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会報on-line 第62号
随想 アン・ソンギ@
【随想】懐かしの男優@ アン・ソンギ@
アン・ソンギとの出会い てじょん
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アン・ソンギを私が初めて知ったのは、ペ・チャンホの『コレ・サニャン〜鯨とり』
だった。というより、韓国映画を初めて知ったのが、この作品だったと言っていい。
新宿の武蔵野館で、この映画と、イ・ヂャンホの『暗闇の子たち』を上映していた。
この八十年代ニューウェーブを代表する2監督の代表作2本を見て、私は衝撃的な感動
を受け、以来すっかり韓国映画に、はまってしまったのだ。
現在、日本では韓流≠ニ呼ばれるほど、韓国の映画ドラマが流行している。
ヨン様≠ニ呼ばれて日本の女性を魅了した、ペ・ヨンジュンや、四天王と呼ばれる
若手のハンサム男優たちがもてはやされている。元をたどると、1995年に韓国映画
としては初めて全国公開されて大ヒットした『シュリ』辺りから、このブームが始まり
出していたのであろう。その前後にも広く感動を持って日本の聴衆に受け入れられた
イム・グォンテクの『風の丘を越えて〜西便制(ソピョンジェ)』や、ホ・ジノの恋愛
映画『八月のクリスマス』も良かったのだが、この『シュリ』が画期的だったと思う。
ただ、私の韓国映画に対する愛着はこの『シュリ』以降、韓国映画ファンが急増する
に従って、それに反比例してしだいに冷めていってしまった。それは何も、みなが熱狂
するので、へそ曲がりでわざと知らん顔をしているわけではない。そうではなくて、私
は昔の韓国映画の、あか抜けないけど素朴な作風と真摯な精神が好きだっただけだ。
いわゆる「キムチくささ」とでもいうのか。今の韓国映画はハリウッドや香港映画と
あまり変わらないが、昔の韓国映画には韓国らしさが濃厚にあった。
あとになって思うと、韓国映画を通じて韓国を知ろうとしていたこともあり、また、
ペ・チャンホやイ・ヂャンホがクリスチャンの監督であって、その映画にキリスト教の
ヒューマニズムの隣人愛の精神が流れていたことも大きかったように思える。そうした
ことを、つい昨年の暮れ、京橋のフィルムセンターで開催された、ユ・ヒョンモク監督
特集の諸作品を見て深く感動した時に、あらためて思った。彼の作品も古き良き韓国を
描いているし、また彼もクリスチャン監督であったから。
さて、話がすっかりそれてしまったが、アン・ソンギの話に戻ろう。
人は、初めて人に会う時に受けた印象、そう、第一印象というものに、あとあとまで
かなり強く影響されるものでないかと思う。
役者の場合は特にそうである。俳優という人種に、人は銀幕の上でしか普通はお目に
かからない。プライベートな場で、また何度も会ったり直接話したりするのであれば、
その中で最初の印象は修正され、多角的で現実的な人物像が構成されていくのだけど。
映画の俳優の場合は、その作品の中での役柄が即、その人のイメージとなってしまう。
というわけで、私にとってのアン・ソンギは、ながらくあの「放浪のインテリ乞食」
だった。アン・ソンギは実に多くの映画に頻出しているのだが、そうした作品たちを
見てもしばらくは「あ、あの乞食がまたこんなところでこんな役に化けて≠「るぞ」
などと思ったりしてしまったものだ。そのくらいこの作品の役柄は強烈だった。そして、
素晴らしかった。あの乞食節≠ェいまだに耳を去りやらないのである。
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若い大学生の青年が、売春婦の宿から、聾唖の少女を救い出そうとするお話。
青年を演じていたのが当時、若手の歌手として有名だったキム・スチョル。そして、
救出される聾唖の少女を演じていたのが、イ・ミスク。彼女は、今日上映した映画
『その年の冬は暖かかった』でも、貧乏の中でたくましく生きる妹を好演している。
最近でも『スキャンダル』『アメノナカノ青空』などで熟年の魅力を発揮している。
だが、当時は触れなば折れなんばかりの、いたいけで純真な少女だった。
青年は少女を救おうとするが、売春宿を牛耳るヤクザたちは、手強く執拗に後を追い
かけてくる。そこで、危難の二人を救ってくれるのが、放浪のボヘミアン暮らしをしている、
神出鬼没のインテリ乞食、アン・ソンギ。
いやぁ、かっこいい。まったく、ほれぼれとさせられた。まるで、『スター・ウォーズ』
で、ルークとレイア姫を助けにやってくる、ハン・ソロといった役どころか。はたまた弱き
を助け強きをくじく怪傑ゾロという所か。
もっとも腕っぷしの喧嘩よりも、知恵を使った逃走劇、いろんな映画に出てさまざまな
役柄をこなしてしまう所は、「韓国映画の怪人二十面相」とでも呼んだらいいだろうか。
いや実際、当時の我々韓国映画ファンの仲間では彼のことをそう呼んでいた。作品に応じた
演技をできるのが役者のもっとも優れた長所とするなら、彼こそ韓国映画最高の俳優だろう。
今日の映画『その年の冬は暖かかった』でも、そうだ。
このペ・チャンホ監督の佳作では、ヒロインの恋する若い工員を演じているが、恋愛
して結婚し、ベトナム参戦を経て負傷し、飲んだくれて荒れ、また改心していくという
一人の男の生き方の変遷を、誠実に不屈でひたむきな演技で見事にこなし、ヒロインの
イ・ミスクをうまく引き立てているのはさすがというほかない。
その他、八十年から九十年代にかけては枚挙のいとまがないほど多くの作品に出演し、
最近でも『シルミド』『ピアノを弾く大統領』『黒水仙』などまだまだ現役で活躍して
いるのだが、それらの作品については、次回以降に触れることにしたい。
今日は、私がアン・ソンギに実際に会ったお話をしたい。
銀幕の上でなく、直接彼にお会いしたことは、合計3回ある。いずれも日本でだ。
一度目は、河合塾の主宰した、映画『眠る男』上映会においてだ。
これは小栗康平監督の映画で、アン・ソンギが出演していた。河合塾は予備校なのだ
けど、こうした文化事業にも意欲的な会社である。その会でなんとあのアン・ソンギの
実物が来て、挨拶をしてくれる。しかもその上、関係者の懇親会があるという。
これはもう、行くしかない。実は私は都立高校の教員をしているのだが、ここは
職権乱用、もとい、役得ということで、さっそく関係者に連絡し、無理に参加させて
いただくことにした。それを聞いた、韓国映画ファンの仲間は、当時ニフティの映画
フォーラムに集っていたのだが、おれも行く、私も連れていって、ということで、
みるみる十人ほどになってしまった。あつかましさを承知で、だめもとで打診してみた
ところ、快くご快諾いただき、とうとう大阪まで出かけることに相成った。私と同様に
東京から行くファンもあり、関西在住のファンもあり、アン・ソンギに会う催しに加え、
にわかオフミーティングの様相まで呈してきた。
当日、上映会のあとの懇親会では、どこだったかホテルの広間で、丸テーブルが
いくつかあり、我々はその一つのテーブルを占領。予備校関係者とか、映画関係者とか
いろいろいて挨拶やセレモニーなどあったはずだが、よく覚えていない。
記憶にあるのは、我々が当時名乗っていた「韓国映画学会」名義で挨拶して、花束を
渡したこと。それから、仲間の一人が、プレゼントに安眠用の「アイ・マスク」をあげたこと。
これは、映画『眠る男』にちなんでのことで、笑ってもらえた。
儀式の終わったあと、わあっと我々はアン・ソンギのテーブルに行って、お話しを
したり、サインをもらったり、写真を撮ってもらったりした。関係者のみなさんは
何事かとあっけにとられて眺めている。それもそうだ、映画研究の目的でとか何とか
言いながら、これじゃまるでミーハーの追っかけ、いんや、事実、そのものであった。
しかし、感心するのは、アン・ソンギさまは、嫌な顔ひとつせず、にこやかに丁寧に
応対してくれたことだった。あとで聞くと、彼は特に映画人の中でも人格者として
知られ、撮影現場でも常にみんなのことを考えて気遣ってくれ、決してえらぶらず、
とても謙虚な態度で接してくださる方だという。
これ以後、さまざまな韓国の映画人にお目にかかる中で、どこか日本の映画人とは
ひと味違うと感じたのだが、韓国では映画の俳優には、特にこうした人格的な面も
要求されているという。だが、彼はやはり別格だった。
さて、2回目の話になる。
それは東京国際映画祭で、アン・ソンギ主演の映画が上映された時のことだ。
『永遠なる帝国』で歴史物の大作で、受賞候補の一つともされていた。
その舞台挨拶に、アン・ソンギご本人がまたやって来るという。もちろん、
ここは会いに行くしかない。
当時はまだまだ、韓国映画はマイナーな存在だった。香港映画のほうは、
スターが来るとなると、すぐチケットは完売、当日も入場に長蛇の列に並ぶ
ことになる。ところが、韓国映画だとあの知る人ぞ知る大御所、アン・ソンギさまが
いらっしゃるというのにだ、チケットも売れ残っているどころか、行列のひとつもできやしない。
「いやあ、香港映画ファンに比べると、我々はらくでいいなぁ。」
と、なんだかさびしい喜びにひたりつつ、みんな前の方の席で舞台挨拶を聞くことに
なった。しかし、挨拶だけでは物足りない。そこでまた、花束とプレゼントを買って、
当日、挨拶の前に関係者を名乗って、楽屋におしかけることにした。
今考えれば、実に迷惑な話なのだ。事前にアポをとっているわけでもない。それに
ただの挨拶とはいえ、前回のような気さくな場とは違って公務であり、しかも大きな
映画祭の受賞もかかったとても重要な機会なのだ。あとで聞いたら、こういう場合は
本番の演技同様、役者といえども非常な緊張がかかるという。悪いことをした。
だが、スタッフになんとか頼み込んで、短時間でもと無理やり押しかけた我々に、
アン・ソンギさまは、今回はさすがにやや驚いた、緊張した面持ちをしたが、すぐに
相好を崩してにこやかに接してくれたのだった。まったく申し訳ない限りだ。
仲間のファンの一人が、彼にアイ・マスクを見せると、
「ああ、あの時の……」
という表情をされた。『眠る男』の時のことを覚えていらしたようだ。
なお、残念ながらこの作品は受賞を逃した。我々のせいでなければいいのだが。
最後にアン・ソンギに会ったのは、同じく東京で催された、フィルメックス映画祭
に彼が審査員として招かれたときのこと。セレモニーでファンに挨拶するとともに、
質疑応答に答えるという機会があった。もちろん行った。
韓国映画はずいぶんとメジャーになりつつあったが、それでも往年の名優を
知らない人も多いようで、それほど混んでいたわけではない。例によって、終わった
後で彼のもとに行き、ご挨拶をした。我々仲間も、当時のメンバーではなくなって
いたし、アン・ソンギ自身も私らのことを覚えていたかはわからない。
だが、あのアン・ソンギスマイルは、健在だった。
アン・ソンギ・フォーエバー!
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