○書は心の遊び
現代の私たちは日常生活で毛筆を用いることはありません。ですから,毛筆を手にするということ自体が非日常的な体験です。真っ黒い墨を含ませた筆で真っ白い紙に立ち向かう。この新鮮さ。胸がどきどきします。書の面白さはまずここから出発します。
書を書道ということがあります。書道というと,何か深遠な書の奥義なるものがあって,それを極めるための厳しい修行のプロセスといった感じがします。精神修養的な色彩も帯びてくるようです。
たしかに,書を学ぶには筆の遣い方をはじめとするある程度の技術を修得する必要がありますし,書の学習の主要な部分は書の古典との対話つまり臨書です。でも,最初からあまり書をしゃちほこばったものに考えない方がいいのです。堅苦しい先入観は自由な精神の発露の妨げになります。
書は大人の遊びです。単に遊びといって悪ければ心の遊びということにしましょう。まずはその程度に思って下さい。遊びは楽しいものです。楽しくなければ遊びではありません。
ただ,何でもそうだと思うのですが,最初からいきなり書の楽しさ,面白さがわかるというものではありません。あせらず,ゆっくりと時間をかけて味わっていきましょう。書にはそれだけの豊富な内容と歴史の積み重ねがあるのですから。○書は趣味として最適
高齢化社会を迎え,人生八十年の時代です。定年退職後,あるいは子供が独立して何もすることがなくなった後の時間がとても長いわけです。せっかくだから何か趣味でも持とうかということで書を始める人も多いようです。
私はといえば書の面白さに心底のめり込んで,あげくにインターネットでこんなホームページを開設するぐらいですから,自信をもって書を生涯の趣味としてお勧めします。趣味としての書の最大の特徴は,誰にも迷惑をかけないですむことでしょう。
ピアノやバイオリンなどの楽器のような音が出るわけではありませんから,隣近所とのトラブルもありません。
囲碁将棋やテニスなどのように相手がいなくても,自分一人でできます。
時間も,夜であろうが早朝であろうが,好きなときに楽しむことができます。
場所も自分の机一つあればできますから,どこか設備の整った所へ出かけなければならないということもありません。
そしてお金の面でも,日展で特選をとってやろうなどと大それたことを考えなければ,適当な小遣いで十分に楽しめます。したがって,家庭不和になる可能性の最も少ない趣味です。○独学で十分
そして最も重要な点は,書は独学が可能な,稀有な芸事だということです。
音楽,スポーツ,絵画,茶道,華道,陶芸・・・いずれも本格的にやろうとするならば,専門の先生につくか,専門の学校で学ぶかするのがふつうです。
ところが,書というものは,独学でも十分に本格的な楽しみ方ができるのです。書とは,せんじつめれば筆で言葉を書くだけのことです。言葉は誰でも使うし字は誰でも書きます。そして,書の表現の拠り所となる古典の手本(これを法帖といいます。)も,鮮明なカラー印刷のものがとても安く手に入る時代になりました。書の道具立ては,基本的に,筆墨硯紙と法帖だけです。それさえあれば,自分だけで好きなように学び,楽しむことができます。
よい指導者がいれば教えを乞うのもいいし,書の専門学校で学ぶのもよいでしょう。その効果を否定するつもりはありません。しかし,そうでなくとも,書を本格的に楽しむことは十分に可能なのです。
○歳をとるほど味が出る
さらに書の素晴らしい点は,歳をとるほど味のあるよい書が書けるようになるということです。
人によって上手下手はありますし,より長い間習った人の方がうまい字が書けるのは当たり前です。しかし,そうした手筋や技術的なこととは別に,書にはその人の性格や人間性そして年輪が如実に表れます。長い人生経験の積み重ねが何ともいえない味わいを醸し出します。
歳をとるにつれて肉体は衰えていくわけですが,それに反比例して書の内容は豊かなものになっていきます。スポーツなどではある時期にピークに達すると,あとは下降線をたどっていくだけですが,それとは正反対の現象です。あの川端康成(右図)が言っています。
「書は老いとともによくなりこそすれ悪くはならない。そこが東洋の芸術としてのありがたさである。」
歳をとるほど味が出るということは,自分の最高の作品を求めて死ぬまで楽しめるということです。何と息の長い芸術ではありませんか。
○今からでも遅くない
芸事は何でもそうですが,なるべく早くに始めるに越したことはありません。基礎的な技術を身に付けるには神経や筋肉が柔軟な若いうちのほうが効果的だからです。
書も例外ではありませんが,しかし他の芸事に比べるとその必要度は小さいといってよいでしょう。書における技術とは要するに筆を用いて言葉を書くための技術ですが,言葉は誰でも書いています。筆こそ使わなかったかもしれませんが,鉛筆,万年筆,ボールペンなどで字はたくさん書いてきたはずです。長い人生を生きてきた分だけ,言葉も経験も豊かになっているはずです。書で一番大切なのは,この言葉をこのように書いてみたい,という情熱をどれだけ強烈に持っているかということです。それは筆の遣い方の技術などよりもよほど本質的なことです。
今からでも遅すぎるということはありません。ウン十の手習い,などと恥ずかしがらずに,堂々と始めて下さい。
書というものは,ちょっとたしなんでみようという程度であればそれなりに遊ばせてくれるし,本格的にやってみようというのであればそれ相応の奥深さと広がりの世界を見せてくれるのです。
○やりたいようにやろう
さて,趣味として書をやる上での心がまえとして大切なことは,自分から進んで主体的にやろうとする態度でしょう。誰に命令されてやっているのでもない,誰に頼まれてやっているのでもない,自分がやりたいからやる,そういう気持ちが大切です。
どうかすると書には厳格なしきたりや決まった学び方があって,それに従わなければいけないように思われがちですが,決してそんなことはありません。さらに,ある程度書のことがわかってきたら,自由に,好き勝手に,自分のやりたいようにやることをお勧めします。書を職業にしている人たちは別ですが,趣味で書をやるならばどんどん自分勝手にやっていいし,またそうすべきなのです。
仕事の上では,どんなに嫌な上司の命令でも,無理な顧客の要求でも笑顔でハイハイと聞かなければならないし,やりたくないこともやらなければいけません。もしかすると,不本意ながら良心にもとることもしなければならないこともあるかもしれません。しかたがありませんね。それでお金をもらって生活しているのですから。
でも趣味は自分の時間とお金を費やして,自分が楽しむためにやっているのです。自分が満足のいくように,そして納得のいくようにやりましょう。それが許されるから趣味なのですし,そうでなければ第一,自分自身が楽しくありません。