ひろしのひゅーまんコラム 必読!

がんばれ!鳩山新政権の閣僚たち(2009年10月7日)

鳩山新内閣のスタートダッシュは、予想を超える出来栄えだ。早速の外交舞台で鳩山首相の演説は、「友愛」の理念を分かりやすく語り、2020年までに90年比で温室効果ガスを25%削減するという地球的発想でのリーダーシップは、海外の首脳らから異例の注目と拍手を浴びた。岡田外相の冷静沈着な交渉姿勢も、実に頼もしい。長年の懸案である選択的夫婦別姓の実現は、人権派弁護士だった千葉法相らしい初仕事になるだろう。年金をはじめ国民の最大関心事が集中する厚生労働省には、長妻大臣ら名うての「仕事師」たちが乗り込んだ。筋金入りの藤井大臣さんなら、財務官僚を使いこなし来年度7兆円のマニフェスト財源も必ず捻出してくれそうだ。
もちろん愛知選出の赤松農水大臣、直島経済産業大臣、経済財精通の古川、大塚の両副大臣などは、自民党政権には決して真似のできない活躍が期待される。
なかでも私が感心したのは、無駄な公共事業の総本山である国土交通省の前原大臣の態度だ。就任早々の連休に群馬の八ツ場ダム、熊本の川辺川ダム予定地に飛び、現地の人々に深深と頭を下げた。ダムは止めるが、長年ご苦労をかけた地域の生活再建には全力を尽くすと。こんな大臣と会うことすら拒絶する「推進派」の人々に、支持や共感が集まるとはとても思えない。
民主党のマニフェストは、にわか公約の寄せ集めや選挙用の宣伝ではない。過去3回の総選挙を通じて進化し練り上げられた体系的プログラムであり、鳩山政権と国民の契約書なのだ。官僚に依存せずムダを暴きだし、国の予算配分を大胆に国民生活中心に組み替える強い意思で貫かれている。歴史的使命を帯びた新閣僚たちの活躍を、私たちがしっかりと支えていこうと思う。

税金のムダはこうして暴かれる (2009年7月1日記)

 
名古屋市の河村市長の最大の公約「10%減税」については、「ただでさえ税収不足のときに250億もの財源がどこにある」という懐疑論は依然として根強い。しかし、自らの退職金や給与をばっさり切った上で、「徹底的にムダを省けば、財源は必ず出せる」と愚直に説き続ける市長の本気度が、次第に流れを変えつつあるようだ。
 これから始まろうとする木曽川水系導水路事業の負担金に、まず市長が「待った」をかけた。これが総額で210億円。これに刺激されるように、市議会でも「税のムダ遣い」追及が相次いだ。市の天下りを受け入れる外郭団体の再委託率が6割以上で41億円分。国や県の外郭団体に払う分担金や委託金が12億円。国道の直轄事業負担金89億円には国交省職員の退職金などが含まれていたことや、松原前市長の市長公舎の借り上げ費7000万円にも指摘は及んだ。
 もちろん、これらが全部ムダとは言うわけではなく、指摘を受けた関係者からの反発や言い分はあろう。県議会でも、河村市長への反発から「減税するほど余裕がある名古屋市への補助金をやめろ」などとバカな質問をする議員もいた。しかし所詮、議会も役所も、選挙で現れた50万票という圧倒的な民意の前には逆らえるはずもない。これまで国や県の手前言い出せなかったり、疑問を持つことが許されなかった支出を、本気でチェックしてみようという空気が出てきた。これが民主主義の力、政権交代効果であろう。
 近づく総選挙での政権交代のシュミレーションとして、「名古屋市の実験」を絶対に挫折させてはならないと思う。

設楽ダム、木曽川導水路の是非、選挙で決着を
(2009.3.22記)

 
愛知県の新規事業は、「知の拠点」をはじめ事実上"凍結"とされる一方、新年度から本格着工する国の巨大事業、設楽ダムと徳山ダムの木曽川導水路事業には、大盤振る舞いで予算がつけられている。国は景気・経済対策の一環として新年度予算に7兆円を超す公共事業費を盛り込むが、そのほとんどに、自治体はつき合わされている。国の直轄事業にも、工事費の三分の一、維持管理費の45%を自治体が負担しなければならない。いわゆる「裏負担」というやつで、全国知事会もその廃止を求め続けてきた。
 県の新年度予算におけるこうした「裏負担」は、実に390億円にも上る。その代表格が国土交通省事業である設楽ダムと、導水路なのだ。両方あわせて数十億円だが、この工事費負担は設楽ダム完成予定の2020年まで、導水路は2015年まで続き、ピーク時には年400〜500億円にも上る見込みという。設楽ダムの場合には、地元と締結した水没対策や振興策で903億円もほとんど県が負担する。こんな巨額の支出を伴う事業を、いま始める必要があるのだろうか。
 自然環境面への影響や、代替策の検討も決して十分行われたとは思えない。来年に控えた生物多様性条約の国際会議(COP10)に集まる自然保護団体からも、厳しい指摘が予想される。
 民主党の「次の内閣」で国土交通担当を務めた前原代議士は、「国が現在建設中の149ダム事業は、全部白紙から見直す」と発言している。導水路事業には、名古屋市の水道事業も120億円の負担を強いられることになる。名古屋市長選そして、来るべき総選挙で、「環境を破壊するムダな公共事業」にストップをかけるきっかけとしたい。

国の優等生・愛知では、もういられない(2009.1.1)

「明けましておめでとう」とは、とても言い難い年明けとなりました。
麻生首相は4つのKYと、永田町では笑えないジョーク。「漢字が読めない」「経済が良くわからん」「国民感情がよめない」「解散をようせん」だそうです。なんとも、こんな大変な時に、情けない総理大臣というしかありません。
これと対照的に海の向こうのアメリカでは、鮮やかに民主党が勝利し、初の黒人大統領の誕生です。カジノ経済がとうとうパンクし「百年に一度」といわれる世界的不況の発火点になったアメリカですが、オバマ政権には、ヒラリー国務長官を始め選りすぐりの人材を配し、この難局に力強く立ち向かおうとしているように見えます。これが民主主義の力なのだと言わんばかりに。
愛知よりもっと経済の悪い大阪では、橋下知事が元気です。ずいぶん荒っぽい言動で顰蹙を買うことも多い人ですが、京都、滋賀の知事とともに淀川水系のダム計画に待ったをかけ、第二京阪道路など国の直轄事業への府の負担金400億円を払えない、と言い出しました。いわく「職員の給与までカットして道路だけピカピカなのはおかしい」。さて、国はこの橋下知事の挑戦にどう対応できるでしょうか。
よそのリーダーに、嘆いたり感心したりしている場合ではありません。愛知県も大変なんです。これまでの愛知は国にとっての最優等生でしたが、国の言うとおりやっていたらとんでもないことになる、とみんなが感じ始めています。「愛知の転機」とは、私が十年前初当選した時のスローガンでした。いよいよそれを現実化する年になったようです。

小泉は去り、有権者の出番が来た
(2008年10月3日記)


県民の人権意識に関する意識調査結果がまとまった。5年前の結果と比べてみると、明らかに社会が「悪い方向」へ傾いていることが浮き彫りになっている。「今の日本は基本的人権が尊重されている社会であると思うか」の問いに対し、「そう思う」が27%から21%に減り、「思わない」が19%から30%に。結婚相手を決める時、家柄や血筋を問題にする差別的風習や身元調査についても、「自分だけ反対しても仕方がない」という消極的容認が増え、「なくすべきだ」という積極的姿勢が大きく後退している。同和問題に限らず、差別はいけないと頭では理解していても、競争が激化し、格差がどんどん広がる社会に対して「無力感」や「あきらめ」が蔓延してきた傾向が読み取れるのだ。
人権にかかわる重要な問題として「障害者の人権」を挙げる人は52%に達し、具体的には「収入が少なく経済的に自立できない」(60%)、「就職や仕事の内容、待遇で不利な取扱い」(55%)などと指摘している。
こうした傾向の背景に、市場競争を手放しで礼賛し、規制緩和を強力に推進してきた「小泉政治5年間」の影響があることは誰も否定できないだろう。派遣やフリーター、外国人労働者が激増し、ヘルパーなど福祉の仕事は低賃金が相場となった。障害者自立支援法ができても、自己負担が増えただけで、雇用率は一向に上がらない。医療費の自己負担は3割が普通となり、病院から医者がいなくなっている。
「日本の良さ」と評価されていた部分が次々と消えつつあることに、人々はいま気づき始めている。そんな傷跡を放置して、小泉元首相は政界を去っていった。そして有権者の出番が来た。戦後政治で初めて、「選挙で政権を選ぶ」チャンスがやってきたのだ。これを中途半端な結果に終わらせてはなるまい。

現場抜きで、社会保障を論じる危うさ       (2008.7.7)


 この国はいつの間に、お年寄りにこれほど冷たい国になってしまったのだろうか。敬老の精神も、親孝行の道徳も、こんな医療制度にお年寄りを追いやる国に、語る資格はない。後期高齢者医療制度とは名前を「長寿医療制度」と言い換えようと、医療費削減のための「改革」以外の何ものでもなかった。
 このままでは毎年1兆円以上医療費が増え、団塊の世代が後期高齢者となる2025年には50兆円にもなる(この推計は過大!)、75歳以上の高齢者が、現役の5倍も医療費を使う(年をとれば病気は当然!)――そんな財政論だけで、2年前自民・公明は強行採決に突っ走った。   そこには、肝心のお年寄りの立場や気持ちを思いやる姿勢が決定的に欠けていたといえる。
情けないのは、国が設計したこの医療制度の仕掛けで、主体にされた「広域連合」である。県内の自治体が全部集まって結成したというが、責任も極めて曖昧で、その地域にふさわしい医療を論じた形跡もない。県には財政負担のツケだけがまわってくるだけ。一人暮らし高齢者や障害者の医療費の補助制度を論じる際にも、肝心の当事者の声を聞いたり、現場の実態を調査することもなしに、財政論から制度をいじっている。これでは「地方政府」の看板が泣く。   

道路より、医療や教育にもっと国の予算をまわせ
                     
(2008年3月20日記)

 
石油や小麦などが軒並み高騰し、4月からは生活必需品が一斉に値上げだ。これが県民生活に更なる格差を拡大するのでは、と心配している。そんなときだけに、ガソリンの値段が25円も下がれば助かるというのが、誰しもの思いである。
 このガソリンの暫定税率の延長問題を通して見えてきたのは、国の予算配分の異常さだ。当初2年間だけだったはずの「暫定」を、34年間も続けてきたこと自体が異常だが、7兆円近い道路特定財源が今後10年にわたって確保される一方で、社会保障費は毎年2000億円以上減らされていく。こんなバカなことを政府は方針としてきたことだ。医療や年金など国民生活の安心基盤が、ガタガタになっているときに。
 神田知事は、「道路は必要であり、暫定税率は延長すべきだ」と答えたが、県民生活に責任を持つ地方自治のリーダーとも思えぬ発言だ。地方格差是正のためと称して政府が愛知県から400億円もの法人税を奪おうとしたときは、「地方自治を蹂躙する暴挙だ」と正論を吐いていた知事は、一体どこへ行ったのだろうか。
 国の医療費削減を目的としてこの4月から始まる「後期高齢者医療制度」は、ひどい年寄りいじめである。75歳以上のすべてのお年寄りから保険料を年金から天引き、1割の窓口負担(現役並み所得の人は3割)をとるという。国が設計し、民主党の反対を押し切って導入したこの制度の、財政運営上の責任を押し付けられているのは県である。
 OECD諸国のなかで、日本の医療費と教育費の政府支出の割合は、際立って低い。際立って高いのは公共事業だけである。優先的に予算を振り向けるべき分野は、医療や教育であり、断じて道路ではない。地方自治のリーダーなら、そう国に向かって訴えるべきときではないのか。

派遣法の規制緩和こそ、「働く貧困」激増の原因
                     
(2007年12月10日記)
 今年読んだ本で一番衝撃を受けたのは、「ワーキングプア――日本を蝕む病」(ポプラ社刊)だった。年収200万円以下という、生活保護水準以下の給与所得者が1000万人を超えたという。しかも政府は、その生活保護の扶助費を切り下げようとしている。1億層中流などといわれた日本は、すでに遠い過去のものとなった。
 12月県議会の一般質問で川嶋太郎議員が取り上げてくれたが、「30代の年長フリーター」が激増しているという現実を、政治は直視しなければならない。これが「少子化」の構造にもつながっているのだ。安定した仕事、家族を養える収入が得られる職場が失われたとき、社会は荒廃と衰退の道をたどり始める。90年代中ごろに「正社員」の道が閉ざされ、「パート」「ハケン」が急増し始める。それを加速したのが、小泉政権時代の労働者派遣業法の相次ぐ拡大、緩和だった。いまや200万人にも達するという「登録型派遣」、携帯で呼び出される「日雇い派遣(デジハケ)」の蔓延は、その悲劇的結末である。一方で、派遣業は5兆円産業に急膨張し、ハケン成金が続出している。
 産業労働委員長としてこうした現実に切歯扼腕するも、雇用・労働に関わる法律と、権限はほとんど国に握られている。政府は、緊急課題である派遣業法の見直しを、またもや先送りしようとしている。小泉・竹中路線でずたずたにされた日本の雇用を、人間らしい生活を保障するものに建て直すには、もはや政権交代しかない。

安倍政権の危うさと格差社会の深刻化 (2006.10.12記)

 小泉首相の退陣とともに、A級戦犯容疑者だった岸信介元首相の孫・安倍晋三内閣がスタートした。別に血筋でレッテルを貼るわけではないが、安倍首相自身がその著書「美しい国へ」で、祖父・岸信介を誇りとし、その首相イメージを意識して「闘う政治家」を気負っているのだから、その危うさが際立つ。ある人が、小泉首相は「右翼的」だったが、安倍首相は「右翼」そのものみたいだと評した。
 小泉時代の5年間に、国民生活の貧富の差は大きく広がった。不良債権を処理し、景気回復を軌道に乗せたというが、国の借金は150兆円も増え、年収200万円以下の給与所得者は140万人も増えて1000万人近い数に上った。平均的サラリーマン(年収439万円)の税金と年金・健保などの保険料負担は、計9万円も「増税」された。生活保護世帯は100万を超え、自殺者は3万人以上の高水準を維持している。安倍首相の「再チャレンジ政策」なるものが、こうした人々を救済しようとしているとはとても思えないし、国民生活の悲惨さから目をそむけた「美しい国」イメージには、空恐ろしさを覚えるのである。
 地方の格差も広がり、東京や愛知はいま「勝ち組」を誇っているように見える。しかしその愛知でも、その内部の格差は確実に深刻化している。大企業と中小零細企業の差、正社員と派遣・パートの差、経済力による教育機会の差、これらが、愛知のモノづくりを支えてきた「人材(財)」=人づくりのシステムを、急速に蝕んでいるのだ。
 私たちが知事候補として石田芳弘氏を選んだ最大の理由は、こうした現状認識を強く共有しあえたからである。石田氏が現職の神田知事を超えるリーダーであるかどうかは、今後提示されるそれぞれの「マニフェスト」(具体的な政策公約)を見比べ吟味する中で、県民の皆さんにじっくりと判断していただきたい。まずは、県民の選択肢として二人の知事候補が真剣に競い合う形ができて本当によかったと思う。


県議会の「後進性」を打破したい(2006年7月10日記)

 愛知県議会はこれでいいのか。そんな思いを改めて強くした最近の出来事を二つ紹介したいと思う。
 一つは
県立大学の夜間主コース廃止問題だ。10年前に瑞穂区から長久手に移転した県立大学には、働きながら安い学費で学べる夜間コースの伝統があり、いまも600人近い社会人や勤労学生が学んでいる。県は3月末に発表した「大学改革基本計画」で、「平成21年度から夜間主コースの募集停止」を打ち出したのだ。
 議会は「寝耳に水」だった。そんな大事なことを県は議会にも諮らず、勝手に決めていいのか?わが民主党県議団は代表質問で、知事にその理由を尋ねた。知事がどんな答弁をしたか、是非確認していただきたいと思うが、理由にも何もなっていない。要は「行革」「合理化」である。格差社会の中で、経済力のない家庭の子どもは大学にも進めないという事態がどんどん進行しているのに、県立大学までもがそれに追随してどうすると、私は言いたい。私にとってさらに情けないと思うのは、議会で一度も議論された形跡はないのに知事はすでに「決定済み」という態度であることだ。議会で過半数を占める自民党の実力者には決定前に「根回し」が行なわれ、「了解済み」となっているらしいという話を聞いて、ますますあいた口がふさがらない。
 もうひとつ、選挙には候補者の政策や実績、経歴などを記した「選挙公報」というものがあるのが当然だが、
愛知県議会議員の選挙では、その選挙公報が発行されていないのをご存知だろうか。私は7年前に県議選に立候補して初めてこれを知り、当選した初議会で質問した。答えは「(県が広すぎて)実務的に困難」「財政的負担」「必要性が薄い」等々。これまた呆れた答えであった。一体選挙では何を判断材料に投票すればいいのか。有権者無視もはなはだしいと思った。
 この問題を提起し続けて7年目、来年の選挙でこそ選挙公報が発行できるようにしたいと、自民、公明の各派と協議してきたが、7月6日の議運理事会で、とうとうゼロ回答が返ってきた。どうもベテラン議員の間では「そんなものは新人候補者に有利になるだけ」という本音がちらつく。これまたどうしようもない保守性である。よくこれで「改革政党」などと恥ずかしげもなく名乗れるものだ。
 これらは愛知県議会の「後進性」を表す事例の一端である。こんな地方議会の現状では、地方分権もおぼつかないと思う。お隣の三重県議会は、北川知事の登場を期に、議会の自主的な活動が一気に活性化して、議会改革が進んだ。議員提案条例も日本一多い。その主導権は民主党系「新政みえ」がとっている。それに負けてはいられない。来年1月の知事選挙、4月の県議選が一大転機となる。そうすべくがんばる決意だ。


「人的資源立県への改革」の民主提言にご注目を
                     
(2006年3月28日記)

 2月の民主党県連大会で発表した「持続する愛知(サステイナブル・アイチ)――人的資源立県への大胆な改革」は、2020年という未来を見つめて愛知の将来像を描いてみようという、私たちの半年以上を掛けた勉強の成果だ。県も「新しい政策の指針」という10年ビジョンを出し、自民党も6月ごろにはこれに対応する構想を準備しているようだが、充分に比較に耐えるものにまとめえたのではないかと自負している。
 私たちの着眼点は、モノづくり日本一を誇る「元気な愛知」の最大の強みは結局、「人的資源=人財」に尽きるという点にある。そして小泉改革に象徴される新自由主義的な市場万能、効率優先主義のひずみが、大企業の利益と業績には貢献する半面、元気の素であった人的資源の再生産を蝕み、脅かしつつあるという現状認識にたどり着いた。その危険信号が、少子化と人口減少であり、ニート・フリーターの激増であり、社会全体の格差拡大と不安定化なのである。
 したがって政治・行政が、そのもてる限られた政策資源を中期にわたって集中すべき分野は、格差拡大を是正する所得再配分機能と社会的セイフティネット機能の再構築にあり、育児、教育、職業訓練、そして安定した仕事の保障という人々のライフサイクルに、希望と意欲をよみがえらせること。それが、「愛知の元気」を持続可能な(sustainable)ものとしていく唯一の鍵だ、という結論で締めくくっている。
 これを実現する政策の各論はまだまだ荒削りだが、子育て支援や住宅政策、NPOの育成など効果のある、かなり思い切った政策アイデアを頭出ししている。松原市長からは早速、「かなり共通している。一緒にやれる」と賛意をいただいた。環境政策や産業政策も、この視点からどんどん豊富化していけると思う。
 ぜひご一読いただき、多くの皆さんのご意見を賜りたいと願う。

民営化と効率化の落とし穴                    (2006年1月1日記)

 小泉内閣は、総選挙大勝の余勢をかって「民営化」と、「小さな政府」へまっしぐらだ。公務員を敵役に仕立てながら、その裏ではすでに庶民への大増税が動き出している。このままでいいのか、心配でたまらない。
 昨年はやっと景気回復、株価上昇という明るい雰囲気が見え始めたが、一方で日本社会は「下流社会」(三浦展著、光文社新書)と、一部のヒルズ族と呼ばれるような成金たちに分解し始めているようだ。政府や公共部門が責任を負うべき「安全」「安心」が脅かされている。JR福知山線の惨事、耐震データ偽造による危ないマンションの大量発覚、いずれも公共部門の民営化の中で発生した「落とし穴」であった。
 「改革」イコール効率化イコール民営化という、単純な図式ですべてを割り切っていくことの危険性に気付かねばならない。公共サービスに求められる第一の要素は信頼性であり、次に効率性であるはずだ。民主党も、指定管理者制度や市場化テストを積極的に推進するが、コスト削減のみでなく「サービスの質」「信頼性」を重視した選択を主張している。
 公務員制度改革についても、人数を減らせ、給料や退職金を下げろ、ばかりではダメだと思う。巨額の財政赤字の原因が、公務員人件費にあるかのような宣伝は、公共事業や「虎ノ門」(特殊法人)でさんざん甘い汁を吸い尽くしてきた一部特権階級連中を免罪してしまう。
 本当の改革とは何なのか。誰のための改革なのか。じっくりと見定め、取り組む年にしたい。

小泉に奪われた「改革」の旗印            (2005年9月25日記)

 恐るべき総選挙の結果であった。政権交代の悲願はしばらくお預けと成り、民主党にとっては臥薪嘗胆、捲土重来の日々が続くことになる。民主党内には「得票は減っていないのだから、そんなに気落ちする必要はない」とか、「小泉の最後の栄華で長続きするはずはない。すぐぼろを出すだろう」などという慰め、気休めの声も聞こえるが、私はそれは甘いと思う。
 改革派の本家であるはずの民主党が、その最大の武器とすべき「小選挙区制」と「メディア利用」の二つの主要な土俵で「完敗した」と受け止められなければならないと思う。これまでの民主党の躍進を支えてきた都市部、若年層、ホワイトカラーの浮動層の数百万票が自民党に流れ、小泉に軍配を挙げたのである。これらの人々はこれまでの政治に最も強い不満を持ち、改革志向が強い層である。この層を安定的に獲得しなければ、絶対に民主党政権が成立することはないだろう。私の親しい支援者の中にも、「悪いが、今回は比例は『小泉』(自民党)に入れるよ」という人が何人もいた。この人たちの目は決して節穴でもなければ、軽佻浮薄な人種ではない。こういう人々の選択眼を侮ってはいけないと痛感した。
 どうすればこの人々の改革への期待と支持を民主党に取り戻すことができるのか。前原さんを先頭に、深刻な戦略の練り直しが必要だ。先日の民主党代表選出は、全党のそんな危機感を汲み取った結果と信じたい。

官庁のもつ個人情報の不正流出を止めよ!(2005年7月2日記)

 4月から個人情報保護法が施行された。しかし、肝心の役所がもつ個人情報が適正に管理されているのか、心配になる事件があいついで発覚している。
 一つは住民基本台帳。名前、住所、性別、生年月日の4情報だけとあなどってはいけない。3月に名古屋で摘発された連続婦女暴行事件では、犯人は住民票を閲覧して少女と母親だけの世帯を180軒もリストアップし、次々に襲っていた。だいたい住民票の大量閲覧は8割が「営業目的」だ。だれにでも公開されているという法の原則自体がおかしい。法改正を求める意見書が名古屋市、愛知県をはじめ、多くの自治体議会であがっており、民主党は住民基本台帳を原則非公開とする改正案をまとめたが、これに抵抗しているのが個人情報保護法の主務官庁でもある総務省だというから呆れてしまう。
 別の意味で深刻なのは、76年に閲覧制度が廃止された「戸籍」が、行政書士、弁護士など8士業に特別に許された「職務上請求書」の流用によって、大量に覗き見られていることだ。兵庫県、大阪府などの一部の行政書士事務所の印のある「職務上請求書」が探偵社、興信所などの手に渡り、「相続調査」などウソの目的で戸籍謄本が請求・取得されている事例が、愛知県内でも数十件あるらしいことがわかった。戸籍には、出身地や血縁、離婚や帰化など、センシティブな個人情報が含まれており、結婚や就職などの差別的身元調査に使われた疑いが濃い。
 戸籍制度は、諸外国にはない日本独特の制度で、血統重視と家夫長制度に基づき国民を管理する制度の残滓にほかならない。こんなものを法務行政が大事に抱え込んでいるから、色々な形で漏洩し、人権被害の元凶になる。
 個人情報を保有する民間事業者を厳しく指導、取り締まりながら、官庁自らが保有目的も疑わしい大量の個人情報の扱いに、かくも無頓着だったとは。私たちはもっと監視の目を厳しく光らせる必要がありそうだ。

県立大学の授業料53万は高い!(2005.3.18記)


 国立大学がすべて独立法人化し、この4月から授業料がまた値上げされた。文部科学省が標準学を3%上げたためで、決定の独自性が付与されたはずなのに、下がるところは一つもない。県立大学も法人化の方向を知事が明言し、国立大同様、授業料値上げが決まった。年間53万5800円である。法人化すれば、当然独立採算制が強まり、更なる値上げを招く恐れは強い。県立大学は地元から通学する学生にとって、良質で授業料格安の大学として貴重な存在だったはずだが、負担面でのメリットはどんどん希薄になっていく。これでいいのだろうか。
 私が大学に通ったころ(30年ほど前)、国公立大学の授業料は年3万6千円だった。当時から物価が3〜4倍となったのに比べて、10数倍というのは異常な上がり方である。大学進学率が4割で頭打ちとなり、少子化が進んだこととも無関係ではない。2人、3人の子どもを大学に進ませることは普通の家計にとって、過重な負担となっている。
 財政難が続き、更なる行革が求められる中、県の支出を増やすためには相当の理由が要る。私学を含め、大学間競争の激化は避けられず、公立大学ならではの個性と存在意義をはっきりさせなければならない。皆さんはどんな県立大学を望むのだろうか?


誠に不可解な河村氏の立候補断念(2005.1.15記)

 名古屋市長選に立候補を表明し、マニフェストを発表していた河村たかし代議士が、年明け早々に突然立候補を断念した。立候補を思いとどまるようにとの党本部の説得を受け入れたというが、私には到底理解できない。当選可能性について悲観的な見通しとなったためだとすれば、まさに「日和見主義」であり、期待した少なからぬ市民を裏切る行為といわねばならない。
 私は年末の次のコラムで書いたように、彼の市長候補としての適格性には強い疑問を持ち批判の矢を放ったが、彼のマニフェストは大いに評価すべき内容が含まれており、松原市長と本格的なマニフェストをめぐる選挙が実現しそうなことに対しては画期的なことだと考えていた。民主党も二分されたかもしれないが、大いに論争を繰り広げることで結果的に市民がどちらを選択したとしても、今までの名古屋市政とはまったく違った展開が始まったはずだった。こうなってしまった以上、彼のマニフェストの優れた部分(特にNPOへの寄付制度の条例化など)を今後の名古屋市政や県政に活かしていくことが、せめてもの罪滅ぼしか、と考えている

名古屋市長選で問われる「マニフェスト」の質(2004.12.26記)

 愛知県にとっては、まさにこの10年余の苦労の種が花咲く2005年の幕開けです。中部国際空港が2月17日に開港し、「愛・地球博」が3月25日に開幕するのです。これらは単にひとつひとつのプロジェクトではなく、両輪のようにあいまって、この地域全体の経済や社会に明るい波及効果を発揮しつつあります。そしてその要因に「地道なモノづくりの伝統」と、「堅実な生活感覚」があったことを、私たちは誇りにして良いと思います。
 この春に行なわれる名古屋市長選挙も、そんな「名古屋人らしさ」を存分に発揮するチャンスにしたいものです。政権選択は「マニフェスト」で、という新しい政治風土を、民主党が作り出しました。この選挙でも当然、それぞれの候補者は、名古屋市で実現すべき政策を、数値や期限、財源や工程表といった具体的裏づけを揃えて、市民に問い掛けることでしょう。
 民主党は12月26日、推薦を求めている現職の松原武久市長と、くだんの河村たかし代議士を招き、直接それぞれのマニフェストを聴く会を開きました。この場で私が河村代議士に申し上げた事は次のような点です。「市長の給料を3分の1でいいとか、退職金は要らない」などというウケ狙いの項目を、目玉政策の一番に掲げるようなレベルの低い市長選はやってほしくない。市議会を敵視するような言動を繰返しつつ、その議会の議決なしには実現し得ないマニフェストを、さも市長になれば直ぐできるかのように言うのは不誠実であるばかりか、欠陥マニフェストであると。
 松原氏についても言いたいことはいろいろありますが、堅実、着実に改革を実現しようとしている点は評価でき、河村氏との一番の違いです。河村氏のマニフェストにはNPO政策などで優れた民主党的アイデアも数多く盛りこまれているだけに、彼の突端な個性によってその政策の信頼性まで損なわれているのは誠に残念です。
 県議団30人の議論の結果でも、河村氏のマニフェストを支持する人は一人もいなかったのは、このような事情によるものです。市長選までにはまだ時間があります。市民の皆さんも、パフォーマンスやイメージに惑わされず、同時に「おまかせ」に流されることなく、それぞれのマニフェストの価値と、現実性そして真贋を、しっかりと見抜いていただきたいと思います。


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