李政美を聞いて

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sbpict15.gif (2629 バイト) 秋風のライブ

李政美 in 麻布・東江寺 〜 2005.9.18. 秋夕

 昨夜は中秋の名月とやら、きれいな満月だった。
 今日は敬老の日で祝日だったが、なぜだか久しぶりに李政美さんのライブに行きたくなって、昼過ぎにひとりでふらりと家を出た。
 コンサート情報によれば今日のライブは、広尾の東光寺というお寺であるという。親戚の法事以外、お寺に行くのも久しぶりだった。
 メトロ広尾の駅を降りる。ここは有栖川記念公園の中にある都立中央図書館に行くためによく通った駅だ。周囲に各国大使館が多く、外国人が多く歩いている国際色の豊かな街だ。駅からその有栖川公園と反対側に、かの聖心女子大学があるり、お嬢様たちがふだん通学しているエリアだが、そのキャンパスの裏手に目指すお寺はあった。こちら側には来たことがなく、都心のビル街の中に寺町とも呼べる一角があるとは知らなかった。
 散歩通と呼ばれる庶民的な感じの商店街突き当りの山門をくぐれば、目指す東江寺がある。小じんまりした境内だ。受付を入ると、小さな本堂の広間にすでに椅子が並び観客が三々五々入っている。正面は本尊とおぼしいが屏風が立て切られ、その前が舞台で楽器と音響が並ぶ。左手には掛け軸がいくつか下がり、右手には位牌が並んでいる。いわゆる「寺コン」というお寺でのコンサートで、小松などでもこうした形式を好まれている。
 やがて、開園時間をやや過ぎて、李政美さんが、ギターの矢野敏弘さんと共に登場した。きょうの政美さんは、青いロングドレスだ。

一 わたしはうたう

 風がうたう 風がわらう
 わらう風の そよぎに乗せて
 私はうたう 私はうたう


 昨今、日中はまだ残暑が残り、日向など歩くと汗をかく。昨日も運動会があり、けっこうグランドは暑かった。だが、それでも日陰に入ると涼しく、朝晩はどうかすると薄着では寒いくらいの日もある。
 本堂はまだ暑く、それを気にされた関係者の方が、コンサートの始まる前に観客に団扇を配ってくれた。私はもらわなかったけれど、その配慮はありがたい。後ろのほうに坐っていたが、小さな扇風機が回されていた。戸は開け放ち、外の風が入ってくる。
 だが、決してそうした物質的な風だけでなく、政美さんのこの歌に耳を傾けていると、いつの間にか涼やかな風が心に吹いてくるのだから、不思議だ。汗がすうっと引いて、心地よい秋風が体の内面を吹き抜けていくようだ。
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる
オカリナの風の音が、歌声に重なって、さらに涼しさを増していく。土笛の素朴な響き。ひとの歌の声も、共に息の響き、それは風の響き。
 政美さんの来ている水色の服も、澄み切った秋の青空をイメージさせて、さらに清涼感を増すではないか。そう、今日のこの歌会はさしずめ、秋風のライブ。

 歌が終わると、政美さんのごあいさつになる。お話によると、先週トヨタのフェスティバルで歌われていて、今日の後半の共演者たちもそのゆかりで国際色豊かな顔ぶれらしい。 「今日のお客さんは初めての方も多いでしょう、私の生まれた葛飾の町の歌を歌います」といって、政美さんは自身のテーマソングを歌い始められた。

二 京成線

 重くよどんだ 川の水に
 四両の短い影 映しながら
 今日も走るよ 京成線


 矢野さんのギターの響きが、荒川のせせらぎのように響く。そう、秋風にその水面をそぞろゆらゆらと揺らせる荒川のように。この歌を聴いていると、昔、私自身が勤めていた葛飾の高校と、そしてその当時住んでいた、堀切菖蒲園のアパートを思い出す。
 日曜になると、荒川の土手に出ては、草原の中でジョギングを楽しんでいたものだ。土手には、野球やサッカー、トランペットにラジコン、凧揚げにデートと、いろいろな人たちが思い思いの休日を楽しんでいた。
 そして、荒川の水面がその足元にきらきらと輝き、土手を渡る風が心地よかった。京成線も、今では四両編成は少なくなったが、むしろそのひなびた下町のローカルさが気安くしたしみやすい気がしたものだった。

 低い鉄橋の その下には
 埋もれたままの 悲しみ眠る
 エヘイヨ エヘイヨ

 先日の震災の日を思う。9月1日、八十年前の関東大震災のときに、罪無くして殺された多くの朝鮮人のことを。ちょうど今年の9月3日には、私の関わっているコリアキネマ倶楽部で、「隠された爪跡」という、この事件を扱ったドキュメンタリーを上映したばかりだったので、そのことを思い出していた。映画では、四ツ木橋あたりの河川敷を掘り返す検証が、また、当時の被害者や関係者の証言が紹介されていた。
 だが、八十年の時を経て、発掘は難しく、また、証言できる人もほとんどいなくなってしまった。そしてなお、多くの埋もれた悲しみは土手に埋まったままだ。毎年、9月の第一土曜には土手で追悼の催しがあり、政美さんも一昨年に参加されて歌っている。彼女は、そうした歴史を風化させることなく、訴えかけ続ける方だ。

 川向こうから 吹く風は
 なつかしい匂い 運んでくる
 エヘイヨ エヘイヨ

 だが、今日はそうした悲惨な歴史をも土手の底の地層に秘めながら、それでもなお、荒川を吹く風の涼しさ、心地よさが、なぜだがとても心にしみる日だった。それは、本当に久しぶりに彼女の歌を聴いたので、懐かしさが強かったからかもしれない。
 そして、この香り――先ほどからする、この芳しい香りはなんだろう。まさか、秋風の香りか? いやそうではあるまい。
 ここはお寺の本堂だ。どうも近年の新築らしく、まだ白木の香りと、そして蚊遣火の香りがないまぜになり、畳の広間とあいまって落ち着く空間になっている。白檀など、お香の香りというのはいいもので、祈りや瞑想の際には古今よく使われるようだ。
 もちろん、この歌の「なつかしい香り」で、作詞者の政美さんがもともと訴えんとしたものが、皮を使って工芸品を作る人たちへの親しみであることは知っている。でも、今日はなぜだが、お香の香り、そしてそれ以上に――
 草の香り、荒川の土手に、ジョギングで疲れてごろりと寝転がっていたあの日、抜けるような青空の元で感じた、草の香り、緑の香りがするような気がした。

 顔も知らない ハルモニ、ハラボジ
 いくつもの アリラン峠越えて
 たどり着いた この町

 京成線に 乗って帰ろう
 この町もまた ふるさと

先日行われた韓国のライブも好調だったようだ。残念ながら、私はまだ韓国での李政美のコンサートに立ち会ったことはまだないのだけど、政美さんが着実に日韓の双方でその足がかりを作り、地歩を固めていることはすばらしいと思う。
 ちょんみさん自身は在日二世であり、東京で生まれ育ったのだけど、そのルーツは韓国であり、ハルモニハラボジ、おばあさんおじいさんの、祖先の民族の血が呼ぶのだろう。でも、日本もまたふるさと。また、ここに帰ってきてくれる。
 その歌のとおりに、両国の架け橋となって生きつつある李政美さんに敬意を表し、応援のエールを送りたいと思う。いつものとおり、「アリラン、アリラン、アーラーリーよ」とアリランの一節を口ずさみながら、京成線アリランが一幕を閉じる。

 ここで、マンドリンのヤノピーこと、矢野敏弘さんの紹介となる。
 彼のギターとマンドリンを聞くのも久しぶりだ。かぶっている、モボ風のちょっとレトロな味の帽子が、めがねの丸顔に似合っていて悪くない。
 「金子みすずを知っていますか、小学校の教科書にも載っていますよ」と言いながら、大正の童謡詩人の歌が始まる。「さびの部分を一緒に、手話で歌いましょう」と、観客の皆さんに手話の手ほどきをしてくれる。やさしい旋律の歌とともに、お遊戯のように童心に返ってまねをする手話のメッセージにも、心を和ませるものがある。

三 わたしと小鳥とすずと

 わたしが両手をひろげても、
 お空はちっともとべないが、
 とべる小鳥はわたしのように、
 地面をはやくははしれない。

 またひとつのイメージが私の脳裏に浮かんでくる。
 最近通勤で使っている武蔵野線、その北朝霞の駅前のロータリーに大きな樹があって、そこに夕方になると、すずめだと思うのだが、小鳥がたくさん集まってくる。それも数羽とか数十羽ではなくて、数百羽単位で集まってくる。
 実はつい昨日の夜も、運動会の帰りに赤羽の駅を通ったところ、北口の駅前の樹にやはり同じように小鳥の大群が集まっていて、通行人たちが驚いて見上げていた。
 古い映画にヒッチコックの「鳥」というのがあった。最近では林権沢「太白山脈」の冒頭。なぜ鳥たちはこんなに大量に集まるのか。習性だろうか。森林伐採による環境変化のせいだろうか。だが、万葉集にも有名な古歌があったと思い出す。
  み吉野の象山のまの木ぬれには ここだも騒ぐ鳥の声かも
 吉野といえば霊地のひとつだが、あたかも何かの霊に吸い寄せられるかのように、いや霊たちが集まるかのように気さえして、奇妙な感覚がするものだ。とにかく、小鳥たちが集まって騒ぐ、その何百羽の嵐のようなさんざめきは迫力がある。

 わたしがからだをゆすっても、
 きれいな音はでないけど、
 あの鳴るすずはわたしのように、
 たくさんなうたは知らないよ。

 政美さんは、ひとつの楽器である。というか、人はひとつの楽器である。大気の風を胸にこめて、息の流れをふるわせて、それを魂の響き、歌にしていく。
 そして、鳥のさえずりもまた歌である。鳥たちの生きている証が、すなわちその泣き声であるように。人の生きている証も、また声であり歌である。
 心のたゆたいが、息のゆれとなり、命のときめきが、歌の響きとなる。
 生きている限り、鳥は鳴き続けて、そして、政美さんは歌い続けていくだろう。

 すずと、小鳥と、それからわたし、
 みんなちがって、みんないい。

 みんな違ってみんないい、このメッセージが何度聞いてみても、いい。
 わたしと小鳥と鈴と、その生き物の、世界の多様性、個性ということ。
 世界にたったひとつの花、それはナンバーワンでなくてもいいということ。
 「私は私なんだもん」ということ。
 高校の国語教科書(筑摩書房・国語総合)に載っている、川上弘美という作家のエッセイ「境目」。そこで作者は自己の体験を元に語る。子どものころ西洋にいて、自分ひとりがクラスで黄色人者だったので、「チャイニーズだから」みんなと違う、とずいぶんからかわれたらしい。その時、彼女が子供心に悟った言葉。
 「私はみんなと違うらしい。でも、私は私なんだもん」
 そう思ったら、ずいぶん気が楽になって爽快な気分がしたという。そうなんだね。私は私、それは人種や国籍ももちろんだけど、だれでもみんな、自分の顔かたちや性格は他人と違うのが当たり前で、それだからいい、ということ。とても大切なことだ。
 この教材を教室で扱う時、私は時々「わたしと小鳥とすずと」の歌を紹介する。

 「では、ここで日本と韓国の詩人の歌を紹介します」
 ちょんみさんの得意の二人の詩人の歌、そしてそれは同時に、私の最も好きなふたりの詩人でもあり、今またこの歌が聞けることがうれしい。

 「昨夜は中秋の名月でしたね、韓国では秋夕(チュソク)と言って、祖先をお祭りしてお団子を食べたりするんですよ。日本でもしますよね。みなさんの家ではどうですか」
 そう言えば、子どもの頃は月見団子などお供えして食べたような気がする。今ではとんとやらなくなってしまったなあ。うさぎさんが餅つきしている十五夜のお月さん、ススキをお供えして秋を迎える、そんな失われゆく伝統的な年中行事も大切にしたいものだ。
 特に韓国では、秋夕は祖先をお祭りし供養する行事である。それは日本のお彼岸もそうであって、時とところを変えて同じ風習があるということは、文化的・歴史的に、そして宗教的にもそのつながりをもっと考察され省みられてもよいことであろう。
 あるいは霊魂は、その時ほんとうに訪れるのだろうか。そんな気もする。

 「ひとつめは中原中也の詩。もうひとつは、ト・ジョンファンという韓国の詩人です。なくなった奥さんへ捧げる詩です。私が韓国の詩に初めて曲をつけた歌です。これを聴いていると、死んでいる人も生きている人も同じなんだな、という気がします」

四 湖上

 ポッカリ月が出ましたら、
 舟を浮かべて出掛けませう。
 波はヒタヒタ打つでせう。
 風も少しはあるでせう。

 昨夕は中秋の名月、煌々と白銀に凛々しく輝く満月であった。
 ちょうどこの詩のように、ポッカリと月は出ていた。ちょんみさんの歌を聴いていると、目の前の畳の間にヒタヒタと湖の岸辺の波が押し寄せてくるような気がする。
 折からまた襖や窓の間から、涼やかに秋風が強くはないが少し吹きぬけてゆき、それがさらに体と心にささやかなさざ波のさざめきをたたせるようだ。

 沖にでたらば暗いでせう。
 櫂
(かい)から滴垂(したた)る水の音は
 眤懇
(ちか)しいものに聞こえませう、
 ――あなたの言葉の社切れ間を。

 水の音までが聞こえてくるようだ。政美さんの歌のとぎれ間に。
 矢野さんのギターの音が、水となり、風となって響いてくる。
 畳の広間は、いつの間にか鏡のような水面となる。
 煌々とした満月が暗い水面に輝き、政美さんはまるで湖の精のようである。青いドレスの裳裾が、湖から浮かび上がって水の色がそのまま溶け込んでしまったような、いや、水がそのまま凝り固まって変化して水色の布になったような。
 オンディーヌ、湖の妖精よ、三たび歌で名を呼べばその姿は水に返ってしまうのだろうか、人魚姫のように。いや、韓国であればさしずめ、沈清、志の潔い孝女ででもあろうか。竜王もその志をや哀れまん。それは、秋の夜長のひと時のルナティック、満月の明かりと秋風のささやきに心乱されての幻想か。

 月は聴き耳立てるでせう。
 すこしは降りても来るでせう。
 われら接唇
(くちづけ)する時に
 月は頭上にあるでせう。

 秋夕、中秋の名月、満月のときにこの歌を聴くことを思う。
 アンデルセンの「絵のない童話」のように、月は地球の人々の様子を、世界に順にめぐり来る夜の世界の営みを、見続けているのだろう。
 吉本ばななの短編小説「ムーンライトセレナーデ」を思い出す。何年か何十年か、いや、百年かもしれない、ある年のある月にある場所に立つと、満月の川原の水面に差す時間に、なくなった恋しい人の姿が現れるという。
 私の好きな韓国映画「銀杏の木のベッド」では、百年に一度だけある皆既月食、すなわち満月の晩に、数百年前の古代に別れた姫君の幽魂が、現実の人の体に憑依して現れるのだった。時空を超えたロマンではないか。
 秋夕、お彼岸の時分に、先祖の、なき人々の霊を弔うのはなぜだろうといつも思うのだ。満月の美しさに魅せられた伝説や単なる迷信とばかり片付けられないような気もする。月と地球と、そして太陽の位置によって、その時のめぐりによって、潮の満ち干や、生き物の体内の営みが、四季の生命の巡りが支配されているということ。

 あなたはなほも、語るでせう。
 よしないことや拗言
(すねごと)や、
 洩らさず私は聴くでせう、
 ――けれど漕ぐ手はやめないで。

 これは月をめでる歌であるばかりでなく、命をいとおしむ歌であり、そして上質のラブソングでもある。ノスタルジックでありながら、ロマンチックな言葉の紡ぐ旋律。
 教科書に中原中也の詩はよくとられているのだけど、私は教室で生徒にもアルバム「オギヤディヤ」の中にあるこの曲を聞かせることがある。ある女生徒は涙ぐんで聞いていた。何か思い当たることでもあるのか、政美さんの歌が心にふれたのか。

五 あなたの墓のそばに

 初めに、李政美さんは日本語の訳詩を朗読してくれる。
 そのあと、ギターの伴奏に載せて韓国語で歌ってくれる。
 韓国語の響きも、日本語の響きも、いずれも美しい。

   あなたの墓のそばに なでしこの花供えてくれば
   あなたは雲となり あの山越えて 私についてきて

    タンシネ・ムドム・カエ ペレンイ・コッ・トゥゴ・オミョン
    タンシヌン・クルムロ シルボン・ノモ ナル・タラオゴ

 実はここのお寺に来るときに、少々道に迷ってしまった。インターネットから地図をダウンロードしてプリントアウトしてきたにもかかわらず、地図が見にくく実際の道路配置と違っていたことろもあったからだ。
 そのため、寺の裏手にある墓地のほうに迷い込んでしまった。ここは「都心の墓地」として、サイトにも宣伝が載っていたところらしい。確かに交通は便利なところだが、とても広尾の街中とは思えないほど、その墓地の一角は緑の中に静かだった。
 だが、無人ではない。三々五々、墓に花を手向ける家族連れの姿が見えた。その墓前にささげられた紫や白や黄色の菊や、たゆたう線香の火の芳しい煙。
 ああ、そうか、ちょうどお彼岸が近いんだな、そんな季節だったんだとあらためて思った。私の実家は金沢で、仕事もあり遠いことを理由に怠っているが、妻は実家が都内なのですでに世を去った義父・義母の墓によく参っているようだ。
 日本人は一般にお墓を守るという風習があり、それは仏教の檀家制度であるとともに儒教にも根ざしている。今いるお寺の本堂にも、右手に位牌が並んでいるといったが、この木札に文字の書かれた位牌というのは儒教的なものだ。
 韓国で秋夕に行われる祭祀(チェサ)というのも、儒教の祖先供養に根ざしているようだ。私は立ち会ったことはないのだが、一族が集まって祖先の墓に、あるいは祭壇の霊前にお参りして、霊を弔うらしい。この感覚は日本人に親しみやすいところだ。

  あなたの墓の前に 弔いの火を焚いてくれば
  あなたは宵闇の 星となり 私についてきて

   タンシネ・ムドム・アペ ソジ・ハンジャン・オルリゴ・オミョン
   タンシヌン・チョジョニョ ピョルル・トゥルゴ ネ・ティルル・タラオゴ


 訳詞では「弔いの火」となっているが、原語は「ソジ(焼紙)」と言い、映画などでもお見かけするが、墓前で弔いの言葉を書いた紙を燃やすという風習だ。中国では紙のお金を燃やしたりもするらしい。夕闇に紙がめらめらと明るく燃えて、風に吹かれて散り散りとなり、上昇気流に乗って空に昇っていくようすが、まるで魂の火のようだ。
 こうした祖先の霊を大切にするならわしは美風であると思う。まして、李政美さんのような在日コリアンの場合は、民族のアイディンティティ、家族の血縁共同体の一致を確認することがすなわち、祭祀に結びつくのだからなおさらだとも思われる。
 だが、そうした理屈はともかく、なくなった人を偲び、追悼し、弔うという行為自体が尊いものだ。私もなくなった人をそうして弔いたいし、いつか私も世を去ったときに、そのように時には思い出されることをうれしいと感じるだろう。
 顔も知らないおじいさんおばあさん、さらに遠い祖先ばかりではない。つい最近なくなった人たち、若くして事故や病気で先立ってしまった人たちについてはなおさらだろう。確かに生きている人のほうが大切だけど、死者も忘れ去られてはいけない。
 この詩も、作者のト・ジョンファンが、乳がんでなくなってしまった奥さんのことを偲んで作った詩集『立葵のあなた』の中にある。
 愛する人をしのび、墓に詣でては花を捧げ、弔いの火を焚いて偲ぼうとする姿勢がかいがいしい。そして、その愛の誠に応答するしるしであるかのように、天は花のような雲を生じさせ、また火のように一番星を輝かせてくれるのだ。
 今日、歌詞を耳で聴いていて、「チョヂョニョ・ピョル 宵の明星」が、なぜか「チョニョ・ピョル 乙女の星」に聞こえてしまった。母音も違うので、あくまで日本人的な空耳なのだけど、なぜか金星・ヴィーナスが乙女の瞳のように目に浮かんだ。

  あなたの墓のそばに 歌をひとつ残してくれば
  あなたは草むらの虫の音となり 戸口
(いえ)までついてきて

  あなたの墓の上に 涙一粒こぼしてくれば
  あなたは降りそそぐ雨となり 肌にしみ通ってくる

 政美さんは歌う。レクイエムの歌を歌う。
 秋の虫が鳴く。悲しんでいるかのように泣く。
 昨夜も、子どもたちと家の近くの夜道を歩いていたら、時季の遅いせみが鳴いていたっけ。あたりは鈴虫のりんりんと鳴く声でいっぱいなのだけど、そのなかでつくつくぼうしが一匹、間の外れた哀れな声で鳴いていた。
    せみが鳴いている
    今鳴いておかねばだめだというように鳴いている
    自然と涙を誘われる

 そう詠んだのは、八木重吉。小さな生き物のけなげさが伝わってくる。
 また、虫ではなくて蛙だけど、斉藤茂吉のこの歌も好きだ。
    死に近き母に添い寝のしんしんと
    遠田のかわず天に聞こゆる
 蛙は、せみは、そして秋の虫はどうしてあんなに懸命に鳴くのだろう。異性をひきつけるため? そんな合理的な理由ではなくて、何か生きている証を残したい、生命のあるうちに生命を謳歌したい、そんな気持ちが感じられるような真剣さだ。
 あるいは、虫は何かを悲しんで鳴いているのだろうか。いま生きていることが悲しいのか、そのうち死んでしまうのが悲しいのか、それともすでに死んでいった家族や友たちのことが悲しいのだろうか。蛙は、母の死を悲しんでいるのか。
 初めて愛する人が死んだときに、人が悲しんで泣いた。その嘆きの声が天に昇って、初めての歌となった。そういう伝説を伝える、ドゥイノ悲歌が好きだ。人が死んでなくなってしまうということに、耐えられない。だから、なき人の魂を鎮め、自らの心を癒すために、ひとは歌い、祈る。それが、文学の根源であり、宗教の原初ではないか。
 政美さんが鼓を叩いて歌うと、いつも雨が降るという。
 先日、なくなった貝原浩さんを悼むコンサートを開いた日も、確か雨が降っていた。貝原さんは、李政美さんのイラストをよく書いていた方だ。私はその追悼の催しにはいけなかったのだけど、そうした親友や知人のために、いつもレクイエムを歌い、鎮魂を祈ろうとする政美さんの優しさが、私はとても好きだ、というより尊敬している。
 政美さんが歌えば、涙が天の雨となる。次は、またそんな歌。

六 ひでり 

 歌詞を静かに詠んでくれて、そして歌い始める。
 歌声もいいけれど、朗読する声もしっとりとしていい。
 金敏基の名曲で、政美さんの原点となったうたのひとつだ。

  葦のはらっぱを過ぎて 山道に入り
  いくつか曲がると 目の前が開けてくる
  道端に咲く花は なんでこんなにきれいなのか
  冷たい風は 休むことも知らないのか


 「キル・ソペ・ピイン・コッ、オッチ・イリド・コウニャ」
 〜道端に咲く花は、どうしてこんなにも美しいのか〜
 韓国語の美しさが、耳の底まで、心の奥まで伝わってくるような歌だ。はじめて聞いたときに、歌詞の意味がまるでわからないのに、泣けてきてしかたのなかった歌だ。歌詞がわかって聞いてみると、それはまたさらに美麗だ。
 ひとつひとつの光景が、山の中に続いていく曲がり道や、広い野原や、道端の花の光景が目に浮かんでくるかのようだ。咲いている花はなんだろうか。萩の花か、野菊か、あるいは桔梗、トラジの紫の花だろうか。
 なぜ美しいのか。聞いても答えは返ってこない。当たり前だけど、でも不思議だ。
    薔薇の木に薔薇の花咲く
     なにごとの不思議なけれど
 そう北原白秋は詠んだ。そして、金子みすずはこう疑問を投げかける。
   私は不思議でたまらない
    つぼみがぱらりと開くこと
 なんでもない山の、ありふれた山道、そこになぜ、こんなにも美しい花が咲いているのか、そうした自然の神秘への、それを咲かせるものへの不思議な畏敬の気持ち。考えてみれば、なぜ我々もこうして生かされてここにいるのだろう。
 ひやりとした「チャン・パラム 冷たい風」が空中に吹いてくる。
 秋風だ。歌の中の山道の秋の花も、風にゆられている。今いるこの広間にも、秋の気配はしのびよってくる。心にも秋風。孤独に行くひとりの道。それは人生の道行き。

  エヘイヤ オルラリア オルラリナンダ エヘイヤ
  からっぽの背負いこを背に 枯葉をくわえて私は行く

 政美さんの長鼓が高鳴り、青いドレスがひらめく。
 鼓の音が緊迫した空気を切って、掛け声が朗々と秋空に染みとおっていく。

  このひでり いつになったら終わるんだ
  一雨ザッと こないものか
  太陽よ、無情なやつ 陰ることをしらないのか
  一歩一歩 無心な歩みよ
  かなしすぎて、なんだか楽しくなってきた

 ここを、政美さんは今日は「悲しくて悲しくて」と言ったような気がした。
 ソルメ・キョウォ、フンギョッタ。
 悲しさが極まって 楽しくなった。
 というのが、原語だ。ここの歌詞が、とても好きだ。
 悲しさも、究めれば、楽しさに通じる、ということ。
 それは、やけっぱち? ひらきなおり? あきらめ?
 いや、それはひとつのカタルシス。悲しいときに、人は泣く、そして歌う。でも、泣くだけ泣いたら、すっきりして笑ってしまう、子どものように。浄瑠璃や悲劇や悲しい映画をなぜ人はわざわざ見て泣くのだろう。人の不幸にまで同情して泣くのだろう。でも、泣く人は、いつか慰めらめる。泣く人は、やがて笑う。泣くって、そういうこと。
 お葬式のときに、そして、ご法事のときに、よく集まって会食をすることがある。お通夜の席や、告別式のあとの焼き場の席や、あるいは一周忌とか三回忌とか、そんなときによく親戚や知人がともに酒肴の膳を囲んで、歓談することがある。この風習に私は長い間、なじめなかった。いや、今でもあまりなじんではいない。
 なんだか、悲しい席で笑顔で楽しげにお話をしていることに違和感があった。だから、お通夜の席などでも、私はいつもお焼香だけして逃げるように帰ってしまうことが多い。親族の方とお話するのがつらい。でも、それはかえって失礼な、つれないことなんだと、この年になってようやく思ったりもする。
 「ああ、あいつは、やさしくていいやつだったねえ」
 「でも、そそっかしくてよく失敗もしてね」
 「そうそう、だから事故っちゃったんだよね」
 一杯飲みながら、そんな笑い話、思い出話でもしてやることが、供養だってこと。
 悲しくて、悲しくて、悲しすぎる、でも笑ってしまう。
 小林秀雄が『無常ということ』で言っている言葉が好きだ。
 「思い出になれば美しいとみんな言うが、それは思い出を美化するのではない。
  思い出のほうで、ぼくらに余計な物思いをさせないだけなのだ」
 「生きている者は、人間になりつつある何かだけど、
  死んだ人は、人間の形をしているよ」

七 アリラン・メドレー

 長鼓がよく鳴り始めたところで、いよいよ朝鮮の民謡アリランとなる。
 まず、今日の政美さんは、「パンソリのチュインセ、掛け声の練習をしましょう」と、合いの手をみんなに教えてくれる。金子みすずの詩の手話もそうだけど、こうして観客と一体になっていこうという姿勢が、また好ましい。
 「よく出てくるのは、三つです。覚えて、使ってくださいね」
 その三つとは、「ちょった」「おるしぐ」「ちゃーらんだ」。どれも、「よし」「いいぞ」くらいの意味だろう。この掛け声を聞いていると、映画『風の丘を越えて』や『春香伝』のパンソリの情景が、その歌い手の歌と、鼓手の合いの手がよみがえってくる。
 「パンソリとは、パン、広場で歌われた、ソリ、歌なんです」
 そのとおり、今、この時のこの場、パンに集った人々が、心を合わせてソリ、声をかけるときに、パンソリはその真の意味で実現する。歌手と伴奏と観客と、三つが一体になった時に、そこに心の交流のひと時が生まれる。

 まず、「珍道(チンド)アリラン」
 「京成線」の最後に一節歌われる「アリラン」に比べて、少し田舎っぽい響きが野趣のある、パンソリの本場、全羅道の南の珍島地方に伝わるアリラン。
 日本で「珍道物語」という歌も流行したっけ。「海が割れるのよ。」一度、その「海割れ」現象を見に、ひとりでぶらりと旅に行った思い出も懐かしい。

  アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ。
  アリラン、ンンン、アラリガナンネ。

  聞慶鳥峠
(むんぎょんせじぇ)は、なんたる峠か。
  くねるよ、くねくね、涙が出るよ。

  遊びながら行こう、遊びながら行こう。
  あの月がのぼって沈むまで、遊びながら行こう。


 後ろのほうの席で、他の観客に隠れて小さな声で「ちょった」「ちゃらんだ」とつぶやいていたが、たぶん前のほうまでは聞こえなかっただろう。からきし意気地がない。
 でも、この歌はのんびりしてて陽気でいい。人生の険しい峠道、つらくて涙が出てくるよ。でも、満月を見ながら、遊びながら楽しく行こう。ケセラセラ。なるようになるさ。空でお月さんも笑っているよ。
 韓国や沖縄の人は、よくみんなで踊って遊んだりする。歴史的には日本やヤマトのせいで苦難がとても多かったのに、悲しいときでも楽しく踊って、それで元気が出る。励まされる。明日に向っていく。すばらしいことだと思う。
 「悲しくて悲しくて、楽しくなってきた」と歌った「ひでり」の旅人のように、『風の丘を越えて』の旅芸人たちのように、歌いながら踊りながら歩いて行こう。
 続いてのアリランは「密陽(ミリャン)アリラン」

  私を見て 私を見て
  真冬の花を見るように私を見て

  嶺南楼
(ヨンナムル)の名勝を訪ねてみれば
  阿娘
(アラン)の哀しい物語が伝えられている

  アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
  アリラン コゲロ ナルノムギョジュソ


 悲しいお話、悲恋の伝説のアリランだけど、曲調は伸びやかで明るい。
 政美さんにもっとも合ったアリランだと思う。
 情熱の歌、恋の歌、ロマンスの歌、でも、やっぱり悲しい歌。
 政美さんの顔を遠くからそっとうかがう。なんだか、肌が白くなって、前よりスマートになったような気がする。長身は元からだけど、ほっそりと華奢な感じ。相変わらず歌も上手だけど、さらに垢抜けしてきれいになったなと感じた。
 久しぶりに聞きに来て、なんとなく照れくさいような気がして、やっぱり観客席の後ろのほうで陰に隠れるようにしていた。そして、「アリアリラン」と繰り返しては、時々「ちょった…」と小さく叫んでいるばかりだった。

  どうして私は来たのだろう
  泣いて帰る道をどうして私は来たのだろう

  アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
  アリラン コゲロ ナルノムギョジュソ


 政美さんの歌を始めて聞いたのは、いつだっけ。そうそう、阪神大震災の頃だった。震災のチャリティコンサートですっかりその「いのり」に魅了されて、映画友達の一松亭さんといっしょに東大島のライブを聞きに行って初めてお話ししたなあ。
 それから、あちこち聞きに出かけたコンサートのことも、懐かしく思い出される。私はそのたびにまずい感想文を書いていたけど、考えてみるとよい歌を聞かせてもらっているのに、こちらからはかえっていろいろご迷惑をかけてばかりだった。
 ここのところしばらく聞きに来れなくて、どうしているか心配だった。でも、今ここでまた久しぶりに聞いて、元気に活躍している姿を見て、ほんとうにうれしかった。どうかいつまでも、日本で韓国で、がんばってほしいと心からお祈りする。

  チョンドゥニミ・オショヌンデ、インサルル・モッテ、
  ヘンジュチマ・イベ・ムルコ、イムマン・パングッ。

第二部 マイノリティのミュージシャンたち

 この日の催し、後半は李政美さんの歌に代わって、ほかの国のマイノリティのアーティストたちの楽器演奏を聞くというものだった。簡単にだけ紹介しておきたい。以下は、司会の方の案内を短くまとめたものだ。

 まず、クリー族の少年テオドール・ワスカハッのインディアン・フルート。
 彼は、カナダに在住する「ファーストネーション」。
 14歳の時から独学で民俗楽器の横笛を学び、今18歳。トヨタのストーリテリングの催しに3日参加したという。それが縁でこの場にも来ることになった。
 彼は、周りの雰囲気に自分の音楽の感性を合わせるのが得意だと言う。トヨタの3日間でも、初めはカナダの大草原を思わせる笛を吹いていたのだが、そのうち、大草原から森へ、うっそうとした森林へと、日本の雰囲気を感応しながら曲調を変えてきたという。
 耳を済まして、自分の心に感じるものを、そして、天からくるものを受け止めてほしいとのことだった。

 笛の演奏が始まったが、なるほど、草原や森の響きがするようだから不思議だ。
 笛といっても、西洋的な金管のフルートとはさすがに音色が違い、日本の竜笛よりもさらに柔らかく、尺八とか韓国のテグとかを思わせる、へんぽんたる響きがする。
 いや、それよりも澄んだ軽やかな音色は、パンフルートだろうか。草笛の香りといったものに近いかもしれない。リードのオーボエとは違う、より牧歌的な感じだ。
 自由な感覚のアドリブではないかと思われる曲をいくつか吹いてくれる。
 秋風が、ここでも息となって、笛を通じて吹いてくるかのようだ。

 続いて「グラスダンス」を披露してくれた。これは「草の踊り」という意味だ。
 太鼓を持ってきて、それを叩きながら歌ってくれる。太鼓は、大鹿の皮を張ったもので、おじさんが作ってくれたという。タンバリンのような形で、音も高く軽やかだ。
 この太鼓と歌の囃子に合わせて、みなが輪になって草原で踊るのだという。素朴な発声と単純なリズムの、だからこそ踊りやすく乗りやすい歌だ。
 ここでも草原の風の薫りを感じる。この歌で、この太鼓で、カナダの草原でファーストネーションの人々が集って踊っているさまは、さぞ野趣に富んだものだろう。

 次に、テンバさん。南アフリカのブッシュマンだという。
 彼は民俗音楽のアーティストだが、鳥の声を再現する名手だという。何十種類もの鳥の声ができるらしい。
 これはもともと遠くの人に伝達するための発声だという。日本にも形態模写の芸は昔からあって寄席などでも聞いたことがあるが、のろしや伝令のように情報を伝えるための発声というのが面白く思われた。
 鳥の鳴くのも、もともとは求愛とか威嚇とか敵襲とか給餌とか、そうした実用的な情報なのだろう。もちろん、先に述べたように感情の表出もあるのだろうが、そうした実用と情緒の両面あるのが興味深く思われた。
 そして、二本並べた縦長の太鼓が舞台に登場する。この太鼓を叩きながら、先ほどの鳥の声を出す。鳥と太鼓のハーモニーというわけだ。
 また、赤羽や朝霞の駅前の木のような鳥のねぐらの森を思い出す。アフリカの草原に立つ大樹、そこに集う大陸の空を埋め尽くす無数の鳥たち。それに和して太鼓を叩く人間、歌い踊る、生命どうしのハーモニー。これもまた絵になる。

 三人目は、日本のアーティストで野中さん。
 なかなかみなさん、多士済々という感じ。
 政美さんのコンサートにいっていつも感じるのは、共に演じる同志たちに魅力的な人たちが多いということ。だれとでも競演するというわけではないのだが、その顔ぶれが多彩であり、かついつも魅力を持つ人が多いのは、政美さん自身のお人柄とも思う。
 かつて政美さんのコンサートの追っかけをしていたころ、行く先々で面白い人、楽しいと、奥深い人、魅力ある人とお近づきになれたことがうれしかった。
 野中さんは、インディアンハープの名手という。
 アイヌの楽器にもっくりというのがあって、木と糸を組み合わせた楽器を口にはさんで、ぶいんぶいんと鳴らすのがあるが、あれを大きくした感じ。
 前衛音楽でも使えそうな、何か特異な奇妙な印象の音がする、興味深い楽器だ。何かの幻想に浸っているうちに、いつか心地よい秋風にうとうと。
 これはからかっているのではなく、寝られるほどよい曲だったということ。

 最後に、お待ちかね。李政美さんと、三人のエスニックな伴奏者。
 四人そろって、ジャムセッション
 韓国風に言えば、「さむるのり」すなわち「四物遊び」というやつですな。

 ジャズと同じで、思い思いの即興で合わせて。
 横笛、太鼓、ハープの掛け合い。
 そこに、李政美さんの声が重なる。
 声? そう、声だ。
 「あなたの墓のそばで」の中間部で歌われるスキャットのように、政美さんの声が「アー、あー、うー、おー」という感じの母音の伸ばされる、いんすとぅるメンタルとよく合うコーラスの形で重なっていくのが、実に絶妙なハーモニーだ。
 こういうときに、政美さんはちゃんとみんなの楽器の音を聞きながら、でしゃばらないにように、しかし引き過ぎないように、なんとも自然に巧みにポリフォニックな音の饗宴に参加していくすべを心得ている。天性の音感と経験の賜物だろう。
 そのセッションが、五分、十分、二十分と続いていく。
 目を閉じて聞きほれているうちに、いつの間にか夢の幻想へと引き込まれていく。

 秋祭りの人々のざわめきのように。
 あるいは、吹き渡る秋風のような声。
 ここはどこ? アフリカ? それともカナダ?
 だが、不思議なことに、この感覚はアフリカでもカナダでもなかった。楽器を奏でるふたりのふるさとではなく、どこか別の場所に感じられたのだ。
 もしかして、モンゴル? そうだ、モンゴルだ。
 ふと目を開けて見れば、姫は色白く。
 北東アジアのシャーマンにも似て。
 勾玉を首に巻きつけた、あなたは卑弥呼だろうか。
 まるで大地の精霊を呼び起こすように。
 あたかも大地の女神のように。
 吹き渡る秋風。
 揺れる秋の黄金の稲穂。
 そうだ、ここはモンゴルではない。
 朝鮮半島だ。朝鮮の旅の道だ。
 ああ、稲穂が見える。秋風にゆらぎ、黄金色に輝く一面の稲穂が。
 その中を行くのは旅芸人たち。
 どこかで見た、そうだ、間違いない。
 「風の丘を越えて」の旅芸人の親子。
 先頭を行く娘は、パンソリの名手、松花(そんふぁ)。
 風に吹かれるその横顔は、あっ、李政美だ……

 長いセッションが終わった。好評の拍手が鳴り止まない。
 やがて拍手に応えて、フィナーレの催しとなる。

 クリー族の「グラスダンス」
 大草原で輪になって、みんなで踊るダンスである。これを、クリー族少年の太鼓と歌に合わせて、この会場の観客全員でやってみようというのである。
 「踊るあほうに見るあほう。同じあほうなら踊らにゃソンですよ〜」
 司会の音頭とりで、みんなが席を立ち、畳の大広間でそれぞれ手をつないで輪になる。だが、一重では足りない。真ん中に小さい輪、外側に大きい輪と、二重の輪ができた。
 いい年をして手つなぎで輪になるのはなんだか恥ずかしい気もしるが、見ればおじさんもおばさんも子どもも年よりも男も女もみんな輪になっている。
 ええい、ままよ、入ってみるか、とおじさんとおじさんの間に割り込む。
 手をつないでみると、なんだか懐かしい感じがする。そうそう、昔、子どものころによく学校でフォークダンスやったっけ。最近の子どもはあんまりやらないみたいだけど、昔はキャンプファイヤーとかフォークダンスって定番だったな。
 こんなふうに輪になって踊るのがあったっけ。あれ、何て言ったっけ?
 確か、マイムダンスだったかな。
 マイ、マイ、マイ、マイ、マイム、エッセッセ……
 太鼓と歌に合わせて、ぐるぐると輪は横に回っていく。中の輪と外の輪の円周と周期が違うので、お互いにずれていき顔をあわせる人も違うのが面白い。李政美さんはどこにいるかなと見ると、私の入っている外の輪のちょうどお向かいくらいだった。
 最初は面映かったけど、踊っているうちになんだか楽しくなってくる。
 やっぱり、踊りっていうのは、いいものだね。
 体を動かして、声を出して、お互いの顔を見て、親しみが増して。
 何よりこの、輪になって、というのがいい。
 友達の輪。友達の友達は、また友達。こんなふうに友達の輪がどんどん大きくなって広がっていけば、民族だの国籍だのそんな差別や偏見はなくなって、敵意や憎しみも去って、平和の輪ができるんだろうけどなあ。

 でも、このダンスは、マイムダンスとはちがう。
 それでいて、なにか懐かしい気がする。どこかでいつか見たような……
 満月の夜。秋風に吹かれて踊る。みんなが輪になって。
 そうだ、ここは朝鮮の野原であった。みんなは村人たち。そしてこの踊りは……
 カンガンスウォレ。
 秋夕のころによく踊られていた踊り。それぞれ、色とりどりのチマチョゴリ、民族衣装を着飾って、中秋の名月の元で輪になって踊る、あの伝統の民俗の華やかな踊り。
 村々から満月の晩に、人々が夢の中のように集って踊るさまを小泉八雲が賛嘆した、あの日本の盆踊りのように、祖先の魂を呼び、そして慰める夢幻的な踊り。
 歌姫・李政美と、人々のカンガンスウォレの夕べ。
 ちょった。ちゃーらんだ。おるしぐっ。

 野原がうたう 野原が踊る
 踊る野原の中に立ち
 私はうたう 私はうたう……

  〜 2005.9.23. 秋分の日に

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