takamura's LIBRARY NO.10

      S H A M E −takamura4部作:第2部−
                      〜君を汚したのは誰〜



 その夜、東京の冬空に月が出ていた。
 8時20分、電話のベルが僕を呼んだ。
 それはまどろみのような世界から急速に僕を現実の世界へと呼ぶ声だった。
 ソファからゆっくりと立ち上がって僕はキッチンへ行った。

          

「もしもし・・・」
「もしもし・・・、二階堂です」
 それは恋人だった成美からの電話だった。
「・・・」
 少しだけ驚いて僕は何も言えなかった。 
「お久しぶりね葵君。ずっと連絡くれなかったから、元気かなと思って・・・」
 “どうして別れた娘に連絡しなくちゃいけないんだよ”、と少しだけ僕は
不機嫌になった。
「ああ、色々とあってね。最近・・・」
「そう・・・。私も色々とあってね、ずっと落ち込んでたんだ」

 成美と最後の言葉を交わしてから、実に半年の歳月が流れていた。
 僕はターンテーブルに近づいてレコードをかけた。
 そして、カンパリソーダを作ってソファに腰を下ろした。
 部屋にはBeethovenの『月光』が流れ始めた。  

「何を聴いてるの?」
「『月光』だよ。Beethovenの・・・」
「相変わらずね・・・」
「そうかい・・・」
「せっかくだから何か話さない?」
 成美にも大した用事は無いようだった。
「何か話しがあるなら・・・、僕は別に構わないよ」
 少しだけ迷ってから僕はそう彼女に答えた。
 
 それから僕と成美は話してもどうしようもないことを話した。
 ほとんどが他愛もないものだった。
 最近の映画や音楽、それに足を運んだ舞台のコトや・・・。
 そしてほとんど成美が喋り、僕は適度に相槌を入れながらそれを聞く
役にまわっていた
 そしてふと気が付くと、彼女の話は終わっていた。
 終わっていたと言うよりも、話の途中で言葉がちぎり取られたような、
そんな終わり方だった。
 そして僕は、成美はもっと別の話をしたくて電話してきたのだろうと思った。


「何か・・・、本当はもっと別の話があるんだろ?」
 ゆっくりと煙草に火を点けながら僕は言った。
 煙草の先端からゆっくりと立ち昇る薄紫色の螺旋模様が、部屋の中に
幾何学的な模様を描き出した。
「私ね・・・。私、振られちゃったの」
「・・・」
 成美の言葉に僕は何も言葉を返さなかった。
 何となく僕には彼女がそういう話をするコトが解っていたのかもしれない。
 もしかしたら・・・。

 成美は僕と別れた時、僕の他に想いを寄せる人がいた。
 そして僕も成美の他に心ひかれる娘が出来ていた。
 だから、僕たちは別れるという道を選んだ。

「何があったのかよく知らないけど・・・?」
「・・・」
 成美は何も言わなかったし、僕もそれ以上は何も言わなかった。
 
 僕と成美の間には『月光』が流れていた。
 もちろん受話器を通してではあるけれど・・・。
 レコードジャケットをぼんやりと僕はを眺めた。
 ピアニストは、WILHELM KEMPFFだった。
 そしてその録音はかなり古いものだった。

「葵君と一緒にいた頃に還りたいな・・・」
 まるで独り言のように成美はそう言った。
「・・・」
 僕は驚いて、一瞬何も言えなかった。

 僕は成美と一緒に過ごした日々を想い出してみた。
 4年・・・。
 成美と過ごしたそれは余りにも長く、それは恐らく僕が生きてきた20年という
歳月の中で、一番光輝いていたに違いなかった。

「たとえ成美がそれを望んでも、半年というお互いの知ることの出来ない季節が
あったんだし・・・」
 僕はそれ以上言葉が出なかった。
 僕自身、何が言いたくて、何を言おうとしているのか解らなくなっていた。
「葵君の言おうとしてることは解るよ」
 成美は僕を慰める様に言った。
 僕に同情していたのかもしれない。
 もしかしたら・・・。
「この半年の間、成美に何があったのか僕は知らない。でもその答は今、成美の
口から聞いた。それと同じ様に、成美の知らない事がこの半年の間に僕にも
あったんだよ。まだ、答は出ていないけれど・・・」 
 
 成美と別れてからの半年の間に起こった出来事を僕は振り返った。
 未森が別れを迎えたのを始めとして、僕と成美に別れの季節が訪れた。
 勇祐の片想いは実らなかった。
 あれほど仲の良かった弘毅と美幸にも別れが訪れた。
 僕達は皆、この半年の間にどこかで舵を取り違えたのだ。
 
 
 勇祐の片想いの相手はさやかだった。
 彼女の心に想う人がいることを告げたのは僕だった。
 彼には、以前「想い続ける気持ちを大切にしたら」と言ったことがあった。
 しかし勇祐はそんな事は無駄だ、と言ってあっさり気持ちを切り替えて
しまっていた。
 彼の言葉を借りれば、それは未練というものだろう。
 でもそのコトが勇祐にとって幸いだったのか、不運だったのかは僕には解らない。
 でも、あの時勇祐が僕と同じようにさやかを諦めないでいたとしたら、今頃僕の
恋敵として僕の前に立っていただっただろう。
 だから、勇祐が諦めた事は僕にしてみれば幸いだったし、彼にとっては
不運だったと言えた。

「今、大学の娘(こ)なんだけど、好きな娘がいるんだ」
 こんなコトを考えている間に僕は言ってしまった。
「・・・」
 成美は何も言わなかった。
 成美にしてみれば、恐らく相当動揺したことだろう。
「ウソ・・・、ウソよ」
 成美は弱々しく言った。
 新しい煙草に火を点けながら僕は彼女の言葉を聞いていた。
「ウソじゃないよ。僕が今まで成美にウソをついたことがあったかい?」
「ううん・・・、無かったよね」
 微かな声で成美は言った。
 僕はターンテーブルに近づき、レコードを載せ換えた。
 The Percy Faith Orchestraの『A Summer Place-夏の日の恋-』の甘美な旋律が、
が辺りに満ちていった。
 
           

 それから僕は、成美と別れてからこれまでのコトを彼女に話し始めた。
 半年前のあの夏、僕と成美には別れの季節が訪れた。
 そしてさやかには心の想う人がいた。
 勇祐の片想いは実らないまま、終わりを迎えた。
 しかし、僕は想いを切り替えるコトが出来ないでいた。
 それ以来僕はさまにならない片想いを続けている。
 そして今夜、成美から電話があった。


「そう・・・。お互い、確かに色々な事があったのね」
 僕が話が終わって、そしてしばらくして成美が言った。 
 ターンテーブルは止まっていて、The Percy Faith Orchestraの甘美な
旋律は何処へとも無く、その姿を消していた。
「4年間は永い時間だったけど、半年もまた永い時間だったんだよ」 

 そう言いながら僕はレコードを換えようとしてターンテーブルに近づいた。
 The Percy Faith Orchestraのレコードを手に取った時、それは僕の手から
滑り出した。
 そして鈍い音がしてそのレコードには深い深いヒビが入ってしまっていた。

「今の何? 何かすごい音がしたけど・・・」
 僕がレコードを落としたことに成美も気がついていた。
「ああ。レコードを落とした。そしたら・・・、割れた」
「きっと価値のあるレコードだったんでしょ?」

 成美とはよく僕の部屋でレコードを聴いて、時の過ぎ行くのを忘れたものだった。
 だから、彼女は僕のレコードのことをよく知っていた。

「君から貰ったThe Percy Faith Orchestraのだよ・・・。ごめん・・・」
 それは僕と成美が付き合い始めて、最初のクリスマスに彼女からプレゼント
された物だった。
「割れちゃったものはどうしようもないよ・・・」
 成美もこのレコードのコトをよく覚えているようだった。
「何か、成美との想い出の物がだんだん無くなっていっちゃうな」
「しょうがないよ、形あるものはいつかは壊れる運命(さだめ)なんだし・・・」
 成美はこの半年の間に、随分と大人びた考えを持てる娘になっていた。
「そう言ってもらえると、諦めがつくような気がするよ」
「だからさ、そんなに壊れた物の事を考えるのは止めなよね」
 僕はヴェランダで成美の言葉を聞いていた。
 そして、月を見上げた。

 それから暫くして部屋に入って、そしてもう一度『月光』のレコードを載せた。
「成美の部屋の窓からも月が見える?」
「エッ、ちょっと待って」
 カーテンを開ける音がした。
「見えるよ、満月が・・・」
 成美の声に些か元気が戻ってきた。
「綺麗な月だね」
「葵君も見てるの、この月?」
「ああ見てるよ。だから綺麗だねって言ったろ・・・」
「葵君て相変わらずロマンティストね」
「そうかい」
 そう言って僕はだいぶ薄くなったカンパリソーダを口に運んだ。
「だって、今『月光』聴いてるんでしょ?」
「そうだよ」
「時は流れていても何も変わってないのね」
 しばらくしてから、成美は言った。
「何か、安心したな・・・」
「人間、半年や1年では根本的なものは何も変わらないんだよ。たぶん・・・」
 何で僕がこんな事を言ったのかは解らない。
 でも、この言葉が成美の感情を高ぶらせたことだけは間違いなかった。

「私ね、葵君と別れる2カ月くらい前から好きな人がいたんだ。葵君とは別の」
 ようやく聞き取れるくらいの微かな声で成美は言った。
「僕は気付いていたよ。成美に好きな人がいたコト・・・。もちろん僕以外のね」
 そう言いながら僕はこの時、過去を清算するつもりだった。



 あの時、僕は何もワケを言わずに成美に別れを告げた。
 でも、彼女はそれを快く解ってくれた。
 成美にしても僕にしても、もうお互いが戻れないくらいにすれ違ってしまって
いたコトに気が付いていたのだろう。
 だから、あの時、彼女は僕がそう言い出したワケを訊かなかったの
かもしれない。
 もしかしたら・・・。


「・・・」

 成美は何も言わなかった。
 じっと月を見ていたのかもしれない。
 もしかしたら・・・。

「だから、終わりにする決心が僕にはついた。成美にはもう僕は必要
なくなったんだって、そう僕自身に言い聞かせた」

 人間と言う生き物は、誰かが必要としているから存在している。
 必要とされなくなった瞬間に存在理由が無くなる。
 古の賢人の言葉だろう、と記憶している。

「必要とされなくなった人間の存在理由なんてものは無くなるんだ。
だから、僕は君の前から消えるしかなかった」
「そんな言い方は止めて。葵君は悪くない。全ては私が他に好きな人を
作っちゃったせいよ」
 成美は半分泣き声で言った。
「同情なんて止めようよ・・・。同情なんてされるだけ、された方が惨めだよ」
 少し僕は感情を高ぶらせて、つい強い口調になってしまった。
「・・・」
 受話器の向こう側からは、成美の声は聞こえなかった。
 かすかに涙をこらえているような音だけが聞こえていた。
「時は流れていても、人は変わらないなんて言っておいて、葵君は全然違う
人間になっちゃったじゃない・・・」
 涙声で成美は静に言った。
「・・・」
 僕は何も言うことが出来なかった。
「いいかい成美、よく考えてごらん。君は僕と別れるより前から他に想いを
寄せる人が出来てた。いいね。そして、この半年の間にその人に振られた。
いいね・・・」
 成美に納得させるようにゆっくりと僕は言った。
 彼女は泣きじゃくるばかりだった。
「つまり、君だって色々と心変わりしたんだろう?」
「うん・・・」
 成美は彼女自身にしか聞こえないような小さな声で言った。
「それと同様に、僕の気持ちも変わっていったんだよ。解るね?」
 成美は何も言わなかった。
「それがフェアと言うものだろう。違うかい?」
「そうね・・・」
「だから、僕が変わったとしても君はそれを責められない。そうだろ?」
 
 今の言葉で成美は理解してくれたのかは、僕には解らない。
 でも、成美は僕が愛した娘だ。
 だから、十分理解したはずだ。
 たぶん・・・。



 成美はまだ泣いていた。
 なぜそこまで成美が泣くのだろうと、僕は不思議に思った。

「成美、詳しく話してくれないかい? よかったら・・・」
 僕に話す事で成美は少しでも気持ちが楽になるかもしれないと僕は思った。

 初めのうち、成美は何も話そうとはしなかった。
 そして僕も強引に聞きだそうとはしなかった。
 どれくらいか時が流れて成美は泣き止んでいた。
 ゆっくりとソファから立ち上がって僕、違うレコードをターンテーブルに
載せた。
 Chopinの『Preludes』の旋律が辺りに満ちてきた時、成美は話し始めた。

「その人、浅井君て言うの。学校の友達の1人だったんだけど、気が
付いたら葵君より大きな存在になってた」
 僕はヴェランダへ出て、煙草を片手に成美の話を聞いていた。
 受話器の向こう側から成美の言葉が続いた。
「それで、葵君と別れてから私、自分の気持ち伝えようと思っていたの。
そしたら、ある日、友達の小夜子が話があるって言ってきたの」
 街をぼんやりと照らす真冬の月を眺めた。
 そして、溜め息と一緒に煙を吐き出した。
 部屋からはChopinの『雨だれ』がカーテン越しに流れていた。
「浅井君のコトが好き。私、この想いを伝えるてって小夜子が言ったの」 
 そう成美が言った時、僕はあの夏の日の僕と勇祐の姿を思い出した。

 僕がさやかに密かに想いを寄せていた時、「さやかのことが好きだ。
彼女にしたいから協力してくれ」と、勇祐が僕に言ってきた。
 似たような話は、どこにでもあるようだった。
 それが以前恋人同士だった2人に起こったコトだった。
 そしてそれは偶然としか言いようがなかった。

「それで、成美はどうしたの?」
「私は、彼女の力になるコトにしたの。だって、小夜子は親友なんだし、
私は愛情よりも友情を大切にしたいから・・・」

 『愛情』と『友情』・・・。
 これを天秤にかけて、成美は『友情』を選んだ。
 僕はどうだろう? 
 『愛情』を選んだ。
 間違いなく・・・。
 だから、僕は今でもさやかのコトを想い続けている。
 でも、僕は勇祐を裏切っている訳ではない。
 勇祐は「さやかを諦める」と言ったのだ。
 でも僕は勇祐に「想い続けろ」と言った。
 しかし勇祐はそれを振り払った。
 だから僕は彼を裏切った訳ではないのだ・・・。

「それから・・・」
 部屋に戻って僕は3杯目のカンパリソーダを作りながら言った。
「それから、小夜子が告白して浅井君とつき合ったの」

 僕には理解出来なかった。
 小夜子とやらが浅井とやらに告白して上手くいったのは解る。
 それがどうして成美が振られたことになるのだろう?
 成美と小夜子が告白しあって、浅井が小夜子を選んだ、と言うなら話は解る。
 でも、成美は浅井に告白した訳ではない。
 それならば何故、成美は振られたと言うのだろう?
 僕の頭の中は混乱していた。
 そんな混乱をよそに成美はさらに話し続けた。

「そしたら、2カ月くらい前にその2人が別れちゃったの」
 僕は益々混乱した。

 決して成美は説明の仕方が不得手な訳ではない。
 最後まで話を聞けば解るかもしれないと僕は思った。
 僕はソファに座り、成美の話を聞き続けた。

「浅井君は別れたって電話してくるし、小夜子は一緒にお酒飲もうって
言って泣きながら部屋にくるし・・・」
 成美の話はリアリティーがあった。
 彼女に起こったその世界が、まるで僕の目の前で起こった出来事のように、
僕はそんな風景をありありと思い浮かべることが出来た。
「それで、成美はどうしたの?」
 僕はただ相槌を入れるだけだった。 
「私は2人を慰めたわ。だって2人とも私の友達なんだから」
「それが成美が振られたコトと何か関係があるの?」
 僕はついに疑問に思っていたコトを、成美に直接訊ねた。
「・・・」
 成美は一瞬黙った。
 しかし、その沈黙は一瞬ではなかった。
 僕の言葉は、かなり永い時間、成美の口を開かせなかった。
「それ以上話したくなければ、僕は構わないけど・・・」
 ようやく僕は言葉を見つけるコトが出来た。
 そして成美は深い深い溜め息をついた。
 
 レコードは止まっていた。
 僕はレコードを載せ換えた。
 それは、音楽を流したいと言うよりは、この深い沈黙を必死にかき消そう
としたかったからに違いない。
 The Plattersが『ONLY YOU』を唄っていた。
 そしてそんな旋律に包まれながら僕は、この沈黙が未来永劫になって
しまうような気がして、言葉の断片を必死に頭の中で組み立てた。
 しかし、それはまともな言葉にはならなかった。

「2人が別れてから暫くして小夜子がね、成美ちゃん浅井君に気が
あったんでしょ? ごめんね。私そのコト知ってて悪いことしちゃったね。
でも、今、浅井君、私と別れたばっかりだから、今のうちに告白すれば、
OKだと思うよ、って言ってきたの・・・」
 途切れ途切れに成美はいった。
 そして、言い終わってから成美は溜め息をついた。
 そんな彼女につられるようにして僕も溜め息をついた。
 それを聞いて成美は、クスッと笑った。
 僕も軽く苦笑いをした。
「それで、私はそんなコトは出来ないよって小夜子に言ったの」
「本当にそれでよかったの?」
「よかったって?」
「だって、成美は好きだったんだろ?」
 そう言いながら僕はまたヴェランダに出た。
 そして月を眺めた。
 漆黒のカンヴァスに張り付いた月はだいぶ高くなっていた。
 頬に冷たい冬の空気の流れを感じながら僕は煙草に火を点けた。
「うん・・・。でも、そんなコト出来っこないって、その時は思った」
「その時は?」
「そう、その時は・・・」
 そこまで言うと成美は、再び口を閉ざした。
「でも、打ち明けたの、私。浅井君に」
 そう言う成美の言葉を聞きながら僕は月を見上げた。

 手にした煙草は灰と化していた。
 それは僕の手を離れ空気中を漂っていった。
 やがてベランダのコンクリートにそっと触れた。
 そして形が崩れ、冬の夜風に乗って何処へともなく舞っていった。
 僕は溜め息をついた。

「ごめんね、何か暗い話になっちゃって」
 成美は涙声になっていた。
「いや、訊いたのは僕のほうだから・・・」
 そう言って僕はひとつ溜め息をついた。



 成美の泣く姿を見たのは、それが初めてだった。
 4年間つき合ったけれど、泣いている姿は本当に初めてだった。
 僕は成美を強い女の娘だと思っていた。
 僕は成美が可愛そうに思えた。
 僕は成美を励ましてやりたかった。
 昔のように、抱きしめてやりたかった。
 気の済むまで、僕の胸の内で泣かせてあげたかった。
 しかし、それは僕にはもう出来ないことだった。
 僕はもうミス・キャストになっていた。
 あの頃のような訳にはいかない。
 その事は、僕が一番よく理解していることだ。



「そしたら、浅井君、言ったの」
「もういい。解ったから」
 僕は成美に同情を覚えた。
「お前とはいい友達でいたいって。もし俺がお前とつき合ったら、小夜子と
お前の間がおかしくなっちゃうからって」
「頼むから止めてくれ、成美・・・」
「お前と小夜子が喧嘩するの見たくないから、お前とはつき合えないって
言ったの」
 成美には僕の声が聞こえないようだった。
 聞こえないふりをしていたのかもしれない。
 もしかしたら・・・。 
「お前が俺に気があることは気が付いてた。本当、嬉しかった。あの時、
お前が俺に打ち明けてくれたら、俺、お前とつき合ってた。たぶん上手く
いっただろう。でも、お前は、小夜子のために諦めたんだろ?お前が
あの時友情を選んだように、俺も友情を選びたいって、浅井君が言ったの」
 成美はそう言いながらまた泣き始めていた。
 僕は何も言うコトが出来なかった。



 部屋には、The Plattersの曲が流れていた。
 そして彼らは『THE GREAT PRETENDER』を歌っていた。
 何だか僕にも涙が溢れてきた。
 お酒を飲もうという気にも、煙草を吸おうという気にもなれなかった。
 僕は何もする気にならなかった。
 ただ成美と一緒に泣くだけだった。


「どうして葵君が泣いてるの?」
 しばらくして、成美が言った。
「成美の話を聞いていたら何か僕まで悲しくなっちゃって」
「そんなの・・・、いいのよ・・・」
「そんなのって?」
 成美が何を言おうとしているのか、僕には解らなかった。
「同情なんていらないよ!」
 急に成美は強い口調で言った。
「・・・」
 少し驚いて、僕は何も言葉が出なかった。
「何で・・・、どうして黙っちゃうの?」
 まるで僕の心を試すかのように成美は言った。
「何でって言われても・・・」
「・・・」
 何も言わずに成美は溜息をついた。
「何か、僕たちの終わり方、あっけなかったな」
 僕が何でこんな事を言ったのか解らない。
「もう半年も前のことだよ。今更、どうしようもないよ」
「そうじゃなくて・・・さ」
「・・・」
 成美は何も言わなかった。
 ただ、時々泣いている気配が、伝わってくるだけだった。
「そうだな、別れたんだもんな・・・、今更だよな・・・」」
「そう、私が決めたの。私が別れたいって思ったの。葵君のせいじゃない
のよね。浅井君のコト好きになって、私が葵君と別れたいって思ったんだから」
「それは違うよ・・・」
 僕はそれ以上、言葉が出なかった。
「ずるいよね。いつも私に言わせるんだから。まるで私が悪いコトするから、
しかたなくそうするみたいに・・・。葵君ていつもそうだったよね」
「そんなコト・・・」
「ないの? ないって言えるの・・・?」
 僕が言い終わらないうちに成美が言った。
「いや・・・」
 僕はないとは言いきれなかった。
「人にばかり気をつかわせて、自分では何もしないで・・・」
 成美はそこまで言うと、口を閉ざした。
 僕は何も言えずにベランダで、月明かりが照らし出す街を見つめていた。
「もういいよ。ごめん。そんなコト、もうどうでもいいのよね。そ、どうでも
よかったのよ。私のコトなんか」
「何でそういう言い方しか出来ないんだよ。僕は君とちゃんと・・・」
 そこで僕の言葉は止まった。
「ちゃんと、何?」
 成美は鋭い所を突いてくる。
「しかたなかったんだ・・・」
 僕には言い訳に徹するしか、残された道は無かった。
「だから、どうでもいいの?」
「そんな事、言ってないだろ」
「言わなくたって、実際そうだったじゃない。葵君は何もしようとしなかった
じゃない」
「・・・」
 僕は何も言えなかった。
 それ以上成美も何も言わなかった。
「もう止めよう。いまさら何言ったって、もう変わるもんじゃないよ。疲れる
でしょ私といると?。イヤな女だよね。よく4年も我慢したよね・・・」

 再び長い沈黙が2人を包んだ。
「長い間、夢をありがとう。感謝しています。お元気で・・・」
 僕はこれで電話を切ろうと思った。
 もう何を言ったところで、僕と成美の関係は元には戻らないんだから・・・。
 でも次の一言がそれを思いとどまらせた。
「私はいつも元気よ・・・」
 それが成美の精一杯の強がりだというコトは直ぐに解った。
「ウソ言うなよ。誰かに話を聞いてもらいたくて、独りで押し潰されそうに
なって電話してきたんじゃないのかい?」
「そんなの、葵君には関係無いでしょ。関係無いよ! 関係無い!! 
関係無いんだ・・・」
 ますます成美は泣きだした。
「・・・」
 それ以上僕には何も言えなかった。
 ただ、月を眺めながら、そっと静かに涙を流すだけだった。
「葵君と浅井君との事は全然別のコトなんだし、一緒にしたくないの。
1つ1つきちんとしたいの。こんなコトになったからって、優しくされたくないの」
「何がんばってんだよ。そんなに無理しなくたって・・・」
「無理なんかしてないよ。普通のことじゃない。私たち別れたんだよ。
おかしいよ今になって急に励ましあって・・・。そんなのおかしいよ」
 成美は無理に元気を装っていた。
 僕にはそれが手にとるように判った。
「何もおかしくないよ・・・」
 とてもやりきれない気持ちになりながら僕は言った。
「今、成美のそばにいてやりたいと思うのがおかしいかい? こんな時に、
独りで泣かせたくないと思うのが、そんなにおかしいのかい?」
 テーブルの上の煙草に手を伸ばしながら僕は言った。
「・・・」
 成美は何も言わなかった。
「確かに僕達は別れた。もう終わったことも確かだ。でも、僕達、4年
つき合ったんだ。4年間一緒に過ごしたんだ。そんな君を、こんな時だから
相手になってやりたいと思う僕がそんなにおかしいかい? 気の済むまで
泣ける相手になってやりたいと思う僕が、そんなにおかしいかい!」
 そこまで僕は言うと煙草をくわえて、ゆっくりと火を点けた。
 そして語尾を強くしてしまったコトに後悔した・・・。
「・・・」
 成美は何も言わなかった。
 僕もそれ以上、感情に走る事をためらった。
「僕でよければ、いつでも相手になってあげるよ・・・」
 僕は成美に言った。
 とても静かに、柔らかく・・・。
「きたないよ・・・。きたないよ。振られた私を、私のコトを慰めてやるって、
大きな顔して言えるの?」
「成美・・・」
「それでもあの時、私は葵君のコトが1番好きだったんだから。なのに・・・。
そんなのあんまりじゃない。今更、遅いよ・・・。もう遅いよ・・・」
「・・・」
 僕は何も言えず、溜め息をついた。
「最後までイヤな女だったよね。お願い・・・」
「そうだな・・・。今更・・・て感じもあるよ」
「葵君、ありがとう。愚痴聞いてくれて」
「大丈夫か? 本当に大丈夫なのか・・・?」
「うん・・・、大丈夫・・・。今夜は本当にありがと・・・」
 そう言って成美は電話を切った。
「泣くなよ」
 僕は成美に向かって言った。

 受話器の向こう側に彼女はもういなかったけれど・・・。



 僕はヴェランダで夜風にあたっていた。
 冬の夜風はとても冷たかった。
 そして、色々なことを考えた。 

          

 10分ばかりあとで、また電話のベルが僕を呼んでいた。
 でも今度は僕は受話器をとらなかった。
 電話のベルは15回鳴って、そして切れた。
 ベルが僕を呼ぶのを止めてしまうと、そこはまるで重力を失ってしまった
ような、深い沈黙があたりに充ちていた。
 深い深い海の底に眠る5万年前の貝の化石のような、深くて冷たい沈黙だった。
 15回の電話のベルが、僕の周りの空気の粒子をすっかり入れ替えてしまった
ようだった。

           

 冬の月はコンクリートのビルの谷間にその姿を沈めようとしていた。
 そしてそれは、最後まで分かり合えなかった僕と成美の心の想いにも似た、
不恰好に丸くぼんやりとした月だった・・・。



                    〜fin〜
                           

 

 


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