尹東柱を読む F 「目を閉じて行く」

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 連休ですね。3日は憲法記念日、5日は子供の日です。
 尹東柱の詩集「空と風と星と詩」から、また読んでいきましょう。

〔ローマ字表記〕

Nun-kam-go Kan-da

 Thae-yang-eul sa-mo-ha-neun a-i-deul-a
 Pyeol-eul sa-rang-ha-neun a-i-deul-a

 Pam-i eo-du-weoss-neun-de
 Nun-kam-go ka-geo-ra.

 Ka-jin pa ssi-as-eul
 Ppu-ri-myeon-seo ka-geo-ra.

 Pal-pu-ri-e tol-i chae-i-geo-deun
 Kam-ass-deon nun-eul wa-jjak tteo-ra.

〔試訳〕

目を閉じて行く

 太陽を慕う子供たちよ
 星を愛する子供たちよ

 夜は深まったが
 目を閉じて行きなさい

 持つところの種を
 まきながら行きなさい

 つま先に石がふれたら
 閉じていた目をかっと開け

〔語句〕

nun 目 kam-da 閉じる、つぶる

a-i 子供 〜deul 〜たち 〜a 〜よ
thae-yang 太陽 pyeol 星
sa-mo〔思慕〕ha-da 恋い慕う
sa-rang-ha-da 愛する

pam 晩、夜
eo-dup-ta 暗い 〔P変〕→ eo-du-weo 暗く
ass / eoss〔過去〕 〜neun-de 〜だが
geo-ra. 〜しなさい

ka-ji-da 持つ
連体形+pa〔依存名詞〕 〔〜する〕ところ、こと
ssi(-as) 〔植物の〕種
ppu-ri-da まく、ふりまく 〜myeon-seo 〜しながら

pal-pu-ri 足先、つま先 tol 石
chae-i-da 感じられる chae-da 感じる
geo-deun〔条件〕 〜すれば、たら
〜ass / eoss-deon〔過去回想〕 〜だった、していた
wa-jjak 急に変わるようす ぱっと、ぐっと
tteu-da (目を)開く 〔U変〕→ tteo 開き
ra. 〜しろ、せよ

〔コメント〕

  目を閉じて行く

 目を閉じて行くって? あぶないじゃないか。
 何かにつまづいたり、ぶつかったりして、転びそうだけど。
 何かこわい所ででもあるのだろうか、おばけ屋敷のように。
 それとも……なんだろうと、ちょっと考えさせるような題。

 太陽を慕う子供たちよ
 星を愛する子供たちよ

 「空と風と星と詩」のタイトルにもあるように、作者は星が好きなようです。
 そして、太陽も。いつも天を仰いでいたのでしょうか。希望を求めて。
 ここでは、子供たちに呼びかけています。
 子供に、これから生きていくものとして、特に希望を託しているのでしょう。
 子供は、太陽を慕い、星を愛する、と並列の形で強調しています。

   手のひらを太陽にすかしてみれば
   まっかに流れるぼくの血潮

 そんな歌がありました。よく子供のころ、口ずさんでいたものです。
 「アンパンマン」のやなせたかしが作者だったように記憶しています。
 太陽はすべての命のみなもと。そして星は希望のしるし。

   東方で見た星が先立って進み、
   ついに幼子のいる場所の上に止まった。
 (マタイ2:9)

 子供のころ、ミッション系の幼稚園で、クリスマスには生誕劇をやりました。私はその他大勢の羊飼いの役でしたけど。ベツレヘムの星のお話は、今も心に残っています。
 太陽を、星を、希望を、夢を、光を、子供たちは自然と求めるものなのでしょう。

 今月上映する予定の映画も「星の三兄弟」と言います。クラスの学芸会の主役、スターをめぐって仲たがいするけど、結局仲直りするというお話です。
 この映画の中で、方定煥(小波)という児童文学の創始者の生涯が描かれる劇中劇があります。実はこの「星の3兄弟」というタイトルと題材自体も、彼の同名の童謡からとられていると、つい最近知りました。
 彼は児童天使主義という立場をとっていました。児童は本来無垢で、善を求める者だというのです。ルソーの「エミール」にも通じる考えでしょう。

  「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、
  天国に入ることはできないであろう」 
(マタイ18:3)


 聖書にもそのような言葉があります。
 霊性においても、子供には純粋な明るさ、そして謙虚さがあるものなのでしょう。
 子供は、闇ではなくて、光を求めていくもの。

 夜は深まったが
 目を閉じて行きなさい

 だが、今は夜だ、と言うのです。深い夜だと。
 そして、目を閉じて行け、と言うのです。
 太陽はもちろん、星も、見ることができないのです。
 ここには、時代のイメージがあると思います。単に、暗い夜というだけではなく、それは暗い時代の象徴、シンボリズムであるのでしょう。
 前回に読んだ「夜明けまで」もそうでした。夜明けまで待つという、その夜明けとは、暗い時代の夜明けでしょう。島崎藤村の描いた「夜明け前」のように。
 初めに読んだ「たやすく書かれた詩」でも、そうでした。夜中に下宿でひとり寂しく、夜明けを待つ作者。「時代のように訪れる夜明けを待つ」という表現がありました。

 それでも、読者は言うかもしれません。
 夜道が暗いのに、それで目をつぶっていったら、ますます見えないじゃないかと。
 それは、目を開けていれば、見たくもないものが目に入るからでしょう。時代が暗い、そして汚れている。尹東柱の生きた時代は、母国の朝鮮が奪われ、同胞が迫害されていた時代でした。嫌な光景や嫌な話をずいぶん見聞きしたはずです。
 もちろん、大人なら現実を直視しなくてはならないこともあるでしょう。しかし、子供たちには、そうした場面は見せたくはない。
 だから、目をつぶって行けというのでしょう。
 しかし、大人である作者自身も、やはり見たくはないのかもしれません。思わず、目を閉じていたくなるようなことがあったのかもしれません。

 さらにこれは、当時のことだけではないのかもしれない、という気がします。
 人が生きていく上で、つらい試練や、厳しい社会の現実が誰しもあるのでしょう。
 時と所を問わず、過去にもたびたびあったし、現在でもあることでしょう。
 「目を閉じて行く」という表現で、私がすぐに思い起こす歌があります。
 石川啄木の歌集『悲しき玩具』の、冒頭の歌です。この第二歌集は啄木が極貧のうちに病でなくなった、その没後に出版されたものでした。

  目閉づれど、
  心にうかぶ何もなし
  さびしくも、また、目をあけるかな

 尹東柱は、この歌を読んでいたでしょうか。
 あるいは読まずにいて、偶然に同じような境遇で、同じような着想を得たのかもしれないと思います。詩や音楽では、似たようなものができることがあります。
 しかし、もしかすると読んでいたのかもしれない、とも思えます。立原道造など日本の詩人の詩もよく読んでいたらしい尹東柱のことですし、一般に先人の詩を参考にアレンジして作ることが、今でもよくあることだからです。
 というのは、この啄木の短歌を元にしたと思われる、現代の流行歌があるのです。

  目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ
  荒野に向かう道より ほかに見えるものはなし

  ああ砕け散る 宿命の星たちよ
  せめて密やかに この身を照らせよ

  我はゆく 蒼白き頬のままで
  我はゆく さらば昴(すばる)よ

 そう、みなさんおなじみの、谷村新司(アリス)「昴」ですね。
 年配の中年のおじさんが、よくカラオケで歌う曲の上位だそうです。
 この歌は、私も特に愛着があります。というのは、以前に文化祭で教員有志によるアマチュア合唱団に加わり、いっしょに歌ったことがあるからです。
 星へのロマンと、人生の道程の感じられる、とても良い歌だと思います。
 啄木の歌集を読み直していて、この歌との類似に気づきました。冒頭はそっくりとも言えるでしょう。これは発見かな、と喜んでいたら、しばらくして某新聞にその話が取り上げられていて、なんだ、みんな気づくことなんだとやや拍子抜け。
 でも、このように温故知新、古典をまたアレンジして新しい生命を持たせていくということは、とても意義あることだと思います。昔は「本歌取り」のように、ごく普通のことだったようですね。
 尹東柱も、啄木の歌を読んで詩を書いたのかもしれない、と想像してみることも、面白いと思います。立原道造の詩との共通性は、すでに茨木のり子さんが指摘されています。
 日本が先だからどうこうという先陣争いではなく、日韓の近代文学に相互の交流や影響があったかもしれないことは、有意義なことだと思えるからです。

 もちろん尹東柱の詩の独自性が劣るということはありません。
 彼のハートの核心は、暗い時代の境遇を嘆いていることにあるはずです。
 とすると、それは同時代であっても、あるいは同じ土地に生きていても、日本人の作家にはわからない、国を奪われた暗い夜の時代の詩人の立場からして、決して同列には論じられない、深い深い悲しみの心があるはずですから。
 どうしても、目をつぶって歩かなくてはならないような、悲痛に傷ついた心が。
 さて、詩の後半を読んでみましょう。

 持つところの種を
 まきながら行きなさい

 「種をまく人」。
 これは、岩波書店のマークにもなっている、ミレーの名画で有名ですね。現在は山梨の美術館にあるようで、一度見た覚えがあります。
 この「種をまく」という表現は、聖書には多数見られます。
 すなわち、それはみ言葉の種であり、キリストの福音を伝えていきなさいという比喩としてよく使われているのです。

 「天国は、一粒のからし種のようなものである。
 ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、
 成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、
 空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」
(マタイ13:32 )

 イエスは民衆に話すときに、わかりやすいようにとたとえによって話されましたが、なかでも植物のたとえをよく使われました。
 それは、内村鑑三も指摘しているように、教えというのは植物のように、徐々に育っていくものだからだと思います。ある時、洗礼したとたんに百%人格が変化して完全な善人になったとか、ある日、リバイバルが起きて人々がすべてクリスチャンになってしまったとか、そんな劇的な変化ではありません。徐々に人は性格を改善して、少しずつましな人間になっていくのであり、また、福音はわずかずつでも人々の間にしだいに広まっていき、やがて信じる人がだんだん増えていく、そのようなものでしょう。
 だが、主の働きは、ゆっくりだが着実です。
 からし種というのを見せてもらったことがあります。ひと粒の、小さな小さな、それこそほこりのような小さな種です。それが、人の背丈を越えるような大きな木になるそうです。植物だけではありません。動物だって、そして、人間だって、生まれたもとは眼に見えないほど小さい卵子であり精子だったではありませんか。いつの間にか、人々が忘れているほど長い間がたつうちに、見えない力が働いて大きくなっているです。
 主のみ言葉も、そのような種だというのです。人の心に落ちて育っていく。

 しかし、この詩の不思議なことは、眼をつぶって種をまくということです。
 まわりが見えなくては、いくら種をまきちらしたからといって、それがちゃんとしたところに落ちるかどうか、わからないではないか。
 そのように疑問を持ってしまうでしょう。
 これに対して、イエスの次の言葉が答えになると思います。

 「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった」 
(マタイ13:3-8)

 まかれた地により、種の芽の出し方、その後の伸び方はちがう、というのです。そして、それでいい、というのです。
 育つかどうかは、落ちた土地によるのであって、私たちがいくらあれこれ悩んで心配したとてしかたがないのです。
 み言葉も、どんなに貴重な教えであっても、受け取る人の心の状態によって違う。他人の言葉や誘惑に惑わされたり、試練や困難にくじけたり、この世の仕事や財産に心を奪われたりしていては、教えが心の中で育つことはない。教えを聞いて本当に悟るものの心の中では、百倍も成長して人生を豊かに実を結ぶだろう、ということです。
 それは、主のはからいによるのであって、人の力によるのではない。
 だから、私たちは、ただ種をまいていこう、というのです。種をまくだけでよい、どんなところに落ちて、どのように育つかは気にしなくてもよいのです。

 ガリ版刷りの教会の広報誌を、毎月配って歩いています。
 以前には、干潟の環境問題の署名のちらしを配っていたこともありました。
 うちの団地だけで十棟、ひと回りすると、千七百戸ほどあります。
 だれに強制されたわけでもなく、みんなで自主的に配っています。郵便受けに一枚一枚。団地だから一戸建よりずっと楽ですが、それでもけっこう時間がかかります。
 翌朝見ると、ほとんどが郵便受けの脇のゴミ箱に捨てられています。むだかなあ、と思うこともあります。でも、1割でも1%でも、たとえひとりでも読んでくれる人がいればいい、と思って配っています。
 そんな時に、この種まきの話を思い出すと、気持ちが明るくなります。

 尹東柱にとって、「種まき」とは何だったのでしょうか。
 きっと、詩を書いていくことだったのでしょう。
 生前はまったく無名の青年でした。詩人として有名になったのは死後のことで、そういう例は文学者にも芸術家にも数多くあります。死後も無名のままの人はさらに数えきれないくらいいるでしょう。
 自分が詩を書いていくことが何になるのだろう。だれにわかってもらえるというのだろう。そうした反問を、彼自身繰り返していたに違いありません。
 発表の手段とてなかった。詩集を刊行するのが夢でしたが、それが実現したのは死後のことでした。
 今はインターネットという手段があり、小生のような駄文でも、こうしてHPに載せておけばいくらかの人でも読んでくれます。彼の場合は、少数の友人に読んでもらった程度だったでしょう。いくら優れた詩でも、多数に公開する機会はなかったのです。
 それでも、彼は種をまいていった。
 時代は暗い。闇の中で、先行きが見えない。でも、こつこつと詩を書きつづけていった。彼もクリスチャンです。おそらく、聖書の言葉を思い出しながら、どこかで芽の出る種をまくように、いつの日か読んでもらえることを望み、祈りながら。

 つま先に石がふれたら
 閉じていた目をかっと開け

 しかし、眼を閉じていれば、石につまずくことがあるでしょう。
 そんな時には、つぶっていた眼をすぐに開け、というのです。
 wa-jjakは、急に物事をするようすの擬態語で、「ぱっと」「ぐっと」といった訳が載っています。ここでは「かっと」開く、として見ました。時間的に急なだけではなくて、いくらかの気迫の気持ちをこめて。
 つまずきそうになったら、眼を開ける。当たり前のことを言っているようですが、これは大変なことだと思います。つまずかないようにするのは楽ではありません。

  遠い道ただひとり  道ばたに倒れても
  本当の自分に出会うまで  つまずきながら歩いて行くだけ

                                李政美 「遠い道」

  だって「つまずきながら」って 口で言うほど楽じゃないはずでしょ
  ……リスクがあるからこそ 信じることに意味があるのさ

                              宇多田ヒカル「Wait & See 〜 リスク」

 つまずき。
 この言葉も、聖書でよく見られる言葉です。それは、ただ物質的にというより、精神的につまずく、障害に突き当たって教えからそれてしまう、という意味に使われます。
 世の中の道は、石だらけでしょう。いろいろな困難や試練、誘惑があります。そうしたものに、つまずきそうになったら、よく注意して見極め、心をまっすぐに保ちなさい。
 そういう忠告が、子供たちに向けて最後に発せられているのでしょう。

 「昼間歩けば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。
 しかし、夜歩けばつまずく。その人のうちに光がないからである」。
(ヨハネ11:9,10)

 尹東柱の生きた時代は夜でした。
 朝鮮民族にとっては、闇の時代でした。しかし、夜でも歩かないわけにはいきません。昼が来るまで待っているわけにはいきません。だから、眼をつぶって歩く。それでも、言葉の種はまきながら、いつか芽の出る昼が、春が来ることを待ち望みながら。

 では今、現代のこの時代は昼でしょうか、夜でしょうか。
 戦後、韓国では「光復節」が訪れ、祖国が回復され、民族が独立しました。しかし、その後すぐ、国は二つに分断され戦争と対立が続いています。
 日本はどうでしょうか。軍国主義、ファシズムは去り、平和な民主主義国家が訪れたように思います。しかし、今はどうでしょうか。
 時あたかも、憲法記念日。
 新聞によっては、世論調査で半数以上の人が改憲に賛成していると報じています。私どもが子供の頃に学校で習った、憲法の擁護精神はどうなったのでしょうか。もちろん、何が何でも、一字一句の変更もまかりならん、とは言いません。
 しかし少なくとも、憲法9条、平和の誓いだけは、守り続けていきたい。
 そして、今日は子供の日。
 私たちが、次代の子供たちに残せる最大で最高のものは、この平和な国、殺すなかれ、隣人を愛せよという平和の教えをそのまま体現した、平和憲法ではないでしょうか。
 世に光を。子供たちをつまずかせることのないように。
 たとえ夜であっても、自分のうちに光があれば、そして、ほんとうの光をもとめていれば、つまずくことはないでしょう。

 「小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首にかけられて、
  深い海に沈められる方がましである」 
(マタイ18:6)

 「光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。
  やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。
  光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」

                    (ヨハネ12:35,36)

                          2004.5.3. 憲法記念日- 5.5. 子供の日


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