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会報on-line 第53号
『中国大陸侵略』解説
『中国大陸侵略〜太平洋戦争への道』 カラー 16o 30分
●制作意図
世界大恐慌、それに付随して日本も大不況へ。そこで軍部は、資源の豊富な中国大陸への進出に打開策を見出そうとする。泥沼化する日中戦争、高まる軍国主義や社会不安、そして日本の国際的孤立化。
何故、日本は太平洋戦争に突入していったのか。ニュースフィルムや現存する中国の風景、そして歴史の証言者たちのインタビュー等でその答えを追います。
●作品の内容
日清戦争(1894〜95)に勝利した日本は、朝鮮半島から清国の勢力を一掃。遼東半島、台湾、澎湖島を日本の領土とする。しかし、ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により、遼東半島は清国に返還。その後、朝鮮半島や中国大陸では、次第に帝政ロシアの力が強まる。
そんなロシアに対抗すべく日本は、中国大陸や朝鮮半島での権益拡大を目指し、遂にロシアと衝突。日露戦争(1904〜05)が勃発する。戦争は日本の勝利に終わり、朝鮮半島での独占的支配権とロシアが建設した南満州鉄道、そして三国干渉で返還した遼東半島の租借権を手に入れる。
1910年の日韓併合により中国進出の土台を固め、1914年に第一次大戦が起こるや、日本の経済は重工業を中心に飛躍的発展を遂げた。
だが、1929年、ニューヨークのウォール街で、突如として株価が大暴落。いわゆる世界大恐慌の始まりである。日本経済もたちまち行きづまり、会社や工場の倒産で町には失業者があふれ、農村では生糸や米の値段の暴落により大打撃を受け、娘の「身売り」が相次ぐ。
この状況下で、肥沃な大地と豊富な資源を持つ満州、厖大な市場である中国大陸は、日本の経済を根底から支えていた。
一方、中国は1925年に第一次国共合作を行い、広東に国民政府を樹立。また蒋介石率いる国民革命軍が北伐を開始し、日本軍へと迫っていた。
これに対し日本は、“満州は生命線”と位置づけ、中国東北部を中国本土から切り離す「満蒙分離政策」を推し進める。ついに1931年、満州事変を引き起こし、わずか5ヶ月で満州全土を占領。さらに日本は、清朝最後の皇帝愛親覚羅薄儀を元首とする満州国を樹立し、中国から分離独立させる。
だが世界は、これを日本の傀儡政権であるとして認めようとはせず、いっせいに日本を非難。そして日本は国際連盟を脱退する。
こうした日本の武力侵略に、中国各地で抗日闘争が繰り広げられた。これに対し、支配者日本は虐殺で臨んだ。その典型的な例が、撫順市の“平頂山虐殺事件”である。ここでは三千人近い村人が非業の死を遂げている。
また日本は、国内の農村の窮乏を打開するため、大量の農民を「満蒙開拓団」として満州に送り込み、その結果、中国の農民から土地を奪った。こうしたことが、ますます反日運動を激化させていった。
1937年、北京郊外の盧溝橋付近で日中両軍が衝突。本格的な日中戦争の開始である。
日本軍は北京、天津を相次いで占領。続いて上海に無差別都市爆撃を行い、ついには南京をも陥落させる。そしてその南京では、敗残兵狩りを名目とした虐殺や略奪、婦女子への強姦を行った。
泥沼化する日中戦争、そしてそれから手を引く機会を逸した日本は、遂に1941年12月8日、太平洋戦争へと突入していった。
私達は、長春に残る国会議事堂そっくりの旧満州国務院や、日本の城郭そのままの関東軍司令部の建物を見る時、かつての日本の野望と侵略の痕跡をしっかりと心に刻みこまねばならない。そして、平頂山事件の生き残りの楊宝山さんや南京大虐殺の生き残りの潘開明さん、夏淑琴さんの痛ましい歴史の証言に、真摯に耳を傾けねばならない。
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スタッフ
制作 東映株式会社教育映画部
企画 岡田 順徳
脚本・監督 中津 義人
撮影 川田 秀明
音楽 杉田 一夫
ナレーター 下條アトム
協力
中国国際友好連絡会、東北烈士記念館、侵華日軍南京大屠殺遇難同胞記念館
大映(株)東光徳間、NHK、イメージユニオン