尹東柱を読む Q 「愛らしい想い出」

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〔※ 原文は77年版の縦書きの本文です〕

【ローマ字表記】

Sa-rang-seu-reon 追憶(chu-eok)

Pom-i o-deun a-chim, Seo-ul eo-neu jjo-gu-man 停車場(jeong-cha-jang)e-seo
希望(heui-mang)kwa sa-rang-cheo-reom 汽車(ki-cha)reul ki-da-ryeo,

Na-neun pheul-laes-phom-e kan-sin-han keu-rim-ja-reul theol-eo-theu-ri-go,
tam-bae-reul phi-weoss-ta.

Nae keu-rim-ja-neun tam-bae-yeon-gi keu-rim-ja-reul nal-li-go
pi-dul-gi han-tte-ga pu-kkeu-reo-ul geos-to eops-i
na-rae-sog-eul sok, sok, haes-pich-e pi-chweo, nal-eoss-ta.


汽車neun a-mu sae-ro-un so-sik-to eops-i
na-reul meol-li sil-eo-da ju-eo,

Pom-eun ta ka-go ---- 東京(tong-gyeong) 郊外(kyo-oe)eo-neu jo-yong-han
下宿房(ha-suk-pang)e-seo, yes-keo-ri-e nam-eun na-reul 希望 kwa
sa-rang-cheo-reom keu-ri-weo-han-da.

O-neul-do 汽車neun myeoch-peon-i-na 無意味(mu-eui-mi)ha-ge ji-na-ka-go,

O-neul-do na-neun nu-gu-reul ki-da-ryeo 停車場 ka-cha-un eon-deog-e-seo
seo-seong-keo-ril-ge-da.


---- A-a jeolm-eum-eun o-rae keo-gi nam-a iss-keo-ra.

【語句】

追憶(chu-eok) 思い出
sa-rang-seu-reop-ta 愛らしい 〜deun (=deon) 〜していた〔過去回想〕
jjo-geu-man = ja-geu-ma-han やや小さい、小さめだ
希望(heui-mang) 希望 sa-rang 愛
cheo-reom 〜のように ki-da-ri-da 待つ

pheul-laes-phom プラットホーム 
kan-sin〔艱辛〕hi かろうじて、辛くも、やっとのことで
keu-rim-ja 影、(物や人の)姿
theol-eo-theu-ri-da = tteol-eo-tteu-ri-da 落とす
tam-bae 煙草 phi-u-da 吸う

yeong-gi〔煙気〕煙 nal-li-da 飛ばす、揚げる nal-da 飛ぶ
pi-dul-gi 鳩 tte 群れ pu-kkeu-reop-ta 恥ずかしい
na-rae 翼(nal-gaeの古語で詩語として用いる)sok
haes-pich 日光、日差し pi-chu-da 照らす、映す
sok  中、内 sok-sok〔続々〕 続々、次々 sok-sok〔速々〕hi 速く、さっさと
seok-seok  さっさっと。 軽くこすったり掃いたりするようす
ssok ひゅっと、ぐんと。急に上がったりするようす

a-mu 何の〜(もなく)〔否定〕 sae-ro-un <- sae-rop-ta 新しい
so-sik〔消息〕 知らせ、ニュース
meol-li 遠く sil-eo <- sit-ta 積む、載せる -da  〜しかけて

jo-yong-han 静かな 房(pang) 部屋
yes 昔 keo-ri 街 nam-eun <- nam-da 残る
keu-ri-weo-han-da 懐かしむ <- keu-rip-ta 懐かしい

o-neul 今日 myeoch 何、いくつ peon 〜番、度 〜(i)na 〜も
ji-na-ka-da 通り過ぎる、過ぎていく

nu-gu 誰(か) ka-cha-un = ka-kka-un <- ka-kkap-ta 近い
eon-deog 丘、高台、坂 seo-seong-keo-ri-da うろつく、さまよう

jeolm-eum 若さ jeolm-da 若い o-rae 長く、久しく keo-gi そこ
〜keo-ra 〜しなさい、しろ、せよ〔命令〕

【試訳】

愛らしい想い出

  春が来た朝、ソウルのある小さな停車場で
  希望と愛のように 汽車を待ち、

  私はホームに かすかな影を落として、
  煙草を吸っていた。

  私の影は 煙草の煙の影を飛ばして、
  鳩のひと群れが 恥ずべきこともなく
  つばさを さっ、さっと、日の光に光らせて飛びたった。

  汽車は 何ら新しい知らせもなく
  私を遠くへと乗せてくれ、

  春はすっかり去って―― 東京郊外の ある静かな
  下宿の部屋で、昔の街に残っている私を 希望と
  愛のように 懐かしむ。

  今日も 汽車は何度も 無意味に通り過ぎて、

  今日も 私は誰かを待って 停車場近くの丘で
  さまようだろう。

  ――ああ、若さはずっとそこに残っていろ。

【コメント】

 もうすぐ、戦後61年目の夏が訪れようとしています。
 それは、尹東柱がこの世を去ってから61年目の夏でもあります。

 この時期、夏休みをとられて、帰省される方もいるでしょうね。私もようやく少し、文章を書く時間ができましたので、この機会に、半年ぶりになりますが、彼の詩をまた読んでみたいと思います。おひまがあれば、お付き合いください。

 彼は終戦の年、1945年の2月16日に逝きましたが、それをさかのぼる3年前、1942年の春、東京に留学に来て、4月2日に立教大学英文科に入学しています。
 この詩は、その1942年の5月13日の日付があります。ということは、来日して間もなくの作品ということになります。
 それを頭において読むと、この詩の情景がわかりやすいと思います。
 ちなみに、東京留学後の彼の詩はわずか五篇(うち一篇は断片)しか残っていませんから、当時の心境をうかがい知ることのできる貴重なものです。

愛らしい想い出

 タイトルに、「sa-rang 愛」が入っています。「愛らしい、愛すべき」と、「愛」を入れて訳したいところです。
 「追憶」は、韓国語では一般的な「思い出」のこと。
 彼には何か、心のうちに愛すべき、大切な思い出があるのでしょうか。

 春が来た朝、ソウルのある小さな停車場で
 希望と愛のように 汽車を待ち、

 「春が来た」は「来ていた」と、過去の思い出を回想する時制です。
 ソウルの小さな停車場とありますから、ソウル駅ではなくて、どこかソウル郊外の小さな駅なのでしょう。そこで彼は、汽車を待っています。
 ただ漠然と待っているのではなくて、「希望と愛のように」、つまり、希望と愛の訪れるように、やって来る汽車を待っていると言います。ここには強い期待感が、明るい希望がうかがえますね。

  いつまでも残るものは、信仰と希望と愛の三つである。
  このうちで最も大いなるものは、愛である。
(コリント一13:13)


 信仰については、彼は言うまでもなく持っているのでしょう。
 さらに、希望と愛も持っている。一番大切なのは、愛です。期待や希望を持って待つ、とはよく表現するでしょうが、愛を持って待つというのは、彼らしいところです。
 いったい、何を期待して待っているというのでしょう。
 詩の中に明記はされていません。
 しかし、ここで先ほど挙げた当時のことを考えれば、そして、詩の後半と読み合わせれば明らかなように、これは東京に出るために、日本に渡るために、汽車を待っていると見るのが妥当ではないでしょうか。
 はるか故郷の満州を離れ、その前年に卒業した延世大学時代に通っていたソウルを経由して、釜山から船に乗って渡るために、今、汽車を待っているのでしょう。
 東京の大学で彼は、文学について学ぼうとしていたのです。

 私はホームに かすかな影を落として、
 煙草を吸っていた。

 大学を卒業して二十四歳になっていた彼は、煙草をホームで吸っています。
 最近は、嫌煙権で駅のホームも終日禁煙のところが増えています。私も煙草は学生時代以来吸いませんが、彼はちょっと大人になってみたいところもあったのでしょうか。当時は煙草を吸うという情景はごく普通にありました。
 希望の汽車を待っている間、はやる気持ちを抑えかねて、自らの心を静めるために吸っていたのかもしれませんね。
 その時、煙草を吸っている自分の影が、ホームに映っていることを、詩人の観察眼は見逃しません。影を、じっと見つめているのです。この影は、自分の体の影でしょうか。「かろうじて見える、かすかな」影とあるので、煙草の影なのでしょう。

 私の影は 煙草の煙の影を飛ばして、
 鳩のひと群れが 恥ずべきこともなく
 つばさを さっ、さっと、日の光に光らせて飛びたった。

 自分の濃い影が、煙草の薄い煙の影を揚げている。二重の濃淡のシルエット。まるで、影絵のように。
 そこに、鳩が飛び立ちます。はっとしたでしょう。
 羽音をたてて、鳩のひと群れが、ざあっと飛び立ちます。
 ここは直訳では「恥ずかしがることもなく pu-kkeu-reo-ul geos-to eops-i 」となります。
 が、どうでしょうか。鳩が何かを恥じるのか? 「翼na-rae」の「中sok」を、日の光に照らして、とあります。翼の中まで見せてしまうことに対して「恥じらいもなく」というのもひとつの解釈でしょう。そう訳している本もあります。
 しかし、あの「序詩」を思い出してみましょう。

  Jug-neun nal-kka-ji Ha-neul-eul u-reo-reo
  han jeom pu-kkeu-reom-i eops-ki-reul,
  死ぬ日まで 天を仰ぎ
  一点の恥も ないことを、

 この「pu-kkeu-reom-i eops-ki」は、「pu-kkeu-reo-ul geos-to eops-i」と、同じ詩人の同じ発想の表現ではありませんか。
 ここで自分を反省したり、鳩を非難しているわけではありません。
 私には何のやましいこともない、恥ずかしいと思うようなことはない、死ぬ日にそう言えるような人生を生きたいという宣言。
 同様に、鳩も何ら恥じることはなく、純白の無垢のままで飛んでいる、ととるべきでしょう。だからこそ「愛らしい」想い出なのですから。そして、それは実は鳩のことではなく、旅立つ自身の心境の反映なのです。

 では、「sok, sok」とは何でしょう? 「中、中」ではおかしいですね?
 この詩はけっこう、韻を踏んでいます。
  nal-li-go 飛ばせて nal-eoss-ta 飛んだ na-rae 翼
  pich-e pi-chweo 光に光らせて(照らして)
 そうすると、sog-eul sok, sok, は、「中」の繰り返しでもおかしくはないでしょうが、韻を踏むために同音異義の語を使っているとしても悪くないように思います。「nun 雪・目」といった掛詞を使う人なので。
 すると、ここは「sok-sok 続々、次々に」、あるいは「速々 さっと」飛ぶ、でしょうか。ただ、漢語では収まりが悪いような気もします。
 表記からすると、擬音語のような気がします。「日の光、風」という童詩で、「ssok, ssok」という語を、「ぷすっぷすっ」という音に使っています。ここは、「seok, seok」という音の近い語で、「さっさっ」でどうでしょうか。
 「つばさ」と少し韻も踏めますね。
 詩人の考え事を破るかのように、鳩の群れがさっさっと軽く音を立てて飛び立ち、そして、詩人は夢から覚める。煙草のほの暗い影を払う、白い鳩の翼の輝き、春の日の明るさ。
 七羽の鳩を詠んだ、その名も「鳩」という童詩もあるように、鳩はいつも、この詩人の詩では、平和や幸福のしるしなのです。これもまた、聖書のノアの箱舟の鳩のようなイメージなのでしょう。

  七日を待ちて、再び鳩を方舟より放ちけるが、鳩、暮に及びて彼に還れり。
  視よ、その口にオリーブの若葉ありき。
(創世8:10,11)


 そして、鳩がもたらすオリーブの葉の希望のように、待っていた汽車はようやく訪れます。しかし、それは洪水が引いたといった、新しい知らせではなかったのです。゜

 汽車は 何ら新しい知らせもなく
 私を遠くへと乗せてくれ、

 ここは直訳すると「何の新しい知らせもなく」です。なぜ、「新しい知らせ」なのか。
 ここは、特にニュースなどを期待していたわけではないでしょう。「便りのないのは良い便り」くらいの意味でしょうか。
 汽車が無事にホームに入ってきた。何の変わったこともなく、電車が遅れたとか事故があったとか何の悪い知らせもなく、いつもどおり普通に訪れた。だから「何の変わりもなく」と訳すのが 無難でしょう。

 しかし、先ほど言った、ノアの洪水の鳩との連想のつながりでいけば、ここはやはり「新しい知らせ」もなく、となるでしょう。なぜなら、この詩人は今までの詩でも見てきたように、いつも聖書的な用語や連想を使いたがるのです。
 一匹の鳩でも、ノアには大きな知らせをもたらせてくれた。
 ここでは、たくさんの鳩が飛んでいる。だが、特に知らせもない、という詩人の諧謔かもしれません。
 そして、その汽車は、遠く日本の地へ向かう方舟へと、私を乗せて運んでくれるのでした。春のうららかな一日。明るい日差しのような希望と愛の恩寵が感じられる日。

 この詩の前半には、そうした愛すべきある日の思い出が綴られています。
 ところが、後半に到って、急に詩はその長調の曲調を変えるのです。

 春はすっかり去って―― 東京郊外の ある静かな
 下宿の部屋で、昔の街に残っている私を 希望と
 愛のように 懐かしむ。

 春はすっかり去った。ソウルを汽車でたって、東京に着き、大学に入学したのは4月2日。それから一ヶ月あまり、四十日が過ぎた、5月13日。
 夢はすっかり去った。そして、希望も去ったかに見える。
 今、尹東柱は、東京郊外の静かな下宿の部屋にいる。
 そして、「昔の街に残っている私」を、懐かしむ、というのだ。
 不思議な表現だ。「私」は、東京にいるのではないのか? 昔の街、とは、詩の前半でふれた、ソウルのことだろう。とすると、ここ東京のほかにも、ソウルに自分の分身がいるというのだろうか。
 そう、そのとおりなのだろう。
 すなわち、身体は今ここにあるが、心は昔あそこに、ソウルの駅に置いてきてしまった、というのだ。そして、その私を「希望と愛のように」懐かしむ、と言う。
 「希望と愛」という表現が繰り返されている。最初に出てきた時は、「希望と愛」は、これから訪れる汽車に、そして、汽車に乗って訪れる東京に、未来にあったはずだ。
 ところが、今、その「希望と愛」は、ソウルに残っているというのだ。過去のものになってしまったというのだ。過去の自分にしか残っていないというのだ。
 ということは、今の自分には、希望がないということであるのだろう。

 彼の詩で、前に読んだ「たやすく書かれた詩」は、このあと6月3日にかかれた詩なのだが、そこではこの憂鬱な気分はさらに深まっている。
 同じく、東京の下宿部屋にいる情景だが、その部屋は陰気で暗く、雨だれの響きに降り込められ、水槽の底に沈んでいるかのように、夜の闇の孤独に閉ざされている。
 この詩ではまだ、「郊外のある静かな部屋」とあるだけだが、それでも、寂しさがそこはかとくなく伝わってくるような表現だ。
 あれほど、「希望と愛」に満ちていた自分が、なぜこんなに落ち込んだ気持ちになってしまっているのか。その間に一体、何があったというのか。

 ここで当時の年譜を見ると、彼はこの後、大学が夏休みになった七月、すぐに故郷に帰省している。そして、ふたたび秋に日本に帰ったあとで、立教大学を辞めて、京都の同志社大学に入学しているのだ。なぜたった半年で、変わってしまうのか。
 解説を読むと、ひとつの理由として、京都大学に行ったいとこ宋夢奎を慕って、そのあとを追ったからという説明もある。だが、それだけだろうか。
 「たやすく書かれた詩」でも、大学の講義が出てくるが、何かつまらなそうな感じで描かれている。故郷のようすは懐かしく書いてあるが、大学の老教授の授業は親の苦労して送る学費に比して、あまり価値がないかのように。
 こうしたことを考え合わせると、大学が合わなかったか、嫌なことがあったかして、転学してしまったということがあり得ると思う。あるいは、大学以外でも、ふだんの生活の中で、差別されるとか不快なことがあったのかな、という気もする。


延世卒業時


立教在学時

 昨年、尹東柱没後60年を記念して、池袋の聖公会で追悼のセレモニーと講演があった。
私も参加したのだが、その時の話のひとつに、こういうことが紹介されていた。
 尹東柱の遺されている写真を見ると、延世大学卒業時は、ふさふさと長い黒髪を蓄えているのに、その後、七月に帰郷した時の写真を見ると、丸刈りの坊主になっている。一緒に写っている宋夢奎がまだ長髪なのに。
 これは調べてみると、当時の立教大学は、体制に妥協して、学生に角刈りを強制していたとのこと。同じミッション系でも、学校によっては風潮に差があったのか。東柱は長髪の自由な学風のほうが好きだったらしく、失望したのではないか、と。
 これは私にとっては意外なことだった。同席していた聴衆の中にも「まさか立教批判が出るとは」と後でつぶやいていた人たちもいて、立教のお膝元の聖公会で開かれていただけに、この話は印象に残ったものだ。
 別にこの件がすべてと言うつもりはないが、一端を現していよう。
 東京時代の大学の関係者や下宿近辺の人たちに聞いてみても、だれも彼のことを覚えていなかったという証言を、伊吹郷氏や茨木のり子さんも引いていて、孤独な暮らしを送っていたのではないかと想像される。

 春の過ぎ行くさびしい季節、そうした鬱屈した暗い生活の中で、つい一ヶ月ちょっと前までの、明るく輝かしい春のただ中で、希望に満ちていた自身をふり返るとき、それは吾ながらまるで別人であるかのように思われたのだろう。

 今日も 汽車は何度も 無意味に通り過ぎて、

 今日も 私は誰かを待って 停車場近くの丘で
 さまようだろう。


 彼は、実際に駅に出かけたのだろうか。
 あるいは、駅の見える丘に出かけたのだろうか。

 「ふるさとのなまりなつかし
  停車場の人ごみの中に
  そを聴きにゆく」

 と詠んだ啄木のように。いや、そうではあるまい。
 東柱は、あくまで、静かな下宿の中にいるのである。なぜなら、彼のなつかしんでいるのは、現在の誰かなのではなく、かつての過去の自分なのだから。
 それは今の東京駅や上野ステーションではなくて、昔のソウルのある停車場なのだ。
 ここで詠まれているのは、彼の心象風景なのだろう。
 魂は心を離れて、その小さな停車場の見える丘のにさまよっている。しかし、そこで待っていても、汽車は何度も訪れては去っていっても、発着する汽車から乗客が乗り降りしても、自分の待っている「希望と愛」の列車はもう訪れることはない。
 それはもう、「愛らしい思い出」の中にしか存在しないのだ。
 なんとも、深い絶望の歌だ。そして、最後に彼は叫ぶ。

 ――ああ、若さはずっとそこに残っていろ。

 ぼくの青春は、あそこで終わってしまった。
 若いころのぼくよ。と、一ヶ月余りですでに老人になってしまったかのように、彼はかつての自分に呼びかける。
 そこに残っていろ。東京になど、来るな。来てもがっかりするだけだぞ、と。
 そこで若いまま、希望を持ったままでいろ、と。

 この後日談を話しておかねばならない。
 彼は同志社大学に転学して、一年学んだあとで、ふたたび七月に帰郷する。
 いや、帰郷しようと、する。
 しかし、停車場で彼を待ち受けていたのは、警察だった。彼は、いとこの宋夢奎と共に下鴨署に拉致され、福岡刑務所に投獄された。独立運動の嫌疑だった。
 そして彼らは、二度と故郷の地を踏むことはなかった。
 故郷の停車場で、帰省してくる二人を待っていた家族や親族たち。
 だが、待てど暮らせど、二人は帰ってこない。汽車はむなしく、何度も通り過ぎるばかりだ。しばらくして代わりに訪れたのは、逮捕の知らせだった。
 そして、一年半の拘留と虐待の後に、二人は死んだ。
 父は骨を引き取りに日本まで来て、白木の箱とともに海を渡り、ソウルの駅を経由して故郷の満州に帰った。彼の霊魂は、駅の近くの丘から自分の骨と、それを抱えてホームにたたずむ父親の姿を見ていただろうか。

 夏の帰省のシーズンになると、この詩を思い出してしまう。
 春の日に、まだ希望をもって、ソウルの郊外の駅のホームに立っていた、そして鳩を眺めて煙草の煙をはいていた紅顔の青年は、今は全く思い出の中にしかない。
 しかし、この詩の中で、我々の心の中で、彼は生き続けている。
 いや、決して忘れてはならない、と思う。

                              2006.8.1. 〜 光復61周年 平和月間


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