○好きということの大切さ
書の学習は古典を学ぶことに尽きます。ではどんな古典を学んだらよいのでしょうか。
ことわざにも「好きこそものの上手なれ」というように,自分の好きな古典を学べばよいのです。
好きということは,その対象物の中に,自分自身と共通した部分があるということです。あるいは,今の自分にはないが,自分がそうなりたいとあこがれている部分があるということです。そうした対象とのかかわりを深めていくことによって,自分の好みというものがだんだんとはっきりしてきます。そして,それをつきつめていったところに個性というものが見えてきます。あなたが好きなもの,それがあなた自身にほかなりません。自分の好きな古典を探し求めるのは,自分自身を発見する旅でもあるのです。
こんな字がかけたらいいなという気持ちを起こさせる古典,自分にはとても書けそうもないがとにかくすごいと思わせる古典,なんだかよく分からないが何となく心にぴったりくる古典。まずは,そうした古典をかたっぱしから習ってみましょう。先生の勧める古典や特定の傾向のものばかりに偏るのはよくありません。せっかく自分が持っている可能性の範囲を狭めてしまいます。自分の目と心の赴くままに,自由かつ大胆に古典の世界を渉猟して下さい。私の経験から言っても,自分が好きで学びたいと思って学んだ古典だけが自分の血肉になっているように思います。○私の好きな古典
私は,三十歳ぐらいの時に,一生涯つきあっていこうと思う古典を選びました。
それまでは,あちらこちらの古典をつまみ食いしていたのですが,だんだんと好き嫌いがはっきりしてきたわけです。当時の私の選んだ古典とその理由は次のようなものでした。(古典名の部分をクリックすると画像がご覧になれます)
書体 古 典 名 作 者 名 コ メ ン ト 1 楷書 九成宮醴泉銘 歐陽詢 完成された楷法の極致。書字の規範中の規範。 2 〃 張黒女墓誌銘 不詳 点画の妙味と古意あふれる姿態。心に泌み入る味わい。 3 〃 元顕儁墓誌銘 不詳 筆画の切れ味抜群。理知的で緊密な文字の結構。 4 行書 王鐸 王鐸 変化に富んだ字形,奔放な墨法。条幅の鍛練には不可欠。 5 〃 呉昌碩 呉昌碩 素朴,重厚,一本気な世界を現出。単調だが迫力あり。 6 〃 伊都内親王願文 橘逸勢 才気煥発にして日本的逸脱の書。大好き。 7 草書 書譜 孫過庭 あまり発展性はないが草書の典型。節筆の激しさは見どころ。 8 隷書 木簡 不詳 漢人の貴重な肉筆。素朴で自由な字形と躍動感。 9 〃 石門頌 不詳 悠揚せまらぬ大人の風格。一見ユーモアとも見えるが・・・。 10 篆書 趙之謙 趙之謙 堂々たる迫力。ちょっとねちっこいが,装飾性満点。 11 〃 金文 不詳 漢字が呱々の声をあげている姿。大いなる可能性を秘める。 12 かな 寸松庵色紙 伝紀貫之 空間処理の完璧さ。まさにかなの王者の風格。 13 〃 香紙切 伝小大君 雅な流れがたゆたいながらどこまでも続いていく。 コメントは当時のメモによるもので,さすがに現在ではちょっと首を傾げたくなるところもあります。例えば,呉昌碩について言えば,私は当時から行書がへたくそだったので,単調な右上がりの振り子運動でごしごしやれば何とかサマになるだろうと思って選んだのです。でも,呉昌碩の行書は,篆刻や石鼓文の臨書をいやというほどやったあとで咲いた花のようなもので,根っこができていなければ到底無理だと知って,今は遠ざかっています。
また,とんでもない見当違いをしていたのが王鐸です。字形の変化や奔放な墨法と見えたものは上っ面の姿で,その本質は苦渋の書であることは,後に知りました。このことは第四章のところで改めて触れます。そういうわけで現在は,行書については呉昌碩と王鐸の代わりに,王羲之の蘭亭序と顔真卿の祭姪稿とに日常的に親しんでいます。この二つは古来あまりに評判が高く,へそ曲りの私はわざと無視していたのでしたが,齢を重ねるにつれてやはりその素晴らしさに頭を下げざるをえなかったというのが,偽らざるところです。それぞれにコメントを付すとすれば,
書体 古 典 名 作 者 名 コ メ ン ト 14 行書 蘭亭序 王羲之 典雅この上なし。名文がそれにふさわしい現身を得た姿。 15 〃 祭姪稿 顔真卿 巨大な広がり,底知れぬパワー。一切の妥協を排した強靭な書。 といったところでしょうか。そのほか,参考までに著名な古典をいくつか掲げておきます。
書体 古 典 名 作 者 名 コ メ ン ト 16 楷書 牛けつ造像記 不詳 北魏の龍門造像記の一つ。闊達さと鑿の鋭い切れ味が魅力。 17 〃 雁塔聖教序 ちょ遂良 書の歴史上,最も美しく洗練された楷書。 18 行書 喪乱帖 王羲之 王羲之の真跡のおもかげを彷彿とさせる逸品。 19 〃
黄州寒食詩巻 蘇東坡 蘇軾の鬱屈した気持ちがひしひしと迫ってくる名作。 20 〃
松風閣詩巻 黄山谷 しこった筆が隅々まで行き届き,禅機を感じさせる書。 21 〃
蜀素帖 米元章 蘇東坡,黄山谷と並ぶ宋の三大家の一人。痛快,闊達の書。 22 楷書 鄭羲下碑 鄭道昭 悠然たる楷書で鄭道昭の代表作。 23 〃
顔氏家廟碑 顔真卿 筆力雄健な顔真卿楷書の代表作。好みは分かれるところ。 24 行書 風信帖 空海 言わずと知れた弘法大師の傑作。 25 〃
屏風土代 小野道風 日本的な優雅さを感じさせる和様の書。 26 隷書 曹全碑 不詳 漢代を代表する美しい隷書。滑らかな線と伸びやかな波勢。 27 〃
礼器碑 不詳 いわゆる八分隷の典型。引き締まった線と整った字形。 28 篆書 甲骨文 不詳 亀の甲や獣の骨に刻された最古の漢字。 29 〃
泰山刻石 不詳 秦の始皇帝が定めた,篆書の完成された姿。 30 かな 高野切 伝紀貫之 日本独自の仮名の完成された姿。
○意味まで知ろう
さて,せっかく自分が生涯つきあっていこうと思う古典を選んだのであれば,筆画や文字を学ぶだけでなく,文章の意味まで知るように努めましょう。古典の字面だけを追うのではなく,そこにどのような内容が書いてあるのか,その意味を知ることは古典への理解をさらに深めます。
幸い,私たちが習おうとする古典は有名なものばかりですから,多くは釈文や研究書が出されています。それらを読み,その内容を理解し,その古典を書いた作者の人となりや,書かれた時代に想いを馳せましょう。今から数百年,数千年の昔に,どんな人が,どんな場面で,どういう気持ちでこの書を書いたのだろうと空想を膨らませることにこそ,書の古典を味わう醍醐味があるのですから。○古典は砥石
誰しも自分の字の癖をもっています。それは個性の萌芽ですが,そのままでは単なる癖字にしか過ぎません。古典によって癖を矯め直し,癖の中に含まれているキラリと輝くものを磨き上げたときに,初めて個性にまで高めることができるのです。その意味で,古典とは砥石であり,臨書とは古典の砥石で自分を磨くことだと言えるでしょう。
自分を磨くものである以上,砥石の選び方が大切なことは言うまでもありません。自分に合わない砥石をかけて,自分がゆがんだり,すり減ってなくなってしまっては元も子もありません。そこに学ぶべき古典を選ぶ際の難しさがあります。私は基本的に,自分の好きな古典を習うのが一番だと思っていますが,選択に当たっては,最初から食わず嫌いを決め込まずに,いろいろな古典を幅広く習ってみることが大切です。
また,場合によっては,自分の欠点を矯正したり,弱点を補強するために学ぶ古典もあるものです。例えば,私は長い間,行書というものは筆をこね回すものだと勘違いしていたために,点画が弱々しく,字形が流されてしまうことに悩んでいました。顔真卿の争座位稿を習うようになったのは,それを矯正するという理由もありました。どんなに小さな点画でも,筆先を突き立ててしっかりと引き切る練習を何度も何度も繰り返したものです。
このように自分に合った古典を見い出し,それによって自分自身を磨いていくことは,自分が理想とする書の姿を追求していくプロセスそのものなのです。○好きな古典と一生付き合う
自分が選んだ古典は一生の伴侶です。この伴侶は文句も言わず,ぐちも言わず,ましてやダイヤの指輪を買ってくれなどとねだることもなく,ふだんは机の片隅にひっそりと鎮座していますが,ひとたびこれを開きこちらから語りかけるや,強烈な個性とほとばしるほどの情熱をもって迫って来るのです。
古典の味わいと奥深さには限りがありません。もうこれでいいとか,学び終わったとかいうことはありえません。もしもそう思ったら,そう思った瞬間が自分の鑑賞眼の限界だと考えてよいでしょう。なにしろ,これまで何百年という長い歴史の中で,数知れない人々が鑑賞し,学び,挑戦し,そしてやはりこれにはかなわないと頭を下げたものが古典なのですから。
現代は,そうした選りすぐりの古典が印刷物とはいえ容易に手に入る時代です。それらの中から自分が好きなものを選び出し,折に触れて対話を繰り返していけるということは,まさに生涯尽きることのない楽しみと言ってよいでしょう。