○書を学ぶ目的
「あなたはなぜ,何のために書を学ぶのか。」
字がうまくなりたいために決まっているじゃないか。いまさらわかりきったこというなと叱られそうですが,もう少し深く突っ込んで考えてみてほしいのです。自分はいったいどのようになりたいと思って書を学ぼうとしているのか。自分が理想とする状態を,具体的にイメージしてほしいのです。というのは,当たり前のことですが,目的が違えばそれに応じて学習の方法も違うからです。○年賀状をうまく書きたい
毎年,正月に新聞を開いておもしろいのは,必ずといっていいほど,書道教室の案内広告が入っていることです。業者の思惑を想像するに,さしずめ次のようなところでしょうか。
「年末に年賀状を書く際,筆で書きたい,あるいは筆字がもっと上手であったならと思っていた人は多いはずだ。年が明けてもその時の忸怩たる思いを引きずっている人は多いだろう。元旦に他の人からの年賀状を受け取って,ああやっぱりみんな自分よりうまいとがっかりしている人も多いだろう。そういう時に書道教室の広告を入れれば,一年の計は元旦にありという気持ちも手伝って,受講希望者も多くなるはずだ。」そうした業者の思惑は別として,年賀状を筆でうまく書きたいのなら,それに応じた練習が必要です。普通の書道教室でやっているように,大きな筆で半紙に四字や六字書きの練習をしても,直接的な効果は期待できません。
○署名をうまく書きたい
結婚式の受付で署名をうまく書きたい,という希望もよく聞きます。
しかし,これもちょっと考えてみればなかなか大変なことであることが分かります。
受付で署名をするというのは,文字を書く場面の中でも相当に異常な事態です。立ったままでしかも中腰で書かせられるわけですから不安定この上ありません。しかも書き慣れた自分の名前とはいえ細字です。その上,受付の人にじっと見られているのです。受付の人にしてみれば,別段うまく書けるかどうか見てやろうなどという意地悪いつもりは毛頭なくて,招待客が署名をしているのにそっぽを向いているのも失礼だし,ほかに目のやり場もないのでただ所在なく見ているだけなのですが,書いているほうとしては「見られている」と思うだけで相当なプレッシャーです。さらに署名が難しいのは,全く初対面の用具を,試し書きなしにぶっつけ本番で使わなければならないことです。筆は柔らかいのか固いのか,弾力はどの程度か,墨は濃いのか薄いのか,署名簿の紙はにじむのかにじまないのか,こうしたことを硯の上で筆の鋒先を整えるほんの一,二秒のうちに判断しなければならないのです。そして筆が紙に接した瞬間から,自分が予想した書き具合と実際とのずれを軌道修正しながら,刻々と筆遣いや速度を変えていかなければなりません。
一口に署名と言っても,これだけの内容をクリアして初めてある程度満足のいく署名が書けるのです。受付での署名というのは,その人のこれまでの書の経験を総動員して行われるものであって,決して小手先の筆遣いだけの問題ではありません。
ちなみに私は,署名をうまく書くコツというのは,結局場数を多く踏むことに尽きると思っています。最初はなかなか恥ずかしいものですから,例えば平日の展覧会などで,受付の人のいないところでこっそり書いて経験を積むのも一つの方法です。○目的に応じた学び方をしよう
年賀状と署名に類似した動機として,のし紙や祝儀袋の表書きをうまく書きたい,という希望もあります。また一方で,そうしたはっきりした目的はなく,なんとなく趣味としてやってみたい,という人もあることでしょう。さらに,第二の人生の生きる道として書道の師範になり,とりあえず子供にでも書を教えて暮らしたいという人もいるかもしれません。あるいはもっとぎらぎらしたところで,大きな展覧会で賞をとって書の世界で一旗挙げたい人もいることでしょう。かたや,現代の書に飽き足らずこれを変革すべく立ち上がったという勇ましい人もいるかもしれません。
いずれも大いに結構です。それぞれの目的は相互に優劣はありませんし,高級とか低俗とかの批評も他人にとやかく言われる筋合いのものではありません。いずれにせよ大切なのは,目的をはっきりさせた上で,最も適切な方法を選んでたゆまず学習を続けることです。年賀状や署名,のし紙や祝儀袋をうまく書きたいのなら,細字の練習をしっかりやるのが効果的でしょう。書道の師範といってもいろいろありますが,競書雑誌の師範ならこつこつと出品し続ければ十年もすれば師範になれます。展覧会で賞をとりたいなら審査員を務めているような先生に入門するのが最も近道です,というよりそれ以外の方法はありません。現代の書の変革となると私などには皆目見当がつきませんが,よほどの才能を必要とするとともに,日々毀誉褒貶にさらされるいばらの道であろうことは想像に難くありません。
いずれにせよ,目的と方法とがうまくかみ合っていないと,労多くして得るところが少ないということになりかねません。○私の目的
さて,それではお前の目的は何なのだ,と問われそうですね。
私の目的は,趣味として書を楽しむことです。自分が書きたいと思った言葉を,その時の自分の気持ちにぴったりした雰囲気で書けるようになりたい,それが私の理想です。その時々の場面と気分に応じて,自分の気持ちが素直に出たような書を書けるようになりたいと思っています。人間が生きて生活するということは,いろいろな場面でいろいろな相手と関係を結び,その時々に応じた振る舞いをするということです。
例えば私は社会的には会社員です。部下に対しては上司として振る舞い,上司に対しては部下として応対します。職場では真面目に仕事をしますが,酒の席ではたまにはめをはずしたりします。家に帰れば二人の子供の父親ですし,妻に対しては夫です。郷里の親に対しては子供になります。人間ですから気分の良いときもあるし悪いときもあります。あとで悪かったと思って後悔するのですが,たまに子供に当たり散らしたりすることもあります。
これらをまるごとひっくるめたのが,私という人間です。私の振る舞いや言葉使いは時と場合,相手によって当然違ってきます。私が書く書もまた,その場面と気分に応じて異なってきます。謹厳に畏まった場面でピシリと決まった楷書を書かねばならないときもあるでしょうし,一杯機嫌で行草をくねらせたいこともあるでしょう。墨しぶきを飛び散らせながら書きなぐりをしたいときがあるかと思えば,心をこめて慈しむように筆を運ぶこともあるでしょう。
私は,こうしたその時々の場面と自分の気持ちに応じて,自分のありようが素直に出せて,しかもその底ではしっかり書法を踏まえているといった,そんな書が書けるようになりたいと願っています。もとよりとても欲張りな目的です。しかし,だからこそやりがいがあると思っています。
そういうわけで,これから「趣味として,しかし本格的に書を楽しむにはどうしたらよいか」ということを中心テーマとして,私の経験と考えとを書いてみたいと思います。書というものは本当に奥の深い,おもしろいものです。そうした私の思いをいくらかでも皆さんにお伝えできればと思います。