| Love Korea |
ある日、一本の仕事の依頼が舞い込んだ。教材のナレーション、そして収録場所は韓国ソウル。出発は1週間後。
だけど急な話だし、韓国なんて全く知らないので、パスポートが切れているのを理由にすっぱりとこの仕事を断った。 しかし、クライアントさんは何回断っても引かない。あまりの押しに根負けしてしまい、結局引き受ける事に。 それにしても、日本語のナレーションなのに、何でわざわざソウルのスタジオまでとりにいくのかと思ったら、当時は旅費と滞在費込みでも韓国でやった方が日本でとるよりコストダウンになるからという理由だった。 かくして、韓国がどこにあってどういう国かも知らなかったわたしが、突然未知の国へと足を踏み入れる事となった。 1998年の暑い夏の事であった。 |
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初めて金浦空港に降り立った時、ごま油の匂いがたちこめていたのを憶えている。確か、むせかえるほどに。その後、何度行ってもそんな事感じないのに、何故か最初はそうだった。
そして、丸や棒で出来た暗号みたいな不思議な文字に、とても驚いた。 こんなのどうやって読むんだろう?なんて思いながら文字を眺めていたら、酔いそうになった。 それから、やけにケバイ・・もとい、セクシーなおねえさん達に驚いた。全体的に女性のメイクが濃い気がしたので、何より顔のつくりが派手なわたしは、この国にいれば目立たなくてすむとミョーな嬉しさを感じた。 そして何故か、懐かしい感じをおぼえた。おまけになんか水が合うというか、空気が合うというか、そんな印象を受けたのを憶えている。 |
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アンニョンハセヨが韓国語だということも知らずに初めて行った韓国だったが、どいうわけか一目惚れしてしまった。
なんでこんなに気に入ってしまったのかさっぱりわからない。どこがそんなにいいんだと聞かれても説明出来ない。 だけど新聞で韓国という文字を見れば胸がドキドキし、時間とお金があれば常に韓国に行きたいと思うようになり、ご飯にコチュジャンをつけて食べるようになってしまったワタシ。。。 古くからのマニアに言わせると、こういうのを韓国病と言うんだそうだが、かなり長患いな上、重症である。 |
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1998年12月の末、暮れも押し迫った頃、突然ソウルの友人から「日本人のためのアンニョンハセヨ」という韓国語学習教材が届いた。
そういえば以前その友人に「韓国語を勉強したいと言ったおぼえがある。それで「韓国語の勉強をしたいんなら、こっちで教材を探しておく」と相手もたしか言っていた。 だが、その教材のページをめくった途端、わたしはまるで何かにとりつかれたかのように韓国語の勉強にハマリ込んで行った。 独学である程度勉強を進めてから、1999年の2月、民団主催の東京コリアンアカデミー中級クラスに入学。その時の講師が日本での韓国語教育においての重鎮、金東俊先生だったと後から気づく。 しかし、学校の授業は既に自分で終えた内容だった為、物足りなさを感じて1999年6月、ネットで韓国語の先生を募集。 最初に返事をくれた当時博士号の論文作成中の留学生とハングルメールのやり取りをしながら韓国語を教えてもらい始める。 今思えば、このメールのやり取りがわたしの韓国語の文章の骨格を成す重要な期間となった。後にも先にもあれほどすばらしい文章を書く韓国人とは出会った事がない。 メールでのやり取りで勉強をしながら 1999年6月、ハングル能力検定5級と4級に合格。 そしてどうしても行きたくて 1999年8月、ソウルの高麗大に短期留学し2級クラスで勉強。 1999年10月、韓国語検定2級に合格。 1999年11月、ハングル能力検定3級に3点足りず不合格。 出だしが調子良かったせいか、その後はふるわず。 2000年後半、スランプに突入。徐々に勉強から遠ざかり、その後完全放棄。 2003年夏、友人の韓国留学を機に久々に渡韓。再び韓国語の勉強を考え始める。 2004年9月、仕事で本格的に韓国に携わる事になり、再び勉強せざるを得ない状況に陥った為、NAVER Japanで勉強ブログを開設。 しかしNAVER Japanが閉鎖、またしても勉強中断。 2005年10月、重い腰を上げて、二度と挫折しないようにとexciteで学習ブログを立ちあげるも人目に触れず、Yahooブログに引越し勉強再開。現在に至る。そして相変わらず独学。 |
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1998年夏の初渡韓後、仕事で頻繁に韓国と日本を行き来するようになる。韓国と出会い、韓国語を学ぶようになってから、日韓共にたくさんの人たちと巡り会った。
だが2000年後半、韓国での仕事が終了する。それまで行けば1ヶ月間は過ごしていた事を思うと、受け入れがたい現実だった。 2001年に入ってから、ある事が原因で韓国と距離を置くようになった。 これを機に韓国絡みの友人知人たちとの連絡も遠のく。 だが、いくら距離を置こうとしても、望まなくても、韓国は良いも悪いもわたしを何かと取り囲んで離さないのである。 2004年9月、わたしと韓国との出会いを作ったクライアントさんが韓国関連会社を新たに設立する事になり、会社をよく知っていて韓国語がわかる人間という事で、こともあろうかわたしを呼んだ。 韓国と出会った事は縁だったとしかいいようがない。 この事がキッカケとなり、また渡韓も増え、更に人脈も広がった。 そして・・・ 2006年12月、会社でインターンシップの受け入れをした。韓国の大学からやって来た5人の学生と2007年2月までの2ヶ月間を過ごした事により、わたしの中の何かが変わった。 日本語が覚束無い彼らに、これまた覚束無い韓国語で日本語を教えるという無謀な毎日。その中で彼らから逆に教わった事は計り知れない。お互いに学び合いながら、力を合わせて必死で仕事をした事が、わたしの何かを確実に変えていった。 わたしの・・・韓国、そして韓国語への思いや姿勢に大きな影響を与える機会となったこの貴重な体験は、生涯忘れる事はないであろう。そしてちょっと寂しいけれど、離れてしまった彼らの事も、もしこの先二度と会えなかったとしても、一生忘れないだろう。 今は、多くの出会いに感謝し、また新たな気持ちで韓国と向かい合っている。勿論、面倒くさくなる事もしょっちゅうあるが。。。 |
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