会報on-line 第98号
 「コリアキネマ百回」その1

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特集】コリアキネマ百回を振り返って〔全3回〕
      その1・始めたころの話

 コリアキネマ倶楽部の上映会もこの3月で百回になる。
 この機会に今までの活動を振り返ってみたい。同時に、これまで数少ないが雑誌や新聞で取り上げられたことも
あるので、それも合わせてご紹介したい。
 二年前になるが、2006年の12月に月刊「留学生」という雑誌の編集者の方から電話があり、コリアキネマ
倶楽部について取材したいということで喜んで了解した。韓国から日本に来ている留学生を対象にした雑誌だった。
 ついでに私がよく通っていた韓国語教室「現代語学塾」も合わせて紹介してもらおうと取材して頂いた。

 さて、そのインタビューの際「どうしてこういう活動を始めたのか」と問われて、今さらのように「どうして
始めたんだっけ」といろいろ思い出したりしていた。
 韓国に興味を持ったきっかけと、韓国映画に魅了されたきっかけについては、雑誌の記事にあるので、コリアキネマ倶楽部の発足自体について、もう少し詳しく述べたい。

 韓国映画が好きになったのはいいけど、現在のような「韓流」映画がブームになる前は、韓国映画は関係者か愛好家が見るような感じで、あまり公開されていなかった。
 しかし、公開されなくても、たくさん良い映画がある。そこで、それを自分たち愛好家の手でなんとか紹介していけないか、と思った次第だ。最初は「韓国映画学会」と名乗っていたが、同名の団体が実在すると知ってのちに「韓国映画同好会」とした。
 初めは、ビデオの上映会だった。大型のテレビとビデオデッキを使ったり、あるいは十万くらいの安いプロジェクターを使ったりして、公共の施設を借りて上映した。当時の勤務先に近かった北区の「北とぴあ」などを借りていた。
 のちには、中野にあった韓国映画専門のスカパー!チャンネルの某会社の社屋の一室をお借りしていた。親切な社長さんだったけど、今はその会社もなくなってしまった。
 最初は既成の字幕付きビデオを使っていたのだが、すぐにそれでは飽き足らなくなり、「やはり、未公開の佳作を紹介したい」ということで、字幕を自分たちで起こして付けることになったが、これはなかなか大変な作業だった。
 韓国語は少しは勉強しているが、ネイティブのように字幕無しで聞き取りが出来るレベルにはとても及ばないので、韓国人や聞き取りのできる日本人に頼んで、少し手数料を払ったりして、まずハングルに起こしてもらう。原作のシナリオが手に入る場合は、それを使ったりもしたが、活字になったものと細部で違い困ることもしばしばあった。
 翻訳を友人と隔月交替で担当したりしていたのだが、私の場合は仕事が遅くて、上映会前日になっても、まだ翻訳が終わっていない始末。当日ぶっつけということもあった。
 プロの字幕投影装置はないので、私は字幕をパソコンに一画面ずつ写していたのが、練習していないとタイミングがずれてしまう。友人は、スケッチブックに書いて一枚ずつめくったりしていたが、映画一本で十数冊という大部なものになった。

 けれども、このビデオ上映というのは、実は著作権的にはグレーゾーンのままなのだ。無料でやったとしても、あるいは会員制にしたとしても、「公の上映ではなく個人的な視聴に限って」という点はどうしてもクリアできない。
 また、当時のメンバーとの間で運営上のトラブルがあり、私は韓国映画同好会の会長を辞任して、別にコリアキネマ倶楽部を立ち上げることにした。同好会に残った友人は、代々木の青少年センターなどでビデオ上映を続けていたが、その後お仕事の都合で韓国映画ファンからは足を洗ったようだ。データや蘊蓄に詳しい方だったから、残念だ。
 私は、コリアキネマ倶楽部で、上映権も保証されている16ミリフィルムによる上映を始めた。韓国文化院や日比谷図書館の無料フィルムを借りることにした。けれども、初回はなんとお客さん一名という状態だった。その後の話は、また次回にさせて頂く。

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