
vol.1
その@・・・「たつのこ」
♪私の関わっている中で最古参のグループ♪
今から15年前のことです・・・
広島市西区己斐中町のふじハイツという団地に、自分の背たけほどの太鼓を力いっぱい叩く子供達がいました。
これが「たつのこ」と私の長い付き合いのはじまりでした。
デビュー曲「龍神太鼓」からとって「たつのこ」。
当時、幼稚園年長・小学生だった子供達も、今や大学生・社会人です。
15年来の付き合いですから、一人一人が私の子供のよう!
今は皆離ればなれなのですが、年数回集まっては一緒に練習しています。
<That’s「たつのこ流」>
・いつまでも「子どもの心」を持ち続けていること。
・練習時間が、ずっと一貫して「一時間」だということ。
・太鼓の練習が特別なことではなく、日常生活のごくごく一部だということ。
・練習は自由奔放、本番の輝きは最高!魅せてくれます。
・メンバー一人一人の発想が豊かで、曲がどんどん変化していきます。
・・・お姉ちゃんの島友菜さんいわく
「たつのこ流の”くずし”が楽しくなってきた昨今。それぞれのイメージが支え合って、
あたらしい音がうまれるのが楽しい。だれかの一言がどんどん広がる。打てば響く家族のツーカーの会話の様な!」
いつまでも、「たつの子」であります様に!!
<余談>最初の原稿は、これとは全くの別物でした。
実はこの9月21日に練習をして食事をして、お酒を飲む、初めての「大人の付き合い」をしました。
酒もさんざん入り、師匠の原稿に跡形もなく赤ペンを入れられてしまいました。
この日も、見事に「たつのこ流」でした。
そのA・・・野呂岩海太鼓
10月10日(日)、呉市川尻町の「野呂岩海太鼓」がベイノロホールで創立10周年の記念コンサートを開催します。
野呂岩海太鼓は1995年10月14日に誕生しました。
川尻町のすぐ背後には、守り神のような、雄大な「野呂山」がそびえ立っています。
その山の中腹には、たくさんの巨石がゴロゴロと横たわっているのです。
それを「岩海」(がんかい)と呼んでいます。その生成についてはよく知らないのですが、
その巨石を眺めていると、何かしら「古代のロマン」を感じるのです。
その昔の宇宙人のいたずらなのか?はたまたその昔すごい地殻変動が起こり岩が噴き出されたのか?
また、人間の魂の叫び?とも思えるのです。
そのイメージが、オリジナル曲「岩海」(ひがしむねのり作曲)として生まれました。
チームのデビューも1997年4月27日野呂山の山開きでした。
その初演は、川尻町を活気あるものにしようというメンバーの心意気に満ちた、躍動感のある演奏でした。
その野呂岩海太鼓も早や10年が経ちます。ジュニアも誕生しました。
そのコンサートのため、8月18日から3回、ジュニアの練習に伺いました。
このジュニアたちがまた何とも素敵なのです。
きっと大人のメンバーの指導のたまものなのでしょう!
まだ小さい子どももいるのに、うまく打てないことを歯がゆく思う、その一生懸命さに満ちているのです。
また、本当に子どもらしいのです。
こんなジュニアたちを育てた野呂岩海太鼓の将来が楽しみです。
どうか初志・初心を忘れず益々頑張ってほしいと願います。
10周年本当におめでとうございます。
そのB・・・光清学園
1988年、京都の東宗謙氏の「全国の太鼓センターネットワークをつくろう!」という呼びかけにこたえ、
広島でも活動を開始しました。
その間もない1988年10月13日に、光清学園を初めて訪れました。
南区にある光清学園は、視覚障害児と聴覚障害児が共同生活を送っている盲ろうあ児童福祉施設です。
失礼な言い方ですが、大変興味をもって、障害については何も知らずに、仕事を受けました。
当日訪問すると、人懐っこい顔が私を迎えてくれました。
練習場に太鼓の音が響き渡ると、様子をうかがっていた子たちも次第に参加する様になってきました。
練習は手探りで、盲の子にはベースの音と拍をハッキリ示し、
聾の子には大きい手振りと口唱和(リズムを口の形で伝える)と目の合図で練習を重ねました。
ポジションが激しく入れ替わる演目でしたが、恐れず動きまわる盲の子を聾の子がそっと誘導するなど、
互いに思いやって練習できる様に段々なっていきました。
短絡的な言い方で申し訳ないのですが、障害というのは、何かが欠けているだけで、
逆に他の機能・感覚が人一倍研ぎ澄まされて、その障害を補っているのではないかと実感しました。
集中力も特別に凄かった様に思います。
彼らの生活は障害別に二分して、一緒に何かを取り組むことはなかったけど、
「和太鼓」で初めてその「垣根」がとれた!と、後になって聞きました。
当時太鼓センターひろしまには、一台の太鼓しかなかったのですが、この出会いがご縁で、
1989年8月24日この施設・太鼓をお借りして、
第一回の和太鼓・民舞の講座をスタートさせることができました。
そして光清学園でのその後の自主的な太鼓の実践が、
「天手鼓舞」(てんてこまい)というチームに花開いていったのだろうと思います。
私が生まれて初めて覚えた「豊年太鼓」という曲を、唯一彼らだけが今も演奏しています。
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