
vol.2
そのE・・・降松星太鼓(下松市)
太鼓センターひろしまは、1994年3月16日独立法人に衣替えをして新たなスタートをきりました。
その法人設立記念として、風流打楽「祭衆」公演を広島市青少年センターホールで開催しました。
丁度その頃山口県下松市では、11月2日の市制施行55周年を記念して、
かねてからの念願だった和太鼓チームを結成すべく会員募集を開始したばかりでした。
ご縁をいただいて、市より太鼓指導者として私と京都の東宗謙氏が指名され、
4月29日にめでたくチーム結成の運びとなりました。
メンバーは、消防団員・住職・教員・市職員・OL・主婦など23人。
5月より花岡公民館で古タイヤを使っての練習がスタートしました。
半年間の練習で初演という厳しい命題を背負って・・・。
下松市は徳山と光の間に位置する温暖な町で、“星ふるまち”“吹奏楽のまち”として有名で、
また花岡歌舞伎・狐の嫁入り・さんさ踊り・風鎮踊りなどの芸能・祭事が盛んなところです。
7月には4尺5寸の大桶胴太鼓をメインとする組太鼓が入り、練習場所も移動、
そして正式に『降松星太鼓』(くだまつほしだいこ)と銘名されました。(保存会として独立するのは翌年7月)
9月には、初演を飾るオリジナル曲『星のまち伝説』(作曲振付:ひがしむねのり)が誕生。
曲は、空から舞い降りた天女と下松の先人が結婚してまちがつくられていく様子や
活気に満ちた未来の下松を描いています。
はれの初演を夢見ての半年間の猛練習の成果は、11月2日「市制施行55周年記念式典」のステージで
見事に花開きました。
笠戸島での打ち上げのヒラメが格別だった事は、言うまでもありません。
お魚といえば、ある日桑田会長が私達のためにわざわざ漁をしてウロコをとり食べさせてくれた小鯛の味も
また格別でした。
また1996年2月10日の「祭衆」とのジョイントコンサートの日が観測史上最高の大雪に見舞われ開催が危ぶまれながらも、
メンバーの素早い機転で無事乗り切った事。
そして、その年の7月に下松市の会場をお借りして開催した特別講習会などなど、
嵐の様な様々な出来事と一緒に「降松星太鼓」のこの10年を思い出します。
その降松星太鼓が、今年2月5日「設立10周年記念自主公演」を成功させました。
舞台は下松市らしく、下松市吹奏楽団とよさこい3チーム、
さらに子ども太鼓の松風太鼓が彩りを添えた暖かい内容でした。
10周年本当におめでとうございます。
これからも地域に愛され、永く、深く根付いていきます事を念願します。
そのD・・・平生しぶき太鼓
1988年に太鼓センターひろしまの活動を開始して2年後の1990年7月27日、
山口県平生町に「平生しぶき太鼓」が誕生しました。自治体チームづくりに関わった記念すべき初仕事です。
初めて平生町を京都の東宗謙氏と訪問したのは、その半年位前でした。
平生町は、今原発で揺れている上関町の隣りで、柳井市の南に位置します。人間魚雷「回天」の基地もありました。
商工会の人に、町のあちこちを案内して頂きました。
その昔、止まない暴風の海を鎮めるため、般若姫(大分県三重町)が大畠の瀬戸で海に身を投じたという伝説も聞きました。
7月、タイヤで基礎練習からスタートしました。
何回か重ねるうち、メンバーの一人が「しぶき太鼓」という名前を考えました。
その「しぶき」と「般若姫」から、作曲の東宗謙さんは俄然イメージがわいてきました。
練習も次第に盛り上がりはじめた頃、ふるさと創生資金の一部を使って町に組太鼓一式が入ってきました。
メインの太鼓は2尺5寸の長胴太鼓です。
それが余りに神々しく畏れを感じて、商工会・町の人たちは、急きょ神主さんを呼び祝詞をあげ「入魂の儀」を執り行いました。
平生しぶき太鼓の出航の無事も祈念して。
そして、1991年5月11日、平生町ふるさと創生事業「平生やっちゃれ音頭」(星野哲郎作詞)と
「平生しぶき太鼓」の完成お披露目会でめでたく華々しくデビューしました。
当日は続けて「水前寺清子ショー」が開催されていました。
一緒に記念撮影だけ済ませると、初演を終えた私たちはせっせと打ち上げの準備。
打ち上げは、商工会2階の床にビニールシートを敷き詰めて始まりました。
その途中は記憶にないのですが、最後の「ビールかけ」だけは鮮明に覚えています。
ビールをたっぷりかけられた体調不良の東宗謙さんが死ぬのではないかと心配した記憶も。
(それから14年、2度目のビールかけは他でも未だありません。)
しばらくして、町には全国的にも珍しい太鼓専用練習場も完成しました。
数年前には「しぶきっ子」という子どもチームもできたそうです。
チームが発足して15年、なお営々と引き継がれていることを私は嬉しく誇りに思います。
そのC・・・夢をかたちに!「もみじ作業所」
1980年1月、もみじ作業所は障害者・家族の長年の夢をのせて、
広島市における無認可作業所第1号として
西区の保育園の一室からスタートしました。
法人化まではなにせ一部屋しかなかったので、作業も食事もトイレもそこで全部すませるのです。
でも仲間や職員たちは、その苦労を笑い飛ばして、毎日いきいきと過ごしていました。
作業所がスタートして6年目、私が「広島合唱団」の専任スタッフとして自立して間もない1985年のある日
井上所長から電話が入りました。
「作業所を法人化したい!行政や市民に理解・支援してもらうためのコンサートをやりたい!」と。
それから私や合唱団スタッフは、もみじ作業所に通いずめとなります。広島での未知の取り組みのスタートです。
実行委員会で色々と意見交換をして、コンサートタイトルは「ともだちコンサート」と名付けました。
テーマソング「ともだち」も皆の力で生まれました。
仲間たちの思いや願いを綴ったオリジナル曲も次々と生まれました。
練習に練習を重ねて、「第1回ともだちコンサート」は、
広島市青少年センターホールの舞台・客席を埋め尽くし
大成功に終わりました。
そこに居合わせた誰もが泣き、互いに大きなエルルギーをもらいました。
合唱構成の合唱隊は、その後の市民公募合唱団の先駆けともなりました。
1988年には、スタジオ録音のカセットテープ「ともだち」を音楽センターひろしまと共同製作しました。
(ともだちコンサート第1回の合唱構成「今日から作業所」と第2回の「仲間のマーチ」を収録しています。)
その後、厚生年金会館でのコンサートライブLPレコードも製作しました。
(カセットテープ時代に入ったため歴史的なLPレコードは在庫の山となりました。)
そして街頭カンパや「ともだちコンサート」や様々な取り組みの苦労を経て、
1993年4月社会福祉法人施設として再出発しました。
2004年3月には、念願の身体障害者福祉ホーム、知的障害者グループホーム、
地域交流スペースの合築施設「夢トピア」を開所することができました。
無認可時代からのこの24年間は、「もみじの夢」を努力と多くの人の支援でひとつひとつ「実現した」歴史でした。
6月6日には第7回「ともだちコンサート」を成功させました。
オープニングを、今福優さんや慈音と、そして130人の「もみじ舞太鼓」で飾ることができました。
それは、2001年4月からスタートした職員の和太鼓クラブが中心となり、
2002年12月15日初開催した「打ちならそう!夢太鼓こんさーと」の成功の成果でもあります。
この19年間の私ともみじの職員・仲間たちとの出会いとつながりは、
夢だけをたよりに自立の道を歩み始めた私自身の「自分史」とも重なるのです。これからも・・・。
(2004/9/25記)
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