墜落のエデン
意外性は何よりの媚薬、ということがある。
この時もまさにこのケースに当てはまる。
<こんな顔を、この男がするなんて>と、
合田雄一郎は 目の前の男を驚愕に近い想いで眺め、その媚薬をたっぷりと食らわされていた。
だが実はそれをじっくり味わうような余裕など無く、何故と言えば 程なくして雄一郎の方も 焦がれるような熱に焼かれる身となり果てたからである。
※ ※ ※ ※
いつもはきっちりと結ばれている加納のネクタイは乱暴に緩められ、ワイシャツははだけ、上着はとうの昔に床の上に脱ぎ捨てられている。
雄一郎の着衣も互いに仕掛けあった行為のために同じように乱れ、胸元は鳩尾の辺りまで既に露わだ。
どんなときも冷静で理性と誠意を胸に抱いて忘れず、決して単純ではない本質を精神の仮面と涼風が覆い隠している男、加納祐介。真剣だったり穏やかだったりくつろいでいたりする加納の取り繕わない一面を、他の人間よりはずっと 自分こそが知っているのだと、今の今まで雄一郎は無意識に思ってきたのだった。
それが、こんな。
飢えた目、熱に乾く肌。柔らかにうごめく唇が雄一郎の指先一つに戦慄き震え、灼熱の吐息を漏らす。こんな 想像だにしなかった加納が存在していたことを知らされることになろうとは。
雄一郎が他よりは加納の本質の近いところに位置していると思っていたのは全くの錯覚でもなかっただろう。だが底と見えていたものは実は単なる上澄みの一部で、もっと奥へと展開している無限の深みを、はまり込む身になって初めて見つけてしまった。
これが本当にあの男なのだろうか?
例えば雪山で、一歩先に死が待ち構えているような事態にあっても毅然とし、決して自分を失わなかった加納の姿を思い出す。
今その加納によって掴まれた腕はぎりりと痛い程で、雄一郎を燃やし尽くす衝動の固まりと化している。その視線にまっこうから向かい合えば、戦慄に背骨の芯が震える。気が遠くなりそうな、十八年にも渡る想いの発露だ。
加納が挑んでくるこじ開けて奪い取る口づけに雄一郎は共鳴し、奪い返そうともがく。取り戻したと思うのは束の間で すぐに逆転し、永遠に求め合う。
じれて、焦がれて。その果てに雄一郎を襲う、ほとんど苦しみに近い陶酔がある。
たまりかねて、
「どうにかしてくれ。」
思わず雄一郎が呟いた言葉が 加納に一瞬理性のまたたきを取り戻させる。
<何を?>と眼差しが聞いたので続ける。
「あんたの声も、そんな顔も、だ。ーーぴりぴりするーー。」
圧倒的な媚薬の力は抗い難い麗しさを含んでいて。頼むからそんな顔を向けないでくれ。初めて明かされた悩ましい秘密に、もう狂いそうなんだと。
しかし加納はさらりと言う。
「お互い様だろう」
「・・・そうなのか?」
くすり、と加納が笑んだ。
止めようとして止められぬ互いの愛撫に、押さえようとしても押さえられない互いの反応が返すから。高まりは果てしない。
体に残された衣服を通じても 十分に伝わる高ぶりがある。加納のそれが言葉を裏付けるものであることを認め、雄一郎の体が尚一層の熱を加える。
<ああ。焼け落ちそうだ。>夕焼けにも似た、緋色のスパークが映じる。
崩れ落ちてゆく。
加納の中に、自分だけへと開かれた 楽園を見る。
「ゆ・・すけ」
呼ぶ声に、声無き声が答える。雄一郎、と。
静かで深い、情念の沼をたたえた無言。
解放された十八年の歳月が 炎となって二人を焦がす。
滅びの炎か。
浄化の炎か。
そこは震撼する、紅蓮の、燃えさかる楽園ーーー。
END
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