為に過ごす日々。城までの道のりは遠く,果てしなく長く、迷宮のようだ。
 「万里の長城」の、中国の皇帝の住む居城のように。ひとつの城壁の城門を越え、もうひとつの関所の鉄門をくぐり、使者は一心に走るのだが、いくら道を走り続けても、永久に手紙を皇帝のもとに届けることはできないのだ。
 「審判」の裁判所の門のように、永久に真理の門は開かず、審理の与えられる機会はない。無実の罪を晴らすことはできない。ある夜、突然逮捕され投獄され、弁明の機会もなく、そうしていつか、犬のように処刑されて穴に捨てられてしまうのだ。
 映画「旅人は休まない」のナグネ、旅人のように、いくら道を北へ北へと歩き続けても、目的の故郷にたどり着くことはないのだ。
 朝になり、夕になり、高速度撮影の映画のように、道の上に影は生き物のように長くなっていくのだが、時はいたずらに過ぎていくばかりだ。

石塀を探って涙ぐみながら
見上げれば天は恥ずかしいほど青いのです。

 石垣を探りながら、それでも歩き続ける人生の旅人、尹東柱。
 いくら石塀を、叩いてみても突いてみても、びくともしない。
 ただ、なでるように感触を確かめる。「探って」は、ポケットを「探って」と同じ動詞だ。壁の向こう側にあるものを思い出すためのように、あるいは、壁をなでながら自分が歩いていることを確認するためのように、彼は石塀を探る。
 だが、何にもならない。一切の努力は無駄のように見える。
 思わず,涙ぐむ。
 絶望の涙。悲壮な涙。
 万事休すか。もはや何も望みはないのか。
 そこで、壁ばかり、道ばかり、水平に見つめていた筆者は,突然。
 空を見る。垂直に視線を移す。すると。

 「天は恥ずかしいほどに青いのです」
 この一行で、この詩は救われている。
 迷宮の困惑の根底の喪失の絶望のように見える詩は、この一行で救われる。
 なぜなら、そこに「天」があるから。
 これまで繰り返し述べているように、「ハヌル」は、尹東柱の詩では、単なる「空」ではなくて、「天」であり「神」であり「主」である。
 韓国語で言う「ハヌルニム」「ハナニム」の「ハヌル」、それは論語などの古典でも親しい中国語の「天」、西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」の「天」に近い。
 今まで,道を行ったり来たり、朝も晩も、失われたものを求めて、悲しみ涙に暮れていた詩人、だが、空を、天を見上げたときに、救いはそこにあるのだ。
 これは理屈抜きで,私にはそう感じられる。クリスチャンというのは、どんな厳しい試練の下にあっても、垂直に空を見上げて、天の上なる父なる神に、
 「なぜですか、私を見捨てるのですか」
 そう問いかけるときに、たとえ逆境にあっても、救われるものなのだ。

 詩の言葉の順序を見てほしい。
 石塀を探りながら、涙ぐみ、見上げれば、空は恥ずかしいほどに青い、のだ。
 これが、逆だったらどうだろうか。
 恥ずかしいほどに青い、空を見上げたら、思わず涙ぐみ、うつむいて石塀を探った。
 この方向では、気持ちは上から下に、外から内に向かい、希望は絶望へと落ち込んでいく。決してそうではないのだ。
 水平に向かっては、決して乗り越えられない壁。だが、垂直方向に境界も障害もない。
 空を見れば、天は、天なる神は、青く晴れ晴れとして、その懐は、愛は広く深い。
 それを見て,自分はだめだと、自己嫌悪に陥るのではない。逆なのだ。
 自分はだめだ、もうすべて失ってしまった、そう思って絶望に陥ってしまい、死にたくもなるような心境で、ふと空を見上げる。そこに希望が見える。
 天にまします主が、その時、語りかけてくる。
 「気がついたか。わたしはいつも、あなたを空から見守っているのだよ」
 「わたしは、あなたを愛している。見捨てることはない。勇気を出してごらん」
 「上を向いて歩きなさい。涙が、こぼれ落ちないように……」
 ……ああ、なぜ、私は主の愛に気づかなかったろうか。

 「空の鳥を見よ。まかず、刈らず、穫り入れない。
  だが、天の父は、彼らを養っていてくださる。」
 (マタイ6:26)
 「明日のことを、思い煩うな。明日のことは、明日が思い煩う。
  一日の労苦は、その日一日で充分である」
 (マタイ6:26)

 その時、自分が、落ち込んでいた自分が、自分のことしか見ていなかった自分が、恥ずかしくなってしまう。だから「恥ずかしいほど青い」と言う。
 これは「序詩」の、「一点の恥ずかしいこともないように」の「恥」と同様だ。
 実際には、恥多き人生を送ってきた。罪のない人はいないのだから。
 だが、主イエスに許されることで、自分の力ではなくて見えない他の力に頼ることで、救われるのだ。彼もそうだったに違いないと、私は確信したい。

草一本ないこの道を歩くのは
塀の向こうに私が残っているためであり

 「草一本ない」道。それは不毛の道だろうか。
 言葉の種をまくこと。前にふれた「目を閉じて」の詩にあった話だ。
 種をまいても、まかれた地によって、芽の出ないこともある。芽が出ても、荒地ですぐ枯れてしまったり、鳥についばまれてしまったり、茨に覆われてしまったりする。
 草一本ない道。それは種をまいても、芽の出ない荒地であろうか。

 この詩を最初に読んだ時に、秋の詩のような気がした。
 長い影の季節、キリコの広場の影のような、それがまず秋を思わせる。
 また、抜けるような青空、というのも、いかにも秋空らしい。
 だが、もしかすると,読んでいる今が夏のせいかもしれないが、夏の詩かもしれないとも思う。ことにここの「草一本ない」道。朝から夕,夕から朝と、歩きつづけても何も報われることのないように見える道、というのが、夏の厳しい暑さの下の、旱魃で草の枯れ果てた荒地の道のようにも感じられてくる。
 岸田隆盛の描いた、夏の日照りの下の、切り通しの道のような。
 今日は、芥川の命日なのだが、彼の死んだ夏は特に暑かったと聞く。あまりに暑いから死んだのではないか、と内田百閧ヘ言ったそうだ。ただ暑いというだけで、人は自裁するものだろうか。それでは、太陽が熱かったから人を殺したと言ったカミュの「異邦人」のようではないか。だが、じりじりとした暑さは人生の焦燥感の象徴のようでもある。

 いずれにしても、不毛の道が、続いている。
 ふつうなら、そこで収穫をあきらめて、希望を失って,歩くことは止めてしまいそうに思える。だが、それでも、作者は歩き続けるのだ。
 徒労の歩みだろうか。甲斐の無い道行だろうか。
 最初、この詩を読んだときには,詩全体に強い虚無感や喪失感を感じて、最後の二連もいささか惰性的な歩みのように思えた。
 しかし、ここもあらためて読むと、そうでないと思う。
 というのは、先の連で一度、「天」を作者が見上げているからだ。
 泣いた涙は、そこで恥ずかしい思いともに、おさまったであろう。
 そして、天からの愛の眼差しを感じて、立ち直ってまた歩き出したのだろうから。
 歩き続けられるのはなぜか。
 それは、塀の向こうに「私が残っている」からだと言う。
 ここも考えてみると、妙な言い方ではある。
 「私が残してきたものがある」とか「私のものが残っている」でないのだ。
 「私が残っている」、だが、今話している私の主体は、塀のこちら側にあるはすだ。ととすると、私が塀のあちら側にもいる、というのはまるで“分身の術”ではないか。それでは、意識だけが遊離して、向こう側にもう一人いるとでもいうのか。
 あるいは、なくしてしまった原稿、作品に宿る自分の信念か。
 やはり、精神であり、志であるのか。
 そうなのかもしれない。私は魂の抜け殻ではない。本当の私は、作品と共に置いてきたように思える自分は、やはりここに健在である。これからも生きて歩いていく。

私が生きているのは、ただ、
なくしたものを探すためなのです。

 私が生きているのは、ただなくしたものを探すだけという。
 それだけの意義しかないのか。
 この最後の連も、初めて読んだときには、作者の「死に遅れている」という意識を感じてしまった。
 あるいは、友人、同志たちとのとの別れか。とも思った。
 独立運動を共に戦ってきた戦友たち。彼等は、塀の向こう、すなわち刑務所の中に残ってままだ。釈放された自分は抜け殻のようで、本当の私は同志たちと共に向こうにある。
 あるいは、恋人との別れだろうか。などと、想像をたくましくもしてみたりした。
 今、私の考えている解釈は、やはり塀の向こう、それは刑務所であったり、官憲の側であったり、そうしたところに、自分の作品、あるいは志、生きがい、精神のようなものを置き忘れてきてしまった。
 しかし、彼は決して絶望することはない。
 天の上なる主の愛に信頼しつつ、試練に屈することなく、不毛とも思えるこの人生の道を歩き続けながら、残っている私の心、なくしてしまったかに見える自分の志を、ふたたび追い求めながら、強く生きていきたいという信条の表明なのだということ。
 「ただ、〜だけ」という強い限定表現も、それしかないという否定的な意図よりも、それのみを一心に追い求めてという肯定的で前向きな意志としてとりたいのだ。

 もちろん、寓意の詩というものは、特にその優れているものは、さまざまな解釈が出来る。それこそが、象徴詩の美しさであり、心象風景の深さなのだから。
 だから、この詩も、ひとつに解釈を統一することはないとは思う。上に示した読み方も、クリスチャン的な視点からは正しいと思っているが、限定することはないだろう。

 蛇足と言われるかもしれないが、私はここでまた個人的な思い入れを語りたい。
 なき恋人、Rのことだ。
 私は、生と死の境目となる石塀の向こうに、Rを残してきた。
 彼女の魂は、すでに冥界にある。
 それは、失われたものであり、そして、今でも捜し求めているものだ。
 その彼女の魂探しの途上で、私も天を仰ぎ、天の主を見付けた、いや、主に見付けていただいたように思っている。きっと、Rの魂も見付けてもらっているだろう。
 私は、Rの想い出を語ることを、そして何よりも、主のことをあかしすることを思い、ただそのために、生きてこの世の道を歩き続けているようにも感じている。

 また暑い夏が来る。
 ひところ夏休みが来るたびに、私はまとまったひまを作っては、Rの想い出を、詩に、小説に,エッセイに書こうと試みてきた。
 富士の精進湖の湖畔の精養軒ホテルに滞在したこともある。上野の不忍池のほとりの鴎外荘に連泊したこともある。金沢の実家の一室に逗留したこともある。書いた原稿を知己に読んでもらったり、文学賞に応募してみたこともある。
 いずれも、うまくいったとい言えない、賞には落選した。だが、繰り返すが、主との出会いは貴重だった。そのための試練であり導きかとも思えた。
 これから、私がどんなあかしをし続けていけるのか、どんな「道」を歩いていくことになるのか、それは私自身も知らない。神のご計画に、ゆだねるばかりである。

 芥川が死んだのはなぜだったろう。
 やはり、なくしたものを、探し続けていたのだろうか。それが見つかったから、書くべきことは書いたから、死んだのだろうか。いや、見つからなくて、書くことがわからなくなって、死んだのだろうか。
 だが彼は、晩年にキリスト教にひかれて「西方の人」「続・西方の人」を遺作として遺していった。
 もちろん、獄中で捕われて死に追い込まれた尹東柱とは、行き方も境遇もまったとは言えるだろう。
 たが、洗礼したクリスチャンではなくても、聖書を深く読み、絶筆で、道を行くエマオの旅人のように、神を心の何処かで追い求めていたに違いない芥川。
 彼もまた、救っていただいているのでないかと、私には思える。

 フェリーニの「道」。
 ザンパノは、道の石塀の向こうの修道院から銀の食器を盗んだ。ジャン・バルジャンのように悔改めることもなかったかのように。
 だが、ジェルソミーナを失って初めて、彼の心にも悔改めの心が訪れた。
 私のジェルソミーナ、Rよ。また、青い空の上で会おう。

                       2004.7.24. 〜 77回目の河童忌に


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