尹東柱を読む (27) 「生と死」

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 尹東柱を読む (27) 「生と死」

 尹東柱が逝ってから、六十四年めの命日になる。また、彼の詩を読んでみよう。

 

【ローマ字表記】

Salm-kwa Jug-eum

Salm-eun o-neul-do jug-eum-eui 序曲(seo-gog)eul no-rae-ha-yeoss-ta.
I no-rae-ga eon-je-na kkeuth-na-rya

Se-sang sa-ram-eun----
Ppyeo-reul nog-yeo-nae-neun teus-han salm-eui no-rae-e
Chum-eul chun-da
Sa-ram-deul-eun hae-ga neom-eo-ka-gi jeon
I no-rae kkeuth-eui 恐怖
(kong-pho)reul
Saeng-gak-hal sa-i-ga eops-eoss-ta.

Ha-neul pok-phan-e al-sae-gi-deus-i
I no-rae-reul pu-reun 者
(ja)ga nu-gu-nyo

Keu-ri-go so-nak-pi keu-chin twi-gath-i-do
I no-rae-reul keu-chin 者
(ja)ga nu-gu-nyo

Juk-ko ppyeo-man nam-eun
Jug-eum-eui 勝利者
(seun-ri-ja) 偉人(wi-in)deul !

【単語】
salm-kwa 生 jug-eum 死 <- juk-ta 死ぬ
o-neul 今日 seo-gog 序曲 no-rae-ha-da 歌う
eon-je-na いつも、いつごろ kkeuth-na-da 終わる 〜rya 〜であろうか、〜しようか
se-sang 世間 sa-ram 人 ppyeo 骨
nog-yeo <- nog-i + eo neog-i-da 溶かす、とろかす nok-ta 溶ける
teus-ha-da 〜らしい、ようだ、そうだ
chum-eul chu-da 踊りを踊る
hae 日 neom-eo-ka-da 傾く 〜gi jeon 〜する前
kkeuth 終わり kong-pho 恐怖 saeng-gak-ha-da 考える sa-i 間、暇、時間 eops-ta ない
ha-neul 天、空、神 pok-phan 真ん中
al ? 卵、実、粒、玉? sae-gi-da 刻む、彫り付ける deus-i 〜するように、するかのように
no-rae 歌 pu-reu-da 叫ぶ、歌う ja 者 nu-gu 誰 〜nyo 〜か

keu-ri-go そして so-nak-pi <- so-na-gi pi 夕立、にわか雨
keu-chi-da やむ、終わる、やめる twi 後 〜gath-i 〜ように、ごとくに

juk-ta 死ぬ 〜man 〜だけ nam-da 残す
seun-ri-ja 勝利者 wi-in 偉人

【試訳】

生と死

生は今日も死の序曲を歌った
この歌がいつ終わるのか
 
世の人は……
骨をとろかすような生の歌に
踊りを踊る
人々は日が傾く前に
この歌の終わりの恐怖を
考える間がなかった

天の真ん中に刻みこむように
この歌を歌ったものはだれか

そして夕立がやんだ後のようにも
この歌をやめた者はだれか

死んでも骨だけ残った
死の勝利者 偉人たち!

【コメント】

生と死

 これは1934年12月24日のクリスマスイブに書かれた詩。同じ日付の「ろうそく一本」とともに、彼のもっとも若い日に書かれている。十七歳、高校生のころだ。
  このような若いころから、彼は生と死について考えていたのである。
 
生は今日も死の序曲を歌った
この歌がいつ終わるのか

 「生は」と、「生」が主語になっている擬人法だ。
  生が、死の歌を歌うという。しかもそれは「序曲」である。
  その歌が終わる時、とはいつか。「序曲」は本編が始まる前の曲だ。オペラにも序曲がある。「フィガロの結婚」など名曲が多い。終わると本編の芝居が始まるのでわくわくする。
  だが、この場合の本編とは、「死」である。ということは、歌が終わる時が、死ぬ時なのである。生はいつか死に至る。だから、生が死の序曲なのだ。
 
 十七歳にして、この死生観。よく人生を見つめていると思う。
  そして、その歌がいつ終わるのか、問いかけている。生がいつ終わるのか、つまり、いつ死ぬのか。それはだれにもはっきりとはわからない。
 彼は、この十年後の1945年2月16日、二十七歳で世を去っている。若い。あまりに若かった。彼は自らが早く死ぬことを、あるいは予感していたのだろうか。
  私の学生時代の恋人は、二十六歳で世を去った。この詩が書かれたあと、ちょうど五十年目のクリスマスイブに、その訃報が届いた。雪の深いホワイトクリスマスだった。
  そのレクイエムを書こう書こうと思っているうちに、二十四年もたってしまった。私も昨年で、齢五十になった。私はいつ死ぬのだろうか。
  昨年の十月に、私の父が世を去った。八十一だった。病を得て半年だった。遺稿を整理していたら、昔の年賀状が出てきた。傘寿になったことを喜んで父が友人たちに書いた葉書だった。そこに死の予感は少しもなかった。
  人がいつ死ぬか。やはり、自分自身ではわからないものだ。
  死の序曲がいつ終わるのか。それがわからないまま、人は今日も生の日々を送る。

世の人は……
骨をとろかすような生の歌に
踊りを踊る

 「se-sang」は「世間」。「世間の人は」と訳してもよい。が、「世の人」としたほうが、詩らしい雰囲気が出よう。  問題は「nog-yeo-nae-neun teus-han」である。直訳すれば「溶かすような」となる。
  「骨を溶かすような生の歌」とは、どのような歌であろうか。
  その歌に合わせて、人は踊りを踊るというのだ。 それが、骨の髄までとろかせてしまうような、甘い踊りなのだろう。
 サロメの踊りというのが、聖書に出てくる。よく画題にも取り上げられている。モローが耽美的に、魅惑的に、陶酔的に、この妖しい踊りを何度も描いている。
 バプテスマのヨハネに、サロメは恋をした。彼女は美貌だったが、恐ろしい女だった。ヨハネに言い寄ったがふられてしまったのだろう。父王ヘロデが宴席を催したときに、父に請われて賓客の前で、踊りを踊った。
  妖艶な踊りに、人々はすっかり心をとろかされ、骨抜きにされた。踊りの後、父はなんでも上機嫌で所望するものを与えると言った。彼女は、ヨハネの首を願った。

 「骨をとろかすような生の歌」と訳しておこう。
 「心をとろかす」と、よく言う。ここでは、それが「骨」にまでなってしまつた。そんな感じだろう。骨抜きにされ、骨の髄までくさってとろかせてしまうような歌。
  その歌にのせて、人はむなしい踊りを踊る。韓国語では「踊りを踊る」の繰り返しは普通なので「踊る」とだけ訳してもよいが、やはり「踊り」を強調して訳しておこう。

  「踊る」といえば、私がすぐに思い出す、もうひとつの聖書の箇所がある。

 今の時代を何にたとえたらよいか。
 広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子どもたちに似ている。
 「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。
 葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」
(マタイ11:16-17)
 
 彼はクリスチャンファミリーに生まれて、子どものころに洗礼を受けた。聖書もよく読んでいた。だから、この句が頭にあったとしても不思議ではない。
  ここの聖書の箇所は解釈が難しいところだが、この「踊り」や「歌」は、あまり肯定的な意味ではないように感じる。イエスさまが時代を批判しているところだから。
  時代の人たちが、ここにたとえられている。まさに「世の人」たちが。
  とすると、「踊り」や「歌」というのも、決して肯定的ではない。
  人生をむなしく生き、生の踊りを浮かれて踊っている間に、死は必ず訪れる。その時に、死の歌を歌っても、だれも悲しんではくれないと、嘆いてもしかたがない。
  そのようにとれば、彼の詩の心境とも通じてくるところがありそうだ。

人々は日が傾く前に
この歌の終わりの恐怖を
考える間がなかった

 ついに来るものとはかねて知りながら
    昨日今日とは思わざりしを

 在原業平の時世の句と伝えられている。おそらく、死に至って、だれもが抱く実感であろう。人生五十年と昔は言った。今は八十年になっている。日本は世界一の長寿国となった。だが、百年生きたとしても、必ず終わりの日はやってくる。
 
 門松は冥土の旅の一里塚
     うれしくもありうれしくもなし


 一休禅師は、賀状にこのように書いて、人々に煙たがられたという。正月にしゃれこうべ、骸骨をかぶって通りを踊ったという話もある。
  しかし、人生をよく見ていると思う。考えてみれば、新年も、そして誕生日も、人々は祝っているが、それは死に近づいていることなのだ。
 だが、人は毎日の享楽に、日々の踊りに浮かれている。骨までとろかされている。そして、死について考えるひまがない。
  「日が傾く」とは、もちろん人生のたとえだ。
 
 日暮れて道遠し

 そのように、伍子胥も言った。私たちの人生は、すぐに日が傾いてしまう。私も五十と言ったが、もう日は中天を過ぎて、午後となり、夕日となりつつある。 だが、まだ若いと安心している人たちも、気をつけなくてはすぐに日は暮れてしまう。日がすっかり落ちて、死の闇の夜が来る前に、まだやっておくことはないか。 「この歌の終わりの恐怖」とは、もちろん、死の序曲が終わるとき、すなわち、死の恐怖である。死ぬときになって、恐れ後悔しても、もう遅い。 それなのに、人は死について考えようとしない。そのひまがない。

 昨年、死生学講義を聞いたときに、平山先生が言った。
  「死生学は、生死学です」「よく生きることが、よく死ぬことです」
  人はいつか、死ぬ。それをいつも忘れずに、生をよく生きる。そうすれば、死ぬときになって、後悔は少ないだろう。先生は病院で臨床を長く経験されているが、死期の迫った患者さんに多いのが、もっと人生をよく生きればよかったという後悔だという。
  精神科医の先生は、死刑囚のカウンセリングもするという。すると、無期懲役囚と死刑囚は、生き方の姿勢がまるで違うという。死刑囚は、死を間近に見つめる。そして、恐怖のあまり精神を病んでしまう人と、逆に、日々を充実して生きようとし、また、信仰に導かれる人も多いのだという。 これに対して、無期懲役囚はいつ訪れるともわからない死のために、生き方が散漫になってしまう。だが考えてみれば、これは私たちと同じではないか。

 メメント・モリ

 という言葉がある。ラテン語で「死を思え」。Memorize the Death.

 中世の修道院では、これが合言葉になっていたという。髑髏ばかり集めて、教会の壁にびっしりと埋めていた修道院もあるという。マグダラのマリアが、しゃれこうべと共に、書斎で思索している姿を描いたラ・トゥールの絵が、陰影の深みのある名画で、西洋美術館に来たときに見て感銘を受け、その複製画を私は書斎の机に置いている。
  メメント・モリ。それは、中世の修道僧の合言葉になっていた。常に死を思い、死を見つめることで、私たちは生に真摯に向かい、生を真剣に生きる。だが、修行して寺や山にこもっている僧侶でもなければ、私たちは日々の忙しい生活の中で、死を忘れてしまうのだ。

 彼は、十七歳、高校生のときに、すでにそのことがわかっていた。
 早熟であるが、しかし、私も思い起こせば、幼時に初めて死を意識し、死はだれにも訪れることを知って恐怖した。ただ、我々は大人になってそれを忘れがちなだけだ。
 
天の真ん中に刻みこむように
この歌を歌ったものはだれか

 詩の後半になって、二度、問いかけの言葉が繰り返される。
  「Ha-neul」は「空」だが、「天」や「神」とも訳される言葉。「pok-phan」は、ただの「中」ではなくて、「真ん中」「ど真ん中」という感じ。そして、「sae-gi-deus-i」は、「刻むように」ということ。
 「この歌」とは、もちろん「死の序曲」だ。
  世の人々は、死の歌を忘れて、その歌が終わって死の訪れる時のことも忘れて、生の踊りに浮かれて、骨までとろかされている。 そうした中で、「死の歌」を、高らかに、はっきりと歌う者がいる。「者(ja)」は、元の表記で「者」と漢字が当てられ、特にその歌う「者」を強調している。 天に刻み込むように、大声で、明確に歌っている者がいる、と言うのだ。 それは「メメント・モリ」、死をいつも実感して訴えている者だろう。

そして夕立がやんだ後のようにも
この歌をやめた者はだれか

 そして、その歌は歌う時だけではなく、やめる時もまた、はっきりしている。 歌っている時は、「so-nak-pi」のようだ、という。「にわか雨」とも訳されるが、その激しさということから、単なる軽いにわか雨ではなく、「夕立」としたい。ざあっと、豪雨のように、ひとしき激しく歌っているのだ。
 そして、やめる時も、夕立はさっと、やむ。
 「keu-chin twi-gath-i-do やんだ後も」 「keu-chin 者(ja)ga やめた者が」
  どちらも同じ「keu-chin」という言葉を使っている。「keu-chi-da」「やめる、やむ」という動詞の、過去連体形である。「やんだ、やめた」ということだ。
  ここを「にわか雨が過ぎ去った」「歌をやめた」と、まるで別に訳している訳もあるが、いかがなものだろうか。詩の韻ということを、もう少し考えたい。それに「過ぎ去った」では弱い。ここで「歌をやめた」というのは、もっと意図的なのだから。

 「死の歌」を、みんなは避けたり忘れたりしている。 しかし、ある者はそれを力強く歌う。 天まで昇って、それが天の国のど真ん中に刻みこまれる刻印のように、明確に。 あるいは、雷鳴と共に降りしきる夕立のように、強く激しく。 そして、やめる時は、きっぱりと潔く。 死を意識しながら、生を力強く生き抜いた者。 それは、だれか。答は、最後にある。

死んでも骨だけ残った
死の勝利者 偉人たち!
 
 そう、歴史に残る偉人たちなのだ。  「骨をとろかす」と、それは対照的だ。ふつうの人たちは、むなしい生の歌に、骨までとかされて、死んだあとには、何も残らない。
  だが、偉人と言われる人たちは、歴史にその名を残した。

 虎は死して皮を残し、
    人は死して名を残す。

 歴史に刻まれた名。それが、「骨だけは残った」ということだろう。
 死は、だれにでもおとずれる。だが、死後にその名を、生きた証しを残すことができた者は、死に勝利したといえるのではないか。肉体はほろびても、その精神は残ったのだ。
  エゼキエル書に、とても印象的な言葉がある。

 「枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。
 見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。
 すると、お前たちは生き返る。」
(エゼキエル37:5)

 死をもって、私たちは骸骨の骨となってしまう。 だが、主なる神は、私たちの骨をまたつないで、皮と肉を補い、霊の命を吹き込んでくださるというのだ。そして、その預言はエゼキエルの目の前で実現していく。 ユンドンジュは、骨だけは残ったと、この詩で言う。それは、永遠の命をいただいたということでもある。彼は聖書をよく読んでいたから、このエゼキエル書の幻の発想が、あるいはイメージにあったのかもしれない。
 もちろん、直接的には、ここで「偉人たち」と呼ばれているのは、歴史に名を残し、その存在の証を遺していった人たちということだろう。

  さて、では、ユンドンジュは、死の勝利者であったのか。
  言うまでもない。彼の名は歴史に残り、そして、彼の遺した詩は、今も読み継がれている。韓国で「好きな詩人は」と聞かれると、多くの人が彼の名を挙げるという。若い人たちにも、今も長く親しまれている。今を生きる人たちに、希望を与え続けている。
 前にも取り上げたが、彼が、自分の骨を歌った詩がある。

もう一つの故郷

 故郷へ帰ってきた日の夜に
 私の白骨がついてきて同じ部屋に横たわった
 暗い部屋は宇宙へ通じ
 天からか 声のように風が吹いてくる

 闇の中できれいに風化作用を受けていく
 白骨をのぞきこんで
 涙ぐんでいるのは私が泣いているのか
 白骨が泣いているのか
 美しい魂が泣いているのか

 志操高い犬は
 夜どおし闇に吠える

 闇に吠える犬は
 私を追っているのだろう

 行こう行こう
 追われる者のように行こう


 白骨に気づかれないよう
 美しいもう一つの故郷に行こう

 ここに私は、彼が後に読んでいたという中原中也の影響を見ていたのだが、実はもっと早くから「骨」には注目をしていたようだ。それがこの「生と死」からわかる。
 この「もうひとつの故郷」でも、骨になって終わりというのではなくて、骨を見ている魂、霊の存在としての私がある。そして、現実の死にとらわれずに、もう一つの故郷、すなわち天国に行こうというメッセージで詩はしめくくられている。
 ユンドンジュが若くして獄死したときに、悲報を聞いた父は遠く満州から福岡の刑務所まで海を渡って息子の骨を引き取りにきた。帰りに連絡線の甲板から、その骨の一部を玄界灘にまいたという。胸をしめつけられるような話だ。

 さて最後に、また私事になるが、父の葬儀のときのことだ。
 葬儀は実家のある金沢で催され、家族や親族ばかりの式だったが、私が長男ということで形ばかりの喪主を務めた。告別式が終わり、みなが焼き場に行く。
 焼きあがった骨が出てきて、私はそれを拾った。遠い昔、幼児のころに、父方の母の葬儀があり、その時に初めて、家族と共に骨を拾うという経験をしたことを思い出したりもした。あの時は、ただ衝撃を覚えた。その後、親族や知人の骨を拾うことは何度かあった。
 そして、今、父の骨を拾った。
 順送りだな、と思った。いつかは、私もまたこのように、子どもたちに骨を拾われるようになる。それが、順番というものだ。逆であってはいけない。
 それでいい。それでいいのだが、しかし……

 私は、いったい、骨を残すことができるのか。
 骨は、とろかされ、とけてしまうのではないか。
 物体ではなく、精神的な骨の話である。ユンドンジュが「生と死」で読んでいる、「骨」のことだ。
 私は彼が遺せたようなものを、残すことができるだろうか。到底、できているとはいえない。
 私は覚めていなくてはならない。私は何かを書き残したい。 ユンドンジュや歴史の偉人たちのように偉大ではなくても、何か生きた証を残したい。
 父の骨は、私の心にそのような思いを残した。
                                      2009.2.16. てじょん


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