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教会の歌姫 第2部 |
李政美 北本教会ライブ 〜 2003.11.8.
(第1部より続き)
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休憩時間 ふるさとの教会と歌
「はじめまして」「ようこそ」
「こちらの教会は、いつも何人くらいおいでなんですか」
「そうですね、日曜の礼拝で、2、30人くらいでしょうか」
「そうですか。地方の教会は、だいたいそのくらいですよね」
中休みに、牧師さんに挨拶した。温厚そうな笑顔の方だった。
この北本教会は、日本基督教団に属している。私が子供の頃に通っていた幼稚園を併設していた教会は、石川県の小松教会で、同じ教団に属していた。「ぞうさん先生」と呼んで親しんでいた園長先生は牧師を兼ねていた。
あるいは、ちょんみさんの娘さんもこうした教会の保育園に通っていたのだろうか。
子供の頃に親しんだ幼稚園の先生は、なかなか忘れがたい。私は洗礼を受ける前に里帰りした時、昔通った幼稚園に行ってみた。ぞうさん園長は世を去っていらしたが、牧師夫人は九十歳を超えるご高齢でご健在だった。私の決心をことのほか喜んでくれた。
園児のころは、やんちゃ坊主で、よく園長夫人にも叱られたものだ。子供心にちょっと怖いような気がしていたが、それは今思えば畏敬というような感情だったろう。とても優しく人情味があり、それでいて、きちんと信仰に筋の通った方だった。
「今、どちらかの教会においでですか」
「ええ、東京のほうの教会に。こちらも、のんびりしていていいですね」
「また、おいでください。お待ちしています」
「機会があればまた、お会いしましょう」
私が今通っているのは、バプテスト連盟の、常盤台教会だ。二百名規模の大きな教会だが、アトホームで居心地の良いところだ。日本基督教団と同じプロテスタント系のオーソドックスな教派になる。
カトリックの神秘的な祭儀や芸術性にひかれたこともあるのだが、プロテスタントのわかりやすい説教や聖書中心の実直な信仰もよい。故郷の幼稚園を訪れてみて、子供のころにふれた教えの影響はやはり大きかったのだなと思った。
それから、賛美歌のわかりやすさもあげておきたい。会衆がともに歌うことのできる、易しい旋律のコラールの数々は、近代日本の小学唱歌の基本にもなっていて、親しみやすいものだ。歌の力は、やはり大きいと思う。
最近、つたないながら四十の手習いで、ピアノを練習している。誰に聞かせるというわけでもなく、仕事に疲れた日など、ひとり夜中にサイレントピアノで、讃美歌を弾いている。自然に心が癒され、慰められていく。
「ところで個人的に、このような企画をしているのですが……」
「ほう、映画ですか」
「ええ、月に1回、韓国関連の映画をしています。キリスト教に関係したものもありますし、パンフレットでもふれています。おひまでしたらどうぞ」
ずうずうしいと思いながら、コリアキネマ倶楽部の会報を一部、お渡ししてきた。いろいろなところで、知り合い交流する機会を作っておきたかったから。
実はこの日の夕刻、私は11月の定例上映会に出かける予定で、16ミリフィルムと会報の束もすでに駅前のコインロッカーに預けてきたのだ。やや慌しかったが、どうしても今日のライブは聞いておきたかった。
韓国に興味をひかれたのは、キリスト教とは別の関心からだった。だが映画が好きでたくさん見ているうちに、イ・ヂャンホやペ・チャンホといったクリスチャン監督の作品に接して、大きな影響を受けた。そして、映画の中の歌にも。
『暗闇の子たち』の「慈しみ深き友なるイエスよ」、『低きところに臨みたまえ』の「早く帰れ」などは、そのキリスト教的ヒューマニズムのストーリーともあいまって、感涙したものだ。思えばこれも、導きであったろう。
韓国はクリスチャンが多く、3割もいる。教会も多くて、都会はもちろん、どんな山奥や田舎にいってもどこかに紅い十字架が立っている。韓国はその風土といい信仰といい、訪れるたびに私にとってもうひとつのふるさとのような気がするところだ。
さて、牧師さんや、見かけたなじみの常連の方らと話をしているうちに、ひとときの楽しい交わりの休憩時間も過ぎ、聖堂の会衆席にも聴衆が戻ってきて、教会ライブの後半が始まろうとしている。
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パートU 朝露の降りる墓
「私のふるさとの歌です」。そう言って、ちょんみさんは歌い始めた。
1 京成線(作詞/作曲:李政美)
重くよどんだ 川の水に
四両の短い影 映しながら
今日も走るよ 京成線
この歌は何度聞いてもなつかしい。私も、ちょんみさんと同じ葛飾の学校に勤めていたことがあるから。ちょんみさんは定時制、私は全日制で、勤務していたときはお互いに知らなかったが、廊下ですれ違ったこともあるはずだ。
私は同じ職場で知り合った教員と結婚し、しばらくの間、京成線の堀切菖蒲園のアパートに住んでいたことがある。すぐ近くに荒川が流れていて、休日には土手をランニングしていたものだ。鉄橋を赤い4両編成の各駅停車の電車がごとごと通って行った。
今、住んでいる板橋の家からも、少し走ると荒川の浮間舟渡の土手に出る。今日、この教会にくる時も、赤羽駅から電車で荒川を渡ってきた。東と北と、住んでいる所は違えど、同じ川のそばを流れる、それぞれの人々の親しむふるさとがある。
低い鉄橋の その下には
埋もれたままの 悲しみ眠る
エヘイヨ エヘイヨ
だが、その鉄橋の下の荒川土手には、関東大震災の犠牲者が今も眠っている。さりげなくのどかな川辺の風景を歌っているようなこの歌だが、「埋もれたままの悲しみ」という歌詞に込められた万感の思いは、重く深い。
この九月にも震災八十周年の慰霊祭が行なわれ、李政美さんも鎮魂のために「鳳仙花」などの歌を歌われた。民族が違うというだけで、暴動の疑いをかけられて、多くの朝鮮人たちが虐殺されて犠牲となった。女も子供もいた。
コリアキネマ倶楽部でこのライブの日に上映した「てんびんの詩」では、戦前に差別され迫害されていた在日コリアンが登場する。同時に、神の前における民族の平等も訴えられている。牧師がキリストの博愛を説き、コリアンをかばうシーンがあった。これはその後、12月に上映した「想い出のアン」でも同様だった。
善を行うすべての人には、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、
光栄とほまれと平安とが与えられる。なぜなら、
神には、かたより見ることがないからである。 (ローマ2:10-11)
朝鮮人の犠牲者たちの鎮魂をあらためてお祈りしたい。
主が彼らの魂に平安を与えられますように。
このような悲しい犠牲が、2度と出ることのありませんように。
顔も知らない ハルモニ、ハラボジ
いくつものアリラン峠越えて たどり着いたこの町
ちょんみさんのハルモニ、ハラボジは、朝鮮の済州島の人だった。そして両親の時代に日本に渡ってきた。日本でコリアンは、今まで正当に扱ってこられなかった。だが、そんな日本でも、生まれ育ったちょんみさんにとっては捨てがたい故郷だろう。
一方で、朝鮮語の歌を歌い、韓国にも渡り、韓国でもコンサートを開き、韓国の人々に熱く受け入れられているちょんみさん。両親の故郷、自分の血筋のルーツである韓国にも、並々ならぬ愛情があるだろう。
ふたつの故郷。
だが、人はだれしも、心の中にいくつかの故郷を持っているのかもしれない。
私自身は、国籍は日本人だ。だが、昔から、韓国の歌や風景を見て、なぜか言い知れぬ懐かしさを感じてしまう。近い先祖ではなくても、昔の渡来人の血がどこかに流れているのだろうか。十数度も韓国に旅し、また韓国のことばを学び、映画や歌などに接しているうちに、ますます韓国に愛着がわいてきた。
そして、キリスト教。日本のお寺や神社も好きだが、教会も愛している。イエスの教えは、先祖の仏教や神道より以上に今の私には親しい。
日本では教会の数が少なく信者も1%と少ないので、私は少数民族になったように肩身が狭く心細い。だが、韓国に渡ると、どこでも教会があり、たくさんの信者がいて、みなさん心安くしてくれる。初めて訪れた木浦や釜山の教会のあたたかさには感激した。
クリスチャンとしては、韓国は第1の故郷のようでさえある。
神の国は、見られる形で来ない。
「ここにある」「あそこにある」とも言えない。
神の国は、実にあなたがたの間にある。 (ルカ17:20-21)
京成線に乗って帰ろう
この町もまたふるさと
アリラン、アリラン、アラリヨー ……
歌い終えると、また、ちょんみさんの語りが始まる。
高校で朝鮮語を教えてきたということ。
南葛飾高校では、必修科目に朝鮮語があるという都立では珍しい学校だ。そこを卒業してから、ちょんみさんは朝鮮語の講師として20年も勤めてきた。
今年、その教え子が外語大の朝鮮語学科を卒業して、バトンタッチすることになった。最後の授業ライブに私も行ってきたが、ちょんみさんのご苦労がしのばれた。
教員というのはある面、人に自分をさらけ出さなくてはならない仕事だ。
特に朝鮮語に対しては、日本ではまだまっすぐに受け入れてはもらえない状況がある。生徒の中にも学習意欲のない者があり、授業に苦心する。さらに、ある時は首をしめられたり、階段から落とされそうになったりと、身体的危害を加えられる場合もあった。
ここまで語ると、ギターで伴奏をしていた矢野さんに声をかけた。
「そのBGM、ちょっと暗いんじゃない」「そうかなあ」
「私たち、やっぱり気が合わないのかな」
会場で笑いが起こる。気が合わないなんてことはない。暗くなりそうな語りで、会場の雰囲気を明るくしようという、ちょんみさんの気配りだと見受けられた。
少し和んだ聴衆の前で、ちょんみさんは語り続ける。
朝鮮語は母国語だが、母語ではないので、自ら学び直した。
学ぶうちに、朝鮮語とはこんなに美しい言葉だったのかと思った、という。
日本語は生まれつき覚えたから、物を考える時など、第1の言語である。だが、あとから学んだ朝鮮語も、親しい。歌を歌っている時には、順位が逆転することもある。
朝鮮語は美しい。でも、やはり日本語も美しい。
そんな、言葉の美しさを感じさせる、ふたりの詩人の歌を歌おう。
ひとりは、中原中也の「湖上」。
そしてもうひとり、韓国の詩人ト・ジョンファンの「あなたの墓のそばで」
どうぞ、言葉を味わって聞いてください−−。
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2 湖上 (作詞:中原中也/作曲:李政美)
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮かべて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう。
風も少しはあるでせう。
月のようなオレンジのオカリナを口にして、水を渡る風のような息を吹き込むと、湖の精の歌のような音が響く。寄せては返す波のようなギターがさざめく。
いつもこの歌を聴いていると、ひたひたとちょんみさんの回りの舞台から水があふれてきて、会場の聴衆の足元をひたしてくるかのような気がする。
だが、いつもは私のイメージに浮かぶのは、慶州の普門湖なのだが、今日は違った。
ガリラヤの湖。
イエスの故郷、ナザレ。そこはイスラエルの苛酷な砂漠と違い、温暖な気候であったという。ユダヤ的な峻険な裁きの教えに対して、イエスの温和な赦しの教えは、その故郷の風土に影響されているという見方もある。
その近くのガリラヤの湖。魚が多くとれる、豊かな湖であるという。
沖にでたらば暗いでせう。
櫂からしたたる水の音は
ちかしいものに聞こえませう、
あなたの言葉の社切れ間を。
イエスの弟子は、ガリラヤの漁師だった。湖の岸辺で網を繕っていた彼らに声をかけると、すぐに舟と父を置いて従ってきたという。彼等を即座に決意させたのは、イエスの温顔と、そしてこの言葉だった。
「あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)
フィリピンのカトリック教会に行くと、イエスは網を持った漁師のような姿で現れされて、漁業の神様であったりもするという。こうした土地ごとの生活と結びついた素朴な信仰を微笑ましいと私は思う。たが、単に大漁のご利益だけなら、キリストの教えはそんなに深くは広まらなかっただろう。
魚をとることも大事だが、人をとることはもっと重要だ。人はパンのみにて生きるのではないから。飽食の時代に食べ物には飽き足りていても、心が救われなくて三万の人が自殺する日本。物質も大切だが、精神はそれ以上に人を生かすものだ。人の心を救う仕事は、食べ物を与える仕事にもまして、貴重な任務だと思う。
あなたはなほも、語るでせう。
よしないことやすね事や、
洩らさず私は聴くでせう、
けれど漕ぐ手はやめないで。
このガリラヤの湖で、弟子たちはつまずいたこともある。
ある日、湖上に舟を出していると、嵐が起こり強風が吹き波は逆巻き、舟は木の葉と揺られて沈みそうになった。弟子たちは狼狽し怖じ惑う。
頼りのイエスはと見ると、なんと寝ているではないか。
あわててゆり起こして、窮状を訴え嘆き、よしない恨み事を語る弟子たちの言葉を、イエスは残らず聴いていた。それから立ち上がって風と波を叱ると、とたんに風はやみ、湖は鏡のように静まった。驚く弟子たちに向って、イエスはこのように諭された。
「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」(ルカ8:25)
突然の出来事に、当惑することは今日の我々にもある。危険は、嵐の吹き荒れる湖の上や、戦場に飛び交う弾の下ばかりにあるのではない。平和と見える今の我々も、いつなんどき、不慮の事故にあったり、不治の病気にかかったりしないとは言えない。そんな時、平常の心を失って、取り乱してしまう私たちを、イエスは諭される。
信仰を持ち続けなさい。心を乱していけません。信じて祈りなさい、と。
主は聞かれる。訴える人々の願いを。
主はいます。信じる我々の心の中に
鄭芝容「ガリラヤの海」を、ここに掲げておく。
わたしの胸は 小さな「ガリラヤの海」
時定めず揺れ動く波は 美しい風景を成すことができない。
かつて弟子たちは 眠っておられる主を起こした。
主をただ起こすことで かれらの信仰は恵まれる。
帆はまた広げられ、 舵は方向を定めた。
今日もわたしの小さな「ガリラヤ」で 主はわざと眠っておられる──。
風と波が静まった後 初めて わたしの嘆息の意味を悟ったのだ。
日本の詩人中原中也に続けて、い・ぢょんみさんは韓国の詩人ト・ジョンファンの詩を紹介された。
(※なお、この原稿を書いている今、初雪の日に、ト・ジョンファンの別の詩に新しく曲をつけられたと聴いた。)
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3 あなたの墓のそばに (詩:ト・ジョンファン/訳詞作曲:李政美)
あなたの墓のそばに なでしこの花供えてくれば
あなたは雲となり あの山越えて 私についてきて
この詩は、ト・ジョンファンが、業病でなくなった奥さんの鎮魂のために造った曲だという。詩集「立葵のあなた」に収められ、同名の映画にもなっている。
だが今日はやはり、この歌にキリストの面影を重ねてしまった。
イエスは、十字架につけられた後、墓に埋葬された。
女たちは、十字架から取り下ろされた体に、没薬を塗り包帯でまいて、墓穴に収めた。イエスの誕生日に幼子のもとを訪れたとされる東方の三博士のクリスマスプレゼントは、黄金、乳香、そして没薬だった。この薬は、死者に塗るものとされる。イエスは、生まれたときから人々のために死ぬことが預言されていた。
イエスが処刑された時、弟子たちはみな、腹心の使徒ペテロさえも類の及ぶのを恐れて逃げ出したというのに、女たちはその体を丁重に埋葬したのだ。薬も塗り、香もたき、おそらく、花も捧げたろう。イエスを慕い、その死を悼む心からゆえであろう。
新約聖書というのは、ひとつのレクイエムであると、私は思っている。罪なくして、みなのために尽くし、それなのに、無残にも殺されてしまった、ひとりの青年に対する、人々の同情と悔悟、その気持ちが聖書を書かせたのではあるまいか。
あなたの墓の前に 弔いの火を焚いてくれば
あなたは宵闇の 星となり 私についてきて
だが、イエスはなくなってはいなかった。
ダビデの星として、よみがえったのだから。
夜が明けて、女たちが墓を訪れた時に、奇跡が起こったのだ。
墓をふさいでいた大きな石は転がされ、中は空で、そこに白い衣を着た天使が立っていた。意外なことに驚き、うちふるえている女たちに、天使はこう言った。
「恐れるな。あなた方は十字架にかかったイエスを捜しているが、
もうここにはおられない。よみがえられたのである」(マタイ28:5,6)
アイヤー アイヤーアー アイヤー ……
ハレルヤ ハレルーヤー ハレルヤ ……
ちょんみさんのスキャットが、今日はイエスの復活を賛美する歌に聞こえる。
歌おう。ほめたたよう。永遠の命をよろこぶ歌を、高らかに歌おう。
あなたの墓のそばに 歌をひとつ残してくれば
あなたは草むらの虫の音となり 家までついてきて
復活を、荒唐無稽だとする人もいよう。私も、昔は信じられなかった。
なくなった人が復活したって? では、今、どこにいるのだろう?
イエスは四十日間、弟子とともにあり、それから昇天されたという。復活のイエスに出会った人々の中で、私の好きな話のひとつが、エマオの弟子たちのエピソードだ。
エマオへと旅をしていた弟子たちが、イエスがよみがえったという噂について話している。するとその道中で、ある男と出会う。その男は弟子たちについてきて、聖書の話をしてくれた。共に聖書の教えについて語り合っているうちに、弟子たちの心が燃え上がるように励まされていく。しばらく話してから、男は姿を消してしまう。そこで初めて、弟子たちはその男が、イエスだったと知るのである。そこで、彼らは互いに言った。
「道々お話しになった時、また聖書を説き明してくださった時、
お互いの心が内に燃えたではないか」。(ルカ24:32)
なべて、イエスの復活とは、このようであるのだと私は思う。
イエスを思う時、聖書の教えについて語る時、イエスは今も私たちの心の中に生きているのだ。そして、私たちの心を燃え立たせ、奮い立たせてくれるのだ。
一度は復活したのだが、その後で昇天してしまった。ではやはり、今はもうこの世にいないのか、ということになる。そうではない。それなら、復活の意味は薄い。
復活したイエスは、私たちの心の中に確かにいる。
イエスの救いについて思い、自らの罪に涙を流す時に、その傍らにいる。手をのばせば肌にふれるほど、すぐ近くに立っている。
いや、空にも雲にも、火にも雨にも、星にも虫にも、イエスは遍在しているのだ。なぜなら、万物は主が造りたもうたのだから、その霊性はすべての自然に及ぶからだ。
アニミズムと、聖霊信仰は、矛盾はしていないと私は思う。
あなたの墓の上に 涙一粒こぼしてくれば
あなたは降りそそぐ雨となり 肌にしみ通ってくる
自然の恵みをたたえる歌が終わり、ちょんみさんは、朝鮮の太鼓チャンゴを取り上げた。
いよいよ、朝鮮の民衆の賛歌の始まりだ。
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4 珍道(チンド)アリラン (朝鮮民謡)
アリアリラン、スリスリラン、アラリガナンネ。
アリラン、ンンン、アラリガナンネ。
聞慶鳥峠は、なんたる峠か。
くねるよ、くねくね、涙が出るよ。
アリランは、民衆の歌であり、恋の歌であるとともに、人生の道行の歌でもある。
人生の旅を続ける中で、険しい峠や山はあり、紆余曲折はあり、茨の道はある。試練に会って、涙を流すこともあるだろう。
だが、主はともに歩いてくれている、ということ。
四国に行くと、お遍路さんといわれる巡礼の人たちがいる。学生の頃に一度、この小さな島を一周したことがある。八十八箇所を回ってみたいなと思ったりもした。
その遍路たちが「同行二人」ということを言う。一人で歩いていても、二人なのだ。つまり、眼には見えないが、弘法大師も共に歩いてくれているという意味のようだ。
イエスも、いつも人生の道に同行してくれている。
エマオの旅人の話のように、旅は道連れ世は情け、いつの間にか気がつくと、隣を歩いてくれているのだ。夢中で歩いている時には気づかなかったが、ふと人生の来た道をふり返れば、足跡は二人分ある。人生の重荷を、主も共に背負ってくれていたのだ。
十字架の重さに比べれば、人生の悩みや苦しみは、まだ軽い荷なのだろう。一人で歩いてきたつもりでも、実は負ってくれなければ歩いてはこれなかった。
遊びながら行こう、遊びながら行こう。
あの月がのぼって沈むまで、遊びながら行こう。
人生五十年、夢幻のごときなり。
何せうぞ、くすんで。一期は夢よ、ただ狂へ。
歳月人を待たず。時に及んで、まさに勉励すべし。
古人はさまざまに言い為してきた。では短い人生ゆえに、遊んで酔生夢死してしまうのか。いや、有限の人生だからこそ、与えられた命だからこそ、豊かに生きたい。
月は沈む、だが、日はまた昇る。
努力する私たちを、主はいつも空から見守り養ってくださる。心配は無用だ。
明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日が思い煩う。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。(マタイ6:34)
ちょんみさんのバチが空をうなり、太鼓がさらに一段と高らかに鳴る。
アリランの歌は連なり、アーメンの祈りは高まり、そして人生は続く。
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5 密陽(ミリャン)アリラン (朝鮮民謡)
アリアリラン スリスリラン アラリガナンネ
アリランコゲロ ナル ノムギョジュソ
私を見て 私を見て 私を見て
真冬の花を見るように 私を見て
「この人を見よ。」(ヨハネ19:5)
ニーチェの著作で有名なタイトルだが、もとは聖書の中の言葉である。
十字架につけられるため、イエスは法廷の場に引き出された。紫の衣をかぶり、いばらの冠をかぶって。その時、ローマの総督ピラトは、群集に言ったのだ。
この人を見よ、と。それは、この人には罪はあるのか、十字架にかけられるような罪人なのか、よく見なさいという意味だったろう。だが、群集は言うのだ。
十字架につけよ、と。
密陽アリラン恋の歌だ。「私を見て」とは、真冬に咲く紅い花を見るように、私を見てくれという恋人の求愛の台詞だろう。
イエスを見るために集まった群衆も、野次馬の火事場見物ではなくて、もし冬の花を見るように、虚心で素直な目をもってよく見れば、この人が罪人でないとわかったろう。
この人を見よ。
ニーチェはこの言葉を逆に、キリストを貶めるために反語的に用いた。だが、芥川は「西方の人」の第1章のタイトルに再びこの言葉を掲げた。おそらくニーチェへの逆説だったろう。そして、日本はもちろん、西洋でも最近は注目する人が少なくなってしまったイエスに、ふたたび関心を向けさせた。
好きにせよ嫌いにせよ、肯定するにせよ否定するにせよ、もう一度、イエスがどのように生きた人だったかを、見てみようではないか。
嶺南楼(ヨンナムル)の名勝を 訪ねてみると、
阿娘(アラン)の哀話が 伝わっているよ。
イスラエルの遺跡を訪ねると、今もイエスの哀話が伝わっている。
神の子であったのか、奇跡はあったのか、そういう議論はおいておく。
まず、イエスがまぎれもない実在の人物であったこと、その生きた跡があることは認めよう。そして、人間イエスの生涯を見てみよう。
貧しい大工の子で、馬小屋に生まれた。子供の頃から利発な子だった。庶民の暮らしを見て、世のために働きたいと考えた。長じて、ヨハネの教団で洗礼を受ける。やがて独立して,自らの教えを説く。やはり漁師など貧しい階層の弟子らを得て、共に布教する。
その教えは終始、貧しい者のためにあり、偽りの権力に対して反対した。言葉だけでなく、常に実践を伴っていた。病気の人たちの治療に特に力を注ぎ、多くの病を癒した。また、何千人もの難民や貧者たちに給食を施して養った。娼婦や税金取りなど、当時さげすまれていた職業の人たちにも理解を示し、誤解や非難にもめげず彼らと共にあった。衣食だけでなく、メンタルケアやカウンセリングをし、精神を支え生き方を教えた。自らはいつも決まったねぐらさえ持たない、清く貧しい生活を送っていた。
その生き方を見れば、まず一個の人間として、世のため人のため尽くした、見習うべき模範的な人だったと言えないだろうか。賞賛こそすれ、非難することはあるまい。
その善人が、みなの幸せのために生涯をかけて働いた人が、無実の罪で、謀叛を企てたという冤罪のために、十字架にかけられて処刑されてしまう。
なんという悲劇か。だが、それが人々の心を動かした。
もし彼が、夭折していなければ、非業の死を遂げていなければ、かえってその教えは,今ほど広まっていないのではないかと思われるのだ。
なぜ来たの、なぜ来たの、私はなぜ来たの。
泣かされて帰る道を、私はなぜ来たの。
なぜ、イエスは世に来たのか。
最後には十字架を背負って帰る道を、悲しみの道を、なぜ来たのだろうか。
神にひとり子として愛されるほどであるのなら、なぜ、神は息子を十字架につけたのか、いや、始めからむざむざ死なせるために、世に遣わしたのか。
我々の罪を救うために、身代わりとなるために。
それが、キリスト教の信条である。
我々は、自分自身の罪を自分であがなうことはできない。いくら修行を積んでも、善行に励んでも、人間はどうしても失敗し、過ちを犯し、罪を重ねてしまう弱い者だ。
そのために、罪なき者が罪を肩代わりしてくれた、とする。深い思想だと思う。
親鸞の言う「他力本願」もそうだ。自力ではどうしても限界がある。他力にすがるしかない。そこでただ念仏を唱え、仏にすべてをゆだねてしまう。
キリスト教もそうなのだ。イエスの名を唱え、その名において祈り、すべてを主にゆだねてしまい、あがなってもらおうとするのだ。
親鸞も歴史的にはキリスト教の影響を受けていると言われている。中国経由で入ってきた景教の教義にふれていたという考証がある。
だが、その説の当否はともかく、考えが似ているということは、仏教徒の多い日本でもイエスの教えが決して縁遠いものではないと思わせるのだ。
いとしい方がいらしたのに、あいさつもできず、
前かけを口にくわえて、口だけにっこり。
愛する方がいらしたのに、私たちは冷たく追い返してしまった。
イエスが世のために来られたのに、人々はそれを十字架につけてしまった。
イエスは、しかし、にっこりほほえんだだろう。我々の罪を笑って赦してくれた。
苦しい息の下から、イエスはこのように願った。
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ23:34)
あとで泣いたのは私たちだった。
残された母マリアは、優しくされた女たちは、裏切りを許された弟子たちは、救われた民衆たちは、手巾を口にかみしめ涙をこらえ、衣を裂いて嘆いたことだろう。
これは、異国の昔話だろうか。私たち現代の異邦人には関係ない他人事だろうか。
いや、実はイエスを十字架につけたのは我々自身であり、罪をあがなわれたのも我々自身だと、そう信じる時に、まことに我々の罪は許されている。
信じてゆだねる時に、私たちは、苦悩と死の峠を越えることができる。
アリランコゲロ ナル ノムギョジュソ
アリラン峠を 私に 越えさせて
みんなが、いっしょに唱和して、アリランの合唱となった。
「みなさん、うまいですね」
朝鮮の民謡を歌い終えると、チャンゴを置いて息をすっと整える。
「クリスマスには、まだ早いですが……。」
矢野さんがつぶやく。「おや、その歌にいきますか」
返して言う。「そう、今日はこの歌で」。
いよいよ教会で、「あの歌」が聞けそうだ。
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6 あれから2000年〜クリスマスソング (作詞/作曲:李政美)
数年前のこと、ちょんみさんは娘さんとコタツでテレビを見ていたという。
その時、テレビの画面で、どこかの国が空爆されている情景が映っていた。
ちょんみさんは思った。私はこのようにあたたかい部屋で娘といっしょにられるのに、世界には戦争のために、母を失い子を失い、寒さに飢えこごえている人がたくさんいることを。そして、そんな人たちに、あたたかい部屋で眠ることができることを願い、「メリークリスマス」の言葉を贈りたいと、そう思ってこの歌を創ったという。
この歌は、ちょんみさんの「イマジン」だと思う。
あれから2000年 私たちは
平和をもとめて 歩いてきた
愚かな戦い 終わる日が
明日はきっと 来ると信じて
殺し合い傷ついた 兵士たち
いとしい人の帰りを待つ 女たち
家をなくした こどもたち
「あれから2000年」の「あれから」とは、もちろん、イエス・キリスト生誕以来ということで、これを記念した暦が今日、我々の用いる西暦である。
キリストが訪れるとき、福音の教えがもたらされるとき、世界には平和が訪れるはずだ。旧約のイザヤ書には、メシヤの訪れと平和が次のように預言されている。
「彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、
国は国にむかって剣をあげず、もはや戦いのことを学ばない」(イザヤ2:4)
だが、2000年後の今日でもなお戦いがなくならないのか。キリスト教徒の多い国でも、戦争は起きているではないか。キリストの教えは間違っていたのではないか。
そうではない。キリストの教えは正しかった。つまづいたのは、人間のほうだった。
例えば、共産主義は理念としては正しいと思う。貧富の差がなくなり、人々が互いに助け合って生き、働く者は能力に応じて働き、取る者は必要に応じて取る、だが、人間の欲望は底知れなかった。また、共産主義が権力と結びつき、革命の理想が腐敗し堕落した時に、共産主義国の誤りと敗退が発生した。
キリスト教は、教えとしては理想的で優れている。ヒューマニズムの極致だと思う。
隣人愛を説き、ゆきずりの旅人をも、救いなさいと言う。憎しみを捨てて、相手を許しなさいと言う。七度の七十倍まで許せと言う。右の頬を打たれたら、左の頬も出せと言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れと言う。
イエスはそれを実践し、十字架の上で自らを十字架につけた者のために祈った。その弟子たち、また教えを継ぐ者たちも理想を貫き、無抵抗と非暴力で殉教を続けた。その結果ついに柔よく剛を征して、ローマの国教となり世界に広まった。
だが、イエスの平和の教えも、権威と結びついた時にまた堕落していった。人の憎しみの心はおさえられなかった。人の心の弱さゆえである。神の教えに、人はつまづいた。神の愛に、人はそむいてしまった。
それでもなお、イエスの教えは尊く、今もなお生きている。
弱さゆえ、どうしても人をゆるせず憎み争う人たちを、イエスは今日も十字架の上から、天上から悲しみの目で見つめておられる。そして、そんな私たちをも許してくださる。
明日はあたたかい ふとんの中で
ぐっすり眠ることが できますように
Merry Merry Christmas and Happy New Year
願わくば、真の平和が訪れますように。
戦乱や貧困に悩む人たちが、救われますように。
主のみ心は計り知れず、その計画は遠大だ。すべてのことには、時がある。
神の時間の感覚は、私たちと異なっている。悠長といえば、悠長だ。
こういうたとえがある。神のひき臼が回ることはまことにゆっくりとしている。だが、確実にすべて、粉にする、と。
我々は願いが聞き入れられないから、平和が実現しないからと、すぐにあきらめてしまうことがある。だが、あきらめてはならない。我々には長い年月も、神には一瞬だ。十年一日、いや、千年も一日のごときである。
「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。
主にあっては、一日は千年、千年は一日である。」 (ペテロU3:8)
歴史をふり返ってみよう。我々はゆっくりとだが前に歩き続けてきた。
原始時代の法律も社会もない生存競争の時代、だが、個人間の殺し合いは止み、そして、中世までの日本のような国内で群雄割拠の内乱の時代、だが、国内での殺し合いは止み、さらに、近代の大戦の国同志の争いの時代、だが、国同志の無制限な殺し合いも止みつつあり、現代は曲がりなりにも、国際法と、国同志の和平条約と、国際連合の成立による集団安全保障の方向により、平和は漸次、実現に向っている。
世界は、破滅ではなくて、完成に向っている。
そしてこの2千年の歴史を大局的にふりかえる時、そこに果たしてきたキリスト教の役割、その民主主義、平和主義、博愛主義の影響は、たいへん大きい。
キリスト教の終末論を強調する人がいるが、黙示録をよく読んでみればわかるように、「終末」とは、世界の「破滅」ではなく、神の国の実現に向けての「完成」なのだ。
あれから2000年 私たちは
豊かさをもとめて歩いてきた
飢えも貧しさもなくなる日が
明日はきっと来ると信じて
ふるさとを捨てた男たち
道端に立ち尽くす女たち
お腹を空かせたこどもたち
今なお、こうしている間にも、イラクの戦闘で、イランの地震で、世界各地の戦争や飢餓や貧困で、たくさん難民が飢えていることを思う。
その一方で、赤十字やユニセフなど、多くの志ある人たちや団体が、救済のために働いていることを思う。その名からもキリスト教起源である「赤十字」や救世軍を初め、キリスト教の慈愛と福祉の精神に満ちた機関は特に多い。ナイチンゲールやマザー・テレサなどの偉業を思う。みな、イエスの教えに従って、人々のために尽くしてきた。
イエス・キリストの数多いエピソードの中で、四つの福音書すべてに記されている最も重要なもののひとつが、5千人の給食の奇跡だ。
飢え疲れている人、貧しく困っている人々を見て、イエスは深く憐れみ、わずかにパンと魚を増やして、山のように集まった群集に与えられたという。これを奇跡であるだけでなく、今日的感覚からいう福祉事業ととる時、その極めて早い形の実践と言える。
故郷を追われ、道に放浪し、空腹にさいなまれている、弱い女や子供や老人たち。彼等を見て、ほうってはおけないのがイエスであり、その教えを今も継ぐ人たちだ。
聖書は言う。施しをした人に、天国でイエスはこう言うであろうと。
「あなたがたは、わたしが空腹の時に食べさせ、乾いていた時に飲ませ、
旅人であった時に宿を貸し、裸であった時に着せ、病気の時に見舞い、
獄にいた時に尋ねてくれた」(マタイ25:35-36)
いつ、私たちがそんなことをしましたか、といぶかる人たちにイエスは言う。
「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、
すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)
あれから2000年 私たちは
幸せをもとめて歩いてきた
科学と文明がいのちを耕す日が
明日はきっと来ると信じて
疲れ果てた都会の戦士たち
虚飾に飽いた女たち
死に急ぐこどもたち
この3番の歌詞を聴くときに、いつも現代の日本のことを思う。
戦後復興を遂げ、高度成長を果たし、西欧諸国をしのぐ発展を見せている日本。だが、よく言われるように「飽食の時代」は、精神的には貧困な時代ともなった。
年間三万人にのぼる自殺による死者。なんと交通事故の3倍にものぼる。もし精神的に豊かなら、こんなことがあろうか。この世界でも最も富裕な国で。
中高年のサラリーマンは、激務のために過労死し、あるいは不景気のためにリストラされて自殺する。妻たちは虚飾の生活を送り、何不自由ない暮らしなのに不倫や万引きをする主婦もいる。そして、子供たちは非行に走ったり少年犯罪を起こしたり、あるいは不登校やノイローゼになったり、いじめや自殺に遭うものもいる。
いつも思う。物質的に豊かな時代だからこそ、人々はこころを求めているのだと。
そして、イエスの教えは、こころを癒してくれると思う。
日本人は、宗教アレルギーと言われるくらい、特定の宗教を避ける傾向がある。だが、大部分の日本人が帰依していると思われる仏教は葬式の時しか登場しないし、神道もご利益信仰に堕している。こころの相談、メンタルケアをしてくれる宗教が必要ではないか。
聖書は、生き方を教えてくれる書物だ。教典として、お経や祝詞よりもはるかに具体的でわかりやすく、また実践的で日々の生活の糧になると思う。
このような時代だからこそ、人々が信仰によって救われればいいと思う。
もちろん、世の中には、いんちきな宗教商売やカルトな新興宗教も多い。
だが、イエスの教えはほんものだと、私は生涯をふり返って思う。
それは、冷えた心にとってのあたたかいふとんであり、人生の悩みを癒し、精神の不眠を解消し、安らかな眠りに導く優しい子守唄であろう。
明日はあたたかい ふとんの中で
ぐっすり眠ることが できますように
Merry Merry Christmas and Happy New Year
真の豊かさが実現し、飢えも貧しさもなくなる日が、きっと来るだろう。まことの幸せが訪れ、科学と文明がいのちを耕す日が、きっと来るだろう。
悲観的な厭世観に陥って絶望することなく、積極的な希望を持って明るい未来を信じながら、過去をふり返らず常に前を向いて一歩一歩進んでいこう。
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7 おいで、みんなここへ (作詞:佐古和枝 作曲:李政美)
いよいよラストの曲になった。「おいで みんな ここへ」。
今日のコンサートの冠として、ちらしやチケットのコピーにも付されているテーマ曲だ。
おいで さあ みんな ここへ
この坂をのぼったら 海がみえるから
ちょんみさんは、5、6年前、鳥取の米子、大山のふもとにある遺跡を訪れた。開発でつぶされてゴルフ場にされそうな、貴重な文化財を保護する運動に関わるためだった。
妻木晩田(むぎばんだ)遺跡だ。
考古学者で保存運動に携わっていた佐古和枝さんの作った詞に、ちょんみさんが曲をつけた。そして、それを遺跡の現場でコンサートを開いて歌うことになった。
この朝鮮から渡来した人の住んでいた跡で、朝鮮人の末裔である自分が歌うことに、不思議な縁を感じたという。そして、古代から悠久の歴史のなかで、日朝が交流してきた証であるこの遺跡に立って、ちょんみさんは再びその交流の歌を歌ったのだ。
そして、歌の祈りのとおり、保存は実現した。
だが、今日の教会ライブでラストの曲としてこの歌を聞く時に、やはり私は、この歌詞が、「おいで、ここへ、この教会へ」と聞こえてきてしまう。
悩める羊よ、世の民よ。豊かさの時代に、心の貧しい人々よ。さあ、教会の扉をたたきなさい、イエスのふところに来なさい、と。
海のむこうから なつかしい風がふく
長い長い時をこえて なつかしい風がふく
海の向こう、朝鮮半島や中国大陸から、東洋の文明の精華は日本に伝えられた。だが、さらにそのまた向こう、シルクロードのかなたから、イエスの故郷イスラエルの地から、その教えは渡ってきた。遠い遠い道のりと、長い長い時を越えて。
その歴史をふりかえる時に、なつかしい思いがするのだ。
耳をすませば聞こえてくる 誰も知らない遠い昔の物語
あなたの影とわたしの影が 揺れて揺れて ひとつになっていく
心をむなしくして、耳をすませてみよう。聖霊の声が聞こえないか。
あれから2千年。その2千年前の遠い古代の物語が、今、耳に聞こえてくる。
イエスよ、あなたの影と、この私の影は、聖霊のゆらぎの中にひとつとなる。
知らないはずの、見えないはずの物語が、眼に見え、心に伝わってくる。
ほら、ベツレヘムの厩で生まれ、慈母マリアに守られて育ち、ナザレの大工の息子としてのみをふるい、オリーブの木の下に憩い、ガリラヤの湖に舟を浮かべて弟子たちと進み、ユダヤの山の上で人々に幸せについて説教し、エルサレムの神殿でパリサイ人らの質問に鮮やかに答え、サマリアの井戸端で不幸な女を憐れみ、いちじくの木の上のザアカイに呼びかける、そのイエスの顔のひげまでが、目に浮かんでくるようだ。
ほら、イスラエルの砂漠を渡る風は、鳥取の砂丘を渡る風のように熱く気を含み、死海を越えて吹いてくる風は、日本海を渡る風のように仄かな潮の香りに満ちている。
砂の上を歩いている道を、ふとふり返れば、熱い日に照らされる地にはわたしとあなたの二人の影が、二人の足跡が、ひとつとなって続いている。
松林のかなたから、オリーブの木のかげから、なつかしい声がするではないか。私のもとに来なさいという、イエスよ、あなたの声が。
木漏れびのむこうから なつかしい声がする
遠い遠いくにからの なつかしい声がする
遠い国の、異国の、無関係な歴史物語に過ぎないだろうか。
いや、キリスト教は世界の宗教だ。単にユダヤにとどまらない。
もともと、聖書の中に、イエスの言葉に、ユダヤ人のみならず、異邦人をも救う願いが込められている。パウロによりそれは地中海世界を越えて、今や地球上に広まった。
思い出してみてごらん 誰も知ってる遠い昔の物語
涙の数と喜びの数 数え数え ひとつになっていく。
誰も見たことがないはずの物語。だが、みんなが知っている。
聖書があるからだ。その言葉により、遠い昔の話が今に伝えられている。
イエスの生きた時代の人々の、生活の息吹きや香りまで伝わってくる。
人間の喜怒哀楽というものは、昔から2千年後の今まで替わってはいない。国や民族が違っても、生活様式が違っても、その根本は同じ人間だ。
もちろん生活は進歩した。奇跡を起こさなくても、科学の力で人は空を飛び、地を走り、海を渡ることができるようになった。病を癒し、労苦を減じ、生活を容易にしてきた。
だが、いくら文明が進んでも、人には喜びや快楽ばかりあるわけではない。人はやはり死ぬ。そしてそれまでひと時の人生の中で、悩み、苦しみ、涙を流し、汗をたらす。
古代の物語を読んでいて、そこに全く現在と変わらない人々の暮らしと感情を見出すとき、聖書の世界は、すぐ私たちのそばに感じられる。
そして、その教えも救いも、わが事として受け入れられる。
おいで さあ みんな ここへ
この坂をのぼったら 海がみえるから
この坂をのぼったら 希望がみえるから
イエスは、十字架を負い、ゴルゴタの丘をのぼった。
そして、私たちの罪を背負い、あがなってくれたのだ。
希望が、そこに見えてくる。海を越えて、この福音を伝えよう。
主により、罪は許された、永遠の命が与えられたということを。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
信じてバプテスマを受ける者は救われる。」 (マルコ16:15-16)
聖堂に満ちた会衆の、熱い拍手のうちに前半7曲、後半7曲が終わった。
木の十字架を背に、歌い続けた李政美の、労をねぎらい共感を示す拍手が響く。
そして、祝福の花束が、手渡される。
鳴り止まぬ拍手の中で、福音の希望を伝える歌がふたたび繰り返される。
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アンコール イマココニイルヨ (作詞:李政美/作曲:おーまきちまき)
阪神大震災の時に、被災地を巡って歌っていた神戸のおーまきちまき。
人々の心を歌で癒そうとした、慈愛の心がやはりそこには感じられる。
ちょんみさんの歌を私が初めて聴いたのも、震災の救援チャリティコンサートだった。
この歌は、ちょんみさんの作った詞に、彼女が曲をつけたものだ。
アナタトワタシ イマココニイルヨ
ちょんみさんとわたしは、今ここにいる。
おーまきちまきさんとちょんみさんも、今ここにいる。
歌っている時に、詞を作る人、曲をつける人、歌を聞く人、心は同じだ。
歌が人のこころを結び付け、同じ場を共有させるという不思議。
たとえ、言葉が違っても、メロディーは同じ、意味は同じ、心は同じ。
楽しい歌はひとを明るくし、悲しい歌はひとをなぐさめる。
ちょんみさんは続けて、いろいろな言葉で私たちに歌いかけ始めた。
タンシングァ ナー ウリ ヨギエ イッソヨ (韓国語)
ニーフーウォー ウォーメン シェンツァイ ツェーリ ツァイイーチー (中国語)
場所が中国と韓国と日本と違っても、同じ東アジアの仲間たちだ。
イスラエルとパレスチナでも、アメリカと日本でも、同じ地球の仲間たちだ。
言葉の壁を打ち破り、政治や信条の違いを乗り超えて、今ともに歌おう。
イエスが昇天された後、聖霊が人々が降りた時に、言葉が通じたと聖書は言う。
バベルの塔の崩壊後、世界に散らされた民族と言葉が、聖霊降誕でまた通じ合った。
「一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、
いろいろの他国の言葉で語り出した。」 (使徒2:4)
アナタトワタシ イマココニイルヨ
生まれた場所も 息をしてる場所も 遠く離れていても
Rとわたしは、今ここにいる。
ティンカーとわたしは、今ここにいる。
歌は、空間ばかりでなく、時間をも超えると思う。
今年3月に、ティンカーベルよ、あなたとちょんみさんのライブに行った。
20年前に、Rよ、あなたと私はピアノのコンサートを聞きに出かけた。
87年12月にRは世を去り、今年6月にティンカーベルは世を去った。
だが、同じ歌を歌う時に、共に聞いた時を思い出す時に、あなたはそばにいる。
アナタトワタシ イマココニイルヨ
この星のかたすみ 花の種蒔いて 小さな歌をうたってる
会堂の人々とわたしは、今ここにいる。
牧師さんとみなさんも、今ここにいる。
この地球のかたすみの国の、このかたすみの教会で歌を聴いている。
いっしょにライブを聞いている人達も、牧師さんも心をいっしょにしている。
聖書の教え、み言葉の種は、世界中の人の心の畑にまかれている。
主を賛美する歌は、今日もどこかで天に向かって歌われている。
同じ聖書の言葉を聞くときに、同じ賛美の歌を聴く時に、心は共に天に通じる。
アナタトワタシ イマココニイルヨ
せつなさも喜びも 時を空を越えて 響き合う不思議
イエスとわたしは、今ここにいる。
イエスとみんなは、今ここにいる。
「見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである。」(マタイ28:20)
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アンコールU 朝露 (作詞作曲:金敏基/ 訳詞:李政美)
アンコールのひとつの定番となっているこの曲について、ちょんみさんは語る。
今もよく韓国で歌われている。かつて学生運動の抵抗歌として歌われてきた。
本当に聞いた人の心を癒してくれる。そんな歌がいったいどれだけあるだろうか。
ちょんみさんはアンコールでこの歌をよく歌うのだが、終わってからお客さんに「あの曲が一番よかった」と言われることがよくある。うれしい反面、それでは今まで2時間歌ってきた私の歌はなんだったのかと、くやしい思いをすることもある。1曲で十数曲に匹敵するくらいの、インパクトを持っている歌だ。
韓国に行ってキム・ミンギさんに会った時にそのことを伝えたら、苦笑していたという。そのミンギさんが、なんと、11月に韓国で催されるコンサートの司会を引きうけてくれるそうだ。ふだん公の場に出る人ではないので、珍しいことだという。
「李政美には借りがあるからな」と言っていたそうだ。李政美さんがこの曲を映画「渡り川」で歌い、その後もCDを出すなどたびたび取り上げて日本に紹介してくれたという意味だろうか。ともあれ、日韓の歌の同胞たちの共演は、よろこばしいことだ。
長い夜をあかし 草葉に宿る
真珠より美しい 朝露のように
今、コンサートの最後で久しぶりに聞いて、やはり思い起こすことがあった。
「長い夜」、それは、イエスのなくなった夜。
十字架につけられ、墓に埋葬された夜。
3日の夜がたった。そして、ある女が朝早く墓地を訪れた。なぜか。
イエスがなくなったのは金曜日の夕だった。土曜はユダヤ教の安息日である。埋葬の儀式を行うすることはできない。そこで、日没になる前に墓に入れ石で塞いでいたのだ。
だが、イエスのことが気になる。早く埋葬してあげなければと思うと悲しみで気が気ではない。ひと目でも、イエス様のお顔を早く見たい。そして日曜の朝となった。
週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、
墓から石がとりのけてあるのを見た。(ヨハネ20:1)
弟子たちは、逃げてしまった。母マリアも、まだいないのは、息子の死のショックから寝込んでしまっていたのだろうか。ただ、卑しまれる商売で人々にさげすまれながら、イエスにだけは優しく言葉をかけてもらって悔悟した、マグダラのマリアだけが、先がけて墓に行った。信仰を強くする者に、イエスは顕れる。
聖霊の光のように輝く、天国のエルサレムの城の門のように美しい真珠のような、朝露が輝く、朝のゴルゴタの丘に登った時、マグダラのマリアは、そこに空の墓を見た。誰が肢体を盗んだのだろうか。探しているマリアの傍らに、なつかしい男が立ち、柔和に微笑んで話しかけてきた。
心に悲しみが 実るとき
朝の丘に登り 微笑みを学ぶ
イエスは言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。
マリアはふり返って、イエスに「先生!」と言った。(ヨハネ20:15-16)
太陽は墓地の上に 赤く昇り
真昼の暑さは 私の試練か
長い試練の時は明けた。復活のよろこびの時は訪れた。
マリアは駆けていって、弟子たちにこの喜びのことをつげた。そののち、イエスは弟子たちの集まっているところにも姿を表した。
そうした映像が、この歌を聴いているときに、忽然と私にも感じられた。
この歌を、ライブで幾度も幾度も聞いていたのに、今日のこのように聞いたのは初めてだった。だが、そう思って聞き始めると、ぴたりと情景がはまる。
イエスの墓。十字架の後の長く暗い夜。真昼の暑い試練。そして、早朝の復活。
なぜ、今まで気づかなかったのだろう。
キム・ミンギさんがクリスチャンであることを思い出した。そう、韓国ではクリスチャンが多い。映画監督にも政治家にも文学者にも多い。私がキリスト教を題材にした映画で目を開かれ導かれたことは、すでに述べた。先の大統領だったキム・デジュン夫妻も、「五賊」を書いた詩人キム・ジハも、みなそうだった。
映画を見ていても、詩や小説を読んでいても、正面からテーマとして明示して扱っていなくても、明らかに聖書やキリスト教を下敷きにした作品や叙述がよく見られる。クリスチャンが3割の韓国文学は西洋文学と同様に、キリスト教の理解抜きでは語れないのだ。
これに対して日本ではクリスチャン作家はほとんどいないので、作品をキリスト教の背景で読むことは普通ない。それでこの歌も、今まで意識してこなかったのだろう。
私は行く あの荒れ果てた荒野へ
悲しみ振り捨て 私は行く
このフレーズに、尹東柱の「序詩」を重ね合わせることは、容易であろう。
「行く道」、「与えられた道」には、キリストによる召命観が見てとれるだろう。
星を歌う心で 死にゆくものを愛さねば
そして私に与えられた道を 歩みゆかねば
復活したイエスは、オリーブ山の上で、弟子たちの目の前でふたたび昇天した。
主をしたい、別れを惜しむ人たちに、このように言い残して。
「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、
地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。(使徒1:8)
弟子たちはイエスが天の昇るのをオリーブ山の頂で見届けて、ふたたび人々のいる世界へ降りていく。私たちもまた、朝露の丘を降りて、共に荒野へと旅立とう。
もはや、イエスは目には見えない。だが、悲しむことはない。
イエスは、その聖霊は、いつも信じる者のそばに、心の中に生きているのだから。
「我々はエマオの旅人のように 我々の心を燃え上らせる
クリストを 求めずにはいられないのであろう」
〜 芥川龍之介「続・西方の人」最終章 (絶筆)
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(了) 〜 2003.12.30. 尹東柱の誕生日に
付記
このように原稿を書いて、アップしようとネットにつないだところ、メールで悲報に接す。
李政美さんの甥御さんが、事故にて急逝されたとのこと。あまりのことに言葉もない。
心より哀悼の意を示し、召された魂の平安と、ご家族の心の癒しをお祈りいたします。
父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。