〜 ペンテコステに 〜
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〔※ 原文は今回から77年版の縦書きを使っています〕
【ローマ字表記】
Pa-ram-i pul-eo
Pa-ram-i eo-di-ro-pu-theo pul-eo-wa
Eo-di-ro pul-lyeo-ga-neun geos-il-kka,
Pa-ram-i pu-neun-de
Nae kwoe-ro-um-e-neun 理由(i-yu)ga eops-ta.
Nae kwoe-ro-um-e-neun 理由(i-yu)ga eops-eul-kka,
Tan han女子(yeo-ja)reul sa-rang-han il-do eops-ta.
時代(si-dae)reul seul-pheo-han il-do eops-ta.
Pa-ram-i ja-kko pu-neun-de
Nae-pal-i pan-seok-u-e seoss-ta.
Kang-mul-i ja-kko heu-reu-neun-de
Nae-pal-i eon-deok-u-e seoss-ta.
【語句】
pa-ram 風 pul-da 吹く pul-eo-o-da 吹いてくる
pul-li-da 吹かれる pul-lyeo-ga-da 吹かれていく
eo-di どこ 〜ro-pu-theo(= ro + pu-theo) 〜から
〜neun geos-il-kka 〜することか、するのか
〜neun-de 〜するが pu-neun-de(= pul-da / l変格 + neun-de) 吹くが
nae(= na + eui) 私の
kwoe-ro-um 苦しみ、悩み <= kwoe-rop-ta(p変格) 苦しい、つらい
理由(i-yu) 理由 eops-ta ない 〜(eu)l-kka 〜のか
tan 単に、ただ、たった han ひとりの(<= ha-na) 女子(yeo-ja) 女、女性
sa-rang-ha-da 愛する il こと 時代(si-dae) 時代
seul-pheo-ha-da 悲し、嘆く <= seul-pheu-da(eu変格) 悲しい
ja-kku(ja-kko) しきりに、ひっきりなしに、何度も
pal 足 pan-seok〔磐石〕大きな石・岩 u = wi 上 seo-da 立つ
kang-mul 川の水 heu-reu-da 流れる eon-deok 丘
【試訳】
風は吹いて
風はどこから吹いて
どこへ吹かれていくのか、
風は吹くが
私の悩みには理由がない。
私の悩みには理由がないのか、
たったひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。
風はしきりに吹くが
私の足は岩のうえに立っている。
川の水はしきりに流れるが
私の足は丘の上に立っている。
【コメント】
風は吹いて
先日来、皐月の新緑を揺るがす強い風の日が続いていた。
風の吹くときにはつい、この詩を思い出してしまう。
風はどこから吹いて
どこへ吹いていくのか、
風を詠む歌というのは、よくある。「風の音にぞおどろかれぬる」と詠んだ古歌はさておき、すぐに頭にうかぶのが、昔、口ずさんだフォークソングの一節だ。
「ふりむけば風、ふりむけば風……」
「何かを求めてふり返っても、そこにはただ風が吹いているだけ……」
人生の虚無と徒労感を象徴しているような気がする。長い人生の道のりに疲れて、ああ昔は良かった、若い頃は夢も希望もあったとばかり、来た道を振り返っても、引き返せるわけもなし、歩んで来た人生の行路には、蕭々と荒涼と寂しげに風が吹きすさぶだけ。
長じてアメリカのフォークソングを聴いていたら、これに類してよく似た、いやおそらく元はこちらなのだろうという歌があった。知っている人はとくにご存知だろう、ボブ・デュランの「Blowin'
in the Wind」。
いつになったら戦争と憎しみはなくなるのだろう、貧困と悲しみを消えるのだろう。そのように問いかけても、風はただ黙って吹いているだけ、という歌だ。同じく人生への虚無感はあるのだが、こちらのほうは個人に終わらず、世の戦争を嘆き平和を訴える視点がある。平和を求めても得られない無力感のようなものが。
さて、尹東柱の詩にもどるが、ここには古歌やフォークソングではなく、聖書の影響が見られる。ボブ・デュランもあるいは根源はそうなのかもしれないが、尹東柱の場合は聖書がより明確に出典として認められる。彼の詩には、そうしたものが多い。
ヨハネ伝第三章のエピソードを読んでみよう。
ニコデモは、イエスの元を訪れてこう尋ねる。
「人が老いてまた復活することがあるのでしょうか。
また母の胎にもどって、生まれるのでしょうか。」
ふつうに考えればもっともな質問だろう。
ニコデモはパリサイ派の学者だったが、イエスの教えにもひかれていたようだ。イエスが十字架から降ろされ埋葬される時に立ち会ったとの記述もある。
彼は復活の教えを信じきることができなかった。彼に限らず、ふつうの人なら、人間が死んでからまた生まれるわけがないと疑問に思うことだろう。
イエスは、この問いに対して、こうお答えになった。
「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。」
見事な答えだ。
私もこの箇所を答えていただいたことがある。この世に亡き恋人への想いを捨てきれず、どうかもう一度会わせてください、あの世の天国で会うのではなく、できたらこの世で生身の体を持った人間として再会したいのです、そのように真剣に願って祈って、聖書を開いたときに、この箇所が示された。
霊と肉とは別物である。ローマ書にも、肉にとらわれるものはほろび、霊を信じるものは生きるといった記述がある。ギリシャ哲学の霊肉二元論にも近いのであるが、キリスト教の場合はその霊魂の救いがイエスの償いによるというところが大切だ。
イエスは、さらにこう言われた。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
Pa-ram-i im-eui-ro pul-mae ne-ga keu so-ri-neun teul-eo-do
eo-di-seo wa-seo eo-di-ro ka-neun-ji al-ji mos-ha-na-ni.
Seong-ryeong-eu-ro nan sa-ram-do keu-reo-ha-ni-ra.
風はどこから吹いてどこへ行くのか、それは風の思いのままであって、人間にはわからないことだ。ここでいう「風」こそ「霊」のたとえであろう。人が生まれるときに、その霊魂はどこから来て肉体に宿るのか。また、人が死ぬときに、その霊魂はどこへ行ってしまうのか。これは長い間の、人間の疑問だった。
科学的といわれる発想、肉体にとらわれる考えから言えば、生まれた時に肉体の中に化学反応として表れ、死んだ時には肉体と共に滅びてなくなってしまう、ということになろうか。そのように考える限り、霊魂は滅びてしまい、死と絶望があるのみだ。
だが、肉体と別の次元に、霊魂があると考えればどうだろうか。科学の方法では測り切れない、それは技術が進歩すればやがてわかるようになるという次元とは違う、人間には計り知れないものがある。科学で計測できないものは、存在しないものとするのが現代の考え方だろうが、そうだろうか。
子供が砂浜で遊んでいる。貝殻で水をすくって、それで海のすべてがわかったと思っている。人間が世界についてわかっている範囲なんて、そんなものだ。
ニュートンは、晩年に「あなたのような大科学者になれば、世の中すべてのことがわかっているでしょう」と人から尋ねられたときに、こう答えたと言う。私はこの言葉をニュートンの独創だと思っていたのだが、最近、アウグスティヌスが夢で見たことを書いている中に、同じエピソードがあると知った。錬金術師であると共にキリスト教徒でもあったニュートンが、この言葉を元にしていたのだろう。
人はもっと、謙虚にならなくてはいけないと思う。
霊や生命がどこから来てどこに行くのか、それはわからないことだ。宇宙の世界がどうしてできたのか、そしてこれからどうなるのか、それもわからない。というか、いわゆる科学的証明などはできないことだ。
初めの二行で長くなってしまった。
ここまではむしろわかりやすい。この詩がよくわからないのは、ここからだ。
風は吹くが
私の悩みには理由がない。
私の悩みには理由がない、と言う。
悩みがない、とは言っていない。悩んでいるのだが、その理由がないと言うのだ。
詩人はただ、なんとなくセンチメンタルになって、若者にありがちな人生の感傷の雰囲気にひたってとりとめもない物思いにふけっているだけなのだろうか。
ところが、その直後にもう一度、今度はこう繰り返すのだ。
私の悩みには理由がないのか、
最初に「ないeops-ta.」と終止形で断言しておきながら、すぐに言い直して「eops-eul-kka,ないのか」とする。これは誰に問いかけているのか。読者や第三者に聞いているのではあるまい。とすれば、自分自身に問いかけている、内省の詩であろう。
人はだれしも、何か無性に悩ましくなったり、憂鬱になったり、メランコリーな気分にとらわれることがあるだろう。それが高じれば鬱病になってしまうのだが、ふつうの人でもふさぎの虫にとりつかれたことが人生で一度や二度はないことはあるまい。
そんな時、どうして気持ちが暗いのかと自ら考えるだろう。仕事のストレスのためか、家庭内の不和のためか、失恋のいたでのためか、学校でのいじめのためか、など自分を振り返って分析し、なんとか理由を見つけようとするだろう。
たったひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。
ふたつの理由を詩人は考えている。
まず、恋愛の悩みだろうか。片想いや失恋といったことだろうか。
しかし考えてみても、私はひとりの女も愛したことがない、と言う。
では、時代への悩みだろうか。憂国の思いや時勢への痛憤だろうか。
しかし考えてみても、私は時代を真剣に憂いたことはない、と言う。
文字通りとれば、書いてあるとおり、特に悩みには理由はないのだ、ただ漠然とした不安にさいなまれているだけだ、ということになる。
だが、ほんとうにそうなのだろうか。どうもそうとは思えないのだ。
この箇所に私はずっとひっかかって、この詩がよくわからなかった。
詩はあくまで詩の中で解決すべきとは思うのだが、この詩だけからはうかがい知れない事情をひとつ指摘しておくと、彼は一度大きな失恋をしている。これは妹などが証言しているのだが、学生時代にある女性に恋愛をして結婚まで考えていると家族にもらしていたのに、相手にすでに婚約相手がいると聞いて相当がっかりしたらしい。
また、この詩だけではなく、彼の作った他の詩を見ると、「愛の殿堂」のように、明らかに恋愛詩と見られる内容のものもいくつか見られる。彼は内気でシャイな性格だったらしいが、だからといって女性を愛せなかったとか愛したことがないとは言えない。
さらに、時代となれば、彼は明らかに時代と国を憂えている。右翼的な愛国青年というよりは、キリスト教的な博愛精神による平和主義者という感じなのだが、当時日本の植民地下にあった母国・朝鮮に対する憂国の情は、詩集の直後にある「悲しい同族」や絶筆「たやすく書かれた詩」をはじめ、多くの詩に明らかに見られるところである。
とすると、なぜ、時代を悲しんだこともない、などと言うのか。
恋愛に見られる内気さからなどでなければ、あるいは当時特に朝鮮人のハングルの出版物に厳しかった検閲の目をくらますために、わざと韜晦表現を使っているのだろうか。
だがそれでは、わざわざ「理由はない」「理由はないのか」と再確認して目立つような表現を繰り返しているのが疑問の残るところだし、よりはっきり表現した詩もあることから官憲に隠れるほど柔弱であったとも思えないのだ。
そうではなくて、これは自らを省みての反省と督励なのではないだろうか。
すなわち、女性に好意を持ったことはある。だが、本気で一人の女を愛しぬき、大恋愛をし、相手にプロポーズしたり、結婚まで突き進んだり、そこまでしたことはない。真剣に一人の女を愛したことがあるとは、だから言えないのだ、という自らの弱さへのふがいない想い、もっとしっかりしろといった自責なのではないか。
同様に、時代にも危惧を抱いたことはある。だが、本気で時代を憂えて、政治的な立場を表明したり、ましてや当時盛んになっていた抗日運動に参加し、民族独立の戦いに身を投じたりしたことはない。所詮、傍観者に過ぎないのだ、という、これまた自らの無力さへの情けない思い、なぜ行動に出られないのかといった悔悟なのではないか。
そのように読み解くとき、初めて後半の展開にうまく文脈がつながってくる。
風はしきりに吹くが
私の足は岩の上に立っている。
川の水はしきりに流れるが
私の足は丘の上に立っている。
この対句の表現をどう読むか。
風はまるで台風のように吹き荒れるが、私は風に抗してどっしりと大きな岩の上に両足で立っているから大丈夫だ。
川の水はまるで洪水のように流れ狂うが、私は流れを見下ろしてしっかりと高い丘の上に両足でふんばっているから平気だ。
そのように「安心」ととったのでは、作者の意図は逆になってしまうだろう。
悩みに理由がないのだ、と文字通りとればそんな解釈になってしまいかねない。風は勝手に流れなさい、水も自由に流れなさい、私は関係ないとなってしまう。
そうではない、逆に「不安」であり、実は「焦燥」であるのだろう。
さらに言えば、作者はほんとうは、風に身を任せて大空に飛んでいきたいのではないか、川の水に身を投げて大海まで泳いでいきたいのではないか。
もちろん、実際に空を飛んだらイカロスみたいに失速したり、水に飛び込んだらオフェリアみたいに溺死してしまったりするだろう。あくまで、象徴の表現だ。
恋愛に身を焦がしてロマンスに燃えたい、そして時代を憂えてその変革へと参画したい、そういう寓意が込められているだろう。
ああ、なぜ私は思い切って風に身をまかせられないのだ、どうして流れに飛び込んでしまえないのだ。そうした自らへの歯がゆさ、もどかしさ、深い苦悩が感じられる詩ではあるまいか。
「川の流れ」に人生と時代を見るのは、古今東西、共通した発想の比喩である。
「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」と悟った鴨長明、「ゆくものはかくのごときか、昼夜をおかず」と嘆じた孔子、「ミラボー橋の下、セーヌは流れる、我らの生もまたかくのごとし」と観じたアポリネール。
聖書にも、「流れる水にパンを投じよ」と勧めた伝道の書など類例は見られる。
そして最初に読んだとおり、この詩の「風」は特に「風はどこから来てどこへゆくのか」といった聖書的な表現ととらえるとき、それは「聖霊」に身をゆだねたい、といったこのクリスチャン詩人の信仰的な心境をも歌っていると、とることができるのである。
先の日曜はペンテコステの主日だった。
ペンテコステは「五旬節」の意で、イエスが復活して昇天したあと五十日後、弟子たちに聖霊が下った日とされている。教会の誕生日であると言う人もいる。
弟子たちが集まって祈っていた時のことだ。イエスの受難のあと、散らされた弟子たちは迫害を恐れたのか、ひとつところに隠れて祈っていたが、そこに突然、強い雷鳴のような音がとどろき、炎のような光があらわれ、そして、強い風が吹いたという。
五旬祭の日が来て、一同がひとつになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らがすわっていた家中に響いた。
そして炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。〔使徒2:1-4〕
O-sun-jeol nal-i i-mi i-reu-dae keu-deul-i
ta-gath-i han gos-e mo-yeoss-teo-ni
Hol-yeon-hi Ha-neul-lo-pu-theo keup-ha-go
kang-han pa-ram gath-eun so-ri-ga iss-eo
keu-deul-i anj-eun on jib-e ka-deuk-ha-myeo
Ma-chi pul-eui hyeo-cheo-reom
kal-la-ji-neun geos-teul-i keu-deul-e-ge po-yeo kak
sa-ram wi-e ha-na-ssik im-ha-yeo iss-teo-ni
Keu-deul-i ta Seong-ryeong-eui
chung-man-ham-eul pat-ko Seong-ryeong-i mal-ha-ge ha-sim-eul
tta-ra ta-reun eon-eo-deul-lo ma-ha-gi-reul
si-jak-ga-ni-ra. (Sa-do 2:1-4)
この「風」こそ「聖霊」である。もともと、「聖霊」の「プネウマ」には「息」という意味がある。神の息が土に入って、初めての人、アダムになったと言う。聖霊の息吹が吹きかけられることによって、物は生命を持つ。
風がどこから吹いて、どこへ吹いていくの、それは人にはわからないことだ。
だが、神様は、そして聖霊は、さまざまな啓示をくださる。神様はいる、聖霊は存在するのだと信じて、私もそのみ手に自らをゆだねていきたい。はたから傍観者のように時代をながめて神から与えられた貴重な一生を終えるのでなく、聖霊の風の中にとびこんで、その息吹を受けて、その光の流れの中に身を浸して生きていきたい。
なお、私が受洗したのは今から四年前のペンテコステ、2001年6月3日のことだ。
今、尹東柱がこの詩を書いた日付を見ると、1941年6月2日となっている。イースターやペンテコステは移動祭日で年により違うのだが、
彼もペンテコステの頃に、聖霊の「風」の話を思い起こしてこの詩を書いたのではないかと想像している。
2005.5.21. 〜 三位一体の主日
【追記】
その後、あらためて当時の暦を検索して、月齢表を計算して調べてみました。
その結果はまさに、予想通り、いや予想以上でした。
1941年のペンテコステは、6月1日。
「風が吹いて」が書かれたのは、その翌日の、6月2日。
ちなみに有名な「十字架」が書かれたのは、その前日の、5月31日。
つまり、この年のペンテコステをちょうどはさんで、「十字架」と「風は吹いて」が書かれているのです。
ハレルヤ。
そして、私の洗礼したのがそのちょうど六十年後の6月3日であることを思います。イースターやペンテコステは年によって一ヶ月以上の日付の違いがあるのに。
主に感謝します。
尹東柱に聖霊によって、詩の霊感を与えられたことを信じます。
そして、尹東柱と私が、結びつくように導いていただいたことを喜びます。アーメン。