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会報on-line 第51号
『日本列島と朝鮮半島』解説
『古代からの歴史にみる 日本列島と朝鮮半島』
カラー 16o 31分
日本は古代から文化・技術・政治など多方面にわたって朝鮮半島の強い影響をうけてきた。その間秀吉の侵略、明治以降の植民地化という不幸な出来事はあったが、友好の歴史は長い。その歴史を顧みながら、人権が尊重される住みよい国際社会を築きあげる必要性を訴えます。
監修 上田正昭 (京都大学教授)
製作 東映株式会社教育映画部
企画 山下 晃
脚本・監督 大西竹二郎
撮影 梶原春雄 大山年治 上村四四六
協力 鄭 詔文(日本のなかの朝鮮文化主宰)
金 学鉉(桃山学院大学助教授)
曹 基亨
大阪市外国人教育研究協議会
映画の内容
1.新しい文化の伝達者
日本は古代から色々な面で朝鮮半島からの強い影響を受けて来た。特に5世紀後半から7世紀後半にかけて、高句麗、新羅、百済から来た人たちが仏教を初めとする新しい文化を次々ともたらした。その事実を示すものが色々ある。
高松塚古墳の壁画と高句麗の徳興里古墳の壁画の類似や飛鳥寺の瓦と百済で出土した瓦の相似。また、飛鳥寺の伽藍配置も高句麗の清岩里廃寺や定陵寺跡と酷似している。法隆寺はこの配置を参考にしており、金堂や五重塔は朝鮮の高麗尺(こまじゃく)を基準に建てられたという。
聖徳太子は仏教を高句麗の僧慧慈(えじ)らから教わり、法隆寺の代表的仏像、釈迦三尊は百済の仏師鞍作止利(くらづくりのとり)の作だった。そして日本最古の刺繍画、天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)の制作者たちも、いずれも朝鮮半島からの渡来人だった。
2.古代日本の社会と文化を担った人々
奈良の明日香村桧隈(ひのくま)を本拠にした渡来人を東漢氏(やまとのあやうじ)と呼び、西漢氏(かわちのあやうじ)や西文氏(かわちのふみうじ)と呼ばれる百済系の渡来人は今の大阪府羽曳野市古市のあたりを本拠にし、大阪市生野市周辺にまで生活圏を広げていた。
弓月(ゆづき)君を祖とする秦氏(はたうじ)は京都盆地を中心に住みつき、桂川に灌漑工事をして周辺の農地を豊かにした。秦氏の古墳と言われる太秦(うずまさ)の蛇塚、秦都里(はたのとり)が創立した松尾神社、秦氏が歴代社家となった伏見稲荷大社、高句麗からの渡来人の先祖とゆかりのある八坂神社など、京都には渡来人と縁の深い寺社や遺跡が多い。
太秦の広隆寺にある弥勒菩薩半跏思惟(みろくぼさつはんかしゆい)像は赤松で出来ている。当時、国産の仏像の木地は大部分クスノキだったこと、ソウル国立中央博物館にある金堂弥勒菩薩半跏思惟像に酷似していることなどから、この仏像は朝鮮半島で彫られたものではないかと考えられている。
関東では高麗若光(こまのじゃっこう)が中心になって武蔵国に高麗郷をひらいた。若光のものと伝えられる墓、その近くに彼を祭った高麗神社がある。
8世紀になって都は奈良に遷ったが、その東大寺建立に尽力した行基も、鋳造を監督した国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)も百済系渡来人の子孫だった。
8世紀末、桓武天皇が都を京都に遷したが、天皇の母高野新笠(たかのにいがさ)は渡来系の子孫だった。このように朝鮮半島から渡って来た人たちやその子孫は古代日本の発展に大きな役割を果たして来た。
3.中世における朝鮮半島との関係
その後、朝鮮半島は激しく国が入れかわったが、その間も日本は接触を続け、室町府になって遣明船は17回出したのに対して、朝鮮半島には実に60回以上も使節を派遣して、優れた朝鮮半島の文化を摂取し続けていた。
この時代、高麗で大蔵経の木版が完成し、これらの教典を求める僧も渡航し、貿易も盛んになった。日本は銀や銅を輸出し、高麗からは綿布や人参、大蔵経、仏像、仏画、吊り鐘、高麗青磁、茶碗などを輸入した。
このような友好関係も二度にわたる秀吉の朝鮮侵略によって破れ、両国の人民に計り知れない損害を与えた。しかし、この時、渡って来た人や技術によって、日本の文化は更に進歩した。朝鮮半島の活字工と持ち帰った銅活字や木版によって印刷技術が向上し、特に、世界に誇る日本の焼物技術は朝鮮人陶工たちによって花開いた。
秀吉によって一たん破れた国交も家康によって回復し、朝鮮からの通信使は数百人構成で、約二百年の間に12回も来日した。メンバーには学者や医者、画家、陶工なども加わっていたので、日本人は機会をとらえ、新しい文化を貪欲に吸収した。
4.植民地化時代を経て新時代を拓く
両国の友好関係は明治政府の武力を背景にした植民地化政策によって破られた。農民から土地を取上げ、収穫した米を日本に持ち去り、日本語を強制したり、朝鮮人の姓名を日本式に改めさせたりなどしたのだ。その究極の目的は朝鮮人を戦争に動員することにあった。
まず朝鮮人を炭坑など産業を支える労働力として強制的に日本に連れて来た。以後、戦争の進行と共にその数を増やし、太平洋戦争が長期化すると徴兵令をしいて、兵隊として駆り出した。
36年間にわたる日本の支配の間、朝鮮の人たちは民族の解放独立のために戦い続け、世界各地に亡命した人々も中国、旧満州、シベリア、アメリカなどで朝鮮独立の闘いを繰りひろげた。そして、日本の敗戦によって朝鮮は独立し、人々は故国に帰国して行くが、米ソ対立という国際情勢の中で南北に分断されたため、祖国の統一を願いながら、やむなく日本に留まった人も大勢いる。そうした韓国籍、朝鮮籍の人、そ
の家族や子孫が今でも日本で生活している。
昭和54年、日本でも批准された国際人権規約は「国籍を越えて、そこに住むすべての人を人間として尊重していこう」ということが基本になっているが、その主旨にのっとり、私たちは隣国との友好を取り戻し、共に、住みよい社会をつくり上げるよう努力する必要があるのではなかろうか。
(ちらしの解説より)
併映作品
《美をもとめてシリーズ》より
・『韓国の古代文化 〜 新羅千年の美』
・『飛鳥寺』
・『渡来人の寺 〜 桧隈寺と坂田寺』
・『日本と韓国の塑像』
・『金銅仏』
・『小倉コレクション 〜 古代朝鮮の美術』
・『稲と倭人』
いずれも短編作品(各12分)