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会報on-line 第100号
「コリアキネマ百回」その3
【特集】コリアキネマ百回を振り返って〔全3回〕
その3・上・近ごろの話
いよいよ、みなさまのおかげで、コリアキネマ倶楽部100回上映を迎えます。
昔の想い出話から三回連続で話してきましたが、今回は近ごろあった話をしておきます。
昨年の春に、共同通信の豊田さんという方から、「新聞にコリアキネマの記事を載せたいのだけど」というありがたいお話があった。
豊田さんは、コリアキネマの上映会にも何度かお見えになっている方だ。私が黙々と上映会を続けているのを見て、ひとつ記事にしてあげようと思ってくださったらしい。
私は上映会の時に、あらかじめ見る前にあまり解説の話をしないほうだ。せいぜい二言三言くらいしか言わない。映画のあらすじを言ってしまうとネタばれになって面白くないし、また、映画の見方についてこちらの見方を押しつけて先入観を与えるのもよくない。
かといって、上映後にもあまり話さない。上映会はいつも土曜の夜で、みなさん早く家に帰りたいだろう。それに、映画が終わった後というのは、特に良い映画の場合は感動の余韻にひたっていたいものだ。感想は、アンケートに書いていただければ済むことだ。
もっとも、上映会以外に、高麗美術館や他団体の上映会や演劇公演などの案内チラシを持ってきてくる方がいて、そんな時はちょっと紹介の話をしてもらうこともある。ある時、尹東柱の追悼の集いのチラシを頼まれて配ったことがあり、短い紹介をした。
すると会場のあるお客さんがなぜだがちょっと興奮して、「彼がどんな人物か知っているのか。もっと紹介して、みんなに来てもらわないといけない」と言ったことを訴えた。
尹東柱は韓国の有名な詩人だ。知っているどころか、私は彼の大ファンで、ホームページのほうでも彼の詩を順に訳して紹介する試みを続けている。けれども、この場でそんなことをわざわざ弁解しても始まらない。黙っていた。
そうしたら、それを見ていた豊田さんが、なんだか私のことを謙遜な人物とでも過大評価してくれたらしい。そんなことがひとつのきっかけで、新聞に紹介していただくという話になった。豊田さんはお仕事柄、そうした新聞関係のコネクションがあるようだ。
池袋の喫茶店でお会いして、コーヒーをいただきながら、いろいろとよもやま話をした。豊田さんは「100回上映」ということにニュースバリューを感じているようで、その点にこだわっていらした。特別上映会や番外上映会もあり、どう数えるかということもある。彼は綿密に数えて、年末ではないか、そちらのほうが話題性があるとおっしゃってくれたのだけど、一応、定例上映会は2009年3月ということでカウントした。
私のつもりとしては、100回記念には、何か特別な企画、例えば、総連にかけあって共和国の映画を上映するとか、文化院の35ミリフィルムの未上映の作品を借りるとか、あるいはいっそ、有料の新作を公開するとかいろいろ考えていた。それで待ってほしいと思ったのだけど、結局、ありきたりの企画になってしまい、申し訳なく思ってい
る。
そのインタビューのあと、上映会に豊田さんはカメラマンを伴って来てくれた。私が、映写機を操作しているところを、プロの方が何枚も撮ってくれる。こんなださい中年をわざわざ撮っていただき、ありがたいやら恥ずかしいやら。
しばらくして、豊田さんから、分厚い郵便が届いた。
その記事は2008年5月末の新聞に載ったようで、豊田さんは記事の載った新聞を、ひとつひとつ探して、切り抜きのスクラップにして送ってくださったのだ。全部で十数紙もあった。記事の内容としてはどれも同じなのだけれど、地方紙の各紙に掲載されていて、それぞれ微妙にタイトルとかレイアウトが違っているのが、なかなか面白い。
そうかあ、新聞記事というのはこうして作られていくのだなとわかり、勉強になった。共同通信といった情報元から、提携する各紙に配信されて記事になるわけだ。
それにしても、一銭のトクにならないボランティアで、こんなマイナーな上映会を記事にしてくれた豊田さんに、あらためて感謝申し上げたい。良い百回記念になった。
その3・下・これからの話
さて、これからの話になります。
実は正直言って、本気で100回記念で引退しようかなと思っていたのですが……。
毎月毎月、こつこつと続けてきた上映会だけど、そろそろマンネリになってきた。
借りるフィルムの供給源は、韓国文化院と日比谷図書館。昔の韓国映画は前者から、コリアンに関係のある日本映画は後者から。しかし、16ミリフィルムという媒体自体が、ビデオテープ、いやDVDが主流となった今はもう、レトロな存在だ。新作もないから、限られた在庫の使い回しで、当然のことながらレパートリーも限られ繰り返しに
なる。
それに財政的や時間的にも少ししんどくなってきた。年も知命の大台になった。やめるとしたら、100回記念はきりがいい。と、なかば引退に傾いていた。
ところが、そうした私の気持ちを変えるできごとがあった。その一つは、先に述べた、豊田さんの取材で活動を評価していただいたことだが、他に、ふたつある。
日比谷図書館が、この三月で閉館になるという。これは寝耳に水のお話だった。
今、日本は未曾有の不景気だが、お役所、東京都も例外ではない。都立には三館の図書館、中央・日比谷・多摩がある。この三つは都の三宝、文化的な誇りだと思っていた。ところが、中央だけをそのまま残して、日比谷は千代田区に移管して、四月以降区立になる。また、多摩は、雑誌専門の図書館にしてしまうという話も聴く。
心配なのは、日本一とも言えるすばらしい在庫を誇る日比谷の16ミリフィルム・アーカイブの行方である。私には嫌な思い出があった。都立高の教員をしているのだが、昔、都立高共通の視聴覚ライブラリがあって16ミリの秀作が多数あった。ところがそれが、やはり統廃合の中で廃棄処分ということになった。貴重な文化遺産だ。なんとか
保存できないか、もし廃棄するなら譲り受けられないかとかけあったが、とりつく島もなかった。
どんなに貴重なフィルムでも、上映されなくては意味がない。しかし、誰も利用する人がいなくなっては、処分される危険が高まる。やはり、これからも利用し続けよう。同じ作品でも繰り返し利用があれば、廃棄はされないだろう。そのように決心した。
幸い、日比谷のフィルムは、4月から多摩図書館に移管されることになった。
最後の決定的なきっかけとなったのは、ある一通のメールだった。
私が昔、韓国映画の上映会を始めた大きな動機のひとつは、当時、韓国映画を初めとする韓国文化があまりに日本に知られていないということだった。しかし、今やヨン様∞韓国男優の四天王≠ネどに見られるように韓流♂f画やドラマは空前のブームだ。
今さら、私などが個人で上映会をすることもないのではないか。
また昔は、コリアンに対する差別意識が、今よりも日本社会に根強かった。韓国の歴史や文化を紹介することが、そうした意識の解消につながればとも思っていた。けれど、韓国のイケメン俳優に日本の女性たちが熱狂するような昨今だ。もう差別意識もあるまい。
そのように考え、大袈裟に言えば、私の上映会の歴史的意義も終わったように思えた。
ところが、ある日、一通のメールが、見知らぬ人からやってきた。
私は、韓国の映画や文化についてのホームページを開いている。そこの掲示板やブログで、さまざまな韓国に関する話題を書いている。そこには常連のメンバーも訪れて書き込みをしてくれる。韓国に関するよもやま話に花が咲くのは、楽しいひと時だ。
しかし、そのメールは、「あなたたち、韓国について楽しそうに話しているけど、一度、これこれしかじかのサイトを見てみなさい」といったものだった。
どんなことかと見に行ってみると、そこはいわゆる「嫌韓サイト」で、韓国に対する歴史的認識や、現在のコリアンの実情や意識について、読むに堪えない罵詈雑言があった。
その時、決意した。こんなことを言う人が一人でもいる限り、永遠に上映は続けよう。
あのメールは、平和ボケしていた私に、強力なカンフル剤になった。「逆効果」とは、まさにこういうことを言うのだろう。その意味で、ありがたいメールだった。
追記
今年の四月からの企画は、上記のようなこともあり、「日韓の歴史を知る」とした。
なお、これはあとで気づいたのだが、今年から来年は日韓併合百年の年に当たる。
また、都立日比谷図書館は閉館になるが、その図書館創立百周年の年でもあった。
コリアキネマ百回記念……「100」という数に、何か因縁というか導きを感じる。